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科学と疑似科学とを判別する(2)

1diamonds8888x:2021/03/06(土) 19:44:21 ID:Qix9q/lA
「科学と疑似科学とを判別する」のバート2です。1000件越えたら、こちらにどうぞ。

2Ken:2021/04/03(土) 22:25:14 ID:l3c2r2bk
>[>>943]は全文その通りです。

そうであるなら、私の方から指摘したいことがあります。その中で、下の要請にも答えられると思います。

>[>>942]と[>>944]の「【重点項目】」以降の文章についても、合わせてのレスをいただけますか?

私からの問題提議は、この部分に関連します。

>「Pではない」という表現を「命題Pは正しくない」という意味で使って来ました

diamonds8888xさんの文意を私が正しく理解しているという前提で問いますが、このような意味で「P∧¬P」はありえないというのは、「基準」なのでしょうか? その切り口での問題提議なので、diamonds8888xさんの意図を理解してないように思える文章がしばらく続くかもしれませんが、忍耐をお願いします。

まず、私たちが議論している「基準」とは、具体的な科学理論を対象とし、ある理論は、例えば反証可能であるというような、正しいステップを踏んで構築されたが、別の理論はステップを踏み外した疑似科学と判定するもののはずです。そして、正しい科学理論であれ、疑似科学であれ、科学理論であるなら、なにかの具体的な事象を予測するはずです。たとえば、

光は粒子である ∧ 光は波動である

という理論を考えてみましょう。この理論がどういう具体事象を予測するかを考察するには、まず、なにをもって「粒子」とみなし、「波動」とみなすかの定義が必要になります。そこで、私は>>687で、

粒子とは離散的な「かたまり」
波動とは周期的な変化

と定義しました。あるいは、この定義に異論をもたれるかもしれませんが、今は、定義することの例に挙げているだけなので、お付き合いください。つまり、

光は粒子である ∧ 光は波動である

という命題は、ただちに、

光は離散的な「かたまり」である ∧ 光は周期的な変化である

という命題になり、そこから、

光は離散的な「かたまり」の事象を示す ∧ 光は周期的な変化の事象を示す

になります。つぎのステップは、それぞれの事象の例を挙げることですが、その事象の例が、古典力学と量子力学で異なります。今は、古典力学で話を進めましょう。

古典力学では、光が示す粒子性の例として、

A:回折しない / 真空中を伝わる / 質量移動を起こす

ことが挙げられ、波動性の例としては、

B:屈折する / 交差する / 質量移動を起こさない

が挙げられました。この場合とくに「質量移動を起こす」と「質量移動を起こさない」に注目すると、

(光は粒子である ∧ 光は波動である)

という理論から、

(光は質量移動を起こす ∧ 光は質量移動を起こさない)

という事象が予測されるのであり、その予測内容から、「光は粒子である∧光は波動である」という理論を検証できることになります。とくにこの場合には、基準05が違反とみなす「P∧¬P」に該当するかの検証が可能になります。

具体事象を予測できるのだから「光は粒子である∧光は波動である」は、疑似科学かどうかはともかくとして、すくなくとも科学理論であり、科学理論であるから基準の対象になります。

重要なことは、粒子と波動の定義が、

粒子とは離散的な「かたまり」
波動とは周期的な変化

であることで、そこに古典力学の知識体系を適用することで、

粒子は質量移動を起こす
波動は質量移動を起こさない

が導かれるわけです。

ところが、もし、粒子と波動のそもそもの定義が、

粒子とは質量移動を起こすもの
波動とは質量移動を起こさないもの

であったらどうでしょうか? その定義から出発して、

粒子は質量移動を起こす
波動は質量移動を起こさない

を導くのは、科学理論でしょうか? 私には、到底そうは思えません。そして、どう考えても、今回diamonds8888xさんが言われていることは、これの同類ではないかと思うのです。

「太陽が昇らない」の定義は、「太陽が昇る」の定義の補集合といわれるわけですね。でも、そこから「太陽が昇る∧太陽が昇らない」に該当するどんな具体事象を想定できますか? というよりも、具体事象は想定不可能だから、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は絶対に実現不可能、というのがdiamonds8888xさんの主張ではないのでしょうか?

ですが、具体事象を想定できないのなら、そもそも科学理論ではないし、基準の対象でもないでしょう。逆の言い方をするなら、判定対象がないのなら、基準05自体の存在理由がなくなりませんか?

結局、基準05とは、なんのために、そこにあるのですか?

3Ken:2021/04/03(土) 22:32:34 ID:l3c2r2bk
diamonds8888xさんの最後の投稿番号が947だったので、まだ同じスレッドでいけると思いましたが、強制的に新しいスレッドに入れられました。

4diamonds8888x:2021/04/04(日) 08:24:13 ID:Qix9q/lA
>>3
 了解です。
 なお新しいスレッドでは、[>>番号]の形で旧スレッドのコメントを直接参照することはできません。仕方ないですね。

5diamonds8888x:2021/04/04(日) 08:32:29 ID:Qix9q/lA
>>2
> 結局、基準05とは、なんのために、そこにあるのですか?

 一番簡単に言えば。我々が検討している基準は「科学理論ではない」ものを除くためのフィルターです。基準に反するものは「科学理論ではない」のは当然です。

> 粒子とは離散的な「かたまり」
> 波動とは周期的な変化
>    〜中略〜
> (光は質量移動を起こす ∧ 光は質量移動を起こさない)
> という事象が予測されるのであり、その予測内容から、「光は粒子である∧光は波動である」という理論を検証できることになります。

 ここまでは全くその通り。「とくにこの場合には、基準05が違反とみなす「P∧¬P」に該当するかの検証が可能になります。」というのが具体的に何をすることと想定しているのかわかりませんが、普通はこのあと次のように推論が続きます。

  ・「P∧¬P」と矛盾が生じたのだから、この理論は正しくない。つまり、ここまでの前提のどこかが正しくない。
  ・どこが正しくないのか検討する。

 これは基準05も何も、普通の科学理論研究そのものです。

>であったらどうでしょうか? その定義から出発して、

> 粒子は質量移動を起こす
> 波動は質量移動を起こさない

> を導くのは、科学理論でしょうか?

 論理的に間違いではありませんが、省略可能な推論ですよね。でもやったのはもっと複雑な推論でしたよね? やったのは次のような推論でしょう?

A:回折しない / 真空中を伝わる 
   =>故に光は粒子である =>粒子の定義により /(光は)質量移動を起こす

B:屈折する / 交差する
   =>故に光は波である =>波の定義により / 質量移動を起こさない

   =>故に 「(光は質量移動を起こす ∧ 光は質量移動を起こさない)」

 この後は上記と同様にして、この理論は正しくない。つまり、ここまでの前提のどこかが正しくない。

 以上のように、「これの同類ではないかと思う」というところの「これ」というのが何かが私にはわかりませんが、それ以降の文は独立して理解できますよ。


>ですが、具体事象を想定できないのなら、そもそも科学理論ではないし、基準の対象でもないでしょう。逆の言い方をするなら、判定対象がないのなら、基準05自体の存在理由がなくなりませんか?

 まともな科学理論と科学理論と自称していて実は科学理論ではないものとが判定対象です。その2種類を識別するのが基準の目的です。「そもそも科学理論ではない」というような判断をくだすための基準です。

 具体事象を想定できるか否かは基準には入れていません。Kenさんが独自基準として入れるのは勝手ですが、今はKenさんの基準をテーマにしてはいないでしょう? 入れてもよさそうにも思えますけど、それは基準01-06とは別の基準ですから、今の我々の議論で考慮すべきことではありません。

6diamonds8888x:2021/04/04(日) 09:03:22 ID:Qix9q/lA
>>2,>>5
> 結局、基準05とは、なんのために、そこにあるのですか?

 念を押せば、Kenさんが「科学理論ではない」とすぐにわかるから対象にするまでもない、と考えるような理論をも含めて判定するための基準です。トンデモさんはどんなとんでもない理論を「科学的だ」と自称してくるかは予測できませんからね。判定すべき対象は判定者が選べるわけではないので、条件は付けられないんですよ。

7Ken:2021/04/07(水) 23:04:56 ID:l3c2r2bk
はじめに、

>[>>番号]の形で旧スレッドのコメントを直接参照することはできません。

旧スレッドは、どうやら、

jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/

というディレクトリにあるようなので、たとえば、これまで「>>800」のようにして参照してきた投稿は、

jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/800

と、そのディレクトリの中の番号を指定すると呼び出せるようです。私が作ったプログラムではないので、保証はできませんが。

8Ken:2021/04/07(水) 23:05:45 ID:l3c2r2bk
さて、本題です。

>具体事象を想定できるか否かは基準には入れていません。

考えてみれば、そもそも、なぜ、特定の理論を「疑似科学」と判定して、人々の注意を喚起したり、教育の場から排除する必要があるのでしょうか? そのような「疑似科学」が、「正しい科学」の発展を妨げるからこそ、「基準」を設けて、ふるいにかけるわけですよね。

ですが、具体事象を出さない「疑似科学」に、いったい何ができますか? 具体性をもたない抽象論と、具体事象を追求する科学には、そもそも接点がなく、抽象論が具体論を妨げることなどできません。そして、今回、明らかになったのは、diamonds8888xさんが基準違反の例に挙げられた「太陽が昇る∧太陽が昇らない」も、その抽象論のたぐいということでした。私は、ここが分からなかったので、長い行き違いが生じたのです。

当初、私は、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が意味するのは、同じ1つの太陽が「ω>0」と「ω≤0」という2つの速度を示すという具体事象と思っていました。だからこそ、これはまだ「東に昇る∧西に昇る」を論じていた時でしたが、コンピュータ・シミュレーションの話までして、それが実現可能と主張しました。

ところが、diamonds8888xさんの論点は、「ω>0」と「ω≤0」の並立は「太陽が昇る∧太陽が昇らない」そのものではなく、法則aが破れないことを前提にした場合の具体例にすぎないので、法則aが破れ、現実に「ω>0∧ω≤0」が観測されたら、「昇る」「昇らない」の定義が変わり、「ω>0∧ω≤0」(正確には「ω₁>0∧ω₂≤0」)は「昇る∧昇らない」ではなく、「昇る」か「昇らない」のどちらかに含める、というものですね。943で確認したのはそのことでした。

jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/943

でも、それなら「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は、抽象論になります。そして、私の問題提議は、抽象論が科学の発展を妨げるか、というものです。

例を挙げましょう。優れた業績を上げた科学者で、神を信じている人はいます。アインシュタインは難解な表現をするので判定が難しいのですが、それでも彼の語録を総合すれば、やはり神を信じていたと思います。ましてや、ガリレオやニュートンなどは、時代背景からして無神論者だったとは考えられません。それでも、原理主義者でもない限り、そこに矛盾はみないでしょう。「神が存在する」などは、抽象論だからです。

歴史を見ると、「疑似科学」が科学を妨げたと評価されるのは、抽象論の域を越えて、具体論を出した時なのです。

例えば、17世紀のアッシャー(James Ussher)という人は、旧約聖書を詳細に研究して、世界が誕生したのは、前4004年と算出しました。旧約聖書には、最初の人間アダムからの系譜と、父親が何歳のときに息子が生れたという記述があるので、年代が確定した時代から遡れば、算出は可能です。それでも研究者によって結論は異なり、同じ経典に拠りながら、ユダヤ教では創世は前3760年、ギリシャ正教では前5508年とされたと、アジモフは著書の「The Wellsprings of Life」の第3章で述べます。いずれにせよ、創世から数千年しか経っておらず、アッシャーの結論では、今年(2021年)は、世界ができてから6024年後になります。

問題は、世界が前4004年に誕生したというのは、抽象論ではなく、具体論であることです。そこから、自然科学との衝突が起こりました。

アジモフはアッシャーの結論を紹介した後、1世紀以上を経た18世紀末の歴史を語ります。この時代には地質学の研究が進み、岩がどういうプロセスで形成されるかが分かってきました。そこから、現存する地層が、たかだか数千年でできたはずがないという結論になり、創世が数千年前という理論と矛盾します。そこで、旧約聖書を字義通りに信じる人は、地質学の結論を否定しました。宗教と科学が対立した1事例で、原因は、「創世は前4004年」という具体論を出したことにあります。

また、旧約聖書では、神は創世の5日目に魚のような水中生物と鳥のような飛行生物を作り、6日目に人間を含む陸上生物を作ったとあります。ここから、それぞれの生物種は別々に作られたという具体論が生じ、人間を含むあらゆる生物は共通先祖をもつという進化論との対立が生じました。

どちらの例をみても、「疑似科学」が「正しい科学」を妨げるのは具体論を出す時で、抽象論にとどまる限りは、ことさら「疑似科学」などと称して、問題にする必要がないだろう、というのが私の考えなのです。

9Ken:2021/04/07(水) 23:06:17 ID:l3c2r2bk
では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という「疑似科学」はどうでしょうか? これが、正しい科学の発展を妨げることができるか、思考実験をやってみましょう。

今の私たちは法則aを支持してますから、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は実現しないと考えます。正確に言いますと、法則aが破れないのだから、これは、同じ太陽で「ω>0」と「ω≤0」という2つの速度が観測されることはない、という意味です。

そこに、それは起こりうるという主張が現れた場合を考えます。その場合、主張者に向けて「正しい科学」が発する最初の言葉は、

〜では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を表す事象を見せてください

になるはずです。もしも主張者の側が、「今は観測できないが、理論的にありうる」と主張するなら、今度は、

〜では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体事象として語ってください

になるでしょう。今回の議論で、diamonds8888xさんが私に求められたのは、これでしたね。普通はこれで決着がつくはずですが、もしも「具体事象」の定義が不明確で議論が混乱するなら、このように要求すればよいのです。

〜では、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を、コンピュータ・シミュレーションで実現してください

もしも、具体事象として表せるのなら、たとえば法則aのように、現在支持されている法則と一致しようがしまいが、シミュレーションで実現できるはずです。シミュレーション結果を見れば、「ω>0」と「ω≤0」の並立が可能かどうかはすぐに分かり、論争は終わります。

慎重を期すため、今度はその逆。正しい科学が「太陽が昇る∧太陽が昇らない」がありうると主張し、「疑似科学」の側が、それを否定する場合を考えましょう。

もしも、正しい科学が「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張をするなら、必ず具体事象を示すはずです。最初に「昇る」とはω>0が観測されること、「昇らない」とはω≤0が観測されることと定義し、その上で、ω>0とω≤0という速度を示す2つの太陽が、実は同じものであると示す事象を挙げることでしょう。私が何度も挙げたことです。

(1)2つの太陽の大きさ、等級、質量、スペクトル型等が同じ
(2)黒点やフレアが同じ形状で同じタイミングで現れる
(3)巨大天体が衝突してどちらか一方が破壊されたら他方も同時に破壊される

これに対して、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を否定する側が、「太陽が昇らない」は「太陽が昇る」の補集合であるから、ω>0とω≤0の観測だけでは、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」の命題が成立していない、と言ったところでどうなりますか? 正しい科学の主張はあくまでも「ω>0∧ω≤0」の具体事象であって、抽象表現ではないのだから、関係のないことです。

「ω>0∧ω≤0」の状態を、ある人は「太陽が昇る」と表現するかもしれないし、別の人は「太陽が昇らない」と表現するかもしれません。「太陽が昇る∧太陽が昇らない」と表現する人だって現れるかもしれませんが、どうでもよいことで、言わせておけばよいのです。抽象論でだれが何を言っても、具体事象を否定することも、それが世に及ぼす影響を妨げることもできません。そういう人は仲間内で神学論争をしているだけです。

非常に重要な点ですので、再度強調します。かつて地質学や進化論が反対されたのは、そこに旧約聖書の記述という具体論があったからです。

抽象論だから「疑似科学」ではない、とまで言い切るつもりはありませんが、具体事象を挙げないのなら、「神を信じる」と同列のものであり、科学が相手にするべきものではないだろう、というのが私の考えです。もしそれを問題にするのなら、科学的根拠に基づかないあらゆる信仰や思想まで問題にせねばなりません。

よって、やはり基準05の存在理由は私には見えません。

10diamonds8888x:2021/05/29(土) 07:51:48 ID:Qix9q/lA
>>8, >>9
 リンクの間違いでしばらくアクセスできずお待たせしたと思います。すみません。
 ただ、またしばらく忙しくて発言が途絶えると思いますので御了承のほどを。


 抽象と具象とを区別し過ぎていませんか? 抽象は具象から生まれたものであり、無関係ではありませんよ?

 典型的には、りんごの数、皿の数、人数、星の数、などから個別に異なる属性は捨ててしまって(つまり抽象して)得られたのが"個数"という抽象概念です。この抽象概念を使えば、「どんな具体的対象に関しても」4個の塊が3個集まれば総個数は3✕4で知ることができます。星は星で具体的に確認しないとだめだ、なんて言う人はいません。

 自然法則も抽象概念で、例えばニュートンの第1-第3法則は、様々の具体的な固体粒子の運動に共通する性質を抽象化したものです。論理法則もそうで、諸々の自然法則や数学定理、そこまでまとめられていなくても日常の正しい推測のパターンなどに共通するパターンを取り出した抽象概念です。

 ¬(P∧¬P)もその共通バターンのひとつであり、Pがどんな文でも成立するものです。具体的な文にしたら違うかも知れないなどというのは、星の数の場合は3✕4=12個にはならないかも知れない、というようなものです。

11名無しさん:2021/05/30(日) 23:33:56 ID:l3c2r2bk
問題は、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」などと表現する人を、

「あの人は疑似科学者ですよ。気をつけましょう」

と、注意を喚起しますか、ということです。具体論でないのなら、論理的整合などは、科学が知ったことではないのでは?

たとえば文学としてなら、「太陽が昇り昇らず」なんて表現が現れても、だれも問題にしないと思いますよ。あるいは、昔の軍歌に、

「見よ東海の空あけて、旭日高く輝けば」

という一節がありましたが、「旭日」とは日の出の直後の太陽だから、高く輝くはずがありません。水平線か地平線の近くの低い位置にあるはずです。でも、この歌のせいで、日の出の直後の太陽が高角座標に位置すると、そんな誤解が生じると思われますか?

結局、ただの文学表現なのか、それとも科学表現なのか。それを分けるのは、現実に起こる具体事象と主張するかではないのでしょうか?

>第1-第3法則は、様々の具体的な固体粒子の運動に共通する性質を抽象化したものです。

ニュートンの法則は、抽象化というよりも、具体論をまとめた一般化というべきでしょう。重要なのは、ニュートンの法則からは、物体がどう動くのか、個別の具体事象を導けますが、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」

からは、それができないのです。(できるとするのが基準05だと、私は長く誤解してたのですが。)もしも、

同じ太陽で「ω>0∧ω≤0」という速度が観測される

という具体論にできるのなら話は別ですが、そうではないのですよね。

>星の数の場合は3✕4=12個にはならないかも知れない、というようなものです。

たとえば文学表現として、

3つ星の星団が4つで、星の数は11

というだけなら、科学の知ったことではありません。

具体事象として、11個の星があるというのなら、科学の対象になります。そして、その場合は、私が「東に昇る∧西に昇る」や「昇る∧昇らない」で行なったのと同様の考察が、つまり、3つ星の星団が4つあるという事象と、合計11の星があるという事象の並列が、絶対に起こりえないか、を考察することになるでしょう。

ただし、diamonds8888xさんの基準として、抽象表現でも、科学を妨げるからアウトだといわれるなら、本スレッドでは従いますが、そうなると、禅問答などは軒並みアウトになると思います。芸術や宗教などは、科学とは関係のないところで存在していると思うのですが、その存在も許されなくなるでしょう。

12Ken:2021/05/30(日) 23:35:23 ID:l3c2r2bk
>>11は私の投稿です。失礼しました。

13diamonds8888x:2021/06/06(日) 12:03:48 ID:Qix9q/lA
>>11
 論理法則は抽象的とは言えますが、文学ではなく、具体的事象と無関係でもありません。
 抽象的な万有引力の法則と同様にりっぱな科学の法則です。
  (科学ではなく数学だとかいう重箱の隅のツッコミは却下)

 抽象的ならば文学?? あんまりふざけないでください。

 言葉の使い方、というより概念の分類がおかしいですよ。次のものは抽象ですか具体的ですか? そして、それは文学ですか?
   万有引力の法則
   マクスウェルの方程式
   ピタゴラスの法則
   シュレジンガーの波動方程式
   熱力学第2法則
   エトセトラ

14diamonds8888x:2021/06/06(日) 12:10:56 ID:Qix9q/lA
>>11,>>8,>>9
 まず旧の942,944,については理解してもらえてますか?
[tps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/942]
[tps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/944]

 Kenさんの941の認識を追認しているだけですけどね。
[tps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/941]
> 太陽が昇る ∧ 太陽が昇らない
> 「太陽が昇る」が正しい ∧ 「太陽が昇る」は正しくない

> この2つが論理構造上、同じであるとは思えません。もっとも、


 まあでも、まずは「抽象論は科学には不要」みたいな偏見をまず正してもらうのが先ですね。
 このコメントはメモとして残します。

15diamonds8888x:2021/06/06(日) 12:26:39 ID:Qix9q/lA
>>11,>>13
 ああ、なるほど躓いたのはここですか?
 論理法則はまさしく、おっしゃる通りの一般化に他なりません。

>ニュートンの法則は、抽象化というよりも、具体論をまとめた一般化というべきでしょう。重要なのは、ニュートンの法則からは、物体がどう動くのか、個別の具体事象を導けますが、
>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」
>からは、それができないのです。(できるとするのが基準05だと、私は長く誤解してたのですが。)もしも、

 基準05の論理規則は「¬(P∧¬P)」ですからね。個別の具体事象では、
 「(太陽が昇る∧太陽が昇らない)という事象は起きない」ですからね。

>同じ太陽で「ω>0∧ω≤0」という速度が観測される
>という具体論にできるのなら話は別ですが、そうではないのですよね。

 だから、具体的にはそんな現象が「起きない」という命題です。

 否定命題はすべて具体論ではないとでも言うのですか?

 以下の命題は抽象論であり科学ではないのでしょうか?
 ・エネルギー保存則に反する事象は起きない
 ・物質が理由もなく消滅することは起きない
 ・1+1は4ではない
 ・ エトセトラ

16Ken:2021/06/06(日) 19:05:09 ID:l3c2r2bk
どうも「抽象的」という言葉でひっかかってるようですが。

>抽象的ならば文学?? あんまりふざけないでください。

「抽象的」でなければ、何と表現すればよいのでしょうか?

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が論理的にありえないことは分かってるつもりです。私が言いたいのは、論理的にありえない表現は、世にあふれているではないか。それをすべて「疑似科学」として問題にされますか、ということなのですが。

前回は軍歌を挙げましたが、今度は童謡の例を出しましょう。

春の小川は さらさら行くよ
岸のすみれや れんげの花に
姿やさしく 色うつくしく
咲けよ咲けよと ささやきながら

この歌を字義通りに解するなら、「川」という無生物が、意思をもって語りかけてることになりますから、これも立派な「疑似科学」になりませんか? しかもこれは文部省唱歌だから、学校という教育の場に疑似科学を持ち込んだわけで、天地創造論を学校で教えるのと同列でしょう。

でも、そんな理由で、こういう歌を学校で教えることが問題視された話を聞いたことがありません。なぜでしょうか?

理由は簡単です。上記の歌は文学表現で、科学的表現ではないからです。では、文学表現と科学表現はどこが異なるのでしょうか?

私は、こう考えます。言葉で表現されることが、現実の具体事象であると主張するのが、科学表現であると。もしも、「川」が意思をもって語るという事象が現実に起こると主張するなら、それは科学表現であり、よって、科学として正しい形をとっているかが問題になるでしょう。でも、上記の歌は、そうではないのだから、問題にされないだけではありませんか?

さて、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という表現ですが、ここからは、

同じ太陽で「ω>0∧ω≤0」という速度が観測される

のような具体論にならない、というのがdiamonds8888xさんの論点ですよね。それなら「旭日高く」や「川がささやく」とかわるところがなく、ことさら「疑似科学」などと問題視する必要がないのでは、と指摘してるのですが。

17Ken:2021/06/06(日) 19:42:42 ID:l3c2r2bk
たとえばニュートンの法則からは、どういう具体事象は起こりえて、どういうことは起こりえないか、が導けるのです。ニュートンの第2法則は、

F = ma

ですから、

1kgの質量に1Nの力が働けば1m/s²の加速度を生じる → 正しい
1kgの質量に1Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる → 正しくない

のように。

ですが、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」

からは、具体事象が出てこないのです。それなら、この論理式が正しかろうが誤りであろうが、科学の知ったことではない、と私は思うのですが。

18diamonds8888x:2021/06/12(土) 17:07:01 ID:Qix9q/lA
>>16,>>17
 基準05の文章とはまるで質の違う歌やら文学やらの文章を長々と書くのは記憶容量の無駄使いです。そりゃまあテキストだし、ほぼゼロに等しい量だけど。

>どうも「抽象的」という言葉でひっかかってるようですが。

 「抽象的」の普通の意味を狭くして、ひっかかってるのはKenさんの方ですが、それはともかく。

>「抽象的」でなければ、何と表現すればよいのでしょうか?

 御自分で言ったでしょう?「具体論をまとめた一般化[>>11]」でいいですよ。

>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」

>からは、具体事象が出てこないのです。

 >>15 参照。

 「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は抽象論だと考えるのですか?

 「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「決して実現しない具体事象」です。「実現しない具体事象」「存在しない具体事象」という概念が使えなければ背理法も使えず、論証というものが使えなくなります。ついでにゼロが発明だか発見だかされることもなかったでしょう。
 で、Kenさん好みの言葉を使うならば、「P∧¬P」というのが一般化された命題ですね。そして「決して正しい具体論はあり得ない一般論」というのがピッタリでしょう。

19Ken:2021/06/13(日) 00:51:28 ID:l3c2r2bk
問題はここですね。

>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「決して実現しない具体事象」です。

私がいう「具体事象」とは、どのような観測がなされたらそれが実現したといえるか、が明示的に定義されることをいいます。「ω>0∧ω≤0」が具体事象であるのは、それを成立させる観測事象が明らかであるからです。繰り返し挙げていますが、

--------------------------------------------------------------------------
2つの太陽が観測され、一方は ω > 0 の角速度を、他方は ω ≤ 0 の角速度を示す。また、この2つの太陽は、

(1)2つの太陽の大きさ、等級、質量、スペクトル型等が同じ
(2)黒点やフレアが同じ形状で同じタイミングで現れる
(3)巨大天体が衝突してどちらか一方が破壊されたら他方も同時に破壊される

という特徴を示す。
--------------------------------------------------------------------------

科学理論とは、このように事象を具体的に定義するものです。そして「疑似科学」が科学を妨げるものであるなら、少なくとも、科学と同じ土俵に登らねばなりません。事象の具体化は、疑似科学にもまた必要なのです。

私は、当初、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は、上記のような観測事象を意味するもので、diamonds8888xさんは、そういう観測事象が起こり得ないと主張されているものと思っていました。ところが、そうではないことが分かったのです。

上のように定義される「ω>0∧ω≤0」と、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はイコールではない、という点が問題の根幹になります。「ω>0∧ω≤0」が現実に観測されたら、「昇る」「昇らない」の定義が変わり、「ω>0∧ω≤0」は「昇る」と「昇らない」のどちらかに含まれるわけですよね。旧スレッドの943でそれを確認しました。

でも、それなら、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は、具体事象として、どういう観測がなされるべきかという定義がないのです。それは「科学」でないのみか「疑似科学」にもならないのではありませんか? 

こう考えてみてはどうでしょうか。

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張が現れたとして、それが「正しい科学」のどの部分を妨げるのでしょうか? どんな理論、どんな知見を否定しますか?

天動説は地動説を妨げたし、アッシャーの理論は地質学を妨げました。でも、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」にそんなことができますか?

ただし、「論理式として正しくないものは、それだけで疑似科学の要件をみたす」と言われるのなら、それは1つの見識ですから、本スレッドで反対することはありません。ただ、それなら、「旭日高く」や「川がささやく」のような文学表現も、多くの経典に現れる宗教表現も、すべて、科学を妨げる疑似科学として、排除の対象になりますが、それでよろしいですか、とお尋ねしています。

20Ken:2021/06/13(日) 07:10:19 ID:l3c2r2bk
「一般化」について、もう少し、語りましょう。

ニュートンの法則は、たしかに一般化です。それは個別事象をまとめたもので、法則から個別事象を予測することができます。第2法則(F=ma)からは、

1kgの質量に1Nの力が働けば1m/s²の加速度を生じる
1kgの質量に2Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる
2kgの質量に1Nの力が働けば0.5m/s²の加速度を生じる

のような具体事象が予測されますし、もし予測がはずれ、

1kgの質量に1Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる

のような具体事象が観測されたら、一般化された法則は否定されるのです。

ところが、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は実現しない

という法則はどうでしょうか? ここから、なにかの個別事象を予測できますか?

当初、私は、予測できるのが当然の前提であり、予測される観測事象としては、

「同じ太陽がω>0とω≤0の2つの速度を示す」は実現しない

であると考えたのです。ここでは「昇る」の定義は「ω>0」、「昇らない」の定義は「ω≤0」としています。

ところがdiamonds8888xさんから、もしも現実に「ω>0∧ω≤0」が観測されたら、「昇る」「昇らない」の定義が変更され、「ω>0∧ω≤0」は「昇る」か「昇らない」かの、どちらか一方になる、という指摘がありました。

それなら、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は実現しない

という法則は、予測に反する個別事象で否定されることはありえず、言い換えれば個別事象を予測してないことになりますから、一般化とはいえないでしょう。

「一般化」でないとすれば、何と表現すればよいのでしょうか? 私は「抽象論」「文学表現」「神学論争」という言葉で表現しようと試みてきました。「神学論争」と呼ぶのが適当かもしれません。個別事象を予測するのではなく、観測される事象をどういう言葉で表現するかを、問題にしてるのですから。

私の論点はお分かりでしょうか? 私は、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は実現しない

が間違いといってるのではありません。間違いではないが、具体的な観測事象を対象とする科学には応用することができず、そもそも科学と接点がないのだから、疑似科学の判別もできないのでは、と言っています。

21ゲジゲジ:2021/06/13(日) 12:47:18 ID:ceF1Bqvc
久しぶりにヨコから失礼します。

どうやら科学と疑似科学とを判別する「基準」を議論する以前の所、“「基準」を適用する対象は何か?”という所で食い違っているようですね。

私は単純に次のように考えていますし、そういう認識でお2人の議論を見守ってきたのですが、どうやらKen様は違っていたようです。
diamonds8888x様は如何でしょうか?

すなわち、【科学と疑似科学とを判別する「基準」は、「科学を称している理論」を判別するものである。】
具体論とか抽象論とかではなく・・・

私の考えをもう少し具体的に述べておきます。
ken様の投稿 >>8から

---以下引用---
例を挙げましょう。優れた業績を上げた科学者で、神を信じている人はいます。アインシュタインは難解な表現をするので判定が難しいのですが、それでも彼の語録を総合すれば、やはり神を信じていたと思います。ましてや、ガリレオやニュートンなどは、時代背景からして無神論者だったとは考えられません。それでも、原理主義者でもない限り、そこに矛盾はみないでしょう。「神が存在する」などは、抽象論だからです。
---ココまで---

「神は存在するという考えは科学的に正しい」とか
「神は存在することは科学的に証明されている」といった主張は疑似科学です。

「(私は)神は存在すると思う」とか、あるいは
「(科学では解明されていないが)神は存在するのが真実だ」という主張は疑似科学ではありません。


---以下引用---
また、旧約聖書では、神は創世の5日目に魚のような水中生物と鳥のような飛行生物を作り、6日目に人間を含む陸上生物を作ったとあります。ここから、それぞれの生物種は別々に作られたという具体論が生じ、人間を含むあらゆる生物は共通先祖をもつという進化論との対立が生じました。
---ココまで---

「神は創世の5日目に(略)陸上生物を作ったと考えるのが科学的だ」なら疑似科学、
「神は創世の5日目に(略)陸上生物を作ったと私は思う(信じる)」だったら疑似科学ではありません。


実際には「科学を称している」かどうかというのは、前後を含めた文脈で判断されるケースが多いと思います。

「旭日高く」や「川がささやく」のような文学表現は、文学表現として語られるのであれば疑似科学ではありません。
多くの経典に現れる宗教表現も、信仰の場で語られるなら疑似科学ではありません。
しかし科学の議論をする場で同じ事を言ったなら、疑似科学として批判されるでしょう。
これらは具体論であろうが抽象論であろうが、科学の議論の場からは排除されねばなりません。

そもそもの議論のきっかけになったID論も、ドーキンスが「疑似科学だ」と批判したのは、「科学的仮説の1つとして科学教育の場で教えよ」という主張だったからです。
もし「科学とは別の考え方として、宗教教育の場で教えよ」という主張だったなら、「疑似科学だ」という批判はできないはずなのです。
いや、もしそれでも「疑似科学だ」という批判があったとしたら、「科学が信仰に口を出すな」という反論ができるはずだし、そういった反論は妥当なものであるはずです。


(余談)
アメリカでのID論は、「公教育の場で科学的仮設の1つとして教えよ」と主張されました。
もし本当に「公教育の場で宗教教育として教えよ」という主張がなされたなら、「政教分離の原則に反する」という批判が起こりそうですが、科学か疑似科学かの議論とは関係のない事です。

23diamonds8888x:2021/06/20(日) 09:35:48 ID:Qix9q/lA
>>21
>すなわち、【科学と疑似科学とを判別する「基準」は、「科学を称している理論」を判別するものである。】

 うーん、その点ではKenさんも私も同じだとは思うのですが。
 むしろ抽象と具象との区別とか、概念上の分類の違いが微妙に食い違ってて唖然とすることがあるし、未だにわかりにくいんですよね。使う言葉の意味がずれちゃってるという感じなんですよ。

24diamonds8888x:2021/06/20(日) 10:03:47 ID:Qix9q/lA
>>19
>上のように定義される「ω>0∧ω≤0」と、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はイコールではない、という点が問題の根幹になります。「ω>0∧ω≤0」が現実に観測されたら、「昇る」「昇らない」の定義が変わり、「ω>0∧ω≤0」は「昇る」と「昇らない」のどちらかに含まれるわけですよね。旧スレッドの943でそれを確認しました。

 定義が変わった(変えざるを得なかった)原因は「ω>0∧ω≤0」が現実に観測された」からではありませんでしたよ。Kenさんが角速度や位置というものの定義を変えたからです。同時に2つの値を持つ量である、とね。


>>20
>予測される観測事象としては、

> 「同じ太陽がω>0とω≤0の2つの速度を示す」は実現しない

> であると考えたのです。

 その通りですよ。それで問題ないのに。

>ところがdiamonds8888xさんから、もしも現実に「ω>0∧ω≤0」が観測されたら、

 それはKenさんの想定でしょう? そして、あたかも「ω>0∧ω≤0」が観測されたような事態において、「同じ物体が同時に2つの角速度や位置を持てる」という理論を提案したのはKenさんであって私ではありません。私はただ、そのKenさん提案の理論では定義を変えざるを得ないということを指摘したに過ぎません。

 ちなみに私なら「同じ物体が同時に2つの角速度や位置を持てる」という理論など提案しませんよ。観測されたのはあくまでも2つの太陽の視覚的像ですから、次の理論が有力と考えます。
  ・2つの像は別の天体のものである
  ・2つの像は同一天体の2つの像である

25diamonds8888x:2021/06/20(日) 10:19:44 ID:Qix9q/lA
>>19,>>20
 少し順を変えて話して見ましょうか。

>「ω>0∧ω≤0」が具体事象であるのは、それを成立させる観測事象が明らかであるからです。繰り返し挙げていますが、
> --------------------------------------------------------------------------
> (中略)
> --------------------------------------------------------------------------

  (中略)部分の3つの現象(角速度含めれば4つ)が具体事象でもあり観測事象でもあることには同意しますが、「ω>0∧ω≤0」すなわち「同じ太陽の角速度が同時に正値と負値とを持つ」は、これらの観測事象を説明しようとする理論であって、具体事象とは言えません。理論と言っても公理というよりは、「異なる位置にある2つの太陽が、実際にその位置にある同一物である」という公理から導かれる定理というべきでしょうね。
 今までの議論の流れではKenさんが、「上記1-3が観測されたら同一の太陽とみなす」と勝手に定義しただけです。

 ここで基準05に従えば、「異なる位置にある2つの太陽が、実際にその位置にある同一物である」という理論は疑似科学と判定されます。基準05に反する命題「ω>0∧ω≤0」が導かれたからです。

 ここで「同一質点が異なる2つの位置を取れる」という仮定を使えばどうか? というのがKenさんの理論でしたよね?
 この仮定自体も別の意味で疑似科学の匂いはしますが、これまでの基準01-06ではカバーしてない話ではあるので、そこは保留しておきます。

 しかしこの場合は昇ると昇らないの意味を明確にしないと「太陽が昇る∧太陽が昇らない」の意味が曖昧になることを私は指摘しました。そして明確にするならば基準05には反しないことも互いに了解できましたよね?
 あくまで反するというなら、それが証明できると言うなら、当然ながら「同一質点が異なる2つの位置を取れる」という仮定を含む理論は、基準05に従い疑似科学と判定されます。

 では基準05に反しない理論が考えうるかといえば、例えば[>>24]で示した理論です。
>  ・2つの像は別の天体のものである
>  ・2つの像は同一天体の2つの像である

26diamonds8888x:2021/06/20(日) 10:25:25 ID:Qix9q/lA
>>20
> 「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は実現しない

> という法則は、予測に反する個別事象で否定されることはありえず、言い換えれば個別事象を予測してないことになりますから、一般化とはいえないでしょう。

 もしかして、基準05は(論理法則における矛盾の否定は)ポパーの反証可能性がないから科学理論ではない、と言いたいのでしょうか?

 Kenさんが反証可能性の意味をちゃんと理解したのかどうかも不明なのですが、きちんと答えてください。そんな意味とは考えてもいないとかなんとか。

27Ken:2021/06/20(日) 22:46:18 ID:l3c2r2bk
まず、問われたことに答えます。

>もしかして、基準05は(論理法則における矛盾の否定は)ポパーの反証可能性がないから科学理論ではない、と言いたいのでしょうか?

具体事象を出さないのなら、反証以前に、そもそも検証ができないから、科学/疑似科学の対象にもならないのでは、と言いたかったのです。

>使う言葉の意味がずれちゃってるという感じなんですよ。

その対策は1にも2にも具体化することです。この投稿も、徹頭徹尾、具体化の試みと思ってください。

3段階に分けて質問しましょう。すべて、これまでに論じたことですが、明示的な回答をいただいたという認識がありません。

まず、科学とは具体事象を扱うもので、疑似科学が科学を妨げるものであるなら、疑似科学も具体事象を扱わねばならない。そうでなければ、妨げるどころか科学との接点がない。この点には、同意をいただけますか?

天動説もアッシャー理論も具体事象を語ります。カール・セーガンは「Broca's Brain」という著書で、幽体離脱や算数ができる馬をpseudoscienceの例に挙げましたが、これも具体事象です。むろん、私が出した「ω>0∧ω≤0」の例も具体事象です。

これらが具体事象である証拠は、コンピュータ・シミュレーションで実現できることです。シミュレーションでは、私たちが知っている物理法則と矛盾する事象は実現できても、具体化されない事象は実現できません。私の「ω>0∧ω≤0」の例がシミュレーション可能と示すため、旧スレッドの840でstar_Xの変数構造を示しました。star_Xには、独立して変化できる2つの位置情報があるのです。

疑似科学理論であっても、シミュレーションで実現可能な、具体事象を語らねばならない。この点に同意をいただけますか?


同意をいただけるとして、ではdiamonds8888xさんが想定する「太陽が昇る∧太陽が昇らない」の具体事象とはどういうものですか? 私の例が、例として正しくないのなら、ご自身が考える具体事象をお示しください。その具体事象をコンピュータで実現するとして、どういう構造の変数を用いますか? これが第2の質問です。まずは、変数の構造定義からお願いします。


第3の質問は、上の前提が誤りである場合です。具体事象を出せなくても疑似科学は疑似科学と主張されるのなら、「旭日高く」のような、世にあふれる論理矛盾と、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はなにが異なるのですか? なぜ一方は基準05違反の疑似科学で、他方はそうではないのでしょうか?


まとめます。

(1)疑似科学も、具体事象を出さねばならないことに同意されるか?
(2)「太陽が昇る∧太陽が昇らない」の具体事象はどういうものか?
(3)「太陽が昇る∧太陽が昇らない」と「旭日高く」は何が異なるのか?

28diamonds8888x:2021/06/26(土) 19:48:12 ID:Qix9q/lA
>>27
 ポパーの反証可能性とは関係ないという点は了解です。

 さて以下の説明ならわかるのかな?
 以下の2つの観点で発言を分けてレスします。
  1.疑似科学に基準なし。疑似科学と文学等との違い。;本発言の主要
  2.具体性のない事象は科学か?;別発言にて


第1の質問
>まず、科学とは具体事象を扱うもので、疑似科学が科学を妨げるものであるなら、疑似科学も具体事象を扱わねばならない。そうでなければ、妨げるどころか科学との接点がない。この点には、同意をいただけますか?

 同意しません。ていうか・・・、「疑似科学がどうあらねばならないか?」なんてのは私が答える筋合いの質問ではありませんよ。
 私は疑似科学を唱えるつもりもないし、疑似科学のための基準を設定する役目もありませんから、この質問は疑似科学を唱える人に聞いてくださいな。
 疑似科学を唱える人は各人それぞれの基準はもってるかもしれませんけど、それは私が提案した基準01-06とは異なるものなんでしょうね。
 Kenさんから見れば取り上げるのもアホらしいくらいにデタラメで具体性のない理論であっても、科学的理論だと称して唱える人はいるのです。科学を詐称している限りは、それは疑似科学です。

 なお、以下の命題になら、やはりいずれも同意しません。
  ・具体事象を扱っていない理論は科学的理論ではない (2.の論点ゆえ別発言にて)
  ・具体事象を扱っていない理論は疑似科学と認定する必要はない
     (理由のいくつかは本発言に述べるもの)

第2の質問はこれですね?
>疑似科学理論であっても、シミュレーションで実現可能な、具体事象を語らねばならない。この点に同意をいただけますか?

 答えは質問1に対するものと同じです。

>第3の質問は、上の前提が誤りである場合です。具体事象を出せなくても疑似科学は疑似科学と主張されるのなら、「旭日高く」のような、世にあふれる論理矛盾と、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はなにが異なるのですか? なぜ一方は基準05違反の疑似科学で、他方はそうではないのでしょうか?

 文学は科学だと自称してはいません。科学と自称しているにもかかわらず科学的手続きに従っていない理論が疑似科学理論です。
 聖書の記載を神話として信仰として述べるだけなら、それは信仰です。科学的な事実だと主張すれば疑似科学です。これは第1掲示板でも多くの人から何度となく指摘されていることで、基本的常識といえます。

>>8
>ですが、具体事象を出さない「疑似科学」に、いったい何ができますか? 具体性をもたない抽象論と、具体事象を追求する科学には、そもそも接点がなく、抽象論が具体論を妨げることなどできません。

 妨げることはできますよ。いわゆる神話や聖書の記述という抽象論がそうだったではありませんか。そもそも抽象論と具象論とがいつでも明確に区別できるとは限りません。

 Kenさんから見れば取り上げるのもアホらしいくらいにデタラメで具体性のない理論であっても、科学的理論だと称して唱える人はいるのです。科学を詐称している限りは、それは疑似科学です。そしてKenさんから見れば取り上げるのもアホらしいくらいにデタラメで具体性のない理論であっても、事実だと信じ込む人は一定数出てくるものなのです。全人類がKenさんのように適切な判断ができるわけではありません。
 それゆえに、Kenさんから見れば取り上げるのもアホらしいくらいにデタラメで具体性のない理論であっても、科学的理論だと称して唱えられていれば、疑似科学と認定して誤りを正す必要があるのです。
 以上のことは[>>6]でも簡潔に書いたことです。

 また基準05,06と同じく論理法則を基準とした基準03,04の提案時に「当たり前のこともきちんと述べるのが数学と法律の精神なので」と述べているのも同じ精神です。
  基準03,04: 旧59[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/59]
  基準05,06: 旧353[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/353]
 ついでに
  基準01,02: 旧56[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/56]

29diamonds8888x:2021/06/26(土) 19:50:47 ID:Qix9q/lA
>>21,>>23
 [>>28]を書いていたら[>>21]でおっしゃっていたことが、そうだったのかもと思えてきました。疑似科学とは科学を自称している(詐称している)理論である、ということがはっきり意識できていなかったのかも知れません。では何を対象と考えていたのでしょうか?
 へそ理論とかKenさんの想像を超える疑似科学理論は想定範囲外だったのかな?

30diamonds8888x:2021/06/26(土) 20:01:03 ID:Qix9q/lA
>>27,>>28
【補足】改めて基準の紹介

 基準01-06は以下で提案しています。基準05,06はかなり遅いものでした。私も忘れてて、基準01-04と同時期だと勘違いしていました。
  基準01,02: 旧56[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/56]
  基準03,04: 旧59[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/59]
  基準05,06: 旧353[ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/353]

 基準05,06提案の経緯はKenさんが「科学的なはずの理論でも矛盾を容認せざるを得ないこともある」と主張したので、それは違うという私の見解を基準として設定したということです。
 私の見解は「矛盾しているように見えるだけであり、容認しているのではない」というものです。すなわち、論争する両陣営とも論敵側の理論が矛盾していることを示そうとし、自分たちの理論には矛盾がないことを示そうとして努力しているのであり、基準05,06は正しいと認めているのです。それが具体的に論争に登っている理論に当てはまるかどうかという点で互いの意見が異なる状態が続いているだけなのです。


 最初から「太陽が昇る∧太陽が昇らない」と例示できるような主張をする理論はさすがにまともな科学者は否定するでしょうし、正しく解釈すれば(*)Kenさんも直ぐに否定すると思いますが、否定するさいの根拠を言葉にすれば基準05になります。

 そういえば、Kenさんは現時点では上記の私の見解には同意しますか? このときの議論はもう忘れましたか?

*) 旧941,942 で互いに「○○しない」の使い方の違いを認識しましたが、私の使っていた意味で解釈すればというのが「正しく解釈すれば」の意味です。

31Ken:2021/06/26(土) 23:30:56 ID:l3c2r2bk
>妨げることはできますよ。いわゆる神話や聖書の記述という抽象論がそうだったではありませんか。

疑似科学とは正しい科学を妨げるものである。疑似科学を排除する理由はここにある。 ← この点は同意をいただけるのでしょうか?

それなら、私が>>19で行なった質問に回答をいただけますか?

-------- 引用はじめ --------
「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張が現れたとして、それが「正しい科学」のどの部分を妨げるのでしょうか? どんな理論、どんな知見を否定しますか?

天動説は地動説を妨げたし、アッシャーの理論は地質学を妨げました。でも、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」にそんなことができますか?
-------- 引用おわり --------

これへの回答をうかがった上で、話を進めたいと思います。

32diamonds8888x:2021/06/27(日) 12:49:41 ID:Qix9q/lA
>>31
>疑似科学とは正しい科学を妨げるものである。疑似科学を排除する理由はここにある。 ← この点は同意をいただけるのでしょうか?

 同意しません。まず「正しい科学を妨げる」という状況がたくさんありすぎてよくわかりません。

 ずいぶん前に論じたと思うんですが、疑似科学理論とは正しい科学的方法に従っていないにもかかわらず、科学と自称している理論です。要するに科学的真理の追求のためには間違った方法論だから排除するのです。どこから排除するかというコトがありますが。

 まっとうな科学者はうっかりして疑似科学理論にはまり込むことを自分で排除すべきです。
 他人が疑似科学理論を科学と自称していれば、ピアレビューの精神で批判すべきです。


 仮に「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張が科学と自称して現れたなら、上記の理由で批判されるでしょう。
 科学だと自称したならば、全世界の科学者からの批判(賛成にしろ反対にしろ)を受けるのは当たり前です。批判し合うことで科学は発展するのですから。

33diamonds8888x:2021/06/27(日) 12:50:38 ID:Qix9q/lA
>>27
【確認】具体と抽象と区別
 「その対策は1にも2にも具体化することです」と言われても、肝心の何が具体で何が抽象かという区別がKenさんと私では異なるので困るんです。その一部ではありますが、ひとつ確認させてください。

 Kenさんは「熱力学第2法則は純粋数学である確率論に基づいている」という趣旨の主張をしていましたよね? では、確率論は抽象ではないのですか?純粋数学とは抽象ではないのですか? それとも熱力学第2法則は科学ではなくて文学なのですか?

 純粋数学が抽象ではないとしたら、論理法則はどうなのですか?

 Kenさんが考える、この辺りの事柄の具体と抽象と区別を教えてください。

34diamonds8888x:2021/06/27(日) 13:09:25 ID:Qix9q/lA
>>27,>>28,>>31
【一例】1.の観点から
 ひとつのシミュレーションをしてみます。

 2080年の○の月に「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という現象が起きて世界が滅ぶ、という預言者が現れました。多くの者、特に科学者達は「何を非論理的な事を」と完全無視でしたが、信じる者は増えていきました。
 いつしか信者は増え続け議員などの政治家の中にも浸透し、遂には「論理法則が絶対とは限らない」「自然には抽象的な純粋論理だけでは計り知れない事も起きるものだ」などという理論を建てる自称科学者も現れました。
 やがてとある国では信者たちの作る政党が実権を握り・・・・。批判的な科学者達は弾圧されることに・・・。

 小説を書くつもりもないのでこれくらいにしますが、わかるでしょ?
 科学を詐称するなら何でもありですよ。たぶん我々のまだ知らない手口も含めて。

35ミケ:2021/06/27(日) 16:49:38 ID:liYNNt7Y
diamonds8888xさんへの参考情報です。

発展を妨げる云々というのは
前スレッド430、436、438と関係していると思われます。

ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/430
>本スレッドの議題は「正しい科学の基準」であり、そのような基準のもとで科学的知見がどのように増進されるのかを検証しています。
(Kenさん)

ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/436
>「科学的知見の増進」というのは、
(中略)
>「科学の基準」を決めるのには必要ないテーマです。
(diamonds8888xさん)

ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/438
>私は、diamonds8888xさんが「正しい科学の基準」を論じるとき、そもそも「正しい科学とは何か」という点に関しては、言わずもながの前提を想定していました。つまり、
>〜科学の進歩に寄与するのが正しい科学、阻害するのが正しくない科学(別名疑似科学)
>であると。
>違うのでしょうか???
(Kenさん)

ちなみにこれらに対してゲジゲジさんがこう助言されています。
ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/482
>Kenさまは[481]で
> >まずは思考実験の可否を話し合いませんか?
>と仰いますが、その前に以下の点を確認しておいた方が良いかと思います。
>1.基準に従わない(基準を満たさない)理論は排除される。
>2.基準の目的は、「科学の発展」のためではない。
>3.基準は【理論】に適用される。
(ゲジゲジさん)

このあたり、
diamonds8888xさんは、
「今回設定している基準とは
『その理論が科学の発展に寄与するか』を見分けるためのフィルターではなくて
『その理論が検証できるか否か』を見分けるためのフィルター」
と端的に
明言されておられなかったように思います。

だから>>8で似たような形として復活し、
>>31での問いかけとなったのではないかと思います。

36diamonds8888x:2021/06/27(日) 18:30:49 ID:Qix9q/lA
>>27,>>28
 では以下の観点からです。
  2.具体性のない事象は科学か?

 すでに述べた点に話は尽きます。
[>>14]まずは「抽象論は科学には不要」みたいな偏見をまず正してもらうのが先ですね。
[>>15]否定命題はすべて具体論ではないとでも言うのですか?
   以下の命題は抽象論であり科学ではないのでしょうか?

 「具体的だろうが、抽象的だろうが、シミュレーションだろうが、実現できない」と言っています。否定命題が使えなかったら語れないことがあるでしょう? 「¬(P∧¬P)」がそうです。論理法則はあらゆる科学的推論で使われているものであり、文学などではありません。

 これ以上、何をどうやって説明しろと?
 ゼロや空集合を理解できない人とはまともな話ができません。

 「Pではない」「まずPの具体例を示せ」「・・・?」

 具体例を示すのは「Aである」と主張している者の責任であって、「Pではない」と主張している者の責任ではありません。その具体例がないと言っているのですから。

37diamonds8888x:2021/06/27(日) 18:58:21 ID:Qix9q/lA
>>35
 ミケさん、ありがとうございます。
 「正しい科学を妨げる[>>31]」というのは「科学の進歩を阻害する」「科学の発展を妨げる」という意味だと解釈なさったのですね? なるほどそうかも知れません。本人に確かめて見ましょう。

38diamonds8888x:2021/06/27(日) 19:01:38 ID:Qix9q/lA
>>31
 [>>32]で書いた通り、私には「正しい科学を妨げる」の意味がよくわかりませんでした。が、ともかく私の考える疑似科学理論批判の理由を挙げてみました。

 まず[>>35]をお読みください。注意しますが、[>>35]は私の見解や意見ではありません。参考データとして引用するものです。

 さて質問です。「正しい科学を妨げる[>>31]」の意味や具体的内容とは、[>>35]に書かれており、[>>37]で私が要約したような意味なのでしょうか?

39Ken:2021/06/27(日) 23:29:34 ID:l3c2r2bk
>「抽象論は科学には不要」みたいな偏見をまず正してもらうのが先ですね。
>否定命題はすべて具体論ではないとでも言うのですか?

肯定・否定は関係ありません。具体事象を導かない抽象論は、科学に無意味という意味なのですが。

ニュートンの法則「F = ma」は抽象論でも、観測可能な具体事象を導けるのです。

1kgの質量に2Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる → 正しい

「F < maはありえない」といえば、否定形の抽象論になりますが、これも具体事象を語ります。

1kgの質量に1Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる → 正しくない

どちらの例も観測で是否を語れるから具体事象といっています。ですが、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はありえない

という抽象論から、観測で是否を語れる具体事象を導けますでしょうか?

>2080年の○の月に「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という現象が起きて世界が滅ぶ、という預言者が現れました。
>多くの者、特に科学者達は「何を非論理的な事を」と完全無視でしたが、信じる者は増えていきました。

上のような主張が現れたなら、しかも社会的な影響が出るほどに信者が増えるのなら、「完全無視」をするのではなく、問いただすべきなのです。

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」とはどういう具体事象を表すのか?
その事象と世界の滅亡がどうつながるのか?

そもそも、信者が本当に世界の滅亡を恐れるなら、彼らこそが、根掘り葉掘り問いただすはずです。そして、問いただされた側が、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体事象として表せないのなら、そこで答えに窮してしまい、誰も信じなくなるでしょう。

それとも「信者」とは、そのような判断もできない人を意味するのでしょうか? そんな人がいるのか、それも社会に影響を与えるほどの数がいるのか、私には疑問です。天地創造論であれ、幽体離脱であれ、超能力であれ、一定の信者を得てきた話はすべて具体事象を語ります。問いただされた側が具体事象を語れるということです。

逆に、具体事象を語らない「太陽が昇る∧太陽が昇らない」にも引っかかるほど判断能力のない人なら、「旭日高く」や「川がささやく」にだって引っかかることでしょう。

〜低い位置にあるはずの太陽が高い位置で輝くと、空間が狂う〜
〜無生物の川が意思を持ち、やがては人類に挑戦する〜

そうなると、あらゆる文学、歌、芸術、さらには宗教的な経典から、同様の表現を追放せねばなりません。

あるいは、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「科学と自称する」からアウトで、「旭日高く」や「川がささやく」は、科学を自称しないからセーフなのですか?

ですが「科学と自称する」とはどういうことを意味しますか? 「これは科学理論です」と「科学理論」という文言が入っていることでしょうか?

そうではないでしょう。それなら「科学理論」という文言を避けつつも、「事実はこうだ」と言って、トンデモ理論を広められるはずです。

「科学と自称する」とは、語っている内容が、現実に、具体的に、起こると主張することではないのですか? 「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が具体事象を語れないのなら、科学を自称できません。反対に、もし具体事象を語らなくても科学を自称できるのなら、「旭日高く」も「川がささやく」も、科学を自称しています。

>科学的真理の追求のためには間違った方法論だから排除するのです。

意味が分かりません。科学を妨げることでないのなら、どんな実害を「間違った方法論」がもたらすのでしょうか? それこそ、上の例にある「世界が滅ぶ」のような社会不安を生じることですか?

でも、社会不安なら、正しい科学からでも生じるでしょう。本当に世界を危険にさらす天変地異が予測されるのなら、それを語るのが正しい科学のはずです。

40diamonds8888x:2021/06/28(月) 19:59:37 ID:Qix9q/lA
>>39
>「F < maはありえない」といえば、否定形の抽象論になりますが、これも具体事象を語ります。

>1kgの質量に1Nの力が働けば2m/s²の加速度を生じる → 正しくない

 ならば、
  「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はありえない、といえば、否定形の抽象論になりますが、これも具体事象を語ります。

 太陽が昇る、そして太陽が昇らない → 正しくない

 いいですか。「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という理論は、この現象が具体的事実だと主張しているのです。Kenさんがそれを具体的にイメージできるかどうかは関係ありません。もちろん、私がそれを具体的にイメージできるかどうかも関係ありません。
 [>>34]の預言者は、まさに未来にそれが具体的事実になると言っているのです。


 次の話なら、具体的であることがよりよくわかるでしょう。

 太陽が昇る、このとき太陽が昇らない、過去のどの日の観測でも。
    → 「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はありえない、という理論は極めて確からしい


 そもそも[>>30]で示した基準05,06の登場のときには、Kenさん自身が「P∧¬P」を容認せざるを得ないことがある、と主張したではありませんか?
 あの場合は「質量を運ぶ∧質量を運ばない」でしたっけ? つまり、これなら具体的なんでしょ?

41Ken:2021/06/29(火) 00:10:12 ID:l3c2r2bk
>私がそれを具体的にイメージできるかどうかも関係ありません。

そうでしょうか? 科学とは、この世の具体事象を説明し、かつ予測するものですから、具体イメージは不可欠だと思いますよ。

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を考察するには、まず「昇る」と「昇らない」を具体的にどう定義するのか、から始まるはずです。そして重要なことは「昇る」と「昇らない」の定義の中では「昇る」「昇らない」を用いてはいけないということです。

私は角速度ωを持ち出して、「昇る」を「ω>0」、「昇らない」を「ω≤0」と定義しましたが、その定義は否定されました。ところがdiamonds8888xさんの論を伺っていると、「昇る」の定義には結局「昇る」しか出てこないし、「昇らない」の定義は「昇る」の補集合つまり「昇らない」しか出てきません。

「昇る」の定義は「昇る」、「昇らない」の定義は「昇らない」・・・・・そんな定義がありますか?

どうやら、抽象と具体が、問題の根幹で、かつ意思疎通を妨げる要因になっているようです。もう一度ニュートンの法則を例にして整理を試みます。

「F = ma」自体は数式で表した抽象論でも、ここからは具体事象が導けます。たとえば、

「1kgの質量に、1Nの力を加えると、1m/s²の加速度を生じる」

1kgと1Nと1m/s²という3つの物理量は、それぞれが観測可能な値ですから、上の具体事象が実現しているかは、観測で判定できます。

非常に重要な点は、「F = ma」を検証する際のFとmとaは「F = ma」を利用して定義してはいけないということです。例えばmとaの積をFの観測値と見なしたら検証になりません。F(力)はそれ以外の形で、例えば1アンペアの電流が流れる導線間に働く力のような形で観測します。

次に、否定形を考えましょう。たとえば「F < maはありえない」という抽象表現ですが、この命題を科学の問題として検証するには、「ありえない」とされることがもしも実現したら、どういう具体事象が観測されるかを考えます。ここでは、質量(m)と加速度(a)の積が、力(F)よりも大きくなるといってますから、具体事象の1例として、

「1kgの質量に、1Nの力を加えると、2m/s²の加速度を生じる」

などがあります。そして、1kgの質量に1Nの力を加えても2m/s²の加速度は生じないことは観測で確かめられます。

このように、否定形の命題であっても、もしも実現したらどういう具体事象が観測されるかを挙げることから始まります。思考プロセス上は実現を前提としなれば、具体化のやりようがありません。

では「太陽が昇る∧太陽が昇らない、はありえない」という抽象論は?

上の例に従えば、もしも「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が実現したら、どういう具体事象が観測されるかを考えるわけですが、この段階で停滞しているのです。

私は、コンピュータ・シミュレーションの話をしたときからずっと、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体的な観測事象とみなせる例を提案してきましたが、それは例になっていないと言われてきました。ところが、>>27のように、それではdiamonds8888xさんが考える例を出してくださいと求めても、出していただけません。

これでは、具体事象になってない、と考えるしかありません。

まずは「昇る」と「昇らない」を定義してみてはどうでしょうか? おそらく「昇る∧昇らない」が具体イメージになると思うのですが。

>「質量を運ぶ∧質量を運ばない」

その問題を持ち出すと長い話になるのですが。

質量移動の話をしていたときと最も条件が異なるのは、エントロピーの起源問題に関連して、メカニズムを説明できないことを想定してもよいという、私が予想もしなかった論点が出されたことです。古典力学の知識体系の中で、メカニズムが明らかな知見をベースにするなら、「質量を運ぶ∧質量を運ばない」はありえませんが、メカニズムの説明が不要で、いくらでも都合のよい想定をしてもよいのなら、話は異なってくるでしょう。

42Ken:2021/06/29(火) 19:48:21 ID:l3c2r2bk
>>41の話は込み入っていて、分かりにくいかもしれません。ポイントをまとめておきます。

(1)否定の抽象論も、肯定形の具体例を出さねばならない

肯定形の具体事象を出した上で、そういうことは起こらないと主張するのが、否定論というものでしょう。まず「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体事象で表す必要があります。

(2)具体事象を語るには、その中の部分を具体的に定義する

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体的に表すには、「昇る」とはどういうことか、「昇らない」とはどういうことか、を、まず定義しておかねばなりません。

(3)「昇る」「昇らない」の定義は、「昇る」「昇らない」とは異なる表現でなければならない。

私の「ω>0」と「ω≤0」は、そのための試みです。この定義が誤りなら、別の形の定義が必要です。


>>40で出された、

>太陽が昇る、このとき太陽が昇らない、過去のどの日の観測でも。

が具体例になっていないのは、「昇る」「昇らない」という言葉を、そのまま無定義に使用していること、そして「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を、肯定形の具体事象で表現していないことなのです。

43Ken:2021/06/30(水) 00:12:05 ID:l3c2r2bk
質量移動の話が出たのはよい機会です。抽象理論と具体事象の関係を、もう少し考察してみましょう。

「P∧¬P」という抽象的な論理式を、それだけ見れば、むろん、こんな命題は成立しません。

しかし、これを現実世界の具体事象に適用するには、何をPと見なすか、すると何が¬Pに該当するかを、まず考えねばなりません。その際には、必ず何らかの前提を置くのです。

たとえば「P∧¬P」を

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」
「質量が移動する∧質量が移動しない」

と具体化します。多くの人は、そんなことは実現不可能で、たしかに「P∧¬P」の具体例と考えることでしょう。しかし、そこには、無意識のうちに誰もが置く前提があるのです。

「同じものは、同時に1つしか存在できない」

という前提で、私たちが「法則a」と称してきたものです。量子はともかく、マクロな対象に限るなら、法則aは正しいでしょう。太陽のようなマクロ的存在で、法則aが破れるメカニズムは、現在の知識体系では説明できないからです。

しかし、「起源問題」の例にならい、説明できないメカニズムを想定し、法則aが破れることを認めるなら、話は変わってきます。同じものが2つ存在し(同種のものが2つ存在するのではなく、1つのものが2つの存在を示す)、一方は昇るが他方は昇らない、一方は質量を移動させるが他方は移動させない、そういう事象は想定が可能になります。

重要なことは、1つのものが複数の存在を示すこと自体に論理矛盾はない、ということです。それを示すために、私は「star_X」のデータ構造を出しました。コンピュータ・シミュレーションでは、今の私たちが支持する物理法則と矛盾する事象は実現できても、論理矛盾を実現することはできません。「star_X」の構造を具体定義できるという事実が、そこに論理矛盾はないことを示します。

言い換えれば、

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」
「質量が移動する∧質量が移動しない」

は、「P∧¬P」の具体例になっていないのです。さらにいえば、「P∧¬P」の具体例など出しようがないということです。

44ゲジゲジ:2021/07/01(木) 08:05:46 ID:eBsfVGr6
ヨコからですが、いくつかの重要な論点が入り乱れているように見えるので、整理してみます。
少しでも効果的に議論を進めて頂く助けになれば・・・


【論点1:「具体現象」の定義】
diamonds8888x様
>>18
>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「決して実現しない具体事象」です。

Ken様
>>19
>私がいう「具体事象」とは、どのような観測がなされたらそれが実現したといえるか、が明示的に定義されることをいいます。

お2人で「具体事象」の意味が異なっていますね。敢えて確認するまでもないですが。



【論点2:論理矛盾する理論はあり得るか? 検証できるか?】
>>43
>コンピュータ・シミュレーションでは、今の私たちが支持する物理法則と矛盾する事象は実現できても、論理矛盾を実現することはできません。
>「P∧¬P」の具体例など出しようがないということです。

言葉の定義はともかく、「P∧¬P」すなわち論理矛盾する理論は決して実現しない、という一点について、漸くお2人の見解が一致した事が確認できました。
そして決して実現しないのだから、論理矛盾する理論は検証できない、という事もお2人で一致できたようです。



さて、diamonds8888x様がどの様に議論を進めて、どこに議論を収束させようとされているのか、私には分かりかねるのですが、私は現時点で最も優先度の高い論点は以下なのではないかと思います。

【論点3 論理矛盾する理論に「疑似科学の資格」はあるか?】
>>39
-----以下引用---------------
あるいは、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「科学と自称する」からアウトで、「旭日高く」や「川がささやく」は、科学を自称しないからセーフなのですか?
ですが「科学と自称する」とはどういうことを意味しますか? 「これは科学理論です」と「科学理論」という文言が入っていることでしょうか?
そうではないでしょう。それなら「科学理論」という文言を避けつつも、「事実はこうだ」と言って、トンデモ理論を広められるはずです。
「科学と自称する」とは、語っている内容が、現実に、具体的に、起こると主張することではないのですか?
-----ココまで---------------

ここで言う「現実に、具体的に、起こると主張すること」というのは、Ken様の「具体事象」の定義に従えば、要するに検証され得る現象が起こると主張する事、と読み取れます。

>>21>>23>>29
【科学と疑似科学とを判別する「基準」は、「科学を称している理論」を判別するものである。】
どうやらこの文言自体についてはお2人の見解は一致していますが、肝心の「科学を称している」の意味がお2人で違っているようです。

ここをまず一致させないと、どんなに「科学と疑似科学を判別する基準」を議論しても、決して噛み合う事はないのではないでしょうか?
>>39にはKen様の根本的な誤解・・・というよりKen様の「こうあらねばならない」という信念のようなものを感じます。
第1掲示板で議論していた時にも、「『霊魂はいる』というのは疑似科学だ」とか「宗教法人が運営する学校で宗教を教えるのは疑似科学」のような発言がありました。
その際に私は「科学を主張しなければ疑似科学ではない」という事をお伝えしたし、diamonds8888x様も仰っていたと思うのですが・・・

幸いにKen様は「diamonds8888x様の基準に合わせる」と言っていますから、ここは問答無用でdiamonds8888x様の見解を明言して頂いて、そこに合わせて頂くようにしたら良いのではないかと思います。

45ゲジゲジ:2021/07/01(木) 21:35:21 ID:eBsfVGr6
ここで、失礼ながらdiamonds8888x様が出された>>34の例は適切ではないと思います。
>2080年の○の月に「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という現象が起きて世界が滅ぶ

Ken様が>>39で仰る通り
>それなら「科学理論」という文言を避けつつも、「事実はこうだ」と言って、トンデモ理論を広められるはずです。
疑似科学でなくても同様の事は起こり得るので、疑似科学が科学の発展を妨げる例としては不適切ではないでしょうか?

疑似科学がなぜ科学を妨げるのか、こんな説明はどうでしょう???
活用できるようであれば使ってください。


*************************
まず大前提として、科学とは仮説を立てて、それを検証して行く、そういう過程であり思考である、という事にはdiamonds8888x様もKen様も同意頂けると思います。

という事は、正当な科学理論であれば、どんな理論も正しい可能性があるし、逆にどんな理論も間違っている可能性もあるという事です。
で、あるならば・・・

1)
絶対に正しい理論は疑似科学である。
言い換えると絶対に間違っていない仮説、間違っている事を絶対に証明できない仮説、要するに反証できない仮説、反証可能性のない仮説、という事ですね。
これについては後々に論点になるでしょうから、ここではこれ以上触れません。

2)
絶対に間違っている理論は疑似科学である。
言い換えると検証するまでもなく、提唱の時点で間違っている事が確実な仮説です。
これには2パターンあって・・・

2-1)
論理的に矛盾を含む仮説
2-2)
過去に検証され、間違っている事が判明した仮説


2-1が正に「P∧¬P」を含む仮説という事になります。
例えば「物体は1つの位置にしか存在できない前提において太陽が昇り且つ昇らない」といった理論ですね。


ここで少し横道に逸れますが、
Ken様が「太陽が昇る ∧ 昇らない」を「ω>0 ∧ ω≤0」と表記していますが、これは誤りですね。
太陽が2つの角速度を持つと仮定しているのだから、[>>8]で【「ω>0∧ω≤0」(正確には「ω₁>0∧ω₂≤0」)】とされているように、「ω₁>0 ∧ ω₂≤0」としなければなりません。
で、「P∧¬P」である「太陽が昇る ∧ 昇らない」が正に「ω>0 ∧ ω≤0」です。すなわち「ω」が「ω>0」と「ω≤0」を同時に満たす値を取るという事。
コンピューターでシミュレーションしようとするなら、「ω」という変数に「x>0」と「x≤0」を同時に満たす数値「x」を代入するプログラムを書かねばなりません。
言うまでもなく絶対に不可能です。「0より大きくて且つ0以下の数値」などあり得ないからです。

46ゲジゲジ:2021/07/01(木) 21:35:47 ID:eBsfVGr6
さて、もし「(物体は1つの位置にしか存在できない前提において)太陽が昇り且つ昇らない」なんていう仮説が提唱されたらどうなるでしょうか?
科学は仮説を検証するものですから、提唱された仮説は検証されねばなりません。どうしたらこの仮説を検証できるか、色々と考えねばなりません。Ken様がやったように、「物体は2つの位置に存在できる」という仮定を置くかもしれません。しかしそれは命題である「太陽が昇り且つ昇らない」ではありません。

結局、「検証の意味がない仮説の検証方法を検討する」わけですから、まったく無駄な労力を費やされるわけです。これだけで「太陽が昇り且つ昇らない」は科学の発展を妨げていると言えませんか?
本来なら、意味のある別の仮説を検証したり、あるいは意味のある仮説を提唱したりするための時間と労力が奪われるわけだから。

また、もし「『太陽が昇り且つ昇らない』を学校の科学教育で教えよ」なんていう主張をする人が現われて、実際にそうなったとします。
しかし学校カリキュラムの時間は限られていますから、こんな意味のない理論を教える時間だけ、正当な科学を教える時間が削られてしまいます。
子どもたちも、こんな意味のない理論を学習する事に時間と労力を奪われます。
これだけで「太陽が昇り且つ昇らない」は科学の発展を妨げていると言えませんか?

どうもKen様は「科学の発展を妨げる」を「正当な科学が主張する事実を否定する事実を主張する」事に限定しているようですが、決してそうではないという事です。


最後に2-2ですが、これは例えば天動説などが分かりやすいでしょう。
かつて天動説は、天体の運行を上手く説明する仮説でした。天体の観測結果を、何ら矛盾なく説明できました。
ところが観測精度が上がって新たな知見が得られると、新たな観測結果と天動説は矛盾するようになりました。それで天動説は否定され、「間違った科学」として破棄されました。
正当な科学理論が検証の結果として「間違った科学」となって否定されるというのは、言い換えると理論に論理的な矛盾が見付かるという事です。

そしてひとたび間違っている事が確定した理論を再び提唱すれば、それは疑似科学です。
天動説は「間違った科学」であって疑似科学ではありませんでした。しかし現代において天動説を主張したなら、それは「疑似科学」です。
無論、既に間違っている事が確定しているのですから、それを改めて検証しようと試みたり、学校で正当な理論(正しい可能性と間違っている可能性との両方がある理論)と同列に教えたりすれば、他の理論を検証したり学習したりする時間と労力とを奪う結果となり、科学の発展を妨げます。


この辺りが「間違った科学」と「疑似科学」との違い、そして「間違った科学」と「疑似科学」との関係と言えそうです。

*************************
以上、私なりにお2人の議論を拝見していて気付いた観点から整理してみました。
長文失礼しました。

47diamonds8888x:2021/07/08(木) 05:55:42 ID:Qix9q/lA
 Kenさん[>>41,>>42,>>43]、ゲジゲジさん[>>44,>>45,>>46]、詳しい話をありがとうございます。プリントしてじっくり読んでからコメントします。画面で見るのと紙で見るのでは、やはり一度に頭に入れられる情報量が桁違い。と、つまらない話をしました。すみません。

 Kenさんにいくつかお願いします。

 【第1】私の回答に当たり、ゲジゲジさんのコメント[>>44,>>45,>>46]は引用する可能性がありますから、読んで理解しておいてください。時間はあるでしょう?

 【第2】私とKenさんで言葉の食い違いがあるのが、「抽象と具象」「正しい科学を妨げる」です。それに関して既に書いてある質問にお答えお願いします。これらの質問は議論ではなく、互いの認識を確認するためのものですので。
  [>>33]「抽象と具象」の一例として
  [>>38]「正しい科学を妨げる」の意味は?


 ちなみに、私自身の「具体イメージ」「具体事象」の例としていくつか出します。

 [>>43]より
 「同じものは、同時に1つしか存在できない」という法則が破れた状態
   =>これは私には具体イメージが浮かびません。
   (浮かばないことを説明するのは難しいですが、後ほど書くかもしれません)

 [>>43]より
  >さらにいえば、「P∧¬P」の具体例など出しようがないということです。
   =>これは、同意します。
  つまり、「P∧¬P」という状態は絶対に存在しないのです。ですよね?
  「「P∧¬P」という状態はありえない」という命題は正しい命題ですよね?

 おっと、「ちなみに」以下への議論よりも、まずは【第1】と【第2】の方をよろしく。まあ【第1】には答えは不要だし、理解は御自分なりに理解しようと務めるだけでよいのですが。私自身もゲジゲジさんのコメントを十分消化しているかどうかは不明ですしね。

48diamonds8888x:2021/07/08(木) 07:07:54 ID:Qix9q/lA
>>43
 このコメントでのKenさんの結論(見解)の確認ですが、
「太陽が昇る∧太陽が昇らない」
「質量が移動する∧質量が移動しない」
 どちらも同様に、具体例など出しようがなく、科学的命題ではない、ということなのでしょうか?

 だとすると、粒子説と波動説の話では「質量が移動する∧質量が移動しない」ことになるとか、矛盾を容認せざるを得ないといかいう話は、科学的議論としてどのように使われていたのでしょうか?

49Ken:2021/07/08(木) 23:06:32 ID:l3c2r2bk
順序が逆転しますが、>>48の質問にまず答えます。一番の要点に関連すると思われますから。

>「質量が移動する∧質量が移動しない」ことになるとか、矛盾を容認せざるを得ないといかいう話は、科学的議論としてどのように使われていたのでしょうか?

この問題のポイントは、「メカニズムを説明できないことを想定し、その上に議論を組み立ててもよい」という、私が予想もしなかった主張が、diamonds8888xさんから出されたことにあります。正直、驚きましたが、とにかくその主張に沿って議論を進めることにしました。

>>43で明言したつもりでしたが、私が「質量が移動する∧質量が移動しない」を矛盾としたのは、diamonds8888xさんの上のような主張を受け入れる前のことで、古典力学のメカニズムが前提になっています。説明なしにメカニズムが破れるといってもよいのなら、話は変わり、矛盾は矛盾でなくなるでしょう。

ここはひとつ、光の正体論争を振り返ってみましょう。

私たちの本来の論題は「光は粒子である∧光は波動である」というものでした。また、私は「粒子」と「波動」の定義として、旧スレッドの687で「粒子は離散的なもの、波動は周期的なもの」と述べました。しかしながら、diamonds8888xさんの考えを私が理解しておれば、これでは「P∧¬P」の例にはならないはずです。ちがいますか?

「P∧¬P」の例になるには「光は粒子である∧光は粒子ではない」とか「光は離散的なもの∧光は離散的でないもの」という表現になるはずですよね?

ですが、現実の歴史を見れば、光の正体論争が始まった17世紀から18世紀末まで、「光は粒子∧光は波動」が「P∧¬P」の例と考えられていたのです。このことは、粒子説と波動説の根拠とされたことを見れば分かります。

この時代、粒子説の根拠とされたのは、光が「回折しない」「真空を伝わる」といった事象でした。しかし、考えれば分かることですが、これは「離散性」という本来の定義から予測されるものではありません。単に、光が波動であることを、当時の知見に基づいて否定しただけです。

18世紀までに知られていた波動とは、水面の波、弦の振動、音などでした。そのメカニズムは古典力学で説明されており、そのメカニズムに従えば、波動は回折するはずだし、真空を伝わらないはずであるから、光は波動ではありえず、よって粒子である、というのが粒子説でした。

波動説の根拠も同様なのです。光が「屈折する」「交差する」という事象が挙げられましたが、「周期性」という本来の定義から導かれることではありません。これらの事象は、要するに、光が粒子ではないと言っているのです。砲弾や天体のような、古典力学でメカニズムが解明された粒子では、屈折も交差も起こりえないからです。

なお、「粒子説も屈折を説明したではないか」というたぐいの指摘があるかもしれませんが、それは今は関係ありません。波動説を唱える人は粒子では屈折は起こらないと考え、粒子であることを否定することで、光は波動と主張したのです。

つまり、18世紀までの、粒子説の根拠とは波動性の否定であり、波動説の根拠とは粒子性の否定でした。対立説の否定を自説の根拠とできたのは、「P∧¬P」の例と考えられたからです。

対立説の否定とは異なる、本来の定義に基づく根拠が出されるのは19世紀以後のことです。

まず、2重スリットを通る光が干渉縞を作ることが、波動説の根拠とされましたが、これは粒子性の否定ではありません。周期的に強弱を繰り返すという、波動の本来の定義から導かれることで、19世紀を光波動説が支配したのは、それまでとは異質の「直接証拠」が登場したのが理由です。

波動性の否定ではない、粒子説の直接証拠が現れるのは20世紀です。光のエネルギーは量子という離散的な値しか取りえないことが明らかになりました。その一方で、干渉縞、ドップラー効果、波動理論が導く伝播速度のような波動的特徴もありますから、「光は粒子∧光は波動」が「P∧¬P」という考えは、まず観測事実として崩れ、そして、量子の波動性とは存在確率が従うものと説明されることで、理論面でも崩れました。

まとめますと、かつて「光は粒子∧光は波動」が「P∧¬P」の例と考えられたのは、言葉の意味からそうなるからではなく、古典力学が説明するメカニズムが前提にあったからです。その古典力学が否定されることで「P∧¬P」の例ではなくなったのです。

50Ken:2021/07/08(木) 23:07:14 ID:l3c2r2bk
私の本来の考えは、ある主張が「P∧¬P」に該当するかは、説明されたメカニズムに基づいて判定され、光の正体論争はそのとおりの経過を辿ったというものです。そして、その前提に立つなら、熱力学第2法則は「P∧¬P」に該当します。エントロピー減少はありえないという主張と、過去にエントロピー減少が起こったという両方の主張を含むからです。

ところが、ここでdiamonds8888xさんから「メカニズムを説明できないことを想定してもよい」という主張が出されたわけです。それなら、熱力学第2法則も、18世紀までの「光は粒子∧光は波動」も、「P∧¬P」ではなくなるでしょう。

ただし、そうなると、今度は「P∧¬P」に該当する疑似科学理論はなくなってしまい、むろん「太陽が昇る∧太陽が昇らない」も「P∧¬P」ではなくなるではないか、というのが私の指摘です。

これに対するdiamonds8888xさんの回答を私が正しく理解しているなら、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」に具体イメージを求めるから混乱するので、「昇る」「昇らない」という言葉だけを考えれば、「P∧¬P」になる、と、主張されているのではありませんか? もしそうなら、問題は基準05が正しいかではなく、科学・疑似科学の論点になるのかに変わるのです。

理解をいただけるでしょうか? ここで、問題が変質し、基準05が正しいかではなく、基準05に存在理由があるか、になっているのです。

具体イメージを出さないなら、観測による検証もできないから、そもそも科学の対象になりえないし、科学の対象でないのなら、科学を妨げる疑似科学にもなりえないのでは、と私は言っています。

反対に、もし、具体イメージにならない「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を疑似科学として排除するのなら、同じく具体イメージにならない「旭日高く」や「川がささやく」も排除対象のはずです。

51ミケ:2021/07/09(金) 01:23:43 ID:liYNNt7Y
diamonds8888xさんへ提案と言うか進言というか。

実は私は一つの予想していて、
そのとおりになったら書き込もうと思っていたものです。

Kenさんはdiamonds8888xさんが「読め」と勧めた
Kenさんdiamonds8888xさん以外の発言(今回はゲジゲジさんと私)を
まるっとスルーするのではないかと。

これまでも
Kenさんは、diamonds8888xさんが「読んでほしい」と述べた第三者の発言は、
ほぼ無視しています。

ただし、この点については
Kenさんは、

(1)Cの発言をAの言葉で言い直す
(2)Cの発言から利用できる部分を抜き出す
(3)Cの発言をそのままAの発言とみなしてよいと保証する

という場合以外については読まないと宣言しています。
(たとえば前スレ418)

これは、これまでのKenさんの性格(性質?)上
このCの発言が
diamonds8888xさんの引用だろうがWikipediaからの貼り付けだろうが
発言者名が「C」となっている時点で
問答無用で目を通さないということと思われます。

「Cの意見じゃないことくらい分かるでしょ?」というのは通用しないし、
「あとで引用するかもしれないから(今は引用しないが)Cの発言読んで把握しといて」も通用しない
ということです。

本当に
上記(1)〜(3)の、まさに字義通りに振舞わなければ
Kenさんは第三者の投稿を読みもしない
ということです。
忖度はしてくれません。読んだうえで判断もしてくれません。

これはKenさんが意地になっているだけかもしれませんが、
彼自身が「能力の問題で」と述べていることを考えれば
彼が何らかの機能上の問題、生来の特性
を抱えている故にそうせざるをえない
という可能性もあります。

いずれにせよ
このスレッドにおける第三者「C」の発言は
あくまでdiamonds8888xさんの考えを整理するための、
diamonds8888xさんだけが読むものであると考えたほうが良いと私は考えます。

「C」の発言内容でKenさんにとって知っておいてほしいことがあったならば、
diamonds8888xさんがその内容から必要な部分を
diamonds8888xさん自身の考えとして取り込み、
diamonds8888xさん自身の言葉でKenさんに伝える
ことをお勧めします。

52Ken:2021/07/09(金) 22:33:15 ID:l3c2r2bk
まず、確率論、熱力学第2法則について、

>確率論は抽象ではないのですか?純粋数学とは抽象ではないのですか? それとも熱力学第2法則は科学ではなくて文学なのですか?

ニュートンの法則(F = ma)と事情は同じです。抽象的に表現される法則でも、そこから、観測で検証できる具体事象が導かれるなら、当然、科学です。確率論に基づく熱力学第2法則からは、たとえば、

*0度の水1リットルに100度の水1リットルを加えると、混ざり合って50度の水2リットルになる
*50度の水2リットルが、0度の水1リットルと100度の水1リットルに分かれることはない

という具体事象が導かれます。0度も50度も100度も、観測で真偽を判定できる具体事象です。


>正しい科学を妨げる、の意味

「疑似科学理論」がなければ、順当に受け入れられたはずの科学的知見が受け入れられない、ということではないのでしょうか?
アッシャー理論が地質学の結論を妨げ、天地創造論が進化論を妨げたのが、その例でしょう。

だから私は尋ねたのです。(>>19

>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張が現れたとして、それが「正しい科学」のどの部分を妨げるのでしょうか? どんな理論、どんな知見を否定しますか?

私の理解では、この問いかけへの回答はまだいただいていません。一番「回答」に近かったのが、>>34で出された、

>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という現象が起きて世界が滅ぶ、という預言者が現れました(中略)信じる者は増えていきました。

だと思いますが、その預言者が、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体イメージとして語れないのなら、多くの信者が世界は滅ぶと信じるなどありえないと、私は考えます。それは「旭日高く」や「川がささやく」が現実になるという信者が現れないのと同じです。

信仰であれ迷信であれ、歴史上、多くの信者を獲得した主張を思い出してください。すべて、はっきりした具体イメージを語ります。

たとえば「世界が滅ぶ」と主張する文献で、最もよく知られ、広く読まれているのは「ヨハネの黙示録」でしょうけど、これは全編が具体イメージの集積ですよ。色の異なる4頭の馬が現れるとか、太陽の衣と月の靴と12の星の冠を身につけた女性が子供を産むとか、その子を7つの頭と10本の角をもつ赤竜が襲うとか。はては、救済されて神の国に入れるのは14万4千人と、数まで明示しているのです。微にいり細にわたって具体事象を語っているというべきでしょう。

そんな具体イメージもないのに「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を信じる人がいるとしたら、疑似科学ではなく、本人の思考力の問題でしょう。そんな人なら「旭日高く」だって信じてしまい、世界が終わると想像を飛躍させるかもしれません。

53diamonds8888x:2021/07/10(土) 05:31:12 ID:Qix9q/lA
>>51  Kenさんも読むはず、読むんじゃないかな、読まないようなら・・以下、自粛

 ミケさん、お気遣いありがとうございます。
 Kenさんは「順序が逆転しますが、>>48の質問にまず答えます」として、>>49,>>50 を書き込んでいますので、>>47 の【第2】での質問への答えは今後なさるのだと思います。

 ともかく具体と抽象の分類がはっきりしないと「具体イメージを出さないなら、観測による検証もできないから」というような主張にも何とも評価のしようがありませんからね。
 ということなんですよ ==>Kenさん

> 「C」の発言内容でKenさんにとって知っておいてほしいことがあったならば、
> diamonds8888xさんがその内容から必要な部分を
> diamonds8888xさん自身の考えとして取り込み、
> diamonds8888xさん自身の言葉でKenさんに伝える
> ことをお勧めします。

 そうは言っても、「Kenさんにとって知っておいてほしいこと」と「私自身の考え」が必ずしも一致するとも限りませんし。私自身の言葉に変える手順を省きたいから資料を引用するわけだし。^へたに変えると意味まで変わってしまったり、却って誤解されやすくなったりしますしねえ。

54diamonds8888x:2021/07/10(土) 05:36:05 ID:Qix9q/lA
>>49 はひとつの事例だからかどうなのか、Kenさんの推論は割と理解できます。間違ってるとは思いますが、間違ってることをどう説明したらわかってもらえるかは別問題です。

>>50 は、どこでどう推論がねじれているのか、かなりわかりません。どこがどうわからないのかを、どう説明したらわかってもらえるかは、これまた別問題です。

 ともかく、具体と抽象の区別のKenさんの独自基準がわからない、ということは[>>50]がわからない理由のひとつではあるでしょう。そこで[>>47]の繰り返しにはなりますが、{>>38]の答えは是非お願いします。

>肯定・否定は関係ありません。具体事象を導かない抽象論は、科学に無意味という意味なのですが。

 その具体と抽象の区別のKenさんの独自基準がわからないのです。ちゃんとわかるように説明しないと、意味がわかりません。

 もちろん[>>49][>>50]の後にコメントする予定だったのだとは、わかっています。くどくてすみません。

55diamonds8888x:2021/07/10(土) 05:40:26 ID:Qix9q/lA
【基準01-06の存在理由(1)】
 意味のすり合わせの一貫として、私の考える基準01-06の存在理由を丁寧に述べることは試みましょう。
 それは疑似科学的理論を排除するフィルタであり、疑似科学を排除する理由は「科学的真理の追求のためには間違った方法論だから」と言いましたが、意味がわからなかったとのことですので。

[>>37]
>>科学的真理の追求のためには間違った方法論だから排除するのです。
>意味が分かりません。

 まず、科学を自称するのが疑似科学の要素のひとつなのですが、自称する人は多くの場合、それを真の科学と思い込んでいます。もしも間違いだと自覚していて主張していたならば、それは明確に詐欺です。詐欺への対処は科学だけの問題ではないので、今の本筋のテーマではありません。
 詐欺に騙されている被害者の方は真の科学と思い込んでいますから、その思い込みを正すためには疑似科学である理由を示すのも方法のひとつでしょう。ただ科学的な正しさだけではダメだという話もあり、今の本筋のテーマではありません。

 つまりは、本人は真剣に科学的真理を求めようとしているつもりでも間違えた方法論に陥っているというのが疑似科学を主張する人々なのです。これはプロの科学者でも陥らないとは言えない道なのです。つまりは科学的真理を求めようとする人たちが己を戒めるための基準、それが基準01-06の存在理由なのです。

 [>>32]の繰り返しですが、
 まっとうな科学者はうっかりして疑似科学理論にはまり込むことを自分で排除すべきです。
 他人が疑似科学理論を科学と自称していれば、ピアレビューの精神で批判すべきです。

 Kenさんの元々の動機も、Kenさん独自のクリエータ理論を科学的に議論したいのだけれど、その際に疑似科学に陥ったり、疑似科学だといわれなき避難を受けたくはない、ということだったはずです。まさに科学的真理を求めようとする人たちが己を戒めるための基準を望んでいたことになります。
 だからと言って、Kenさんの能力なら絶対陥らないという落とし穴なら外せば良いかというと、基準というものは、そんなふうに個人に合わせるものではありません。

 >>(2)に続く

56diamonds8888x:2021/07/10(土) 05:44:21 ID:Qix9q/lA
【基準01-06の存在理由(2)】
 私の誤解かもしれませんが、Kenさんの主張は、「¬(P∧¬P)」は誰にも自明な当たり前のことだからわざわざ基準にする必要はない、とも受け取れるのです。これ、誤解ですか?

 私からは基準02-03提唱時の言葉を再掲しておきます。
[旧59 ttp://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/59]
>当たり前のこともきちんと述べるのが数学と法律の精神なので

 ここでまた意味のすり合わせの一貫としての質問ですが。

 基準02-03もやはり具体的イメージのわかない抽象的命題ですか?

57diamonds8888x:2021/07/10(土) 05:47:54 ID:Qix9q/lA
>>56
失礼しました。
 【間違い】基準02-03 => 【訂正】基準03-04

58Ken:2021/07/10(土) 08:51:32 ID:l3c2r2bk
>>54

>もちろん[>>49][>>50]の後にコメントする予定だったのだとは、わかっています。くどくてすみません。

>>52は回答になっていませんでしょうか?

>基準の存在理由

何度も繰り返してきましたが、diamonds8888xさんが提示される基準に、私が本スレッドで「その基準は間違いです」と反対することは、diamonds8888xさんから明示的に問われない限りは、ありません。

私がやっているのは、提示される基準によって、どのような理論が疑似科学と判定されるのか、具体例を明らかにすることだけです。

そして、「P∧¬Pはありえない」という基準05に関しては、考察した結果、そんな基準でアウトになる理論は、存在しえないのではないか、と疑っているのです。アウトになる理論がないのなら。基準05の存在理由もなくなります。

当初、私は、基準05でアウトになる理論は存在しうると考えました。「光は粒子∧光は波動」は19世紀までならアウトだったと。

ですが、そこには「メカニズムを説明できないことを想定してはいけない」という、暗黙の、しかし根本的な基準をおいていたのです。今の場合、「同じものが2つの存在を示す」がメカニズムを説明できないことに該当します。

ところが、エントロピーの起源問題に関連して、diamonds8888xさんから、メカニズムを説明できないことを想定してもよい、という基準が示されました。それなら、その基準に従って議論を進めることになります。

おそらくdiamonds8888xさんの主旨は、メカニズムを説明できないことを想定するのはよいが、「P∧¬P」のように数理的にありえないことを想定してはいけない、というものと思われます。(違いますか?)

これに対する私の問題提議は、「同じものが2つ存在する」は、数理的にありえるではないか、というものです。それを示すために「star_X」のテータ構造を出しました。数理的にありえないことなら、データ構造を定義できるはずがないからです。

ただし、この問題は、言葉の意味にこだわるあまり、堂々巡りに陥っているとしか思えません。

突破口は、>>19から>>52にいたるまで、私が何度も尋ねている、具体例に回答をいただくことだと思います。

>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張が現れたとして、それが「正しい科学」のどの部分を妨げるのでしょうか? どんな理論、どんな知見を否定しますか?

59ミケ:2021/07/10(土) 15:37:29 ID:liYNNt7Y
>>53
diamonds8888xさん

すみませんこれで退散しますが、結論から申し上げますと
「分かるでしょ」「これくらい当然やるでしょ、できるでしょ」
「理屈が通ってるから相手の要求を字義通り守らなくても大丈夫でしょ」
というのは、
かえって遠回りになるんじゃないかなあと心配している次第です。

以下はその理由の説明なので読み飛ばし可能です。

>そうは言っても、「Kenさんにとって知っておいてほしいこと」と「私自身の考え」が必ずしも一致するとも限りませんし。
>私自身の言葉に変える手順を省きたいから資料を引用するわけだし。

実際問題として前スレッド418周辺では結局別の話に逸れていますし、
今回話が通じているように見えるのも、
単に引用部分以外の地の文に反応しただけかもしれません。

たとえば、もしも……あくまでもしもの話ですが。
もしも相手が自閉症ないしそれに準ずる性質の持ち主だった場合、
楽だからと言って
相手の提示した手順を省いて「でも分かるでしょ?」は通用しないのではないか、
と思います。

また、そういう性質じゃなかったとしても……
というかもしかしたら私でも読まない可能性がありますね。

たとえば私は第一掲示板で神誰氏に対して

要求どおりにすれば○○するよ(「アルゴリズムの成立が知りたい?君の使うアルゴリズムは独自の用法っぽいからアルゴリズムという言葉を使わないで質問すれば答えてあげるよ」)
⇒要求通りにしない(「アルゴリズムがワカラナインダロ?」)
⇒○○しない。(「はいダメー。質問には答えませーん。」)

ということをやってますので。

60diamonds8888x:2021/07/11(日) 12:42:13 ID:Qix9q/lA
>>59 ミケさん
 別にコメントが余計なお世話と思っているのではありませんし、むしろミケさんやゲジゲジさんのコメントが入ると誰も見ていないわけでもないのだと思えて虚しさが少なくなりますから大歓迎なのです。私の気づかない視点をもらえるのが一番大きいですけどね。

> また、そういう性質じゃなかったとしても……
> というかもしかしたら私でも読まない可能性がありますね。

 Kenさんの思考の癖を理解できていないという自覚はあって、お互い様とは考えています。だからすり合わせをしようとするんですけどね。Kenさんの方でも、私が当然視している推論法に意表を突かれたりしているみたいですし、まさにお互い様ではあるんですけど。

61diamonds8888x:2021/07/11(日) 12:45:24 ID:Qix9q/lA
>>58,>>52
 投稿時間が近くて、[>>53]を書いた時点では[>>52]は読んでいませんでした。すみません。

 現在の所、Kenさんの考えは、[>>58,>>50,>>43]にまとまっていると考えています。特に[>>58]の「私がやっているのは、提示される基準によって、どのような理論が疑似科学と判定されるのか、具体例を明らかにすることだけです」というのは、これまでになかった説明で、なんとなく理解できそうにも思えます。そんなこと不要だとは思いますが、不要である説明は考慮中。

 [>>49]は個別事例で踏み込むと枝道になりそうでもあり少し後回しにします。主論点に必要ならコメントします。ただ、私は「質量が移動する∧質量が移動しない」について質問したのに、それには直接の答えはなく「光は粒子∧光は波動」の話に終始しているように思えます。


 さて本コメントでは[>>52]を受けて、さらに具体と抽象の区別についてです。未だKenさんの判定基準がわからないので申し訳ないが個別事例を判定してもらって推測するしかできない状態ですので。要は「¬(P∧¬P)」や「P∧¬P」だけが仲間外れになる理由がわからないのですけれど。

 まず[>>56]に答える際には、お手数でしょうが[>>57]の訂正を入れておいてください。後々混乱するとまずいでしょうから。

 Kenさんの判定基準として、以下の区別でよろしいですか?

 抽象論(抽象命題)でも具体事象が導かれるなら科学である
  熱力学第2法則=>[>>52]に示された現象
  確率論=>サイコロの出目、放射性物質の半減期、コロナウイルスの感染率

 すると以下のものも抽象論だが科学である、と判定するのですね?
  四則演算=>皿の枚数の勘定
  2次関数論=>落体の軌道、惑星の軌道
  3段論法規則=>具体的な全ての推論(うーん、まだ抽象的かな?)

「正しい科学を妨げる、の意味」については、納得できない旨を別コメントにて。

62diamonds8888x:2021/07/11(日) 12:57:29 ID:Qix9q/lA
>>52
> >正しい科学を妨げる、の意味

> 「疑似科学理論」がなければ、順当に受け入れられたはずの科学的知見が受け入れられない、ということではないのでしょうか?
> アッシャー理論が地質学の結論を妨げ、天地創造論が進化論を妨げたのが、その例でしょう。

 それを言えば現在は間違いとされた過去の全ての理論が、正しい科学を妨げたことになってしまいます。科学とは活発な議論の中で進歩するものです。屍累々たる間違った理論の蓄積は、科学の進歩の道筋そのものです。

 人間の態度や姿勢としては、大勢では既に間違いとされている理を不明確な根拠で主張することは「疑似科学を主張している」と批判されるでしょう。しかし、そういう輩を攻撃することは我々の基準の本来の目的ではありません。
 基準の目的は、正しい科学的推論を行うためのものです。そして上記の輩は正しい科学的推論を行っていないゆえに、基準はその批判としても役立つというだけの話です。

 そもそも今回の基準設定後に行いたいのは、例えばKenさんの考えるクリエーター理論の議論などでしょう? 別に疑似科学批判をしたいわけではありませんよね? Kenさん自身、そして私や他の人達も、うっかりと疑似科学的方法論を使ってしまうことを避けるためではありませんか?


 本コメントでは疑似科学の範囲を本スレッドの当初の定義より広げて使ってしまいましたが、文脈上やむをえないということでご了解ください。Kenさん自身も天地創造論や太陽神による説明理論を「疑似科学」と呼ぶこともありますし、まあお互い様で。再度きちんとしたければ、おっしゃってください。

63Ken:2021/07/11(日) 17:23:27 ID:l3c2r2bk
>>62

>それを言えば現在は間違いとされた過去の全ての理論が、正しい科学を妨げたことになってしまいます。

いや、それでは私の意図とずれてしまいます。

正しい科学を妨げるのは、疑似科学の必要条件であっても、それだけで十分条件ではないでしょう。それとは別に、疑似科学を疑似科学たらしめる条件があり、それがつまりdiamonds8888xさんが挙げている基準に違反することではないのですか?

アッシャーは世界の年齢を6千年と考えましたが、19世紀のヘルムホルツは、地球ができてからの年月を約2500万年と考えました。彼の論拠は、太陽のエネルギー源は、重力による収縮で、位置エネルギーを熱エネルギーに変えることしか考えられない、というものです。観測されるエネルギー放出を太陽が続けてきたとすると、過去にゆくほど太陽は大きく、2500万年前には地球の軌道まで広がっていたから、それ以前に地球は存在できなかった、というのがヘルムホルツ理論です。

この理論も、地質学や生物学の見地からは受容できないものでした。地層ができるプロセスも、生物が進化してきたプロセスも、2500万年よりはるかに長い年月が必要と考えられたからです。しかし、旧約聖書が根拠のアッシャー理論とは異なり、「物理法則からそうなるのだ」とヘルムホルツに言われると、地質学者も生物学者も沈黙するしかありませんでした。今から振り返れば、さすがのヘルムホルツもこの件では、科学を妨げてしまったというしかありません。

でも、だからといって、ヘルムホルツの行為が、疑似科学に該当しないのは言うまでもありません。

逆のケースが「旭日高く」です。太陽が低い位置にあることを示す「旭日」と「高く」の両方を含むのだから、あきらかに「P∧¬P」ですよね。つまり、疑似科学の一方の必要条件は満たしますが、この表現が具体イメージにならない以上は、正しい科学を妨げるという、もう一方の必要条件を満たしません。「旭日高く」が、私の知る限り、疑似科学として排除されないのは、それが理由だと思います。そして私は「太陽が昇る∧太陽が昇らない」にも、同じことがいえるのではないか、と問いかけているのです。

私の認識では、疑似科学が正しい科学を妨げる、というのは基準以前の大前提です。だって、科学を妨げないものを、なぜ排除する必要がありますか?

>>61

>四則演算=>皿の枚数の勘定
>2次関数論=>落体の軌道、惑星の軌道

計算結果が、皿の枚数や物体の位置で検証できるから、科学でしょう。

>3段論法規則=>具体的な全ての推論

たとえば、

爬虫類は卵を生む → 蛇は爬虫類である → ゆえに、蛇は卵を生む

推論で導かれる蛇の卵生は観測で検証できるから、科学だと思います。

64Ken:2021/07/11(日) 20:55:23 ID:l3c2r2bk
この部分も明確にしておくのがよいですね。

>>61
>私は「質量が移動する∧質量が移動しない」について質問したのに、それには直接の答えはなく「光は粒子∧光は波動」の話に終始しているように思えます。

「質量が移動する∧質量が移動しない」が、矛盾ではなくなり、「P∧¬P」の事例でなくなったのは、「メカニズムを説明できないことを想定してもよい」という論点が現れ、「同じものは、同時に1つしか存在できない」という「法則a」が破れたからです。2つのものが観測され、

一方は昇る、他方は昇らない
一方は質量を移動させる、他方は移動させない

そして、その2つが実は同じものと判明すれば、「質量が移動する∧質量が移動しない」は実現したことになるでしょう。これは>>43で述べました。

「光は粒子∧光は波動」の話をしたのは、「メカニズムを説明できないことを想定してもよい」を前提にしなければ、どういう論理展開になるかを示すためです。この場合は、法則aが維持され、同じものは同時に1つしか存在できないのだから、「質量が移動する∧質量が移動しない」は実現できません。つまり。質量を移動させる粒子と、移動させない波動の両形態を、同じ光がとるのは不可能ということになります。

つまり、「光は粒子∧光は波動」は成立し得ないので、18世紀の光粒子説は光の波動性を否定することを、波動説はの粒子性を否定することを、それぞれの根拠にしたと、主張したかったのです。

65diamonds8888x:2021/07/12(月) 05:31:06 ID:Qix9q/lA
>>64
 なるほど、どこで食い違ったのかなんとなく見えてきたので、後ほど。全く使う言葉の意味の違いが大きいですね。

66diamonds8888x:2021/07/12(月) 05:31:58 ID:Qix9q/lA
>>63
 そもそもこのスレッドを始めることにして私に基準を示せとした理由は、[>>62] でも書いた通り、「例えばKenさんの考えるクリエーター理論の議論など行うときのため」でしたよね? つまりこれが、我々が最初に同意した今回の基準の存在理由です。

  これには同意ですか? Y/N?

 それ以外のこと、例えば疑似科学の排除などにも使える基準であるのは確かですが、使えなくても今回の基準の存在理由の判断には関係ありません。

  これには同意ですか? Y/N?

 そして私は「例えばKenさんの考えるクリエーター理論の議論など行うときのため」には基準05もあってもいいと判断しています。そもそもほっておいてもKenさんが疑似科学的論理に陥らないのであれば基準は不必要ですが、Kenさんがある間違いには絶対に陥らないなんて私を含めた他人にはわかりっこありません。だから私は多くの人なら当たり前に避けられる落とし穴といえども基準にきちんと盛り込みます。[>>56,>>57]も参照。
 ここは設定する私の方針をそのまま認めてください。

  ということではいけませんか? Y/N?

もしも以上がすべてYesならば、【以下は余談】でいいはず。単に我々の見解の相違を互いに知るための余談です。

 上記の存在理由をさらに広く考えれば、私が述べてきた「科学的真理を求めようとする人たちが己を戒めるための基準」[>>55]になります。
 また基準01-06がKenさんの言う「正しい科学を妨げるものを排除するため」にも使えることは確かでしょう。でもそれは今回は基準の必要性の有無には関係ありません。

 また私は、[>>63]の「正しい科学を妨げる」という事例は、私の考える「正しい科学を妨げる」事例にはなっていません。以下はKenさんとの見解の違いを敢えてスルーしてきたことですが・・。見解の違いとは、例えば「太陽神アポロは大地神ガイアよりも神格が高いから中央に鎮座するはず[旧512]」との理論を即座に疑似科学と断定する見解などについてのことを含みます。

>今から振り返れば、さすがのヘルムホルツもこの件では、科学を妨げてしまったというしかありません。

 私の見解では、この件であってもヘルムホルツは科学を妨げてなどいません。それを言えば現在は間違いとされた過去の全ての理論が、正しい科学を妨げたことになってしまいます。間違えない人間などいないし、間違いを恐れない新説がどしどし出ることで科学は発展します。
 同様に、旧約聖書が根拠のアッシャー理論も、理論自体は科学を妨げてなどいません。同時代の人たちの評価や科学史的評価は全く知りませんが、化石的証拠などアッシャー理論を否定する事実の発見があったりして、後に否定される対立理論としての存在意義があったとすれば、むしろ科学の発展に寄与したのかも知れませんしね。

 要するに私は、後に間違いとされた対立仮説の存在は、科学の発展に寄与するものだと考えています。必須とまでは言い過ぎかも知れませんが、歴史を見ればほぼ必須にも見えてきます。それは基準01-06に反する理論でさえも、そうです。例えば基準01に反する「へそ理論」は実際には科学的ではない理論の代表例として提唱されたのが最初らしいですが、最初にまじめに唱えられていたとしても「科学的ではない理論の代表例」として使われて、科学の発展に寄与したことでしょう。

 私の考える「正しい科学を妨げる」ものとは、明らかに間違いとわかる理論をそれ自体の議論以外の場や方法で押し付けたり広めたりする行為です。典型的には教会権力による押し付け、旧ソビエト政権によるルイセンコ説の押し付けと正統遺伝学の弾圧、などです。
 現代だと、非科学的な理論や物の見方を、やらせなども交えて報道するマスコミの行為も該当すると考えます。

67Ken:2021/07/12(月) 22:40:57 ID:l3c2r2bk
>>66

>「例えばKenさんの考えるクリエーター理論の議論など行うときのため」でしたよね? つまりこれが、我々が最初に同意した今回の基準の存在理由です。
>これには同意ですか? Y/N?

私は「ID論」とは言いましたが「クリエーター理論」とは言っていません。「クリエーター理論」が、天地万物は意思を持つ者に作られたという意味なら、IDとは全く異なるものです。

IDを議論するときのために、基準を明らかにしようという話なら、たしかに、それがきっかけです。ただし、旧スレッドの冒頭で、diamonds8888xさんが「そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりました」と発言されたことで、第3掲示板での議論が始まりました。私は「科学と疑似科学とを判別する」というタイトル通り、対象を特定の理論に限定しない、汎用的な基準の話を想定しています。また、いずれはIDを論じるにせよ、IDがどういう切り口で論じられるか予想ができませんから、汎用的な基準を明らかにしておくべきと考えます。

>例えば疑似科学の排除などにも使える基準であるのは確かですが、使えなくても今回の基準の存在理由の判断には関係ありません。

上で述べたように、タイトルからして、いかにして疑似科学を判定し排除するかが、論点になっていると考えます。

>私の考える「正しい科学を妨げる」ものとは、明らかに間違いとわかる理論をそれ自体の議論以外の場や方法で押し付けたり広めたりする行為です。

つまり、社会的な影響力または強制力で、理論を広めたり抑えることですか? では、確認しますが、裁判に訴えて、特定の理論を学校で教えるのをやめさせるのは、これに該当しますか? やめさせるのが、進化論であれ、ID論であれ。

>「科学的真理を求めようとする人たちが己を戒めるための基準」

その、己を戒める基準によって「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は疑似科学と判定されるわけですよね?

ですが、私は「太陽が昇る∧太陽が昇らない」と見なしうる具体事象を提示してきました。当初は「メカニズムを説明できる」のが前提で、この世がティレルがいうような仮想世界と仮定しましたが、「メカニズムを説明できない」想定をしてもよいと言われてからは、仮想世界の条件も外し、2つの太陽が同じ黒点・フレアを示すとか、一方が破壊されたら他方も消える、という話をしたのは、覚えておられるでしょう。

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が本当にありえないかは、このような具体化によって、はじめて考察可能になるのではありませんか? 具体化もせず、ただ「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という抽象表現だけで、疑似科学と判定してしまうことこそ、己を戒める人が、やってはいけないことではないのでしょうか?

「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を具体イメージにすることを、私が求める理由は、そこにあります。

68Ken:2021/07/15(木) 00:02:40 ID:l3c2r2bk
私は>>67で、裁判に訴えて、特定の理論を学校で教えるのをやめさせるのは、diamonds8888xさんがいう「科学を妨げる」行為に該当するかを尋ねました。この問題は、私にとっては、「科学と疑似科学を判別する」議論の中心に位置するもので、明確に説明しておきましょう。

まず、実際に起こった裁判を挙げます。

1925年、高校教師のスコープスは、テネシー州法に背き、人間という種が進化の結果現れたと教えたことで訴えられ、裁判になりました。
2005年、ペンシルベニア州の教育カリキュラムにIDが含まれることに反対する人たちが告訴し、裁判になりました。

どちらも、特定の理論を学校で教えることに反対する人たちが、裁判に訴えて、やめさせようとしたのです。やめさせようとしたのは、1つめは進化論、2つめはID論でした。

問題は、進化論、ID論、その他のどれを支持するかは個々人が決めるのではない点にあります。告訴をした側は、自分たちが間違いとみなす理論は、万人が間違いとみなすべきで、個人が選択することではないと主張したのです。裁判で決まったことは強制力を持ちますし、従わなければ、最後は警察が介入するからです。

私は、diamonds8888xさんが、

>教会権力による押し付け、旧ソビエト政権によるルイセンコ説の押し付け

と言われたことを受け、問題の所在を明らかにするべきと考えました、

問題の所在が「押し付け」にあるのなら、つまり、自分たちの考えに万人が同意せねばならないと信じることにあるのなら、2つの裁判の原告は、一方は進化論に、他方はID論に反対したのですが、どちらも同罪です。diamonds8888xさんの表現では「科学を妨げる」行為に該当します。

一方では、それとは異なる見解もあるでしょう。2005年にIDの排除を訴えた人たちは、自分たちは1925年に進化論を教えたスコープスを継承するという自覚を持っていたと思います。つまり、強制力をもってしても排除するべき理論と、排除してはいけない理論があるという考えが基本にあります。

そして、もし後者の立場をとるのであれば、区別の基準があるはずです。diamonds8888xさんは、

>「明らかに間違いとわかる理論」
>「正統遺伝学」

という表現をされましたが、どういう判定基準をもって「明らかに間違い」とか「正統」を決めるかが、問題になります。

非常に重要なことは、この場合の基準は、「己を戒める」と表現されるような、個人の内面的なものではない、ということです。裁判に訴え、結論に強制力をもたせ、万人が従うことを求めるなら、それは「法律」と同じです。

私がdiamonds8888xさんに確認したいのは、上に挙げたどちらの立場をとられるのか、ということです。もしも、強制という行為自体に反対し、進化論を排除した人も、ID論を排除した人も、どちらも「科学を妨げた」と言われるのなら、これほど延々と基準の議論をする必要は、私にはなくなるか、すくなくとも議論の重みはずっと軽いものになります。

反対に、もしも、ある理論は強制的に排除するが、別の理論は排除してはいけない、と主張をされるのなら、それを判別する基準が必要になり、それを明らかにするのが本スレッドの目的だと考えます。

69ゲジゲジ:2021/07/17(土) 00:29:37 ID:hzdfTjPk
diamonds8888x様へ

Ken様の根本的な誤解といいますか間違いと言いますか、はっきり見えてきたと思います。
考えの土台がこれだけ違っているのだから、その上に推論を重ねて議論しても、噛み合うはずがありません。
私から見ると失礼ながらdiamonds8888x様の説明は遠回しのように感じます。
ここはもっとストレートに伝えて差し上げた方が良いのではないでしょうか?

私だったら以下のようにコメントします。
少し見難いかもしれませんが細かくセンテンスに分けますので、diamonds8888x様が「そのままdiamonds8888x様ご自身の発言とみなしてよいと保障」できるセンテンスだけ活用してください。


---センテンス(1)---
>>63
>正しい科学を妨げるのは、疑似科学の必要条件であっても、それだけで十分条件ではないでしょう。
  ↓
正しい科学を妨げるのは、疑似科学の必要条件ではありませんし、十分条件でもありません。
疑似科学が必ずしも正しい科学を妨げるとは限りません。


---センテンス(2)---
>>63
>正しい科学を妨げるのは、疑似科学の必要条件であっても、それだけで十分条件ではないでしょう。
  ↓
逆に、疑似科学でなくても、正しい科学を妨げる場合もあります。
例えば宗教、政治信条、文化的な思想など。
仮説としては正当な科学が、別の正当な科学を妨げる場合もあり得ます。(※)
※)科学として正当な仮説であっても、提唱者が対立仮説を正当なやり方以外の方法で弾圧するなど。


---センテンス(3)---
>>19 >>31 >>52 >>58
>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という主張が現れたとして、それが「正しい科学」のどの部分を妨げるのでしょうか?
>どんな理論、どんな知見を否定しますか?
  ↓
「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を主張したり検証しようとしたりする事に時間と労力を奪われるという意味では、全ての科学を妨げます。
どんな理論も、どんな知見も否定しません。


---センテンス(4)---
>>39
>あるいは、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「科学と自称する」からアウトで、「旭日高く」や「川がささやく」は、科学を自称しないからセーフなのですか?
  ↓
その通りです。


---センテンス(5)---
>>39
>ですが「科学と自称する」とはどういうことを意味しますか?
>「これは科学理論です」と「科学理論」という文言が入っていることでしょうか?
  ↓
その通りです。
加えて、「科学教育で教えろ」とか「科学の議論の場で主張させろ」とか「科学雑誌で扱え」といった場合です。


---センテンス(6)---
>>39
>そうではないでしょう。
  ↓
そうではなくないです。

>それなら「科学理論」という文言を避けつつも、「事実はこうだ」と言って、トンデモ理論を広められるはずです。
  ↓
その通りですが、科学と疑似科学とを判別する基準とは関係ありません。
疑似科学でなくても、正しい科学を妨げる事はあります。(センテンス(2)のとおり)


---センテンス(7)---
>>19
>そして「疑似科学」が科学を妨げるものであるなら、少なくとも、科学と同じ土俵に登らねばなりません。
  ↓
科学と同じ土俵に登れないのに、無理やり登ろうとするから疑似科学なのです。


---センテンス(8)---
>>19
>天動説は地動説を妨げたし、アッシャーの理論は地質学を妨げました。
>>52
アッシャー理論が地質学の結論を妨げ、天地創造論が進化論を妨げたのが、その例でしょう。
  ↓
天動説もアッシャーの理論も、疑似科学ではなく正当な科学です。(結果的に間違った科学)
天地創造論は宗教です。(但し「創造科学」を名乗ったら疑似科学)


---センテンス(9)---
>>20
>間違いではないが、具体的な観測事象を対象とする科学には応用することができず、そもそも科学と接点がないのだから、疑似科学の判別もできないのでは、と言っています。
  ↓
科学に応用することができないから疑似科学なのです。

70ゲジゲジ:2021/07/17(土) 00:30:21 ID:hzdfTjPk
---センテンス(10)---
>>39
>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」はありえない
>という抽象論から、観測で是否を語れる具体事象を導けますでしょうか?
  ↓
導けないから疑似科学なのです。


---センテンス(11)---
>>50
>具体イメージを出さないなら、観測による検証もできないから、そもそも科学の対象になりえないし、科学の対象でないのなら、科学を妨げる疑似科学にもなりえないのでは、と私は言っています。
  ↓
具体イメージを出さないから、観測による検証もできないから、そもそも科学の対象になりえないから、疑似科学なのです。


---センテンス(12)---
>>50
>反対に、もし、具体イメージにならない「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を疑似科学として排除するのなら、同じく具体イメージにならない「旭日高く」や「川がささやく」も排除対象のはずです。
  ↓
別に「科学」とは言っていないので疑似科学ではありません。(センテンス(4)、(5)、(6)参照)


---センテンス(13)---
>>67
>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」が本当にありえないかは、このような具体化によって、はじめて考察可能になるのではありませんか?
  ↓
具体化によって、考察可能になったら、それは正当な科学の資格があるという事です。少なくとも基準5は満たすという事です。


---センテンス(14)---
>>67
>具体化もせず、ただ「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という抽象表現だけで、疑似科学と判定してしまうことこそ、己を戒める人が、やってはいけないことではないのでしょうか?
  ↓
具体化しない状態を疑似科学と判定して排除しなければならないのです。
具体化したら正当な科学になり得ます。少なくとも基準5は満たす事になります。


---センテンス(15)---
重要な事。
疑似科学は、科学の場(科学の議論、科学教育、科学の報道、など)からは排除せねばなりません。
同じ理論が「科学」を自称せずに宗教や文学として語られたなら、排除してはなりません。
(センテンス(4)、(5)、(6)参照)


---センテンス(16)---
上記センテンスとは趣きが異なりますが・・・
>>50
>そして、その前提に立つなら、熱力学第2法則は「P∧¬P」に該当します。エントロピー減少はありえないという主張と、過去にエントロピー減少が起こったという両方の主張を含むからです。
  ↓
熱力学第2法則は過去にエントロピー減少が起こったという主張を含みません。
熱力学第2法則は、エントロピーの増大が始まって以降、減少はありえないという主張です。
よって「P∧¬P」に該当しません。

71diamonds8888x:2021/07/17(土) 08:41:25 ID:Qix9q/lA
>>69,>>70
ゲジゲジさん、詳しいまとめをありがとうございます。

 新しい知見というか、表現もあり参考になりました。例としては、
 >科学と同じ土俵に登れないのに、無理やり登ろうとする センテンス(7)

  そう。この科学の土俵が如何なるものかが、Kenさんと我々では違うのが問題かなあ?

 >熱力学第2法則は過去にエントロピー減少が起こったという主張を含みません

  気づかなかったけど、単純な国語のミス、論理のミスでしたね。Kenさんには、こんな単純論理ミスもあるからなあ。そのせいで、その先の論理が軌道がそれてるから。この単純ミスは意外に根が深そうで扱いに困る。

 科学の自称とは? の件では、(4)(5)(6)(12)(15)が、その通り。特に(5)に文字通りの「自称」以外の例があるのは助かります。文字通りの「自称」とは、(6)での{「科学理論」という文言を避けつつも[>>39]}という方法ですね。
 追加すれば、{「事実はこうだ」と言う[>>39]}のも、広義の自称に含まれるので疑似科学と判定すべきでしょう。現代では、事実と言えばそれは、科学的事実として真偽を判定できるはずの事実を指すからです。社会科学的にであれ、歴史科学的にであれ、です。そもそも科学とは広義に言えば、世の中の事実なるものの真偽を判定する手段なのだから。
 さらに、(2)の「例えば宗教、政治信条、文化的な思想など」が科学を弾圧して妨げる場合ですが、弾圧理由の理論武装は疑似科学に該当するはずです。科学的方法により事実ないし真実(の可能性がある)という理論を頭から否定するのですから、その時点で科学の土俵に踏み込もうとしていることになるでしょう。
 むろんここで科学を妨げているのは、「理論武装」「理論」ではなく人間です。それが、私の主張であり、このスレッドのテーマとは認めにくい要点です。

 具体化しないからこそ疑似科学(10)(11)(13)(14)というのは、当面まずKenさんにわかってほしい点です。Kenさんとまず同意できる点から持っていこうとしてるのですが、それが遠回しのように感じられるとは思います。まあ先に結論をぶつけておくことも必要かも知れないのだけど。さじ加減が・・。考えすぎると疲れそう。

72diamonds8888x:2021/07/17(土) 08:58:09 ID:Qix9q/lA
>>68
>この問題は、私にとっては、「科学と疑似科学を判別する」議論の中心に位置するもので

 私にとってはテーマ外です。話を複雑にしたくありません。どうしても社会的問題を絡めたいのなら、別のスレッドを立てて他の人とやってください。

 私がイメージする「科学を妨げる行為」とは、人間が科学論争以外のやり方で、科学的営みを妨害する行為です。科学の土俵に乗るどころか、科学の土俵を破壊しようとする行為も含まれるものです。その際に「科学を妨げる行為」の正当化のための理論武装が使われることも多いでしょう。例えば聖書の言葉は絶対に正しいとか。この際の「理論武装」は疑似科学と言えるでしょう。しかし、

  科学を妨げているのは、「理論武装」「理論」ではなく人間です。本スレッドでは「理論武装」「理論」の内容以外はテーマ外です。

 ひとまず、私の趣旨でのテーマに沿ってのコメントは続けておきます。

【追記】なお「どういう判定基準をもって「明らかに間違い」とか「正統」を決めるか」という点は改めて説明しようとすると難しいテーマです。が、本スレッドの前提としては、現代の科学者コミュニティは正しい科学的方法に従っており、通常はそれを基準とすべきである、という前提です。自分も含めて世界中の誰もが平等に正しい可能性がある、なんて世迷い言を言ってたら話がまとまりません。以下も参考までに。

【参考】科学という営みも社会の中の活動であり、科学的真理の追求にも深いところでは社会を意識することも必要でしょう。そのテーマの入り口の一端はブログにも書いてますので、よければご参考までに。

(2019/08/29)科学的方法とは何か? 序-4 すべては伝聞なのに
[ttps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/366603211ecd3f85927144233520e68b]
(2019/09/18)科学的方法とは何か? 序-5 確実なことは何もない
[ttps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/cb8c7333684cce49977c1c29c2d7fe19]

73diamonds8888x:2021/07/17(土) 09:01:34 ID:Qix9q/lA
>>67

>私は「科学と疑似科学とを判別する」というタイトル通り、対象を特定の理論に限定しない、汎用的な基準の話を想定しています。

 もちろんそうです。「例えばKenさんの考えるクリエーター理論の」と書いた通り、私も「クリエーター理論」は例示しただけで、対象を特定の理論に限定していません。それは要点じゃない。

 そうではなく「Kenさんが何らかの理論を提示して議論する際」のための基準でしょう? という点が私の意図です。他の疑似科学を排除するためではなくて。
  ・2人で何らかの疑似科学を排除しようとする予定ではない。
  ・私がKenさん提唱の理論を最初から疑似科学と決めつけて排除しようとする予定ではない。
  ・Kenさん提唱予定の何らかの理論を科学的に検討しようとしていたのでしょう?

 そもそもこれらの基準は正しい科学の方法を示すためのものであり、それは裏返せば疑似科学を否定する基準になっているというだけの話です。つまり、疑似科学があってもなくても、正しい科学のために必要な基準なのです。

>つまり、社会的な影響力または強制力で、理論を広めたり抑えることですか? では、確認しますが、裁判に訴えて、特定の理論を学校で教えるのをやめさせるのは、これに該当しますか? やめさせるのが、進化論であれ、ID論であれ。

 テーマ外の質問です。答える必要を認めません。

>その、己を戒める基準によって「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は疑似科学と判定されるわけですよね?

 はい、その通り。つまり、ここに続く以下のKenさんの見解では、正しい科学の論理を示すための基準として、基準06の必要性が認めがたいということですね? なら了解です。その誤解を正して行きましょう。

>具体化もせず、ただ「太陽が昇る∧太陽が昇らない」という抽象表現だけで、疑似科学と判定してしまうことこそ、己を戒める人が、やってはいけないことではないのでしょうか?

 結局はそこがポイントですね。では後ほど。

74diamonds8888x:2021/07/17(土) 09:27:20 ID:Qix9q/lA
>>63

>>61

>>四則演算=>皿の枚数の勘定
>>2次関数論=>落体の軌道、惑星の軌道

計算結果が、皿の枚数や物体の位置で検証できるから、科学でしょう。

>>3段論法規則=>具体的な全ての推論

>たとえば、
>爬虫類は卵を生む → 蛇は爬虫類である → ゆえに、蛇は卵を生む
>推論で導かれる蛇の卵生は観測で検証できるから、科学だと思います。

 了解です。では以下の推論は科学ですか? (正しいか否かはともかく)

 ・背理法による素数が無限に存在することの証明
   最大素数が存在すると仮定すると、それより大きな素数の存在が導かれる。
   これは矛盾するので、最大素数は存在しない。つまり素数は無限に存在する。

 ・背理法による熱力学第2法則が間違っていることの証明
   熱力学第2法則が正しければ、過去のある時点でエントロピーが最小であった。
   過去が有限でなければ、エントロピーが最小時点の存在は不可能である。
   これは矛盾するので、熱力学第2法則は正しくない

 さらに、次の命題は科学ですか?

  ・「太陽が昇る∧太陽が昇らない」には具体的事象がない。
  ・「光は波である∧光は粒子である」からは「光は質量を運ぶ∧光は質量を運ばない」が導かれるから、「光は波である∧光は粒子である」には具体的事象がない。
  ・具体的事象がない命題は科学ではない。
  ・科学ではない命題は、科学から排除する必要がある。

75ミケ:2021/07/17(土) 16:13:21 ID:???
diamonds8888xさん

【裁判に訴えて、特定の理論を学校で教えるのをやめさせる行為】
がテーマ外かどうか、
これについては前スレッド41近辺でdiamonds8888xさんが

「ある理論の科学的正しさを判定する行為」というのは、
「政治的取り扱い(裁判に訴えて、公教育から排除する/あるいは取り込む)」以前のものである

…と確かに述べてはいらっしゃいますが、
お二方で合意に至ってはいないように思います。
(話が逸れているので)

Kenさんは見たところ、第一掲示板の神って誰さんと同じく
「その質問に答える前に○○という質問に〜」
「(質問の一部にひっかかって、質問自体には答えず)だとすれば○○ということにならないか」
という具合に次々と話題が拡散してしまう傾向にあるようですので
今回“余談”に取り合わないという点では>>72>>73は英断だと思いますが、

きちんと“余談”と“本筋”の合意を取り付けずに
“本筋(とdiamonds8888xさんが主張する筋)”に沿った話で進めてしまいますと、
また次々と話が広がって
長い長い時間がたった後で
今回のようにフッと“テーマ外”が戻ってきてしまうのではないかと危惧しています。

本筋に沿って進める前に、「テーマ外であること」を確定させたほうがよろしいのでは?

76Ken:2021/07/17(土) 16:59:05 ID:l3c2r2bk
>私にとってはテーマ外です。

では、1つだけ質問します。正しい科学的方法といわれますが、diamonds8888xさんにとっての、科学の定義は何でしょうか?

この点をまず明らかにするのがよいかもしれません。以下の問題も、それに影響されるでしょうから。

>現代の科学者コミュニティは正しい科学的方法に従っており、通常はそれを基準とすべきである

この発言をストレートに解釈すれば、科学的方法として正しいかは、方法の内容よりも、誰がやっているかが問題になる、ということでしょうか? では尋ねますが、「科学者コミュニティ」の定義はなんですか?

その「科学者コミュニティ」の方法に注目するのはよいとして、最後の判断は自分でするべきと思われませんか? その判断の基準を問題にしているのですが。


>背理法による素数が無限に存在することの証明

純粋数学と自然科学は異なる、というのが私の回答です。「素数」の定義は純粋に数学的なもので、「昇る」の定義が「ω>0が観測される」のとは異なります。言い換えれば、どういう事象が観測されたら、素数が有限または無限と認められるかの定義がありません。よって、上記の命題は科学ではないと考えます。

>背理法による熱力学第2法則が間違っていることの証明

そもそも、私が熱力学第2法則を持ち出したのは、論理的にありえないという理由で、特定の法則が間違っていると主張するのを否定するためです。旧スレッドの669で、

>現実認識と数理的整合性が一致しない場合は前者を優先し、理論的な矛盾を容認するのではないか

と述べたのが最初と思います。よって、背理法から第2法則が間違ってるとはいえませんし、上記の推論を科学とは考えません。

>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」には具体的事象がない。

同じものは1つしか存在できないという「法則a」が破れるなら、具体事象がある、と言っています。それを示すためにstar_Xのデータ構造を出しました。

>「光は波である∧光は粒子である」からは「光は質量を運ぶ∧光は質量を運ばない」が導かれるから、「光は波である∧光は粒子である」には具体的事象がない。

「太陽」の場合と同様です。具体事象を想定できます。

>具体的事象がない命題は科学ではない。
>科学ではない命題は、科学から排除する必要がある。

それが私の考えです。試みに尋ねますが、およそ科学の教科書と称される書籍で、具体事象を述べない理論を語る例が、1つでもありますでしょうか? 肯定・否定どちらの形態でもよいですから。

77ゲジゲジ:2021/07/18(日) 06:36:54 ID:hzdfTjPk
diamonds8888x様へ

ヨコからの投稿にお返事ありがとうございます。

>>71
>Kenさんとまず同意できる点から持っていこうとしてるのですが、

承知しました。


>追加すれば、{「事実はこうだ」と言う[>>39]}のも、広義の自称に含まれるので疑似科学と判定すべきでしょう。

この辺りは、私とdiamonds8888x様とで微妙に認識の相違がある所かもしれません。
Ken様との議論には関係ないのでスルーしますが。


ミケ様のアドバイス(>>75)は私も同感です。
“余談”と“本筋”だけでなく、1つ1つ、同意ができたかどうかを「Yes/No」で確認してから次に進んだ方が良いですね。
できれば言質として、同意した投稿番号を控えておくなどされると良いかと思います。


ミケ様の仰る
>「その質問に答える前に○○という質問に〜」
「(質問の一部にひっかかって、質問自体には答えず)だとすれば○○ということにならないか」
という具合に次々と話題が拡散してしまう傾向にあるようですので

ですが、ここはKen様なりに問題認識されていて、だからこそ対策として第三者のコメントをスルーしているのだと思います。
コメントの内容から“本筋”か“余談”か判断できないので、投稿者名が「diamonds8888x」であれば“本筋”、別の名前が入っていたら“余談”と切り分けているのではないかと・・・



それはそうと、どうもKen様は「疑似科学」と判定される理論は、科学の場からだけでなく、世の中全体から排除しなければならないと思っている節があります。
だから以下の発言になるのだと思います。

>>39
>そうなると、あらゆる文学、歌、芸術、さらには宗教的な経典から、同様の表現を追放せねばなりません。

>>50
>反対に、もし、具体イメージにならない「太陽が昇る∧太陽が昇らない」を疑似科学として排除するのなら、同じく具体イメージにならない「旭日高く」や「川がささやく」も排除対象のはずです。

>>63
>逆のケースが「旭日高く」です。太陽が低い位置にあることを示す「旭日」と「高く」の両方を含むのだから、あきらかに「P∧¬P」ですよね。つまり、疑似科学の一方の必要条件は満たしますが、この表現が具体イメージにならない以上は、正しい科学を妨げるという、もう一方の必要条件を満たしません。「旭日高く」が、私の知る限り、疑似科学として排除されないのは、それが理由だと思います。



それと、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」は「P∧¬P」の例として分かりやすいものを挙げたのであって、実際にこんな「P∧¬P」そのものであるような理論が提唱される事はないでしょう。
実際には【「P∧¬P」を含む理論】が疑似科学判定されるわけで。
この辺りもKen様は根本的に誤解していそうです。

天地創造説や、検証の結果として否定された後の天動説、そして私から言わせればKen様が第1掲示板で提唱したID論が正に【「P∧¬P」を含む理論】なのですけれど。



ちょっとヨコから出過ぎたかと思います。
diamonds8888x様が議論をどの様に進めようとされているのか、お考えも分かりましたし、今後は余程の事がない限りは暫く投稿を控えます。
議論の流れはずっと興味深く拝見しておりますので頑張ってください。

78diamonds8888x:2021/07/18(日) 07:35:53 ID:Qix9q/lA
>>76

> その「科学者コミュニティ」の方法に注目するのはよいとして、最後の判断は自分でするべきと思われませんか? その判断の基準を問題にしているのですが。

 思いません。私はそれほど思い上がってはいません。

 御自分が判断する基準なら私に設定させるべきではないでしょう? 自分で設定して、Kenさんの基準はこうだと宣言してくださいな。御自分(だけで)判断したいのなら勝手に判断してください。何のためにわざわざ私と議論する手間をかけたいのですか?

 というか、実際問題として(自分にとっての)最後の判断は他人にしてもらえるわけもなく自分でするしかないし、どんな基準でどう判断するかは他人が強制はできません。まさに心の中の話なんだから。
 さりながら、その基準として選ぶ候補というものは自分で創作するのは難しくて、生まれてからこれまでに他人から学んだものが多いはず。で、どの候補基準を選ぶかは自分で判断するしかない、ということでしょう。そしてその選択の判断には、人それぞれの選択基準はあるかも知れないし、意識してなくてもあるものと考えるべきでしょうね。
 これはKenさんも同意できる言わずもがなのこと・・・ですよね? 違うのかなあ?

 Kenさんの「「科学者コミュニティ」の方法に注目するのはよいとして」という言葉は、「他にも有力な選択候補はあるはずだ」と言っているものと解釈しています。

 もしもそうではなくて、Kenさん自身の判断基準は自分で創作したものが多いとの意味でしたなら誤解したことをお詫びします。そして是非ともそのKenさん創作の基準を拝聴させていただきたい。


 私の判断基準は[>>72]のブログ記事に詳しいです。特に「序-4 すべては伝聞なのに」の方に。「
現在の世界中の科学者たちの活動から得られ蓄積されている知見というもの以上に信頼にたる"伝聞情報"など存在しない」というのが要約かな。他にも信頼にたる"伝聞情報"の心当たりがあるのであれば、是非とも紹介していただきたい。

79diamonds8888x:2021/07/18(日) 07:48:13 ID:Qix9q/lA
>>76
 質問には明確に答えてください。変に言葉を変えたりせずに。要は、

 背理法による証明例は2つとも科学ではない、ですね?
  念を押しますが、科学だが間違っている、ではなく、科学ではない、ですね?

 残り4つの命題はすべて科学である、ですね?
  もちろん間違っている可能性はあるけれども?


 さらに素数問題について、今少しはっきり教えてください。
 >「素数」の定義は純粋に数学的なもので、

  例えば碁石の集まりが素数個であるか否かは観測で決められないという意味ですか?

 >どういう事象が観測されたら、素数が有限または無限と認められるかの定義がありません

  碁石の集まりが有限個であることは観測で決められないという意味ですか?
  碁石の集まりが無限個であることは観測で決められないという意味ですか?

80diamonds8888x:2021/07/18(日) 08:01:47 ID:Qix9q/lA
 「P∧¬P」の位置づけ、または使い方、または意義、についての私の見解を説明してゆきます。その中で[>>58,>>50,>>43]のどこと関連するかも含めてゆきます。

 たぶん4〜6回くらいの投稿になるでしょうから、コメントは全て完結したと私が宣言してからで、お願いします。

 まずKenさんの使う「メカニズム」という言葉の示すものが、「太陽が昇る∧太陽が昇らない」での議論と「光は粒子∧光は波動」での議論と「熱力学第2法則」での議論と、この3つでは違っていることを指摘しておきます。どう違うのかは、以降の中で出てくるでしょう。


 科学理論に限らず論理的命題では文の意味が明確でなくてはなりません。そのために使う言葉の定義というものが必要ですが、もちろん土台のところで無定義語は避けられません。数学なら無定義語は、いわば何を当てはめてもよい文字通り無定義な言葉とされますが、科学の場合は観測事実をきちんと示す言葉を無定義語とすることになります。
 名詞ならば、犬、魚、人、光、水、など。動詞・形容詞ならば動く、昇る、など。これらの言葉も別の言葉で定義もできますが、大事なのは観測事実と共に示せるということでしょう。これは犬だ、太陽が昇った、など何のことかを目の前に示せるのです。

 ゆえに「太陽が昇る∧太陽が昇らない」の意味は明確です。そして、このような現象は起こりえない、つまり該当する具体例は存在しないことが誰にとっても自明であることは、Kenさんも(条件付きで)認めています[>>43]。

 ここで「太陽が昇る」の意味が明確なのは、太陽というものは1個しかないからであることも明らかで、「星が昇る」ならば一体どの星のことか明らかにしなければ意味が曖昧です。位置が2つある理論についてはひとまず置いといて、現実的な次の話です。

 特定の個物、例えば特定の1匹の犬(太郎と名付けておきます)についての命題と、犬という種類・集団についての命題とでは、意味が明確になるかどうかが異なってきます。
   太郎が走っている。=>明確
   犬が走っている。=>どの犬か示さねば不明確。
     いや普通は、「どの犬か不明だがある犬が」との意味で明確なんだけれども。
     "a dog"と"the dog"で区別したりしますね。
   犬は肉食である=>明確
     いや厳密には例外もいるから、そうでもないんだけれども。生物ではね。

  気づいてみると不思議でもありますが、論理記号で明確に書けば、
    犬が走っている。=>普通は、∃Pと解釈
    犬は肉食である。=>普通は、∀Pと解釈
   文章の解釈には様々な暗黙の背景知識があるものです。誤解の元でもあるので注意すべし。

 まあともかく犬という種類・集団を指す言葉を使う時点で、その命題はある種の一般則、観察事実そのものではない理論を述べていることになるのです。そしてこの際に、どの個物を犬という概念に含めるのかが明確である必要があります。つまり、ある個物がある集団に含まれるかどうかの判定方法が明確である必要があります。その判定や観測の難しさはともかくとして。

 例えば星の場合、太陽や月を含むかどうかは文脈によるのもので、普通にわかりやすく書かれた文ならばほぼ明確なものです。星と星雲とは、観測的な判定の難しさはともかくとして概念としては明確に別物です。ゆえに天体には星のみならず星雲も含まれます。また、未だ観測されていないにもかかわらず、ダークマターでできた星、という概念も明確でしょう。

 と前振りをして、次は「光は粒子∧光は波動」の話です。

81Ken:2021/07/18(日) 09:19:50 ID:l3c2r2bk
>>78で言われているのは、つまりこういうことですか?

これまで挙げられてきた「基準」とは、diamonds8888xさん個人が御自身の考えをまとめるために利用するもので、他者が守ることを求めるものではない、と。

言い換えれば、第三者から提出された理論が、diamonds8888xさんには、「P∧¬P」であったり、反証不可能に思えても、そのこと自体を理由に、その理論を否定したり、科学の態をなさないと批判することはない、と? (それなら、ドーキンス等の主張とは別物ですね。)

>>79

>背理法による証明例は2つとも科学ではない、ですね?

その理解でけっこうです。

>残り4つの命題はすべて科学である、ですね?

>「太陽が昇る∧太陽が昇らない」
>「光は波である∧光は粒子である」

どちらも、観測可能な具体事象があると考えますので、科学です。

>具体的事象がない命題は科学ではない。
>科学ではない命題は、科学から排除する必要がある。

この2つは、命題自体が科学の対象であるか、つまり世界で何が起こるか、とは別の話でしょう。命題には賛成しますが、「科学か?」と問われたら、違いますと答えるしかありません。

>例えば碁石の集まりが素数個であるか否かは観測で決められないという意味ですか?

それは観測で決められます。ですが、背理法で証明されるのは、無限個の素数が存在するという、別の問題ですよね?

>碁石の集まりが有限個であることは観測で決められないという意味ですか?
>碁石の集まりが無限個であることは観測で決められないという意味ですか?

この2つは意味不明です。碁石の数が7とか13とかの特定の素数だったとして、素数の数が有限か無限かという問題と、何の関係があるのでしょうか?

82diamonds8888x:2021/07/19(月) 05:35:30 ID:Qix9q/lA
>>81
>この2つは意味不明です。碁石の数が7とか13とかの特定の素数だったとして、素数の数が有限か無限かという問題と、何の関係があるのでしょうか?

 素数の数が有限か無限かという問題を観測可能な現実と結びつけるには次のようにすればよろしい。
  ・素数個の碁石を袋に詰めて適当に番号を付ける。
  ・これまで作った袋とは異なる素数個の碁石を詰めた新しい袋を作る
  ・それを繰り返して袋の集まりを得る。

 袋の数が有限なのか無限なのかを観測する。これは可能だろうか?
 というのが、最後の2つの問を出した意味です。

>この2つは、命題自体が科学の対象であるか、つまり世界で何が起こるか、とは別の話でしょう。命題には賛成しますが、「科学か?」と問われたら、違いますと答えるしかありません。

 違うのなら何でしょう? 知らなそうだから言葉を教えます。このような命題はメタ科学などと呼ばれます。数学基礎論の分野でのメタ数学が有名ですけどね。言葉については調べて確認しといてください。

 ではメタ科学の命題である以下には賛成との御意見ですね?
  ・具体的事象がない命題は科学ではない

 となると、「具体的事象がない命題」として具体的に特定の命題を入れた、次のメタ科学の命題には賛成ですか?
  ・命題「P∧¬P」は科学ではない

83diamonds8888x:2021/07/19(月) 05:39:41 ID:Qix9q/lA

>言い換えれば、第三者から提出された理論が、diamonds8888xさんには、「P∧¬P」であったり、反証不可能に思えても、そのこと自体を理由に、その理論を否定したり、科学の態をなさないと批判することはない、と? (それなら、ドーキンス等の主張とは別物ですね。)

 私がこのスレッド以外で何をしようが私の自由です。しかし本スレッドでは、そういう話はしないと言っています。
 同様にKenさんがこのスレッド以外で何をしようがKenさんの自由です。しかし本スレッドでは、そういう話はしないでほしいと言っています。

 この件は、旧145でKenさんから止めようかとの提案があり、147で私も同意しています。もう踏み込まないはずと思っていましたが?
  [ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/145]
  [ttps://jbbs.shitaraba.net/bbs/read.cgi/study/5329/1524257541/147]


 そもそも、Kenさんは「理論を(または疑似科学を)排除する」「否定する」「科学の態をなさないと批判する」というのを同じ行為としてまとめちゃっていますよね。違いますか? それとも何か区別してますか?
 私は区別します。"疑似科学を排除する"というのが、どこから、どんな風に"排除する"行為を指すのかで私の見解も異なります。また、この区別により実際に行われていることも様々です。

  書籍などでの個人的発表を禁止、妨害する:
    少なくとも日米欧含む自由主義国家では国家による禁止はない。
    妨害すれば犯罪になるか、何らかの法には触れるはず。
    私も、こういう排除は絶対反対です。

  書籍などの内容への否定や批判:
    言論の自由だからあって当然、反論も自由、判定は読者それぞれがするもの

  学会発表の禁止、妨害:
    法的には学会という任意団体の裁量だが、通常は内容で禁止されることはない。
      要するに発表に対する査読や審査はない。
      物理学会でも大多数に疑似科学と判定されそうな発表も珍しくないとか。 
    発表内容への否定や批判
      それをしてもらうのが学会発表という場の役割である

  公教育での禁止、妨害:
    実際的には公教育を担う団体(国家、地方自治体、地域コミュニティ、など)の裁量。
   が、団体構成員にも物言う権利はあるべき。どこがどこまで決めるのかはその国の法
   による。
    

 長くなるので省略しますが、私の基本的態度としては、上記の意味での禁止、妨害には反対ですが、否定や批判は科学の発展のためにもあるのが当然と考えます。
 実際に「科学の態をなさない」と判断したなら、率直に「科学の態をなさないと批判する」ことは責められるべき行為ではありません。ま、物の言い方ということはありますがね。
 アシモフ博士も、UFO宇宙人説を公教育で正しいものとして教えろと言ったら、妨害行為に出たと思いますけどね。

84Ken:2021/07/22(木) 00:07:38 ID:l3c2r2bk
>>83

どうやら、本スレッドを通しての最大の誤解があったようで、そのことを、まず謝罪します。私は、diamonds8888xさんは、ドーキンスが疑似科学を排除せよと言っているのと同種の主張を、基準を用いて展開されると、思っていました。

ですから、基準の話をするのは、IDを論じる準備のつもりでした。まずdiamonds8888xさんの基準を明らかにし、それで私のID論を検証し、疑似科学にならないと思ったら、IDを具体的に論じるつもりでいました。旧スレッド145の末尾でそれを語っています。

>diamonds8888xさんの基準にしたがい、その基準のもとでもID論の話をできると判断した場合にIDの話をするつもりです。

ID論は正しいかもしれないし、間違いかもしれないが、疑似科学ではないだろうと、私は考えます。この場合の「疑似科学」とは、結論にいたる過程に問題がある、というものです。結論が正しいか誤りか、つまり現実を反映するかしないか、ではなく。

ところが、

>本スレッドでは、そういう話はしないと言っています。

これは、私がID論をどう語ろうと、疑似科学、つまり「正しい科学的方法」に従っていないと判定されることはない、ということですか? もしそうなら、基準を議論する意味として、私が考えていたことはなくなるのです。

私の主張を判定しない基準なら、私には関係のないことだし、diamonds8888xさんが御自身の内面でもっておられるだけのものを私が論じるのはおかしな話です。

ところが世の中にはドーキンスのような輩がいます。IDはまともな科学ではないから教育から排除せよと主張し、まともでない理由として、diamonds8888xさんの「基準01」「基準02」と同じものを、彼は挙げています。

www.theguardian.com/science/2005/sep/01/schools.research

2005年の日付を見れば分かるように、この投稿は、IDを教育カリキュラムから排除せよという訴訟が起こり、当時のブッシュ大統領が、進化論とID論の両方を教えて、学ぶ側に判断させればよいとコメントしたことへの反論になっています。そこには、「基準」は個人的なものではなく、社会が共有し、万人が従うべきという思想があるのは明らかで、彼と同じ基準(01と02)を挙げるdiamonds8888xさんも、同じ考えであると、私は誤解していました。


では、これまでの誤解が明らかになったところで、ここから、どう進めましょうか?

基準の話はこれまでにして、ID論の話を始めることもできます。その場合は、ID論が正しかろうが誤りであろうが、基準違反の疑似科学という主張はされないものと想定します。光の正体論争がそうであったように。

ただ、誤解の上とはいえ、私たちは基準の議論を続けてきました。その中で私は、基準01では、教科書に載ってるような仮説にも基準違反になるものがある、と問題提議を行ない、旧スレッドの742から747にかけて、その例を挙げました。もし基準02が論題になれば、同様の例を挙げるでしょう。

基準05については、これに違反する科学理論はあり得ず、基準自体の存在理由がない、と言いました。

繰り返しますが、diamonds8888xさんが御自身のために設定された基準を論評する立場に、自分があるとは思いませんので、基準の議論はここまでにするという選択肢もありますが、一方で、すでに私の側から多くの問題提議をしたものを、中途半端に終わらせるのもよろしくない、という考え方もできるでしょう。

ゆえに、本スレッドのこれからについては、いくつかの選択肢があります。

(1)今の議論を続ける。ただしdiamonds8888xさんの内面に私が口を出すことはできません。続けるなら、基準は個人ではなく社会で共有するもの、という前提を置くことになります。
(2)ドーキンスの主張としての基準01と02を議論する。そうはいっても、この場にドーキンスはいませんから、彼の考えを憶測することになりますが。
(3)基準の議論はやめて、ID論だけの話をする。
(4)その他(?)

いかがでしょうか?

85diamonds8888x:2021/07/22(木) 12:54:33 ID:Qix9q/lA
>>84
 ドーキンスが何を考えようと関係ねえ。いい加減に個人的怨恨からの発言はやめてほしい。うっとおしくて不愉快です。


>これは、私がID論をどう語ろうと、疑似科学、つまり「正しい科学的方法」に従っていないと判定されることはない、ということですか? もしそうなら、基準を議論する意味として、私が考えていたことはなくなるのです。

 判定しないなんて、そんなわけ無いでしょ? 以前に宣言した通り、私は「疑似科学呼ばわり」はしないつもりです。けれど、「その推論には「正しい科学的方法」に従っていないところがある」という指摘はします。当然でしょ?
 また、「これこれの既知の事実や理論に矛盾しますよ」という指摘もします。当然でしょ?

 [>>83]で「排除する」の意味を区分けしたことを、きちんと踏まえて私の意図を解釈してください。以下はそれぞれ別物ですから。

  1.社会で発表することを排除
  2.公教育からの排除
  3.論争の場(学会・ジャーナル・掲示板など)で、議論すること自体の排除
  4.論争の場での、内容への批判や指摘

 私の意図は、
  1.,2.は本スレッドのテーマではなく、本スレッドでは話題にしない。
  3.は、元の第1掲示板でもこの第3掲示板でも、排除どころか、疑似科学判定されそうな理論も無視されずに活発に議論されている。物理学会でも大多数に疑似科学と判定されそうな発表も珍しくないとか。
  4.は、排除とは呼べない。議論では当然のことである。

 Kenさんの言う「ドーキンスが疑似科学を排除せよと言っているのと同種の主張」というのが、1.,2.,3.に区分される主張なら、私は展開するつもりはありません。4.は、いつでも大いに展開します。


>基準の話はこれまでにして、ID論の話を始めることもできます。その場合は、ID論が正しかろうが誤りであろうが、基準違反の疑似科学という主張はされないものと想定します。光の正体論争がそうであったように。

 「疑似科学呼ばわり」はしないつもりです。けれど、「その推論には「正しい科学的方法」に従っていないところがある」という指摘はします。

 「光の正体論争がそうであった」というのは歴史上の論争のことですか? そりゃあ、あの時代には「疑似科学呼」なんて概念はなかったでしょうから「疑似科学呼ばわり」もなかったでしょうね。でも対立理論に対して、実質的に「基準01-06に反してるから間違っている」という指摘は常に行われています。特に「〇〇理論は✕✕と矛盾している」という論法は、まさに基準05を使ったものです。


 本スレッドのこれからについては、少し考えてみます。やめちゃうことも含めてね。

86Ken:2021/07/22(木) 16:05:41 ID:l3c2r2bk
>「疑似科学呼ばわり」はしないつもりです。けれど、「その推論には「正しい科学的方法」に従っていないところがある」という指摘はします。

そのとおりなら、私は、diamonds8888xさんが考える「疑似科学」の意味が分かってないようです。「正しい科学的方法」に従っていないというのが、疑似科学のことだと思っていました。たとえば、反証可能でない理論を提示するのは、正しい方法ではないから、基準01に挙げられたのではないのですか?
とか。

疑似科学の定義は何でしょうか? 過去の発言で説明されているなら、投稿番号を教えてください。

>「光の正体論争がそうであった」というのは歴史上の論争のことですか?

そのとおりです。粒子説と波動説は、互いに相手を間違っていると主張しましたが、だからといって、相手を疑似科学と呼んだわけではない、という意味です。

87diamonds8888x:2021/07/22(木) 17:45:24 ID:Qix9q/lA
>>86
>「正しい科学的方法」に従っていないというのが、疑似科学のことだと思っていました。たとえば、反証可能でない理論を提示するのは、正しい方法ではないから、基準01に挙げられたのではないのですか?

 その通りですよ。その科学理論(として提出されたもの)が「正しい科学的方法」に従っていないと判断したら、議論の場で指摘するのは当然でしょう? ただそれを「疑似科学」などという如何にも侮蔑的な言葉で表現したら、その表現自体に引っかかったり非難したりする人もいるだろうから、穏当に表現すると言っています。
 念を押しますが、たまたま「正しい科学的方法」に従わなかったからといって、その人が道徳的に悪いとかは考えていませんよ。間違いは誰にでもあるものです。だからこそ科学者たちは論争したりピアレビューをしたりして、みんなが集まる文殊の知恵で真実を求めようとして来たのです。

>粒子説と波動説は、互いに相手を間違っていると主張しましたが、だからといって、相手を疑似科学と呼んだわけではない、という意味です。

 そりゃあ、あの時代には「疑似科学」なんて概念はなかったでしょうから「疑似科学呼ばわり」もなかったでしょうね。でも対立理論に対して、実質的に「基準01-06に反してるから間違っている」という指摘は常に行われています。特に「〇〇理論は✕✕と矛盾している」という論法は、まさに基準05を使ったものです。

88diamonds8888x:2021/07/22(木) 17:47:52 ID:Qix9q/lA
>>84
 「疑似科学や間違った科学を排除することについてのスレ」を立ち上げました。【疑似排除スレ】と略します。

 本スレッドのこれからについては、私からの確たる選択肢というものは未だありません。が、(1)(2)(3)の選択肢については希望を述べておきます。

>(1)今の議論を続ける。ただしdiamonds8888xさんの内面に私が口を出すことはできません。続けるなら、基準は個人ではなく社会で共有するもの、という前提を置くことになります。

    その前提が、[>>85]の1.,2.,3.を含むという意味ならば却下。
    それは【疑似排除スレ】でどうぞ。
    続けるなら[>>85]の4.に限定です。

>(2)ドーキンスの主張としての基準01と02を議論する。そうはいっても、この場にドーキンスはいませんから、彼の考えを憶測することになりますが。

    却下。ドーキンスが何を考えようと関係ねえ。この場にいない人の考えを憶測するなど科学的議論になるとは思えません。

>(3)基準の議論はやめて、ID論だけの話をする。

    ID論に対する[>>85]の1.,2.,3.のような行為の是非などはテーマとしないことが条件です。1.,2.,3.関連テーマは【疑似排除スレ】でどうぞ。


 4.に限定するなら(3)でもいいのですけれど、以下のことを考慮して、どうするか考えてみてください。

 [>>85]の4.に限定した議論をするにしても、「その推論には「正しい科学的方法」に従っていないところがある」という指摘はします。また、「これこれの既知の事実や理論に矛盾しますよ」という指摘もします。その際に根拠とするものには基準01-06が含まれます。私や多くの論理的思考をする人たちにとっては、基準01-06は空気みたいに自然なものだからです。

 しかしKenさんは基準01-06を認めていません。言い換えると、「基準01-06や同等な命題を根拠に理論を否定したり肯定したりすることは科学的な方法ではない」というのがKenさんの見解ですよね? である以上は、基準01-06や同等な命題が絡むと水掛け論になるでしょう。どうしますか?

89Ken:2021/07/22(木) 22:33:14 ID:l3c2r2bk
>>87
つまり「疑似科学」と「正しい科学的方法に従わない」は、実体は同じでも、侮蔑表現であるかないか、ということですか?
では、「正しい科学的方法に従わない」という文言に統一しましょう。

>>88
>続けるなら[>>85]の4.に限定です。

4とは、「論争の場での、内容への批判や指摘」ですね。それで結構です。ドーキンスと同じ主張をされるわけではないと、確認しました。

>しかしKenさんは基準01-06を認めていません

認めないのではなく、基準の実体を明らかにしたいだけです。それも漠然とした疑念ではなく、具体的な論点を出しています。

基準01では、現在の定説でも、この基準に違反するものがあるのではと言い、具体例も挙げました。もし、たしかに違反だと同意されるのなら、私の疑問は氷解しますが、おそらくその同意はないでしょうから、この問題の追及は続くでしょう。

基準02はまだ議論に入っていませんが、入れば基準01と同じことをします。

基準05については、本来、観測で決めるべき自然科学の真偽を、抽象理論だけで決めてよいのか、と尋ねています。まずは、>>82に回答しましょう。

>・素数個の碁石を袋に詰めて適当に番号を付ける。
>・これまで作った袋とは異なる素数個の碁石を詰めた新しい袋を作る
>・それを繰り返して袋の集まりを得る。
>袋の数が有限なのか無限なのかを観測する。これは可能だろうか?

任意の時点での袋の数は観測できますが、それが最後の袋かは分かりませんから、素数の有限・無限は観測できないと思います。ゆえに、科学とは考えません。

>次のメタ科学の命題には賛成ですか?
>・命題「P∧¬P」は科学ではない

「メタ科学」なるものが、Pや¬Pのような抽象記号のみを扱い、Pと¬Pがどういう具体事象を表すのかを示さないのなら、私が考える自然科学とは、異なるものです。

もっとも、ここまでくると、基準05については、私からの問題提議を撤回して、議論を先へ進めるほうがよいかもしれないと思い始めました。結局、私が問題視するのは、「P∧¬P」はありえないという基準によって、私がstar_Xで示したような、同じ物体が2つの位置に存在したり、2つの速度をもつ具体事象が否定されるのか、なのですが、基準05といえども、それを否定するものではない、という理解が正しいのではありませんか?

基準03、04、06は、まだ具体例が出されてないので、なんともいえませんが、もし上記の点で基準05と同じなら、私から問題提議はしません。つまり、本スレッドでは、基準03から06までは、受け入れると言うことです。

何度か言いましたが、本当に数理レベルで不可能なことなら、コンピュータで変数構造を定義できません。ですから、もし、議論の中で、特定の具体事象が数理的に不可能という主張があれば、私の方は、シミュレーションで実現できるかを検証し、できないと分かれば、不可能と認めるでしょう。

私にとって気がかりなのは、なんといっても基準01と基準02です。熱力学であれ、自然選択であれ、ID論であれ、直接に関わりますから。

念のため、基準03、04、06の具体事例を出していただいて、問題がなければ、基準01と基準02に集中してはどうでしょうか?

90diamonds8888x:2021/07/23(金) 10:05:56 ID:Qix9q/lA
>>89
>では、「正しい科学的方法に従わない」という文言に統一しましょう。

 ありがとうございます。【疑似判別1】の最初の頃から「疑似科学呼ばわりはしない」と宣言してきたのに、いつのまにか「疑似科学」という言葉が顔を出すことにはうんざりしてました。それだけ便利な言葉だからでしょうけど、語感のせいで余計な混乱を招いてますからね。もっと言えば第1掲示板の頃から「疑似科学呼ばわりはしてない」はずですけどね。

>ドーキンスと同じ主張をされるわけではないと、確認しました。

 ドーキンスが何を考えようと関係ねえ。いい加減に個人的怨恨からの発言はやめてほしい。うっとおしくて不愉快です。

>任意の時点での袋の数は観測できますが、それが最後の袋かは分かりませんから、素数の有限・無限は観測できないと思います。ゆえに、科学とは考えません。

 私の問いもやや曖昧でしたが、次の理解でよろしいですか? Y/N?
  1-1.有限な袋の数は観測できる。任意の時点での袋の数は有限(と予測できる)。
  1-2.具体的な袋集団内の袋の数が有限であることは観測できる。
     (数が多いと観測に10万年以上かかりうるが、原理的には観測できる)
  2-1.具体的な袋集団内の袋の数が無限であることは観測できない。
  2-2.無限の数の袋を含む袋集団は、具体化できない。
  3-1.ゆえに無限の数の袋を含む袋集団は、観測可能な科学の対象ではない。
  3-2.ゆえに○○が無限であるという命題は、科学的ではない。

 2-2.と3-1.と3-2.とは微妙に違うので、それぞれでY/Nが異なることはあり得るとは思います。が、異なる場合は理由の説明は伺いたい。


>「メタ科学」なるものが、Pや¬Pのような抽象記号のみを扱い、Pと¬Pがどういう具体事象を表すのかを示さないのなら、私が考える自然科学とは、異なるものです。

 回答は
  命題「P∧¬P」は科学ではない ==> Yes
 だと理解してよろしいのですね? この見解に賛成であると。

 なお、くどくてすみませんが、[>>61]の問への[>>63]の答えは正確には以下の理解でよろしいですね? 違っているものがあれば御指摘ください

   四則演算自体は抽象論であり、科学ではない。数学である。
   四則演算は、皿の枚数の勘定という具体論である科学の対象に適用できる
   ゆえに四則演算は、科学理論の中で使うことができる。

   2次関数論についても同様

   3段論法規則自体は抽象論であり、科学ではない。論理学である。
   3段論法規則は、例のような具体論である科学の対象に適用できる
    例) 爬虫類は卵を生む → 蛇は爬虫類である → ゆえに、蛇は卵を生む
   ゆえに3段論法規則は、科学理論の中で使うことができる。

   現実に、四則演算も3段論法規則も科学理論の中で使われている。

 以上とは対照的に

   「P∧¬P」自体は抽象論であり、科学ではない。論理学である。
   「P∧¬P」には具体論がなく、科学の対象に適用できない
   ゆえに「P∧¬P」は、科学理論の中で使うことができない。


 以上は私の問への対応ですので、他の点は別発言にて。

91diamonds8888x:2021/07/23(金) 10:09:11 ID:Qix9q/lA
>>89
>結局、私が問題視するのは、「P∧¬P」はありえないという基準によって、私がstar_Xで示したような、同じ物体が2つの位置に存在したり、2つの速度をもつ具体事象が否定されるのか、なのですが、基準05といえども、それを否定するものではない、という理解が正しいのではありませんか?

 外れずと言えども、的は射抜かず。説明を思いついたら後述。[>>80]から始まるシリーズはそのひとつになりますが。

>念のため、基準03、04、06の具体事例を出していただいて、問題がなければ、基準01と基準02に集中してはどうでしょうか?

 むしろ他の基準はどうでもいいから基準01と基準02に集中するのがいいかも知れません。ちと考えをまとめますので。

92Ken:2021/07/23(金) 13:34:33 ID:l3c2r2bk
>>90

>1-1.有限な袋の数は観測できる。任意の時点での袋の数は有限(と予測できる)。
>1-2.具体的な袋集団内の袋の数が有限であることは観測できる。
>2-1.具体的な袋集団内の袋の数が無限であることは観測できない。
>2-2.無限の数の袋を含む袋集団は、具体化できない。
>3-1.ゆえに無限の数の袋を含む袋集団は、観測可能な科学の対象ではない。

すべて同意、Yです。2-2の、無限の袋を具体化できないことは、シミュレーションで実現できないことで分かります。例えば、数式の中では「n→∞」と表される条件でも、シミュレーションでは∞の代わりに、その変数が扱える最大数(つまり有限な数)で代用します。もっとも、最近のAIを見てると、抽象思考をして、∞をシミュレーションで用いるかもしれませんが、∞を具体的な数ではない抽象概念として捉えることにかわりません。なお「具体的な数」とは、たとえば「100」という数は1バイトの変数なら「1100100」つまり「オン・オン・オフ・オフ・オン・オフ・オフ」というスイッチ配列で表せるという意味です。無限大をそういう形で表すことはできません。

>3-2.ゆえに○○が無限であるという命題は、科学的ではない。

この回答は慎重を要します。私が知る限り、自然科学の中で実現可能とされる「無限」が1つだけあります。それはエントロピーで、必ず起こるとされる熱的平衡状態では、エントロピーは無限になります。なにより無限のエントロピーは原理的にも観測可能です。(観測者が存在し得ないという問題は別にして)

私の理解はこういうものです。無限のエントロピーは、同じ「無限」という言葉でも、素数の数が無限なのとは意味が異なります。エントロピーはエネルギー/温度差ですから、有限なエネルギーと温度差という観測値から導く抽象概念で、観測値そのものではない。要するに、熱力学第2法則が語る「熱的死」は、実際には、無限を扱うのではなく、ただ温度差がゼロと言っているのです。

>命題「P∧¬P」は科学ではない ==> Yes

同意します。

>四則演算は、科学理論の中で使うことができる。
>3段論法規則は、科学理論の中で使うことができる。
>「P∧¬P」は、科学理論の中で使うことができない。

使うことはできますが、真偽を決めるのは、観測だと思います。いいかえれば、観測なしに、これらの理論に従わないという理由だけで、「正しい科学的方法に従わない」と言い切ることはできません。

それにしても「正しい科学的方法に従わない」は字数が多くて厄介ですね。本スレッドはdiamonds8888xさんの基準を元にしますから「基準違反」と言い換えるのはどうですか?

93Ken:2021/07/23(金) 14:22:53 ID:l3c2r2bk
一般問題としてですが、「数学」と「自然科学」の違いを、端的に表す例を思いつきました。4色問題をご存知でしょう?

どんな地図の塗り分けでも4つの色があれば十分、という命題で、19世紀に問題提議がされてから、多くの人がこの証明に挑戦し、敗退してきましたが、ついに20世紀の終わりに証明がなされた、といいます。

しかし、もしこれが数学ではなく自然科学の問題なら、証明はとっくにできていたはずなのです。どれだけ多くの人が、塗り分けに5色必要な地図を作ろうとしてもできなかったのですから。つまり大量の実験を重ね、すべて4色以内におさまるという実験結果が出たのだから、自然科学の証明としては十分でしょう。

それを証明とは認めないのが、数学です。数学と自然科学とでは、証明に要求されるものが、根本的に異なるのです。

数理的な証明だけで、自然科学の結論を出すことに、私が疑念をいだく理由もそこにあるのですが。

94diamonds8888x:2021/07/23(金) 21:24:54 ID:Qix9q/lA
>>92
 1-1.〜3-1.の回答は理解しました。ありがとうございます。私と異なる見解については後ほど。

>それにしても「正しい科学的方法に従わない」は字数が多くて厄介ですね。本スレッドはdiamonds8888xさんの基準を元にしますから「基準違反」と言い換えるのはどうですか?

 却下。基準違反では意味が変わってしまいます。同じ意味で短くて、Kenさんが不快にならない言葉なら結構ですよ。

>使うことはできますが、真偽を決めるのは、観測だと思います。

 だから、真偽を決めるために使うことができるんでしょ? うーん詳しく言えば、科学理論の中で四則演算を使っても、その命題の真偽を観測で決められるのだから、四則演算は使える、といえる。でKenさんの意図と合ってますか?

   四則演算は科学ではないけれど、科学に使うことはできる。
   が、「P∧¬P」は科学ではないし、科学に使うこともできない。

 という御意見ですよね?

>いいかえれば、観測なしに、これらの理論に従わないという理由だけで、「正しい科学的方法に従わない」と言い切ることはできません。

 何のことを言っているのか状況がわかりませんが? 一番簡単な四則を例にして説明してみてください。

>エントロピーはエネルギー/温度差ですから、

 違います。エネルギー/温度、です。分子は正確には熱量変化ですが、これはエネルギーの一種ですから間違いとは言えません。教科書でもwikiでも再確認してください。その上でまたご再考のほどを。

 なお、統計力学的エントロピー、すなわち、ln(状態数)で定義したエントロピーならば・・、こちらはわかりますよね。よく御存知だから。

95diamonds8888x:2021/07/23(金) 21:26:35 ID:Qix9q/lA
>>93
>つまり大量の実験を重ね、すべて4色以内におさまるという実験結果が出たのだから、自然科学の証明としては十分でしょう。

 自然科学の証明としても不十分です。説明は後日しますが考えてみてください。
 この問題は例えば次の問題と似ているのです。自然科学の問題とされる普通の問題とは質が違うのです。何が違うのでしょうね? おもしろい問題でした。

 問題:意識を持つ人工物は作れないことを証明せよ。
 回答:これまで大量の実験が試みられたができなかった。自然科学の証明としては十分でしょう。

96Ken:2021/07/23(金) 22:31:40 ID:l3c2r2bk
>一番簡単な四則を例にして説明してみてください

どう説明すればよいか・・・・

たとえば、1+1=2を、考えてみましょう。数理的には、むろん正しいことです。でも、これだけで、現実世界の具体事象を完全に予測できますか?

たとえば、ある人が、水槽に1匹の魚を入れ、翌日もう1匹の魚を加えたとします。上記の数式に基づいて、2匹の魚がいると考えますよね。

ところが、あとで水槽を観察すると、魚は1匹しかいませんでした。その1匹がもう1匹を食べてしまったのです。

つまり、1+1=2という数式だけでは事実を予測できず、必ず実観測が必要ということです。


>これまで大量の実験が試みられたができなかった。自然科学の証明としては十分でしょう。

意識を持つ人工物を作るのと、地図を塗り分けるのを同列に論じられるとは、思いません。前者は、技術ノウハウの蓄積で目標に近づけますが、地図を塗り分ける「技術」の進歩とは、どういうものでしょうか?

たとえばパスツールがやったように、いろいろな実験をくりかえしても、無生物から生物は作れなかったから、現在の地球の環境では、それは起こらないと結論するのと、同じではないのでしょうか?

97diamonds8888x:2021/07/24(土) 16:46:41 ID:Qix9q/lA
>>96
>どう説明すればよいか・・・・

 迷うほど難しいなら、わずか1時間で即答しないで、よーーく推敲してください。こちらがまた意味を問い返すはめになるでしょ? Kenさんが遂行を怠ったために私が問い返しの文章を考える時間を無駄に使うはめになるのです。

 1日くらい置いてから、他人が読んでわかりやすいかどうか少しは考えてくださいよ。まあ妥協して半日でもいいよ。へぼの長考との言葉はありますが、考えるんじゃなくて一端離れて間を置くというのは案外新鮮なアイディアが浮かぶものですよ。

>つまり、1+1=2という数式だけでは事実を予測できず、必ず実観測が必要ということです。

 説明になっていません。
 具体的にいうと、「これらの理論に従わない理論」とはどんな理論ですか?

>たとえばパスツールがやったように、いろいろな実験をくりかえしても、無生物から生物は作れなかったから、現在の地球の環境では、それは起こらないと結論するのと、同じではないのでしょうか?

 どちらの理論と同じだと言っているのでしょうか? そして何がどう同じだと?
 四則問題証明の実際の作業をイメージできていますか? それが自然科学における通常の「いろいろな実験をくりかえす」作業と何が同じで何が違うのかとかイメージできていますか?

 なおこの問題での私の説明は、エントロピーについての再考なさった見解を伺った後にします。忘れられて置き去りになっちゃうと嫌ですからね。

 あれ、即答できるはずのこちらの質問にもまだ答えがありませんよ?

>  四則演算は科学ではないけれど、科学に使うことはできる。
>  が、「P∧¬P」は科学ではないし、科学に使うこともできない。

> という御意見ですよね?

98diamonds8888x:2021/07/24(土) 16:49:20 ID:Qix9q/lA
>>80
 「光は粒子∧光は波動」というか、「光の粒子説 vs 光の波動説」の話です。これを語るにはまず、粒子と波の定義が必要です。
 参考[>>2]
>この理論がどういう具体事象を予測するかを考察するには、まず、なにをもって「粒子」とみなし、「波動」とみなすかの定義が必要になります。


 【粒子の定義は極めて小さい物体としておけば観測的には明確でしょう。】小さいとは何センチ以下なんだ、とは野暮な問です。観測には誤差もあるし概念としても定量的曖昧さは許容しなくては不便です。厳密な理論展開のためには「1つの空間座標を持つ存在」とすれば厳密な数学理論に使えます。力学では"質点"という言葉がスタンダードでウィキでは「位置が一意的に定まり質量を持つが、体積等は持たない」としていますね。

 ここで質量が定義に入るのはニュートン力学以降のことで、それ以前の運動学的理論(力などの運動の原因は)においては「位置が一意的に定まり体積等は持たない存在」「1つの空間座標を持つ体積等は持たない存在」が点粒子の定義にできます。実際にはこんなもの実在しないけれども近似的には観測できるからいいのです。
  *)運動学的理論:運動の原因(力などの)は考えずに運動の様子だけ観測する。
   少なくとも運動の原因の定量的考察はしない。

 で、古代以来の天文学では太陽と月以外の天体(星々)は点とみなして十分に正確に観測事実を述べることができました。太陽と月でさえ観測像は円なので(実体が球か円板かは必ずしも明らかではなかった)、その中心を点とみなして十分に正確に観測事実を述べることができました。つまり太陽と月にも位置を一意的に定めることができたからです。


 【波の定義は粒子よりは複雑です。】複雑だと認識してもらわないと困ります。

 電磁波の予言以前には、波の実例は物質の運動(振動・揺れ・回転)が伝わる波だけでした。この、波を伝える物質は媒質と呼ばれました(定義されました)。最も観測がしやすい水面の波を例に、波の特徴を列挙します。固体内部の波のように、今でも観測できない特徴もありますが、その話は省略。

  1)媒質自体は位置を変えない。つまり同じ範囲で周期運動をするだけである。
   波の運動は媒質の運動とは別物である(一致しない)
    =>視覚的に観測可能(ちょっと工夫は必要そう)
    =>「質量を運ばない。物質を運ばない。」とも表現できる。
  2)波自体は一定方向に進む
    =>視覚的に観測可能。
    =>これが単に「波の運動」と呼ばれ、粒子の運動と区別し難くも見える
  3)常に直線進行ではなく、遮蔽物の影に回り込む
    =>視覚的に観測可能。
    =>波の回折と呼ばれる
  4)媒質以外の物体にぶつかると、その物体を動かす
    =>視覚的に観測可能。
    =>(ニュートン力学の概念で言えば)エネルギーや運動量は運ぶ
  5)2つの波が交差(衝突?)しても、その後の進行に変化がない
    =>視覚的に観測可能。
    =>波の独立性と呼ばれる(*1)。高校物理必須用語。
  6)2つの波が交差中に、振幅の強い部分と弱い部分が縞状に現れる。
    =>視覚的に観測可能。
    =>波の干渉と呼ばれる

 この中で粒子にはなく、波にしかない特徴とされていたものは、1),3),5),6),です。

-------------
(*1)ウェブから以下を紹介
 [ttp://www.wakariyasui.sakura.ne.jp/p/wave/gennri/kasane.html]小学生向け。1次元波の動画がわかりやすい。
 [ttp://m.sc.niigata-u.ac.jp/~prtana/digital/digital_pt_0605.pdf]大学向け。しっかりした定義。
 2つの波が重なる現象は,2つの物体が衝突する現象とは異なり,媒質の各点に2つの波の振動状態が同時に伝わるだけで互いに他の波の進行を妨げたり,他の波に影響を与えたりすることはない。
-------------

99Ken:2021/07/24(土) 20:06:34 ID:l3c2r2bk
>>97
>エントロピーについての再考なさった見解を伺った後にします。

私の理解では「熱量変化/温度」(>>94)で定義されるのは、エントロピーではなくエントロピーの変化。SではなくΔSなのですが。オンラインのコンテンツではないので、ただちにこの場で紹介できませんが、私の教材ではそうなっています。

エントロピーが「熱量変化/温度」では矛盾を生じませんか? だって熱平衡が進むほど熱量変化は小さくなりますから、この定義ではエントロピーも減少するはずでは? 熱平衡でエントロピーが増大するには、分母は熱平衡の反対、つまり温度差になると思うのですが。

もっとも、私の教材に載るエントロピーの定義は、>>94で挙げられた「ln(状態数)」だけです。「エネルギー/温度差」は、熱平衡とエントロピーの意味を自分なりに考えた結果、出したものです。

それにしても、この問題は、今追及することでしょうか? 元々は、

>3-2.ゆえに○○が無限であるという命題は、科学的ではない。

という提示に対し、私から、エントロピーは「無限」と解されるかもしれないが、素数の「無限」とは意味が異なるので、結論として、3-2にも賛成しますと92>>で述べたつもりでした。

もしも、おっしゃるとおり、エントロピーの定義が「熱量変化/温度」であるなら、いかなる意味でもエントロピーが無限になることはありませんから、3-2への私の回答はそのままです。それで先へ進んではどうでしょうか?


以下の2つは、いま回答してもよいのでしょうか?

>あれ、即答できるはずのこちらの質問にもまだ答えがありませんよ?
>四則演算は科学ではないけれど、科学に使うことはできる。
>が、「P∧¬P」は科学ではないし、科学に使うこともできない。

なかなか意図が伝わらないようです。四則演算も「P∧¬P」のような論理式も、科学で使えますし、私だって使いますが、そこから出る結論が最終ではない、ということです。最終結論は観察によるべきで、数理的に間違っているからと言って、自然科学の問題として間違っている、つまり現実を反映しないとは、いえないというのが私の意図です。

100名無しさん:2021/07/25(日) 09:17:20 ID:Qix9q/lA
>>99
>私の理解では「熱量変化/温度」(>>94)で定義されるのは、エントロピーではなくエントロピーの変化。SではなくΔSなのですが。

 失礼、それはおっしゃる通り。熱量変化という言葉もまた誤解を招く不正確な言葉でした。これは状態変化したときの熱の移動量を指していて、日常言語的には熱流としたほうが直感的には誤解されにくいと思います。教科書的には単にQ(熱)と表現されることも多いようで、測定可能な料は実は熱の移動量でしかなく、熱は状態量ではない、という事情があるのでしょう。
 エネルギー差の方が良さそうなので仮にΔeとします。

  ΔS=Δe/T
  つまり、S=e/T でしょ?


 まあ、以上が理解できてもできなくても、

>いかなる意味でもエントロピーが無限になることはありませんから、3-2への私の回答はそのままです。それで先へ進んではどうでしょうか?

 つまり「3-2.ゆえに○○が無限であるという命題は、科学的ではない。」は、慎重を要する必要もなく、例外なくYes、との見解ですね? ならKenさんの見解は理解、ですが?
 理解したでOKなら、私から4色問題の解決を示すことになりますね。


>最終結論は観察によるべきで、

 その通り、と誰もが答えるでしょうね。

>数理的に間違っているからと言って、自然科学の問題として間違っている、つまり現実を反映しないとは、いえないというのが私の意図です。

 「数理的に正しいからと言って、自然科学の問題として正しい、つまり現実を反映しているとは、いえない」なら、その通り、と誰もが答えるでしょうね。

【続く】長くなるので[>>101]へ


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