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日本茶掲示板同窓会

167キラーカーン:2017/12/31(日) 02:05:17
7.1.2.4. 「2002年の衝撃」(「ネット右翼」から「ネトウヨ」へ)
7.1.2.4.1. 総説
 2002年は日韓W杯及び小泉総理の訪朝により、「南北朝鮮の『双方』が反日」であることが満天下に示されることとなった。これにより、「差別」という名目で維持されてきた「朝鮮半島タブー」が事実上解禁されることとなった 。

 これにより、これまで、「歴史認識論争」が主であり、反朝鮮半島意識が従という意識が逆転し、反朝鮮半島意識が主、「歴史認識論争」が従という意見が主流となっていく。この

反朝鮮半島意識が主、「歴史認識論争」が従

が主流となる契機が2002年に生じたので、本稿では「2002年の衝撃」と表現している。

 これ以降『嫌韓流』に代表される「嫌韓・嫌朝鮮」本が一つの分野として成立していくこととなる。これも、冷戦終結後に「仮想戦記」が一つの分野として成立したことと軌を一にしている。また、この「2002年の衝撃」をきっかけに一躍小泉後継争いに名乗りを上げ、小泉総理退任後の総理・総裁の座を射止めたのが安倍晋三現総理である 。

 この結果、「ネトウヨ」が「ネトウヨ元年」ともいえる年となった 。

7.1.2.4.2. 「2002年の衝撃」前史
 「従軍慰安婦」問題をはじめとする「歴史認識論争」は1990年代から盛んであった。1990年代半ばから、インターネットの普及により、「歴史認識論争」は市井の人々を巻き込み、更には国境を越えて市井の人々の間で活発に行われるようになった。「新しい歴史教科書をつくる会」には、そのような「インターネットを入り口に、保守/右翼的活動を始めた」人々 が参加していった。そのような「インターネットを入り口に、保守/右翼的活動を始めた人々」が「ネット右翼」と呼ばれるようになっていった。

 現実問題として、ネット上での「言論活動」と「リアル」での運動とは相性が良いとは言えない。このため、「ネット右翼」で「つくる会」などで実際に運動している人の割合は高くないと推測できる(自由時間の一部としてネットでの書き込み・議論などをしており、「野外」での運動に参加する暇がない)。

 したがって、「ネット右翼」には「ネット空間『だけ』で威張っている」という「ひきこもり」や「内弁慶」的な性向を揶揄する響きもある。それが「リアル」で「市民活動」を行ってきたリベラル・左派との大きな相違点となっている。

 そのような「ネット右翼」が「嫌韓」或いは「嫌南北朝鮮」意識を前面に押し出した「ネトウヨ」へ変化する契機となったのが、「2002年の衝撃」である。


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