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日本茶掲示板同窓会

156キラーカーン:2017/12/16(土) 01:13:42
6.3.2.3. オーストリア(ハイダーと自由党を中心に)
6.3.2.3.1. 総説
 オーストリアは、戦後長く、中道右派の国民党(Österreichsche Volkspartei:ÖVP)と中道左派の社会党(Sozialistische Partei Österreichs:SPÖ)との二大政党制となっていた(社会党は1991年に社会民主党へ改名)。1980年代半ばまで二大政党の間で埋没していた小政党であった.オーストリア自由党は1980年代半ばから勢力を伸ばし、1999年総選挙で国民、社会両党に匹敵する議席を獲得し、中道右派の国民党の連立相手として政権与党にもなった。これが、西欧諸国の極右政党の中で初めて政権与党となった事例である。

 オーストリアは大統領と首相の双方が存在する。大統領は国家元首であり、憲法上、首相以下の閣僚、最高裁判事などの高官の任免権を持ち、下院の解散権も有する。しかし、大統領の権限は首相によって代行されている。このため、オーストリアの政治体制は、憲法上は半大統領制と言えるが、実際上は議院内閣制となっている 。

 オーストリアドイツと同様に連邦制を採っている。このため、上下両院の選出方法もドイツと類似している。上院は各州代表として、各州議会によって指名される。しかし、ドイツとは異なり上院議員は個人で投票に参加する。下院は比例代表制により国民の直接選挙で選出される。

 比例代表制であっても、オーストリアは長らく社会党と国民党が二大政党として君臨していた。オーストリアの政党政治の特色として、両党の単独政権だけではなく、両党による「大連立」政権がしばしば樹立されることにある 。このため、オーストリアの政治風土は二大政党による対立主義ではなく、二大政党を含めた各種利益団体の同意・コンセンサス志向型 であるといわれる。しかし、冷戦終結後、グローバル化の流れの中で、そのようなコンセンサス方式による意思検定が揺らぎつつあった。

 ハイダー氏が党首となって以後の自由党は、グローバル化と冷戦終結という世界の変化に対応し、二大政党によるコンセンサス方式を(時代遅れ)の「既得権益」と攻撃する一方、グローバル化による外国人の流入によってオーストリア人のオーストリアが乱され、また、外国人によって国内オーストリア人の雇用が奪われたという主張を展開した。この点において、自由党は他の欧州諸国の極右政党と同一線上にある。しかし、旧ナチ党員の親を持つハイダー氏が「親ナチ」的だとして明確に排除の台頭となったのは他国と様相を異にする。

 また、ハイダー氏は党首討論などで「党首の個性」というものを党の任期を直結させることに成功しており、その点からは政治の「大統領制化」という最近の特徴も備えている。
自由党の政権参画は、そのコンセンサス方式放棄の流れを決定づけた。1990年代以降、自由党の躍進により、国民・社会(社民)二大政党制から、国民、社民、自由の三党鼎立体制となりつつある。

 しかし、「大連立」が例外的な手法ではないというオーストリアの政治風土は、大統領選挙のように「あれかこれか」という二者択一、ひいては国家規模の分断を迫る「1ビット脳的」政治とは異なり、「あれもこれも」という「ネトウヨ化」に対する処方箋の可能性を感じさせるものである。


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