2015年の総選挙でもスコットランドの地域政党であるスコットランド国民党(SNP:Scottish National Party)がスコットランドでは、59議席中56議席を獲得するという「完全試合」を成し遂げている。スコットランド国民党は中央レベルでは労働党と政策位置が近く、2015年の総選挙でも、仮に勝利すれば、労働党と連立を組むとの観測もあった。したがって、スコットランドにおいては、民族自決主義が「ネトウヨ化」或いは「極右政党」とは結びついていないというのが特徴となっている。
そのような中で選挙戦に突入し、投票結果は次の通りとなった。
① CDU/CSUが事前の予想通り第一党の座を維持したものの、246議席(選挙前 311)に減らし、CDU/CSUの得票率は1949年以降最低となった。
② AfDは94議席(連邦議会で初の議席)を獲得し、第三党となった。
③ 前回総選挙で議席ゼロとなった自由民主党も80議席を獲得し、連邦議会に返り咲いた。議席数では緑の党及び左翼党を上回る第四党となった。
④ 左派勢力では、社会民主党が第二党の座を維持したものの、史上最低の153議席(選挙前192)にとどまった。
⑤ 緑の党は69議席(選挙前63)及び左派党は67議席(選挙前64)と微増にとど まり、AfD及び自由民主党の後塵を拝することとなった。
ドイツの「die Zeit」誌の分析によれば、今回総選挙の特徴は以下のとおりである
① 100万人以上の有権者が今回の総選挙でCDU/CSUからAfDに乗り換えた。
② 前回総選挙で左翼党に投票した者のうち11%がAfDに投票した。
③ AfDの得票のうち140万票が前回棄権した有権者である。
④ 今回自由民主党に投票した者の三分の一が前回総選挙ではCDU/CSUに投票した。
では、ウィルデルスとフェルドンクの明暗を分けた者は何であったのか。ウィルデルスの手法を見ると
① 自由党員はウィルデルス「ただ一人」である(候補者や運動員は支援者に過ぎない)。
② 候補者の「質」には細心の注意を払っている(議席数よりも議員の質を優先)。
③ ウィルデルスの「一人政党」のため、制度化と意思検定に関する問題が生じない
と、「一人政党」ポピュリスト政党が陥りがちな急激な拡大による、①質の劣化、党としての規律低下、という悪弊を避けていることが自由党の成功の要因と見られている。
6.3.2.1.7. 2017年総選挙(自由党の第一党ならず)と左右分極化?
2017年3月に行われた総選挙は、英国のEU離脱、米国でのトランプ大統領誕生と「ネトウヨ化」の流れの中で行われることとなった。このような世界情勢を受け、オランダでも自由党が第一党(=ウィルデルスが首相となる)となる予想が有力であった 。しかし、選挙結果は、与党第一党である自由民主国民党(Volkspartij voor Frijheid en Democratie:People’s party for Freedom and Democracy)が踏ん張り、第一党の座を維持した。自由党も議席数を増やした(15議席⇒20議席)ものの第二党に留まり、ウィルデルス首相の誕生とはならなかった。
このように、保守、右派が支持を伸ばしたのに対し、連立与党である中道左派の労働党(Partij van de Albeid:Party of the Labor)が議席を激減させた(38議席⇒9議席)。しかし、候等よりも「左」に位置する環境左派である「GL」(Groen Links:Green Left)及び「民主66」(Politieke Partij Democraten 66:Political party Democracy 66)が議席を伸ばした(GLが4議席⇒14議席、民主66が12議席⇒19議席)ことから、英仏両国と同様に左派の支持層が中道左派から急進左派へと「左傾化」或いは「過激化」していることが伺える。
国民党は冷戦終結という事態に対応し
① 反共・反社会主義(特にマスコミ、大学の「左傾化」への反感)
② スイスの歴史の中に存在する自由と自立の擁護による新自由主義と保守主義の両立
を柱として、冷戦後の社会主義・共産主義の敗北とグローバル化が進む世界情勢に巧みに対応し、スイス国民の支持を伸ばしていった。
第二次大戦期、スイスにも、少なくないナチ協力者が存在したといわれている。しかし、国民党はスイスの現在に至るまでの独立と永世中立の歴史を前面に出した。具体的には
① エリートはともかく、一般国民は中立を守った
② 中立を守るために国境を守る『排外主義』は肯定される
③ スイスの連邦制を堅持することによる「国民投票制度」の維持
というものであった。
自由党の政権参画により、
① 政府事業の民営化
② 社会保障ではなく、自助努力を優先
③ その一方で育児手当の拡大
④ 法人減税
という新自由主義的政策変更がもたらされた。ただし、上記「③」については、女性、特に母親がフルタイムの労働者ではなく、パートタイマーを選択する誘因となり、「母親が家庭にいる」時間の拡大をもたらすという「保守的な」効果があった。
その3種類とは、
① 「欧米型ネトウヨ化」(経済軋轢主導型)
② 「日本型ネトウヨ化」(歴史認識論争主導型)
③ 「ドイツ型ネトウヨ化」(経済軋轢・歴史認識複合型)
の3種類である。
その「ネトウヨ化」の特徴を類型ごとに纏めると、
① 欧米型:移民受け入れによる移民との経済面の軋轢から、世代を跨いで定住した移民
との社会面への軋轢へ発展
② 日本型:「歴史認識論争」において母国の側に立つ「移民(在日朝鮮人)」との軋轢か
ら「在日特権」という経済的不公平感が絡む「反移民(在日朝鮮人)感情」
③ ドイツ型:移民受け入れによる経済面の軋轢に「歴史認識問題(ナチス)」が絡む反移
民、反リベラル化
となる
このような、生活保護を巡る
① 年金生活者や若者の平均年収と生活保護支給水準との間の不公平感
② 生活保護申請すら認めない「水際作戦」と弁護士や地方議員の「口添え」或いは在日
朝鮮人のような「弱者」には生活保護申請が認められ易いという生活保護認定を巡る
生活保護認定を巡る不公平感
という2つの不公平感が醸成されていった。
この開催地を巡る争いで単独開催を共同開催に「譲歩させられた」として、日本側で不満を持つ素地ができた。共催決定後は、韓国側が、「歴史認識」を梃子にして日本側に譲歩を迫る手法を採ってきた。その例として
① サッカーのピッチを題材としたポスターの図柄が「日」の字に似ているとして拒否
② 国名はアルファベット順という慣例を無視して、Korea, Japanの順にした
(本来はCoreaだったのが、日韓併合時に日本の後に来るようにKoreaとされたと主張)
というものがあった。
7.1.4. ドイツ型ネトウヨ化(移民流入と歴史認識論争との複合型)
日本と並ぶ「二大敗戦国」であるドイツにおいても、冷戦終結とドイツ統一により、歴史認識論争が生じている 。大きなものとしては、
① ナチスとは異なり、ドイツ国防軍は清廉潔白という「ドイツ国防軍神話」への疑義
② いつまでナチスのことを反省しなくてはならないのか
という2つである 。後者については、ドイツの極右政党AfDも政策綱領に入れている。
このように、増加しつつある「没落した中間層」に対して
① リベラル・左派は、彼らを嘲笑し、「劣った」存在として差別されるべき存在とした
② 「極右」は彼らを「同胞」として見捨てないと訴えた
この「没落した中間層」に対する対応の差が現在のリベラルの衰退と「極右」の伸長とリベラル・左派の退潮という両者の明暗を分けることとなった。
近年選挙があった米国、英国、仏国では、急進左派の側からそのような「大きな政府」路線を掲げる候補・政党が現れ、一定の支持を集め
① 米国ではサンダース上院議員が民主党の大統領予備選において最後までヒラリー・ク
リントン氏に食い下がり
② 英国ではコービン氏が率いる労働党が健闘し、保守党が第一党の座を死守したものの
過半数割れに追い込み
③ 仏国ではメランション氏が大統領選で「4強」の一角として、最後まで決戦投票進出
の可能性を残していた。
政治体制論でいう大統領制は「大統領」という役職(国家元首)が存在しているという政治体制を指すという意味ではない。言い換えれば、役職の名称の如何を問わず、国家元首が以下のような性質を持っている場合に「大統領制」に分類される。
① 国家元首を(実質的 )直接選挙で選出する
② 国家元首は議会により、任命又は罷免させられない
③ 大統領と内閣との間に「二重の権威」を認めない。国家元首は内閣を指揮する
7.3.4.2.3. 成功例としての米国
「世界に冠たる民主主義国家」としての米国の名声は不動のように思える。勿論、人種差別など米国の民主主義にも問題がないわけではないが、「世界一の民主主義国家」として米国を挙げることに異を唱える人は少数派であろう。その米国が「大統領制発祥の地」であることから、「君主制の改良型」である議院内閣制よりも、民選の元首である大統領制の方が「民主的」であるとの「イメージ」も強い 。しかし、米国以外の大統領制は必ずしも「民主度」は高くない。サルトーリは米国の大統領制が成功している理由について、
① 思想的な無節操
② 脆弱で無期率な政党
③ 地域中心的な政党
の3つを挙げている 。
議院内閣制は、(米国)大統領制のように一人の人間に権力(行政権或いは執行権)が集中することを排除する政治形態である。この結果議院内閣制における首相の地位、権力については与党議員との関係に依るため、次の3つに分かれるとされている 。
① 非同輩者の上に立つ第一人者(a first above unequals)
与党議員から不信任を突きつけられる可能性がなく、閣僚を意のままに任免できる
② 非同輩者中の第一人者(a first among unequals)
閣僚を罷免することはできるが、自身は罷免されない
③ 同輩者中の第一人者(a first among unequals 或いは primus inter pares)
現在「ネトウヨ化」と並んで問題となっている「分断」であるが、その「分断」を食い止める或いはその分断を治癒できるための政治制度はどういうかを選択できる融通性を持った政治体制 を憲法にどのように規定するのかついて考察を行いたいと思う。
安定し、効果的な統治をもたらす政治体制は
① 大統領制においては、強い大統領による議会への働きかけで大統領への支持を調達
(大統領と議会との分裂からの統合)
② 議院内閣制では、強い首相による内閣(行政府)の与党からの独立性の確保
(首相と議会(与党)との融合から分離)
③ 反大統領制においては、政治状況に応じた大統領制と議院内閣制との「切り替え」
(状況に応じた大統領と首相(与党)との間の最適バランス)
ということになる。
現代においては、そこまで「粗い」ということは許されないであろう。少なくとも、
① 大統領制、半大統領制、議院内閣制のいずれか
② 国家元首について(非世襲≒大統領制、世襲≒君主制)
③ 政府の長(首相又は大統領)の任命資格及び任命手続政府の長と各閣僚との関係
④ 内閣の権限内閣の組織
⑤ 大統領弾劾或いは内閣不信任と議会解散
については憲法において規定されるべきであろう。
交代大統領制は政党政治の比較分析などとして世界的に高名なジョバンニ・サルトーリ氏の提案である 。サルトーリは「交代大統領制」の根幹制度を
① 政府は総選挙時に終了し、総選挙の結果発足する政府は議院内閣制である
② 内閣不信任の際は大統領が「超然内閣」を組織する(大統領制への移行)
③ 大統領は直接選挙により有権者の過半数で選出され、任期は議会の任期と一致する。
とする。
サルトーリは、これにより、議院内閣制と大統領制との間での「体制の均衡」が成立するとしている。その理由として
① 議員は倒閣運動に参加しても閣僚になれない
② 「政府の長」としての大統領には再選がない
としている。
但し、第一次大隈内閣と第二次山縣内閣は1900年体制確立のための前段階(移行期)とした方が正確かもしれない。というのも、
① 第一次大隈内閣の与党となった憲政党は大隈の改進党と板垣の自由党との合同に元老
が政権担当意欲をなくしたための「突発的」政権交代であり、「体制」とまで制度化され
ていなかったこと
② 第二次山縣内閣は松方、西郷といった元老が閣僚として名を連ねており、「最後の藩閥
内閣」
という性格も持つ
ということから、純然たる1900年体制とは言い難い面がある。この点に配慮して、本稿では、この両内閣を「第0期」としている。
このように「現役軍人首相」が不可能な制度設計であったのにも拘らず、
① 「山縣スタイル」が発生したのはなぜか
② 「現役軍人首相」がなぜ日本では「平穏無事」に成立したのか
③ 「文民・文官」首相ではなく、現役軍人首相がなぜ選択されたのか
という「1900年体制」を生み出した理由について考察していきたい。
「将官」以上に限定するもう一つの理由は大臣の任用資格との関係である。大臣のにんよう資格については、
① 軍部大臣の任官資格が中将以上
② 軍部大臣を含め国務大臣は親任官
とされていることから、それとの均衡上必要とされる「軍歴」は中将以上である。百歩譲って、「軍歴+α」の「合わせ技一本」で大臣に任用される場合であっても、「軍人政治家」と称されるに足る軍歴として将官以上の軍歴は必要となる 。
つまり、
① 事実上の大統領制:元老である彼らが現役の政治家として首相(閣僚)となっている
時代。所謂「超然内閣」(図3の「レベル2」或いは「レベル1 」)
② 事実上の議院内閣制:政党内閣の下で、彼らの存在が名目的(図3の「レベル4」)
③ 事実上の半大統領制:元老(特に山縣)が健在の政党内閣(図3の「レベル3」)
となる。