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科学と疑似科学とを判別する(2)

330ゲジゲジ:2023/03/26(日) 22:35:13 ID:1hpPc2HA
さて、[327]では続きとして
・実際に基準2違反になりがちなケースはどういうケースか?
・diamonds8888x様が敢えて基準2を提示された理由(私の推測ですが)
を述べると申し上げましたが、予定を変更して、以下を先にご説明します。


===== [>>310]より再掲 =====
では[>>304]で述べた
3)光の粒子説・波動説を例に、対立仮説の否定だけを自説の検証としてよい特殊な場合というのは、どういう場合なのか説明
については、思考実験をしてみましょう。

18世紀の知識体系において、もし「光が真空を伝わる/必ず直進する」が否定されたとしたら、それは光波動説の根拠になり得たか?
逆にもし「光が互いにすり抜ける」が否定されたとしたら、光粒子説の根拠になり得たか?
===== 再掲ココまで =====

いちど「次はこうする」と申し上げておきながら変更が多いかとは思いますが、Ken様の回答を踏まえた上で、より効果的に説明する順序を考えた上でのことですので悪しからず。


というわけで、まず結論から言ってしまいましょう。

18世紀の知識体系において、もし「光が真空を伝わる/必ず直進する」が否定されたとしたら、それは光波動説の根拠になり得たと考えられます。
逆にもし「光が互いにすり抜ける」が否定されたとしたら、それは光粒子説の根拠になり得たと考えられます。

では、なぜそう考えられるのか? なぜ他の道を否定するだけで、自説のストーリーを述べなくてよいのか?


Ken様はこのように仰っていましたよね。
[>>311]
 >18世紀の知識体系では「空間を動くなにものか」は、粒子と波動しか知られてませんでした。
 >ただし、その2つ以外にないという証明もありませんでした。
 >粒子と波動の二者択一なら、一方の否定が他方の根拠になるでしょうが、
 >現実には、二者択一かもわからないのに、対立説の否定を自説の根拠にしてました。

しかし現実問題として18世紀の知識体系で、粒子と波動以外に第三の「空間を動くなにものか」は想定する事さえ困難だったのではないでしょうか? 「2つ以外にない」という事を証明するのは「悪魔の証明」です。「ない」事は証明できませんが、粒子と波動の2つ以外に思い付く事さえできないのであれば、それは実質的に「2つ以外にない」と考えるしかありません。

従って18世紀の知識体系において事実上、光の正体は粒子か波動かの二者択一でした。そして二者択一であれば、一方の道を否定できれば、自分の道をたどるストーリーを敢えて述べなくても、自説が正しいという結論を導くことができます。

つまり考え得る仮説の選択肢が限定されている場合は、自説のストーリーを述べなくても基準2に違反しない例外と言えます。
逆に言えば、天動説を否定した地動説であれ、鳥の進化の走行モデルを否定した樹上モデルであれ、他に無数の仮説があり得る場合は、自説に至る根拠を述べなければならない、というのが基準2です。


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