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科学と疑似科学とを判別する(2)

392ゲジゲジ:2023/06/11(日) 21:53:18 ID:qEPpJNQ2
【前置き2】

**** 以下[>>389]より引用 *****
>>360 より
>ストーリーとは、何らかの根拠(観察事象や既知の理論)に基づいて仮説を導いた思考のプロセスです。ストーリーには必ず、根拠となった事象や理論があるはずなのです。

>>385より
>物証や観察事実があろうとなかろうと、基準2には関係ないので、今の議論にはどうでもいい話のはずなのです。

???結局、物証/観察事象は必要なのですか? 不要なのですか?

それとも「既知の理論」があればよいのでしょうか。そうなると、

>Ken様が旧掲示板で語られていたID論が疑似科学判定されます。

私は、ことの初めから、IDとは人類が実行してきた品種改良と同じと述べてます。品種改良は、まさしく既知の理論に該当します。よく知られた理論だからこそ、私が挙げた、記録、DNA、去勢の痕跡のような、探し求める物証をイメージできるのです。でも、同じことが聖霊にいえますか?

品種改良と聖霊と、合理的なストーリーになってるのは、どちらでしょうね。
****************

曖昧な書き方をしてしまって申し訳ありません。
観察事象または既知の理論が必要です。
以下で述べた通りです。

**** [>>336]より再掲 *******
以前、Ken様ご自身がこう仰っていましたよね。
[>>252]
 >このように、観測事象から帰納するか、既知の理論から演繹するか、
 >少なくともどちらか一方を根拠に、仮説は提唱されるわけです。

今、論点になっているストーリーというのは、つまりは仮説に至る帰納なり演繹なりのプロセスです。
*********************

但し、提唱者が観察事象や既知の理論があると思っていればよく、本当にそのような観察事象や既知の理論があるかどうかは基準2には関係ありません。
なぜなら、本当にそのような観察事象や既知の理論があるかどうかは、基準2をクリアした後に基準3と1によって判定されることだからです。


 >私は、ことの初めから、IDとは人類が実行してきた品種改良と同じと述べてます。
 >品種改良は、まさしく既知の理論に該当します。(略)
 >探し求める物証をイメージできるのです。でも、同じことが聖霊にいえますか?

品種改良は既知の理論ですが、ストーリーになっていません。
探し求める物証をイメージできるかどうかは基準2には関係ありません。それが問題になるのは基準1ですから。

 >品種改良と聖霊と、合理的なストーリーになってるのは、どちらでしょうね。
もちろん、聖霊ですよ。
Ken様と私とではストーリーの合理性を判定する基準が異なるのです。


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