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日本茶掲示板同窓会
143
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キラーカーン
:2017/11/22(水) 00:07:11
6.3.1.6. 伊国(「フォルツァ・イタリア」の勃興)
イタリアでは、かつての自民党のように保守政党であるキリスト教民主党(DC)が一党優位的な政党構造であった。そのような一党優位的な政党構造は1990年代初めの「タンジェントポリ」といわれる政界汚職事件でDCをはじめとする既成政党が軒並み甚大な損害を受け、イタリア議会は再出発を余儀なくされた。このため、タンジェントポリを契機とする政治改革が一応の成果を見た1994年以降は第二共和政と言われる。
イタリアは、北部が工業、南部が農業(一次産業)と南北の相違が明確であった。ミラノ、トリノという工業化の進んだ大都市を要する北部の方が経済的に豊かであった。そのため、北部の豊かな経済を他地域に分配せず、北部で独占すべきという方向での排外主義が生まれた。
そのような「裕福さを維持するための排外・分離主義」 的な政党として「北部同盟」が1980年代末に結成された。国外では仏国民戦線や蘭自由党という「極右」政党と連携しているため、一般的には「極右」と言われている。国会や欧州議会にも議員を送り出しているが、地域政党の域に留まり、全国レベルでは、ベルルスコーニ氏が率いる「フォルツァ・イタリア」が右派の主軸となり、しばしば下院第一党 の座を獲得している。その結果。ベルルスコーニ氏も何度が首相の座に就いている。
「フォルツァ・イタリア」は保守政党に分類され、「極右政党」や「ポピュリスト政党」には分類されないのが一般的である 。しかし、かつてイタリアを代表する保守政党であったDCとは異なり、イデオロギー上の明確な核を持たない政党と言われている。
また、政党としての行動もトップダウン型の「身軽さ」を武器にしていることと相まって、「フォルツァ・イタリア」はベルルスコーニ氏の「個人商店」という趣がある 。このため、「フォルツァ・イタリア」はDCのような保守政党というよりは「ポピュリスト政党」として扱われることが多い。このような「融通無碍」さと「身軽さ」が、「フォルツァ・イタリア」は保守政党ではなくポピュリスト政党に分類される理由ともなっている。
結党当初、「フォルツァ・イタリア」は「1ビット」或いは「敵か味方か」的な二元論的な主張を繰り広げた。これは、イタリア第二共和制において、第一党に有利な比例代表制を取り入れたため、「右」のブロックでの優位を確実にするための行動とも言われている。この点も、小選挙区導入が主眼であった日本の「政治改革」と共通する。
結局、ベルルスコーニ氏の個性、崩壊したDCをはじめとする既成保守層の取り込み、イタリアにおける二大政党ブロック化に伴う政策争点の近接化 など種々の要因が絡み合って、「フォルツァ・イタリア」は、イタリア政界において、「極右」ではなく、保守の「主流派」に近い位置を占めることとなった。
フォルツァ・イタリア」は2009年に「国民同盟」と合同して「自由の人民」となったため、一度、政党としては消滅した。その後、ベルルスコーニ氏が「自由の人民」から分派する形で、2013年、「フォルツァ・イタリア」が再結成され、現在に至っている。
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