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大阪の歴史、伝統文化に関するスレ02

1090よっさん ◆XxkTNAUYOc:2012/12/16(日) 22:36:36 ID:NaTVgWwg0
大阪ロマン紀行

 大阪のDNAを感じさせる場所や企業、人を、独自の嗅覚を持つコラムニストの岡力氏が、関西に点在するオカルトスポットを、妖怪講座が人気の亀井澄夫・妖怪研究所所長が、代わる代わる紹介していきます。二人の案内人がお薦めする“ディープ大阪”を存分にお楽しみください。


生者のための厄除け祈祷寺、あびこ観音

今回の案内人 亀井澄夫(日本妖怪研究所所長)
2012年12月14日
http://www.nnn.co.jp/dainichi/rensai/oskroman/121214/20121214034.html

観音宗総本山吾彦山大聖観音寺(大阪市住吉区)

 お寺には供養寺(くようでら)と祈祷寺(きとうでら)がある。供養寺は先祖や亡くなった方の供養をするお寺で、通常、寺にお墓があり檀家(だんか)制度もある。もうひとつの祈祷寺は、お墓や亡くなった人とは直接関係がない。今、生きている人を祈祷するためのお寺である。つまり、死者ではなく、生者のための寺なのだ。

 その中で厄除(やくよ)けの祈祷では大阪随一と言われる、吾彦山大聖観音寺(あびこさんたいしょうかんのんじ)、通称「あびこ観音」(大阪市住吉区)に取材した。ここは生者のための寺であるので、お墓はなく、死者を供養することもない。お寺は檀家ではなく、一般の信徒によって支えられている。

 ご本尊は一寸八分(約5・5センチ)の聖観音像(しょうかんのんぞう)で、546年に百済(くだら)(朝鮮半島)より、膳臣巴提便(かしわでのおみはてび)(今の外交官的存在)が持ち帰った胎内仏である。しかし当時、まだ仏教は一般に信仰されていたわけではなく、その頃の飛鳥の都は、聖観音像を受け入れようとしなかった。

 それで、難波依網郷(なにわよさみのさと)の阿比古浦(あびこうら)に草庵(そうあん)をしつらえて安置した。たしかに日本に仏教が伝来した歴史で見ると、諸説あるが、ちょうど、その前後ぐらいなのだ。せっかく百済の聖明王(せいみょうおう)が国の安泰を願って渡してくれた仏像が、情けない扱いになってしまった。

 しかし、近くの人々や豪族たちが噂(うわさ)を聞きつけてお参りに来るようになり、「たしかに御利益もあり霊験あらたか」という評判が立っていった。その後、聖徳太子が聖観音像のために12年がかりで安彦山観音寺を建て、以後1400年以上も続いて今に至っている。

 この寺には様々(さまざま)な逸話が伝わっていて、その中に徳川家康が大阪夏の陣で秀吉の軍から逃げて、この寺にかくまわれた話がある。そのときの和尚、快敬(かいきょう)が偶然、家康と旧知の仲で、家康を本堂の須弥壇(しゅみだん)にかくまい、真田の軍をやりすごし、無事に家康を逃がしたのだ。

 聖観音像は現在、秘仏として安置されているが、2月の節分にご開帳となる。しかし、小さすぎてよほど近くに来ないと見れないという。

 この節分が日本最古の伝統を誇る、節分厄除大法会(せつぶんやくよけだいほうえ)で、2月1日から7日まで行われ、大きなお堂の中で護摩をたく(見に来られる方は、護摩をたく日の確認を)。節分は何十万人というすごい人出になり、露店も300店以上出るので、交通規制がかかる。同じように正月も、寺の境内や周辺の町が人でいっぱいになる。非常に人気の高い寺であるが、それもそのはず、ここは死者ではなく生者が集まる生者のための寺なのだ。


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