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日本茶掲示板同窓会
215
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キラーカーン
:2018/02/16(金) 00:22:26
8.3.2.3.2. 大日本帝国憲法体制の例外としての「山縣スタイル」
なぜ「山縣スタイル」が発生したかといえば、政治家としての山縣の特別な地位に由来する。山縣は元勲元老の中でただ一人現役軍人であり続けた人物である 。予備役制度創設時、山縣は「陸軍外の文官職」である内務大臣であったが、現役武官の監軍(後の教育総監)が内務大臣を兼任 するという形で現役に留まっていた。しかし、山縣が首相となれば、監軍兼首相というわけにはいかない。しかし、首相に相応しい武官職がないため、このままでは首相専任とならざるを得ないが、それでは山縣は予備役編入となる。
山縣の政治家としての権力の主な源泉は「現役軍人」である。当時の政治情勢から見て山縣が首相に就任するのは当然視されていた 。首相に就任するからと言って山縣が予備役編入となることはあり得ないというのも当時の政治家にとって「常識」であった。この二律背反を解消するために、「勅語」による現役残留という「超法規的措置」ととらざるを得なかった 。これが「山縣スタイル」の始まりである。
その後、終身現役である元帥で首相になった第二次山縣及び寺内内閣を除き、桂太郎(第一次、第二次)、山本権兵衛(第一次)、加藤友三郎が首相に就任する際もこの方式が踏襲された。この結果「現役軍人が首相の大命降下」を受けた場合、勅語を受けて現役に残留するのが「異例の慣例」となった 。
そして、この歴史的経験の上に、東条内閣という「戦時内閣」、そして、東久邇宮内閣という「終戦処理」が成立するが、それは「現役軍人首相」という形態のみを借用したものであり、「1900年体制」下の現役軍人首相とは性格が異なっている 。
但し、この「勅語による現役残留」は現役軍人が首相に就任する場合「のみ」に発出されるのを原則とした 。したがって、現役軍人は首相と軍部大臣以外の閣僚に専任となる場合には閣僚就任とともに予備役編入となった。予備役制度創設時、西郷が「陸軍中将の海軍大臣」であるが故に予備役編入されたのもこの延長線上にある。
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