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日本茶掲示板同窓会

165キラーカーン:2017/12/30(土) 01:18:20
7.1.2.3. 「1989年の衝撃」(「ネット右翼の発生」)
7.1.2.3.1. 冷戦終結と「歴史認識論争」のグローバル化と産業空洞化
 日本型ネトウヨ化にとって冷戦終結 によるグローバル化とは移民に代表される「人的移動」のグローバル化ではなく、国家、或いは民族共同隊のアイデンティティーに関わる「歴史認識論争」のグローバル化及び人件費等各種経費削減のために国内企業が生産拠点を国外へ移転するという産業の「空洞化」として現れた 。この結果、日本では経済のグローバル化に伴う移民の流入は欧米各国に比べると格段に少ないものであった。このため、日本においては、欧州各国で見られるような経済のグローバル化による「反移民感情」というのは殆ど発生しなかった 。

 最近では右派・保守の側から「歴史認識論争」を「歴史戦」と称することもある 。これは、「歴史認識論争」が一種の戦争であり、ひいては(歴史学の枠を超えて)国際紛争或いは閔則紛争という国際政治の文脈で語られることを示している。

 実際、日本を巡る歴史認識論争の主戦場は日本や中朝韓という当事国ではなく国際機関・会議や米国である 。これは、当事者ではない第三国を味方につけることにより、中朝韓三国が日本に対する有利な立場を得ようとしているからである。

 これまで述べたように、ソ連(当時)が冷戦に敗北したことにより、「社会主義」や「共産主義」は左派の結集軸(「錦の御旗」)としての効力を失った。この結果、日本の左派は左派的活動を継続するために社会主義や共産主義に代わる「錦の御旗」を必要とした。
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.1.2.3.2. 昭和天皇穂崩御と戦後40年(昭和の「歴史化」)
 冷戦終結と前後して、昭和天皇崩御という歴史的事象も重ねて生じた。昭和天皇の崩御は昭和を「歴史」として扱うことを可能とした。昭和天皇の崩御時、第二次大戦終結から40年以上が経過しており、実際に軍隊経験がある人は既に60歳の定年となり、社会の第一線から退いていた。更に、終戦時に義務教育を終了した年齢層(昭和8年生まれ前後)もあと数年で定年となり、社会の第一線から退場することが見込まれていた。

 このことは、「第二次大戦の体験」が現在の人々が生きる「今」から、社会の第一線を退いた人たちの「過去」即ち「歴史」となる事を意味していた。そのため、昭和戦前期の日本を「歴史的に」捉えることに対する実社会での障害は格段に少なくなっていった。そして、「嘘」を重ねたとしても、「生き証人」から反発を食らう可能性が格段に減少することも意味していた。


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