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日本茶掲示板同窓会
126
:
キラーカーン
:2017/10/05(木) 23:51:18
6.3.1.1.5. 「第三極」(特に「みんなの党」)の離合集散と消滅
1993年の非自民連立政権(細川内閣)の発足による政治改革の動きの中、非自民、非労組(≒旧社会党⇒民主党)つまり、規制緩和と行政経費削減による「小さな政府」を旗印に掲げる勢力が誕生した。我が国ではそのような政治勢力を「第三極」と称していた。
二大政党の一角を占める民進党(旧民主党)も結党当初は、自民でも社民党(旧社会党)でもない政党として結党した過去があり 、民進党も第三極的色彩も有している。
小選挙区制の導入や新進党の解党を経て、非自民勢力が、民主党へ一本化されていった。その過程で、旧社会党勢力も民主党へ吸収されることとなったため、自民党及び新進党とは異なる「第三極」として発足した民主党においても、旧社会党や民社党の支持母体である労働組合の発言力が強まり、リベラル・左派的色彩が強まっていった。
このような民主党の「左傾化」及び自民・民主の二大政党化を受け、非自民・非民主の規制緩和と行政経費削減による「小さな政府」を目指す政党として「みんなの党」が結成された。
以後、規制緩和と行政経費削減による「小さな政府」を目指す政党を「第三極」として扱われることとなり、「維新系政党」も「第三極」の一つとして扱われることとなった 。みんなの党は、一時期、公明党をも凌ぐ勢いも見せ、参議院選挙では三人区以上で議席を確保した。しかし、その後、程なく党勢は頭打ちとなった。
このように、「みんなの党」と「維新系政党」は自由主義的政策志向という点において和性が高い。このため、両党の合同論は断続的に発生した。その一方、それ以外では所属国会議員間の政策距離が大きかった。このため、非自民・リベラル志向の議員も存在し、彼らは「維新系政党」よりも民主党に親近感を感じていた。それらの政党と離合集散を繰り返している。
結局「みんなの党」の主流派は「維新系政党」との合流を選択し、「みんなの党」から分離し「結いの会」を結成した上で「維新系政党」と合流した 。しかし、合流した「維新系政党」の中でも、大阪派(橋下派)とそれ以外との路線対立が発生し、後者は民主党へ合流し民進党となった。
このように「第三極」(と民主党)は規制緩和と行政経費削減による「小さな政府」という点での共通点はあり、また、小選挙区制の選挙区(衆議院の選挙区と参議院の「1人区」)が多数を占めることから「第三極」として一つの政党に纏まるということは、国政政党として存続するうえでも望ましい選択であった。しかし、それ以外の点において政策距離が大きかったため、「第三極」は離合集散を繰り返し、現在では、「維新系政党」と民進党及び「小池新党」に吸収され、政党としては消滅している。
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