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日本茶掲示板同窓会

214キラーカーン:2018/02/16(金) 00:21:39
8.3.2.3. 「山縣スタイル」(現役軍人首相)の発生
8.3.2.3.1. 総説

 ここで、1900年体制において鍵となる概念である「山縣スタイル」について触れなければならない。

 「山縣スタイル」とは現役軍人のまま首相に就任するということを指す言葉であり、この形態で初めて首相に就任した第三代総理の山縣有朋に由来する 。その後、桂太郎、山本権兵衛、寺内正毅、加藤友三郎、東条英機、東久邇宮稔彦王と敗戦まで断続的にこの類型の首相を輩出してきた

 そのような実例に反して、大日本帝国憲法体制の下では「山縣スタイル」は予定されていなかった。というのは、予備役制度発足(明治21(1888)年12月)と同時に、部外の文官職に専任となった武官は予備役に編入されるという規定が創設されたからである。この規則に従う限り、現役軍人の総理大臣は存在しえない。なぜなら、総理大臣はどの省にも属さない「文官職」であるからである。

 この規則の例外として、「同じ軍内の文官職」に専任となる場合には現役残留が可能であった。例えば、文官の学校教官が充てられる職(例:英語教官)に駐米武官経験者を充てる場合には現役残留が可能である(勿論、予備役編入の上「文官」として就任することも可能)。

 このように「現役軍人首相」が不可能な制度設計であったのにも拘らず、
① 「山縣スタイル」が発生したのはなぜか
② 「現役軍人首相」がなぜ日本では「平穏無事」に成立したのか
③ 「文民・文官」首相ではなく、現役軍人首相がなぜ選択されたのか
という「1900年体制」を生み出した理由について考察していきたい。


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