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日本茶掲示板同窓会

152キラーカーン:2017/12/09(土) 00:28:56
6.3.2.2.2. 「農民党」から「国民党」へ
 内閣構成員を送り出していた主要4政党は、特定の社会階層を支持基盤とするのではなく、国民全体を支持基盤とすべく包括政党化を目指していた。ここでは、農民党を取り上げる。農民党は1971年に「スイス国民党」へと党名を変更し、党の路線も保守から中道へ移行させたが、支持率は1990年代初頭まで10%程度にとどまっていた。

 地方レベルでは、農民党の系列であるチューリヒの地域政党「チューリヒ州党」が1970年代後半に実業家のクリストフ・ブロハー(Christoph Blocher)を党首に選出したことで、同党は転機を迎える。ブロッハーは「経営者目線」で党の改革に着手したが、支持者を若年層や女性に拡大したが、自由主義的な方針であったため環境問題等で立ち遅れ、1980年代後半には党勢は頭打ちとなった。

 この情勢を受け、ブロッハーは党の政策を「右転回」させていく。ブロッハーは「真面目」に働く者こそが「真のスイス人」であるとし、外国人などと区別していった。併せて犯罪や麻薬などの問題を「社会の安全」の問題と捉え、この両者を「移民」で結びつけた。 この結果、ブロッハーの政策は「怠け者の外国人」にも福祉を提供するリベラル的政策とは一線を画し「福祉排外主義」に近くなっていく。

 この「右転回」が功を奏し、国民党は1990年代に支持を伸ばしていく。この背景には、国民投票の機会が多いスイスの政治制度があると見られている。国民投票の度に、各政党は直接国民に訴えかける機会が発生し、国民党はそれを支持率向上へ結び付けた。
この実績を基に、ブロッハーはチューリヒの地方政治家の枠を超え、1996年の党大会で自派が党首と国民議会議員団長を獲得した。これは、ブロッハーが国民党内の権力闘争にも勝利したことを意味していた。


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