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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

946よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/09/30(日) 09:27:33 ID:H39u3WeU0
[碑にきく] 病押し、揮毫した父
http://www.yomiuri.co.jp/e-japan/osaka/news/20120930-OYT8T00101.htm

 大阪の石碑を訪ね、街の記憶をたどる連載「碑(いしぶみ)にきく」には、4月の開始以降、読者の方から多くの声を頂いている。石碑に込められた大切な思い出、未来に伝え残したい願い……。連載が10回を迎えたのを機に、もう一度訪ねた。(安田弘司)

◇てんのじ村記念碑

 〈本当はもっと大きな字を書く予定だったのですが……〉

 7月に「てんのじ村記念碑」(大阪市西成区山王)を取り上げると、建立当時のエピソードがつづられたはがきが届いた。差出人は、童話作家の藤田富美恵さん(73)(同市中央区)。「てんのじ村」の碑名を記した漫才作家・秋田実(1905〜77)さんの長女だ。

 石碑のある一帯は演芸街に近く、戦後、多くの漫才師らが長屋に住んだ。1970年の高速道路建設でその面影が失われていくことに危機感を抱いた住民らが77年、石碑を建てた。藤田さんによると、秋田さんは、石碑に刻む文字の揮毫(きごう)を依頼された当時、肺真菌症を患い、大阪市立大病院(同市阿倍野区)に入院していた。家に帰り、筆で書くつもりで引き受けた。

 だが、退院は実現しなかった。病床では筆が持てないため、漫才の台本を書くのに愛用したあつらえの原稿用紙に鉛筆でしたためた。「緑色のマス目にきちんと入れて書かれた文字を、拡大してもらいました」と藤田さん。〈上方漫才の父〉と呼ばれた秋田さんは、77年9月の除幕式に参加しないまま、翌月27日、世を去った。

 9月下旬、藤田さんと一緒に石碑を訪ねた。石碑を囲うフェンス内側の雑草は一夏が過ぎ、背丈ほどにも伸びていた。

 「秋田の字、ですね」

 藤田さんが石碑と対面するのは約20年ぶり。父の足跡をたどった「玉造日の出通り三光館」(玉造稲荷神社発行)の執筆で、訪ね歩いて以来という。

 「うちに仕事を持ち込まず、生きてるうちは何も知らなかった。でも、ここに来ると、『てんのじ村』と、そこで育った芸人さんを心底好きだったんだな、と感じる」。夏草の陰に、父を見つけたようなまなざしで語った。


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