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日本茶掲示板同窓会
147
:
キラーカーン
:2017/11/28(火) 00:45:07
6.3.2.1.3. 自由主義系ポピュリスト政党の出現とフェルドンクの退場
フォルタイン党の躍進を契機とした自由主義政党の路線対立から、自由主義政党を離れて独自の政治活動を行う者が現れた。そして、その中から政治指導者として現れたのがウィルデルス(Wilders)とフェルドンク(Verdonk)であった。まず、フェルドンクについて述べる
フェルドンクは、学生時代、最左派に属する政治的立場を取っていた。しかし、司法省や内務省での勤務経験を積むうちに「右旋回」し、自由主義政党へ入党することとなる。フェルドンクは女性であったこともあり、フォルタインに支持基盤を切り崩されようとしていた自由主義政党立て直しの旗頭とされた。フェルドンクは外国人・移民問題担当大臣として入閣し、移民・難民に対して厳しい政策を実施していった。
そのような「右傾化」した政策は党の内外に物議を醸しだしたが、世論調査の結果を見る限り、彼女の人気は上がっていった。その国民的人気に対する反作用として、エリート主義の抜けきらない自由主義政党内部では、彼女は冷ややかな視線を浴びていた。とはいっても、自由主義政党はフォルタイン党の出現以後、有権者の支持を獲得するため「民主化」を迫られていた。2006年、来る総選挙の筆頭候補者(≒首相候補)を、初めて、一般党員の投票で決定することとした。彼女は筆頭候補者を争う党員選挙では、主流派の擁立した候補に敗北したが、彼女は諦めなかった。
オランダの下院総選挙は比例代表制でありながら、個人名での投票も許容されていた 。この選挙生徒を利用して、彼女は、個人名投票を事実上の国民投票として、党員選挙での逆転を図ったのであった。その結果、本番の総選挙では、彼女は、自由主義政党の個人票で最多得票を獲得した。しかし、党執行部は党員投票の結果を優先したため、彼女と党執行部との亀裂が深まり、彼女は離党を余儀なくされた。
彼女は新党「オランダの誇り」を設立し、2010年の総選挙に臨んだが、党内の指導力を確立できず、また、かつて左派の政治志向を持っていたことが災いし、獲得議席は「ゼロ」であった。この結果、彼女は政界引退を余儀なくされた。
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