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科学と疑似科学とを判別する(2)

336ゲジゲジ:2023/04/13(木) 22:08:14 ID:ex5oLAt.
 >自分の説には合理性があると言葉に出せば、基準2をクリアするのですか?
クリアしません。合理性があることの根拠を述べなければ。

以前、Ken様ご自身がこう仰っていましたよね。
[>>252]
 >このように、観測事象から帰納するか、既知の理論から演繹するか、
 >少なくともどちらか一方を根拠に、仮説は提唱されるわけです。

今、論点になっているストーリーというのは、つまりは仮説に至る帰納なり演繹なりのプロセスです。「自説は合理的だから正しい」と主張したところで、それは「正しいから正しい」と言っているのと本質的に変わらないでしょう。


鳥の進化モデルの例では「力学的合理性」という言葉が出て来たので分かり難くなっているかもしれません。
(1)鳥の進化の樹上モデルは合理性がある
(2)鳥の進化の樹上モデルは力学的合理性がある

(1)と(2)は紛らわしいですが、論理構造が異なっていることにお気付きでしょうか? (1)は何の根拠もなく、ただ樹上モデルが合理的だと言っているだけです。(2)は力学的な観点における合理性を根拠に、そこから演繹的に樹上モデルを導き出したストーリーがあります。

(1)は検証の取っ掛かりがありません。それに対して(2)は、まずは力学的な観点で検証すればよいことが分かります。更に、仮に力学的に合理的だからといって、他の観察事実も踏まえた上で樹上モデルが合理的といえるのか、といった観点でも検証できるでしょう。
よって(1)は疑似科学、(2)は疑似科学ではありません。


 >また、掘り下げる必要がないとは、つまり主張される「合理性」が本当に合理的かは
 >問題にはならない、ということですか?

もちろん、問題になります。しかしそれって「基準3」なんですよ。

辞書を引くと、「合理的」とは「論理や道理にかなっているさま」とあります。「基準3」は仮説と矛盾との関係ですが、矛盾だらけの仮説が合理的であるわけがありませんよね。合理的でなければならないということは、矛盾がないか、または矛盾が少ないストーリーでなければならない、ということです。
また、仮説は検証できなければなりませんが、これは「基準1」です。

「基準3」と「基準1」は後々の論点ですから今は深入りしませんが、要するに仮説に至るストーリーというのは合理的で検証可能でなければならないわけです。しかしそれ以前に、そもそもストーリー自体を言わなかったら話にならないでしょう? というのが「基準2」なわけです。


 >それこそ自明のことをわざわざ言わせてるだけではないのでしょうか。

言わなくてもいいほど自明だったら、恐らく言っても疑似科学です。なぜなら検証する意味がないので「基準1」に違反です。とはいえ、「基準2」はそこまで求めてはいません。


 >どんな仮説であれ、提唱者自身は合理性があると信じてるに決まってるではありませんか

鳥の進化の樹上モデルを提唱者自身が合理的だと信じていることは自明でしょう。しかし樹上モデルに力学的合理性があることは決して自明ではありませんよ。


 >しかも本当に合理的かは問題ではないなら、基準2に何の意味がありますか。

率直なところ、基準2は必要ないと思っています。上で述べた通り、「基準2」違反は必然的に「基準1」と「基準3」にも違反しますから、敢えて「基準2」を別立てで設ける意味があるのかといえば、甚だ疑問です。
しかしだからこそ、なぜdiamonds8888x様が敢えて「基準02」として提示されたのかがポイントとなるでしょう。


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