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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1807名無しさん:2014/06/29(日) 21:22:28 ID:uF2ndxvs0
渡御列70年ぶり復興へ 御鳳輦など神具を公開
2014年6月25日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/news/140625/20140625034.html

 “いくたまさん”の呼び名で親しまれる大阪市天王寺区の生国魂(いくくにたま)神社(中山幸彦宮司)で24日、ことしの夏祭り「生国魂祭」本宮(7月12日)で70年ぶりに復興する渡御(とぎょ)列の神具が公開された。ご神体を、本来の鎮座地である大阪城(同市中央区)まで運ぶ御鳳輦(ごほうれん)をはじめ、戦災で失われた神具一式を新調。神職や氏子崇敬者らは長年の念願がかない、かつて「陸の生国魂」と称された往時の再現を心待ちにしている。

  同神社は秀吉の大坂城築城の際、現在地に移った。夏祭りの「生国魂祭」は、天神祭を指す「川の天神」と並び、大阪の夏祭りを象徴する一大行事として知られた。同神社によると、最盛期の明治〜戦前昭和には約2千人規模の渡御列が氏地に連なったとされるが、太平洋戦争末期、1945年3月の第1次大阪大空襲で被災し、社殿とともにすべての渡御神具が灰じんに帰した。戦後は道具もない状態で、歴代宮司が玉座のみを徒歩やハイヤーで大阪城まで運ぶなどして渡御を継承。89年以降はトラックによる渡御がなされてきたが、氏子崇敬者の寄進によって約10年前から御鳳輦、御錦蓋(ごきんがい)、八本鉾(ほこ)といった各種神具、装束類を新調。祭礼に奉仕する人員を集めるなど準備を整えた。

 渡御列の中心となる御鳳輦(重さ約500キロ)は先代をほぼ再現。使用木材の乾燥に始まり、菊の御紋や各種金具は1枚の銅板を手作業で丹念に打ち出すなど、完成までに10年を要した。中山宮司は、「かつての渡御を知る高齢者の方々も復興を心待ちにしておられる。大阪で培われた伝統の祭礼を次世代に引き継ぐ責務を感じている」と、復興元年の意気込みを語る。

 当日は、午前10時半に枕太鼓を先頭とする約500人の渡御列が境内を出発。沿道に同数の奉迎の人々が並ぶ中、約3・3キロ先の大阪城内・元宮まで練り歩き、大阪の繁栄を祈願する。宵宮の11日は、枕太鼓、みこし、獅子舞などが順次氏地を巡行し、夕刻に宮入りする。


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