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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

376よっさん ◆yQclIeGV9A:2011/08/02(火) 23:49:11 ID:/62hH2s20
>>373>>374>>375

水落静さんに、昭和初期の水落家の聖霊祭についてお聞きしました。「8月の13日朝から、主人が三津寺の千日前墓所まで、尊聖(そんじょ、ご先祖)さんをお迎えに行き、安土町の家までお連れします。入口でおがらをたき、主人の母がろうそくとりんを持って出迎え、りんを鳴らしながら家の仏壇へご案内します。 早速、お昼に、家でつくったおはぎ(こしあん・きなこ)をお供えします。仏さんのお膳は、春慶塗りのお膳を13、お供えしました。晩は、黒豆入り茶粥と香 のもの(奈良漬の瓜、浅漬のおなす)。14日の朝は、お味噌のおつい(おなす)とおなま。昼は、お煮し(かんぴょう、おなす、こんにゃく)。おやつは西 瓜。晩は、昔はすすりだんごだけやったと聞いていますが、分家からおすもじ(おすし)が届きます。このとき、かいわれ菜の塩漬をいただいたと思います。す すりだんごは、白玉だんごが入ったおしるこ(こしあん)です。15日の朝は、冬瓜のおつい、おなま、めえ(あらめ、あるいはひじきと揚げさんの煮いたん)。昼は冷やそうめん。おやつは、送りだんごにきな粉をつけて食べます。送りだんごは、餅屋さんが、大きなやわらかいだんごを届けてくれますので、それ を小さくちぎって、まるい平べったい形にして、きな粉ににまぶして、お供えしました。晩はずいきのおつい、のっぺい汁(ごんぼ、しいたけ、こいも、揚げさ ん)。15日の晩は、おついばっかりで、おなかがだぼだぼになりました。15日の晩早めにお供えして、上台所の入口のところで送り火をたいて、尊聖さんを お送りします。そのあと、お供え物は、下げて、大きな蓮の葉に包んで、東横堀川の本町橋の上から船へすーと落としました。お供えしたお茶湯やお水は、しか える度にバケツへ取っておき、15日の晩に「無縁さん、無縁さん」といいながら、門口へ撒きました。16日は精進あげで、お魚をいただきました。」

これでみると、戦前の水落家では、江戸時代とほとんど変わりなく、お盆の行事をしておられたことがよくわかります。


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