したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

科学と疑似科学とを判別する(2)

322Ken:2023/03/15(水) 22:18:34 ID:royALY2s
よく見れば、私の指摘に納得されてるではありませんか。

>言われてみれば、そんな発想は相当に無理がありますね。

そのとおりです。自然選択を否定しても、自然選択の具体イメージが消えるだけで、天地創造の具体イメージは生じません。天地創造の具体イメージを与えるのは聖書またはそれに類する記述です。

まして、おっしゃるようなキリスト教原理主義なら、聖書の記述が思考の元になってるはずです。極端な原理主義なら聖書を根拠に挙げておわりでしょうが、中には補強のために自然選択を否定する場合もあるでしょう。でも、それは補強であって根幹ではありません。

もしかしたら、そのサイトの特定の記事は、自然選択の難点を指摘することに特化してるかもしれず、その記事だけをみれば、基準2違反に見えるかもしれません。でもサイト全体の趣旨をみれば、必ず、天地創造の具体イメージを与える、聖書のような文書を根拠にしてるはずです。まずは、そのサイトを紹介してください。

おっしゃるような基準2に反対はしませんが、基準2に違反する発想は、やりたくてもできないと言ってます。

323ゲジゲジ:2023/03/16(木) 20:38:28 ID:St9PUH7Q
時間がないので少しだけ。


+++++ 以下再掲 ++++++++
自然選択説には矛盾点がある。よって、神様が5000年ほど前に聖書に書かれた通りの手順で世界を創った。
  → NG

自然選択説には矛盾点がある。一方で聖書には神様が世界を創られた経緯が書いてあり、聖書は神様ご自身の言葉である。よって、神様が5000年ほど前に聖書に書かれた通りの手順で世界を創った。
  → OK
+++++ 再掲ココまで ++++++++


「神様が5000年ほど前に聖書に書かれた通りの手順で世界を創った。」という理論の根拠は、聖書ではあり得ませんよ。それだと「聖書の根拠は聖書」という主張になってしまいます。


要するにNG例はこう主張しているのです。
世界は聖書の記述通りに創られた。なぜなら進化論は間違っているからである。

対してOK例はこういう主張です。
世界は聖書の記述通りに創られた。なぜなら聖書は世界を創った神様ご本人の言葉だからである。

OK例は聖書が正しいとするストーリーがありますが、NG例にはそれがありません。


来週以降、もう少し丁寧に解説します。

324Ken:2023/03/16(木) 23:41:12 ID:royALY2s
>「神様が5000年ほど前に聖書に書かれた通りの手順で世界を創った。」という理論の根拠は、聖書ではあり得ませんよ。それだと「聖書の根拠は聖書」という主張になってしまいます。

いや、どう考えても創造論の根拠は聖書でしょう。(ティレルのような例外は別です。)

聖書を信じる根拠はむろん聖書ではありません。それを信じる人にとっては、現実に観察される事象が聖書の記述で合理的に説明されるのです。

例えば1963年に亡くなったC.S.ルイスという英国の作家がいます。この人はキリスト教について分かりやすい解説をしたことで知られてますが「Mere Christianity」という著書の最初の数章で、彼が神を信じる理由は人間の精神作用だと述べてます。人間は、良いことと悪いことを区別し、たとえ自分に不利になっても、良いことをせねばならないという意識を持ってるというのです。でも、自分や子孫の不利になることを「良いこと」と思うのは、進化の法則に反するではないか。そうなると「神が自分に似せて人を作った」という聖書の記述が説得力をもってくる、というわけです。

ルイス説が正しいかは問題ではありません。信仰をもつ人は、そのように自分で観察できる事象に基づいてバイブルを聖典とみなし、その聖典に書かれた創造論を信じてるのだと言っておきます。Mere Christianityはオンラインで公開されてるので、関心があればチェックしてみてください。
archive.org/details/merechristianity00lewi_1/mode/2up

来週以降で結構ですが、何よりも、自然選択を否定するだけでの根拠で、創造論が正しいと言ってるサイトの紹介をお願いします。

325Ken:2023/03/19(日) 13:40:35 ID:royALY2s
この文章は意味が通ってないと思います。
   ↓

>「神様が5000年ほど前に聖書に書かれた通りの手順で世界を創った。」という理論の根拠は、聖書ではあり得ませんよ。それだと「聖書の根拠は聖書」という主張になってしまいます。

よく考えてください。神が、

初日に光を作り昼と夜を分けた
2日目に空と水と地を分けた
3日目に植物を作った
4日目に日と月と星を作った
5日目に水中生物と飛行生物を作った
6日目に人を含む陸上生物を作った

というステップで世界を創造したという説の情報源は創世記の第1章です。「聖書に書かれた通りの手順」は、上記のステップを言い換えただけで、特定の文書の記述を根拠に、特定の事象があった、といってるだけです。

「聖書の根拠は聖書」とはまったく異なるロジックなのが分かりますか?


「なぜ聖書の記述を信じるのか?」

という問いに、

「聖書だから」

と回答するなら、おっしゃるような論理ループに落ちるでしょう。

326ゲジゲジ:2023/03/23(木) 22:28:48 ID:e9kexqF.
お待たせしました。

まず、もういちど論点を整理しましょう。

基準2:理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。
これについてはお互いの認識が一致しましたよね。

[>>319]
 >別の道を否定するだけで、自分は何の道もたどらず結論にいたるのが基準2違反ですか。
 >言い換えれば、対立仮説の否定で済ませるのは、自説に物証がないからではなく、
 >自説にストーリーがないからですね。
このご発言に私も同意しました。

 >そんな思考プロセスが現実に可能ですかね。(略)
 >基準違反の覚悟があれば、そんな発想をできると思いますか?
つまり、そのような思考プロセスは不可能であろうというご指摘ですね。
このご指摘についても私は同意しました。

その上でKen様は、そもそも不可能な、やりたくてもできない思考を敢えて禁止するような基準が必要なのか? そんな基準に意味があるのか? 不可能な思考なのだから、過去から現在に至るまで基準に違反するような事例はあり得ないではないか? と仰っているものと認識しています。

私としてはこの点に同意ができず、[>>320]で、思考のプロセスなどある意味どうでもよく、「主張のロジック」を基準に基づいて判定するのだ、と申し上げました。


つまり論点は以下の③です。
① 対立仮説の否定だけで自説の根拠を述べないのは疑似科学(基準2違反)⇒ 合意
② 対立仮説の否定だけで自説の根拠を想定しない思考プロセスなど不可能 ⇒ 合意
③ やりたくてもできないのだから基準2違反はあり得ない。よって基準は無意味。⇒ 不合意


さて、③の論点について説明するために、基準2違反の具体例として「新しい地球の創造論」を挙げました。
しかしKen様からは、「新しい地球の創造論」は対立仮説である進化論の否定だけを根拠にはしていない、聖書の記述がこの世界の様々な観察事実を合理的に説明できると考えられることが根拠である(と当人たちは信じている)、という反論がありました。

しかし本来の論点は上記の③です。
Ken様が仰るように創造論が進化論の否定だけを根拠とはしていなかったとして、それは私が挙げた具体例が適切ではなかった、というだけの事です。
従って、創造論の根拠は何か? という論点は余談に過ぎません。


というわけで
===== 以下、余談 =====
[>>322]
 >まずは、そのサイトを紹介してください。
記憶にあったのは『創造論再評価』というサイトでしたが、ずいぶん前に閉鎖されています。
・世界は聖書の創世記にあるように7日間で作られた。
・昔は大量の水の層が地球を覆っていた。
・その水が雨となって「ノアの洪水」が起こり、やがて地球内部に吸収された。
・洪水の時に大陸が時速50〜70キロメートルという速度で現在の位置まで移動した。
こうした「仮説」を唱えていたのですが、その根拠を読んだ記憶がありません。

このサイトは今はありませんが、似たようなサイトがないか調べてみました。
ttps://www.gotquestions.org/Japanese/Japanese-creation-evolution.html
ttps://www.christiantoday.co.jp/articles/12706/20140128/creationist-ken-ham.htm

前者は創造論を明確に主張はしていませんが、進化論の否定をして、創造論こそが正しいと匂わせています。
後者はとにかく聖書に書かれている文字通りが正しいのだと主張しています。

どちらも私には、創造論が正しい根拠を述べているようには読み取れません。

327ゲジゲジ:2023/03/23(木) 22:29:40 ID:e9kexqF.
===== ココから本題 =====

以前にdiamonds8888x様が「間違って疑似科学を提唱してしまうことはあり得る」というような事を仰っていましたが、覚えていらっしゃるでしょうか?
また、基準を理解することによって、疑似科学を提唱してしまった人に忠告をして、疑似科学ではなくなるように理論を修正するようアドバイスする事ができる、といったような事も仰っていました。

私もdiamonds8888x様の一言一句を覚えているわけではありませんが、上記のような内容だったと記憶しています。該当のコメントを探すのは大変なのでご勘弁願いたいですが、最初の「基準01」が提示されるよりも前だったかと思います。


さて、ここから何が言えるかというと、
【本質的に同じ理論であっても、提唱のしかたによって、疑似科学になったりならなかったりする場合がある】
という事です。

更に言うと、
【基準は提唱のしかたに適用される】
という事です。


樹上モデルの力学的な考察のプロセスなしに、走行モデルの否定だけで樹上説を発想するのは無理があるでしょう。
しかし樹上モデルの力学的な考察を言わずに、走行モデルの否定だけで樹上説を主張する事は容易にできてしまいます。

太陽中心のモデルなら複雑にならないという考察を経ないで、天動説だと複雑だというだけで地動説に行き着くのは無理でしょう。
しかし天動説の複雑さだけを述べて地動説を主張する事は容易です。

容易だからこそ、本当は色々な思考プロセスがあったとしても、うっかりそれを言うのを忘れて、対立仮説の否定だけを根拠に自説を主張してしまう可能性はあり得ます。そして、その場合にその主張は疑似科学になります。

あるいは、その思考プロセスを述べる事を忘れないための戒めとして、基準2があるという事もできると思います。また、うっかり疑似科学を提唱してしまった人に対して、きちんと仮説の思考プロセスを述べるよう促す事で、その仮説が疑似科学でなくなるようアドバイスができます。


===== 結論 =====
③ やりたくてもできないのだから基準2違反はあり得ない? よって基準は無意味?
   ↓
思考する事はできなくても、主張する事は容易にできる。
よって間違えて疑似科学を主張してしまわないために、また間違えて疑似科学を主張してしまった人に疑似科学ではなくなるようアドバイスするために、基準2は有効。

<ポイント再掲>
基準は思考プロセスではなく、主張のロジックに適用される。

【つづく】


続きは以下を予定しています。2〜3日中には投稿しようと思います。それまでお待ち頂いても、ここまででコメント頂いても構いません。

・実際に基準2違反になりがちなケースはどういうケースか?
・diamonds8888x様が敢えて基準2を提示された理由(私の推測ですが)

328Ken:2023/03/25(土) 00:36:48 ID:1if/XLUo
まず「本題」の方から。

つまり、基準違反になる「自説にストーリーがない」とは、提唱者の脳内にストーリーがないという意味ではなく、脳内のストーリーを言葉で十分に説明してない、という意味ですか? それなら、私が>>316で述べた

>列挙されたNG例に問題があるなら、説明が少し不親切なことでしょうか。

と同じではないのですか。

そもそも、説明が十分であるかは聞く側の知見で異なります。鳥の進化を例にとると、

〜走行モデルに力学的な無理があるから樹上モデルが正しい〜

とAが語り、Bには十分な説明だが、Cには不十分ということがあるでしょう。ムササビの生態を知ってるAとBには樹上モデルの力学は自明だが、初心者のCには懇切な説明が必要というように。すると、Aの理論はBには疑似科学ではないが、Cには疑似科学になるのですか? いったい、どれほどの初心者までカバーするのですか?

それに、十分な説明とは、どこまで掘り下げるのでしょうか。例えば、樹上モデルの力学を、

〜樹上からジャンプすると大気による揚力が生じる〜

と説明したとします。でも、これでは「なぜ大気が揚力を生じるのか」の説明が欠けてます。説明抜きで樹上モデルを唱える代わりに、説明抜きで大気の揚力を唱えただけだから、基準違反にはかわらず、

〜空気の分子が運動している〜

と、さらなる説明が必要になります。しかし今度は「なぜ空気の分子が運動するのか」が説明されてません。そこで

〜太陽の輻射エネルギーが分子の運動エネルギーに変換される〜

と説明すれば、次は「なぜ電磁波が分子の運動を起こすのか」と来ます。いったいどこまでゆけば疑似科学でなくなるのでしょうか? 原子の振る舞いを支配する量子力学までいたるのですか? でも、鳥の進化を語る人が、そこまでの説明をするでしょうか。あなた自身ならやりますか?


「余談」の方にもコメントします。

>前者は創造論を明確に主張はしていませんが、進化論の否定をして、創造論こそが正しいと匂わせています。

原文の方を読みました。べつに進化論を否定してません。進化論を理由に神を否定するのは誤りとはいってます。

>後者はとにかく聖書に書かれている文字通りが正しいのだと主張しています。

では基準2に沿ってるではありませんか。

329ゲジゲジ:2023/03/26(日) 22:32:49 ID:1hpPc2HA
 >つまり、基準違反になる「自説にストーリーがない」とは、
 >提唱者の脳内にストーリーがないという意味ではなく、
 >脳内のストーリーを言葉で十分に説明してない、という意味ですか?
その通りです。
より正確に言えば、提唱者の脳内にストーリーがあるか否かに関係なく、とにかくストーリーが十分に説明されていない、という事です。後で述べるつもりですが、実際に提唱者の脳内にストーリーがない場合もあり得ます。

 >それなら、私が>>316で述べた
  >>列挙されたNG例に問題があるなら、説明が少し不親切なことでしょうか。
 >と同じではないのですか。
違います。

まず地動説を例にとりましょう。

===== [>>318]より再掲 =====
「地球が中心では複雑だから」といって、「太陽が中心なら複雑ではない」とは言えません。
「地球が中心では複雑だから」から言えることは、「地球は中心ではない」ということだけです。

地球が中心であることを否定しただけなら、月を中心としたモデルだってあり得ます。木星とか土星を中心としたモデルだってあり得るでしょう。
そもそも地球も星々も動いていない、動いているように見えるのは幻覚か錯覚、という「天地不動説」だってあるかもしれません。
あるいは、ある時は太陽が中心となり、またある時は地球が中心となる、といったモデルも考えられます。

ではコペルニクスはなぜ、月を中心にしなかったのでしょうか? 木星を中心にしなかったのでしょうか? あるいはなぜ、「天地不動説」を提唱しなかったのでしょうか?
言うまでもありません。月や木星を中心にしたモデルでは、恐らく地球を中心にする以上に複雑になってしまうでしょう。「天地不動説」では、天体が動いているように見える幻覚や錯覚の仕組みが全く説明できません。
太陽を中心にすれば複雑にならなかったからこそ、コペルニクスは地動説を提唱したのです。
===== 再掲ココまで =====

さて、Ken様は[>>319]で
 >別の道を否定するだけで、自分は何の道もたどらず結論にいたるのが基準2違反ですか。
 >言い換えれば、対立仮説の否定で済ませるのは、自説に物証がないからではなく、
 >自説にストーリーがないからですね。
と仰いました。

なぜ別の道を否定するだけではダメなのかといえば、別の1つの道(地球が中心)を否定しても、それ以外の道は無数にあり得るからです。ですから自身が提唱する結論(太陽が中心)を主張するなら、その結論が正しいとする道(ストーリー・根拠)を語る必要があるのです。


鳥の樹上モデルではどうでしょうか?

 >〜走行モデルに力学的な無理があるから樹上モデルが正しい〜

走行モデルに力学的な無理があるというだけなら、駆け上がりモデルもあり得ます。飛びかかりモデルもあり得ます。

走行・ジャンプモデルなんていうのもあり得ますね。
普段は翼をたたんで走行して、障害物や段差があった時に翼を広げてジャンプするのです。それによって障害物や段差、あるいは川などを飛び越えることができれば、外敵から逃げ切る可能性が高くなります。

高山モデルもあるかもしれません。
鳥の先祖は高山に棲んでいて、崖を跳び上がったり崖から飛び降りたりするのに翼を使うのです。

あるいはまた、求愛ジャンプモデル。
求愛の際にジャンプして、滞空時間が長い方が異性にモテるのです。ですから滞空時間が長くなる方向に進化して、やがて完全に飛行できるようになった、と考えるのです。

虫捕りモデルもあり得ます。
餌となる飛んでいる昆虫を翼でたたき落とすのです。翼が大きくて力強く羽ばたけた方が、より効率的に虫をたたけるでしょう。


こんな具合に、走行モデルの否定だけなら対立仮説は無数にあり得ます。その中で樹上モデルを主張するなら、樹上モデルに至るストーリー、即ち樹上モデルが正しいとする根拠が必要、というのが基準2です。

330ゲジゲジ:2023/03/26(日) 22:35:13 ID:1hpPc2HA
さて、[327]では続きとして
・実際に基準2違反になりがちなケースはどういうケースか?
・diamonds8888x様が敢えて基準2を提示された理由(私の推測ですが)
を述べると申し上げましたが、予定を変更して、以下を先にご説明します。


===== [>>310]より再掲 =====
では[>>304]で述べた
3)光の粒子説・波動説を例に、対立仮説の否定だけを自説の検証としてよい特殊な場合というのは、どういう場合なのか説明
については、思考実験をしてみましょう。

18世紀の知識体系において、もし「光が真空を伝わる/必ず直進する」が否定されたとしたら、それは光波動説の根拠になり得たか?
逆にもし「光が互いにすり抜ける」が否定されたとしたら、光粒子説の根拠になり得たか?
===== 再掲ココまで =====

いちど「次はこうする」と申し上げておきながら変更が多いかとは思いますが、Ken様の回答を踏まえた上で、より効果的に説明する順序を考えた上でのことですので悪しからず。


というわけで、まず結論から言ってしまいましょう。

18世紀の知識体系において、もし「光が真空を伝わる/必ず直進する」が否定されたとしたら、それは光波動説の根拠になり得たと考えられます。
逆にもし「光が互いにすり抜ける」が否定されたとしたら、それは光粒子説の根拠になり得たと考えられます。

では、なぜそう考えられるのか? なぜ他の道を否定するだけで、自説のストーリーを述べなくてよいのか?


Ken様はこのように仰っていましたよね。
[>>311]
 >18世紀の知識体系では「空間を動くなにものか」は、粒子と波動しか知られてませんでした。
 >ただし、その2つ以外にないという証明もありませんでした。
 >粒子と波動の二者択一なら、一方の否定が他方の根拠になるでしょうが、
 >現実には、二者択一かもわからないのに、対立説の否定を自説の根拠にしてました。

しかし現実問題として18世紀の知識体系で、粒子と波動以外に第三の「空間を動くなにものか」は想定する事さえ困難だったのではないでしょうか? 「2つ以外にない」という事を証明するのは「悪魔の証明」です。「ない」事は証明できませんが、粒子と波動の2つ以外に思い付く事さえできないのであれば、それは実質的に「2つ以外にない」と考えるしかありません。

従って18世紀の知識体系において事実上、光の正体は粒子か波動かの二者択一でした。そして二者択一であれば、一方の道を否定できれば、自分の道をたどるストーリーを敢えて述べなくても、自説が正しいという結論を導くことができます。

つまり考え得る仮説の選択肢が限定されている場合は、自説のストーリーを述べなくても基準2に違反しない例外と言えます。
逆に言えば、天動説を否定した地動説であれ、鳥の進化の走行モデルを否定した樹上モデルであれ、他に無数の仮説があり得る場合は、自説に至る根拠を述べなければならない、というのが基準2です。

331Ken:2023/03/27(月) 22:24:10 ID:LLAvBpbg
>>329

私が>>328で指摘したのは以下の点ですよ。

説明(ストーリー)が語られないのは、必要もないほど自明だからではないのか?

鳥の進化の例でいうと、

〜走行モデルには力学的な無理があるから、樹上モデルが正しい〜

は違反と言われますが、樹上モデルの力学的合理性は明らかだから、ことさら言及してないだけでは、という場合です。つまり「樹上モデル」という言葉の中に、ムササビのように樹上からジャンプし、大気の揚力を利用して滑空する意味が含まれるから、わざわざの説明がない、ということです。

そのような「言わなくても分かる」という主張は認められないというなら、それはそれで1つの基準でしょう。ゆえに、

〜走行モデルには力学的な無理があるから、大気の揚力を利用する樹上モデルが正しい〜

と言い直すとします。しかし、主張には必ず説明をつけるべきとなると、上の例でも違反例です。なぜなら「大気の揚力」という言葉だけがあり、揚力がなぜ働くかの説明がないからです。

そうなると、>>328で述べたように、

〜揚力がはたらくのは、空気の分子が運動してるから〜
〜空気の分子が運動するのは、太陽の輻射エネルギーが分子の運動エネルギーに変換されるから〜
〜太陽の輻射エネルギーが分子の運動エネルギーに変換されるのは、電磁波が荷電粒子を動かすから〜
   ・
   ・

と、どこまでも理由を掘り下げてゆかねばならず、結局は量子力学の話になるのでしょう。脳内ストーリーにおいてはそうあるべきかもしれませんが、実際の言葉に出すとき、尋ねられる前に、そこまでの説明をやるのですか? あなたご自身が樹上モデルを提唱するとして、そんなことをやりますか、というのが>>328の問いかけです。

>>330

18世紀には、粒子でも波動でもない第3の存在を想定することはできなかったのは、そのとおりです。すくなくとも観測された事象はこの2つでした。そして、今の自然選択とIDにも同じ関係が成立します。

生物の進化を起こす事象は、繁殖に有利な特徴をもつ個体がもたない個体を淘汰する自然選択と、意図をもつ干渉者による品種改良の2つしか観測されてません。ゆえに、自然選択の否定がIDの肯定につながるではないか、というのが、当初からの私のID論になります。

332ゲジゲジ:2023/03/30(木) 03:30:44 ID:RZSOBCoY
[>>328]

 >>列挙されたNG例に問題があるなら、説明が少し不親切なことでしょうか。
 >と同じではないのですか。
[329]で違います、と申し上げました。

Ken様が仰っているのは「揚力が発生する」ということですよね。「力学的合理性」とは違うのではないでしょう?
「揚力が発生する」ことは自明ですよ。しかしそれは「前提」であって、樹上モデルがストーリーとしているのは「樹上モデルにおいて揚力が発生することは力学的合理性がある」ということではないですか?


[>>331]
 >説明(ストーリー)が語られないのは、必要もないほど自明だからではないのか?
 >〜走行モデルには力学的な無理があるから、樹上モデルが正しい〜
 >は違反と言われますが、(略)
 >つまり「樹上モデル」という言葉の中に、ムササビのように樹上からジャンプし、
 >大気の揚力を利用して滑空する意味が含まれるから、わざわざの説明がない、ということです。
 >そのような「言わなくても分かる」という主張は(略)

「ムササビのように樹上からジャンプし、大気の揚力を利用して滑空すること」は力学的合理性があるのですか? どのように合理的ですか? それは「言わなくても分かる」ほど自明なことですか?


 >〜走行モデルには力学的な無理があるから、大気の揚力を利用する樹上モデルが正しい〜

「大気の揚力を利用する樹上モデルは力学的に合理的である」ことは言うまでもなく自明なことですか?


少し考えて頂きたいので、今回は取り敢えずこの辺にしておきます。


===== 以下、余談 =====
 >と、どこまでも理由を掘り下げてゆかねばならず、結局は量子力学の話になるのでしょう。
 >(略)あなたご自身が樹上モデルを提唱するとして、そんなことをやりますか

樹上で揚力がはたらくことを説明したいのだったら、私だったら少し高い位置(といっても2メートルぐらい)から紙飛行機を飛ばします。掲示板で議論している時だったら、紙飛行機の折り方を説明しているサイトを調べて紹介します。
鳥の進化を語る上で「揚力がはたらく」ということさえ分かれば、原理に関する知見など不要です。

333Ken:2023/03/30(木) 22:03:57 ID:LLAvBpbg
脳内にストーリーがあることは納得されてるのですよね。それを言葉に出して説明しないから疑似科学になるのだと。

でも言葉に出しての説明がどこまで必要かは、聞き手に依るとは思いませんか? 一を聞いて十を知る人もいれば、百万言を費やしても説得できない人もいるのが人間です。

鳥の進化を考察する中で「樹上モデル」と聞くだけで、ムササビを想起して理解する人はいるはずです。私自身も、細部を知るため記事を読みましたが、「arboreal model」という名称だけで、基幹の想像はできましたよ。あるいは「大気の揚力」まで聞いて納得する人もいるが、これでもまだ納得できない人もいることでしょう。要するに人の問題ではありませんか。

また紙飛行機を見ただけで、樹上モデルを納得する人はいるでしょう。でも、紙飛行機の滑空を脊椎動物に応用できるのかと、疑問に思う人もいるはずです。材料、形状、重量、動作のすべてが異なる対象に応用するには、揚力の働きから理解せねばなりません。

紙飛行機を浮かせる揚力でも、脊椎動物には不足ということがありえます。紙飛行機なら飛ぶが、始祖鳥は飛べないということです。ということは、紙飛行機のモデルを鳥の進化に応用するには、どのような条件でどれだけの揚力が生じるかを考えねばならず、そのためには、揚力がなぜ働くのかを、つまり空気の分子運動を理解せねばなりません。

さらに、鳥が発生した環境に、空気の分子運動がどの程度あったかを判断するには、なぜ空気の分子が運動するかを知らねばなりません。このように、掘り下げが必要なのです。そうは思いませんか?

以上の理由により、

*ストーリーは、必ず言葉に出して説明するのか
*どこまで深い掘り下げを行うのか

と尋ねました。

334ゲジゲジ:2023/04/06(木) 23:18:25 ID:e9kexqF.
私事ですが、また忙しくなっておりまして、なかなか書き込む時間が取れずにいます。自分から提案した「1週間ルール」はなんとか守るようにしますが、投稿間隔が空いてしまうことをご容赦ください。

 >*ストーリーは、必ず言葉に出して説明するのか
必ず言葉に出して説明する必要があります。

 >*どこまで深い掘り下げを行うのか
基準2違反にならないためには、どこまで深い掘り下げを行う必要があるのか? という意味なら、特に掘り下げる必要はありません。鳥の樹上モデルで言えば、「力学的に合理的だから」とだけ言えばよいです。それで納得がいかない人は質問してきますから。

基準2をクリアした上で、疑似科学ではなくなった上で、どこまで掘り下げなければいけないかといえば、永遠に掘り下げ続けなければなりません。

 >また紙飛行機を見ただけで、樹上モデルを納得する人はいるでしょう。
 >でも、紙飛行機の滑空を脊椎動物に応用できるのかと、疑問に思う人もいるはずです。
 >材料、形状、重量、動作のすべてが異なる対象に応用するには、
 >揚力の働きから理解せねばなりません。

仰る通りです。
が、揚力の働きを理解しただけでは、恐らく不十分です。そもそも樹上モデルに納得しない人は、揚力を理解していないから納得していないとは限りませんよ。

ムササビが樹上から滑空できるからといって、始祖鳥やミクロラプトルが滑空できたとは限りません。両者は身体の構造が異なるからです。特にムササビの皮膜と鳥類の翼では、アスペクト比がかなり違うと思います。


[>>331]
 >説明(ストーリー)が語られないのは、必要もないほど自明だからではないのか?
 >〜走行モデルには力学的な無理があるから、樹上モデルが正しい〜
 >は違反と言われますが、(略)
 >つまり「樹上モデル」という言葉の中に、ムササビのように樹上からジャンプし、
 >大気の揚力を利用して滑空する意味が含まれるから、わざわざの説明がない、ということです。
 >そのような「言わなくても分かる」という主張は(略)

樹上モデルの力学的合理性は自明どころか、樹上モデルもまた、力学的に無理があるかもしれないのです。ですから樹上モデルのストーリーを検証する必要があります。検証はどこまで掘り下げても十分ということはありません。

ストーリーを言わなければ、検証する取っ掛かり、掘り下げる取っ掛かりがつかめません。ですから言葉に出す必要があるのです。

335Ken:2023/04/07(金) 21:36:21 ID:royALY2s
>>334

要するに仮説を提唱する人が、自分の説には合理性があると言葉に出せば、基準2をクリアするのですか? また、掘り下げる必要がないとは、つまり主張される「合理性」が本当に合理的かは問題にはならない、ということですか?

でも、それこそ自明のことをわざわざ言わせてるだけではないのでしょうか。どんな仮説であれ、提唱者自身は合理性があると信じてるに決まってるではありませんか。しかも本当に合理的かは問題ではないなら、基準2に何の意味がありますか。

>>302では、

>科学に関する真っ当な議論をしようとする誰もが受け入れるべき「基準」

と言われました。ということは、これは普遍的な基準であり、提唱者が、自説には合理性があるという発言をしないと、万人が疑似科学と見なすのですか?

そんな事例があるのでしょうか? ある人がある仮説を唱えながら、その説には合理性があると言葉に出して言わなかったという理由で、その仮説が疑似科学と見なされたということが。

336ゲジゲジ:2023/04/13(木) 22:08:14 ID:ex5oLAt.
 >自分の説には合理性があると言葉に出せば、基準2をクリアするのですか?
クリアしません。合理性があることの根拠を述べなければ。

以前、Ken様ご自身がこう仰っていましたよね。
[>>252]
 >このように、観測事象から帰納するか、既知の理論から演繹するか、
 >少なくともどちらか一方を根拠に、仮説は提唱されるわけです。

今、論点になっているストーリーというのは、つまりは仮説に至る帰納なり演繹なりのプロセスです。「自説は合理的だから正しい」と主張したところで、それは「正しいから正しい」と言っているのと本質的に変わらないでしょう。


鳥の進化モデルの例では「力学的合理性」という言葉が出て来たので分かり難くなっているかもしれません。
(1)鳥の進化の樹上モデルは合理性がある
(2)鳥の進化の樹上モデルは力学的合理性がある

(1)と(2)は紛らわしいですが、論理構造が異なっていることにお気付きでしょうか? (1)は何の根拠もなく、ただ樹上モデルが合理的だと言っているだけです。(2)は力学的な観点における合理性を根拠に、そこから演繹的に樹上モデルを導き出したストーリーがあります。

(1)は検証の取っ掛かりがありません。それに対して(2)は、まずは力学的な観点で検証すればよいことが分かります。更に、仮に力学的に合理的だからといって、他の観察事実も踏まえた上で樹上モデルが合理的といえるのか、といった観点でも検証できるでしょう。
よって(1)は疑似科学、(2)は疑似科学ではありません。


 >また、掘り下げる必要がないとは、つまり主張される「合理性」が本当に合理的かは
 >問題にはならない、ということですか?

もちろん、問題になります。しかしそれって「基準3」なんですよ。

辞書を引くと、「合理的」とは「論理や道理にかなっているさま」とあります。「基準3」は仮説と矛盾との関係ですが、矛盾だらけの仮説が合理的であるわけがありませんよね。合理的でなければならないということは、矛盾がないか、または矛盾が少ないストーリーでなければならない、ということです。
また、仮説は検証できなければなりませんが、これは「基準1」です。

「基準3」と「基準1」は後々の論点ですから今は深入りしませんが、要するに仮説に至るストーリーというのは合理的で検証可能でなければならないわけです。しかしそれ以前に、そもそもストーリー自体を言わなかったら話にならないでしょう? というのが「基準2」なわけです。


 >それこそ自明のことをわざわざ言わせてるだけではないのでしょうか。

言わなくてもいいほど自明だったら、恐らく言っても疑似科学です。なぜなら検証する意味がないので「基準1」に違反です。とはいえ、「基準2」はそこまで求めてはいません。


 >どんな仮説であれ、提唱者自身は合理性があると信じてるに決まってるではありませんか

鳥の進化の樹上モデルを提唱者自身が合理的だと信じていることは自明でしょう。しかし樹上モデルに力学的合理性があることは決して自明ではありませんよ。


 >しかも本当に合理的かは問題ではないなら、基準2に何の意味がありますか。

率直なところ、基準2は必要ないと思っています。上で述べた通り、「基準2」違反は必然的に「基準1」と「基準3」にも違反しますから、敢えて「基準2」を別立てで設ける意味があるのかといえば、甚だ疑問です。
しかしだからこそ、なぜdiamonds8888x様が敢えて「基準02」として提示されたのかがポイントとなるでしょう。

337ゲジゲジ:2023/04/13(木) 22:09:36 ID:ex5oLAt.
さて、そもそもの経緯を振り返ってみましょう。

Ken様が第1掲示板に初めていらっしゃったのは、もう10年以上前でしたよね。
鳥の進化は自然選択では説明できない、ということを根拠に、ID論を主張されていました。
私も含め何人かが自然選択で説明可能であると反論しましたが、それに納得されたのかどうか明言されないまま、掲示板から撤退されました。

余談ですが、当時は樹上モデルを前提に主張を展開されていましたよね。
鳥の先祖は小型で軽量だから骨格にかかる応力は小さい。だから樹上から飛び降りた際の衝撃は大したことがないので、翼で揚力を発生させる意味がない、といったことを仰っていました。
そしてdiamonds8888x様から、飛び降りた際の衝撃は応力ではなく運動エネルギーだから、応力を理由に翼に意味がないとは言えない、といった反論がなされていました。

その後、たしか6年ほど経って、また第1掲示板に戻っていらっしゃいましたよね。
そこでは自然選択では説明できない進化の実態がある、ということを根拠にID論を主張されました。今度は自然選択で説明できない進化とは何なのか、具体的には明言されませんでした。
もしトウモロコシが、ヒトが品種改良したということが知られずに発見されたら、果たして自然選択で説明できるのか? といった思考実験を提示されたりしました。


本来であれば、鳥の進化が自然選択で説明できない進化の具体例であることを(つまり10年前の皆さんの説明は納得されなかったことを)明示された上で、ID論であればそれがいかに合理的に説明できるのか、を述べられるべきだったでしょう。

しかしそうはされずに、逆に2018年1月22日(火)23時28分9秒の投稿で
 >人間以外の存在が地球生物の進化に干渉したことを示す直接の証拠はありません。
 >ですからID仮説を提唱する理由は、自然選択では説明できない進化があるという、
 >それしか今はないのです。
と仰っています。
つまり対立仮説(自然選択)の否定“だけ”が根拠で、ストーリーは“ない”と明言されてしまっています。


以上の経緯を踏まえて、diamonds8888x様は敢えて、対立仮説の否定だけで自説を肯定するストーリーを述べなければ疑似科学になるという「基準02」を提示されたのだと思います。
結局、Ken様がID論に至るストーリーを語られたのは2022/12/29(木)21:54:53の[>>275]でした。


[>>335]
 >そんな事例があるのでしょうか?
 >ある人がある仮説を唱えながら、その説には合理性があると言葉に出して言わなかった
 >という理由で、その仮説が疑似科学と見なされたということが。

2017年〜2018年頃にKen様が第1掲示板で語られていたID論が、正にその事例です。

あと、私としては「聖書に書いてある通りの手順で世界が作られたと主張する創造論」がその事例だと考えていますが、恐らくKen様は納得されないでしょう。
Ken様に納得してもらうにはどう説明したらよいかというのも悩ましいところですが、そもそも本来の論点ではなく派生した論点なので、どこまで説明に労力をかけるべきか、というのも悩みどころです。

338Ken:2023/04/14(金) 23:06:58 ID:vBaeMFMg
>>336
>(1)鳥の進化の樹上モデルは合理性がある
>(2)鳥の進化の樹上モデルは力学的合理性がある

(2)は「力学的」とあるから基準をパスするが、(1)はそれがないから疑似科学ですか?

でも、考えてみてください。鳥は樹上で進化したという主張から始まる、以下のような質疑応答を想定します。

1.鳥は樹上で進化した  →  なぜ鳥は樹上で進化したと考えるのか?
2.樹上モデルは合理的  →  なぜ樹上モデルは合理的なのか?
3.樹上モデルの力学が合理的  →  なぜ樹上モデルの力学が合理的なのか?
4.大気の揚力が働く  →  なぜ大気の揚力が働くのか?
5.空気の分子が運動する  →  なぜ空気の分子が運動するのか?
6.輻射エネルギーが運動エネルギーになる  →  なぜ輻射エネルギーが運動エネルギーになるのか?
7.電磁波が荷電粒子を動かす  →  なぜ電磁波が荷電粒子を動かすのか?
8.電気力が働く  →  なぜ電気力が働くのか?
  ・
  ・
  ・

最初の主張から始まって、質問があり、それに答えると次の質問があるという形式で、掘り下げが進みます。1→2→3→4→・・・と、内容は違えど、同じ形式の応答が進むのです。それぞれの質疑応答は、それぞれの段階で、掘り下げに必要なものです。

なぜ、ことさら2と3の間で、科学と疑似科学を分ける境界線をひくのでしょうか?
なぜ2の主張は問われる前に説明が必要だが、3は問われるのを待てばよいのですか?

>率直なところ、基準2は必要ないと思っています。

??????
では、なぜ基準として挙げたのですか?
diamonds8888xさんが基準02を出した理由なら、当人に尋ねればよいではありませんか。なぜ私を相手にそれを持ち出すのですか?

>>337
>対立仮説(自然選択)の否定“だけ”が根拠で、ストーリーは“ない”と明言されてしまっています。

引用された私の発言を見てください。ストーリーがないとは言ってません。

>人間以外の存在が地球生物の進化に干渉したことを示す直接の証拠はありません。

ないのはストーリーではなく証拠です。そこには、基準02にひっかかるのは、物証がない仮説だろうという想定があります。>>259>>261>>262>>263で挙げた例も、すべてストーリーはあるが物証がない仮説です。私はストーリーのない理論など発想しようがないと言ってるのですよ。

ということで、あらためて尋ねます。ストーリーがないという理由で、疑似科学と呼ばれる実例は、世のどこにあるのでしょうか?

そもそも、対立説を否定してるだけ、と世で批判される理論は、本当にストーリーがないという意味なのでしょうか? 何度か紹介したドーキンスの寄稿文を見てください。

www.theguardian.com/science/2005/sep/01/schools.research

たとえば、12番目の段落のこの部分です。

The equivalent evidential demand of creationism would be a complete cinematic record of God's behaviour

「ない」と言ってるのは、ストーリーではなく物証でしょう。

ご自身が、基準02を誤解されてるとは思いませんか?

339ゲジゲジ:2023/04/20(木) 22:15:52 ID:syCVGEcM
今、論点は、「ストーリー」か「物証」か? になったと認識しています。

ちょっと色々と調べたり、調べた内容を纏めたりしています。[338]の投稿から明日で1週間ですが申し訳ありません。もう少し時間をください。

とはいえ、せっかく書き込むので本来の論点からしたら余談を・・・


 >??????
 >では、なぜ基準として挙げたのですか?
 >diamonds8888xさんが基準02を出した理由なら、当人に尋ねればよいではありませんか。
 >なぜ私を相手にそれを持ち出すのですか?

diamonds8888xさんが基準02を出した理由を、私が知りたがっていると思われるのですか?
もし[337]を読まれた上でこの質問をされているなら、もっとよく読んでから投稿してください、と言いたいところです。

本来は基準1と基準3があれば十分ですが、Ken様がその手前の所で、自説のストーリーを述べられなかったから、敢えてdiamonds8888x様は基準02を出したのだろうと申し上げています。
そして、私自身も同様に考えているから、基準2を挙げています。

340Ken:2023/04/21(金) 00:06:11 ID:vBaeMFMg
>>339

それはおかしいでしょう。

基準2が不要なものなら、私がストーリーを述べようが述べまいが、本スレッドに無関係ではないですか。本当にストーリーがないと信じてるなら、信じていればよいのです。投稿にあらわれない限り、私は気にしません。

ときには余談もよいですが、無駄な脇道に時間をかけるのはやめてください。

わざわざ基準2を最初にもってきたから、よほど重要なものかと思いましたが。では、基準2は撤回されますか?

341ゲジゲジ:2023/04/27(木) 03:02:17 ID:wwD.RUUk
まずは話が逸れますが「evidence」について・・・

==== 英和辞典より ======
evidence
証拠、根拠、裏付け、証明

==== 英英辞典より ======
evidence
facts or signs that show clearly that something exists or is true

==== 国語辞典より ======
根拠:
物事が存在するための理由となるもの。存在の理由。

証拠:
事実・真実を明らかにする根拠となるもの。あかし。しるし。

物証:
物的証拠の略。

物的証拠:
裁判で、検証物・文書など、物の存在・形態・状況が証拠資料とされるもの。

==================

以上を前提に、Ken様が紹介されたドーキンスの寄稿文を見てみましょう。

たしかに、[>>338]で引用されている文章は「神の行動の完全な映画的な記録」と述べていますから、「evidence」は「物的な証拠」のニュアンスがやや強いかもしれません。
しかしその前の段落を読むと、創造論者が化石記録の不足を根拠に進化論を否定している旨が書かれています。従って当該文章は、創造論側の「進化論の物的証拠が不足している」という指摘に対する反論として書かれた一文であると解釈することができます。

他の箇所では、例えば8段落目と18段落目でこう言っています。

If ID really were a scientific theory, positive evidence for it, gathered through research, would fill peer-reviewed scientific journals.

These come from areas such as geology, paleontology, comparative anatomy, physiology, biochemistry, ethology, biogeography, embryology and - increasingly nowadays - molecular genetics.

「物証=物」が科学雑誌を埋める、というのはおかしいですよね。この場合の「evidence」は創造論を肯定する理論とか現象の報告と解するべきでしょう。
また、地質学の地層や古生物学の化石は「物証」でしょうけれど、比較解剖学や集団遺伝学は統計的なデータなどが「evidence」として扱われるはずです。



これらのことから、「evidence」は「物証」ではなく「証拠」、もしくは「根拠」と訳すのが適切でしょう。ドーキンスが「創造論にはない」と主張している「evidence」は、「物証」すなわち「物の証拠」に限定されると解釈しなければならない理由はないのです。


私は[>>304]で以下のように申し上げました。

 >Ken様の[>>259]より
  >>これに対してコペルニクスは、地球を中心に据えるからそんな複雑な系になるので、
  >>太陽が中心で各惑星は太陽を単純に周回すると考えれば、
  >>そんな複雑な動きを考えなくてもよいと主張しました。
 >つまり、「複雑な動きを考えなくてもよい」ことが地動説の根拠であり検証です。
 >決して天動説の否定“だけ”を検証としていません。
 (略)
 >次に鳥の進化の樹上モデルです。
 (略)
 >そして[>>275]
  >>結局、力学的な合理性をもつ説明は、樹上モデルなのです。
 >まったくその通りで、力学的な合理性をもつことこそ、樹上モデルの根拠なのです。
 >決して走行モデルの否定“だけ”が根拠ではないのです。


ここでいう「根拠」を「証拠」、もしくは「evidence」と読み替えても意味は通ります。

つまり、地動説なら「複雑な動きを考えなくてもよい」ことが地動説の「evidence」です。力学的合理性をもつことが樹上モデルの「evidence」です。「evidence」は「物証」とは限りません。

342ゲジゲジ:2023/04/27(木) 03:03:34 ID:wwD.RUUk
次は「ストーリー」についてです。

そもそも最初に「ストーリー」という言い方をされたのはKen様でしたよね。

[>>319]
 >仮説を考える人は、その結論にいたる道をたどってるはずであり、
 >その道が基準違反かどうかを判定すると思ってましたが、そうではない。
 >別の道を否定するだけで、自分は何の道もたどらず結論にいたるのが基準2違反ですか。

 >言い換えれば、対立仮説の否定で済ませるのは、自説に物証がないからではなく、
 >自説にストーリーがないからですね。

それに私も同意しました。
[>>320]
  >>(略)対立仮説の否定で済ませるのは、(略)自説にストーリーがないからですね。
 >なるほど、そういう言い方もできますね。同意します。


さて、「ストーリー」とは、仮説の結論に至る道筋です。以下は[338]ではスルーされてしまっていますが、重要なポイントなので再掲します。

===== 以下、[>>336]より再掲 =====
以前、Ken様ご自身がこう仰っていましたよね。
[>>252]
 >このように、観測事象から帰納するか、既知の理論から演繹するか、
 >少なくともどちらか一方を根拠に、仮説は提唱されるわけです。

今、論点になっているストーリーというのは、つまりは仮説に至る帰納なり演繹なりのプロセスです。
===== 再掲ココまで =====

即ち、「ストーリー」とはより正確に言えば、何らかの根拠(観察事象や既知の理論)に基づいて仮説を導いた思考のプロセスです。従って「ストーリー」があるのであれば、必ずそこには根拠となった事象や理論があるはずなのです。そしてその根拠となった事象や理論は、仮説が提唱された後には、その仮説を裏付ける「evidence」の1つとなるはずです。


もし、Ken様が仰った「ストーリー」が上記の意味でないのであれば、[>>320]での同意を撤回します。その後の私の投稿の「ストーリー」という語句は、「根拠に基づく思考のプロセス」と読み替えてください。そしてKen様の仰った「ストーリー」の意味を教えて頂きたいと思います。


さて、Ken様は、こうも仰っています。
 >[>>319]
 >自説にストーリーがないからですね。
 >そんな思考プロセスが現実に可能ですかね。(略)
 >基準違反の覚悟があれば、そんな発想をできると思いますか?

 [>>338]
 >ないのはストーリーではなく証拠です。
 >そこには、基準02にひっかかるのは、物証がない仮説だろうという想定があります。
 > >>259>>261>>262>>263で挙げた例も、すべてストーリーはあるが物証がない仮説です。
 >私はストーリーのない理論など発想しようがないと言ってるのですよ。

ストーリーがあるということは根拠があるということですし、根拠があるということは「evidence」があるということです。Ken様が挙げられた仮説はすべて、「物証」はありませんが「evidence」はある仮説です。

そもそもストーリーのない理論を発想することは不可能でしょうけれど、根拠のないストーリーもまた、発送することは不可能ではないでしょうか? 単に「こうだといいなぁと思うから」などと言ったところで科学的仮説にはなり得ないですよね?

もし、Ken様の仰った「ストーリー」が「根拠に基づく思考のプロセス」のことではなく、根拠に基づかない「ストーリー」があり得るのだとすれば、その具体例を教えて頂きたいです。



【まとめ】
ストーリーとは、根拠に基づいて仮説を導く思考のプロセスである。
よって、ストーリーがあるということは根拠があるということ。ストーリーがないということは根拠がないということ。
そして、その根拠は仮説の「evidence」の1つとなる。従ってストーリーがあるなら「evidence」がある。「evidence」とは仮説が正しいことを裏付ける「証拠」であって、「物証」に限定されない。


【質問再掲】
1.
Ken様が仰った「ストーリー」が根拠に基づいて仮説を導くプロセスのことでないとしたら、「ストーリー」の意味を教えてください。

2.
根拠に基づかずに仮説を導く「ストーリー」があり得るとお考えでしたら、その具体例を教えてください。

343ゲジゲジ:2023/04/27(木) 03:06:45 ID:wwD.RUUk
[>>338]
 >>>336
 >>(1)鳥の進化の樹上モデルは合理性がある
 >>(2)鳥の進化の樹上モデルは力学的合理性がある
 >(2)は「力学的」とあるから基準をパスするが、(1)はそれがないから疑似科学ですか?

結果を表面的にだけ見ればそういうことになりますが、「力学的」と入るか否かによって意味がまるで違っていることをご説明していますよね。


 >でも、考えてみてください。
 >鳥は樹上で進化したという主張から始まる、以下のような質疑応答を想定します。
 >(略)

Ken様も考えてみてください。


まず「合理的」という言葉ですが、これはコンピューターの「0か1か」みたいな言葉ではないですよね。
矛盾だらけの理論より、矛盾が少ない理論の方が合理的と言えます。
少ないとはいえ矛盾がある理論よりも、矛盾がまったくない理論の方が合理的です。
複雑怪奇な理論よりも、シンプルな理論の方が合理的です。

では複雑怪奇だけれど矛盾がない理論と、シンプルだけれど矛盾がある理論とでは、どちらが合理的でしょうか?
これは理論の内容によってケースバイケースでしょう。
また、本質的な所で矛盾があるか、枝葉末節での矛盾かによっても異なってきます。

要するに、「合理的」とか「合理性」というのは相対的な指標だということです。絶対的な「合理性」などというものは恐らくない、ということです。


また、「力学的合理性」という言葉は[>>275]で出てきています。
 >結局、力学的な合理性をもつ説明は、樹上モデルなのです。(略)
 >ムササビのような樹上生活者がジャンプする生活様式にこそ、飛行へいたる道があるでしょう。

具体的には[>>262]で書かれていますね。
 >ムササビのように木から木へ飛び移ったり地上に落下するときに、
 >羽根があれば距離を延ばしたり運動を制御できるので、
 >それを利点として進化を重ね飛行能力にいたったというものです。
 >これなら走行モデルのような力学的な無理はありません。

則ち「力学的合理性」とは、「木から木へ飛び移ったり地上に落下するときに、羽根があれば距離を延ばしたり運動を制御できること」だと解釈できますね。


それともう1つ。
 >1.鳥は樹上で進化した
とありますが、これは樹上モデル仮説の内容ですね。但し「1.樹上モデル」と言い換えたのでは意味が通りませんから、「1.樹上モデルは正しい」と言い換えるべきでしょう。

344ゲジゲジ:2023/04/27(木) 03:07:59 ID:wwD.RUUk
以上を前提として・・・

1.樹上モデルは正しい  →  なぜ樹上モデルは正しいと考えるのか?
2.樹上モデルは合理的

2a.樹上モデルが合理的だったら、樹上モデルは正しいか?
2b.樹上モデルが合理的でなかったら、樹上モデルは正しくないか?

きちんと論じようとすると、そもそも科学の仮説が「正しい」とはどういうことか? その定義から始めなければなりませんが、少なくとも合理的な仮説の方が、合理的でない仮説よりは正しい可能性が高いとは言えます。一方、合理的でない仮説が正しいはずはありませんね。

つまり2が成立すれば必ず1は成立し、もし2が成立しなければ必ず1は成立しません。2と1は、ほとんど同じことを言い換えているに過ぎないとも言えます。また、2には樹上モデルの何がどのように合理的なのか、具体性がありません。従って仮説そのものの合理性を主張したところで、それでは仮説が正しい「evidence」にはなりません。


2.樹上モデルは合理的  →  なぜ樹上モデルは合理的なのか?
3.樹上モデルの力学が合理的

3a.樹上モデルの力学が合理的だったら、樹上モデルは合理的か?
3b.樹上モデルの力学が合理的でなかったら、樹上モデルは合理的でないか?

鳥の先祖が木から木へ飛び移ったり地上に落下するときに、翼があることで距離を延ばしたり運動を制御できたりしたら、樹上モデルは合理的と言えるでしょうか?
既にKen様も指摘されているように、鳥の先祖の脚の構造は走行モデルを示唆しているように見えます。樹上モデルは足の構造が矛盾しています。
更に、木から木へ飛び移ったり木から地上に滑空するには、まず木に登らなければなりません。鳥の先祖は木に登れたのでしょうか? 木に登れるような身体の構造をしていたでしょうか?
鳥の進化がテーマだったら深く突っ込んで議論するところですが、要するに力学的に合理的だからといって、樹上モデルの仮説そのものが合理的であるとは限らないのです。

では樹上モデルの力学が合理的でなかったら、鳥の先祖が木から木へ飛び移ったり地上に落下したりするときに、翼によって距離を延ばしたり運動を制御できなかったとしたら、樹上モデルは合理的ではないのでしょうか?
合理性というものが相対的な指標であることを踏まえると、樹上から飛び降りる際に空気抵抗で落下速度を緩めることができるだけでも、走行モデルや他のモデルに比べて合理的である可能性はあります。

つまり、3が成立しても2が成立するとは限らず、また3が成立しなくても2が成立する可能性があります。よって3は「検証すべき2のevidence」です。


3.樹上モデルの力学が合理的  →  なぜ樹上モデルの力学が合理的なのか?
4.大気の揚力が働く

4a.大気の揚力が働くと樹上モデルの力学は合理的か?
4b.大気の揚力が働かなかったら、樹上モデルの力学は合理的でないのか?

大気の揚力が働いたとしても、果たして鳥の先祖が滑空できたかどうか疑問です。体重や重心、体重に対する翼の面積、アスペクト比・・・。それらを前提にした場合、滑空するにはどれくらいの初速度が必要か? 鳥の先祖の脚力で、その初速を得るほど力強くジャンプできるのか?
こうした点を総合的に検討しないと、揚力が働いたからといって樹上モデルが力学的に合理的かどうかは何とも言えないでしょう。

一方、4bの方は必ず成立するような気がします。
いずれにしても、4が成立しても必ずしも3が成立するとは言えません。4は「検証すべき3のevidence」です。


4.大気の揚力が働く  →  なぜ大気の揚力が働くのか?
5.空気の分子が運動する

5a.空気の分子が運動すると、大気の揚力が働くのか?
5b.空気の分子が運動しないと、大気の揚力は働かないのか?
  ・
  ・
  ・


さて、
 >なぜ、ことさら2と3の間で、科学と疑似科学を分ける境界線をひくのでしょうか?
 >なぜ2の主張は問われる前に説明が必要だが、3は問われるのを待てばよいのですか?

2→1が成立することは自明ですが、3→2が成立することは自明ではないからです。

このことは[>>336]で回答済みだったのですが、スルーされたようでしたので少し詳しくコメントしました。

  >>それこそ自明のことをわざわざ言わせてるだけではないのでしょうか。
 >言わなくてもいいほど自明だったら、恐らく言っても疑似科学です。なぜなら検証する意味が
 >ないので「基準1」に違反です。とはいえ、「基準2」はそこまで求めてはいません。
  >>どんな仮説であれ、提唱者自身は合理性があると信じてるに決まってるではありませんか
 >鳥の進化の樹上モデルを提唱者自身が合理的だと信じていることは自明でしょう。
 >しかし樹上モデルに力学的合理性があることは決して自明ではありませんよ。

345ゲジゲジ:2023/04/27(木) 03:08:31 ID:wwD.RUUk
最後に余談に対するコメントに対して

[>>340]
 >基準2が不要なものなら、私がストーリーを述べようが述べまいが、
 >本スレッドに無関係ではないですか。

基準2が不要だなどと言っていませんよ。
一般論として基準2は不要だが、Ken様がストーリーを述べなかったから本スレッドにおいては必要だと言っています。
diamonds8888x様もそのように考えたからこそ、基準02として提示されたのだろうと申し上げています。


 >わざわざ基準2を最初にもってきたから、よほど重要なものかと思いましたが。
 >では、基準2は撤回されますか?
撤回するわけがないでしょう?
本スレッドにおいて基準2は重要です。
diamonds8888x様も重要だと考えていたと推測します。

346Ken:2023/04/27(木) 23:32:03 ID:vBaeMFMg
ちょっと待ってください。私には「余談」と片付ける話とは思えません。

基準2が不要である理由として、>>336にて、

>「基準2」違反は必然的に「基準1」と「基準3」にも違反します

と言われました。それなら、1と3があればよいはずです。なぜ、わざわざ別項目を立てるのですか?

まずは、この点を説明してください。

上記が説明されたら基準2の内容に関して問題点となることを、あらかじめ挙げておきます。

>「物証=物」が科学雑誌を埋める、というのはおかしいですよね。

どこがおかしいのですか? まさしく映像記録のような物証の報告が科学雑誌にない、と言ってるではありませんか。物証の報告がないのは物証がないから、というのが彼の論旨でしょう。

>比較解剖学や集団遺伝学は統計的なデータなどが「evidence」として扱われるはずです。

統計的なデータとは物証を集めて整理したものです。統計解析なしで物証だけ提示することはあっても、物証なしで統計解析をすることはありません。要するに統計解析とは「物証がありますよ」という主張にほかなりません。

どちらも問題になるのは物証の有無のはずです。

しかし、最も重要な問題点は以下の部分です。

>1.樹上モデルは正しい  →  なぜ樹上モデルは正しいと考えるのか?
>2.樹上モデルは合理的
>つまり2が成立すれば必ず1は成立し、もし2が成立しなければ必ず1は成立しません。

2の成立は1の成立を必然的には導きません。合理的な説明は樹上モデルの他にもあるかもしれませんから。

347Lurker:2023/04/28(金) 00:16:39 ID:???
底の抜けたバケツに水を入れるのは徒労感が強いですね

348ゲジゲジ:2023/04/29(土) 08:04:18 ID:wwD.RUUk
 >ちょっと待ってください。私には「余談」と片付ける話とは思えません。

余談で片付けてなどいませんよ。

****** 以下[>>339]より再掲 *************
とはいえ、せっかく書き込むので本来の論点からしたら余談を・・・
 >??????
 >では、なぜ基準として挙げたのですか?
 >diamonds8888xさんが基準02を出した理由なら、当人に尋ねればよいではありませんか。
 >なぜ私を相手にそれを持ち出すのですか?
diamonds8888xさんが基準02を出した理由を、私が知りたがっていると思われるのですか?
もし[337]を読まれた上でこの質問をされているなら、もっとよく読んでから投稿してください、と言いたいところです。
****** 再掲ココまで *************

「よく読んでから投稿してください」というのが余談と申し上げました。


****** 以下[>>336]より再掲 ************
率直なところ、基準2は必要ないと思っています。上で述べた通り、「基準2」違反は必然的に「基準1」と「基準3」にも違反しますから、敢えて「基準2」を別立てで設ける意味があるのかといえば、甚だ疑問です。
しかしだからこそ、なぜdiamonds8888x様が敢えて「基準02」として提示されたのかがポイントとなるでしょう。
****** 再掲ココまで *************

ポイント、すなわち「重要な点」だと申し上げています。


 >基準2が不要である理由として、>>336にて、
  >>「基準2」違反は必然的に「基準1」と「基準3」にも違反します
 >と言われました。それなら、1と3があればよいはずです。
 >なぜ、わざわざ別項目を立てるのですか?
 >まずは、この点を説明してください。

説明済みです。よく読んでください。その上で、理解できない点や納得のいかない点があったら、具体的に質問してください。




 >上記が説明されたら基準2の内容に関して問題点となることを、あらかじめ挙げておきます。
説明済みですから以下にコメントします。


 >まさしく映像記録のような物証の報告が科学雑誌にない、と言ってるではありませんか。

****** 以下[>>341]より再掲 ************
If ID really were a scientific theory, positive evidence for it, gathered through research, would fill peer-reviewed scientific journals.
****** 再掲ココまで *************

言っていないではありませんか!


****** 以下[>>341]より再掲 ************
==== 英和辞典より ======
evidence
証拠、根拠、裏付け、証明

==== 英英辞典より ======
evidence
facts or signs that show clearly that something exists or is true

==== 国語辞典より ======
根拠:
物事が存在するための理由となるもの。存在の理由。

証拠:
事実・真実を明らかにする根拠となるもの。あかし。しるし。

物証:
物的証拠の略。

物的証拠:
裁判で、検証物・文書など、物の存在・形態・状況が証拠資料とされるもの。
****** 再掲ココまで *************

科学の仮説において「evidence」が「物証」でなければならない理由をお答えください。




 >しかし、最も重要な問題点は以下の部分です。
  >>1.樹上モデルは正しい  →  なぜ樹上モデルは正しいと考えるのか?
  >>2.樹上モデルは合理的
  >>つまり2が成立すれば必ず1は成立し、もし2が成立しなければ必ず1は成立しません。
 >2の成立は1の成立を必然的には導きません。
 >合理的な説明は樹上モデルの他にもあるかもしれませんから。

導きます。よく読んでください。
そして、大して重要な問題点ではありません。(「evidence」の定義の方がはるかに重要)

349Ken:2023/04/29(土) 13:30:45 ID:vBaeMFMg
>説明済みです。よく読んでください。その上で、理解できない点や納得のいかない点があったら、具体的に質問してください。

私がストーリーのない主張を述べたのが原因ですか? たとえそうだとしても、それは必然的に基準1と3によって疑似科学と判定されるのですよね。それなら別項目を挙げる必要などないでしょう、と言ってます。

A1:奇数を2で割り切ることはできない
A2:10より大きい奇数を2で割り切ることはできない

B1:生命の発生は30億年前より新しいことはない
B2:生命の発生は20億年前より新しいことはない

A2とB2はどちらも正しく、これに違反する主張は正しくないと判定されることでしょう。しかし、A2とB2に違反する主張は、必然的にA1とB1に違反するのだから、すでにA1とB1があるなら、どこの誰がA2やB2を独立した判定基準に設定しますか?

>言っていないではありませんか!

これはドーキンスの文章を私とは異なる解釈をされてるのですか?

The equivalent evidential demand of creationism would be a complete cinematic record of God's behaviour

創造論の証拠に求められるもの(evidential demand)は、神の行為の完全な記録映像と言ってますよ。記録映像は物証ではないと言われてるのでしょうか?

1つ忠告しますが、本スレッドのような議論の中で、言葉の解釈を辞書に頼るのは、やめたほうがよいです。たとえばこれらの例ですが、

>証拠:
>事実・真実を明らかにする根拠となるもの。あかし。しるし。
>物証:
>物的証拠の略。

見れば分かるように、抽象的な言葉を別の抽象表現で置き換えてるだけです。本当の説明は具体例であるべきです。私は物証の具体例として記録映像や、あなたが物証ではないと言われた統計解析を挙げました。

>科学の仮説において「evidence」が「物証」でなければならない理由をお答えください。

科学理論の価値を決するのは、現実の観測だからです。手間とコストをかけて実験を行う理由はそこにあるのでは? ともあれ、あなたが物証ではないevidenceの例に挙げたのは、いずれも物証です。はじめに問題にされた私の発言ですが、

>人間以外の存在が地球生物の進化に干渉したことを示す直接の証拠はありません。

最初にどう解釈されたかはともかく、私の意が物証にあることは、その後の展開で明らかなはずですよね。

>導きます。よく読んでください。

よく読むのはこの部分ですか?

>少なくとも合理的な仮説の方が、合理的でない仮説よりは正しい可能性が高いとは言えます。

それはそうです。でも合理的な仮説が複数あったら、その中の1つをただちに結論とすることはできません。鳥の進化の説明が樹上モデルで決着しないのは、他の説にも一定の合理性があると考えられてるからでしょう。加えて、私はIDにも合理性があるといってます。

あなたが樹上モデル以外の諸説やIDを合理的と考えるかは、今の問題ではありません。合理性のある説明が複数ある場合の対応を論じてるだけですから。

350ゲジゲジ:2023/04/30(日) 15:15:53 ID:wwD.RUUk
 >私がストーリーのない主張を述べたのが原因ですか? たとえそうだとしても、
 >それは必然的に基準1と3によって疑似科学と判定されるのですよね。
 >それなら別項目を挙げる必要などないでしょう、と言ってます。

私が本スレッドに参加している目的は、Ken様に科学と疑似科学との違いを理解して頂くことにあります。diamonds8888x様が本スレッドを立ち上げたのも、それが目的だったと判断しています。

そもそもはKen様の、「ID論を疑似科学扱いするのは『ID論は疑似科学という結論』ありきなのではないか」という疑問に端を発しているものです。そうではない、ということを説明するために、科学と疑似科学とを区別するいくつかの「基準」を提示しているわけです。

一方でKen様としては、提示された「基準」が本来の科学をも疑似科学と誤認定してしまうのではないか? よって結局のところ、「基準」はダブルスタンダードで適用されるのではないか? という懸念があって、それを「検証」されようとしているのですよね?

基準2(diamonds8888x様が提示した基準02)については、diamonds8888x様との議論がなされないまま、Ken様なりの「検証」がなされ、本来の科学を疑似科学認定してしまうという「結論」が導かれました。[>>259]、[>>261]、[>>262]、[>>263]

基準2違反が必然的に基準1と基準3にも違反するので一般論としては基準2は不要であったとしても、ken様に科学と疑似科学との違いを理解して頂く上で、上記の誤解を解いて頂くことは非常に重要だと考えています。

同様のことはミケ様も指摘されています。決して私の「独りよがり」の見解ではない、ということを示すために参考までに・・・

==== 以下、ミケ様の投稿[>>267]より引用 ======
基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。(ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/56)
この基準は、ID論が自然選択説を否定することによってしか自説を正しいと言えないことに関連しています。

Kenさんは、理論Bを否定すること(のみ)によって理論Aを正しいとしようとするこの「基準02」と、
理論Aの予測と理論Bの予測を比較し、理論Bに当てはまらず、理論Aにより当てはまる通常の科学的な検証を区別できていなようです。
Kenさんが違反例として挙げたものの大半は後者に当たります。
==== 引用ココまで ======

この説明でKen様が納得されるかどうか分かりませんが、納得されなくても理解して頂きたい。あまりこの論点に時間を割きたくありません。今、最も重要な論点は次ですから。

【結論】
Ken様がストーリーのない主張を述べられたので、科学と疑似科学の違いを理解して頂くために、基準2を説明することは重要だと判断しています。

351ゲジゲジ:2023/04/30(日) 15:16:56 ID:wwD.RUUk
色々と論点が拡散しそうになっていますから、最も重要な1点に絞りたいと思います。


「物証」の定義を教えてください。
同じ質問をもう少し突っ込んで言うと、「物証」と「物証ではない根拠・証拠」とを判別する基準を教えてください。


質問の背景をご説明します。
統計データが「物証を集めて整理したもの」という理由で「物証」であるならば、コペルニクスの地動説モデルも鳥の樹上モデルも「物証」になるのではないか、ということです。

地動説モデルは何もない所からポンっと出てきた発想ではありません。天体の観測データがあって、それらのデータを太陽を中心としたモデルにしたらシンプルに合理的に説明できたということです。まさに「物証を集めて整理したもの」ではありませんか? 天動説とは言わば「整理の仕方」が違っていただけで。

鳥の樹上モデルも同様です。樹上モデルを提唱している研究者は、例えば始祖鳥やミクロラプトルの化石といった「物証」から体重を推定したり翼のアスペクト比を計測したりして、そのデータを現生鳥類やムササビといった生きている「物証」のデータと比較するなどして、鳥の先祖が滑空や羽ばたき飛行ができた可能性を探っているはずです。まさに「物証を集めて整理したもの」を根拠にしているとは言えませんか?

統計データが「物証」で、これらが「物証」ではないとするならば、それを見分ける基準は何か? というのが質問の意図です。



論点を絞ったので以下は余談になりますが・・・

==== 以下、余談だけれど論点に関連 ======

 >これはドーキンスの文章を私とは異なる解釈をされてるのですか?
The equivalent evidential demand of creationism would be a complete cinematic record of God's behaviour
 >創造論の証拠に求められるもの(evidential demand)は、神の行為の完全な記録映像と言ってますよ。記録映像は物証ではないと言われてるのでしょうか?

その文章ではドーキンスはそう言っていますよ。
しかしこの文章では、
If ID really were a scientific theory, positive evidence for it, gathered through research, would fill peer-reviewed scientific journals.
研究を通じて収集された肯定的な「evidence」としか言っていませんよ。


結局、Ken様が提示された上の文章の「神の行為の完全な記録映像」が、この寄稿文の全体に掛かるのか、当該文章の「evidential demand」だけに掛かるのか、の解釈の違いです。
私は当該文章だけに掛かると解釈していますし、その理由は[>>341]で述べている通りです。

即ち、「evidence」を「物証」と訳すのは間違いではないですか? と申し上げていました。


が・・・

ここに来て、そもそも「物証」の定義が私とKen様とで異なっている可能性が濃厚になってきました。で、上記の質問につながります。



==== 以下余談(?) ======
以下は上の論点の展開次第によって、余談になるかもしれませんし、関連する重要な論点になるかもしれません。忘れないように今の段階で挙げておきます。

 >本当の説明は具体例であるべきです。
なぜ本当の説明は具体例であるべきなのか?
恐らく、
 >科学理論の価値を決するのは、現実の観測だからです。
と回答されると思いますが・・・

  >>科学の仮説において「evidence」が「物証」でなければならない理由をお答えください。
 >科学理論の価値を決するのは、現実の観測だからです。
どうして科学理論の価値を決するのが現実の観測だと、科学の仮説において「evidence」は「物証」でなければならないのか?


==== 以下余談 ======
これは今のところ完全に余談です。後々に重要な論点になるかもしれませんし、まったくどうでもいい話になるかもしれません。どちらに転ぶかちょっと予測がつきません。

 >よく読むのはこの部分ですか?
  >>少なくとも合理的な仮説の方が、合理的でない仮説よりは正しい可能性が高いとは言えます。

もっと全体を読んでください。[>>332]辺りからの流れを確認してください。
そもそも何の話をしているのか? 何に対する説明として書いているのか?

 >それはそうです。
 >でも合理的な仮説が複数あったら、その中の1つをただちに結論とすることはできません。
 >鳥の進化の説明が樹上モデルで決着しないのは、
 >他の説にも一定の合理性があると考えられてるからでしょう。
仰ることには100パーセント同意します。しかし本論点には無関係です。

 >加えて、私はIDにも合理性があるといってます。
仰ることに同意はしませんが理解はします。しかし本論点には無関係です。

 >合理性のある説明が複数ある場合の対応を論じてるだけですから。
本論点において、合理性のある説明が複数ある場合の対応を論じるべきではありません。

352Ken:2023/04/30(日) 21:45:45 ID:vBaeMFMg
>>350

>上記の誤解を解いて頂くことは非常に重要だと考えています。

ですから、基準2違反が必然的に1と3の違反につながるなら、1と3を論じる過程で、私の「誤解」が明らかになるはずでしょう。ストーリーがないから対立説の否定で済ませる行為は、1と3の違反になるのですよね。

それなら、なぜ1と3を論じる中で、今の話をしないのですか?

生命の発生は30億年以上前という主張の説明過程で、少なくとも20億年以上前と論じるのはよいですよ。でも30億年以上前という基準を立てたあとで、20億年以上前を別個の基準に立てる意味はないではありませんか。

>>351

まず、仰るような地動説と樹上モデルの「物証」を、記録映像と同列に見なすことはできません。状況証拠と物的証拠以上の違いがあります。

地動説については、以下のことも留意してください。

まず、地動説のシンプルさは正しさの根拠にならないことです。どんな分野でも、よりシンプルな理論が確立されたら望ましいでしょうけど、それだけで正しい理由にはなりません。

次に、観測データの整理といっても、私たちが利用する統計手法とは、信頼性が異なります。統計解析で導かれる結論は、信頼性が数値評価されますよね。たとえば「P社のワクチンはCOVID-19の重症化防止に有効か」という課題に対し、「本当は有効ではないのに、サンプルの偏りのせいで有効とされてしまう確率は5%以下」というような結論を出します。5%を有意と考えるかは人によって違っていても、5%であることは同意されます。

さらに、詳しく話すと長くなりますが、16世紀の地動説には、当時の知見では説明できない矛盾があったのですよ。観測される物証に依るなら、むしろ「地動説は誤り」という結論が妥当でした。それでも「天動説は複雑」という理由で、地動説は提唱されたのです。

樹上モデルについては、肝心なことを忘れておられます。

>鳥の先祖が滑空や羽ばたき飛行ができた可能性を探っているはずです。

それは当然のことです。羽ばたいて飛行する生物の先祖は、その機能を未熟な形で有したことでしょう。でも、問題はそこにはありません。そのような機能をどういう進化をたどって獲得したのか、という点にあります。樹上モデルを唱えるなら、始祖鳥やミクロラプトルが飛行できた物証ではなく、樹上生活をしていた物証が必要です。

>私は当該文章だけに掛かると解釈していますし、その理由は[>>341]で述べている通りです。

>>341の説明でも理由が分かりません。

>「物証=物」が科学雑誌を埋める、というのはおかしいですよね。

物証の報告が科学雑誌を埋める、という話のどこがおかしいのでしょうか?

>どうして科学理論の価値を決するのが現実の観測だと、科学の仮説において「evidence」は「物証」でなければならないのか?

物証とは現実に観測される事象ではありませんか。統計解析を含むあらゆる考察も、はじめに物証が必要です。逆に尋ねますが、物証から出発しない「evidence」の例を挙げられますか?

>仰ることには100パーセント同意します。しかし本論点には無関係です。

なぜですか? 複数の候補の1つに過ぎないのに、何のストーリーもなく、その1つを選ぶのは、基準2違反ではないのですか?

353Ken:2023/05/01(月) 01:53:52 ID:vBaeMFMg
錯綜してきたので整理します。基準2が提示されたそもそもの原因は、私のこの発言でした。

>人間以外の存在が地球生物の進化に干渉したことを示す直接の証拠はありません。

ここでの「証拠」という言葉をストーリーと解されたことから始まったのですね。これに対して、私は2つの点を指摘しました。

1点目は、ここでの「証拠」は>>259から>>263にかけて論じたような物証の意味であること。
2点目は、ストーリーのない理論など発想のしようがないこと。

1については同意を得られたものと思います。もし「証拠」という言葉が辞書的にストーリーと定義されるとしても、それなら用語を変えればよいだけです。最初の発言を、

>人間以外の存在が地球生物の進化に干渉したことを示す物証はありません。

と言い直しても一向にかまいません。

残るは2ですが、「ストーリーがないという理由で疑似科学と判定されてる理論」がどこにあるのか、という問いかけへの回答がまだありません。最初の私の発言はそうではないのだから、それ以外の事例が必要です。

事例を挙げられないのなら、基準2に違反する理論など発想不可能であり、したがって基準2には存在の意味がないという考えを続けるしかありません。

基準2の内容に深入りするよりも、この点に注力すべきです。

354ゲジゲジ:2023/05/02(火) 07:17:07 ID:wwD.RUUk
 >>上記の誤解を解いて頂くことは非常に重要だと考えています。
 >ですから、基準2違反が必然的に1と3の違反につながるなら、1と3を論じる過程で、
 >私の「誤解」が明らかになるはずでしょう。
 >ストーリーがないから対立説の否定で済ませる行為は、1と3の違反になるのですよね。
 >それなら、なぜ1と3を論じる中で、今の話をしないのですか?

こういう説明では如何でしょう?

そもそも各「基準」は以下のようなものです。

==== [>>302]より =====
基準1:反証可能性の有無
これについてはdiamonds8888x様の基準01を踏襲します。

基準2:理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。
これもdiamonds8888x様の基準02を踏襲します。

基準3:矛盾との関係
これはKen様が[>>268]で述べられている通り、diamonds8888x様の基準03〜基準06をまとめて扱います。
==== 再掲ココまで =====

基準1は、仮説の内容(その内容には述べられたストーリーを含む)に反証可能性があるか? が論点になります。

基準3は、仮説の内容(その内容には述べられたストーリーを含む)に矛盾があるかないか? そして矛盾がある場合にどうするか? が論点になります。

そして基準2は、そもそもストーリーが述べられなければダメだ、というのが論点です。

基準2違反は必然的に基準1と3の違反につながりますが、論じる論点がそれぞれ異なるのです。もしKen様がストーリーを述べられていれば、基準2は基準1か基準3のどちらかを論じる際に話の「余談」として、「おまけの話」として論じれば良かったわけです。しかしKen様がストーリーを述べられなかったので、論点の異なる基準2は別立てで説明する必要があった、ということです。

それに現状を見てください。
基準2は「ストーリーがなければダメだ」と言っているだけなのですよ。にもかかわらず、そこからさまざまな論点が派生して錯綜しているではありませんか!
これを基準1や基準3の中で扱っていたら、どうなっていたと思います? もう、あちらの論点とこちらの論点とがグチャグチャになって、収拾がつかなくなるとは思われませんか?

私も基準2を敢えて別立てにした段階ではここまで考えてはいませんでしたが、今の議論の状況を見る限り、やはり基準2を別立てにしていて正解だったと思うし、別立てにしなければならなかったと思います。

如何でしょう? この説明では納得頂けるでしょうか?
気が付いたらいつの間にか、複数の論点を同時並行で扱うという「ルール違反」状態に陥っていますね。まずはこの論点「基準2を別立てにしたのはなぜか?」を片付けましょう。

【結論】
Ken様がストーリーのない主張を述べられたので、論点の異なる基準2は、敢えて別立てにして説明する必要がありました。

355Ken:2023/05/02(火) 21:02:41 ID:vBaeMFMg
>これを基準1や基準3の中で扱っていたら、どうなっていたと思います? もう、あちらの論点とこちらの論点とがグチャグチャになって、収拾がつかなくなるとは思われませんか?

基本論題としては1または3の中で、ステップの1つとして、ストーリーの問題を集中的に論じればよいのです。

また、基準2の論題をこのまま続けるにせよ「グチャグチャ」になってる現状を収拾するために、>>353で提案をしました。

>「ストーリーがないという理由で疑似科学と判定されてる理論」がどこにあるのか、という問いかけへの回答がまだありません。最初の私の発言はそうではないのだから、それ以外の事例が必要です。

まずは、この回答をされてはいかがでしょうか。

356ゲジゲジ:2023/05/04(木) 00:10:58 ID:wwD.RUUk
 >基本論題としては1または3の中で、ステップの1つとして、
 >ストーリーの問題を集中的に論じればよいのです。

でも基準2は基準1とも基準3とも「別物」ですよ。
基準1と基準3は、ストーリーがある事を前提に、その内容が問われるのですから。

[>>349]
 >A1:奇数を2で割り切ることはできない
 >A2:10より大きい奇数を2で割り切ることはできない
 >B1:生命の発生は30億年前より新しいことはない
 >B2:生命の発生は20億年前より新しいことはない

ちょっと例が適切ではないと思います。A1もA2も同じ「2で割り切れるか」という基準です。B1とB2は同じ「時間軸」という基準です。

例えるなら・・・
 基準1:家には柱がないといけない(ないと潰れてしまうから)
 基準3:家には屋根がないといけない(ないと雨をしのげないから)
 基準2:家がないといけない
といった感じでしょうか?
家そのものがなければ、柱も屋根もあるはずがないので、必然的に基準1と3にも違反です。しかし、それぞれは全く異なる基準です。とはいえ、基準は互いに関連しているのですけれどね。柱がなければ屋根を支えられないし、屋根がなければ柱が雨に濡れて腐ってしまうかもしれない。


Ken様がどうしても基準2を基準1か基準3のステップの1つとしたいなら、それでも構いませんけれどね。[>>302]で申し上げた通り、基準2の次は基準3をやる予定ですから、[>>304]から始まった基準2の議論は、基準3のステップの1つと思ってください。
[>>336]の以下の文章は、次のように読み替えてください。

【元の文章】
しかしだからこそ、なぜdiamonds8888x様が敢えて「基準02」として提示されたのかがポイントとなるでしょう。

【読み替え】
しかしだからこそ、なぜ基準3の中で1つのステップとして集中的に扱う必要があるのか、がポイントとなるでしょう。


私は基準3とは別立ての基準2として続けます。この論点「なぜ基準2を別立てにするか」については合意が得られないままでも、この先の議論にあまり影響しないと思いますので。


【この論点で重要なこと】
私が[>>336]で上記のように述べた意図は以下です。

もし、Ken様がストーリーを語っていたら、特に基準2を論じる必要はなかったし、論じるにしてもサラリと済ませれば良かった。しかしKen様がストーリーを語らなかったので、基準2をしっかり議論する必要があった。

357ゲジゲジ:2023/05/04(木) 00:11:37 ID:wwD.RUUk
[>>353]
せっかく整理して頂いたのにすみませんが、その整理は間違っています。

 >基準2が提示されたそもそもの原因は、私のこの発言でした。
  >>人間以外の存在が地球生物の進化に干渉したことを示す直接の証拠はありません。
 >ここでの「証拠」という言葉をストーリーと解されたことから始まったのですね。

まずここから違います。

[>>338]
 >引用された私の発言を見てください。ストーリーがないとは言ってません。
  >>人間以外の存在が地球生物の進化に干渉したことを示す直接の証拠はありません。
 >ないのはストーリーではなく証拠です。
 >そこには、基準02にひっかかるのは、物証がない仮説だろうという想定があります。

私の方も上記に直接反論しませんでしたので、誤解させてしまったかもしれません。
私が問題視したのは、その次の発言です。

 >人間以外の存在が地球生物の進化に干渉したことを示す直接の証拠はありません。
 >ですからID仮説を提唱する理由は、自然選択では説明できない進化があるという、
 >それしか今はないのです。

ID仮説を提唱する理由は「自然選択では説明できない進化がある」というだけだと仰っています。つまりID仮説を肯定する物証もなければ物証以外の証拠もなければ、ストーリーもない、と私は読み取りました。

そして実際にストーリーを述べられませんでしたよね。物証にせよストーリーにせよ「ない」と発言されたことは言わば「ダメ押し」です。そのような発言をされたからというよりも、ストーリーが述べられなかったという事実が、基準2を提示したそもそもの原因です。

Ken様が2017年〜2018年頃にかけて語られていたID論は基準2違反ですが、[>>275]で述べられているID論は基準2をクリアしていると申し上げたのを覚えていらっしゃいますか?
[>>310]、[>>313]


 >残るは2ですが、「ストーリーがないという理由で疑似科学と判定されてる理論」がどこにあるのか、という問いかけへの回答がまだありません。
 >最初の私の発言はそうではないのだから、それ以外の事例が必要です。

[>>337]で回答している通りです。
 >2017年〜2018年頃にKen様が第1掲示板で語られていたID論が、正にその事例です。

最初のKen様の発言は直接的には関係ありません。ストーリーを述べられなかったのだから「ストーリーがないという理由で疑似科学と判定されてる理論」です。実際に明言はされていないかもしれませんが、少なくとも私の他にdiamonds8888x様、ミケ様、GB様はKen様のID論を疑似科学と判定していると思いますよ。


===========
話しが変わりますが、Ken様の考える「物証」の定義が[>>352]を読んでも全く分かりません。

因みに私の考える「物証」の定義は以下です。
==== 国語辞典より ======
裁判で、検証物・文書など、物の存在・形態・状況が証拠資料とされるもの。
================

基本は裁判での証拠資料ですが、科学に流用するならば、後半の「物の存在・形態・状況が証拠資料とされるもの」という定義でしょう。従って、統計データは「物の存在・形態・状況」ではないので、「物証」ではありません。

しかしKen様の定義では「物証を集めて整理したもの」という理由で「物証」だと仰る。そして辞書の定義に頼ってはいけないと仰るわけです。
それでKen様の考える「物証」が分からないので[>>351]で質問しました。

ところが回答頂いた[>>352]ですが、

 >まず、仰るような地動説と樹上モデルの「物証」を、記録映像と同列に見なすことはできません。

結局、地動説と樹上モデルの「物証」は、「記録映像と同列に見なすことはできない物証」なのですか?
それとも、記録映像と同列に見なすことはできないから「物証」ではない、のですか?


 >次に、観測データの整理といっても、私たちが利用する統計手法とは、信頼性が異なります。

即ち「物証」とは、「『物証そのもの』と『物証そのものを整理して得られたデータ』のうち『信頼性』が高いもの」という定義なのですか?
だとすると信頼性が高いか低いかは、誰が何の基準で判定するのですか?

 >物証とは現実に観測される事象ではありませんか。
 >統計解析を含むあらゆる考察も、はじめに物証が必要です。
 >逆に尋ねますが、物証から出発しない「evidence」の例を挙げられますか?

はじめに物証があれば「物証」なのだったら、コペルニクスの地動説も鳥の樹上モデルも、Ken様のID論も「物証」があるでしょう? 直接的な「物証」はなかったとしても、少なくとも間接的な「物証」はありますよ。


結局のところ、Ken様の仰る「物証」とは、いったいなんなのですか???

358Ken:2023/05/04(木) 08:55:00 ID:vBaeMFMg
>基準1:家には柱がないといけない(ないと潰れてしまうから)
>基準3:家には屋根がないといけない(ないと雨をしのげないから)
>基準2:家がないといけない

私は2を考えなくてもよいとはいってません。しかし、2つの法則があり、一方が必然的に他方を導くなら、2つを同じ階層に置くのは合理性がないと思います。

私は人生の一時期をプログラマとして過ごしました。あるプログラムの中でXという条件が成立するかをチェックする必要があり、Xの成立には条件Aと条件Bの成立が必要とします。

AとBが完全に独立した内容なら、Xの検証プロセスから、まずAをチェックする関数をコールし、チェックをクリアしたことを示す値が帰れば、次にBをチェックする関数をコールするでしょう。

しかし、AとBが従属関係にあり、Aをクリアするには論理的にBをクリアせねばならないのなら、XからAをコールし、AからBをコールします。BはAの中の1項目なのです。

AとBを同じ階層においてもプログラムは走りますよ。でもそこには合理性がなく、そのようなプログラミングはバグの温床になるのです。真っ当な技術者ならそんな作り方はしません。

>Ken様がどうしても基準2を基準1か基準3のステップの1つとしたいなら、それでも構いませんけれどね。

私がどうしたいかではなく、合理性というものを考えてほしいのです。


>人間以外の存在が地球生物の進化に干渉したことを示す直接の証拠はありません。

この「直接の証拠」が物証を意味することを、ずっと説明してきたではありませんか。>>259>>263で挙げたのが、すべて物証がない事例であることは明らかなはずです。

>実際にストーリーを述べられませんでしたよね

私は、IDとは人類が行う品種改良と同じものであると、最初から言ってます。それが私のストーリーです。それ以上の詳しい説明にならなかったのは、基準02違反とは物証の不在を意味するのだろうと考えたので、物証の不在が疑似科学にはならないことからまず示すべきと考えたからです。>>259>>263がそれに該当します。

ある主張を、ストーリーがないという理由で疑似科学と称するなら、本当にストーリーがないのか、その時点でまだ語ってないだけなのかを、確認するべきと思いませんか?

>地動説と樹上モデルの「物証」は〜〜〜記録映像と同列に見なすことはできないから「物証」ではない、のですか?

同列にみなせないのは、そもそも証拠になってないからです。

地動説がシンプルであることは、地動説を支持する理由になりません。シンプルな理論で多くの事象が説明できれば望ましいというだけです。樹上モデルの「物証」に挙げられた例も同様です。樹上モデルの証拠とは鳥の先祖が樹上生活者だったことを示すものであり、飛行していたことを示すものではありません。

>「物証」とは、「『物証そのもの』と『物証そのものを整理して得られたデータ』のうち『信頼性』が高いもの」という定義なのですか?

違います。統計解析の特徴は、そこに人の解釈が入らない、という点にあります。例えば、

P社のワクチンが有効でない確率は5%以下 → P社のワクチンは有効

「P社のワクチンは有効」は、1つの推論であり、同じデータから「まだ有効とはいえない」と考える人がいるかもしれません。しかし「5%以下」という有意性は、観測されるデータと確立された計算過程で必ず導かれることなのです。そこに人の解釈は入りません。ですから、現物の観測つまり物証と同じことだと言ってます。

359ゲジゲジ:2023/05/07(日) 00:36:39 ID:wwD.RUUk
 >>Ken様がどうしても基準2を基準1か基準3のステップの1つとしたいなら、それでも構いませんけれどね。

 >私がどうしたいかではなく、合理性というものを考えてほしいのです。

では言い直しましょう。
Ken様がどうしても基準2を基準1か基準3のステップの1つとすることに合理性があると仰りたいなら、それでも構いませんけれどね。


 >AとBが完全に独立した内容なら、(略)
 >(略)AとBが従属関係にあり、Aをクリアするには論理的にBをクリアせねばならないのなら、

基準1、2、3はそれぞれ独立した内容ですよ。基準1と3をクリアするのに基準2をクリアせねばならないからといって、従属関係にあるとは限りません。
プログラムの例の方が分かりやすければ、以下のような例は如何でしょう?


入力された値を以下の基準でチェックして、基準をクリアすれば「OK」、クリアしなければ「NG」と出力するプログラムを考えます。
 基準1:入力された値は偶数でなければいけない
 基準3:入力された値は10以上でなければいけない
 基準2:入力された値は数値でなければいけない

本来の基準2の趣旨からすると、このプログラム例の基準2は、「値が入力されなければいけない」になるのかもしれません。

私がプログラムを作るなら、まず2をコールして、2をクリアしたら1と3をコールするようにするでしょう。2をクリアしなかったら、1と3は走らせることなく「NG」を出力します。わざわざ1や3を走らせて、そこから2をコールするような構成にはしません。


そしてもうひとつ、私たちが行っている議論をプログラムに喩えるなら、私たちはプログラムを走らせているのではありません。
私はプログラムのコードを1行ずつ、どんな処理をしているのか解説・説明をしています。

Ken様は基準が正当な科学を疑似科学と誤認定してしまわないかどうか「検証」されているのですよね。プログラムに喩えるなら、プログラムが誤った出力を出してしまわないかどうか、単体試験をやっているのではありませんか? 単体試験は1つずつ、個別に行うのではありませんか?

360ゲジゲジ:2023/05/07(日) 00:37:36 ID:wwD.RUUk
 >>人間以外の存在が地球生物の進化に干渉したことを示す直接の証拠はありません。
 >この「直接の証拠」が物証を意味することを、ずっと説明してきたではありませんか。

===== [>>357]より再掲 ====
私の方も上記に直接反論しませんでしたので、誤解させてしまったかもしれません。
私が問題視したのは、その次の発言です。

 >人間以外の存在が地球生物の進化に干渉したことを示す直接の証拠はありません。
 >ですからID仮説を提唱する理由は、自然選択では説明できない進化があるという、
 >それしか今はないのです。

ID仮説を提唱する理由は「自然選択では説明できない進化がある」というだけだと仰っています。つまりID仮説を肯定する物証もなければ物証以外の証拠もなければ、ストーリーもない、と私は読み取りました。
===== 再掲ココまで ====

証拠がないと仰ったことを問題視していません。その次の文の「(自然選択の否定しか)理由がない」と仰ったことを問題視しています。

 >>>259>>263で挙げたのが、すべて物証がない事例であることは明らかなはずです。

辞書の定義の「物証」がないことが明らかであることには同意します。
==== 国語辞典より再掲 ======
裁判で、検証物・文書など、物の存在・形態・状況が証拠資料とされるもの。
================

Ken様の考える「物証」がなんなのか分からないので、明らかかどうか分かりかねます。特に「物証」と「物証でない証拠」との違いが分かりません。



 >>実際にストーリーを述べられませんでしたよね
 >私は、IDとは人類が行う品種改良と同じものであると、最初から言ってます。
 >それが私のストーリーです。

それではストーリーになっていません。ID論の説明をしているだけではないですか。

==== [>>336][>>342]より再掲 ====
以前、Ken様ご自身がこう仰っていましたよね。
[>>252]
 >このように、観測事象から帰納するか、既知の理論から演繹するか、
 >少なくともどちらか一方を根拠に、仮説は提唱されるわけです。

今、論点になっているストーリーというのは、つまりは仮説に至る帰納なり演繹なりのプロセスです。
===== 再掲ココまで =====

ここで言っているストーリーとは、何らかの根拠(観察事象や既知の理論)に基づいて仮説を導いた思考のプロセスです。従ってストーリーには必ず、根拠となった事象や理論があるはずなのです。
 >IDとは人類が行う品種改良と同じものである
この文章のどこにも、根拠となった事象や理論が含まれていないではありませんか?


 >それ以上の詳しい説明にならなかったのは、基準02違反とは物証の不在を意味するのだろうと考えたので、物証の不在が疑似科学にはならないことからまず示すべきと考えたからです。

それはdiamonds8888x様から科学と疑似科学とを判別する基準があるのだと言われて、基準の議論を始めた後のことでしょう? 私が指摘しているのは基準の議論を始める前のことですよ。自然選択では説明できない進化の実態があると言いながら、その進化が何なのかも明言されなかったではないですか。


 >ある主張を、ストーリーがないという理由で疑似科学と称するなら、本当にストーリーがないのか、その時点でまだ語ってないだけなのかを、確認するべきと思いませんか?

==== [>>327]より再掲 ====
容易だからこそ、本当は色々な思考プロセスがあったとしても、うっかりそれを言うのを忘れて、対立仮説の否定だけを根拠に自説を主張してしまう可能性はあり得ます。そして、その場合にその主張は疑似科学になります。

あるいは、その思考プロセスを述べる事を忘れないための戒めとして、基準2があるという事もできると思います。また、うっかり疑似科学を提唱してしまった人に対して、きちんと仮説の思考プロセスを述べるよう促す事で、その仮説が疑似科学でなくなるようアドバイスができます。
==========

==== [>>329]より再掲 ====
 >つまり、基準違反になる「自説にストーリーがない」とは、
 >提唱者の脳内にストーリーがないという意味ではなく、
 >脳内のストーリーを言葉で十分に説明してない、という意味ですか?
その通りです。
より正確に言えば、提唱者の脳内にストーリーがあるか否かに関係なく、とにかくストーリーが十分に説明されていない、という事です。
==========

正確に言えば、ストーリーがないから疑似科学なのではなくて、ストーリーを語らないから疑似科学だと申し上げています。

361ゲジゲジ:2023/05/07(日) 00:38:47 ID:wwD.RUUk
もう一度、[>>313]で述べた例を纏め直してみましょう。

A1 自然選択では説明できない進化がある。よってIDが生物の進化に介入した。
  (2018年1月22日(火)23時28分9秒に述べられたID論)
     → NG

A2 IDは人類が行う品種改良と同じプロセスで生物の進化に介入した。
  ([>>358]で述べられたストーリー)
     → NG

A3 自然選択では説明できない進化がある。そのような進化はIDが目的をもって進化させたと考えると合理的に説明できる。よってIDが生物の進化に介入した。
  ([>>275]で述べられたID論)
     → OK


B1 自然選択説には矛盾点がある。よって、神様が5000年ほど前に聖書に書かれた通りの手順で世界を創った。
     → NG

B2 聖書に書かれた神様が5000年ほど前に世界を創った手順は、まず1日目に・・(略)、7日目に・・(略)したというものである。
     → NG

B3 自然選択説には矛盾点がある。一方で聖書には神様が世界を創られた経緯が書いてあり、聖書は神様ご自身の言葉である。よって、神様が5000年ほど前に聖書に書かれた通りの手順で世界を創った。
     → OK

C1 地球を中心に天体が周っていると考えると複雑な系になる。よって太陽を中心に地球が周っている。
     → NG

C2 地動説では、太陽を中心に地球が周っていると考える。
     → NG

C3 地球を中心に天体が周っていると考えると複雑な系になる。一方で各惑星が太陽を周回すると想定すれば複雑な動きを考えなくてよい。よって太陽を中心に地球が周っている。
  (実際にコペルニクスが提唱した仮説)
     → OK

C4 地球を中心に天体が周っていると考えると複雑な系になる。そもそも太陽神アポロは地球神ガイアより偉いので中心にいるべきである。よって太陽を中心に地球が周っている。
     → OK

D1 鳥の進化の走行モデルでは、翼を広げると走行の障害になり、走行に適した脚は重くて飛行の障害になる。よって、鳥は樹上から進化した。
     → NG

D2 鳥の進化の樹上モデルは、鳥は樹上から進化したというものである。
     → NG

D3 鳥の進化の走行モデルでは、翼を広げると走行の障害になり、走行に適した脚は重くて飛行の障害になる。一方で、木から木へ飛び移ったり地上に落下するときに翼があれば、距離を延ばしたり運動を制御できる。よって、鳥は樹上から進化した。
  (実際に提唱されている樹上モデル)
     → OK

D4 鳥の進化の走行モデルでは、翼を広げると走行の障害になり、走行に適した脚は重くて飛行の障害になる。一方で、木の聖霊は生物を高所へと誘うパワーを秘めている。よって、鳥は樹上から進化した。
     → OK

E1 鳥の進化の走行モデルでは、翼を広げると走行の障害になり、走行に適した脚は重くて飛行の障害になる。また、鳥が樹上から進化したことを示す化石は見付かっておらず、最初期の鳥類は走行に適した脚の構造をしていた。よって、鳥は地上から木に駆け上がることによって進化した。
     → NG

E2 鳥の進化の駆け上がりモデルは、鳥は地上から木に駆け上がることによって進化したというものである。
     → NG

E3 鳥の進化の走行モデルでは、翼を広げると走行の障害になり、走行に適した脚は重くて飛行の障害になる。また、鳥が樹上から進化したことを示す化石は見付かっておらず、最初期の鳥類は走行に適した脚の構造をしていた。一方で、現生鳥類の中に翼を羽ばたかせながら地上から木に登る者がいる。よって、鳥は地上から木に駆け上がることによって進化した。
  (実際に提唱されている駆け上がりモデル)
     → OK


A1〜E1は対立仮説の否定だけを根拠としています。
A2〜E2は仮説の内容を説明しているだけです。
A3〜E3、およびC4とD4は自説が正しい根拠(理由)を述べています。

362ゲジゲジ:2023/05/07(日) 00:39:38 ID:wwD.RUUk
*** 恐らく重要 ******

[>>358]
 >>地動説と樹上モデルの「物証」は〜〜〜記録映像と同列に見なすことはできないから「物証」ではない、のですか?

 >同列にみなせないのは、そもそも証拠になってないからです。
 >地動説がシンプルであることは、地動説を支持する理由になりません。
 >シンプルな理論で多くの事象が説明できれば望ましいというだけです。

どうして証拠になっていないのですか?
どうして地動説がシンプルであることは、地動説を支持する理由にならないのですか?
どうして、シンプルな理論で多くの事象が説明できても、それは理論を支持する理由にならないのですか?

==== 国語辞典より ======
証拠:
事実・真実を明らかにする根拠となるもの。あかし。しるし。
根拠:
物事が存在するための理由となるもの。存在の理由。
理由:
物事がそのようになった、わけ。筋道。また、それをそう判断した、よりどころになる、またはする事柄。
==================

証拠とは根拠になるもの、根拠とは存在の理由です。地動説がシンプルであることは、地動説が正しいと思考した筋道だし、地動説が正しいと判断したよりどころとなる事柄ではないですか?




 >樹上モデルの証拠とは鳥の先祖が樹上生活者だったことを示すものであり、飛行していたことを示すものではありません。

どうして鳥の先祖が高い所から滑空飛行していたことを示すものが、鳥の先祖が樹上生活者だったことを示す証拠にならないのですか?

==== 国語辞典より再掲 ======
理由:
物事がそのようになった、わけ。筋道。また、それをそう判断した、よりどころになる、またはする事柄。
==================

鳥の先祖が高い所から滑空飛行していたことを示すものは、鳥の先祖が樹上生活者だったと判断するよりどころとなる事柄ではないのですか?



>「物証」とは、「『物証そのもの』と『物証そのものを整理して得られたデータ』のうち『信頼性』が高いもの」という定義なのですか?

 >違います。統計解析の特徴は、そこに人の解釈が入らない、という点にあります。例えば、(略)
 >ですから、現物の観測つまり物証と同じことだと言ってます。

つまり「物証」とは、「『物証そのもの』と『物証そのものを整理して得られたデータ』のうち『陽との解釈』が入らないもの」という定義なのですか?

どうして人の解釈が入ってはいけないのですか?
どうして現物の観測つまり物証と同じことでなくてはいけないのですか?


関連して[>>352]から
 >>どうして科学理論の価値を決するのが現実の観測だと、科学の仮説において「evidence」は「物証」でなければならないのか?

 >物証とは現実に観測される事象ではありませんか。統計解析を含むあらゆる考察も、はじめに物証が必要です。逆に尋ねますが、物証から出発しない「evidence」の例を挙げられますか?

物証から出発しない「evidence」はないと思います。しかし地動説モデルも、鳥の進化の樹上モデルも、物証から出発していますよ。
物証から出発して、どうして人の解釈が入ってはいけないのですか?


上記国語辞典の定義を見てください。「根拠」にも「証拠」にも「理由」にも、どこにも「人の解釈が入らない」などと言う条件は付いていませんよ。

363Ken:2023/05/07(日) 10:53:11 ID:vBaeMFMg
>>359

>基準1:入力された値は偶数でなければいけない
>基準3:入力された値は10以上でなければいけない
>基準2:入力された値は数値でなければいけない

それこそ基準2は不要ではないですか。入力値が偶数とか10以上とかチェックするには、その変数は数値型でないと、1も3もプロセスがはじめから走りませんよ。そもそも数値であるかないかなんて、プログラムが走る中でどうやってチェックするのですか? そのコードを想像できますか?

>私はプログラムのコードを1行ずつ、どんな処理をしているのか解説・説明をしています。

同じことです。論理的に従属関係にあるなら、同じ階層で並列的に置くのではなく、一方からコールされるサブルーチンであるほうが、コードの理解を助けます。要は、ロジックとコードを同じ構造にすることです。

>>360

>ID仮説を肯定する物証もなければ物証以外の証拠もなければ、ストーリーもない、と私は読み取りました。

どういう読み方をしようが、本当にストーリーがないのか、なぜ尋ねないのですか? ストーリーがない理論など発想のしようがないことまでは、理解されてるのですよね。それなら、ひと言、説明を求めればよいだけの話ではありませんか。

ストーリーの説明を求めても、それが語られないのなら、そこで疑似科学と判定すればよいのです。

>それではストーリーになっていません。ID論の説明をしているだけではないですか。

「樹上モデルは合理的」を「樹上モデルの力学は合理的」に変えるだけでストーリーになるのに、「人類が行う品種改良」はならないのですか? こちらの方が具体性のある説明と思いますよ。

>>362

>どうして、シンプルな理論で多くの事象が説明できても、それは理論を支持する理由にならないのですか?

シンプル以前の問題です。16世紀の地動説は天動説が説明できる事象を説明できてないのです。

何か動くものに乗ってるというと、当時の人が連想するのは馬車や船でした。動けば揺れを感じるし顔に風を受けます。もし地球が動くなら恒常的な風がふくはずという、当時の知識体系ではきわめて合理的な疑問があったのです。それもすさまじい風です。すでに地球の大きさはかなり正しくしられてました。最初の世界周航が完了するのは1522年。地動説が出版される21年も前です。

例えば赤道の周長は4万キロですから、これを24時間で1周すると時速1660キロ。秒速で460メートル。今の私たちが知ってる大気中の音速より大きな値です。二階の屋根程度の高さから物を落としても、はるか西の地点に落ちるはずなのです。

この矛盾を解明したのは次の世紀のガリレオでした。進行する船のマスト上から物を落としてもマストの真下に落ちるという、人類が太古から目撃してきた事象を挙げて、慣性の法則を説明し、人々を納得させました。

>どうして鳥の先祖が高い所から滑空飛行していたことを示すものが、鳥の先祖が樹上生活者だったことを示す証拠にならないのですか?

挙げられたのは滑空をした証拠であって樹上から滑空した証拠ではないからです。走行モデルであれ、駆け上がりモデルであれ、またIDであれ、本格的な飛行に至る前段階はグライダーのような滑空であることは自然に想像されます。要するに、滑空してたというのは、漸進的に飛行能力が進化したといってるにすぎません。

364Ken:2023/05/07(日) 20:51:01 ID:vBaeMFMg
一番の問題が抜け落ちましたね。

対立説を否定するだけという批判が、物証ではなく、ストーリーがないことを意味するという主張が、世間のどこにあるのか、という回答をまだもらってません。私は、ドーキンスの以下の文章が、物証の不在を意味してる例に挙げました。

The equivalent evidential demand of creationism would be a complete cinematic record of God's behaviour

ドーキンスの文章では、evidenceの実例は「cinematic record」という物証しか出されてないというのが、私の指摘です。これに対して、cinematic recordを物証と解するのが間違ってるので、同じ記事の下記の部分が引用されました。

If ID really were a scientific theory, positive evidence for it, gathered through research, would fill peer-reviewed scientific journals.

ここから、

>「物証=物」が科学雑誌を埋める、というのはおかしいですよね。

という指摘をされるるわけですが、私は>>352で、

>物証の報告が科学雑誌を埋める、という話のどこがおかしいのでしょうか?

と尋ねてます。いまでも、

「ストーリーがないから、対立説の否定をしてるだけと批判されるのだ」

という基準2を裏付ける文章が提示されるのを待っているのです。2018年の私の発言を評価する前に、これがすべての起点でしょう。ここがクリアされたら、>>363で述べた諸点が次に来ます。

365ゲジゲジ:2023/05/14(日) 18:11:43 ID:wwD.RUUk
 >対立説を否定するだけという批判が、物証ではなく、
 >ストーリーがないことを意味するという主張が、世間のどこにあるのか、
 >という回答をまだもらってません。

すみません。そのような質問をされた覚えがないのですが、この質問のことですか?
[>>338]
 >ということで、あらためて尋ねます。ストーリーがないという理由で、
 >疑似科学と呼ばれる実例は、世のどこにあるのでしょうか?
 >そもそも、対立説を否定してるだけ、と世で批判される理論は、
 >本当にストーリーがないという意味なのでしょうか?

ストーリーがないという理由で疑似科学と呼ばれた実例は、Ken様が2017年〜2018年頃に第1掲示板で語られていたID論がそうだと申し上げています。
皆さんがストーリーがないという理由で疑似科学だと判定していたのですよ。


物証ではなく、ストーリーがないことを意味するという主張でしたら、Ken様が提示したドーキンスの寄稿文です。
[>>341]、[>>342]でそのように述べています。
私としては、比較解剖学や集団遺伝学の統計データを、「物証ではない具体例」として挙げて、ドーキンスが寄稿文で言っている「evidence」が物証ではないと申し上げています。


 >>「物証=物」が科学雑誌を埋める、というのはおかしいですよね。
 >という指摘をされるるわけですが、私は>>352で、
 >>物証の報告が科学雑誌を埋める、という話のどこがおかしいのでしょうか?
 >と尋ねてます。

これは失礼しました。「物証」が科学雑誌を埋めるのはおかしいですが、「物証の報告」が科学雑誌を埋めるのはおかしくないです。
但し、ここでドーキンスが言っている「evidence」は「物証」ではありませんが。


余談かもしれませんが、1つ誤解があります。
 >これに対して、cinematic recordを物証と解するのが間違ってるので、

「cinematic record」を物証と解するのが間違っているなどとは一言も言っていませんよ。
「cinematic record」は物証です。「cinematic record」が物証であることには100%同意します。
[>>341]と[>>351]をよく読んでください。


 >「ストーリーがないから、対立説の否定をしてるだけと批判されるのだ」
 >という基準2を裏付ける文章が提示されるのを待っているのです。

繰り返しになりますが、Ken様が挙げられたドーキンスの寄稿文が正にそれだと申し上げています。


**************
投稿間隔が空いた理由として、連休が終わってまた忙しくなっているのもありますが、それよりもこの先の議論をどう進めようか悩んでいます。

これまでのやり取りでKen様も気付いていらっしゃっているでしょうが、そもそもKen様と私とで、具体例の解釈が異なっているのです。
ですから具体例を挙げて説明するという、今の議論のやり方では永遠に平行線をたどるでしょう。むしろ新たな具体例を挙げれば挙げるほど、新しい具体例の解釈という、新たな論点が増えて行くだけです。

仮に基準2の議論を中断して、先に基準3や基準1に取り掛かったとしても、恐らく同じことになります。

Ken様はどうしたら良いと思われますか?

366Ken:2023/05/14(日) 21:20:53 ID:vBaeMFMg
>私としては、比較解剖学や集団遺伝学の統計データを、「物証ではない具体例」として挙げて、ドーキンスが寄稿文で言っている「evidence」が物証ではないと申し上げています。

統計データは物証を集めて整理したものではありませんか。誰もが観測できる物証から出発しています。しかし、あなたが挙げたストーリーは、そこまでもいってないのです。

バイブルの記述や、木の聖霊の存在を根拠にして、ストーリーを構築してもよいのですよね? つまり、誰も観測したことがないし、既知の理論から演繹もできないものから出発することを認めると言っておられます。

こんなことを主張する人が、あなたのほかにいるのですか?
本当にdiamonds8888xさんが同じ考えをしてると、本人に代わって断言できますか?

>具体例を挙げて説明するという、今の議論のやり方では永遠に平行線をたどるでしょう。

具体例のない科学などありえません。

367Ken:2023/05/14(日) 21:55:27 ID:vBaeMFMg
>ここでドーキンスが言っている「evidence」は「物証」ではありませんが。
>「cinematic record」は物証です。「cinematic record」が物証であることには100%同意します。

そのドーキンスは、要求するevidenceの具体例にcinematic recordしか挙げてないではありませんか。なぜ物証ではないという結論になるのですか?

>「物証」が科学雑誌を埋めるのはおかしいですが、「物証の報告」が科学雑誌を埋めるのはおかしくないです。

「物証」が科学雑誌を埋めるとは、「物証の報告」が科学雑誌を埋めることではないと言われるのですか? では、いったいどういう意味でしょうか? 具体例を挙げた説明をお願いします。

368ゲジゲジ:2023/05/18(木) 22:28:58 ID:621mgGK6
 >本当にdiamonds8888xさんが同じ考えをしてると、本人に代わって断言できますか?

断言できるに決まっているではありませんか。

それに私はdiamonds8888x様を引き継いでいますが、それだけではないですよ。私はミケ様とGB様からも、Ken様のお相手をすることを託されています。

*** 以下、GB様の[>>298]より引用 ********
さて、仕事がかなり忙しくなってきたこともあり、私はこのあたりで撤退します。
このスレッドの主旨とはズレてますしね、まぁ続けるなら別のスレの方がいいだろうと。
というわけで、ゲジゲジさん、ミケさん、よろしくお願いします。
*** 引用ココまで ********

*** 以下、ミケ様の[>>300] より引用 ********
おそらくKenさん以外のまともな論理的思考能力を持つ人は
「オムファロス」や「世界5分前仮説」に対するKenさんの考えに同意せず、
かつ>>268>>269を「オムファロス」や「世界5分前仮説」と同類のものとみなすだろうと思うこともあり
Kenさん本人にとっても読者(まだいるのか?)にとっても
ゲジゲジさんとKenさんとの質疑応答のほうが有意義のように思いますのでよろしくお願いします。
*** 引用ココまで ********

この掲示板では、第三者から私に対する発言は禁止などしていませんからね。科学の発展のためには批判を躊躇するべきではないとは思いませんか? だとすれば、もし私がまったくの出鱈目な発言をしていたら、彼らが黙っているはずがないとは思いませんか?


ご自身の解釈が正しいという前提で私の投稿を読んでいませんか?
ご自身の解釈が間違っているかもしれないとは思われませんか? 間違っているとしたらどこが間違っているのか? そういうふうに考えながら読まれていますか?

木の聖霊による樹上モデルとか、太陽神が偉いから地動説モデルが正しいとか、こんな仮説がどうして基準2をクリアするのか? いったい基準2の「基準」とは何なのか? [>>313]や[>>361]で挙げた具体例のうち、OK例に共通していて、NG例にはないものはいったい何なのか?
そういうふうに考えながら、場合によっては以前のコメントを読み返しながら、読まれていますか?

diamonds8888x様からも指摘されていましたよね。「まずは基準を受け入れてみたらどうよ」と。Ken様は「受け入れていますよ」と答えていらっしゃいましたが、結局はご自分の解釈に従って基準を見ていただけではないですか? 受け入れるとは、基準の解釈を受け入れることですよ。基準の解釈が分からないなら、まずはご自分の解釈と何が違うのか、どこが違うのか、真剣に考えてみることですよ。

私の前回の投稿が5月14日の18:11です。Ken様が何時に私の投稿に気付かれたのか存じませんが、3時間後の21:20にコメントされています。しっかり考えながら読んで頂けているなら、私の投稿から僅か3時間でコメントができるはずがありません。最低でも2〜3日はかかるはずです。

これも、以前にdiamonds8888x様から指摘されていましたよね。回答が早すぎると。もっとじっくり考えて、内容を推敲してからコメントするようにと。


基準2とは何だと思いますか? どう解釈すべきだと思いますか? よく考えてみてください。

【ヒント1】
Ken様の解釈は、どうも基準2と基準1、基準3、さらには正しい科学と間違っている科学とを見分ける基準までがごっちゃになっています。基準2を切り分けて考えてみてください。


【ヒント2】上の文章から再掲
[>>313]や[>>361]で挙げた具体例のうち、OK例に共通していて、NG例にはないものはいったい何なのか?


【ヒント3】[>>359]より再掲
入力された値を以下の基準でチェックして、基準をクリアすれば「OK」、クリアしなければ「NG」と出力するプログラムを考えます。
 基準1:入力された値は偶数でなければいけない
 基準3:入力された値は10以上でなければいけない
 基準2:入力された値は数値でなければいけない

本来の基準2の趣旨からすると、このプログラム例の基準2は、「値が入力されなければいけない」になるのかもしれません。




**************
 >>具体例を挙げて説明するという、今の議論のやり方では永遠に平行線をたどるでしょう。
 >具体例のない科学などありえません。

まったく答えになっていません。よく読んでください。
 >具体例のない科学などありえません。
だから
 >>Ken様はどうしたら良いと思われますか?
と質問しているでしょう?




他にいくつか質問されている内容がありますが、まずは以上とします。以上が今、何よりも重要なポイントだと私は考えていますから。

369Ken:2023/05/19(金) 00:24:58 ID:vBaeMFMg
>>368

>>Ken様はどうしたら良いと思われますか?
>と質問しているでしょう?

具体論をして解答を得られない場合は、具体論を諦めるのではなく、具体論をさらに徹底するべきです。科学とは現実事象を扱うものであり、徹頭徹尾、具体論の世界です。

私が回答にいたるまでの時間は、あなたが口を出すことではありません。合意した1週間ルールがあるのだから、それを守れっておればよいのです。

>もし私がまったくの出鱈目な発言をしていたら、彼らが黙っているはずがないとは思いませんか?

それを私に言ってどうするのですか? スレッドの第三者があなたの意見を支持しようが、出鱈目と考えようが、私に何の関係がありますか。もしも、ご自身の考えが世間で支持されてることを示したいのでしたら、私がアジモフやファインマンやドーキンスの文章を紹介したように、実名を出して、広く読まれる文章を発表してる例を持ってくるべきです。

>基準2を切り分けて考えてみてください。

むろんです。基準2とはストーリーがないという意味ですよね。前提はそれでよいのです。ただ。私は、あなたの考えがどれほど普遍的なものかが気になったので、1つの質問として、木の聖霊をストーリーにする人が、あなたの他にいるのですか、と尋ねました。あなたが特殊例ではないのなら、同様のストーリーをもって基準をクリアしたという人の存在を示せばよいのではないでしょうか。

基準を提示するのは以前はdiamonds8888xさんであり、今はあなたです。私は、提示された基準を受けて、基準が正しいならどういうことになるのか、という視点で問いかけますから、当然ながら、前提は提示された基準です。基準を受け入れるとは、基準を前提に議論するという意味であり、基準を無批判に信じ込むことではありません。

あなたは基準を提示されたのだから、今は私が問いかけ、あなたが問いかけに答えるステップにあります。提示される基準を私が正しく解釈してないと思われるなら、解決へいたる道は、私の具体的な質問に、具体的に回答されることです。

いくつもの視点で質問をしてますが、まず、最も基本的な問題として、「対立説の否定をしてるだけ」という批判は、物証がないことを意味するのか、それともストーリーがないことを意味するのか、を尋ねてます。そのために>>367で具体的な質問を2つ挙げましたので、これへの回答をお願いします。ご自身の考えが正しいと思われるなら、どちらも容易に答えられるはずです。

370Ken:2023/05/19(金) 20:01:44 ID:vBaeMFMg
基準2を簡潔にまとめましょう。

—-------------------------------------------------------------------------------------------
* 自説の根拠を示さず、対立説の否定をするだけの仮説は疑似科学である
* 根拠を示さないとは、物証ではなく、ストーリーがないことを意味する
* ストーリーといっても、木の聖霊のような、何の観測事実もないストーリーでよい
* それすらもない仮説が、基準2違反である
—-------------------------------------------------------------------------------------------

↑ こういうことですよね。

あなたのそのような主張が、世でどれだけ共有されてるのか、というのが、私の最初の問いかけなのです。基準自体の妥当性を論じるのは、その次です。

>>302
>科学に関する真っ当な議論をしようとする誰もが受け入れるべき「基準」です。

そうであるなら、必ずその根拠となる主張が、広く知られた形で存在するはずです。書籍でもネット記事でもよいので、そういう基準があるという文章を提示してください、と言ってます。

困ったことに、あなたの主張に同意する人がいる根拠として、あなたは本スレッド内の投稿しか挙げてません。これでは普遍的な見解とはいえません。

しかも、あなたの考えに同意する投稿は、基準2とは上記のようなものであるとは言ってません。あなたの発言に反論がないことをもって、つまり沈黙が続くことをもって同意とみなしてるだけです。

本当の同意なら、明示的な言葉であるべきです。なにより、私が一連の質問を挙げたからには、もう沈黙ではとおりません。質問への回答があるべきです。これがないから、話が進まないのです。

あなたが第三者と意見を交わすのは自由ですから、必要なら相談して、結果をあなたの意見として提出されてはいかがですか。

ドーキンスの寄稿文が、上記のような基準2を示すと信じるなら、まずは、>>367の2つの質問に答えることから始めてください。

371Lurker:2023/05/19(金) 22:48:33 ID:???
368 ゲジゲジ 2023/05/18(木) 22:28:58 ID:621mgGK6
369 Ken 2023/05/19(金) 00:24:58 ID:vBaeMFMg

・・・

372ミケ:2023/05/24(水) 00:34:46 ID:???
神誰さんと類似した傾向ですね。
論点を発散させまくったり、へんなところに拘りまくって頑固だったり、勧められた参考文献は頑なに読まなかったり
相手の立場に立った親切な論点の進め方をそのように認識できなかったりするあたりも類似しているので
同じ名前の付く性質を持っているのかもしれません。

それはそうと、参考情報として。
鳥類の飛翔の進化における樹上モデルについては、>>307-308で触れていますが、爪の曲率など、【体の構造の統計データ(Kenさんの言うところの物証)】からこれが正しいと主張している人たちがいます。

地上モデルの人たちは、そのデータセットの信頼性や別の統計処理の結果から、その物証は無効だと主張していますが
少なくともKenさんの言うところの物証なしの説と言うわけではありません。

もちろん、地上説の人たちが、滑空したに違いないという思い込みに囚われている可能性は否定できませんが
少なくとも「滑空が自然だ」というだけが根拠ではないです。
(私個人は支持していませんが)

373ミケ:2023/05/25(木) 00:22:03 ID:???
>>372最後で間違えました。
× もちろん、地上説の人たちが、滑空したに違いないという思い込みに囚われている可能性は否定できませんが
○ もちろん、樹上説の人たちが、(以下略)

374ゲジゲジ:2023/05/25(木) 02:17:20 ID:LfHv6Y.U
改めて、Ken様のお考えが分かってきました。
では、やはり最も重要なのはこの一点ですね。


***** [>>351]より再掲 ******
色々と論点が拡散しそうになっていますから、最も重要な1点に絞りたいと思います。
「物証」の定義を教えてください。
同じ質問をもう少し突っ込んで言うと、「物証」と「物証ではない根拠・証拠」とを判別する基準を教えてください。
********************

これまでのKen様のコメントからポイントを抜粋すると・・・

[>>349]
 >>科学の仮説において「evidence」が「物証」でなければならない理由をお答えください。
 >科学理論の価値を決するのは、現実の観測だからです。
 >手間とコストをかけて実験を行う理由はそこにあるのでは?

[>>346]
 >統計的なデータとは物証を集めて整理したものです。
 >統計解析なしで物証だけ提示することはあっても、物証なしで統計解析をすることはありません。
 >要するに統計解析とは「物証がありますよ」という主張にほかなりません。

[>>358]
 >>「物証」とは、「『物証そのもの』と『物証そのものを整理して得られたデータ』のうち『信頼性』が高いもの」という定義なのですか?
 >違います。統計解析の特徴は、そこに人の解釈が入らない、という点にあります。

以上を纏めると、
物証とは現実の観測、および現実の観測データを集めて整理したもののうちでその過程に人の解釈が入らないものである
ということですか・・・

しかし統計データは人の解釈が入ると思いますよ。

[>>358]
 >P社のワクチンが有効でない確率は5%以下 → P社のワクチンは有効
 >(略)
 >しかし「5%以下」という有意性は、観測されるデータと確立された計算過程で
 >必ず導かれることなのです。そこに人の解釈は入りません。
 >ですから、現物の観測つまり物証と同じことだと言ってます。

例えばワクチン接種の翌日にコロナに罹った患者がいたとします。これはワクチンが有効ではなかった1例にカウントするのでしょうか? それとも翌日ではまだワクチンの効果が出ていないと考えてカウントしないのでしょうか?
接種の2日後だったらどうでしょうか? 3日後、4日後、あるいは1週間後だったら?

また、ワクチンの副反応について、接種後に37度の発熱があった人と40度の発熱があった人とで、どちらも副反応1件なのでしょうか? 重度に応じてカウント方法を変えたりはしないのでしょうか? 変えるならどのように変えるのでしょうか?
ワクチン接種後に交通事故で亡くなった人は重篤な副反応にカウントするのでしょうか? ワクチンのために意識が朦朧として注意力が散漫になり、それで交通事故に遭った可能性もあります。


つまり統計データとは、計算過程に人の解釈は入りようがありませんが、統計にかける前のデータを抽出する段階で人の解釈が入ります。
また、例えば平均値をとるのか中央値をとるのかといった、どの統計手法を用いるか、にも人の解釈が入り得るでしょう。


もし人の解釈が入っても物証だというのなら、コペルニクスの地動説モデルも鳥の樹上モデルも物証になるはずです。


ついでに[>>263]
 >走行モデル:根拠は化石から分かる体構造
 >(略)
 >となります。要するに物証があるのは走行モデルだが、(略)

化石から分かる体構造を見て、地上を走行していた、もしくは地上を走行していた恐竜と同じだ、という判断は人の解釈によるものですよ。



[>>363]
 >シンプル以前の問題です。16世紀の地動説は天動説が説明できる事象を説明できてないのです。
 >(略)

ここで語られているのは地動説を否定する物証ではありませんか?
それはそれとして、太陽中心モデルが単純であることは地動説を肯定する物証になるのではありませんか?
つまり当時の知見として、地動説を肯定する物証と否定する物証との両方が存在していた、ということではありませんか?


以上を踏まえて改めて質問します。
物証とはなんですか?

375Ken:2023/05/25(木) 21:08:20 ID:vBaeMFMg
>物証とはなんですか?

2つの具体例を挙げれば十分です。

物証でない例で最も分かりやすいのは木の聖霊です。誰もあると思わない聖霊を根拠にしても、仮説は基準2違反でなくなるのですよね。

物証である例として、私たちの間に合意があるのが、ドーキンスがいうcinematic recordです。

だから、はやく質問に答えてください。すべて容易に答えられるはずです。

(1)木の聖霊のような、誰もあると思わないものを根拠にしても基準2違反でなくなるという主張は世のどこにあるのか

(2)ドーキンスはevidenceの具体例にcinematic recordしか挙げてないのに、なぜ物証ではないという結論になるのか

(3)「物証」が科学雑誌を埋めるとは、「物証の報告」が科学雑誌を埋めることではないのなら、いったいどういう意味か

376ゲジゲジ:2023/05/25(木) 22:19:58 ID:LfHv6Y.U
 >>物証とはなんですか?
 >2つの具体例を挙げれば十分です。

不十分です。

 >だから、はやく質問に答えてください。すべて容易に答えられるはずです。

物証がなんだか分からないので答えようがありません。

で、改めて質問します。
物証とはなんですか?

377ゲジゲジ:2023/05/25(木) 22:48:33 ID:LfHv6Y.U
【Lurker様、ミケ様】

コメントありがとうございます。
また、お返事が遅くなりすみません。

Ken様との議論はなかなかストレスになりますが(今さらながらdiamonds8888x様の気苦労が身に染みて分かります)、他の方からコメントを頂けるとホッとします。

 [>>372]
 >それはそうと、参考情報として。
 >(略)

その件は存じ上げてはおりますが、取り敢えずはKen様自身が述べられた内容(力学的合理性)が樹上説の根拠になり得る、ということを理解して頂きたいので、敢えて出しておりません。
また、別の例を挙げれば挙げるほど、独特の解釈をされて余計な論点を増やすことにもなりかねませんので・・・


また、厚かましいながら、一点お願いがあります。

私自身ははっきり言って科学の素人です。子どもの頃に恐竜をはじめとした古生物に興味を持って、そこから進化論や生物学をある程度は探求しましたが、しっかり学んだわけではありません。物理学や天文学はまったく疎いです。

ですので、もし私が間違った発言をしたら、そこはご指摘を頂きたいのです。尤も、説明の都合上で敢えてやや不正確な言い回し等はすると思います。しかし明らかな間違いがあれば、そこは指摘をお願いします。

素人だからこそ、単純に考えることができると思ってはいます。失礼ながらdiamonds8888x様は知識があるだけにKen様に引きずられて、最先端の科学者たちの間でも見解が分かれるような論点に拡散しました。私はそうならないように注意はしているのですが、なかなか難しいです。

378Ken:2023/05/25(木) 23:02:17 ID:vBaeMFMg
私の関心は、あなたと私が挙げた具体例が、この場合は木の聖霊とドーキンスのcinematic recordが、疑似科学の判定にどう関わるかを明らかにすることです。

木の聖霊が物証ではなく、cinematic recordが物証という合意があるなら、一般的な物証の定義がなくても、私の質問に回答可能です。ご自身の定義でよいのですから。

もし、この2つが物証かそうでないかで、意見の相違があるなら、そこで物証の一般定義が問題になります。

どうしても一般定義が気になるなら>>304でご自身が言われたことが参考になるでしょう。

>仮説の検証や根拠は、具体的な物証や観察事実でなければならないと思われているようです。しかしそんなことはありません。

たとえば、私は>>259で、フーコーの振子と、ケプラー理論との一致は証拠になるが、地動説がシンプルというだけではならないと述べました。>>304の発言はそれを受けたものではないのですか? つまり、物証とはなにかという具体イメージがあったのです。そのとおりの理解でよいではありませんか。

379Ken:2023/05/26(金) 01:45:09 ID:vBaeMFMg
捕捉します。

>>304の発言を見る限り、物証の定義で問題になるような相違が、私たちの間にあるとは思えません。>>259>>263での私の発言から、物証でなければ証拠にならないと私が考えてると思われたわけですよね。そこには、たとえばフーコーの振子と、ケプラー理論との一致は物証だが、地動説のシンプルさは物証ではない、という前提があるはずです。その点に異存はありません。

物証ではない、地動説のシンプルさが、つまり「ストーリー」です。この点も異存はありません。

これだけの合意があれば、基準2を論じることができます。統計データが物証であるかなどは、本論に影響しない些末事です。

問題は、対立説を否定するだけという基準2違反が、物証がないことを意味するのか、それともストーリーがないことを意味するのか、という点にあります。しかも、おっしゃるところのストーリーは、木の聖霊のように、観測事実もなければ既知の理論からも演繹できないことを根拠にしてもよいと、言われているのです。

私の最初の問題提議は、そんなものが本当に誰もが受け入れるべき基準と、世で見なされてるのか、ということです。だから(1)〜(3)の質問をしました。

ドーキンスの文章は、IDは進化論を批判するだけで、自説の根拠を示さないという、まさしく基準2が問題にする点を指摘します。しかし、IDに求める根拠としてcinematic recordしか挙げてません。cinematic recordが物証なら、基準2違反とは、あくまでも物証がないという意味に読めるのです。ですが、あなたはドーキンスが言ってるのは物証ではないと言われます。ここに矛盾があると思われるので、(2)と(3)の質問をしました。

さらに、聖霊を根拠にするだけで根拠であり、対立説の否定だけと批判されることはない、という主張も見たことがありません。ですから、そういう例が世にあるなら、例を挙げてくださいというのが(1)です。

冒頭で述べたように、物証とはなにかについて、私たちができている合意があれば、十分に3つの質問に回答可能です。

380ミケ:2023/05/27(土) 17:51:53 ID:9/qn5aAA
ゲジゲジさんへ

>Ken様との議論はなかなかストレスになりますが(今さらながらdiamonds8888x様の気苦労が身に染みて分かります)、他の方からコメントを頂けるとホッとします。

先に触れましたが彼は「別の彼」と似たような感じだと私は思っていて、
コミュニケーションが困難だと感じておりますからストレスはお察しします。

こういうレベルですと、彼の議論から悪影響を受けるような人はおそらくほとんどおらず、
したがって、ここでの彼相手にレスするのは所詮、彼ひとりのために過ぎないのですから、
あまりにストレスでしたら見捨ててリタイアするのも一つの選択肢かと思いますよ。


>ですので、もし私が間違った発言をしたら、そこはご指摘を頂きたいのです。
>尤も、説明の都合上で敢えてやや不正確な言い回し等はすると思います。しかし明らかな間違いがあれば、そこは指摘をお願いします。

気が付けばなるべくそうしたいです……。
見落としたり遅くなったりすることもありますがご容赦ください。

ところで

地動説に関して。
そもそも「科学(自然科学)」が現在の形で成立したのは、17世紀以降、
ガリレオが完成の法則を実験・検証したとかそういう話が出て以降のこと。
(まあそれは、「振り返ってみれば」で当時そう自覚していたわけではないでしょうが)

つまり、それ以前の
16世紀とかの地動説やらなにやらが科学にあてはまってないという指摘は、
実際現在の科学に当てはまっていないかもしれません。
だって自然科学が今の自然科学として成立する前だから。
よって、「だからどうした」という話でしかありません。

このあたり、
Kenさんの口車に乗って
「当時の地動説」を無理に科学側にあてはめないほうが良いかと思います。

ってか、彼自身、
16世紀以降とか以前とか自分で言ってて気づかないんでしょうかね?

いくら「他の話でも『科学の基準』が当てはまるのか」つっても、
200年も300年も昔の、
科学が成立するかしないかの時代の話を持ち出して、
「ほら、科学じゃないじゃないか」
などという的外れなイチャモン攻撃をしているって。

381ミケ:2023/05/27(土) 18:00:27 ID:???
>>380
完成の法則→慣性の法則
200年も300年も昔→300年も400年も昔
でした。

382ゲジゲジ:2023/05/27(土) 23:13:32 ID:LfHv6Y.U
まず一点、謝ります。
よくよく考えてみたら、以下の質問は物証の定義が分からなくても答えられますね。
申し訳ありません。[>>376]は撤回します。

*** 以下[>>375]から引用 *********
(1)木の聖霊のような、誰もあると思わないものを根拠にしても基準2違反でなくなるという主張は世のどこにあるのか

(2)ドーキンスはevidenceの具体例にcinematic recordしか挙げてないのに、なぜ物証ではないという結論になるのか

(3)「物証」が科学雑誌を埋めるとは、「物証の報告」が科学雑誌を埋めることではないのなら、いったいどういう意味か
**********************

(1)
当たり前の事ですから、敢えて主張する人などまずいません。私もKen様が相手でなければ、わざわざこんな事は主張しません。

(2)
evidenceの具体例にcinematic recordしか挙げていないからといって、evidenceがcinematic recordだけとは限らないからです。

(3)
「物証(物)」その物が科学雑誌を埋めるはずがないという、そのままの意味です。例えば化石が科学雑誌のページに接着剤で貼り付けられて提出されるなんていう事はない、という意味です。



(1)について補足します。

 >おっしゃるところのストーリーは、木の聖霊のように、
 >観測事実もなければ既知の理論からも演繹できないことを根拠にしてもよいと、
 >言われているのです。

少なくとも「木の聖霊による鳥の樹上モデル説」を提唱する本人は、木の聖霊の観測事実があると思っているし、木の聖霊が樹上生物を高所に誘うという既知の理論があると思っているのですよ。そうでなければ、木の聖霊説は提唱できないでしょう? だから観測事実と既知の理論からの演繹です。

問題は本当にそんな観測事実や既知の理論があるのか、という事ですが、それは提唱された後に基準1と基準3によって判定される事ですよ。まずは聖霊だろうが太陽神アポロと地上神ガイアだろうが、言わなければ判定できない、という事ですよ。

[>>359]でプログラムの喩えを出しましたよね。

****** 以下再掲 **********
 基準1:入力された値は偶数でなければいけない
 基準3:入力された値は10以上でなければいけない
 基準2:入力された値は数値でなければいけない
本来の基準2の趣旨からすると、このプログラム例の基準2は、「値が入力されなければいけない」になるのかもしれません。
********************

ストーリーを言わないという事は、判定するデータが入力されないのだから、プログラムが動きようがありません。

Ken様も仰っていましたよね。
[>>363]
 >それこそ基準2は不要ではないですか。
 >入力値が偶数とか10以上とかチェックするには、その変数は数値型でないと、
 >1も3もプロセスがはじめから走りませんよ。

その通りで、基準2は当たり前の事だから、普通は敢えて主張する必要などありません。だから普通は誰も主張しません。

但し、データを入力せずにプログラムを走らせようとする人(=ストーリーを言わずに仮説の正しさを主張する人)がいる場合は別です。Ken様はID論のストーリーを仰いませんでした。だからKen様に対しては基準2を説明する必要があったのです。




(2)について補足します。というよりKen様のお考えが分からないので逆に伺いたい事があります。

Ken様は統計データを物証だと仰いました。しかし統計データは映像記録ではないですよね。もしevidenceがcinematic recordの事だとすれば、統計データはevidenceにはならないのではないですか? あるいは、「evidenceではない物証」という事ですか?

それにevidenceがcinematic recordなら、進化論にもevidenceはない事になりますよ。生物が進化する様子を記録した映像などありませんから。ドーキンスは創造論にはevidence ( = cinematic record ) を求めていて、進化論にはevidence ( = cinematic record ) は無くてもよいと、そういうダブルスタンダードを主張しているのでしょうか?

Ken様のお考えは以下のうちのどちらですか?
私の考えはBだという事です。

A:
evidenceはcinematic recordである。統計データはevidenceではないし、ドーキンスは創造論にも進化論にもevidenceはないと主張している。

B:
evidenceはcinematic recordだけではない。統計データはevidenceになり得るし、ドーキンスは進化論にはevidenceがあるが創造論にはevidenceがないと主張している。

383Ken:2023/05/28(日) 11:16:07 ID:vBaeMFMg
>当たり前の事ですから、敢えて主張する人などまずいません。

それは強弁です。対立説を否定してるだけとは、物証ではなくストーリーがない意味という解釈を、誰もが当たり前に支持するから口にしないのか、誰も支持しないから口にしないのか、どうやって判別しますか? この回答は問答無用で議論を断ち切ってます。

ひとつ指摘しますが、あなたのその見解に本スレッドで反論がないことを、自分が支持されてる証拠に挙げられましたが(>>368)、それをいうなら、私が>>259〜>.263で、基準2違反とは物証がない意味という前提で論を立ててから、あなたが>>294で「目からウロコかもしれませんよ」と発言するまで、約3か月、私の基準2解釈に異を唱えた人はいません。その間、>>264での「鳥の先祖が樹上生活をしてた物証はある」のように、異論を唱えた人はいるから、私の投稿がまったく読まれなかったわけではありません。

特定のネット掲示板の多数意見が世の多数意見である保証などどこにもありませんが、ご自身の論の立て方に照らしても、おかしいではありませんか。

とにかく、文責の所在が明らかで、広く読まれる文章の提示が不可欠です。

>「木の聖霊による鳥の樹上モデル説」を提唱する本人は、木の聖霊の観測事実があると思っている

ということは、聖霊も物証がある例に含まれるから、>>304で言われた、具体的な物証や観察事実ではない根拠、とは異なるのですか?

しかし、わざわざ>>304の発言があったのだから、具体的な物証や観察事実ではない根拠があるのですよね。その実例はなんでしょうか?

>evidenceの具体例にcinematic recordしか挙げていないからといって、evidenceがcinematic recordだけとは限らないからです。

ですからドーキンスの文章のどこに物証ではないevidenceが含まれるのでしょうか? >>367にて、

>ここでドーキンスが言っている「evidence」は「物証」ではありませんが。

と言われましたが、「ここでドーキンスが言っている」物証ではないevidenceを教えてください。

>例えば化石が科学雑誌のページに接着剤で貼り付けられて提出されるなんていう事はない、という意味です。

驚きました。そんな解釈をされるとは。

ドーキンスは、IDの文献には、化石が接着剤で貼ってあるべきで、それがないから疑似科学と主張したのですか? それでは進化論のあらゆる文献が疑似科学になりますね。

>Ken様はID論のストーリーを仰いませんでした。

それは、この次の論点です。

>私の考えはBだという事です。

同意します。

要するにIDと天地創造論を区別できない(もしくはできないふりをしてる)ドーキンスにとって、IDの物証は、神の行為の記録映像しかありえない、ということです。

ですが、私が>>275で述べたように、実行者が残した記録、過去の生物のDNA、去勢処置の痕跡等がIDの物証になりえます。

根拠は物証であるべきというドーキンスの考えは正しいです。物証を記録映像に限定したのが彼の誤りです。誤りというより、なにがなんでも「ID=天地創造論」にしたいがための誤魔化しだと私は思ってます。

384名無しさん:2023/05/29(月) 02:28:59 ID:???
特定の人以外からの指摘は無視すると宣言している方の自説に対して第三者からツッコミが入っていないことは自説を補強する根拠にならないでしょう

385ゲジゲジ:2023/06/03(土) 23:38:20 ID:o8jJPDc.
 >誰もが当たり前に支持するから口にしないのか、誰も支持しないから口にしないのか、
 >どうやって判別しますか?
論理的妥当性があるかどうかで判別します。
⇒[>>386]


 >この回答は問答無用で議論を断ち切ってます。
問答無用なくらいに当たり前のことです。そもそも議論になるようなことでさえありません。
⇒[>>386]


 >とにかく、文責の所在が明らかで、広く読まれる文章の提示が不可欠です。
そんなものは恐らくあり得ないし、必要ないと申し上げています。
⇒ 必要ない理由[>>386]


 >聖霊も物証がある例に含まれるから、(略)具体的な物証や観察事実ではない根拠、とは異なるのですか?

そういえばそうですね。提唱者本人は物証や観察事実があると思っているのだから、「具体的な物証や観察事実ではない根拠」とは異なりますね。そもそも物証や観察事実があろうとなかろうと、基準2には関係ないので、今の議論にはどうでもいい話のはずなのです。
⇒ 関係ない、どうでもいい理由[>>386]


 >わざわざ>>304の発言があったのだから、具体的な物証や観察事実ではない根拠があるのですよね。その実例はなんでしょうか?

[>>304]で述べている、そのままですよ。以下が根拠だと申し上げています。
 ・コペルニクスの地動説 → モデルが単純なこと
 ・光の粒子説 → 光波動説の否定(基準2の例外で疑似科学にならない[>>330]参照)
 ・光の波動説 → 光粒子説の否定(基準2の例外で疑似科学にならない[>>330]参照)
 ・鳥の進化の樹上モデル → 力学的な合理性
 ・鳥の進化の駆け上がりモデル → 力学的な合理性
 ・鳥の進化の飛びかかりモデル → 力学的な合理性


ドーキンスの寄稿文に対するKen様の解釈は理解しました。
この寄稿文について議論するのは、少なくとも一旦はやめておいた方が良さそうですね。私の解釈とはいくつかの点で異なっているので、議論しようとすると複数の論点が派生します。そしてそれらの論点は、本来の基準2の議論からするとほとんど余談です。

一応、質問にだけ答えておきます。

 >ですからドーキンスの文章のどこに物証ではないevidenceが含まれるのでしょうか? >>367にて、
 >と言われましたが、「ここでドーキンスが言っている」物証ではないevidenceを教えてください。

12段落目の「equivalent evidential demand」を除く、文中に含まれる全ての「evidence」です。

==== 英英辞典より再掲(再々掲)======
evidence
facts or signs that show clearly that something exists or is true

どこにも「evidence」は物証「physical evidence」のことに限定する、などとは書かれていません。
12段落目の「equivalent evidential demand」だけは、Ken様が仰る通り「cinematic record」のことだと述べられていますから物証です。


 >ドーキンスは、IDの文献には、化石が接着剤で貼ってあるべきで、
 >それがないから疑似科学と主張したのですか?
 >それでは進化論のあらゆる文献が疑似科学になりますね。

「evidence」を「物証」と解釈するとそういうことになってしまうから、「evidence」は「物証」と解釈すべきではない、と申し上げています。

386ゲジゲジ:2023/06/03(土) 23:41:46 ID:o8jJPDc.
さて、冷静に考えてみてください。以下のような論法が通用すると思いますか?


A1:
富士山は世界一高い山ではない。よって高尾山が世界一高い山である。
A2:
高尾山は世界一高い山である。なぜならば、富士山は世界一高い山ではないからだ。
A3:
高尾山が世界一高い山であることを示す証拠はない。だから高尾山が世界一高い山であるという理由は、富士山が世界一高い山ではないという、それしかないのである。


B1:
富士山は世界一高い山ではない。よってエベレストが世界一高い山である。
B2:
エベレストは世界一高い山である。なぜならば、富士山は世界一高い山ではないからだ。
B3:
エベレストが世界一高い山であることを示す証拠を私は知らない。だからエベレストが世界一高い山であるという理由は、富士山が世界一高い山ではないという、それしかないのである。


C1:
ゾウは世界一大きな動物ではない。よってキリンが世界一大きい動物である。
C2:
キリンは世界一大きな動物である。なぜならば、ゾウは世界一大きな動物ではないからだ。
C3:
キリンが世界一大きな動物であることを示す証拠はない。だからキリンが世界一大きな動物であるという理由は、ゾウが世界一大きな動物ではないという、それしかないのである。


D1:
ゾウは世界一大きな動物ではない。よってシロナガスクジラが世界一大きい動物である。
D2:
シロナガスクジラは世界一大きな動物である。なぜならば、ゾウは世界一大きな動物ではないからだ。
D3:
シロナガスクジラが世界一大きな動物であることを示す証拠を私は知らない。だからシロナガスクジラが世界一大きな動物であるという理由は、ゾウが世界一大きな動物ではないという、それしかないのである。


E1:
世界は私が創ったわけではない。よって世界は神様が創った。
E2:
世界は神様が創った。なぜならば、私が世界を創ったのではないからだ。
E3:
世界を神様が創ったことを示す証拠はない。だから世界は神様が創ったという理由は、私が世界を創ったのではないという、それしかないのである。


高尾山とキリンは出鱈目。エベレストとシロナガスクジラは私たちの現在の知見からすると事実です。神様については不明です。しかし事実かどうか、結論が正しいかどうかは関係ありません。こんな論法が通用するのか、ということです。

こんな論法は通用しない、こんな論法はダメだ、というのが基準2です。ただそれだけです。
こんな当たり前のことに反論する人がいると思われますか? いや、そもそも反論することが可能ですか? 少なくとも普通に論理的思考力のある人だったら、異を唱えることなどできないぐらいに当たり前ではないですか?

387ゲジゲジ:2023/06/03(土) 23:42:23 ID:o8jJPDc.
さて、Ken様はこのように仰っていました。

*** [>>249]より引用 **********
総括とは、提示された「科学と疑似科学を判別する基準」が、本当に基準となりうるのかです。ただし、最初に明らかにしておく点があります。

私は、diamonds8888xさんが提示される基準を検証するに際して、それらの基準は正しいという前提に立ってきました。基準自体に反論はせず、その基準から出発すると、具体的にどういう自然科学理論が「疑似科学」と判定されるのかを明らかにするためです。その目的は、もうお分かりと思います。

提示される基準が、本当は正しい科学理論を疑似科学と誤判定することはないのか。それを確認するため、近代以降の科学史で広く受け入れられた理論が、基準で「正しい科学」と判定されるのかを明らかにしようとしました。「熱力学第2法則」や「光の正体論争」は、その検証例に挙げたものです。
**** 引用ココまで ***********

*** [>>369]より引用 **********
基準を提示するのは以前はdiamonds8888xさんであり、今はあなたです。私は、提示された基準を受けて、基準が正しいならどういうことになるのか、という視点で問いかけますから、当然ながら、前提は提示された基準です。基準を受け入れるとは、基準を前提に議論するという意味であり、基準を無批判に信じ込むことではありません。
**** 引用ココまで ***********


まずは私が述べている基準2から出発すると、正しい科学理論を疑似科学と誤判定してしまうことがあるのかどうかを確認されたら如何でしょう?
そして、どんな理論が疑似科学判定されるのかは既に何度も述べています。Ken様が旧掲示板で語られていたID論が疑似科学判定されます。

よくよく考えてみれば、「物証がなければならない」というのは、Ken様が提示された、私やdiamonds8888x様が提示した基準2とは別の基準です。仮に「基準5」としましょうか。気が付いたらいつの間にか、基準2の議論と基準5の議論とが入り混じって同時並行で進んでいたのです。

まずは基準2を片付けましょう。
正しい科学を疑似科学と誤判定しないことに納得を頂けたなら、基準2の議論は終わりのはずです。

388名無しさん:2023/06/04(日) 11:47:26 ID:???
>そんなものは恐らくあり得ないし、必要ないと申し上げています。

結局、ご自身の基準2解釈を裏付ける文章は、世に存在しないのですね。でも、否定する文章は存在しますよ。

ドーキンスは「創造論者は進化論の問題点を挙げてるだけではないか。神の行為の記録映像を出せ」と言ってるのだから、基準2のクリアに必要なのは物証という主張になってます。物証ならぬストーリーでもよいのなら、それこそ創世記があるではありませんか。

>この寄稿文について議論するのは、少なくとも一旦はやめておいた方が良さそうですね。

やめてはいけません。これを説明しないとあなたの基準2解釈が成立しません。辞書をひいてevidenceの抽象的説明をやるのではなく、上記の具体論に具体論で応じてください。

>>360 より
>ストーリーとは、何らかの根拠(観察事象や既知の理論)に基づいて仮説を導いた思考のプロセスです。ストーリーには必ず、根拠となった事象や理論があるはずなのです。

>>385より
>物証や観察事実があろうとなかろうと、基準2には関係ないので、今の議論にはどうでもいい話のはずなのです。

???結局、物証/観察事象は必要なのですか? 不要なのですか?

それとも「既知の理論」があればよいのでしょうか。そうなると、

>Ken様が旧掲示板で語られていたID論が疑似科学判定されます。

私は、ことの初めから、IDとは人類が実行してきた品種改良と同じと述べてます。品種改良は、まさしく既知の理論に該当します。よく知られた理論だからこそ、私が挙げた、記録、DNA、去勢の痕跡のような、探し求める物証をイメージできるのです。でも、同じことが聖霊にいえますか?

品種改良と聖霊と、合理的なストーリーになってるのは、どちらでしょうね。

389Ken:2023/06/04(日) 11:48:56 ID:vBaeMFMg
すみません。>>388は私の投稿です。
ハンドル名の入力位置を誤りました。

390Ken:2023/06/04(日) 18:02:19 ID:vBaeMFMg
結局、

>冷静に考えてみてください。以下のような論法が通用すると思いますか?
>こんな論法は通用しない、こんな論法はダメだ、というのが基準2です。

そこにこだわるから、話が噛み合わないのです。なにも私は、A〜Eで挙げられた論法が通用するとはいってません。しかし「対立説を否定してるだけ」という批判は、あなたが言い出したものではないのです。あなたやdiamonds8888xさんが本スレッドで提示する前から、創造論を含む、一部の理論に向けられてきた批判ですから、独自の解釈をするのではなく、世間で行われる解釈に従うべきです。

もしご自身の解釈が世間で通用するものと思うなら、広く読まれる文章を提示せねばなりません。

私は、世間で言われる「対立説を否定してるだけ」とは、自説に物証がない意味と解してますし、その証として、ドーキンスの寄稿文を紹介しました。それに対して、ご自身の解釈に合理性があると、A〜Eのような例を挙げて、いくら言われても、論点がずれてしまいます。あなたが今やるべきことは、広く読まれる文章を示して、ご自身の解釈が世間の解釈と一致してると示すことです。

391ゲジゲジ:2023/06/11(日) 21:52:38 ID:qEPpJNQ2
ちょっとまた忙しくなっていて申し訳ありません。
これからどういう順序で「本題」の議論を進めたらよいか考えながら、何とか時間の合間を見て以下の「前置き」を書いたのですが、そこで力尽きました。
本題はしばらくお待ちください。
前置きについてご意見を頂いても構いません。どこまで回答できるか分かりませんが・・・


【前置き1】

 >もしご自身の解釈が世間で通用するものと思うなら、広く読まれる文章を提示せねばなりません。
同意しません。


 >私は、世間で言われる「対立説を否定してるだけ」とは、
 >自説に物証がない意味と解してますし、その証として、ドーキンスの寄稿文を紹介しました。
 >(略)
 >あなたが今やるべきことは、広く読まれる文章を示して、
 >ご自身の解釈が世間の解釈と一致してると示すことです。

私は、世間で言われる「対立説を否定してるだけ」とは、自説に「根拠」がない意味と解してますし、その証として、Ken様が紹介したドーキンスの寄稿文があると申し上げています。
ドーキンスの寄稿文が正に、私の解釈が世間の解釈と一致していると示す、広く読まれる文章であると主張しています。


要するにドーキンスの文章に対する解釈が違うのです。
また、私たちの解釈が異なる文章は他にもありました。


余談だったので流していますが、私が「ストーリーがない」という理由で基準2違反になる例として挙げた創造論の文章があります。
⇒[>>326]
しかしこの文章をKen様は基準2に沿っていると解釈されました。
[>>329]
 >>後者はとにかく聖書に書かれている文字通りが正しいのだと主張しています。
 >では基準2に沿ってるではありませんか。


また、Ken様が述べられた以下の文章に対する解釈も異なっています。
Ken様[>>358]
 >私は、IDとは人類が行う品種改良と同じものであると、最初から言ってます。
 >それが私のストーリーです。
私[>>359]
 >それではストーリーになっていません。ID論の説明をしているだけではないですか。


従って、仮にドーキンス以外の世間で広く読まれる文章を提示したとしても、その文章に対する私たちの解釈が一致しない可能性が高いです。
すると議論は収束に向かうどころか、「新たな文章の解釈」という論点が増えるだけになります。


なぜ、いくつかの文章に対する私たちの解釈が異なるのか、その原因を追究する必要があります。
ただし、まずはその前に、基準2に関して合意ができている論点を片付けたいのです。

392ゲジゲジ:2023/06/11(日) 21:53:18 ID:qEPpJNQ2
【前置き2】

**** 以下[>>389]より引用 *****
>>360 より
>ストーリーとは、何らかの根拠(観察事象や既知の理論)に基づいて仮説を導いた思考のプロセスです。ストーリーには必ず、根拠となった事象や理論があるはずなのです。

>>385より
>物証や観察事実があろうとなかろうと、基準2には関係ないので、今の議論にはどうでもいい話のはずなのです。

???結局、物証/観察事象は必要なのですか? 不要なのですか?

それとも「既知の理論」があればよいのでしょうか。そうなると、

>Ken様が旧掲示板で語られていたID論が疑似科学判定されます。

私は、ことの初めから、IDとは人類が実行してきた品種改良と同じと述べてます。品種改良は、まさしく既知の理論に該当します。よく知られた理論だからこそ、私が挙げた、記録、DNA、去勢の痕跡のような、探し求める物証をイメージできるのです。でも、同じことが聖霊にいえますか?

品種改良と聖霊と、合理的なストーリーになってるのは、どちらでしょうね。
****************

曖昧な書き方をしてしまって申し訳ありません。
観察事象または既知の理論が必要です。
以下で述べた通りです。

**** [>>336]より再掲 *******
以前、Ken様ご自身がこう仰っていましたよね。
[>>252]
 >このように、観測事象から帰納するか、既知の理論から演繹するか、
 >少なくともどちらか一方を根拠に、仮説は提唱されるわけです。

今、論点になっているストーリーというのは、つまりは仮説に至る帰納なり演繹なりのプロセスです。
*********************

但し、提唱者が観察事象や既知の理論があると思っていればよく、本当にそのような観察事象や既知の理論があるかどうかは基準2には関係ありません。
なぜなら、本当にそのような観察事象や既知の理論があるかどうかは、基準2をクリアした後に基準3と1によって判定されることだからです。


 >私は、ことの初めから、IDとは人類が実行してきた品種改良と同じと述べてます。
 >品種改良は、まさしく既知の理論に該当します。(略)
 >探し求める物証をイメージできるのです。でも、同じことが聖霊にいえますか?

品種改良は既知の理論ですが、ストーリーになっていません。
探し求める物証をイメージできるかどうかは基準2には関係ありません。それが問題になるのは基準1ですから。

 >品種改良と聖霊と、合理的なストーリーになってるのは、どちらでしょうね。
もちろん、聖霊ですよ。
Ken様と私とではストーリーの合理性を判定する基準が異なるのです。

393Ken:2023/06/12(月) 21:23:16 ID:vBaeMFMg
>ドーキンスの文章に対する解釈が違うのです

それはそうでしょう。あなたは、evidenceとは「facts or signs that show clearly that something exists or is true」であり、factsやsignsは物証ではないから、evidenceも物証ではないと主張するのですよね。(>>348

でも、factsもsignsも、現実に観測されることでfactsやsignsと認められるのだから、物証です。それとも、化石を接着剤で文献に貼ってないと物証と認めないのですか?

結局、evidenceという抽象語を、factsやsignsという別の抽象語に置き換えて済ませるから合意ができないのです。必要なのは具体例です。

ドーキンスは記録映像を具体事例に挙げており、私たちの間で記録映像は物証という合意があるのだから、必要なのは物証という論旨だと合意ができます。もしevidenceが物証でない意味なら、ドーキンスは記録映像以外の、物証ではない何かを具体例にするはずではありませんか。

>品種改良は既知の理論ですが、ストーリーになっていません。

なぜですか? 人類が実行する品種改良は、その手法も効果も明らかで、どういう物証を探せばよいかも私は述べました。それこそがストーリーだと思いませんか?

あなたは「樹上モデルは合理的」を「樹上モデルの力学は合理的」に変えるだけでストーリーになると言われますが、「力学」だけでは熱力学のことなのか、流体力学なのか、材料力学なのか、はたまた量子力学なのか。それすらも不明で、どんな物証を探せばよいかも分かりません。品種改良のほうが、よほどストーリーとして具体的ではありませんか。具体的とは、検証ができるという意味です。

現存する生物の特徴を観察して過去の進化を想像することは、普通に行われます。私が>>274で紹介した、羽ばたきながら駆け上がる鳥の雛を見て、鳥の進化の駆け上がりモデルを提唱するのが1例です。これはストーリーと認めるのですよね。

では、現生人類の品種改良を見て、過去の地球で同じことが起こったと考えるのと、何が異なるのですか?

394GB:2023/06/13(火) 00:35:43 ID:tid4WkII
横からですが、一言だけ、失礼します。
「ID論は人為選択と同じ」についての、私なりの解釈を。

人為選択は人の意思によるというのは明快な事実ですが、
自然選択はデザイナーの意思によるというのはどうでしょう。「ストーリー」ありますか?

自然選択は様々な事実に基づいたストーリーというのは誰でも納得できますが、
デザイナー論の場合、そうしたものを持たないので、
それならば精霊の方が、論理的整合性に基づいたストーリーあり、と言っていいのかなと思います。

私の理解ではID論は自然神学の再興ですから、ストーリーもりもりです。
デザイナー論は、神を基盤にした論理展開にしか乗らない、と考えていますので、
いずれ別スレでそういう話ができればいいなと思います。

395Ken:2023/06/14(水) 23:43:21 ID:vBaeMFMg
結局、ドーキンスの文章の2人の解釈の違いをまとめると、

私は、evidenceの具体例が物証(記録映像)だけで、物証でない具体例はないから、evidenceとは物証を意味すると解します。

あなたは、挙げられた具体例が物証でも、evidenceが物証である証明にはならないし、物証でない具体例がなくても、そんなものは必要がないと言われます。

虚心坦懐に2つの主張を見比べてください。ご自身がものすごい強弁をされてるとは思いませんか?

実例を挙げる対立説には厳密な証明を要求しながら、実例のない自説は、その必要もないほど自明だと言われているのです。しかも「自明」のはずの自説を支持する、世の文章を1つも提示できません。

ドーキンスは、まさしくそのようなスタンスを批判してるのではないでしょうか。創造論者は進化論の欠けてる部分を指摘するだけで、自説の根拠は何もだせないではないか、と。

396ゲジゲジ:2023/06/20(火) 23:06:26 ID:NidQGNhQ
まず、私も勘違いしていたのですが、「ストーリーか物証か」は論点ではありません。
[>>339]の以下発言を撤回します。
 >今、論点は、「ストーリー」か「物証」か? になったと認識しています。


もう一度(何度目になるか分かりませんが)論点を整理しましょう。
そもそもの基準2は以下です。

基準2:理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。

さて、
==== 国語辞典より ======
検証:
実際に物事に当たって調べ、仮説などを証明すること。
実際に調べて証拠だてること。仮説を実証すること。
==================

つまり対立仮説の否定をしても、それだけでは自説が正しい証明にならないし、対立仮説の否定は自説が正しい証拠にはならない、という事です。

ひっくり返して言うと、自説が正しいとするためには、自説を肯定する証拠、自説を肯定する根拠が必要という事です。
基準2の命題そのものから論理的に導けるのはここまでです。
自説を肯定する証拠とは具体的に何か、根拠とは具体的に何か、というところまでは、基準2の命題そのものからは論理的に導けません。

仮に基準2が、「理論Aと対立する理論Bに物証がないことを指摘して理論Bを否定しても、理論Aの検証にはならない」だとしたら、理論Aを肯定する物証が必要という事になりますが・・・


そして次に「ストーリー」です。

[>>319]
 >別の道を否定するだけで、自分は何の道もたどらず結論にいたるのが基準2違反ですか。
 >言い換えれば、対立仮説の否定で済ませるのは、自説に物証がないからではなく、
 >自説にストーリーがないからですね。

[>>328]
 >つまり、基準違反になる「自説にストーリーがない」とは、
 >提唱者の脳内にストーリーがないという意味ではなく、
 >脳内のストーリーを言葉で十分に説明してない、という意味ですか?

**** 以下[>>336]より抜粋・一部誤字修正して再掲 *****
以前、Ken様ご自身がこう仰っていましたよね。
[>>252]
 >このように、観測事象から帰納するか、既知の理論から演繹するか、
 >少なくともどちらか一方を根拠に、仮説は提唱されるわけです。
今、論点になっているストーリーというのは、つまりは仮説に至る帰納なり演繹なりのプロセスです。

即ち、「ストーリー」とはより正確に言えば、何らかの根拠(観察事象や既知の理論)に基づいて仮説を導いた思考のプロセスです。従って「ストーリー」があるのであれば、必ずそこには根拠となった事象や理論があるはずなのです。そしてその根拠となった事象や理論は、仮説が提唱された後には、その仮説を裏付ける「evidence」の1つとなるはずです。

ストーリーがあるということは根拠があるということですし、根拠があるということは「evidence」があるということです。(略)

そもそもストーリーのない理論を発想することは不可能でしょうけれど、根拠のないストーリーもまた、発想することは不可能ではないでしょうか? 単に「こうだといいなぁと思うから」などと言ったところで科学的仮説にはなり得ないですよね?

【まとめ】
ストーリーとは、根拠に基づいて仮説を導く思考のプロセスである。
よって、ストーリーがあるということは根拠があるということ。ストーリーがないということは根拠がないということ。
そして、その根拠は仮説の「evidence」の1つとなる。従ってストーリーがあるなら「evidence」がある。「evidence」とは仮説が正しいことを裏付ける「証拠」であって、「物証」に限定されない。

**** 再掲ココまで *****

ストーリーとは則ち、「この根拠(evidence)があるからこの仮説は正しい(と言える)」という主張の事です。根拠(evidence)とストーリーとはイコールではありませんが、根拠(evidence)があるなら必ずストーリーがあります。

397ゲジゲジ:2023/06/20(火) 23:06:59 ID:NidQGNhQ
従って・・・
[>>388]
 >>そんなものは恐らくあり得ないし、必要ないと申し上げています。
 >結局、ご自身の基準2解釈を裏付ける文章は、世に存在しないのですね。
 >でも、否定する文章は存在しますよ。

 >ドーキンスは「創造論者は進化論の問題点を挙げてるだけではないか。
 >神の行為の記録映像を出せ」と言ってるのだから、
 >基準2のクリアに必要なのは物証という主張になってます。
 >物証ならぬストーリーでもよいのなら、それこそ創世記があるではありませんか。

たとえ「物証」が必要だとしても、それは「ストーリー」を否定しません。
もし「物証」があるなら、「この物証があるからこの仮説は正しい(と言える)」というストーリーが必ずあります。

「ストーリー」を否定する文章はあるかもしれませんが、その文章は同時に「物証」も「物証ではない根拠(evidence)」も否定する文章です。そのような文章が間違っていることには、私たちの間で合意できているはずです。


と、いうわけで纏めると最初の結論です。
私たちの論点は「ストーリーか物証か」ではありません。
「ストーリーのよりどころとなる『根拠(evidence)』は『物証』に限定されるのか?」です。

言い換えると「物証に基づくストーリーでなければいけないのか?」、「物証ではない根拠(evidence)に基づくストーリーは認められないのか?」が論点です。

398Ken:2023/06/21(水) 21:21:22 ID:8p1N/Tqo
>「物証に基づくストーリーでなければいけないのか?」、「物証ではない根拠(evidence)に基づくストーリーは認められないのか?」が論点です。

論点はそれで結構ですが、何度も言うように、ご自身の解釈を説明するのではなく、それが世の常識だと示す文章を提示してください。「科学に関する真っ当な議論をしようとする誰もが受け入れるべき「基準」です(>>302)」と言われるのなら。

「Xは対立説を否定してるだけではないか」

から、始まり、

「自説の根拠にYを出せ」

と要求する中で、Yの具体例に、物証ではないストーリーを挙げる文章です。ドーキンスの寄稿文では、Xは創造論でYは記録映像だから、該当しません。

辞書を引いて、抽象語を抽象語で置き換えるのは、おやめください。

なお、繰り返し引用される私の発言を補足説明しておきます。

>このように、観測事象から帰納するか、既知の理論から演繹するか、少なくともどちらか一方を根拠に、仮説は提唱されるわけです。

>>252で「既知の理論」に挙げたのは熱力学第2法則で、そこから、誰も観測したことのない、宇宙の熱的死を予測する話でした。たしかに、直接の観測がなくてもストーリーがあればよいのです。しかし、私がその話をした理由は、あなたの意図とは異なります。

物証がない仮説は、世にいくらでも存在し、ゆえに物証の不在を疑似科学と見なす基準2は、基準自体が誤り、というのが私の主張です。基準2がストーリーの有無を問題にするとは言ってません。後者の主張をされるのなら、上で述べたように、それを支持する文章を提示されるべきです。

399Ken:2023/06/22(木) 00:24:25 ID:8p1N/Tqo
上の投稿でも意が通じないかもしれないので、要点をまとめましょう。

私は、ストーリーがなくてもよいとはいってません。むろんストーリーは必要です。ストーリーのない仮説など発想不可能ともいってます。

私が問題にするのは、あなたが、

「対立説を否定するだけ」
「ストーリーがない」

この両者を結びつけ、前者は後者の意味だと主張されることなのです。

もしも「対立説を否定するだけ」という批判を最初に言い出したのがあなたであるなら、それもよいでしょう。ご自身が考えた基準を、ご自身が定義するのですから。

しかし、「対立説を否定するだけ」という批判は、あなたやdiamonds8888xさんが本スレッドで持ち出す前から世間で言われているのですから、独自の解釈をしてはいけません。この基準が「ストーリーがない」ことを意味すると思うなら、そのことを示す、世で流布する文章を提示されるべきなのです。これは、あなたの解釈の合理性とは別問題であることは理解されますか?

400ゲジゲジ:2023/07/02(日) 22:15:01 ID:NidQGNhQ
 >「Xは対立説を否定してるだけではないか」
 >から、始まり、
 >「自説の根拠にYを出せ」
 >と要求する中で、Yの具体例に、物証ではないストーリーを挙げる文章です。

私はこんな事を主張していませんよ。
こんな事を主張する文章があるかどうか知りませんが、あったとしたら私の主張とは異なります。

そもそも[>>396]で
 >ストーリーとは則ち、
 >「この根拠(evidence)があるからこの仮説は正しい(と言える)」という主張の事です。
と申し上げているではありませんか。

「自説の根拠にYを出せ」のYに当てはめてみてください。
「自説の根拠に、『この根拠があるから自説が正しいという主張(説明)』を出せ」

根拠に根拠の説明を出せと言ってどうするのですか?
循環論法をせよ、と言っている事になりますよ。

どうも「ストーリー」という言葉が独り歩きしているようです。
繰り返しますが、基準2に関する議論で言っている「ストーリー」とは、「この根拠(evidence)があるからこの仮説は正しい(と言える)」という主張の事です。

私が一貫して必要だと言っているのは「根拠」です。
「自説の根拠にYを出せ」ではなく、
「自説の根拠を出せ」です。
自説の根拠を出して説明したら、それがストーリーになるのです。

勿論、
根拠があるという事はストーリーがあるという事、
根拠がないという事はストーリーがないという事、
ストーリーがあるという事は根拠があるという事、
ストーリーがないという事は根拠がないという事
です。

根拠とストーリーとは原理的に一体ですから、「ストーリーが必要」と言って間違いではありません。しかし「根拠」と「ストーリー」とは本質的に別の概念です。




 >私が問題にするのは、あなたが、
 >「対立説を否定するだけ」
 >「ストーリーがない」
 >この両者を結びつけ、前者は後者の意味だと主張されることなのです。

「対立説を否定するだけでは自説の検証にならない」から論理的に導き出せるのは、
「自説を肯定する『何か』を出せ」です。
「肯定する『何か』」の事を、一般的には「根拠」または「理由」と言います。

==== 国語辞典より ======
根拠:
物事が存在するための理由となるもの。存在の理由。
理由:
物事がそのようになった、わけ。筋道。また、それをそう判断した、よりどころになる、またはする事柄。
==================


繰り返しますが、「根拠」または「理由」に基づいて、「だからこの仮説は正しい」と主張したら、それがストーリーです。
「対立説を否定するだけでは自説の検証にならない」から、必然的にストーリーに結び付きます。

但し、飽くまでも「根拠」、「理由」を通じてストーリーに結び付くのです。
必要なのは「根拠」であり「理由」です。ストーリーではありません。


 >これは、あなたの解釈の合理性とは別問題であることは理解されますか?
Ken様が私の解釈の合理性と別問題であると主張されている事は理解します。
Ken様にどうやって、私の解釈の合理性と同じ問題であると理解して頂くか悩んでいます。

401ゲジゲジ:2023/07/02(日) 22:16:14 ID:NidQGNhQ
 [>>398]
 >辞書を引いて、抽象語を抽象語で置き換えるのは、おやめください。
やめません。続けます。

Ken様は抽象論を軽視しています。
具体例とは、抽象論を理解する助けとなるものです。
前提として抽象概念を理解していなければ、適切な具体例を挙げる事ができません。
また、相手が挙げた具体例が適切かどうか判断する事ができません。

抽象とは、複数の具体例の共通要素を取り出して一般化したものです。
新たな具体例を提示する場合、その抽象に当てはまる具体例を挙げなければなりません。
また、相手が提示した具体例が妥当かどうかを判定するには、その抽象に当てはまるかどうかに基づいて判断します。
いずれにしても抽象概念の理解が前提です。


==== 国語辞典より ======
理由:
物事がそのようになった、わけ。筋道。また、それをそう判断した、よりどころになる、またはする事柄。

根拠:
物事が存在するための理由となるもの。存在の理由。

証拠:
事実・真実を明らかにする根拠となるもの。あかし。しるし。

物証:
物的証拠の略。

物的証拠:
裁判で、検証物・文書など、物の存在・形態・状況が証拠資料とされるもの。
==================


こうして見ると、「理由」がいちばん漠然としています。それだけ広い意味を含むという事です。

「根拠」は「物事が存在するための理由となるもの」ですから、ニュアンスとしては「理由」よりも具体性があります。「理由」は漠然と「なぜそうなるのか」が言えれば良いところ、「根拠」は「なぜそうなるのか」具体的な「何か」を示す必要があると言えそうです。

「証拠」は更に限定されます。根拠となる「もの」が実際に存在しなければならない、というニュアンスがありあそうです。
例えば、「このように説明すると論理的に整合性が取れる」と具体的に説明できれば「根拠」にはなりますが、「証拠」にはならないでしょう。「説明」とか「論理的整合性」は存在する「何か」ではないからです。

「物証=物的証拠」は更に限定されます。「物の存在・形態・状況が証拠資料とされるもの」ですから、物証は物理的に存在していなければなりません。
例えば裁判では、「関係者の証言」なども「証拠」として存在していると考えられますが、物理的に存在してはいませんから「物証」には該当しません。


以上を整理すると、「根拠」は「理由」の部分集合、「証拠」は「根拠・理由」の部分集合、そして「物証」は「証拠・根拠・理由」の部分集合と言うことができます。
則ち「理由 ⊃ 根拠 ⊃ 証拠 ⊃ 物証」となります。
より大きな概念ほど抽象度が増し、より小さな概念ほど具体的であると言えます。


**** 以下、今は余談かもしれないが、後で重要な論点になる可能性あり ******

Ken様は統計データを物証だと仰っていましたが、辞書の定義からすると「物理的に実在」をしていませんので物証には該当しません。
また、非常に多くの科学理論において物証などないでしょう。

例えば「リンゴは赤い」には赤いリンゴという物証があります。
しかし「リンゴは木から落ちる」に物証はありません。そもそも「物理的に実在するもの」に関する理論ではなく、「事象」に関する理論だからです。

こうして考えるとおよそ全ての物理学の理論には物証はあり得ません。力学とかエネルギーとか、「事象」を扱うからです。
また、天文学にも物証はありません。天体を手に取って提示することができないからです。

地層や岩石を扱う地質学や、化石を扱う古生物学は、むしろ例外的に物証があり得る分野と言えそうです。但しこれらの分野の理論も、必ずしも物証があるというわけではないでしょう。

402ゲジゲジ:2023/07/02(日) 22:18:07 ID:NidQGNhQ
次に英語についても見てみましょう。


==== 英英辞典より ======
evidence
facts or signs that show clearly that something exists or is true

fact
a piece of information that is known to be true
真実であることが知られている情報

sign
an event, fact etc that shows that something is happening or that something is true or exists
何かが起こっていること、または何かが真実であるか存在していることを示す出来事、事実など

be in evidence
to be present and easily seen or noticed
存在していて、簡単に見られたり気づかれたりすること
==================

和英辞典で「evidence」を調べると、「根拠」とか「証拠」などが出てきます。
しかし「facts or sings」ですから、「fact」と「sign」を調べてみると、「sign」の方は「an event, fact etc」とあります。日本語の「証拠」の「実際に存在しなければならない」というニュアンスは弱そうです。

従ってニュアンスを踏まえると、「evidence」の日本語訳は「根拠」が妥当でしょう。勿論、文脈によって「証拠」や「証跡」などと訳した方が妥当な場合もあるでしょうが、一般的には「根拠」で良さそうです。

さて、「物証」を和英辞典で調べると「physical evidence」と出てきます。しかし「physical evidence」を英英辞典で調べると、文脈によって色々な意味での使われ方をするようです。私たちの論点になっている「物証」に近そうなものが「be in evidence」です。
日本語の「物証」、もしくは日本語で言う「物証」と「証拠」の間ぐらいのニュアンスに感じます。

纏めると、やはり英語でも「be in evidence」は「evidence」の部分集合と言えそうです。
則ち「evidence ⊃ be in evidence」です。


余談(?)ですが、Ken様が「物証」の具体例として挙げられた統計データや観察事実は、英語の「be in evidence」にも当てはまりそうにありませんよ。統計データは元になる事物が存在していた「sing」、観察事実は観察時点で存在していたことを示す「sing」であって、現時点(仮説の発表時点)では存在していませんよね。


取り敢えず今回はここまでにします。
次回は、以上を踏まえてドーキンスの寄稿文の解釈を整理したいと思います。

403Ken:2023/07/03(月) 00:14:48 ID:8p1N/Tqo
>>400>>401>>402

これだけの文章量を費やしても、言われているのは、ご自身の考えの解説であって、私が求める、ご自身のその考えを裏付ける文章の提示はありませんね。

一連の議論がなぜ始まったのかを思い出してください。私が>>259>>263にて物証がないことに拘ったのがそもそもの間違いで、たとえば、地動説の物証はなくても、地動説の方がシンプルということが根拠になりうるし、ゆえに基準2違反ではないのですよね。

ですから、その主張を裏付ける、世で流布する文章を提示してください。ドーキンスの寄稿文がそうだというなら、それでもよいですから、説明を願います。私が、この文章をどう読んでも、「対立説を否定するだけ」という批判を創造論が回避するには、神の行為の記録映像という物証をだすしかない、という解釈になります。寄稿文の別の箇所では、進化論を否定する根拠になりうるのは、先カンブリア時代のウサギの化石と、これまた物証を要求してます。

>Ken様は抽象論を軽視しています。
>具体例とは、抽象論を理解する助けとなるものです。

初めに具体例の集積があり、それを一般化したのが抽象理論です。ガリレオは物体の落下距離と所要時間を、条件を変えて何度も観測し、具体例を積み上げることで、落下距離は時間の2乗に比例するという理論を得ました。具体例が先、抽象理論は後です。逆ではありません。

あるいは学校の授業では、抽象理論を初めに出し、それから具体例を挙げるかもしれません。もしかしたら、理論だけノートに書き写させて、具体例も挙げずに済ませるひどい教師がいるかもしれません。でも、それが通用するとしたら、先生が教える理論は正しいに違いないという合意が、生徒の側にもあるからです。

今の私たちには、「対立説を否定するだけ」という批判を受けないために必要なのは何か、という点で合意がないのですから、具体例から入らねばなりません。「抽象論を理解する」とおっしゃいますが、理解を求める前に、その理論が正しいことを、具体例で示すべきです。

というわけですから、辞書を引いて、抽象語を抽象語でおきかえるのは、おやめください。

404Ken:2023/07/03(月) 21:48:50 ID:8p1N/Tqo
何度も言ってますが、肝心なことを頭に入れていただくため、繰り返します。

いま問題にしてるのは、あなたの基準に合理性があるかないか、ではありません。
あなたの基準が、世間で共有されてるのか、です。

そして、ドーキンスの寄稿文を見る限りは、共有されてないというしかありません。彼が根拠として要求するのは、記録映像であり、先カンブリア紀の化石という物証なのです。

そもそも、ストーリーが問題になるなら、天地創造論には、ストーリーがあるのですよ。>>278で言及しましたが、今の創造論の根幹には、生命であれ、元素であれ、物理法則であれ、この世界は、都合よくできすぎてるという認識があるのです。そんな都合のよい世界が偶然に生じることはありえず、意図的に創造されたと考えるほうが、シンプルですっきりしてるというものです。

物証はないが、そう考えるほうがシンプルというなら、あなたが述べた、地動説のほうがシンプルという論旨と同類ではないですか。

分かりますか? もしドーキンスがあなたの基準を共有するなら、創造論を批判する理由に「自説の根拠がなく対立説を否定するだけ」というはずがありません。あなたがいうところの根拠(ストーリー)はあるのですから。彼がいう根拠は物証のことです。もしかしたらあなたが正しく、ドーキンスが間違ってるのかもしれませんが、どちらが正しいにせよ、あなたの基準は世間で共有されてないのです。それなのに、ご自身の基準が合理的という話しかされないから、堂々巡りをしています。

405ゲジゲジ:2023/07/09(日) 21:59:32 ID:NidQGNhQ
論点が拡散してもいけないので、この事はどのタイミングで述べるべきか悩んでいました。
今が述べるべき適切な時なのか、もっと早く述べるべきだったのか分かりませんが、ここで述べる事にします。


私から言わせると、Ken様が
「ドーキンスが『evidence』の具体例として『cinematic record』を挙げているだけ」
という理由で
「evidenceは物証である」という独自の解釈をされて、しかもそれが世間で共有されていると思い込んでいるのです。

そしてKen様は「evidenceは物証」が世間で共有されている解釈だと思い込んでいるから、私が「真の世間で共有されている解釈」を述べると、それが私の独自の解釈のように見えるのです。


とはいえ、Ken様に言わせれば全く逆であることは理解していますよ。
つまり私が独自の解釈を世間で共有されている解釈だと思い込んでいて、それ故にKen様の「evidenceは物証」という解釈がKen様独自の解釈のように見える・・・となるのですよね。


ですから私たちの論点は[>>397]で述べた
 >「ストーリーのよりどころとなる『根拠(evidence)』は『物証』に限定されるのか?」です。
 >言い換えると「物証に基づくストーリーでなければいけないのか?」、
 >「物証ではない根拠(evidence)に基づくストーリーは認められないのか?」が論点です。
に加えて、
「根拠(evidence)は物証に限定される」という解釈と「限定されない」という解釈と、どちらが世間に共有されているか? になるわけです。


ここの認識の差を埋めるのは簡単ではないですよ。
何しろお互いが自分の解釈こそが世間で共有されていて、相手が勝手な独自解釈をしていると思っているのだから。
但しここを埋めないと、恐らく議論は先に進みません。基準1や基準3の議論をしても、同じことになるでしょう。

ですから順を追って、丁寧に説明する必要があります。
ちょっと忙しくて纏まった時間が取れないので、消化不足な感はありますが今回はここまでです。
とにかく、Ken様が私に対して感じているのと同じような感覚を、私もKen様に対して感じていることをご理解ください。

406Ken:2023/07/09(日) 23:19:51 ID:ABfjcVWw
核心はここですね。

>「ドーキンスが『evidence』の具体例として『cinematic record』を挙げているだけ」という理由で「evidenceは物証である」という独自の解釈をされて

その言い方は正確ではありません。

そもそも、今の場合は『evidence』と一般的にいうのも正しくありません。正確にいいますと、

対立説を否定してるだけという批判を回避するための『evidence』が、記録映像のような物証しか具体例がない、

ということです。要するに、私は自分の解釈を裏付ける具体例を挙げているが、あなたはそれを挙げることができないのです。

ドーキンスでも誰でもよいから、物証ではないストーリーを挙げて、対立説を否定してるだけと言われたくないならそういう根拠を出せ、といってる例をもってくればよいだけです。

407ゲジゲジ:2023/07/17(月) 21:11:40 ID:uLldzZBo
 >核心はここですね。
 >>「ドーキンスが『evidence』の具体例として『cinematic record』を挙げているだけ」という理由で「evidenceは物証である」という独自の解釈をされて
 >その言い方は正確ではありません。
 >そもそも、今の場合は『evidence』と一般的にいうのも正しくありません。正確にいいますと、
 >対立説を否定してるだけという批判を回避するための『evidence』が、記録映像のような物証しか具体例がない、
 >ということです。

ちょっと違います。
今の場合『evidence』と一般的にいうのが正しいのか? が核心です。

そして正確にいうと、対立説を否定してるだけという批判を回避するための『evidence』が、記録映像のような物証しか具体例がないと、『evidence』は物証のことになるのか?
が核心です。

 >要するに、私は自分の解釈を裏付ける具体例を挙げているが、あなたはそれを挙げることができないのです。
当たり前のことだから解釈の具体例などない、と何度も申し上げています。
以下で詳しく説明しましょう。



さて、ドーキンスの寄稿文の解釈を整理してみましょう。
以下に段落毎の要約をしてみました。文頭の数字は段落番号です。


1.(ID論と進化論の)「両方」の理論を教えることは一見、良いことのように思える。
2.2つの対立する視点がある場合、真実がその中間にあるとは限らない。
3.IDは創造論だ。
4.創造と進化の「両方」を教えることはなぜ問題か? それは科学的論争ではないからだ。
5.進化論には、中立的選択、エボデボ、大量絶滅など、(「両方」を教えるべき)魅力的な論争がある。

6.IDはこれらの論争と異なる。それは科学ではなく宗教的な議論だ。
7.ではなぜ、IDは「両方」の扱いに値する科学理論ではないのか?
8.IDが本当に科学理論なら、肯定する「evidence」があるはずだ。
9.ID論は決して肯定する「evidence」を出さない。化石記録の不完全さと、「evidence」もなく「還元できないほど複雑」と言っているだけである。
10.(ID論者には)理論Aで現象Xを説明するのに困難な点がある場合、理論Bなら現象Xを説明できるのかどうか検証せずに、理論Bが正しいとする前提がある。

11.(ID論者が言う)化石のギャップとは、進化過程の全てのステップの完全な記録が不足していることを意味する。
12.創造論の同等の「evidence」は、神の行動の完全な「a complete cinematic record」だが、ID論者はそんなものがあると主張していない。
13.一方、進化論は多くの連続的な化石記録がある。
14.進化論には反証可能性もある。進化論は検証され続けてきた。
15.(ID論は)例えば鞭毛が複雑すぎて自然選択で進化したとするのは無理があると主張するが、だったら複雑すぎて作成するのも無理ではないか?

16.複雑な生物を設計した存在があるなら、その設計者はもっと複雑だ。
17.鞭毛は(ID論者が言うほど)複雑ではなく、進化する中間型が既に見付かっている。
18.ID論を支持する「evidence」はない。進化論の不完全さを指摘するのみだ。進化論は不完全ではあるが、一方で支持する膨大な「evidence」がある。
19.(進化論の)証拠の重みは非常に重くなっている。
20.(ID論を)教えるのは10分程度しかかからないのだから、教えてもよいのではないかという意見がある。

21.しかし(ID論を教えるのは)、学生たちをもっと価値のある議論から目をそらしてしまう。どんな議論でも、良い点(「evidence」)を述べなくて良いはずはない。

価値のある議論とは・・・
・カンブリア爆発(本当に短時間で爆発的な進化が起こったのか?)
・人間の行動の進化的基盤(個人や集団の行動と遺伝子との関連性)
・性選択と自然選択(動物の多くの特徴は性選択による?)
・自然選択の対象(個体? 個体群? 種?)
・自然選択と遺伝的浮動(ランダムな進化の重要性)



それから、私たちのドーキンスの寄稿文に対する見解を纏めておきましょう。

ドーキンスは「evidence」が必要だと言っている。
  → 私たちの見解は一致

ドーキンスは「evidence」の具体例として「cinematic record」を挙げている。
  → 私たちの見解は一致

ドーキンスは「evidence」の具体例として「cinematic record」しか挙げていない。
  → 私たちの見解は一致

「cinematic record」は「物証」である。
  → 私たちの見解は一致

408ゲジゲジ:2023/07/17(月) 21:14:26 ID:uLldzZBo
問題はここからです。

Ken様
ドーキンスは「evidence」の具体例として「物証」である「cinematic record」しか挙げていない。
よって「evidence」は「物証」のことである。

ゲジゲジ
ドーキンスは「evidence」の具体例として「物証」である「cinematic record」しか挙げていない。
それは「evidence」の一例として挙げたのであって、「evidence」は「evidence」のことに他ならない。


以上のように、私とKen様との解釈が問題になっているように見えましたが、実のところ、私は何も解釈を加えていないのです。

一方で、私は当初から一貫して、必要なのは「根拠」だと申し上げています。

例えば[>>304]にて、ken様が「『Aと対立するBの否定がAの検証とされる』事例が、特殊でもなんでもなく、世にありふれている」例として挙げたコペルニクスの地動説や鳥の進化の樹上モデルなどについて、「根拠」があることを示しました。

ここで問題になり得るのは、「evidence」の和訳が「根拠」で良いかどうか、です。英和辞典を見ると「evidence」の訳には「根拠」の他に「証拠」、「証跡」なども出てきます。
そこで国語辞典と英英辞典から、「evidence」の和訳は「根拠」が適切であることを確認しました。([>>401]、[>>402])


従って、ドーキンスは「evidence」則ち「根拠」が必要と主張しています。
私は「根拠」が必要と主張しています。
何も解釈を加えていません。ドーキンスが言っているそのままです。
そして、元の命題である「対立説を否定するだけでは自説の検証にならない」から論理的に導けるのもまた、「根拠」です([>>396]、[>>400])から、ドーキンスの見解は論理的な帰結とも一致することを示しました。


さて、
 >要するに、私は自分の解釈を裏付ける具体例を挙げているが、あなたはそれを挙げることができないのです。
ですが、「『evidence』は『evidence』のことである」、「『根拠』は『根拠』のことである」などと主張する世の中に知られた文章など、普通に考えればあり得ません。なぜなら何度も申し上げているように当たり前のことだから。
尤も、絶対にないとは言い切れません。なぞなぞか何かの関係の文章を探せばあるかもしれませんが、敢えて探す意味があるとは思えません。

409ゲジゲジ:2023/07/17(月) 21:15:32 ID:uLldzZBo
論点をもう一歩、堀り進めてみましょう。

対立説を否定してるだけという批判を回避するためには「evidence」が必要です。
これはお互いに異論はありませんね。

私はそこに何の解釈も加えていません。
一方でKen様は、
「evidence」に記録映像のような物証しか具体例がないから、「evidence」は物証だと解釈を加えています。

従って問題は、Ken様の解釈が妥当かどうか? ということと、Ken様の解釈が世間で共有されているのか? ということです。


さて、[>>401]と[>>402]で述べましたが、「物証」は「根拠」の部分集合です。
401より「理由 ⊃ 根拠 ⊃ 証拠 ⊃ 物証」
402より「evidence ⊃ be in evidence」

ここで「記録映像」を考えると、これは「物証」の部分集合であることが分かります。
則ち、抽象概念に対する具体例とは、抽象概念が表す集合の部分集合なのですね。

纏めると以下が成り立ちます。
「(理由)⊃ 根拠 ⊃(証拠)⊃ 物証 ⊃ 記録映像」(日本語)
「evidence ⊃ be in evidence ⊃ cinematic record」(英語)

「根拠」の具体例として「記録映像」しかないとき、「根拠」は「物証」であると解釈すべきか?
また、その解釈が世間に共有されているのか?
が論点です。

「evidence」の具体例として「cinematic record」しかないとき、「evidence」は「be in evidence」であると解釈すべきか?
また、その解釈が世間に共有されているのか?
が論点です。

一般化した言い方をします。
「X ⊃ Y ⊃ A」が成り立つとき、
すなわち抽象概念で表される集合Xと、Xの部分集合Y、さらにYの部分集合Aがあるとき、
Xの具体例としてAだけを提示すると、XはYのことになるのか?
また、Xの具体例としてAだけを提示するとXはYのことだと解釈することが世間で共有されているのか?
が論点の核心です。


今回はここまでにしましょう。
ここは時間をかけても丁寧に議論すべきと思います。
論点の核心を整理し直したわけですが、論点そのものに対して異論や反論はありますか?

410Ken:2023/07/17(月) 23:45:28 ID:ABfjcVWw
>当たり前のことだから解釈の具体例などない、と何度も申し上げています。

その論法がすでにおかしいです。「当たり前」とは、万人が理解し賛同する意味ですよね。でも万人が理解するには、万人の目に明らかな具体例があるはずではありませんか。いかなる抽象理論も、具体例を集めて一般化したものだから、理論の元になった具体例が必ずあるはずです。それなくしては、万人どころか、どこのだれが理解し賛同しますか。というより、理解や賛同の対象がなんなのかもはっきりしないではないですか。

当たり前のことだから、ことさら具体例を出さないだけというなら、まだ分かりますよ。でも、それは、ことさら出さないだけで、要求されたら直ちにでてきます。要求されても出せないのとは、まったくの別物です。

ドーキンスの文章を解する上で、あなたの主張にとって最も肝心なことを思い出してください。彼は、天地創造論は自説の根拠がなく対立説を否定するだけと言ってますが、創造論には、あなたが根拠と認める根拠つまりストーリーがあるのですよ。

最も原理主義的な創造論者なら、創世記の記述は信用に足るから真実というでしょう。
また近年の主張に、この世界は、まるで人類の発生を目的に設計されたように、都合よくできすぎてるというものがあります。とくに物理法則がそうなってると。

どちらも、あなたが根拠と認める「ストーリー」になってると思いませんか? むろんドーキンスのような人物は、創造論者が言ってることは百も承知してます。その上で、創造論には根拠がないというのだから、彼の文章は、あなたの主張を否定してるとは思いませんか?

411Ken:2023/07/18(火) 21:24:12 ID:ABfjcVWw
>「X ⊃ Y ⊃ A」が成り立つとき、
>Xの具体例としてAだけを提示するとXはYのことだと解釈することが世間で共有されているのか?

Xが根拠、Yが物証、Aが記録映像のことなのでしょうけど、肝心なことを思い出してください。あなたの主張は「根拠になりうるのは物証とは限らない」というものではありません。「物証のないストーリーが根拠たりうる」というものです。この2つのロジックは別のものですよ。下の例で考えてみてください。

今の物理学では、重力、電磁気力、強い核力、弱い核力という4種類の力が知られてます。17世紀に重力が、19世紀に電磁気力が、20世紀に強弱2種の核力が発見されてきましたが、この世で働く力はこの4つしかありえないのかと問われたら、そうだと答える人はいないはずです。

しかし、4つのどれでもない第5の力、たとえば念力、があるという主張がなされたら、それは完全に別の話で、念力が存在する根拠を示せという要求が来ます。そのとき「4つだけとは限らない」では根拠になりません。

それと同じです。ストーリーが根拠になりうるなら、その具体例を示すべきで、根拠は物証とは限らないと論じても仕方がありません。ここの論点がずれてるのです。

力が4つしかないという証明はできないが、確認される力が4つなのだから、今の物理学は、4つの力を前提に考察を進めます。同様に、根拠は物証に限るという証明はできないが、具体例が物証だけだから、物証という前提で議論を進めるのです。「念力」や「ストーリー」を持ち込むなら、その具体例が必要です。

412ゲジゲジ:2023/07/20(木) 00:08:47 ID:uLldzZBo
順序が逆になりますが、重要な点から・・・

[>>411]
 >Xが根拠、Yが物証、Aが記録映像のことなのでしょうけど、肝心なことを思い出してください。
 >あなたの主張は「根拠になりうるのは物証とは限らない」というものではありません。
 >「物証のないストーリーが根拠たりうる」というものです。

何を仰っているのですか?!
私の主張は「根拠になりうるのは物証とは限らない」というものです。
「物証のないストーリーが根拠たりうる」というものではありません。


 >ストーリーが根拠になりうるなら、その具体例を示すべきで、(略)
ストーリーは根拠になり得ませんよ。
([>>396]、[>>400])
何を仰っているのですか!


 >力が4つしかないという証明はできないが、確認される力が4つなのだから、
 >今の物理学は、4つの力を前提に考察を進めます。
 >同様に、根拠は物証に限るという証明はできないが、具体例が物証だけだから、
 >物証という前提で議論を進めるのです。

[>>403]辺りのコメントを拝見して、薄々感じてはいましたが、科学の議論と勘違いされていませんか?


[>>410]
 >どちらも、あなたが根拠と認める「ストーリー」になってると思いませんか?
私は「ストーリー」が根拠だなどと認めていませんよ。
([>>396]、[>>400])
何を仰っているのですか! よく読んでください。

413ゲジゲジ:2023/07/20(木) 00:10:18 ID:uLldzZBo
[>>410]
 >>当たり前のことだから解釈の具体例などない、と何度も申し上げています。
 >(略)でも万人が理解するには、万人の目に明らかな具体例があるはずではありませんか。
 >いかなる抽象理論も、具体例を集めて一般化したものだから、

Ken様が私に求めたのは、抽象論の具体例ではありませんでしたよ。Ken様が求められたのは、私の主張を裏付ける、「広く世の中に知られた文章」の具体例でしょう?
ですからそんなものはない、と申し上げているのです。

 >というより、理解や賛同の対象がなんなのかもはっきりしないではないですか。
何度も申し上げています。根拠は根拠である、evidenceはevidenceであると。


 >当たり前のことだから、ことさら具体例を出さないだけというなら、まだ分かりますよ。
 >でも、それは、ことさら出さないだけで、要求されたら直ちにでてきます。
 >要求されても出せないのとは、まったくの別物です。

当たり前のことだから、ことさら具体例を出さないのです。要求されたら直ちに出せますよ。ただ、敢えてそんなことを主張している人がいないというだけで。
テレビとはテレビのことです。野球というスポーツは野球のことです。「空が青い」とは空が青いことです。
誰も反論しないであろう具体例を、いくらでも出すことはできます。

もういちど、申し上げます。
ドーキンスはevidenceがなければならない、と主張しています。
私は根拠がなければならない、と主張しています。
英語と日本語との違いだけで、ドーキンスと私はまったく同じことを言っています。
根拠は根拠です。evidenceはevidenceです。



 >彼は、天地創造論は自説の根拠がなく対立説を否定するだけと言ってますが、
 >創造論には、あなたが根拠と認める根拠つまりストーリーがあるのですよ。
 >(略)
 >むろんドーキンスのような人物は、創造論者が言ってることは百も承知してます。

ドーキンスの文章を見てみましょう。
15段落目で、創造論者は「鞭毛が複雑すぎて自然選択で進化したとするのは無理があると主張する」とあります。しかし対立仮説(自然選択説)を否定しているだけで、創造論を肯定するストーリーは語られていません。
つまりドーキンスは創造論に根拠があることを認めていない、根拠はないという前提に立っているのです。

もし、創造論に根拠があることを認めているなら、「創造論者は設計者の存在を前提にすれば進化を合理的に説明できると主張する。しかしそんなものは根拠にならない。」と主張するはずです。
しかしそうは言わずに、創造論には根拠がないと言っているのみです。ドーキンスは、創造論に根拠はないことにしているのです。


***** 以下、余談 *********
ドーキンスは創造論に根拠がないと言っていることが重要なのであって、余計な解釈を加えるべきではないと考えます。しかし参考までに、私の解釈を述べておきます。

可能性1:知らなかった
可能性としては低いですが、Ken様の「百も承知してます」というコメントとは裏腹に、実は知らなかったとも考えられます。
創造論者が「自然選択では説明できないから設計者がいたとしか思えない」と主張していることは知っていても、「設計者がいたと考えると合理的に説明できる」と主張しているとは思っていないかもしれません。

可能性2:知っていたが失念していた
1よりは可能性が高そうです。知らなかったわけではないですが、たまたま寄稿文を書くタイミングでは失念していたのです。

可能性3:知っていたが無視した
いちばん可能性は高いと思います。創造論にストーリーがあることを認めてしまうと、「創造論には根拠がない」という批判ができなくなってしまうので、敢えて無視したのです。
あるいは、「設計者がいたと考えると合理的に説明できる」という主張が根拠にならないことを説明しなければならなくなって、面倒でしょうし、限られた紙面の中で説明することの困難さを考えて、「根拠がないからダメだ」という論法に持って行かれるようにしたのです。

414Ken:2023/07/21(金) 00:07:54 ID:ABfjcVWw
>私の主張は「根拠になりうるのは物証とは限らない」というものです。「物証のないストーリーが根拠たりうる」というものではありません。

あれ? ストーリーという表現が登場した経緯を思い出してください。私が>>319で、

>対立仮説の否定で済ませるのは、自説に物証がないからではなく、自説にストーリーがないからですね。

と尋ね、>>320で、

>なるほど、そういう言い方もできますね。同意します。

と言われたことから始まってます。物証がなくてもストーリーがあれば根拠であり、対立説を否定してるだけという基準2違反には該当しないという論旨で、私の>>259>>263に反論したはずです。実例としても、あなたが>>313で「OK」とされた

>聖書は神様ご自身の言葉である。
>太陽神アポロは地球神ガイアより偉いので中心にいるべきである。
>木の聖霊は生物を高所へと誘うパワーを秘めている。

は、物証はないがストーリーはある例ですよね。

基本的なことを考えてください。対立説を否定するだけではだめだという基準には、対立説の否定以外に何が必要かという答えが伴うはずです。でも「物証とは限らない」では答えになってません。物証ではないなにかを言わねばならず、だからこそストーリーを挙げたはずです。

ゆえに、あなたの主張は「根拠になりうるのは物証とは限らない」ではなく「物証のないストーリーが根拠たりうる」です。

>私の主張を裏付ける、「広く世の中に知られた文章」の具体例でしょう? ですからそんなものはない、と申し上げているのです。

主張が世で共有されることの裏付けは、同じ主張をする文章です。それなくして、なぜ共有されてるといえますか?

もしかして、あなたの解釈は当たり前のことだから、つまり合理性があるのだから、世間が共有してるはずだ、と言われてるのでしょうか。私はあなたの解釈に合理性があるとは思いませんが、それはひとまずおいて、合理性があることと世で共有されることは、ロジックの問題として別物です。あなた1人が正しく、世間が間違ってるかもしれません。

>薄々感じてはいましたが、科学の議論と勘違いされていませんか?

科学とは、この世の事実がどうなってるかを探求するものです。そして今は、あなたの基準を世が共有してるかという事実関係が論点だから、科学の検証法を用いるべきです。

というわけですから、ご自身の主張の裏付けを具体例で示してください。

>ドーキンスは創造論に根拠があることを認めていない、根拠はないという前提に立っているのです。

創造論には物証のみかストーリーもないと、ドーキンスが主張してるという意味なら、強引すぎる解釈です。そもそも、彼がなぜあれほどの努力を傾けて創造論と戦ってると思いますか? 創造論を信じる人が世にいるからではないですか。でも、創造論を信じる人は、ストーリーがあるから信じるのです。ストーリーとは、創世記の記述であり、物理法則が都合よくできすぎてるという認識です。

ストーリーのない理論など発想のしようがないことは同意されるのですよね。それなら、創造論の存在自体が、そこにはストーリーがあることを示すと思いませんか?

>可能性1:知らなかった
>可能性2:知っていたが失念していた
>可能性3:知っていたが無視した

すごい言いがかりを始めましたね。でも、ストーリーがある創造論を根拠がないと言うのは、ストーリーを根拠と認めないからですよ。

415ゲジゲジ:2023/07/23(日) 16:39:58 ID:uLldzZBo
議論を一旦中止しましょう。
どうも私の申し上げていることがきちんと理解されていないようです。
このまま続けても埒が明きません。

改めて整理し直してご説明します。
その上で、まずはご不明な点があれば質問して頂いて、回答させて頂いて、それから反論があれば、改めて論点を整理して仕切り直しましょう。

纏め直すのに暫く時間が必要です。
1週間では少し難しいです。何とか2週間程度でとは思いますが、少しお待ちください。
お待たせすることにはなりますが、恐らくその方が議論は早いと思います。


**** 上記提案により以下は余談となりますが・・・*****

 >物証がなくてもストーリーがあれば根拠であり、
 >対立説を否定してるだけという基準2違反には該当しないという論旨で、
そのような論旨ではありません。
Ken様が解釈する「ストーリー」と私が申し上げている「ストーリー」は異なるようです。


 >あなたが>>313で「OK」とされた
 >>聖書は神様ご自身の言葉である。
 >>太陽神アポロは地球神ガイアより偉いので中心にいるべきである。
 >>木の聖霊は生物を高所へと誘うパワーを秘めている。
 >は、物証はないがストーリーはある例ですよね。

私が[313]で述べた「OK」例には「ストーリー」がありますが、Ken様が引用された上記は「ストーリー」ではありません。
しかしKen様が解釈する「ストーリー」であることは理解しました。
やはりKen様が解釈する「ストーリー」と私が申し上げている「ストーリー」は異なるようですね。


 >もしかして、あなたの解釈は当たり前のことだから、つまり合理性があるのだから、
 >世間が共有してるはずだ、と言われてるのでしょうか。
 >合理性があることと世で共有されることは、ロジックの問題として別物です。

合理性があるなどとは主張しておりません。論理的妥当性があると申し上げています。


 >基本的なことを考えてください。対立説を否定するだけではだめだという基準には、
 >対立説の否定以外に何が必要かという答えが伴うはずです。
 >でも「物証とは限らない」では答えになってません。

意図的にスルーされているのか、無意識にスルーされているのか分かりかねるのですが、必要なのは「根拠」だと、何度も申し上げていますよ。
そしてドーキンスの寄稿文には必要なのは「evidence」であると書いてあるでしょう?
私はドーキンスと全く同じことを言っているのですよ。
世の中全体に共有されているかどうかは置いておいたとしても、少なくとも私とドーキンスは共有しているのではないですか?


ドーキンスの文章のどこにも「evidenceとは物証のことを意味する」とか「私が考えるevidenceとは物証だ」などという宣言は出てきません。
ドーキンスが「evidenceの具体例としてcinematic recordだけを挙げているからevidenceは物証のことだ」という解釈を加えているのはKen様です。
それゆえ、Ken様のこの解釈が世間で共有されるのか?が論点になるはずだと申し上げたのが先の[>>409]でした。


とはいえ、これ以上の議論は、やはり私の主張の全体像をきちんと理解して頂いてから再開した方がよいと思います。上記余談に反論されても構いませんが、それに回答するかどうかは確約しかねます。

416Ken:2023/07/23(日) 19:37:02 ID:ABfjcVWw
では、余談と言われる中で、最も重要な点に回答します。

>ドーキンスの文章のどこにも「evidenceとは物証のことを意味する」とか「私が考えるevidenceとは物証だ」などという宣言は出てきません。
>ドーキンスが「evidenceの具体例としてcinematic recordだけを挙げているからevidenceは物証のことだ」という解釈を加えているのはKen様です。

その点については、4つの物理力を例に説明しました(>>411)。物理力は4つしかないという証明はありませんが、観測されてるのが4つ(重力、電磁気力、強い核力、弱い核力)なのだから、4つという前提で考察は行われます。もし他の力の存在が提唱されるなら、その存在を示唆する具体事象がまず来ます。

そして、根拠の具体例は記録映像しか出てません。ドーキンスの寄稿文に出てこないだけでなく、物証以外の具体例を出せばOKという文章を、あなたは示せないのです。

それどころかドーキンスは、聖書のような、あなたが根拠と認める種類のストーリーを、根拠と認めてません。「知っていたが無視した」なんて強引な言いがかりをつけるのではなく、ご自身が認めるものを彼は認めないという、ストレートな解釈をされるべきです。

2週間でどういう回答があるのか分かりませんが、辞書を引いて抽象語を抽象語で置き換えて済ませるのはおやめください。そんな科学議論を私は見たことがありません。あなたはありますか?

417Lurker:2023/07/23(日) 22:20:31 ID:???
脊髄反射的な回答をやめる気のない相手に仕切り直してどうにかなるとは思えません

418Ken:2023/07/24(月) 00:36:02 ID:ABfjcVWw
なにをおいても、この1節だけは、正確に言い直すことから始めてくださいね。

>ドーキンスがevidenceの具体例としてcinematic recordだけを挙げている

誤りです。ただしくは、

evidenceの具体例としてcinematic recordしか出てこない。いくら要求しても、物証以外の具体例を出すことができない。

というのが現状を反映してます。

419ゲジゲジ:2023/07/24(月) 23:34:36 ID:uLldzZBo
最も重要な点だそうなので回答することにします。

 >その点については、4つの物理力を例に説明しました(>>411)。

その[411]を受けて、[>>412]で以下のように質問しました。
 >[>>403]辺りのコメントを拝見して、薄々感じてはいましたが、
 >科学の議論と勘違いされていませんか?

それに対して[>>414]で
 >そして今は、あなたの基準を世が共有してるかという事実関係が論点だから、
 >科学の検証法を用いるべきです。
という頓珍漢なコメントがありました。
私は「『私の基準が世を共有しているかという事実関係の論点』を科学の議論と勘違いされていませんか?」などと尋ねたわけではないのですけれどね。

 >そんな科学議論を私は見たことがありません。あなたはありますか?
ありませんよ。で、だからなんですか?
やっぱり、科学議論と勘違いされているのですね。


 >それどころかドーキンスは、聖書のような、あなたが根拠と認める種類のストーリーを、
 >根拠と認めてません。(略)
 >ご自身が認めるものを彼は認めないという、ストレートな解釈をされるべきです。
聖書は私が根拠と認めるストーリーではありません。
私が認めていないものをドーキンスも認めていないのです。


 >ただしくは、
 >evidenceの具体例としてcinematic recordしか出てこない。
 >いくら要求しても、物証以外の具体例を出すことができない。
 >というのが現状を反映してます。
失礼しました。言い直しておきます。
ドーキンスが「evidenceの具体例としてcinematic recordしか出していない。いくら要求しても物証以外の具体例を出すことができないからevidenceは物証のことだ」という解釈を加えているのはKen様です。

420ゲジゲジ:2023/07/24(月) 23:37:44 ID:uLldzZBo
少し考え直したのですが、私の方もKen様のお考えを確認しておきたいポイントがあります。
当初はまず「私の主張が世の中に共有されているか否か?」の論点が終わってから質問する予定でした。複数の論点を同時に議論しない、というルールがありますから。
しかし私の方の論点はいったん中断するので、その間にお答えを頂けると時間を無駄にしないで済みます。


論点は3つあります。まずは全ての論点の質問をしますから、どこから回答されても結構です。その間に、私の方は説明を纏めますので・・・



【質問1】
なぜ「cinematic record」以外の「物証」は良くて、「物証」以外の「evidence」はダメなのか?

[>>369]より
 >具体論をして解答を得られない場合は、具体論を諦めるのではなく、
 >具体論をさらに徹底するべきです。
 >科学とは現実事象を扱うものであり、徹頭徹尾、具体論の世界です。
なのですよね。

そして[>>416]より
 >根拠の具体例は記録映像しか出てません。ドーキンスの寄稿文に出てこないだけでなく、(略)
なのですよね。

だったら「根拠は記録映像だ」となりませんか?
なぜ「記録映像」以外の「物証」は「根拠」になるのですか?

一般化した言い方をします。[>>409]で整理しましたが、
「X ⊃ Y ⊃ A」が成り立つとき、
すなわち抽象概念で表される集合Xと、Xの部分集合Y、さらにYの部分集合Aがあるとき・・・
「Xの具体例としてAしかないのだからXはAのことだ」
というのならまだ分かるのです。どうして
「Xの具体例としてAしかないのだからXはYのことだ」
となるのでしょう?

「evidenceの具体例としてcinematic recordしかないのだから、evidenceはcinematic recordのことだ」
というのならまだ分かるのです。どうして
「evidenceの具体例としてcinematic recordしかないのだから、evidenceは物証のことだ」
となるのでしょう?




【質問2】
「物証」とはなんですか? 「物証か物証でないかを見分ける基準」はなんですか?

Ken様の主張によれば、提示される「evidence」が物証であれば正当な科学、物証でなければ疑似科学、なのですよね。
だとすると、根拠として提示されたものが物証か物証でないかを見分ける基準が、仮説自体が科学か疑似科学かを見分ける基準、ということになります。

従ってこの「基準」は非常に重要なはずです。
何をもって「物証」なのか? 何をもって「物証」ではないのか? 「物証か物証でないかを見分ける基準」を明示的にご教示ください。




【質問3】
なぜ「誤った基準」が世の中に共有されているのでしょう?

[>>398]
 >物証がない仮説は、世にいくらでも存在し、ゆえに物証の不在を疑似科学と見なす基準2は、
 >基準自体が誤り、というのが私の主張です。

ということはつまり、誤った基準が世の中に共有されている、ということでしょうか?
どうしてドーキンスをはじめとする、「対立仮説の否定をするだけでは自説が正しい根拠にならない」と主張する人たちは、物証の不在を疑似科学と見なすような基準を主張しているのでしょうか?

もしかして、物証の不在を疑似科学と見なす「基準2」は、多くの科学の定説を疑似科学と誤判定してしまうことに、誰も気付いていないとお考えですか?
それとも気付いたとしても、「基準2」を撤回するような提案ができない事情があるとお考えですか?

「基準2」を「物証の不在を疑似科学と見なすもの」と解釈すると、世間一般が誤った基準を修正もせずに採用し続けている、ということになります。この点をKen様はどうお考えですか?

421Ken:2023/07/25(火) 22:46:00 ID:P3MarOIU
>私は「『私の基準が世を共有しているかという事実関係の論点』を科学の議論と勘違いされていませんか?」などと尋ねたわけではないのですけれどね。

あなたの基準を世が共有してるかという事実関係が論点になってる中で、科学の議論と勘違いしてないかと問われれば、私と同じ解釈になるでしょう。
では、何を科学の議論と勘違いしてると思われましたか?

>聖書は私が根拠と認めるストーリーではありません。

では、>>313で、聖書は神様ご自身の言葉であるという理由でOKとされたのは、どういう意味ですか?

>ドーキンスが「evidenceの具体例としてcinematic recordしか出していない。いくら要求しても物証以外の具体例を出すことができないからevidenceは物証のことだ」という解釈を加えているのはKen様です。

結構です。そして私は、evidenceの具体例が物証しかないのに、なぜ物証でないものがevidenceになるという考えが 世にあると主張されるのかを何度も尋ねてます。

>なぜ「cinematic record」以外の「物証」は良くて、「物証」以外の「evidence」はダメなのか?

cinematic recordを出せという要求の具体例があるから、物証があれば、対立説の否定だけと言われることがないという考えが、世にあることが分かります。物証でなくてもよいという主張には実例がありません。

>「物証」とはなんですか? 「物証か物証でないかを見分ける基準」はなんですか?

基準2のクリアに必要な物証は明らかです。物証があれば、対立説を否定しなくても、仮説の証拠になります。これまでに出た例を見てください。

フーコーの振子 → 地動説の証拠
縞模様 → 光波動説の証拠
日焼け → 光粒子説の証拠
化石 → 走行モデルの証拠
神の記録映像 → 天地創造論の証拠

どれも対立説の否定ではありません。

>なぜ「誤った基準」が世の中に共有されているのでしょう?

私自身はそのような基準を共有してないので、答えようがありません。ただ科学史を見れば、おっしゃるような基準2を無視することで、科学の進歩に貢献した人はいました。>>259>>263で挙げたのは、その例です。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板