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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1448よっさん ◆XxkTNAUYOc:2013/07/24(水) 21:45:49 ID:b9EomMlg0
浪華紙魚百景 大商大商業史博だより
「天神祭十二時」   
2013年7月24日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/naniwashimi/130724/20130724039.html

本宮の長い1日

 今ならさしずめ「密着天神祭二十四時間」とでもなろうか。祭りや神事、商売や人々のにぎやかな様子を雅文で活写する。原著者は狂歌師山含亭意雅栗三、享和年間(1801〜03年)に刊行されたものだが、今日紹介するのは、それに『渡御之賑(にぎわい)』という俳書の画譜を付して、昭和2(1927)年に翻刻し自費出版されたもの。

 出版者は藤里好古。風俗研究家として雑誌『上方』にも寄稿、同誌では「民俗、伝説、考古などに趣味深く、造詣深き」一人として紹介され、天満宮史編集のため同宮蔵の文献を探索中と自らも書くように、天満宮の教学部に在籍していた。大正10(21)年、米国の人類学者で千社札マニアでもあるF・スタールの『納札史』を翻訳出版し、その後も昭和15(40)年まで、天神信仰研究などの自らの研究を自費出版する。

 さて、「十二時」は本宮当日、旧暦6月25日卯(う)の刻・午前6時から始まる。朝の天満宮境内には、拝礼する宮司、昨夜から一晩中はやしたて宮入りしただんじりを押す男たちがいる。辰(たつ)の刻・午前8時には、宮近くの家々が祭りの飾り付け。この時刻ですでにして暑い。巳(み)の刻・午前10時、天満宮の外にさまざまな店屋が出始める。

 午(うま)の刻・正午は中之島辺りの夏の日の真昼の一瞬の静けさを、未(ひつじ)の刻・午後2時は客が来る前の曽根崎新地を描いて、ようやく申(さる)の刻・午後4時、「今ぞ御幸のときうつりぬ」と神事が始まる。御幸する天神様を迎える人々が大路にくまなく立ち混むなか、猿田彦を先頭に暑さに首の回りのおしろいのとれた稚児や、荒くれ男たちが太刀装束でのどかに進む。

 酉(とり)の刻・午後6時、船渡御。川の両岸はともしびで真昼のように明るく、夜店が出る。戌(いぬ)の刻・午後8時。商いの船で川岸が混み合う中、汗をかいた客たちのために湯おけを据えた船が登場。実際に和倉温泉のお湯を大阪まで持ってきた風呂屋があったというが、暑い夏に船上で風呂とは乙な商売である。風呂でうたた寝をしていた酔客が、花火の火の粉を避けるとかつらが外れるという珍事が起こる。また、亥(い)の刻・午後10時でも、見せ物小屋、酒、三味線、太鼓、唄や舞いなど、祭りにまつわるばか騒ぎが続く。

 子(ね)の刻・深夜12時、還御。かがり火に照らされた船上では、長い赤い烏帽子(えぼし)姿の男たちが大きな太鼓を打ち、川に飛び入りまた船にはい登る。祭りのクライマックスだ。丑(うし)の刻・午前2時、曽根崎辺りはまだ人でにぎわうが、寅(とら)の刻・午前4時にはあちこちのあんどんもまばらに消え残り、かねの音が聞こえる。それはおはやしではなく、暁を告げる鐘だ。川にはスイカの皮が漂い、酔いしれた廓(くるわ)の客たちもようやく夢心地で家路をたどる。

 さて、今日は宵宮、そろそろせからしいおはやしが聞こえてくる…。

 (大阪商業大学商業史博物館専門職員・岡村良子)


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