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科学と疑似科学とを判別する(2)

259Ken:2022/11/13(日) 22:02:01 ID:/6TLb.aE
[総括編第5回]

次は基準02です。最初に提示されたのは、基準01と同じく旧スレッドの56でした。

>基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。
>   *)検証になる特殊な場合はある。

基準02は議論にも入っておらず、具体的にどういう理論が違反例なのかも、まだ示されていません。それに上記の言い方も「検証にはあまりならない」とか「検証になる特殊な場合はある」と、えらく曖昧な表現で、どこまでが対象なのかが分かりません。ですから、ここでは「Aと対立するBの否定がAの検証とされる」事例が、特殊でもなんでもなく、世にありふれていることを説明します。まず、地動説の話から始めましょう。

私は、地動説が支持を集めてきた歴史的経緯には、3つのステップがあったと考えます。

むろん最初はコペルニクスです。地動説が出版されたのは1543年ですが、コペルニクスは16世紀の初めから地動説を主張していたといわれます。コペルニクスの根拠は、観測される惑星の動きでした。火星や木星は「行きつ戻りつ」のような複雑な動きを見せますが、当時の天動説は、それぞれの惑星が周回運動をしており、その周回の中心自体が地球を周回するという想定をしていました。図で表すとこうなります。
en.wikipedia.org/wiki/Geocentric_model#/media/File:Ptolemaic_elements.svg
これに対してコペルニクスは、地球を中心に据えるからそんな複雑な系になるので、太陽が中心で各惑星は太陽を単純に周回すると考えれば、そんな複雑な動きを考えなくてもよいと主張しました。コペルニクスが考えたのは、こういうモデルです。
en.wikipedia.org/wiki/Copernican_heliocentrism#/media/File:Copernican_heliocentrism_diagram-2.jpg

第2のステップを進めたのはケプラーでした。1609年から発表された「惑星運動の法則」で、惑星はコペルニクスが想定した円軌道ではなく、太陽を1焦点とする楕円軌道を描き、かつ太陽からの距離と惑星の速度には厳密な関係がある、というものでした。ケプラーの法則が登場したことで、天体位置の予測精度で、地動説は天動説に明確な差をつけるようになったのです。コペルニクスのモデルでは天動説に差をつけることはできませんでした。ここで地動説への支持が一気に拡大します。ちなみに、私は、この時代に地動説を支持した罪でガリレオを裁いた教会の人々も、内心では地動説が正しいと知ってたと考えます。

第3のステップは1851年に行われたフーコーの実験です。高い天井から吊り下げた振り子が時間の経過とともに振れる方向が変わってゆくのは、地球が自転していることの証明です。振れる方向が変わる速度は、実験が行われたパリの緯度から予測されるとおりでした。

以上のステップを経て地動説は支持されてきましたが、では、この中で基準02に違反しない「正しい科学」の手法に沿っているのはどれでしょうか? 天動説の否定ではなく、その仮説自体の証拠があるのはどれでしょうか? 最も決定的なのはフーコーの実験でしょう。これは天文観測にも依存しない力学解析の結果ですから。

常識的な考えをする人なら、ケプラーの段階で地動説を確信するはずです。この理論で行われた精密な予測が的中するのですから、証明として十分です。

問題は、ケプラーより1世紀前に現れたコペルニクスの主張です。この時点で地動説を支持する理由は、天動説では複雑な惑星運動を想定せねばならないという、天動説の難点だけでした。これは基準02に違反するのではありませんか? 近代科学の始まりといわれるコペルニクスの地動説は、じつは疑似科学だったのでしょうか?

(続く)


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