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日本茶掲示板同窓会

146キラーカーン:2017/11/27(月) 00:59:19
6.3.2.1.2. 「フォルタイン党」の結成と躍進
 総選挙 を2か月後に控えた2002年3月、有名コラムニストのフォルタイン(Fottuyn)が「フォルタイン党」を設立した。同党の方針は、①既成政党批判、②多文化主義批判ひいては移民批判、が二本柱であった。結党二か月程度、そして、フォルタイン党首が投票日直前に暗殺されたのにも拘らず、同年5月の総選挙では第二党となり、連立与党の一角を占めた。

 初の総選挙で第二党に躍り出たフォルタイン党の政策や同党の躍進に見られる既成政党への不満は、支持者層が(一部)重なる他の連立与党(キリスト教民主主義力及び自由主義政党)にも影響を与えていった。フォルタイン党以外の連立与党は支持者をフォルタイン党に奪われるのを防ぐため、キリスト教民主主義勢力や自由主義政党は連立政権の政策として移民規制を取り入れることとなった。
フォルタイン党躍進のあおりを受け、2002年の総選挙では、自由主義政党は議席数を三分の二程度(38議席から24議席)まで減らすという敗北を喫した。この結果を受けて、自由主義政党も一般党員の声を聴くという「党内改革」を打ち出した。

 自由主義政党は、それまで、地方名望家などからなる「エリート政党」という色彩を残していた。しかし、フォルタイン党の躍進を受け、自由主義政党でも、「エリート」以外の支持者の不満を解消するため、一般党員や党員ではない支持者の声を丹念に拾い集めるという「党内改革」を行った。しかし、その「党内改革」は党勢を立て直すのではなく、本来の支持者層である所謂「エリート層(富裕層や地方名望家)」とそれ以外の党員・支持者との「路線対立」を引き起こした。後者は、後に自由主義政党を離脱し、自由主義系ポピュリスト政党を立ち上げることとなる。


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