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科学と疑似科学とを判別する(2)

396ゲジゲジ:2023/06/20(火) 23:06:26 ID:NidQGNhQ
まず、私も勘違いしていたのですが、「ストーリーか物証か」は論点ではありません。
[>>339]の以下発言を撤回します。
 >今、論点は、「ストーリー」か「物証」か? になったと認識しています。


もう一度(何度目になるか分かりませんが)論点を整理しましょう。
そもそもの基準2は以下です。

基準2:理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。

さて、
==== 国語辞典より ======
検証:
実際に物事に当たって調べ、仮説などを証明すること。
実際に調べて証拠だてること。仮説を実証すること。
==================

つまり対立仮説の否定をしても、それだけでは自説が正しい証明にならないし、対立仮説の否定は自説が正しい証拠にはならない、という事です。

ひっくり返して言うと、自説が正しいとするためには、自説を肯定する証拠、自説を肯定する根拠が必要という事です。
基準2の命題そのものから論理的に導けるのはここまでです。
自説を肯定する証拠とは具体的に何か、根拠とは具体的に何か、というところまでは、基準2の命題そのものからは論理的に導けません。

仮に基準2が、「理論Aと対立する理論Bに物証がないことを指摘して理論Bを否定しても、理論Aの検証にはならない」だとしたら、理論Aを肯定する物証が必要という事になりますが・・・


そして次に「ストーリー」です。

[>>319]
 >別の道を否定するだけで、自分は何の道もたどらず結論にいたるのが基準2違反ですか。
 >言い換えれば、対立仮説の否定で済ませるのは、自説に物証がないからではなく、
 >自説にストーリーがないからですね。

[>>328]
 >つまり、基準違反になる「自説にストーリーがない」とは、
 >提唱者の脳内にストーリーがないという意味ではなく、
 >脳内のストーリーを言葉で十分に説明してない、という意味ですか?

**** 以下[>>336]より抜粋・一部誤字修正して再掲 *****
以前、Ken様ご自身がこう仰っていましたよね。
[>>252]
 >このように、観測事象から帰納するか、既知の理論から演繹するか、
 >少なくともどちらか一方を根拠に、仮説は提唱されるわけです。
今、論点になっているストーリーというのは、つまりは仮説に至る帰納なり演繹なりのプロセスです。

即ち、「ストーリー」とはより正確に言えば、何らかの根拠(観察事象や既知の理論)に基づいて仮説を導いた思考のプロセスです。従って「ストーリー」があるのであれば、必ずそこには根拠となった事象や理論があるはずなのです。そしてその根拠となった事象や理論は、仮説が提唱された後には、その仮説を裏付ける「evidence」の1つとなるはずです。

ストーリーがあるということは根拠があるということですし、根拠があるということは「evidence」があるということです。(略)

そもそもストーリーのない理論を発想することは不可能でしょうけれど、根拠のないストーリーもまた、発想することは不可能ではないでしょうか? 単に「こうだといいなぁと思うから」などと言ったところで科学的仮説にはなり得ないですよね?

【まとめ】
ストーリーとは、根拠に基づいて仮説を導く思考のプロセスである。
よって、ストーリーがあるということは根拠があるということ。ストーリーがないということは根拠がないということ。
そして、その根拠は仮説の「evidence」の1つとなる。従ってストーリーがあるなら「evidence」がある。「evidence」とは仮説が正しいことを裏付ける「証拠」であって、「物証」に限定されない。

**** 再掲ココまで *****

ストーリーとは則ち、「この根拠(evidence)があるからこの仮説は正しい(と言える)」という主張の事です。根拠(evidence)とストーリーとはイコールではありませんが、根拠(evidence)があるなら必ずストーリーがあります。


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