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日本茶掲示板同窓会
225
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キラーカーン
:2018/02/23(金) 00:26:19
8.3.4.3. 第1期:「桂園時代」(第一次桂内閣から第二次西園寺内閣)
第四次伊藤内閣総辞職後、次期首相の座は、時存命中の元勲元老で総理未経験者であり且つ総理就任への意欲を持っていた井上馨に下った。しかし、井上は蔵相に希望していた渋沢栄一に入閣を断られ、また、与党と頼む立憲政友会 も第四次伊藤内閣総辞職の痛手から立ち直っておらず、井上は組閣断念に追い込まれた。
ここに及んで、元勲元老から首相を輩出することは不可能となった。元老が選んだのは陸軍大臣を長く務め、山縣の後継者の立場を固めつつあった桂太郎であった。桂は山縣閥に連なる官僚を主体として第一次桂内閣を発足させた。
桂よりも先に入閣した山縣閥の官僚(芳川顕正、清浦圭吾)が存在したのにも拘らず桂が首相となったのは、当時において、帝国大学による官僚の人材育成が軌道に乗っておらず、軍人が非選出勢力を取りまとめざるを得ない状況にあったことを伺わせる。
その傍証として、桂内閣では現役軍人である児玉源太郎が陸相から内務大臣(一時文相も兼任)に転じている 。第一次伊藤内閣以降超然・藩閥内閣にほぼ一貫して見られた非軍部軍人閣僚は児玉内相で一時途絶え、226事件後に復活する。このように非軍部軍人閣僚となった児玉は「最後の維新型軍人政治家」ともいえる。
第一次桂内閣は、元老との良好な関係もあり、日露戦争を挟んで4年超の存続期間を誇る。これは、1内閣の存続期間としては、日本国憲法が改正されない限り更新不可能な最長不倒内閣である 。また、国会対策では西園寺率いる政友会との良好な関係構築に成功し、「情意投合」とも言われる政権たらい回し構造の確立に成功する 。この時期においては、次期首相指名のための元老会議は事実上開催されていない。
桂は、この体制のもと、第一次内閣で4年超、第二次内閣で3年超の長期安定政権を築く。一方の西園寺も、第一次内閣で約2年半、第二次内閣で二個師団増設問題があったものの約1年4カ月と比較的長期政権を築くことに成功した。第一次、第二次の西園寺内閣は純然辰政党内閣ではなかった ものの、政権担当能力を示すことに成功し1900年体制の安定化に寄与した。
しかし、この桂園時代の安定は意外なところから綻びを見せ始める。それは、明治45(1912)年7月30日、明治天皇崩御がきっかけであった。
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