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高経大がわかるプログ・サイトPart2

205凡人:2019/04/08(月) 12:32:21 ID:aa/QkHo60
すさまじい日本の裏側の真実
現在日本は反動暴力革命が目の前で進行中。一国の総理が矛先になり、右翼暴力集団と癒着し、憲法や法律を無視し、あるいは改悪を企ている。無教養な大多数の国民や就職しか考えないノンポリ化した教員や大学生たちも含め、それが何を意味するかさえもわからない。ヒトラーのプロパガンダに簡単にのせられた、第一次大戦の敗戦を経験した直後のドイツに社会情勢によく似ていると前にも書いた。

206凡人:2019/04/17(水) 09:36:27 ID:aa/QkHo60
こんなことはちょっと資料を集めれば、地域政策を特に専攻していなくても常識でわかること。富岡製糸が世界遺産登録する前から、凡人は警告していた。そのことは過去の投稿をよめばわかる。ここに書かれてあることは、まったくもって正論。ところが、これは書いた著者は地域政策を専攻している人物ではない。一方地域政策や経済学部をもつ高崎経済大学の教員はいったいユネスコ世界遺産と地域振興をどう見ているのか。下にある内容の論文を書いた高経大教員がはたしていたのか?多分いないであろう。高崎経済大学こそが、富岡製糸の世界遺産登録を後押したお目出たい大学であるからだ。凡人は高崎経済大学の知的、学問レベルを疑うもののひとりである。
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世界遺産に「殺された」富岡製糸場の教訓
観光客殺到で「本来の姿」を失う
企業経営 2019.4.8
清野 由美
ジャーナリスト 清野 由美
PRESIDENT Online

世界遺産登録を「地方再生の妙薬」だと思ったら大間違いだ。富岡製糸場は世界遺産に登録された2014年には年間133万人以上の来場者がいたが、2017年にはその半数以下に落ち込んでいる。東洋文化研究者アレックス・カー氏とジャーナリストの清野由美氏は「自分たちの町や地域の遺産をいかに観光のために整備するか、統括的に考える必要があった」と指摘する――。※本稿は、アレックス・カー、清野由美『観光亡国論』(中公新書ラクレ)の一部を再編集したものです。

2016年06月17日、観光客が訪れる旧富岡製糸場(群馬県富岡市 写真=時事通信フォト)

***観光業で汚染された場所「ユネスコサイド」
英語に「cide(サイド)」という接尾辞があります。「herbicide(ハービサイド=除草剤)」「genocide(ジェノサイド=集団殺戮)」など、概ね「殺す」ことを意味していますが、最近のヨーロッパや東南アジアでは、ユネスコの世界遺産登録を受けて、観光業で汚染された場所を「ユネスコサイド」という言い回しで表現するようになっています。

世界遺産に登録されて世界中から観光客が集まるようになった後に、的確なコントロールを怠れば、その途端に、町には観光客目当てのゲストハウス、ホテル、店が立ち並ぶようになります。

そうなると、昔からある景観や文化的環境が薄れてしまいますし、観光スポットだけでなく、住民が大切にしてきた場所までが、ネガティブに発信されてしまいかねません。

そのプロセスは、町に観光客が増えることで、昔からあった店がなくなり、金儲けをあてこんで遠くからやってきた土産物屋だらけになる観光名所と同じです。

たとえば中国雲南省の世界遺産の町、麗江では、かつては先住の少数民族、ナシ族が旧市街で昔ながらの生活を営んでいました。

しかし観光地としての知名度が上がるにつれ、旧市街に北京や上海の業者が進出し、大量生産された土産物を販売するようになりました。世界中から来る観光客で表面上は賑わってはいますが、もともと旧市街に住んでいたナシ族の人たちは減り、町は本来の姿を失って、空洞化しています。

バガン遺跡は「危険なほどの混雑」に見舞われた
ユネスコサイドは、世界遺産に登録された後、徐々に始まるのではありません。登録された段階、もしくはその前でも起こります。

ミャンマーにあるバガン遺跡は世界三大仏教遺跡の一つで、11世紀から13世紀に建てられた仏塔や仏教遺跡が3000以上も残る、実に神秘的な場所です。有名なカンボジアの世界遺産であるアンコールワットより、さらに規模が大きく、気球に乗って日の出を見るツアーが観光客から人気を博しています。

ミャンマー政府はかつてバガンの世界遺産登録を進めましたが、軍事政権下ということもあり、遺跡の管理体制が十分でなく、話は進展しませんでした。その後、民主化を機に世界遺産登録への機運が再び高まり、その盛り上がりと並行するように、観光客がワッと押し寄せるようになりました。

夕方になれば絶景スポットとされる高さ数十メートルほどの寺院に人々が大挙して集まり、その混み合うさまは古代寺院の神秘どころではなく、危険そのものです。中には夕暮れをBGM付きで楽しみたいということで、あたりかまわず音楽をかける人も出ているといいます。
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207凡人:2019/04/17(水) 09:40:31 ID:aa/QkHo60
***世界遺産登録は地方再生の「妙薬」ではない
ユネスコサイドの流れは、おおむね次の4段階を踏んで進みます。
1、世界遺産に登録される、あるいは登録運動が起こる
2、観光客が押し寄せて遺産をゆっくり味わえなくなる
3、周辺に店や宿泊施設が乱立して景観がダメになる
4、登録地の本来の価値が変質する

特に日本では、ユネスコによる世界遺産登録を、地方を甦らせるための「万能の妙薬」のごとく、ありがたがる風潮があります。しかし世界の実情では、ユネスコによる世界遺産登録がうわさされただけで、人々が押し寄せ、管理が行き届かなくなる事態が生まれており、さらにはそうした人たちが一気に増えたり減ったりすることで、地域がダメージを被る、という問題まで起きているのです。

観光振興をテーマにしたある集まりで、群馬県から来た人と話す機会がありました。

群馬にある世界遺産といえば、2014年に登録された「富岡製糸場と絹産業遺産群」が有名です。登録が決まったときに、観光客が大勢並んでいるニュースを私は見ていましたので、「世界遺産に登録されたらされたで、大変なことですね」と話しかけたところ、相手の方からは「いや、もう熱は冷めました」と意外な返事が返ってきました。


***富岡製糸場の来場者数は3年で半数以下に落ち込んだ
事実、『読売新聞』の記事(2018年6月25日朝刊)によると、富岡製糸場は世界遺産に登録された14年、年間133万7720人もの来場者がありましたが、2年後の16年度にはそこから4割減少し、17年にはついに半数以下に落ち込んでしまっています。

人口約5万人の富岡市にとって、富岡製糸場が持つ観光的な価値は財政面でも地域維持の面でも大変に重要です。一方で世界遺産登録を維持するため、その修復・管理にかかる費用はこの先10年で100億円にも上るとされています。それなのに、その原資となる入場者数が下降線を描いていることで、目算が大きく狂い始めているのです。

富岡製糸場の事例を踏まえて言いたいのは、自分たちの町、地域の遺産をいかに観光のために整備できるか、より総括的に考える必要があるということです。もしくは世界遺産への登録が、本当の意味で観光振興につながるのか、熟慮が必要です。

地元の人たちや関係者たちが、それらの問いを吟味した先に、世界遺産登録の本来の意味は生じます。そこを詰めないまま、「世界遺産登録=観光客誘致の切り札」と短絡させるだけでは、物見遊山的にやってきて、「失望した」と文句を拡散する人を増やすだけです。

観光客がいるからオペラやバレエを見ることができる
観光による文化へのダメージがあまりにも目立ち過ぎるため、「文化と観光は両立しない」という極論が、最近では聞かれるようになっています。それは「観光が増えれば文化は必ず凋落する」という意見です。しかしここでぜひとも強調しておきたいのは、観光が文化にもたらすプラスの側面も大いにある、ということです。

たとえば日本やアメリカからヨーロッパへ観光に行くと、多くの人がオペラやオーケストラを楽しむことでしょう。

私がウィーン国立歌劇場に行ったときは、自分と同じような観光客で客席の半分ぐらいが埋まっているように見受けられました。ウィーンに限らず、パリのオペラ座、ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス、ミラノのスカラ座と、主だった都市の劇場は、どこも観光客の姿が目立ちます。

バッハやベートーベンの音楽が現代に継承されて、盛んに演奏されるということは、つまり音楽家たちに仕事のできる環境が、存在し続けてきたからということです。オーケストラやオペラ、バレエなどの大がかりな舞台芸術は、地元の観客だけを相手にしていては到底維持できません。よそからやってきて観劇料を払ってくれる観光客の存在があって、バイオリニスト、ピアニスト、歌手、バレエダンサーらが芸術の担い手として、今日も舞台に立つことができるのです。
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208凡人:2019/04/17(水) 09:43:09 ID:aa/QkHo60
***世界中の観光地が「観光公害」に悩んでいる
観光やインバウンドには、文化の継続だけでなく、文化を復活させる力もあります。

たとえばタイでは伝統舞踊のイベントに観光客がたくさん来ることによって、その舞台が守られました。また古式ゆかしい人気のタイシルクも、第二次世界大戦時にタイに赴任した軍人で、実業家であるアメリカ人のジム・トンプソンが事業化を行い、観光客に販売したことで世界的に知られるようになりました。

今現在、世界中の観光地が「観光公害」という問題を抱えています。

ただし京都、バルセロナ、フィレンツェ、ヴェネツィア、ニューヨークといった都市、もしくは町は、過去数十年にわたって観光客が来訪し続ける価値を持ちえたからこそ、旧市街の町並みやそこでの暮らしが残ってきたともいえます。

人口減少が進む日本、とりわけ地方の町や村は、観光という起爆剤を持ち込まないと、やがて経済が回らなくなり、消滅への道をたどってしまいかねません。町の消滅は、同時に文化と歴史の消滅を意味します。

著書『観光亡国論』に繰り返し記しているように、そこには適切なマネージメントとコントロールが必要であることは、ここであらためて強調をしておきたいと思います。

さらに、日本人が大切にしてきた場所ならば、安易に「世界遺産登録」などの世界のブランドに頼る前に「日本が認めた」「地元の方々が守ってきた」といった視点を、今一度磨くべきなのではないでしょうか。

アレックス・カー東洋文化研究者
1952年、米国生まれ。NPO法人「篪庵(ちいおり)トラスト」理事長。イェール大学日本学部卒、オックスフォード大学にて中国学学士号、修士号取得。64年、父の赴任に伴い初来日。72年に慶應義塾大学へ留学し、73年に徳島県祖谷(いや)で約300年前の茅葺き屋根の古民家を購入。「篪庵」と名付ける。77年から京都府亀岡市に居を構え、90年代半ばからバンコクと京都を拠点に、講演、地域再生コンサル、執筆活動を行う。著書に『美しき日本の残像』(朝日文庫、94年新潮学芸賞)、『犬と鬼』(講談社)、『ニッポン景観論』(集英社)など。

清野由美(きよの・ゆみ)ジャーナリスト
東京女子大学卒、慶應義塾大学大学院修了。ケンブリッジ大学客員研究員。出版社勤務を経て、92年よりフリーランスに。国内外の都市開発、デザイン、ビジネス、ライフスタイルを取材する一方、時代の先端を行く各界の人物記事を執筆。著書に『住む場所を選べば、生き方が変わる』(講談社)、『新・都市論TOKYO』『新・ムラ論TOKYO』(いずれも隈研吾氏との共著、集英社新書)など。
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209凡人:2019/04/18(木) 10:33:41 ID:aa/QkHo60
ここまできても、いまだイメージの問題にこだわっている県の行政者たちの頭は医者でも直せないだろう。桐生、富岡、前橋は日本のバングラデシュである。人口減少も市に共通しているが、特に桐生は県下一の減少振りである。バングラデシュをウィキで探ると「その輸出の80%は繊維製品によって占められている。大手繊維メーカーなどの進出が多く行われており、バングラデシュ経済を担う一大産業となっている。」そうした市はバングラデッシュに見習っているのであろう。さすがである。凡人が言わんとすること、その意味が理解できる教員/学者は存在するのか?高崎経済大学という経済や地域政策学部を持つ大学が60年も県内に存在するのに、そうした地方自治体の長きにわたる窮状を救うことすらできない、なんの糞の役にも立たない大学であることも同時に証明してくれているということも記しておく。
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絹産業で活躍の女性 動画サイトで紹介 県が公開
更新日時:2019年3月13日(水) AM 09:00 上毛

絹への思いを語る井上さん(左)と中野さん

 群馬県の絹産業・絹文化のイメージアップにつなげようと、県は12日、絹産業で活躍する女性を紹介する動画「わたしの絹物語」を動画投稿サイト「ユーチューブ」などで公開した。

 自身の工房「canoan」でオリジナル商品の販売やワークショップを開く座繰り染織家の中野紘子さん(高崎市)と、ジャカード織による帯や生活雑貨を扱うブランド「OLN(オルン)」を立ち上げた井清いのきよ織物の井上忍さん(桐生市)を紹介。それぞれが絹と織物への情熱を語る1分の動画と、15秒の短編がある。

210凡人:2019/04/21(日) 09:55:27 ID:aa/QkHo60
これが高崎経済大学の今だ。現在進行形だ。

たかけいい学報(大学側が作る広報誌ー広報室長(地域政策学部教授)櫻井常矢)が50周年100号を迎えたとして特別号。その第一ページをかざったのがなんと三潴信吾氏の学長就任にあたってと題した当時の記事。それが全文そのまま転載されている。凡人は仰天した。というのは三潴学長と言えば、当時暴力団幹部との交際が地元新聞記事等で暴露された学長である。国会の法務委員会でもその関係が取り上げられた経緯がある。高経大を一躍、日本全国津々浦々に悪名にした学長。その彼が100号という大学の記念すべき学報のトップを飾るとはすさまじい。これがこの高経大の教員のクオリティー。頭の中身である。この無神経さというか、バカというかこれが、60年をすでに過ぎた、経済学部や地域政策学部や大学院をもつ高経大大学のレベルである。さすが思想選別されているだけあると疑う余地がない。日本の暴力団団員は現在、強い風当たりを受けているのはご存知の通り。暴力団にたいしての日本国民の怒りの結果だととれるが、この大学の教員には暴力団と関係していたという事実があっても、それほど気にならないようである。

これが当時三潴学長と暴力団幹部との関係を取り上げた議事録である。第061回国会 法務委員会 第19号 http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0080/06106060080019c.html

また、平成19年度から作られた同窓会の三扇賞. スポーツ、文化および学術等の振興に努め、大学の発展に寄与した者に対して、高崎経済大学同窓会よりその功績をたたえ表彰することを目的、だそうだ。大学直属の応援団が2回三扇賞受賞、奨励賞を4回(団付属の吹奏楽部とともに2回)。平成30年までの記録があるので、ざっとみると、過去の受賞者は何かしらの功績や賞を貰った学生である。応援団の受賞の理由は大学行事、同窓会支部総会、ボランティア等に参加し地域貢献ということだ。地域貢献という理由で賞を何度ももらっている応援団だが、ボランティア活動をしている他の学生サークルは複数あるが、受賞者の中には見つからなかった。まったく眼中にないのだろう。手前味噌もいいとこだろう。もと応援団員が高経大の同窓会を仕切っているのがわかる。クワバラクワバラ。

211凡人:2019/04/22(月) 12:00:11 ID:aa/QkHo60
凡人の尊敬する学者と高経大教員の違い
ー良心の呵責をなくしたら人間おしまいー

「心の燈台 内村鑑三(こころのとうだい うちむらかんぞう)」。と地元群馬で有名な上毛かるたにあるが、「心の燈台」は何も宗教家の独占語ではない。教育者としての学者にも十分当てはまる。暴力団・やくざ・暴走族は群馬県でも珍しくない。それに毅然とした態度で対峙しないと、暴力団や暴力を群馬のコミュニティから追放できない。そうして初めて商業や経済の健全な発展や魅力ある街ずくりが可能になり、子供の教育にも正の影響を及ぼすと確信する。

人間失格なんて有名な言葉があるが、良心の呵責をなくしたら人間おしまいだろう。しかも学問を司る大学の教員が暴力団の頭のレベルだったら、なおさらだ。学者というとガリレオやアルキメデスのような人物をイメージする。学問のために生涯をささげた歴史的な人たちだ。その中でも凡人が尊敬する物理学者の一人アインシュタイン。死後長いが、いまだにロックバンドのように若者たちにも人気を博している学者であって、そのことはとても稀なケースだ。その理由はなんなのだ。彼は頭がいいだけではない。ノーベル賞受賞者。ユークリッド幾何学を超えた、宇宙時代にふさわしい相対性理論を最初に世に出した人物。ドイツに生まれ、ドイツの屈指の学者としてドイツに戻るが、ナチスに迎合する学者仲間に反して戦争反対を唱え、ナチスから逃れ、アメリカへ渡り、米国籍を取得。彼のE=mc2の方程式は原爆を生み出したが、戦後一転して死ぬまで核兵器反対運動の矛先になる。ここで私はアインシュタインが人間的に完璧と言っているのではない。彼の人生の軌跡からいろいろ学ぶ点が多いといっているのである。彼が成した重要な人生の選択で、いつも正しい側を歩んだ学者だと信じている。彼こそが人類の心の灯台なのだ。

そうした尊敬すべき学者が歴史上に存在する。そうした学者の歩んだ道を考察した後に、高経大の教員に話を移そう。いろいろ例外はあるが、敢えて要約すると彼らは学者を装っているが、実は他の地方公務員と実質的になんら変わらない職業人。外面上は教育者、中身は暴力団のシンパ。生活の為なら喜んで権力と迎合し、憲法や法律は権力側が国民をコントロールする手段と勘違いし、人間の権利を解さない無教養さを隠し、高校レベルなのに大学教授の給料をもらっているというグループ。その高崎経済大学は母体である高崎市や地元の社会に貢献を目指していると広報はするが、凡人にしてみればいまだ知的な貢献はしていないとする。もし道路の掃除(比喩である)を大学の社会貢献とみるならばそうだろう。だが、地元行政のゴム印化に成り下がり、長い目で見た場合自治体の発展の足を引っ張っているとしか思えない。地元一般市民の生活を楽にしたり、所得を上げたり、町を発展させたり、新しい時代を呼び込む方策や知識には欠ける。高経大の教員はどうか。ピンからキリまでいる東大卒や早慶卒。高崎経済大学の教員の中には早大卒が目につく。それから比べれば、東大卒や慶大卒は少ない。fランやマーチや日大卒も少なからずいる。それらの大学院を出たというがピンキリのなかで、どの部分が高経大の教員になっているのか。例えば早大卒の元高崎経済大学教授の八木秀次氏。ひどいの一言。すさまじい無知さを披露して、高経大を笑いとしてマスコミで有名にした人。2014年から麗澤大学に移り教授をしている。麗澤大学といえば、いまの応援団の基礎を作った暴力団のシンパ、三潴信吾氏も高経大退職後同じ大学に移っている。まったく偶然ではないだろう。ほかにも早大卒の元学長で高経大を悪名にした教授がいるがここでは割愛する。
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212凡人:2019/04/22(月) 12:03:40 ID:aa/QkHo60
では学生たちはどうなのか、入学する学生たちに目を移そう。大学受験生の高校生たちもピンキリといえる。高経大は全国型と言って派手に宣伝しているが、単に地方の主要都市に入学試験場があるからである。もし他の国公立大が同じことを遣ったら、まったく同じような結果になるだろう。特別なことではない。所詮は滑り止め大学。偏差値操作している有名私立大と同じようなことをやっている。たとえば中期試験をとっても、水増し合格者をたくさん出して入学者を定員に収めている。というのもおよそ半数近くが他所に行ってしまうからだ。国公立大学の中堅校があきれる。また地方の公立大学創設ラッシュが昨今。大学の反動的な体質に大きな問題があるため、経営陣や教員は時代がまったく読めない。公立大学だから出願者数が多く、入試の競争倍率が毎年高くなり、それでなんとか体裁がとれている大学である。最近できた国際学科?今なのとあきれる遅さ。専任教員リストをみても、ただの体裁をよくする飾りであることがうかがえる。大学の発展性や将来性にはちと無理な頭脳レベルである。まあ就職予備校、例外はあるがよくて中堅管理職養成機関としてこのまま存続するであろうと、教育的な見地から確信している。過去に国会議員が卒業生の中から一人生まれた。それは学生自治会が潰される前のこと。大学創立からわずかの10年にも満たない間にである。ところが応援団を直属してから現在に至るまで、ゆうに50年が経過し、卒業生は2万をゆうに数えるも、卒業生の中から新たな国会議員になった者はいない。この大学をよく象徴していると思うのである。またもう一つ言いたいのは、各地方の同窓会の出席者の数を見ていただきたい。総卒業生数の何人が大学の同窓会なるものに参加しているか。それは愛校心の一つのバロメーターになると思う。他大学の十分な資料がないのではっきりしたことは言えないが、数が少ないと感じた。それは凡人の偏見なのだろうか。
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213凡人:2019/04/22(月) 22:25:51 ID:aa/QkHo60
湯沢平和の輪
「湯の町湯沢平和の輪」は、2004年6月10日に井上 ひさし氏、梅原 猛氏、大江 健三郎氏ら9人からの「『九条の会』アピール」を受けて組織された、新潟県南魚沼郡湯沢町版の「九条の会」です。
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半歩前へ 2018/07/05
▼安倍晋三について後藤田正晴が言った言葉!
https://yuzawaheiwa.blogspot.com/2018/07/blog-post_6.html

安倍晋三だけは首相にしてはならない。
あいつには岸の血が流れている。
みんなは岸の恐ろしさをしらない。
岸の血って、血縁っていうだけじゃないんだよね。
人としての情がない。恥を知らない。
岸信介と安倍晋三に共通しているのは、その恐ろしさなんだ。
                          後藤田正晴
*********************
 こんな情報がネット上に氾濫している。
 岸信介は戦前の官僚。
 のちに甘粕正彦と組んで、帝国陸軍が中国東北部を植民地にし、そこに建設した傀儡国家「満州国」を牛耳った男だ。
 岸信介は、東条英機内閣の商工大臣を務めた軍国主義者。A級戦犯として逮捕されたが、米国の”操り人形”になることを条件に釈放された。その孫が安倍晋三である。
 甘粕正彦は陸軍憲兵大尉の時に、無政府主義者の大杉栄らを殺害したことで知られている。世に言う甘粕事件である。
 その後、甘粕は突然、日本を離れて満州に渡り、関東軍の特務工作を陣頭指揮。その時、岸と知り合い意気投合。いわく因縁の「闇のつながり」である。
 後藤田正晴は内務官僚だが長年、岸信介を垣間見て来ただけに、本性を知り尽くしている。その人物が岸信介の「汚れ、ただれた血」を語ったと言うのだから、まんざらデマでもなかろう。私はさもありなん、と思う。

 安倍晋三の血も涙もない「国民に冷たい政治」は、6月の沖縄の慰霊の日や8月の広島、長崎での平和記念式典でのあいさつを聞けば一目瞭然だ。人々の琴線に触れる文言など、どこにも見当たらない。
 不戦の誓いを削除し、爺さんの岸信介が果たせなかった「改憲の実現」にまい進するのが安倍晋三だ。


安倍首相が頻繁に外遊する本当の目的!
半歩前へ 2018年7月6日
▼安倍首相が頻繁に外遊する本当の目的!
 安倍晋三は嫁の“闇の手配師”昭惠を伴って11日から18日までベルギー、フランス、サウジアラビアとエジプトを訪れる。中東には民間企業幹部も同行し、両国とインフラやエネルギー分野でビジネスの関係を強化する。
 安倍夫婦は4〜5月にもアラブ首長国連邦などを訪れており、中東訪問は今年2回目となる。
 多額の税金を浪費して、これほど頻繁に海外を訪ねる総理は過去に例がない。なぜ、なのか? 首相の外遊にはマスコミ各社が同行するので、新聞、テレビが一斉に報道するのでPR効果は抜群だ。

 しかし本当の目的は別にある、と指摘する向きがある。
 事情通によると、安倍政府の海外支援金の多くは受注する日本企業に還流する。そこから仮に、領収書不要のキックバックがあれば、あれだけ大量の政府資金を惜しげもなく投入する意味がわかると指摘した。なるほど、そういうことか。
 明確な証拠がないので断定はできないが、十分考えられる仕掛けではある。以前、田中角栄に頼みごとをすれば3%が“手数料”だと永田町で言われていた。
 100億円の仕事なら3億円、1000億円のプロジェクトなら30億円と言う計算だから莫大な金額だ。

 とにかく政治家が頻繁に外用するなど異常な行動をする時は、裏で何か動きがあると考えた方がいい。政界には謎が多い。その謎を解明するのがメディアの仕事だ。一層の奮起を期待したい。
 特にNHKにその役を期待したい。なぜなら国民から多額の受信料を徴収して潤沢な予算を確保しているからだ。公共放送だと言うなら権力の露払いをするのではなく、監視役に徹してもらいたい。

 同じ公共放送の英国BBCは強姦魔・山口敬之の伊藤詩織さん事件を「レイプ、日本の隠された恥」と題して特集番組を全世界に放映、各国の注目を集めた。
 他国が報道する前になぜ、日本でやらないのか? やれないのか? その訳は何か? NHKはなぜ、触れない?あれほどサッカーでは大報道するNHKが音なしの構えだ。そんな日本を、世界は奇異な目で見つめている。
 今回の安倍の外遊にNHKも多数の記者が同行する。彼らは、そこで何を報道するか? これまで通りの提灯報道を繰り返すのか? それともワサビが効いた生放送をするのか? 視聴者はじっと見つめている。(敬称略)

214凡人:2019/04/22(月) 22:29:29 ID:aa/QkHo60
2018年7月6日金曜日
安倍晋三について後藤田正晴が言った言葉

 ブログ「半歩前へ」が、ネット上に氾濫している情報として「後藤田正晴が『安倍晋三だけは首相にしてはならない』と語った」ことを紹介しました。
 
 後藤田氏は警察庁長官から政界に転身し、中曽根内閣時代には請われて内閣官房長官に就きました。それ以後「カミソリ後藤田」と周囲から畏怖されて、保守政党(現自民党)の重鎮としての地位を築きました。
 4年ほどの陸軍従軍と半年強の中国軍捕虜生活の体験を持ち、ハト派として知られました。1988年、イラン・イラク戦争終結に当たり米国から海上自衛隊の掃海艇をペルシャ湾に派遣するようにとの要求を受けたとき、「私は閣議でサインしない」と強硬に反対し、中曽根首相に派遣を断念させました。
 1990年(海部俊樹内閣)に湾岸戦争が勃発し、やはり米国から自衛隊派遣の要請があったときにも一貫して反対姿勢を貫きました。

 ブログ「半歩前へ」が、「岸信介は、軍国主義者でA級戦犯として逮捕されたが、米国の“操り人形”になることを条件に釈放された云々」と述べているのは、岸がCIAのエージェントを務めたことを指すもので、当時CIAから莫大な資金が、彼を通じて自民党の前身の保守政党に投入されたことが知られています。

 後藤田氏の『安倍晋三だけは首相にしてはならない』の言葉は5月初めにもネット上で話題になり、安倍応援団は出典の記載がないからデマだと応戦しましたが、書かれていることはあまりにもリアルで、後藤田氏がそう警告したであろうことは誰しもが納得できることです。
 その出どころですが、オーラル・ヒストリー(口述記録歴史)を専門分野に持つ
御厨 貴・東大名誉教授は生前の後藤田氏からの沢山の口述を聞いているので、多分そこであろうと思われます。
 6日付の、安倍首相に関するもう一つのブログも併せて紹介します。

追記) 岸とCIAの関係については、「CIA Name Files - 2nd Release ※」(CIA名簿 第2次公開)の「K」の項目に「KISHI NOBUSUKE 066 230/86/23/03」と記載されているのが確認できます。
https://www.archives.gov/iwg/declassified-records/rg-263-cia-records/second-release/name-files.html#k

215凡人:2019/04/25(木) 12:09:14 ID:aa/QkHo60
目を疑ったほど、悲しいニュース。ショックを隠せない。群馬の男女別学についての問題点を何度も記述しているが、前高という県トップ校の卒業生が恐るべき事件を起こした。女子生徒を狙って塩酸で怪我させた高高の卒業生の事件もよく覚えている。この事件が凡人の心を凍らせたのはその被害者の女性にある。名前を見てぎょっとした。金井貴美香さん(22)。顔は知らないが、その名前はよく知っている。彼女が高経大在学中、よく大学のニュースやTwitterで彼女の名前をよく見かけた。それをコピーして、この掲示板にもよく投稿したものだ。というのは国内大学レベルの英語スピーチコンテストでは上位成績の常連だったからだ。その名前は凡人にとってイコール高崎経済大学の稀にみる優秀な学生。稀に見るを強調したい。凡人の誇りでもあった。彼女にはどんな将来がまっているのか。まったく頼もしい限りであった。そんな彼女の名前を今日、ネットの週刊誌記事で読んだ。そのニュースはまったく凡人が予想だにしなかったもの。あってはならないものであった。最近はやりのストーカーの餌食になって、この世から去ったと告げるニュース。それも22歳の若さ。これからの彼女。その悲惨さは言葉にしてまったく表現することができない。大ショックも大ショック。とても悔しい。ご冥福と言いたいが、それではすまされない。どうぞ、どうぞ。凡人は彼女とお目にかかる日を楽しみにしている。それほど長くないとそう悟り始めている。人生は何が起こるかわからない。群馬県が生み出す醜い膿はこんな風に遠い国に住む凡人さえ巻き込み、個人的な事件として凡人を呪う。そして周りの人々にもいろいろな波紋を投げかける。彼女の死を決して無駄にしてはならない。
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容疑者に「一生、牢屋に入ってろ!」 ストーカー殺人 被害女性父の慟哭
2019年02月09日 15時00分 週刊実話

 1月23日午後6時頃、さいたま市大宮区のオフィスビルのエレベーターホールで、突然、女性会社員が後ろから羽交い締めにされ、男に包丁で首元などを刺された。退社時間帯で多くの会社員がいたため、周りの人たちがすぐに男を取り押さえ、女性は救急車で病院に搬送されたが、約1時間後に死亡が確認された。

 殺人未遂の疑いで現行犯逮捕されたのは、群馬県前橋市の市役所職員・鳥山裕哉容疑者(25)。被害に遭った女性は、埼玉県春日部市に住むリクルート関連会社の広告代理店社員・金井貴美香さん(22)だった。

 「この日、鳥山は市役所を早退。自宅から刃渡り20㌢の包丁を持って大宮へ向かい、金井さんの退社時間を待っていたと供述しています」(全国紙記者)

 2人は、同じ群馬県出身ということでSNSを通じて知り合い、昨年春から付き合い始めたが、秋には別れ話が出て、鳥山容疑者がストーカーと化していた。

 「鳥山が昨年末頃から急に過激になり、金井さんに暴力を振るうようになったため、警察に何度も相談。事件当日の夜、春日部署に被害届を出す予定で、ご両親は娘さんのアパートに泊まり込んで警戒していた。金井さんのお父さんは、鳥山とも直接、話し合いをして納得させていたそうです。鳥山容疑者に対して、どういう気持ちか問われると『一生、牢屋に入ってろ!』と吐き捨てていました」(同)

 金井さんは群馬県高崎市の出身。社交的な性格で、高崎経済大学在学中には英語のスピーチコンテストで全国大会に出場したこともある才色兼備な女性だった。

 一方の鳥山容疑者は前橋市の生まれで、県内一の進学校・県立前橋高校を卒業後、浪人して筑波大学に入学。昨年4月に前橋市役所の採用試験に合格したため、大学を中退して入庁していた。

 「大学では都市防災を専攻。市役所で建設部道路管理課の技師として橋や道路の補修・管理などの業務に当たっていた。上司は『勤務態度も真面目で、悩みがあるようには見えなかった』と話している」(捜査関係者)

 「桶川ストーカー事件」で大失態を犯した埼玉県警の対応は十分だったのか。今後の検証が必要だ。

216凡人:2019/04/26(金) 13:14:15 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学の政治論議レベルや立場とは何か?

TCUE投票ファクトリーなんていうゼミ活動の一環でやっている学生組織がある。その目的は地元選挙での投票率の下降をくいとめ、上昇させること。その活動が地元新聞の記事になったり、県から表彰されたりもしている。ご存知のとおり投票率の下落は止まっていない。つまり肝心な目的や目標が全く達成されてないままズルズルやっている無駄な組織。そんなのがあるが、高崎経済大学では日本の今の政治状況をどう見ているのであろうか。高経大の歴史や経営陣や思想選考採用された教員のメンバーからして、右翼思想の安倍政権を支持することは明白であろう。高経大の経営陣がやっている年間行事や事件が教えることは、かなり安倍政権を彷彿するという事実だろう。すでに何度もこの掲示板に書いているので、ここでは割愛する。

217凡人:2019/04/27(土) 05:13:11 ID:aa/QkHo60
学生に視点をあてる。

高経大の学生・院生を遠方から評価するのは並大抵ではない。情報があまりにも少なく、また比べる他大学の情報も乏しい。中には優れた教育者や教員になる人物もいるが、それはほかの大学でも言えること。滑り止め大学や就職予備校を色濃くしているため、その数は有名大学とは比較にならないほど数は少ないとみる。

優秀な学生の多くは民主主義を標榜するだろう。それは完璧な制度ではないとしても、まったく合理的、論理的であるし、その持続性は歴史からもくみ取れる。その正しさはイデオロギーを超えて、より学問や正しい知識や良識をもてば持つほど認識してくるもの。つまり頭が必要である。よって優秀な学生ということになる。

高経大の元学長を持ち出して、東大卒でも右翼思想がいるではないかと反論するものがいるだろう。もし東大卒が優秀と仮定した場合、私のいうことは間違っているが、その仮定は果たして正しいだろうか。私は疑いたい。東大入学は難関である。だが優秀なものだけが、東大に入学しているのかという問い。ようは受験テクニックである。東大が受かる受験テクニックをマスターできる高い能力と良識を持つ能力を混同してはならない。それはまったくの別物であろう。大学受験そのものが公平ななかでは行われていない日本社会の現実。大学受験を専門に扱う塾に行けるほどの家庭と大多数のそうでない家庭の子弟子女や高学歴の家族や環境で育つ子弟子女と大多数のまったく無教養な家庭で育つ子弟子女が混在する中での大学受験戦争。その結果、例外はあるが統計的にも東大卒は裕福な家庭の子弟子女で大きく占められているという。当然と言えば当然。家柄や環境で東大卒を生み出すことは十分考えられる。だが、はたして東大卒がすべて頭脳明晰な人物しかいないかというとそうとは言い難い。ちょっと歴史を振り返ると、あの全学連が脳裏に浮かぶ。東大学生が先頭に立ってリードした全学連やその他の左翼過激派の運動をみても、必ずしも頭脳明晰とは言い難い。それらの活動は民主主義とは程遠いもの。グループ内の権力闘争の明け暮れ。エリート主義が見え隠れする、自己陶酔の世界。日本社会の本質である暴力団ややくざを彷彿させる左翼暴力団運動であった。三島由紀夫が憲法改正のため自衛隊の決起(クーデター)を呼びかけ、割腹自殺をした事件と考え合わせると鮮明になる。

高崎経済大学は表では公立大学であるが、中身は右翼イデオロギーを色濃く持つ群馬の有力者や土建屋や卒業生によって私物化された大学であるために、民主主義の片鱗さえない。そんなことはいろいろな記事になった事件を読めば容易に理解される。

そのために優秀な高校生であればあるほど、高崎経済大学を敬遠することは当然であろう。優秀な学生であればあるほど政治的にとても敏感である。だいいち彼らは将来のリーダーとなるべき資質を持つために、政治的に敏感にならざるをえない。学生自治会や学生の視点にたっての新聞部すらない大学に自分の活躍の場を見出すことは不可能であるから、入学することはまず考えられない。彼らの能力を制限しようとする低能な教員がいる大学で勉強したいなんて思うはずがない。凡人は多くのUCLAの学生と接して、そうした思いが強くなる。彼らは仲間同士では政治的意見をまったく隠さない。堂々としたものだ。ノンポリということばは、実際無教養なバカ学生に当てはまるという真実が浮かびあがる。

218凡人:2019/04/27(土) 05:20:58 ID:aa/QkHo60
タイムズ世界大学ランキング2019 - TOP100校
THE世界大学ランキングTOP100【2019】
https://hotnews8.net/society/THE-world-university-rankings2019

1 オックスフォード大学 UK
2 ケンブリッジ大学 UK
3 スタンフォード大学 USA
4 マサチューセッツ工科大学(MIT) USA
5 カリフォルニア工科大学 USA
6 ハーバード大学 USA
7 プリンストン大学 USA
8 イェール大学 USA
9 インペリアル・カレッジ・ロンドン UK
10 シカゴ大学 USA
11 スイス連邦工科大学チューリッヒ校(ETHZ) スイス
=12 ジョンズ・ホプキンス大学 USA
=12 ペンシルベニア大学 USA
14 ユニヴァーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL) UK
15 カリフォルニア大学バークレー校 USA
16 コロンビア大学 USA
17 カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA) USA
18 デューク大学 USA
19 コーネル大学 USA
20 ミシガン大学 USA
21 トロント大学 カナダ
22 清華大学 中国
23 シンガポール国立大学(NUS) シンガポール
24 カーネギーメロン大学 USA
25 ノースウェスタン大学 USA
26 ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE) UK
27 ニューヨーク大学(NYU) USA
28 ワシントン大学 USA
29 エディンバラ大学 UK
30 カリフォルニア大学サンディエゴ校 USA
31 北京大学 中国
=32 ルートヴィヒ・マクシミリアン大学ミュンヘン ドイツ
=32 メルボルン大学 オーストラリア
34 ジョージア工科大学 USA
35 スイス連邦工科大学ローザンヌ校 スイス
36 香港大学 香港
37 ブリティッシュコロンビア大学 カナダ
38 キングス・カレッジ・ロンドン(KCL) UK
39 テキサス大学オースティン校 USA
40 カロリンスカ研究所 スウェーデン
41 PSL Research大学 フランス
42 東京大学 日本

219凡人:2019/05/12(日) 11:13:18 ID:aa/QkHo60
高経大の人相学的一考察。
―人相と職業、思想、知能、行動様式―

人相学や心理学やファッション感覚の理解がない人でも、やくざや暴力団は一目見ただけで一般人とは違うことに気付くだろう。髪型・行動・言葉使い・服装等がよいヒントになる。他の国のギャングやマフィアのメンバーも同じことがいえる。それは職業と人相とはごく例外はあるものの、大抵強い相関関係があるといって間違いない。音楽家やアーティストも同じ。アメリカでは暴力団・やくざと間違えるほど刺青を体中にたくさんしている人にある。それはギャングのメンバーだったりする場合が多い。体中どころか、顔に刺青をしたギャングメンバー風を見たのは一人や二人ではない。いや、その一人と話したことがある。留置場に殺人で9年間いて出所してきたと話してくれた。多分相手はギャングで、正当な理由があるから殺人罪でギャングでありながら短い期間で出所できたと言える。そうでなかったら相当長くいる羽目になる。彼は留置場内で片手を手錠で固定されていて、もう一方の手で喧嘩相手と戦ったと豪語していた。顔に刺青しているから、まともな就職は当然くけるはずはない。刺青を消すことも眼中にない。当分友達の手伝いしてなんとか生活すると言っていた。彼の方から俺に話しかけてきたのであって、その逆ではない。見た目に似ず、とても相手思いのよい人間であることにこっちが驚かされた。彼は日本の侍学にはまっているといっていた。出所した当日に、アジア系の人間と言えば俺だけだったから、彼はいろいろそんな話が俺としたかったのだと納得。そのあとにも南米系のギャングメンバーにたくさんお目にかかったが、彼のようなものはいなかった。彼は特別であると後になって知った。

刺青はギャングメンバーだけではない。芸術家であるタツーアーティストを含め、意外に若い音楽家の中によくみられる。アメリカでは日本のように刺青をやくざと同一視するネガティブの感覚はない。でも、それを例外中の例外だろう。

では教授や学者や知識人や文化人と呼ばれる人たちとその人相にちょっと触れてみたい。だが、それもまったく、今までの話と共通している。日本も他の国へいっても、学者と呼ばれる人は学者風をしている。

凡人はよく高経大の経営陣はやーさんのシンパであり、その歴史を継承していると断言してきた。それを思わせるもう一つの証拠に、この人相がある。在学生である高経大直属の応援団の団員を手始めに、それから裏や表で高経大の経営を操っている人物たちの人相をご覧になったことがあるだろうか。もし一度も見たことがなかったら、是非この際だからご覧になって欲しいものだ。高経大の同窓会や後援会の役員の人相。高経大理事長の人相。学者風というよりも、皆こわおもてである。凡人の目には皆、良くて土建屋や悪くてやーさんの風ていに見えてくる。いろいろな人生経験や世界中の、いろいろな階層の人間に出会って、あるいは会話して体に身についた凡人なりの理論がここにある。信じようが信じまいがどうでもいい。群馬の偏狭な地や狭い日本で生きてきた人間にわかってもらわなくて結構である。大笑

220凡人:2019/05/18(土) 08:30:01 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学経営陣ー安倍晋三内閣ーやくざ・暴力団組織の懐柔・温存ー表面上の秩序維持ー長期的視点での停滞や滅亡への道。

221凡人:2019/06/21(金) 13:14:53 ID:aa/QkHo60
暴力団の幹部が学長室にしばし訪れ面談、幹部の夜の酒宴に出席するまでの関係を持った高崎経済大学学長・三潴信吾とはどんな人?

高崎経済大学学長/三潴信吾(みつましんご)は筧克彦の娘婿である。

筧克彦とはどんな人かは下記の文献でわかる。

貞明皇后への御進講における筧克彦の神道論
http://www.mkc.gr.jp/seitoku/pdf/f50-26.pdf

天皇家、右翼暴力団、安倍晋三、天皇主義、高崎経済大学学長/三潴信吾、高崎経済大学直属応援団が大学名を出して明治神宮に参拝。

こうした思想や血族関係の繋がりがはっきりしているので面白い。

222凡人:2019/06/21(金) 13:57:20 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学学長・三潴信吾が学部長・学長時代に、現在の高崎経済大学の基盤・基礎を築いた人物である。高崎経済大学の応援団が体育会の一会員から、文さ協や体育会の上に立つ組織として独立分離し現在の姿となった。60年の歴史のなかで、大学の不正入学に端を発し、本来は民主的学生運動であった高崎経済大学の学生デモが圧殺の森という名で終焉。大学側は学生自治会や新聞会の解体、除籍や退学、停学処分等で民主的大学経営への学生たちの切望に腕力でねじ伏せる。応援団や体育会の学生がなした学生運動の鎮圧行動は、大日本帝国陸軍の歩兵連隊のひとつ、地元高崎の歩兵15連隊を思わせる(秩父事件(蜂起した農民は秩父だけでなく群馬、長野からも多数参加)の鎮圧出動が最初の実戦行動)。大学側の横暴に教員も8名が抗議のため辞職。そのあとは三潴信吾氏の独断場。大学経営陣は今に至っても反省の色は見せないで、反平和憲法や反民主主義の立場をことごとく貫き現在に至っている。三潴信吾氏はすでに亡くなられてはいるものの、高崎経済大学を知るうえで重要な人物であることには変わらないのである。

223凡人:2019/06/27(木) 19:56:00 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学学長・三潴信吾とはどんな人?その2

父親は東大教授?

理事 畑和君 三潴学長は、かって私たちも東大で教わりました三潴さんという教授がおりましたけれども、おそらくその御子息さんではなかろうかと思うのでありますが、非常に右翼的な考えの持ち主である。西暦という年号を使わずに、あえて紀元という年号を使う。あるいは日本帝国憲法はいまだに生きておるのだ、こういうようなことを学生たちに話をするといったような式の、まことにどうもおそれ入った学長であるようでありますが、これが結局市当局の意向を受けて、いろいろそうした方向での教育をしておるようであります。それが高じて、はしなくも新聞ですっぱ抜かれるようなことがあって、世間の注目を引いたということになっておるようであります。

ソース 第061回国会 法務委員会 第19号 昭和四十四年六月六日(金曜日)議事録
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0080/06106060080019c.html

224凡人:2019/06/27(木) 20:02:23 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学学長・三潴信吾とはどんな人?その2

まあ、その通りですね。憲法学者では岸総理の下で憲法調査会を率いておられた三潴信吾先生が有名ですが、真の憲法学者は今では抹殺されております。
恐らく、安倍総理は故岸総理のお孫さんなので、三潴信吾と言う名はご存じではないでしょうか。

ソース 安倍支持のネット掲示板から。
https://blogs.yahoo.co.jp/shogituredure/37687546.html

225凡人:2019/06/27(木) 20:09:57 ID:aa/QkHo60
訂正 その2→その3の間違え 誤字・脱字等発見しても訂正していません。お許しください。

226凡人:2019/06/27(木) 20:20:07 ID:aa/QkHo60
その2の答え。三潴信吾先生(東大法卒、憲法、高崎経済大学元学長)の実父が三潴信三先生(民法、東京帝大教授)。

三潴 信三(ミズマ シンゾウ)
明治〜昭和期の法学者 東京帝大教授。
生年明治12(1879)年5月28日
没年昭和12(1937)年3月27日
出生地東京・本郷湯島町
学歴〔年〕東京帝大法科大学〔明治38年〕卒
学位〔年〕法学博士〔大正6年〕
主な受賞名〔年〕赤十字勲功十字章(ドイツ)〔昭和10年〕
経歴 独逸学協会中学、第一高等学校を経て、明治38年東京帝大法科大学を卒業。40年私費でドイツ、イタリアに留学、ベルリン大学、ローマ大学で法理学・民法を専攻し、欧州諸国を歴遊して、42年帰国。大正元年東京帝大法科大学助教授となり、5年教授に就任、ドイツ法と民法の講座を担当。また逓信官吏練習所、海軍大学校の教授を嘱託される。昭和5〜8年九州帝大教授を兼任。10年日本学術振興会学術部第一常置委員会委員となり、同年ドイツ政府より赤十字勲功十字章を授与した。日本の民法及びドイツ法の権威として知られ、大正12年から毎年高等試験の委員を務めた。日独文化協会理事。著書に「全訂民法総則提要」「全訂物権法提要」「全訂担保物権法」「債権法提要」「借家法及借地法」「近世法学通論」「独逸法律類語異同弁」などがある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)

227凡人:2019/06/27(木) 21:07:16 ID:aa/QkHo60
第061回国会 法務委員会 第19号
昭和四十四年(1969年)六月六日(金曜日)・・高経大クオリティを示す面白い事実たかけい学報が創刊された年でもある。その創刊号には三潴信吾氏の学長就任した挨拶文の全文載っている。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0080/06106060080019c.html

○畑委員 私は、本日は質問通告に出してありますとおり、高崎経済大学の学長の三潴さんという方が、高崎の暴力団松葉会の幹部と、たまたま少なくともことしの正月の新年会の席に招待されてその新年会に出席をしたということが、新聞に報道されております。これは、私にとりましてもまことに驚きだったのであります。いやしくも大学の学長ともあろう人が、いま非常に批判の焦点であります暴力団、しかもその松葉会の幹部が催した新年会に出席をすること自体がはなはだ不謹慎であるということで、まさか大学の学長がこうした会合に出るとは夢にも思ってなかった。新聞の報道でまさに知ったわけでありますけれども、われわれとしても、また一般の国民としても、非常に驚いたことだったろうと思う。そこで、若干その問題につきまして、その端緒となりました関係で、警察当局、それからさらにこの大学を指導、助言等をいたしております、また設置基準に従ってこれを許しております文部省関係のほうにお聞きをいたしたいと思う。
 新聞の報ずるところによりますと、この事件が明るみに出たのは、松葉会の幹部を検挙して調べてみたところが、その取り調べの中で、はしなくも、新年会の宴席に三潴学長が出席をしたということが、少なくとも明らかになった。それで一般に知られるようになったわけでありますけれども、まず最初に、警察のほうで松葉会の幹部を調べた結果、そういうことになったと報ぜられている点が事実かどうか、その点をひとつ警察庁の刑事局長ですか、お聞きいたしたい、かように思います。
○内海政府委員 お答えを申し上げます。実は三潴学長と高橋一郎という人との関係につきましては、特段の犯罪関係等があるわけではございませんで、警察のほうも、特にその二人がどういう関係にあるかということについて特別に調べたというふうなことはございませんが、御質問でございますので、一応この高橋一郎という、これは松友会、これはもと松葉会といっておりましたけれども、これの群馬県の支部長で、一応不動産業ということになっておりますが、この男を強制執行の免脱及び詐欺ということで、本年の三月群馬県の高崎警察署で逮捕して取り調べておるわけですが、その間、いまも御質問のございましたように、高橋一郎が、三潴学長との関係といいますか、知り合ったことについて若干しゃべっておるのですが、それによりますと、四十一年の春ごろに、彼が支部長をしております松友会の本部で三潴先生のことを聞いて、非常な理論家であると聞いたので、ぜひお会いしたいということで学校に会いに行った。特に先生に会いたいと思ったのは、自分の下におるやくざな人間たちを更生させるためにどういうふうな教育方法をとったらいいかというふうなことを聞きたいと思ったのだということ、それから先生の家に伺ったことはない、大学のほうへは何べんか伺ったというふうなことを言っております。そうして新年宴会には、そういうふうなことでいろいろ教えていただいたので、そういうことについての感謝の気持ちからお招きしたのだ、こういうふうなことを言っております。私ども、実はお二人、三潴学長と高橋一郎なる人物との関係というものは、その程度承知しておるわけでございます。

228凡人:2019/06/27(木) 21:10:36 ID:aa/QkHo60
○畑委員 いまの警察庁当局の御答弁によると、自分の子分の人たちの更生のために、どういうふうにして更生させるかというようなことで御高見を拝聴に行ったというような供述になっているようでありますが、暴力団の親分が、実際はいま警察庁の側で言われたような罪名で検挙をされ、起訴された、その御本人が、幾ら子分たちの更生のためといっても、ちょっとどうもロジックが合わないわけであります。これは別に警察庁を責めるわけではないけれども、新聞の報ずるところによると、新年会で、安保のときはよろしく頼む、こういうことをあいさつで言ったというのだけれども、こういうことまでは、警察庁の詐欺事件のお調べの際には調書に出ておらないかどうか。その点をひとつ聞きたい。
○内海政府委員 お答え申し上げます。私ども調書をよくは調べておりませんけれども、特に安保の問題にことさら触れていろいろ話があったというふうなことは、出てないようでございます。

229凡人:2019/06/27(木) 21:12:01 ID:aa/QkHo60
○畑委員 警察関係は忙しいようだから、ぼくに関する限りはこれでよろしい。
 そこで、あとはひとつ文部省当局にお聞きしたいのです。新聞のいろいろ報ずるところによると、またさらに私が新聞外でも二、三の人から聞いたところによりますと、高崎経済大学は、もちろん高崎市の市立の大学だ。市立の大学はそうあまりないようでありますけれども、なかなかいい成績をあげているところもあるが、この高崎経済大学は、いままで問題が多かったように聞いております。かつて新聞に二、三年前にも出ましたけれども、市立大学というような関係から、市長はじめ市のいろいろな有力者等からいろいろ頼まれて、裏口入学等の問題がたくさん出た。そして大学の設置基準にも非常に違反をしておる。定員は一学年二百人、四学年で八百人ぐらいが設置基準だそうでありますが、それが三倍にも四倍にもふくれて、たくさん入学を許しておる。いわゆる裏口入学というものが非常に多かったので、学生の純真な正義感を呼び起こして、これが当初の高崎経済大学の紛争のもとになったということは御承知のことと思うのでありますけれども、その当時の紛争は、結局学生の大量処分、あるいは刑事問題としての起訴、裁判というようなことで、退学になりあるいはそのほかの処分を受けた人が相当おったようであります。しかもまた、大学の教授会でもいろいろ問題になり、結局教授の人たちも、そのうち八人くらいはとうとう大学を去る、こういう結果になって、教育の府、研究の府としての大学に最もふさわしくないあり方をしてきた大学だという印象を私は持っておったのでありますが、それがそういう形で一応終息をした。いわゆる大学紛争としてはおそらくいまの大学紛争のはしりであり、しかもいまの一般的な大学紛争とちょっと変わった、市長をはじめ学長等の方針でむしろ逆にゆがめられたような学校経営であったというようなことから紛争が巻き起こって、それが弾圧をされて、それで一応解決したという形になったものだそうでありますが、今回の新聞の報道にも明らかなように、学生たちがまたこの問題を非常に重視して、第二の新しい大学紛争の目になりつつある。こういうふうに聞いておるわけであります。三潴学長は、かって私たちも東大で教わりました三潴さんという教授がおりましたけれども、おそらくその御子息さんではなかろうかと思うのでありますが、非常に右翼的な考えの持ち主である。西暦という年号を使わずに、あえて紀元という年号を使う。あるいは日本帝国憲法はいまだに生きておるのだ、こういうようなことを学生たちに話をするといったような式の、まことにどうもおそれ入った学長であるようでありますが、これが結局市当局の意向を受けて、いろいろそうした方向での教育をしておるようであります。それが高じて、はしなくも新聞ですっぱ抜かれるようなことがあって、世間の注目を引いたということになっておるようであります。
 ところで、文部省当局といたしましては、かつて紛争があったわけでありますけれども、その当時どういうことで指導、助言し、一応問題が解決するようになったか、この設置基準はどういうふうになっておるのか、こういう点について、まず最初にお聞きいたしたいと思います。
○村山(松)政府委員 高崎経済大学は、御指摘のように高崎市の設立にかかるいわゆる公立大学でございます。設置認可は昭和三十二年でございまして、その後三十九年に学科を増設いたしまして、現在経済学部経済学科、経営学科の二学科を有する入学定員二百名の大学でございます。御指摘の先年の紛争と申しますのは、一つは縁故者の入学をさせたという問題、二つには著しく入学定員をこえて入学を許可して、教育が十分行なわれないという不満、その二点を中心として起こったわけでありますが、種々話し合いの結果、いずれも自粛をする、学生はとにかく勉学にいそしむということで、一応の解決を見たわけでございます。
 現在の状況は、入学定員二百名に対しまして、かなり上回って入学許可をいたしております。現在入学定員二百名でございますので、四年間の定員は八百名になりますが、それに対する学生の現在員は二千五百六名、約三倍の在籍となっております。それから教員数は、教授十四名、助教授十三名、講師四名、計三十一名でございます。大学設置基準の適用関係は入学定員で行ないますので、入学定員二百名に対する設置基準といたしましては、教官三十二名ということになりますので、一名不足、こういう状況でございます。
 今回の問題もございまして、高崎経済大学に実情を問い合わしておりますが、ほぼ新聞に出たような事実があったようでございます。

230凡人:2019/06/27(木) 21:13:11 ID:aa/QkHo60
○畑委員 いまのお答えによっても明らかでありますけれども、そうした事件があって、文部省からの指導もあって、それでようやくにしていま言った設置基準を、しかも八百人のところが二千六百人もいまでもいる、こういう形で設置基準に非常に反している。定員二百名で計算した場合に、専任教師が合計で三十二名おるべきところが三十一名、こういうことで、その定員から計算した教師でも大体一ぱい一ぱいというところで、現在はその三倍も生徒がいるということだから、教師も三分の一しかいないということになると思うのです。こういう環境では、十分な教育も研究もできないと思うのです。設置基準というものがあるのでありますから、一番最初よりもだいぶ緩和――五倍も六倍もあったものがようやく三倍ぐらいになってきたということで、徐々に定員に比べての実際の入学許可の人数も一時よりは減ってはきているけれども、まだまだ三倍も採っている、こういうことになるわけです。こういうことでは、とうてい十分な教育はできないと思うのでありますが、しかもいろいろ新聞の報ずるところによりますると、むしろ私立大学よりも学費が高い、かかりが高い、こういうような話でございます。公立の学校としての本来のあるべき姿とえらい差があると思うのでありまして、これは市当局の方針等からも出ておると思うのです。話によりますと、市長も四選の市長であって、なかなかがんこおやじで、独裁者的な人だそうであります。二瀦学長やあるいは暴力団等もほめておるような、そんな市長だそうでありますけれども、これは非常に問題が多いと思うのです。このままで見過ごしたら、学生がかわいそうだと思うのです。そういう点で、文部省としては、今度の事件も起きたし、そこでいろいろ聞いてみると、大体新聞に報ずるとおりだというふうな御答弁がございましたが、先ほど警察側に聞いた結果は、結局はわからなかったが、新年会に出席をした学長に対して、安保のときはよろしくと言ったというようなことが、言ったか言わないかという点で、新聞でも食い違いが――本人は否定しておるようでありますが、どうもこういう学長では、そういうことでお互いに話をしないとは保証ができない。そういう点で、文部省のほうとして、今後この問題をどうするつもりでおるか、方針などを承りたい。著しく指導、助言をしても聞き入れないという場合には、当然それに対する処置があってしかるべきだと思うのでありますが、その点をひとつ文部省当局では今後どう処置するつもりかという点についてお尋ねをいたしたい。
○村山(松)政府委員 文部省といたしましては、公立大学に相対します関係は、所轄庁といたしまして、基準に適合した教育が行なわれるかどうかにつきまして、必要な指導、助言を行なうわけでございます。その意味におきまして、高崎経済大学の場合には、学生数につきましても一ころよりは減っておるとはいえ、現在でもなお入学定員よりふえておるのが実情でございます。そこで基準を比べますと、教員数につきましては定員一ぱい一ぱいでありますけれども、施設面から見ますると、あの学校は先年新築をいたしまして、基準に対しまして二倍以上の校舎面積を持っております。そこで、将来の問題としては、学生数とそれから学生の定員と校舎と教員数とバランスをとればよろしいわけでございまして、その方角で指導、助言をしてまいりたい、かように思います。
 それから学長の言動等につきましては、これは先ほど照会したところほぼ新聞に出ておったような事実と申し上げましたのは、おっしゃったことの中身まで確認したわけではございませんので、いわば正月にプライベートに会合に出たところ、暴力団関係の者もおった、そこに出ておったことは事実のようだ、こういうことを確かめ得たわけでございます。言動その他を含めまして学長の服務関係は、これは設置者でありますところの高崎市において処置すべき問題でございますので、学長としての逸脱があれば、市当局において善処せられることを期待しておるわけであります。

231凡人:2019/06/27(木) 21:14:45 ID:aa/QkHo60
○畑委員 いま大学も増築を急いでおって、それが完成すると、それだけ建物が倍にもなる。そこで今度は教師をふやすというようなことでやれば、大体設置基準に合うようになるであろう、そういうふうに指導しておる、こういうことであります。しかし、それをやはり急いでやらせなければならぬと思う。そのほかにやはり問題があるのは、教師等について思想選別等を非常にやっておるようであります。学長自身がそういった思想の持ち主であるし、また市長自身がそういった性格の人でもありまするので、やはりそのお気に入りの人でなければだめだというようなことで、いろいろ思想選別等もする。したがって、いい教師が、骨のある教師がだんだん去ってしまう、こういうような傾向だということで、私一部の人にも聞いたのでありますが、将来が非常に心配される、こういうようなことであります。教授会の自治そのものが、一般の大学ではいまいろいろ問題になっております。ところが、この大学では、教授会の自治そのものがあまりないようだ。と同時に、学生たちの自治活動というものが非常に圧殺をされておる。そして何かちょっとあると、すぐ処分の対象になる。一々すべてのことが届け出制でなくて、許可制だ。いろいろ事前検閲の規定があるようでありまして、大学そのものが非常に古い。いまどきちょっとないような形の大学のようでありまして、この点がひとつ大いに心配をされるところであります。そういう点につきましても、直接文部省としてはそういう点までは――いろいろ指導、助言ということになると、また支配介入阻止ということも出てくるでありましょうけれども、そういった問題も、こういう学長のもとにおいてはどうしてもそういうふうになりがちであります。そうすると、結局ゲバ棒にも発展しかねない、無理解な学長あるいは幹部だと、そういったことになるおそれがあるわけでありまして、この点、ひとつどういうふうに指導、助言をするのか、できるのか、その辺を最後にお聞きしたい。
○村山(松)政府委員 大学の教育内容面、あるいは教育内容に関する指導方針等に関しましても、これはまさに大学が自主的に判断して行なうべき中核的な事項であります。もっとも、外面的なワクといたしましては、やはり大学設置基準で大学で最小限度授業すべき科目、単位、それから卒業要件としてどれだけのものを履修すべきかという諸要領、こういうものは定めております。したがいまして、そういう外面的条件を満たすかどうかにつきましては、文部省といたしまして、もし違反しておれば是正すべく指導、助言をいたします。しかし、そのワク内における教育の指導方針等につきましては、大学が自主的に行なうたてまえでございまして、文部省としては明らかに外面的な基準に反しない限りは、これの是正を求めるような意味合いの指導、助言はむずかしゅうございます。ただ、学生の自治活動にいたしましても、あるいは教育の運営面につきましても、いろいろな会議あるいは研究集会、そういう機会もございますので、そういう一般的な機会を通じまして、国が逸脱のないように指導してまいりたい、かように思います。

232凡人:2019/06/27(木) 21:18:48 ID:aa/QkHo60
「高橋一郎という暴力団松葉会の支部長が自分の女に経営させておる「田舎」という料亭があるそうでありますが、その「田舎」という料亭も学長が私的の会合にときどき使っておる事実がある」

○畑委員 支配介入にならない範囲でひとつ指導、助言を強めていただきたいと思います。この学長は、実はいまの新年会での料亭での問題がありましたが、そのほかにも、どうも私の調査によりますると、高橋一郎という暴力団松葉会の支部長が自分の女に経営させておる「田舎」という料亭があるそうでありますが、その「田舎」という料亭も学長が私的の会合にときどき使っておる事実がある、こういうような話も聞いております。事実でなければよろしいのでありますけれども、そういうことを私どものほうで聞いておりますので、そうなると、どうもこの一回の新年会の出席だけではなさそうだ。相当腐れ縁がありそうだ。しかも大学の学長がそういうことでは、私はけしからぬことと思う。いま暴力団狩りを一生懸命法務当局あるいは警察当局等でやっておるさなかでありますが、私、この点非常にショックであったのであります。
 そこで、最後に法務大臣にお尋ねいたします。そういった暴力団関係等についての一般司法行政、司法関係をつかさどっておられる法務大臣は、この問題についてどういう感懐を持っておられるか、最後にお聞きして、私の質問を終わりたいと思います。
○西郷国務大臣 まことに遺憾しごくに存じます。

(終わり)

233凡人:2019/06/27(木) 21:40:40 ID:aa/QkHo60
前代未聞の大学・たかけい学報にみる高崎経済大学のクオリティ?

たかけい学報とは大学側が作る情報誌である。その第100号 創刊50周年記念の最新号をみよ。
https://www.tcue.ac.jp/files/leafpage/leafpage-2-1-1.pdf

その記念号の第一ページには、その創刊号にあった三潴信吾氏の学長就任にあたってと題しての挨拶文、その全文をそのまま載せている。

234凡人:2019/06/27(木) 22:07:41 ID:aa/QkHo60
前代未聞の大学・高崎経済大学
以下の事実は何を語るのだろうか。

第061回国会 法務委員会 第19号
昭和四十四年(1969年)六月六日(金曜日)



『たかけい学報』は、創刊50周年、第100号を迎えることができました。1969年(昭和44年)に『高崎経済大学 学報』として創刊され、これまでの長きに渡り、本学の卒業生、保護者、教職員、地域の皆様、そして在校生など多くの方々にご支援いただきました。云々・・・・・広報室長(地域政策学部教授)櫻井常矢

235凡人:2019/06/27(木) 22:25:45 ID:aa/QkHo60
前代未聞の大学・高崎経済大学とは

八木秀次氏
高崎経済大学専任講師・同大学助教授・同大学教授(2006年)。2014年から麗澤大学教授。(Wiki)

学者とは名ばかりで、全く右翼プロパガンダにすぎない人物(事実を都合よく曲解して、右翼思想をプロモートしている人物)が
専任講師・助教授を経て教授になれてしまう大学である。

236凡人:2019/07/02(火) 09:35:43 ID:aa/QkHo60
前代未聞の大学・高崎経済大学とは?

>>89
89: 凡人 :2017/09/27(水) 07:22:21 ID:R.OzoZ.k0
高経大の学生部長時代に今の高経大応援団の元を築き、高崎経済大学学長となった時に、国会法務委員会で暴力団の幹部との交流が問題にされる。「非常に右翼的な考えの持ち主である。西暦という年号を使わずに、あえて紀元という年号を使う。あるいは日本帝国憲法はいまだに生きておるのだ」。そんな高崎経済大学学長の三潴信吾氏とはどんな人物か?面白い記事をネットで見つけたので紹介する。

三潴信吾「日本憲法論要論」(洋販社,1986年)。
****
この本が旧字で書かれていること、何より本を開いて一番最初の序文を書いているのはなんと「岸信介」というあたりを紹介すれば、普通の人でもわかってもらえるだろうと思う。巻末には「天照大神の天孫降臨の神勅」だの「教育勅語」だのが資料として掲載されている(そのくせ日本国憲法は掲載せず)。Karu356(2015/6/5) https://plus.google.com/108678441385523871015/posts/Smic2KZAy7X
***
三潴信吾氏は、『現行占領憲法』は「憲法」ではないとされ、「有効ならしむべき何等の筋合も無い」と断じているのである。そして、「一日も速やかにわが国家伝統に立脚した憲法を回復しなければならない」と論じてゐる。即ちこの文章は、『現行占領憲法』無効、『大日本帝国憲法』回復を論じているのである。四宮 正貴 2015年4月19日 http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2015/04/post-0254.html

237凡人:2019/07/02(火) 17:09:12 ID:aa/QkHo60
前代未聞の大学・高崎経済大学とは?

高崎経済大学元学長(7期14年間) 石井學 - 広島県出身、名誉教授(銀行論)(明大卒と記憶している-凡人)

言い換えれば、創立以後50年に満たない大学なのに、同一人物が14年間も学長をやっていた大学。

238凡人:2019/07/02(火) 17:31:21 ID:aa/QkHo60
前代未聞の大学・高崎経済大学とは?

この記事はつまり、教授会ですら自治がままならない大学と指摘している。優秀な教授たちは辞める一方、思想選考によって高崎経済大学の職につく教員たちは大学を機能させるには能力的に不適格な人材なのだろう。まるで内部抗争を繰り返して止まないやくざや右翼暴力団組織を彷彿させる。
*****
■ 高崎市長法人化を検討 ■
(2007年5月10日 読売新聞)

 高崎市の松浦幸雄市長は、9日の定例記者会見で、学生の自殺や学長の授業数不足などの問題が起きている市立高崎経済大(木暮至学長)について、「旧態依然とした教授会で運営している。そろそろ、法人化しなければならない」と述べ、地方独立行政法人法に基づく「公立大学法人」への移行を含めた改革を検討する考えを明らかにした。

 松浦市長は、問題の背景に、教授会の閉鎖的な体質や、学長選での内部対立があるとの見方を示した上で、「大学の自治を尊重し、口を挟んでこなかったが、あまりもめるようだと(設置者として)何か言わなければならない」と話した。

 国立大学は2004年に一斉に独立行政法人に移行したが、公立大学を法人化するか否かは設置者である地方公共団体の判断に委ねられている。法人化には、効率性や透明性の向上に効果があるとされる。

239凡人:2019/07/03(水) 11:58:04 ID:aa/QkHo60
前代未聞の大学・高崎経済大学とは?

元高崎経済大学学生・星野文昭さんが亡くなられたことを伝える記事を読んで。

チェゲバラの人生をご存知ですか。彼の手記をもとにして、ハリウッドの映画にもなっています。私はそれで名前は聴いてはいたものの、彼の生い立ちを知りました。それがきっかけとなっていろいら記事を読んでいます。凡人はマルキストではありません。芸術家として自由をこよなく愛するがゆえに、その自由を制限する共産主義は好みません。そもそも反共のアメリカにいるのも、そうしたことが無意識に働いているのでしょうか。余談ですが、論理を無視し、腕力や脅しを武器に日本の街を闊歩している暴力団ややくざはそれより大嫌いです、笑。だけれどもイケメンで医学生のチェゲバラがマルキストに傾倒していった前半の人生は心に響きます。当時、若い彼の心を痛める社会の不合理や貧困の存在、彼の理想、その正義観は人間としてとても共感できます。

星野文昭さんを知ったのは大学入学と同時です。当時彼はすでに獄中で、彼の冤罪要求活動が学内で活発でした。立て看板もありました。不思議にも応援団や体育会がまったく無視するなかで、同じ高崎経済大学学生だったとして無視するなんてできませんでした。同じ元同級生が冤罪で獄中生活を余儀なくされている可能性があるのに、それに関心がないなんておかしいではないでしょうか。

もし彼がこの醜い大学に入学さえしなければ、彼の人生は多分違った物になったであろうと推測します。彼は高校で生徒会長つとめていることから分かると思いますが、多分高経大の名を高める活躍を社会に出てもできる人物と解します。それに比べたら応援団や体育会の連中の出身高校での経歴はなにも特筆するものがないでしょう。なにも高経大の応援団や体育会に偏見があるわけではありません。その実、凡人は中体連の市大会で個人と団体で優勝経験があるほと部活に熱中した人間です。話を戻すが、そんな彼がこの高崎経済大学に入学して、そこで知った高崎経済大学側の横暴の数々。学問の最高学府とか戦後生まれた新制公立大学とは名ばかりです。もしあなたが大学入試を受けて合格証書を受け取り、入学金や授業料を払って入学し、将来に希望をもって、晴れて高崎経済大学の学生になったにも関わらず、当時不正入学が公然と目の前で行われていた事実を知らされたのなら、憤りを感じませんか?星野文昭さんはそんな学生の一人でした。彼はのちに学生自治会の委員長になり、高経大民主化の運動の矛先になって学生をリードするまでになったのです。ドキュメンタリー映画「圧殺の森」にも彼の姿が少ないですが出てきます。
1-4

240凡人:2019/07/03(水) 12:04:44 ID:aa/QkHo60
「高崎経済大学には小川プロのドキュメンタリー映画「圧殺の森」に描かれているように暗い歴史があります。不正入学阻止闘争(1965年4月)や私学化阻止闘争(1965年8月〜9月)、聴講生本科編入問題(1965年末〜1966年初)といった、高崎市・大学当局と学生との衝突、その紛糾の歴史です。その後は安保問題も絡み、全国のいろいろな大学同様に学生運動が激化していきました。そのなかでは、後援会も標的になりました。おそらくはその支出に疑問が持たれたのか、学生たちが入学時における後援会費一括徴収に反対しました。」(https://www.himekuri.net/d38/yanooffice/20059/9.html

そんな彼がいつマルキストの活動家を目指すようになったのかは知りません。ただわかることは、そうした高経大での大学側との闘争を通じて、彼のマルキストへの人生が強固されたのは疑う余地がありません。彼がマルキストの革命家かそうでないかよりも、国家の犯罪/警察・検察側のデッチ上げにより罪なき者が刑を受ける事件は無視できません。いつこの身に起こるかもわかりません。過去にたくさん起こった他の冤罪事件と同様に、冤罪の臭いが強くする刑事犯罪で、高崎経済大学元学生(大学側が除籍)が終身刑で獄中生活を余儀なくされていることには当時としても、とても悲しく思いました。真理や事実が最後に勝つ世の中であってほしいと信じたかったのです。ご冥福をお祈りいたします。
*****
星野文昭さんを追悼する
発行日: 2019年6月27日 第3047号 弾圧との闘い
週刊『前進』02頁(3047号02面02)(2019/06/27)

(写真 文昭さんの出棺を全国から集まった大勢の葬儀参列者が見送り、別れを惜しんだ【6月8日 東京都杉並区・光明院】)
(写真 星野文昭同志の絶筆 「アフガン、山の学校で学ぶ」【2019年5月】)

 星野文昭さんの逝去に際し、全国・全世界から続々と追悼のメッセージが寄せられています。一部を紹介します。(編集局)
2-4

241凡人:2019/07/03(水) 12:07:30 ID:aa/QkHo60
権力の悪暴く闘い進める
 元参議院副議長/弁護士 角田義一さん
 星野文昭氏の訃報(ふほう)に接し、深い悲しみと非道な国家権力に対し、強い憤りを覚えます。同君の信念を貫いて、闘い抜いた生きざまに、あらためて強い感動と心からなる敬意を表します。
 暁子夫人には、お慰めの言葉もございません。ともに闘った夫婦愛に、あらためて深い感銘を受けております。
 同君のご冥福を心からお祈り申しあげると同時に、星野君を支えていただいた同志と語らい、星野君の遺志を引き継ぐと同時に、国家権力の悪を暴く闘いをともに進めたいと思います。

団結して戦線を拡大する
 元参議院法務委員会筆頭理事 小森龍邦さん
 謹んで星野文昭さんの死を悼み、日本の平和と人権のことについてあらためて決意を固めました。
 安倍自民党政権の検察権力の横暴を糾弾しなければなりません。
 星野文昭さんの闘われた沖縄の問題は、「核抜き本土並み」と言った自民党政権の欺瞞(ぎまん)を暴露し、アジア、世界の平和のための動きでありました。文昭さんは、暁子さんの愛を胸に抱き、われわれが闘いを継続し、成功に導くことを信じて旅立ちました。
 文昭さんの思想は、生きてますます日本国民の間に広がることと思います。文昭さんの霊前に、われわれは団結して戦線を拡大し、必ず勝利の道を切りひらいていくことをお誓いします。
 どうぞ安らかにお眠りください。
 文昭さん、それではさよなら、敬意を込めて合掌します。
3-4

242凡人:2019/07/03(水) 12:10:21 ID:aa/QkHo60
戦って君の無罪かちとる
 高崎経済大学OB 秋葉秀雄さん
 5月30日の夜、ベランダにおり、「神がいるなら神に祈ろう、仏がいるなら仏に拝もう」と夜空をあおぎ星野文昭君の回復を願った。しかし23時13分に君が死んだとメールが入る。
 君とは大学時代は短い時間であったがスポーツをして楽しんだ。46年間、音信不通であったが3年前、仙台市の絵画展で「姿なき再会」となった。君は獄中に41年間いたんだね。
 君は学生運動家から獄中でマルキストとなり革命家となった。君はすごい人間だよ。獄中で暁子さんと恋をして夫婦となった。誰にも負けない素晴らしい夫婦だと思う。
 私は暁子さんや星野修三さんや星野誉夫さん、そして君を支援する多くの仲間と一緒になってこれからも戦うよ。
 君はそちらの彼岸で待っててくれ。私は君の無罪を勝ち取ってから行くから。

あなたの生き方引き継ぐ
 杉並区議会議員 洞口朋子さん
 星野文昭さんの容体が急変した日の夜、東京は雨だった。全国の仲間が文昭さんのことを想い、祈りながら過ごしていたと思う。
 文昭さんが亡くなった日の夜は、悲しみと悔しさとともに国家権力への怒りがこみあげて眠れなかった。
 翌日、杉並区議会の一般質問で星野さんの再審闘争について訴えた。星野さんが獄死したこと、44年間無実を訴え闘い続けたこと、法務省・徳島刑務所・四国地方更生保護委員会によるがん隠し、命を軽んじる非人間的な対応は断じて許せない、暁子さんとともに再審闘争を闘っていくと訴えた。とても緊張したけれど、「文昭さんに届くように」と思いながら発言した。その模様は杉並区議会のホームページで生中継され、傍聴に来れない多くの区民が見ていたそうだ。  6月1日、文昭さんのご遺体に会いに行った。文昭さんはとても穏やかで清らかな顔をしていた。暁子さんは「文昭よくがんばったよね。44年だよ」と微笑んでいた。棺(ひつぎ)越しだが、2人が並んだ姿を見て、涙が止まらなかった。
 文昭さんが貫いた生き方、生きられなかった未来を私たちが引き継ごう。暁子さんとともに、全国・全世界の仲間とともに、再審無罪をかちとろう。文昭さんが目指した「基地のない沖縄」「搾取や抑圧のない社会」「人間が人間らしく生きられる社会」を実現しよう。文昭さんはずっと私たちの中に生き続けます。
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星野文昭さんの命を奪った法務省・国家権力弾劾
7・5法務省包囲デモ
 7月5日(金)
 正午 日比谷公園霞門集合
 午後0時30分 デモ出発

7・6全国再審連絡会議総会
 7月6日(土) 午前10時〜午後4時
 すみだ生涯学習センター・ドーム(墨田区東向島2―38―7)

7・26星野文昭さん追悼、獄死・国家犯罪を許すな全国集会
 7月26日(金) 午後6時
 杉並公会堂(杉並区上荻1丁目23―15)
 ○主催/星野さんをとり戻そう!全国再審連絡会議

http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2019/06/f30470202.html
4-4

243凡人:2019/07/09(火) 09:59:31 ID:aa/QkHo60
前代未聞の大学・高崎経済大学とは?

分かりやすいように、他大学と比較していままでの話を中間的にまとめてみた。これを起稿したのはサンタモニカで、プリンストン大学の現役女子学生とたまたま出会い、話した数日後です。それに刺激を受けて両大学を比較してみた。高経大はよい大学と全く対照的なので面白い。

プリンストン大学/カリフォルニア工科大学(カルテック)VS 高経大との違い
世界ランクでトップ10大学 VS 良くて日本における限りなく底辺大学/悪くて短大・高校レベル・滑り止め大学。

アルバート・アインシュタイン崇拝 ノーベル賞受賞者、その他。頭脳の巨人  VS 三潴信吾崇拝。「天照大神の天孫降臨の神勅」「教育勅語」が日本国憲法より大切。

真理尊重(勉強好き、毎年多数が卒業後進学) VS 虚偽/カルト信仰(勉強嫌い、大学院に進学するのはたった数人)。
将来ビジョン VS 過去の遺物崇拝、将来見えず。
人権擁護 VS 人権の大切さが見えない。

立憲デモクラシー擁護 VS 廃棄された大日本帝国憲法崇拝/現行日本国憲法無視・改憲運動
世界の知識人/文化人が支持 VS 日本のやくざ・暴力団が支持
人類の進歩を目指す VS 天皇・血統・応援団崇拝・特権による私利私欲が根底(三潴信吾は天皇に進講した筧克彦の娘婿)に見え隠れする。

1-2

244凡人:2019/07/09(火) 10:18:26 ID:aa/QkHo60
数日前に仕事で、プリンストン大学の女子学生と話す機会があった。名前は忘れてしまったが、アメリカ生まれ育ち、生粋のアメリカ人。多分ユダヤ系ではないかと思う。UCLAの女子学生でもそうだが、ユダヤ系の学生は凡人の話にも気軽に耳を傾ける好奇心を持ち、勉強や学問への情熱や熱心さが凡人に伝わってくる。彼女もそんな面を見せたからだ。これはただの凡人の偏見であろう。物理学専攻である。彼女は大学の夏休みを利用してパサデナにあるカルテック大学の夏プログラムに参加して興味ある宇宙、特に火星への勉強を今しているとのこと。参加するため東海岸から来ていた。カルテックは、同じくパサデナにあるNASAの有名なJPL(ジェット・プロパルション・ラブ)に深くかかわっている。そことの連携プログラムであろう。いまカルテック大学寮に住んでいる。プリンストン大学はニュージャージー州ですねと念を押したら驚いた様子で、ほとんどの人は知らないらしい。夏休みを利用してのプログラムが終わったら、プリンストン大学に戻ると言っていた。このカルテック大学とプリンストン大学はアインシュタインと関係が深い。ドイツのナチスから逃れ、カルテックは夏を過ごした場所である。凡人が話をしたフレンチ・カナディアンのカルテックの院生から聞いたところによると、カルテックはアインシュタインに職を与えなたっかために、プリンストン大に移ったと話してくれた。そのことはカルテック大学にとっての最大の後悔らしい。このプリンストン大生にとってはそうした経緯は初耳らしい。彼女の話によると、プリンストン大学にはアインシュタインの手によるE = mc2の黒板書きがそのまま保存されているそうである。プリンストン大学にあるアインシュタイン専用の教員用事務室は病院に運ばれて以来そのまんまの状態で保存されているのは記事で、写真とともに知っている。

<<参考>>
https://jamesclear.com/albert-einstein-desk

タイムズ世界大学ランキング2019 - TOP10校
THE世界大学ランキングTOP100【2019】
https://hotnews8.net/society/THE-world-university-rankings2019
1 オックスフォード大学 UK
2 ケンブリッジ大学 UK
3 スタンフォード大学 USA
4 マサチューセッツ工科大学(MIT) USA
*5 カリフォルニア工科大学 USA
6 ハーバード大学 USA
*7 プリンストン大学 USA
8 イェール大学 USA
9 インペリアル・カレッジ・ロンドン UK
10 シカゴ大学 USA

245凡人:2019/07/11(木) 12:16:12 ID:aa/QkHo60
前代未聞の大学・高崎経済大学とは?

高崎経済大学の学生はまさしく、安倍晋三氏や三潴信吾氏が日本の若者たちに求める理想的日本人像の鏡である。大笑

「日本という国は、特権階級が楽しく幸せに暮らせるように凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立ってる。特権階級の人たちがあなたたちに何を望んでるか知ってる?
 https://twitter.com/LoudminorityJP/status/1148581535827681280

246凡人:2019/07/13(土) 12:48:38 ID:aa/QkHo60
生長の家と高崎経済大学の関係?

憲法学者・三潴信吾先生への追悼文を書かせて頂きました。
三潴信吾先生をお偲びして

四宮政治文化研究所代表 四宮正貴

三潴信吾先生のご高名は『生長の家』の機関誌などで高校時代から存じ上げてをりました。また、その後、色々な會合で先生のお姿を拝し、お話をうかがふ機會もございましたが、親しくご指導を頂けるやうになりましたのは、『薫風會』の會合に小生が出席させて頂くやうになってからでございます。そして『憲法懇話會』へのお誘ひを頂き、憲法論・國體論などについてご指導を頂き、ご講義を拝聴するやうになりました。
先生の國體論・憲法論には汲めども尽きぬ深いものがございました。先生が常に「本立ちて道生ず」と仰ってをられました通り、現代日本の混迷の根本原因を正す為には、日本國體の真の姿を回復する以外に道はありません。今こそ、正しき國體論・憲法論によって國家を救済しなければならない時なのであります。その意味で、三潴信吾先生のご逝去は文字通り國家的損失であります。
 最後にお目にかかったのは、昨年十一月二十九日に神田學士會館で行はれた『憲法懇話會』でございました。終了後、學士會館の玄関前でタクシーに乗られる先生をお見送りしたのが、先生のお姿を拝する最後となりました。
 三潴先生は、今年一月六日に逝去されたと承ってをります。昨年十二月の末かあるひは今年の一月になってからか、記憶が定かではないのですが、三潴先生よりお電話を頂きました。ご用件は、一月十七日に横浜で行はれる予定になってゐた『わが師 谷口雅春先生を語る講演シリーズ』といふ會合での小生の講演を聞きに行きたい、といふことでございました。まことに有難いお言葉でございました。このお電話が先生との永久のお別れとなりました。このお電話のことは、一生忘れることはできないでせう。
 三潴先生は、小生のやうな若輩者に対して『先生』といふ敬称を付けてお呼び下さり、また、小生が発表した文章などに対して常にお褒めの言葉を頂きました。それはまさに身に余る光栄でありました。三潴先生のご期待どれだけお応へすることが出来たかと思ふと申し訳ない気持で一杯です。
 三潴先生の御冥福を祈らせて頂きますと共に、今後とも天界から小生をお導き下さいますやう心からお願い申上げる次第でございます。

愛國の憲法論を説きつづけ命燃え尽きし大人の面影
上野山夕暮れ時にのぼり来てみはふりの庭に立つが悲しき

247凡人:2019/07/13(土) 13:11:02 ID:aa/QkHo60
日本会議の前身団体のひとつ
「日本を守る国民会議」と高崎経済大学の関係?

「日本を守る国民会議」の呼びかけ人、発起人一覧。
http://poligion.wpblog.jp/archives/3879

日本会議の前身団体のひとつ「日本を守る国民会議」の呼びかけ人・発起人の名簿。『「政治」の風景』(すずさわ書店)より。これによると取材・執筆を担当した朝日新聞東京本社社会部が、国民会議の昭和56年10月当時の(国民会議の発足は昭和56年10月27日)の資料から作成したとのこと。

発起人の欄に名を連ねている。
三潴信吾信吾(高崎経済大学教授)

248凡人:2019/07/13(土) 16:29:55 ID:aa/QkHo60
教育勅語とは?

高崎経済大学の現体制を作り、完成させた人物、生長の家や日本会議と深い関係があった故三潴信吾高崎経済大学元学長の愛して止まない教育勅語とは何かを探ってみました。

高橋源一郎氏による口語現代訳(かなり砕けた日本語表現になっているが、言葉の意を深く汲んで原文にかなり近い。他の訳文では国民を形容する「天皇家の臣下」という言葉が意図的に削除されている。)

「はい、天皇です。よろしく。ぼくがふだん考えていることをいまから言うのでしっかり聞いてください。もともとこの国は、ぼくたち天皇家の祖先が作ったものなんです。知ってました? とにかく、ぼくたちの祖先は代々、みんな実に立派で素晴らしい徳の持ち主ばかりでしたね

きみたち国民は、いま、そのパーフェクトに素晴らしいぼくたち天皇家の臣下であるわけです。そこのところを忘れてはいけませんよ。その上で言いますけど、きみたち国民は、長い間、臣下としては主君に忠誠を尽くし、子どもとしては親に孝行をしてきたわけです

その点に関しては、一人の例外もなくね。その歴史こそ、この国の根本であり、素晴らしいところなんですよ。そういうわけですから、教育の原理もそこに置かなきゃなりません。きみたち天皇家の臣下である国民は、それを前提にした上で、父母を敬い、兄弟は仲良くし、夫婦は喧嘩しないこと

そして、友だちは信じ合い、何をするにも慎み深く、博愛精神を持ち、勉強し、仕事のやり方を習い、そのことによって智能をさらに上の段階に押し上げ、徳と才能をさらに立派なものにし、なにより、公共の利益と社会の為になることを第一に考えるような人間にならなくちゃなりません

もちろんのことだけれど、ぼくが制定した憲法を大切にして、法律をやぶるようなことは絶対しちゃいけません。よろしいですか。さて、その上で、いったん何かが起こったら、いや、はっきりいうと、戦争が起こったりしたら、勇気を持ち、公のために奉仕してください

というか、永遠に続くぼくたち天皇家を護るために戦争に行ってください。それが正義であり「人としての正しい道」なんです。そのことは、きみたちが、ただ単にぼくの忠実な臣下であることを証明するだけでなく、きみたちの祖先が同じように忠誠を誓っていたことを讃えることにもなるんです

いままで述べたことはどれも、ぼくたち天皇家の偉大な祖先が残してくれた素晴らしい教訓であり、その子孫であるぼくも臣下であるきみたち国民も、共に守っていかなければならないことであり、あらゆる時代を通じ、世界中どこに行っても通用する、絶対に間違いの無い「真理」なんです

そういうわけで、ぼくも、きみたち天皇家の臣下である国民も、そのことを決して忘れず、みんな心を一つにして、そのことを実践していこうじゃありませんか。以上! 明治二十三年十月三十日 天皇」

訳者後記
たとえば、「朕惟フ」と言うと、ふつう「私は思う」と訳す。もちろん間違っていない。でも、なんか違う。「朕」を使えるのは、天皇ただひとり。同時代で、「朕惟フ」を読んだ人は、「私は思う」とは受けとらなかったんじゃないかな。正確だけれど「正しくない」訳、そんな気がする。

以上ソースhttps://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/what-is-mizuhonokuni20
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249凡人:2019/07/13(土) 16:33:02 ID:aa/QkHo60
「教育勅語は、正式には教育ニ関スル勅語といいます。明治天皇の命により、井上毅(いのうえこわし)と元田永孚(もとだながざね)が文章の起案に当りました。起案者の中心となった井上毅は、フランスに留学した経験から、教育勅語が思想や宗教の自由を侵さないようにすることを重視したと伝えられています。当時の大日本帝国憲法(明治憲法)では「凡(すべ)テ法律勅令其ノ他国務ニ関ル詔勅(しょうちょく)ハ国務大臣ノ副署(ふくしょ)ヲ要ス」と定められていましたが、教育勅語は明治天皇ご自身が国民に親しく語られるお言葉であり、国務に関する詔勅に該当しないものとして、国務大臣の副署を付けない勅語として発布されました。

教育勅語は、明治23年(1890年)10月30日に発布されて以来、学校などで50年以上の間、四大節(しだいせつ)の式典に朗読されてきました。また、各学年の修身(しゅうしん)の教科書の最初のページに掲載されていました。

昭和20年(1945年)8月の敗戦後、日本を占領した連合国軍の最高司令官総司令部(GHQ)は、教育勅語の朗読と神聖的な取りあつかいを禁止しました。ついで占領下の日本の国会では、昭和23年(1948年)6月19日に衆議院が「教育勅語等排除に関する決議」を、参議院が「教育勅語等の失効確認に関する決議」を決議し、それに代わるものとして、教育基本法が制定されました。」

教育基本法の第二条には、次のように日本での教育の目標がうたわれています。
第二条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

一 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。
二 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。
三 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。
四 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。
五 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

 <ことば豆辞典> その二
【井上 毅】 1844〜1895。熊本藩士。明治政府の司法省に出仕。フランスに留学。国学にも通じ、伊藤博文と共に大日本帝国憲法や皇室典範、教育勅語の起草に参加し、のちに文部大臣となる。
【元田永孚】 1818〜1891。熊本藩士。儒学者。明治政府の宮内省に出仕。宮中顧問官となり、教育勅語の起草に参加。
【詔 勅】 天皇が意思を表示する文書。詔書(しょうしょ)と勅書(ちょくしょ)と勅語がある。

【副 署】 明治憲法下で、天皇の文書的行為の場合、それを助ける任にある者が天皇の名に添えて行う署名。
【四大節】 1945年まで行なわれた四つの祝日。四方拝(しほうはい・一月一日)・紀元節(きげんせつ・今の建国記念の日)・天長節(てんちょうせつ・今の天皇誕生日)・明治節(めいじせつ・明治天皇の誕生日、今の文化の日)。
【修 身】 道徳を実行し徳性をみがくことを目的にした旧制の学校の教科目。第2次大戦後廃止。

ソースhttp://chusan.info/kobore8/4132chokugo.htm
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250凡人:2019/07/13(土) 16:57:15 ID:aa/QkHo60
日本人の鏡であり、しかも学生たちの代表である高崎経済大学直属応援団員のお言葉を拝聴しましょう。これはたかけい学報に載ってあるものをそのまま転載(もちろん無許可)。応援団になった理由は就職がいいからと書いています。正直でよろしい。今までに学ランを着た女子応援団員は皆無。先例がない上に、雇用や賃金で男女不平等の現状なんかは知らなくても、またそれに悩まなくて良いのです。教育勅語にとてもかなっていて、とてもよくできた文章になっています。高経大の先生から2重丸や花丸がもらえることでしょう。まあ冗談はさて置き、良いところに就職できることを祈ります。凡人は女子に甘いです。笑

平井 聖奈 さん 応援団
経営学科 2年生

応援団女子になった2つの理由
 理由は2つあります。1つ目は、今までに女性団員がいないという話を聞いて「パイオニアになりたい」と思ったからです。2つ目は、卒団された先輩方から「就活で役に立つ」と聞いたからです。入団時の私は、目立つことと就活に使えることだけを考えていたようです。応援団そのものに興味はなかったのです。

初めての夏合宿の想い出
 私は中学、高校で吹奏楽部に入っていて、夏はクーラーをつけながら、冬は暖房をつけながら練習をしていました。しかし、応援団の夏合宿は砂浜で朝から夕方まで練習します。汗が止まらない、日焼けをする、筋肉痛がひどすぎる。頭の中には「帰りたい」の4文字が居座っていました。ですが、同期や先輩が自分を励ましてくださったので何とか合宿を乗り切ることができました。ちょうどその頃、やればできるということを学びました。
 また、体が高校生の時と比べてムキムキになりました。久しぶりに私を見た母が「背中がデカい!!」と驚いたのを今でも覚えています。

メッセージ
 団員全員が最初から応援団に興味があったわけではありません。先述したように、自分は無関心の状態で入団した人間です。それでも活動を続けるうちに一生懸命になっていくのを感じています。辛い、辞めたいと感じることは何百回、何千回とあります。しかし、それを乗り越えるたびに自分が精神的、体力的に強くなっていくのがわかります。得るものは大きいです。応援団員としての大学生活もいいと思いますよ(注)。

251凡人:2019/07/13(土) 18:16:19 ID:aa/QkHo60
改憲の役者たち―古い新聞記事。歴史の記録として転載。
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自民党が改憲「集い」計画
「つくる会」会長がパネリスト
2005年7月5日(火)「しんぶん赤旗」

 自民党新憲法起草委員会(委員長・森喜朗前首相)は、七日に改憲要綱を発表したあと全国十カ所で「新憲法――国民の声を聞く集い」を計画しています。

 その一回目のパネリストに、侵略戦争を美化する歴史教科書を作成した「新しい歴史教科書をつくる会」の八木秀次会長(高崎経済大学助教授)を招いていることが同党のホームページで明らかになりました。

 「集い」は、自民党が「新憲法制定に向けた立党50年記念事業」と位置付けているもの。第一回は十五日に札幌市で開催されますが、記念講演(中曽根康弘元首相)につづく、パネルディスカッションに、八木氏や与謝野馨政調会長、舛添要一参院議員、評論家の上坂冬子氏らを登場させる予定です。

 六月の日韓首脳会談では、韓国の盧武鉉大統領が歴史教科書問題で、「自民党の中心勢力が(つくる会が作成した)扶桑社教科書の採択を支援しているのではないかとの報道もあり、深い関心を持って見ている」と発言しました。

 「つくる会」会長を招いてのパネルディスカッションは、盧大統領の懸念を裏付けるとともに、改憲勢力と侵略戦争美化勢力が一体であることを改めて示すものです。

252凡人:2019/07/13(土) 20:16:09 ID:aa/QkHo60
改憲の役者たち
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中曽根康弘元総理大臣と高崎経済大学との関係は?

1.2017、2016年に中曽根康弘元首相が塾長を務める公益財団法人青雲塾の恒例の第8と9回(少なくとも確認が取れたものだけで2回)の青雲塾・中曽根康弘賞論文選考委員長に石川弘道・高崎経済大名誉教授がなっている。
2.2007年に高崎経済大学50周年記念式典に登山家の田部井淳子氏とともに講演。中曽根氏は、「若き君たちへ、日本と世界を語る」と題し、中国との友好、協力関係の必要性や外交の重要性を語り、田部井氏は、「世界の山々をめざして」と題し、自らが登った山々などの話を基に体験することの素晴らしさを語りました。
3.1998年に高崎経済大学で行った高崎経済大学地域政策学会主催の講演と質疑応答。当時の大学長(7期14年間)は石井學(銀行論)

 第3回 平成10年度学術文化講演会
  日 時 平成10年12月14日(月)午後 2時30分〜 4時
  場 所 高崎経済大学2号館221番教室
  講 師 (財)世界平和研究所会長・元内閣総理大臣 中曽根康弘氏
  演 題 20世紀の点検と21世紀への展望
http://www1.tcue.ac.jp/home1/c-gakkai/kikanshi/ronbun2-1/nakasone.pdf

学生
2点目は、先生は、常々改憲についてお話されていると思うのですけれども、現行憲法のどのような点が今の時代にそぐわないのか、改憲するとするならば、どのような点について改正していくのがベターなのかというところ、先生のお考えをお聞かせいただければ幸いだと存じますが、よろしくお願いいたします。

中曽根
憲法の問題については、日本国憲法はマッカーサーが英語で持ってきたものを、日本語訳したものであるため日本語としても無理があり、また憲法で主権在民と謳われているにもかかわらず、マッカーサーから与えられた憲法をそのまま頂いているというのは主権在民ではない。主権在民の国民であるならば、独立したらマッカーサーの憲法をもう1回再点検して、良いところは残し、悪いところは直す。これが民主主義であり、主権在民である。「そのスタートラインに立とうではないか」そういうことで次の春の議会で、国会に憲法問題の調査の常任委員会を多分つくることになると思います。そこでどういう議論が出るか、どこを改正したらいいか、どこを守ったらいいか、そういう議論を国民の前で公開して皆に聞いてもらい、そして国民の判断を求める。そういったことを10年ぐらいかけて行うべきだと思っています。私としては前から首相公選を唱えています。それは県市町村の長は直接投票で選ばれるのですから、総理大臣も間接投票でなく国民投票で選ぶように変えたら良いと考えています。

学生
教育改革はどこが中心ですか。

中曽根
教育基本法の改正について私は賛成であり、先程申し上げたように、先生や親に自信がない、その原因は教育基本法にあります。これは昭和22年、大東亜戦争が終わり日本がアメリカの支配下にあるときにつくられたので、あの教育基本法を見ると、日本をある程度弱くしようという意図はなかったにしても、書いてあることは、民主主義とか、自由主義とか、平和主義とかということであって、民族の伝統とか、家庭とか、歴史とか、そういうものはほとんどない。また国家というものをどう考えるかという、そういう定義もないのです。この基本法はマッカーサーがそういう時に作ったものだから、韓国に持っていっても適用できるし、ブラジルへ持っていっても適用でき
る、蒸留水みたいな基本法なのです。日本人の基本法は、日本の味がした、日本の水の味がするものでなければ駄目です。そういう基本法をこれからいよいよ直す時がきたと思っています。だいたい日教組は教育基本法に日本の伝統や歴史が書いてないから、「君が代」も歌わなかったし、国旗も揚げなかった。しかし日本に生まれた以上、また世界に日本が立っていく以上は、オリンピックでも見たように、日の丸が揚がれば、みんな手を叩くし、涙ぐむのです。そういう自然的共同体というものを大事にする憲法や基本法もなければいけないと思っています。教育基本法はその基本になるものであります。

253凡人:2019/07/13(土) 20:59:13 ID:aa/QkHo60
改憲の役者たち
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中曽根康弘氏と生長の家やその他の関係?
http://poligion.wpblog.jp/archives/5147

自主憲法制定国民会議(略称、自主憲、1969年結成)の設立には生長の家の他、統一教会(国際勝共連合)や佛所護念会会の宗教団体も加わり、初代会長は岸信介、現会長は中曽根康弘。(2017年現在)/現在2019年は清原淳平氏が会長。

(1975年)5月3日の集会で配られた資料の中に、自主憲法制定国民会議の参加団体の名前が列挙されております。78団体だそうです。この中には国際勝共連合とか全貌社などというような、だれが見ても右翼団体と見られるものがたくさんあります。右翼事典の中に名前を連ねている団体が約三分の一です。

衆議院会議録情報 第075回国会 法務委員会 第19号(昭和50年5月14日)1975年
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/075/0080/07505140080019a.html

岸信介と生長の家と自主憲法制定国民会議と日本会議との関係?

「改憲運動を、岸が提唱したような現行憲法に手を加えることを目指す流れと、谷口(雅春ー生長の家)が唱えた現行憲法(占領憲法)を破棄し、明治憲法復元を目指す流れに大別した場合、前者を推し進める最大の運動体が自主憲法制定国民会議で、後者は日本会議ということになるだろう。」

254凡人:2019/07/13(土) 21:07:08 ID:aa/QkHo60
中曽根康弘元首相と従軍慰安婦問題
2018年8月の記事。
http://rapt-neo.com/?p=28575

朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。

「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
 
大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。

何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。

中曽根元首相は自分の”手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」

まず、”手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。

タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。

「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」

おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。

ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。

だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の”手記”のほうがデタラメということになってしまう。

だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 

国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。

資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。

第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。

同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
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255凡人:2019/07/13(土) 21:08:30 ID:aa/QkHo60
本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。

宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。

すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。

「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる

主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」

さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。

それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日〜同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。

バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。

そして2つの地図を見比べてみると、”ある変化”があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。

つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。 

もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。

しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。

実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。

そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。

つまり、中曽根首相がこうした”強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。

朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。

しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。

一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。

----------------(転載ここまで)

このように、「中曽根康弘」は戦時中に「慰安婦」を集めて「慰安所」を作り、それを自慢げに記録に残したりするような人物なのです。
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256凡人:2019/07/13(土) 22:29:11 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学の母体である高崎市出身の元総理たち・中曽根康弘氏と故福田赳夫氏と生長の家との関係は?
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<本澤二郎の「日本の風景」(2324)
日本会議と谷口雅春・生長の家教団
2016年4月14日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52135475.html

<神道を軸にした宗教政治イデオロギー>
 安倍内閣を背後で操る日本会議は、どうやら新興宗教・生長の家教団が神社本庁と深く連携・関与して立ち上げた政治組織であることが分かってきた。生長の家という新興宗教は、むろんのこと一般人はわからない。早大中退の谷口雅春が創始者。彼は皇室の宗教である神社神道を軸に宗教政治イデオロギーを打ち立てたとされる。そうして、右翼勢力に食い込んだ。一時は自民党右翼グループと連携して、政治の分野に深く食い込んだが、現在は、一歩距離を置いた、と報じられている。人脈をたどると、中曽根康弘と谷口、谷口門下の玉置和郎・村上正邦と中曽根の深い関係を見てとれる。

<反共・反憲法の岸信介人脈>
 戦後の右翼政治の系譜は、東條内閣の商工大臣で敗戦時、A級戦犯となった岸信介と、もう一つが海軍主計中尉の中曽根康弘である。両者の間に、戦後右翼暴力団のドンといわれた児玉誉士夫が君臨してきた。児玉と同様の笹川良一は、岸人脈に接触して、その後継者と安倍はゴルフ仲間ともなっている。中国にも羽を伸ばしている。
 日本右翼の共通点は、靖国信仰・国家神道復活・改憲軍拡に特段の関心を抱いていることだが、これは神社神道を正当化(国家神道復活)するための行き着く先でもある。日本国憲法が否定する天皇制国家主義である。
 ちなみに、岸人脈は福田赳夫・安倍晋太郎・石原慎太郎・森喜朗・小泉純一郎・平沼赳夫・安倍晋三らで、森の「日本は天皇中心の神の国」という時代錯誤の宗教イデオギー論者で知られる。
 現在は、日本会議の誕生によって、岸と中曽根の二つの右翼勢力が一体化したことになる。ここが深刻な日本政治を現出させている元凶である。その政治思想は、神道信仰と谷口信仰の合体で、カルト・神がかりに特徴がある。

<「人間は神の子」と谷口イデオロギー>
 キリスト教徒なら「人間は神の子」といっても不思議はないだろうが、多くの日本人にとって「日本人は神の子」といわれてもピンとこない。むしろ不気味に映るだろうが、これこそが谷口宗教なのだ。
 神は、天皇のことであろう。「天皇は神」、「国民は神の子」は、まさに戦前の天皇制国家主義の祭政一致の政治体制を意味する。生長の家の教義は、神道を礼賛することにあるらしい。

<皇国史観>
 「天皇中心の神の国」という明治の天皇主義の観念が、谷口の皇国史観を現出することになるのであろうか。神がかりの歴史認識は、近代合理主義を前提とした客観的な史実とかみ合うことはない。
 アジア諸国との歴史認識の大きすぎる落差は、この皇国史観に発する。靖国神社の歴史館は、これに従っているといって、リベラル派の加藤紘一(元自民党幹事長)らが強く反発、指摘している。
 皇国史観を受け入れる国は、目下存在しないだろう。谷口教は、国粋主義に立った主張なのだ。

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257凡人:2019/07/13(土) 22:30:50 ID:aa/QkHo60
<「日本国憲法は日本弱体化のため」と決めつける>
 すなわち、天皇中心の神の国を否定した日本国憲法を、谷口は「日本弱体化のため」と決めつける。自民党右翼議員の認識でもある。
 生長の家が自民党右翼と連携・一体化する理由なのだ。戦後体制の破壊が、谷口イデオロギーにほかならない。

<「戦前の大日本帝国憲法に復元せよ」と叫ぶ>
 「戦前の大日本帝国憲法に復元せよ」と叫ぶ谷口の訴えに共鳴する政治グループが、今の安倍・日本会議の本音に相違ない。平和憲法を敵視する日本会議の立場ということになろうか。
 さすがに、戦後体制を正当化しているワシントンなど欧米諸国や侵略された隣国の反発を想定して、日本会議の面々は言葉を濁しているが、その正体はこの谷口イデオロギー?で露呈している。

<玉置和郎の宗教政治研究会>
 この谷口の熱心な信者が玉置和郎だった。彼は右翼系の教団の票をちらつかせて、議員の取り込みに躍起となった。
 筆者の現役時代には、なんどか国会裏手の1億円マンション内の広い玉置事務所をのぞいたものだ。元秘書の話では、事務所内の金庫には、数十万円や数百万円の札束が、いくつも積んであった。「株にも手を出して資金を集めていた」という。
 右翼の宗教票と金を武器にして、彼はとうとう大臣ポストをつかんだ。中曽根内閣である。中曽根と谷口の仲を利用したと見られた。

<村上正邦が日本会議の黒幕?>
 玉置の秘書からのし上がった政治屋が、村上正邦である。彼も谷口と中曽根の関係を利用して、ついには「参院のドン」と言われるような実力をつけた。しかし、自身の腐敗の発覚で検察に逮捕、有罪判決を受けたが、出獄するや、最近の情報では彼が力づくで「日本会議」を発足させたようだ。
 村上の配下の者が安倍ブレーンとの声も聞く。村上事務所は、玉置が活躍した1億円マンションにある。事務所内に谷口の色紙を掛けている、との報道もあった。

<中曽根康弘の陰謀>
 平和憲法破壊に執念をたぎらせた岸と中曽根である。
 二つの右翼人脈を「日本会議」で、1本に束ねた中曽根と彼の広報官のような読売のナベツネの二人三脚の実績なのか。
 両者の強みは、1%・財閥を糾合した点にある。さらに言うと、集票マシーンで知られる創価学会をからめとったことだ。改憲3分の2議席確保へとまっしぐらだ。
 既にNHKも抑え込んだ。日本国内に敵なしの布陣に驚くばかりだ。まさに、それゆえに、日本共産党が清水の舞台を飛び降りたのだろう。民主と維新は、合体して民進党を誕生させた。小沢の生活・吉田の社民も、必死となって野党統一に政治生命をかけている。
 「戦争か平和か」の戦いを目前にして、安倍内閣は日本社会をハチャメチャにするTPP先送りを決める。それを読売が公表した。10%消費税も凍結するはずだ。
 改憲・戦争勢力と、リベラル・平和勢力の戦いの序盤戦が、北海道5区の衆院補欠選挙(24日)だ。結果いかんで、日本会議・中曽根の陰謀の行方が決まることになる。
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258凡人:2019/07/13(土) 23:41:00 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学の教壇に立ち憲法学を教え、専任講師・同大学助教授・同大学教授(2006年)と順調に昇進、2014年から麗澤大学教授になられた八木秀次氏に再登場して頂きましょう。大学直属の顧問も務めた御方です。テレビ等に出演され、高崎経済大学の名を笑いの渦で有名にされた方です。高崎経済大学には早稲田大出身の方が大勢おられますが、彼らを代表した超一流の学者様でございますので、謹んで御教授を承りたいと存じます。
*****
八木秀次氏の憲法観
http://www.moo-azumino.com/main/Diary/2013.1/yagi.html

第2次安倍内閣発足後につくられた「教育再生実行会議」の委員の一人に八木秀次という方がいらっしゃいます。この方をお迎えするなど、いかにも安部総理らしい。敬服の至りです。その立場はご自身でも「保守主義」と言っていらっしゃるのですが、私には、チョー右翼御用学者としかいいようのないお方に思えます。事実右翼的論壇ではしょっちゅうお顔をお見せになる「若手」学者さんです。

最近、PHP選書の一冊である「明治憲法の思想」というのを読ませていただきました。読みつつ、果たしてこのお方は大学(高崎経済大学)でどんな憲法論を講義なさっているのか心配になってきました。このお方は、「(現行憲法が)マルクス主義思想と社会契約論を基軸としているとして、日本国憲法のあり方を批判している」(Wikipedia)というのですから、まずタマゲてしまいます。え〜〜っ、GHQ民政局メンバーはマルクス主義者の集まりだったのかあぁぁ〜〜〜。また、「天皇は女系を排して男系にすべきだ」という強硬な主張を展開していることでも有名で、その根拠に「Y染色体の男系連続性」をあげていることでも知られ、Wikipediaでは「擬似科学あるいはトンデモとの批判がある」と書かれているお方です。そういえば、誰かが「おいおい、『物語』の世界で『科学』をふりまわすんじゃないぜ」と書いていましたっけ・・・。いやいや、このお方は何を隠そう、天下の早稲田大学のご出身ですぞ!まいったか!

さて、その「明治憲法の思想」です。少し彼の持論を聞いてみることにしましょう。

まず、第2章の「今なぜ明治憲法か」で八木教授は「(明治憲法が)ヨーロッパの物まねではなく、日本の歴史・伝統・文化をふまえて日本人によって起草されたはじめての憲法である」ことを強調します。ところが、やがてこの明治憲法も「西洋に留学した次代の学者たちによって西欧由来の精緻な中小理論にもとづいて解釈されて」起草時の精神がむしばまれていったと嘆くのです。そして「この時代にして既に明治憲法ではあらたなファッショの時代に対応できないという主張が強力に展開された」と書き、「明治憲法こそが超国家主義や軍国主義を導いたとする今日でも依然流布している認識とは大きく異なる」「明治憲法は外来思想たる『ファッショ』に幻惑された者によって排斥されようとしたのであり、また多くの憲法の理念に反する運用が行われた」と、明治憲法擁護の一大キャンペーンを張るのです。明治憲法は悪くな〜い。悪用した連中が悪いのだ〜〜。

そして、「なぜ(現行)憲法の見直しが必要なのか」と問い、今世界各国はグローバル化という「アメリカ化」に対応すべく「国家の存立をかけて従前にもまして国家意識・国民意識を明確にしようとしている」「国家としてのアイデンティティを明確にしていかないことには国家として生き残れない」というきわめて特異な現状認識を披瀝します。もちろん、明治憲法がそれにこたえる内実を持っていた、それなのに、GHQが真っ赤っかな憲法を押しつけたと言いたいわけです。それゆえ、彼はこれに続けて、「第3の開国ともいうべきこの時代に、現行の日本国憲法のもとで日本は果たして生き残れるのか」と問うのです。

1-2

259凡人:2019/07/13(土) 23:45:16 ID:aa/QkHo60
彼によれば、現行の憲法は次のようにしてつくられたものと描かれます。

1.現行憲法は、敗戦後の米占領時代に「日本が再びアメリカの脅威となったり世界平和と安全の脅威とならない」ようにすることを究極目的として”占領政策の一環として”GHQによって原案がつくられた。
2.軍隊の解散、戦力の不保持という武装解除、神道を軍国主義・超国家主義のイデオロギーと見なして弾圧するといった精神的武装解除を通して、我が国のアイデンティティを解体した。
3.本来なら、このような憲法は占領が終了し、我が国が主権を回復して国際社会に復帰した時点ですでに見直されてしかるべきだった。

中でも、彼が最も重視しているのは「国家のアイデンティティ」という概念です。今日の憲法論議では、この視点を完全に欠落させていると憤慨するのです。明治憲法下で、朝鮮、中国など近隣諸国の国家・民族のアイデンティティを根こそぎ奪いさったことをコロッと忘れて、国家のアイデンティティを連発する八木教授。彼の頭の中ってどうなっているのかしら。そして、「国柄こそ議論すべき」であるとして、次のように述べます。

1.現行の憲法はGHQ民政局によって原案が作成され、日本政府は事実上それを拒否できない状況の中でつくられた。従って、この憲法に付着する”占領色”を一度は払拭して真に主権国家に相応しい憲法のあり方を求めるべきである。
2.前文や9条の見直しだけでは「第3の開国」には対応できない。国家としてのアイデンティティを明確にするためにこそ憲法論議はすべきである。そのためには「憲法」の本来の意味に立ち返ることである。
3.憲法論議はまず「国柄」に関するものでなければならず、国家のグランドデザイン、国家としての哲学をふまえるべきである。
4.憲法は、「自国の歴史と伝統の上に成り立つ」ものでなければならないとすれば、まさにそのようにして起草された明治憲法の再評価が必要となる。

まだ若いのに、何という「ノスタルジジイ」的懐古趣味でしょうか。ただし、あの戦争の時代を苦しんで生き抜いた高齢者の方々は、絶対主義的な天皇制のもとで「お国のために、天皇のために」死ぬことを強制されたことを忘れてはいません。そしてまた、戦後憲法制定時に、オーストラリア、ニュージーランドなどの天皇戦犯攻勢に対して、象徴としてであれ天皇制度を守ったのはマッカーサーでした。伝統輝く皇国日本のアイデンティティ、天皇制はマッカーサー将軍が守ってくれたのですぞ。八木さん、マッカーサーに感謝しないさいっ!

このノーテンキな学者先生の明治憲法に対する評価は、たとえば次のような「人権」問題で最も鮮明になります。

日本国憲法において保障されている自由や権利も決して無制限なものではなく、法律によってしばしば制限されているのであり、その意味では日本国憲法における人権保障と明治憲法におけるそれとの間には、さほどの距離はない。


2-3

260凡人:2019/07/13(土) 23:47:26 ID:aa/QkHo60
げえぇ〜〜!初めて聞いた。驚いた。たまげた。びっくりした。
こうした認識のもとで、彼は「明治憲法から何を学ぶべきか」としてさらに驚くべき評価を書き連ねます。

1.明治憲法は、当時の欧米の最新の国家理論を取り入れながら起草されたもので、欧米社会以外で制定された事実上最初の近代憲法として、制定当時、国内外ともに高く評価されたものである。
2.昭和初期の動乱や戦争は明治憲法の精神がないがしろにされ、憲法を無視したところに発生したものである。予断を排してこの憲法を眺めてみれば、一般に誤解されているような悪法ではなかったことがわかる。
3.起草者たちが憲法を自国の歴史や伝統に基づかなければならないと考え、我が国の伝統的な政治理念と近代国家の統治理念とを何とか融合させようと苦慮した点などの制定の姿勢に学ぶことが必要である。

このあと、明治憲法の成立過程、そこに盛られた内容の検討に入るのですが、次の二つの点だけを確認しておけばじゅうぶんでしょう。

第1は、明治憲法は立憲君主制を原則としており、あくまで立憲主義がその本義であったこと。天皇は平時においては立憲君主であり、非常時においては「民の父母」という役割を担っていた。これは大東亜戦争の開戦と終戦の手続きに典型的に現れている。今日なお続く天皇の戦争責任問題はこの二つの天皇観の相違が理解できていないことに端を発する。
第2は、昭和天皇の"憲法の師"であった清水澄(とおる)の説を援用し、天皇が憲法上の大権行使についてはすべて必ず国務大臣の輔弼を必要とし、輔弼なくして天皇が独断で大権を行使することはできず、敢えてそれを行おうとすれば憲法違反となる。
「兵役の義務」「納税の義務についても、こうした義務があることを定めることに主眼があるのではなく、法律によらなければそれらを課すことができないところに条文の趣旨がある。いくつかの権利についても、自由・権利を制限する規定ではなく、逆に権利保障のプラス面に力点を置いている。これらを「天皇の権力は無制限である」と曲解・歪曲したのが美濃部天皇機関説後の歴史であった。これは明治憲法の起草者とは大きく異なる。そして明治憲法が特徴としていた「権力の割拠性」が攻撃され、この過剰な「割拠性」がわざわいして「国家機関の一部が独走しても押さえのきかないシステムになっていた」。そして戦時体制によって明治憲法体制は葬られたのである。

そして彼の結論はこうなります。

「戦争責任」は明治憲法そのものが負うべきものではない。問題とすべきは明治憲法の立憲主義の精神を歪曲した解釈や運用である。明治憲法起草の経緯や思想を忘れ、条文に書かれざる”不文の憲法”を顧みなかったことがこのような”昭和の悲劇”をもたらしたものである。明治憲法は負わなくてもよい”罪”を負っている。その汚名はすすがれなければならない。

まあ、言論は自由ですから、主張なさるのは自由ですが、いやはや「大日本帝国憲法」のどこからこのような「学術的」評価が生まれるのか、頭の悪い私にはさっぱりわからないのです。誰か教えてくださあぁぁ〜〜い。
3-3

261凡人:2019/07/13(土) 23:52:12 ID:aa/QkHo60
大学直属の顧問も務めた御方です。→訂正:大学直属応援団の顧問も務められた御方です。
応援団が抜けておりました。悪しからずです。

262凡人:2019/07/15(月) 10:08:55 ID:aa/QkHo60
高崎経済経済大学の現体制を築いた高崎経済経済大学元学長・故三潴信吾氏は具体的にはどんな憲法論を学生に講義していたのか?
*****
四宮政治文化研究所
http://shinomiya-m.txt-nifty.com/diary/2017/04/post-1865.html

2017年4月 6日 (木)
故三潴信吾氏の國體論・憲法論

以前掲載した文章ですが、大事なことですので、再度掲載いたします。
            〇
平成十一年五月八日に開かれた『憲法懇話会』にて、故三潴信吾氏が「自主憲法制定の基本方針」と題して講義され、次のように語られた。

「吉田茂首相は自主憲法制定の意志があった。『二十八年の主権回復と共に、自由党として自主憲法制定をする』とはっきり言って、自主憲法制定の組織を作るように岸信介氏に命じた。吉田茂は憲法に手を付ける意図がなかったというのは真っ赤な嘘。高柳委員會以前に自由党の憲法調査會があった。

日本の祭政一致が外國人にはよく分からなかったので、祭祀は皇室の私的行事であり、國家公共機関がやってはならないとした。明治のはじめに立憲政体になった時、神祇官を太政官の下に置いたのが間違い。

『帝國憲法』には『万世一系の天皇が統治する』と書かれている。憲法は祖宗の皇統・國體に基づく政体規定。天皇条項は『祖宗の皇統としての天皇』を明確にすべし。美濃部達吉氏は『天皇は政体においては一つの機関だ』と言った。國體の天皇を機関だと言ったのではない。美濃部氏は戦後『帝國憲法の第一条・第二条は変えるべきはではない』と言った。憲法はステート(國家権力機関)の基礎法。ステート(権力機構としての国家)と成文憲法の拠って立つ基盤が國體。

西欧デモクラシーは数だけで考えるから衆愚政治になる。質をチェックする必要があるので上下両院が設けられた。衆議院は量、貴族院は質に重点を置いた。数を質で評価する機関が枢密院。宮中に内大臣府があり、天皇の大御心を基として質的柱が立っていた。

國會は内閣が招集し、最高裁に違憲立法審査権があるのだから、國會を國権の最高機関と言うのはおかしい。

皇祖皇宗へのお祭りは決して私事ではない。國家の行事としての祭祀である。

エンペラーの語源は最高権力者であるから天皇をエンペラーと訳してはならない。

英國・デンマーク・オランダという王制の國に行って『貴國は民主主義國家ではない』と言ったら笑われる。

現行憲法には、『帝國憲法の改正を裁可し、ここにこれを公布せしめる』とあるにもかかわらず、『日本國民は…主権が國民にあることを宣言し、この憲法を確定する』と書かれているように、天皇が公布せしめたのに國民が確定したという嘘が最初から書いてある」と語られた。  

千駄木庵主人曰く。「君主制國家が民主國家ではない。君主制はやがてなくなる」という議論は現実によって完膚なきまでに否定されている。民主主義・人民を國家の名称にまで用いている國(朝鮮民主主義人民共和國)が世界中で最も独裁的・侵略的な國であり人民が貧困と飢えに喘ぎ餓死している。ロシア・支那・ラオス・イラン・朝鮮などを見て明らかなように王制・君主制を打倒した國は民主國家になるどころか全く正反対の独裁専制國家になっている。三潴先生には本当に色々貴重なこと大切なこと教えて頂いた。心よりご冥福を祈らせていただきます。

263凡人:2019/07/16(火) 11:24:52 ID:aa/QkHo60
高経大・高木理事長ら再任
(2019年03月31日高崎新聞)

4月1日付役員・管理職
公立大学法人高崎経済大学は、任期満了に伴い、平成31年4月1日付の理事長、監事、役員、管理職をこれまでに内示した。

理事長:高木賢(75歳・再任)
監事:井上雅行(75歳・再任)
監事:高見澤隆(62歳・新任・税理士)
副理事長(学長):村山元展(61歳・再任)
理事(学外非常勤):児玉正蔵(75歳・新任・高崎商工会議所会頭)
理事(学外非常勤):絲山秋子(52歳・再任)
理事(副学長):唐澤達之(57歳・再任)
理事(副学長):水口剛(57歳・再任)
理事(事務局長):堀越秀之(55歳・新任)
経営審議会学外委員:中村六郎(82歳・再任)、古川雅子(71歳・再任)、富澤好隆(71歳・新任・会社会長)、仙波憲一(68歳・再任)
教育担当副学長:唐澤達之(再任)

管理職
研究担当副学長:水口剛(再任)
学生部長:佐藤公俊(地域政策学部長)
経済学部長:高松正毅(キャリア支援センター長)
地域政策学部長:友岡邦之(学生部長)
地域政策研究科長:増田正(再任)
経済・経営研究科長:阿部圭司(再任)

264凡人:2019/07/16(火) 11:31:35 ID:aa/QkHo60
公立大学法人高崎経済大学理事長(初代、2011年ー現在)の高木賢氏とは

高木 賢(たかぎ まさる、1943年(昭和18年)8月14日 - )は、日本の農林官僚。元食糧庁長官。弁護士。
略歴
1967年(昭和42年):東京大学法学部卒業
1967年(昭和42年)4月:農林省 採用
・・・
2005年(平成17年)7月:財団法人大日本蚕糸会会頭理事(現・一般財団法人大日本蚕糸会代表理事会頭)
2011年(平成23年)4月:公立大学法人高崎経済大学理事長  (ソース:ウィキより)
*2015年(平成27年)7月:一般財団法人大日本蚕糸会顧問(現在)
*2019年(平成31年/令和1年)4月:公立大学法人高崎経済大学理事長再任(75歳)
*凡人が追加

新会頭に小林芳雄氏 大日本蚕糸会 高木氏は顧問へ
2015年7月7日(火) AM 06:00 上毛
 一般財団法人の大日本蚕糸会(東京都)は6日までに、評議委員会と理事会を開き、新会頭に元農林中金総合研究所顧問の小林芳雄氏(65)が就任した。前会頭の高木賢(まさる)氏(71)=高崎市出身=は同会顧問となった…
****
一般財団法人大日本蚕糸会定款
(顧 問)
第39条 この法人に顧問を若干名置くことができる。
2 顧問は、学識経験者のうちから、理事会の決議を経て、会頭が任期を定めて委嘱する。
3 この法人は、法人の事業運営に関して必要な時に顧問に対して意見、助言を求めることができる。
4 顧問に報酬並びにその職務を行うために要する費用の支払いをすることができる。
5 前項の支払いに関し必要な事項は、理事会の決議により別に定める。

265凡人:2019/07/16(火) 11:34:38 ID:aa/QkHo60
一般財団法人大日本蚕糸会とは?
http://www.silk.or.jp/silk_history.html

財団の沿革
明治25年4月 大日本蚕糸会創設(任意法人)
目的 蚕糸業の改良発達
事業 調査、海外販路拡張、業界連絡、品評会、表彰、建議、図書刊行、講習会など
組織 会員制、各県に支会設置
明治38年8月 社団法人認可
初代総裁に、伏見宮貞愛親王殿下を奉戴
大正2年8月 総裁に、閑院宮載仁親王殿下を奉戴
昭和15年3月 財団法人蚕糸科学研究所設立許可
当時ナイロンの発明と戦争による生糸需要の変化に対応するため、生糸および絹に関する研究の推進が強く要請され、民間寄付金171万円(内基本金50万円)をもって、総合研究機関として設立
昭和17年5月 社団法人大日本蚕糸会は財団法人蚕糸科学研究所と合併のため解散し、新しい財団法人大日本蚕糸会に事業などを継承
昭和20年9月 総裁に、梨本宮守正親王殿下を奉戴
昭和22年8月 全国蚕種研究会(昭和31年協同組合全国蚕種研究会に改組)の受託事業(蚕品種の育成に関する研究、原々蚕種の製造、蚕種製造技術の指導など)を開始
昭和22年9月 総裁に、節子皇太后陛下(貞明皇后)を奉戴
昭和27年7月 文部、農林両省の共管に移行
総裁に、高松宮宣仁親王殿下を奉戴
昭和28年4月 貞明皇后蚕糸記念事業を開始
蚕糸科学研究所小平養蚕所を同小平支所に改称
昭和49年4月 蚕糸科学研究所小平支所を茨城県稲敷郡阿見町に移転し、名称を蚕品種研究所に改称
昭和56年4月 総裁に、常陸宮正仁親王殿下を奉戴
昭和58年4月 旧蚕糸会館を取り壊し、新蚕糸会館を建設
昭和62年7月 蚕糸科学研究所建物(新宿区百人町)を取り壊し、サンケンビルヂングを建設
平成3年5月 先進国型養蚕業推進協議会(現 先導的養蚕農家育成推進協議会)を設置
平成4年4月 創立100周年
平成11年12月 蚕品種研究所を蚕業技術研究所に改称し、研究領域を拡大
平成15年8月 JAS法に基づく、生糸についての登録認定機関として登録
平成17年6月 天皇皇后両陛下、蚕糸科学研究所へ行幸啓
平成20年2月 蚕糸・絹業提携支援センターを設置し、蚕糸・絹業提携支援緊急対策事業を実施
平成21年11月 天皇陛下御在位20年慶祝 蚕糸絹文化シンポジウムを開催
平成24年4月 創立120周年
平成24年12月 社団法人日本絹業協会解散に伴う事業継承
平成26年4月 公益法人制度改革に基づき「財団法人大日本蚕糸会」から「一般財団法人大日本蚕糸会」へ移行登記(行政庁は内閣府)

266凡人:2019/07/16(火) 11:37:32 ID:aa/QkHo60
皇室と養蚕
1859年(安政6年)、開国直後の日本にとって生糸、茶、蚕種は最大の輸出品目であった。1871年(明治4年)、それまで長らく途絶えていた宮中での養蚕(ご養蚕)を昭憲皇太后が吹上御苑内にて復活。その後火災や戦災などにより中断していたが、1879年(明治12年)には英照皇太后が青山御所に御養蚕所を新設し再開。同皇太后の崩御により中断の後、1908年(明治41年)に貞明皇后よって再開。1914年(大正4年)に当地を新設。1928年(昭和3年)に香淳皇后が引き継ぎ、1989年(平成元年)から1990年(平成2年)の間に上皇后美智子が引き継いだ。

歴代の皇后のほか、眞子内親王や華族の子女などが作業をされることもある。節子皇太后時代の貞明皇后や親王などが大日本蚕糸会の総裁を務めており、1981年(昭和56年)4月からは常陸宮正仁親王が務めている。

ソース:紅葉山御養蚕所 ウィキより

267凡人:2019/07/16(火) 12:04:42 ID:aa/QkHo60
前代未聞の高崎経済大学とは

皇立法人 高崎経済大学(直属応援団)

天皇家は金を出していない?が、やっている経営陣や教授会の頭の中はこんなかんじなのだろうか。

268凡人:2019/07/16(火) 12:41:17 ID:aa/QkHo60
前代未聞の高崎経済大学とは?

高崎経済大学の本当の歴史はたったの最初の10年間であった。全国の学生運動の気運のきっかけとなった圧殺の森の意味したものは、単なる高崎経済大学の学校側の不正入学にとどまらないことがわかる。それはデモクラシーを愛する日本人にとって、その骨髄を震撼させる深い意味が隠されていた。

これが大学案内書には絶対書かれない本当の高崎経済大学の中身。

高崎経済大学の過去50年間の経営陣の大学運営・経営目的は国や市からの補助金・学生の学費/授業料・同窓生の同窓会費・後援会費・寄付金は高崎経済大学理事会、教授会、同窓会、後援会、直属応援団の組織やあらゆる行事を通じ直接的、間接的に、天皇家に奉仕し、その秘密主義・民主主義と思われるものの否定/排除/排他(過去に体験している)を実践し、天皇主権とした明治憲法を復活/あるいは平和主義の日本国憲法の改憲や、また民主主義の転覆や基本的人権の否定に寄与するものであるということと言えないだろうか?。

269凡人:2019/07/16(火) 12:44:36 ID:aa/QkHo60
>>267 書き直し
前代未聞の高崎経済大学とは

皇立(生長の家)宗教法人 高崎経済大学(直属応援団)

天皇家や右翼団体は金を出していない?が、やっている経営陣や教授会の頭の中はこんなかんじなのだろうか。

270凡人:2019/07/16(火) 12:51:49 ID:aa/QkHo60
いくら凡人がここで民主主義をいままで大声で叫んでみても、
宗教法人としての高崎経済大学にはほんのひとかけらも
合理的に考えるブレインがないのだから恐れ入ります。笑

271凡人:2019/07/16(火) 14:35:26 ID:aa/QkHo60
>>262

故三潴信吾氏の國體論・憲法論は教授というよりも宗教家の話としたほうが正しい。少ない事例を持ち出して、自分の持論に都合よく当てはめ、あたかも普遍のように語る。無知な学生や社会人にとって「おお、そうだ、そうだ」となり、彼らを操るのならたやすいが、すこし物知りになってくると、とんでもない当てつけを言っているとなる。西欧デモクラシーの本家本元、「数だけで考える衆愚政治」のアメリカに、コテンパンにのされ、日本国滅亡にまで追い詰められ、ついに無条件降伏した優秀な政治の国・大日本帝国とは話に辻褄があうのか。明治憲法下、富国強兵で隣国侵攻していった日本。戦争を開始拡大し、その結果日本人の兵隊や市民が玉砕という形で記録的な大量死をとげた。アメリカは太平洋で日本とまたヨーロッパではナチスと2前線で戦っていたのに、アメリカ人の犠牲者は日本人よりもかなり少ない。日本人の大量死。そうした事実があっても、彼らを死にやったことへの反省は一切みせないで、ヌクヌクと大学教授として、無知蒙昧な学生や社会人や天皇崇拝者や旧皇族を相手に明治憲法の復活を唱えている。国民はただの天皇の使い捨て奉仕者だからだろう。いまだクラス社会を唱え、天皇を元首とする日本を叫んでいる教授。冷血そのものである。

272凡人:2019/09/11(水) 06:05:18 ID:aa/QkHo60
カルト性を前面に出す高崎経済大学。

今まで、このスレッドで凡人が取り上げてきた高崎経済大学の問題は、一連の大学のスキャンダルや反民主主義のスタンスをとる稀な大学経営側や同窓会や教員たちは、そのカルト信仰のアングルから説明される。

右翼国粋天皇主義の反対語は立憲民主主義。左翼暴力革命主義の反対語は立憲民主主義。

西欧の近代的民主主義を自分の言葉に置き換えて輸入した福沢諭吉の「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」「すべて国民は、法の下に平等」という言葉はとても近代的で道理や現実に鑑みてもすんなり理解できるのだが、どうだろうか。国や国境に関係なく普遍的な真実を表現しているとは思わないか。とても科学的と言ってもよいだろう。ところが、安倍晋三の右翼も共産主義左翼も目的の為という名目で、憲法や法律を無視。天皇家をトップとするクラス社会の天皇主義や暴力革命を信奉する左翼グルーブにとって、彼らは憲法や法律の上に存在すると自ら信じているだろう。安倍晋三の一連の憲法や法律違反やその対処の仕方がそれを物語っている。国民の人権や財産や生命の大切さは無視。オウム真理教と同様、一見まともに見えるがあらゆる面でカルト信仰集団、犯罪テロ組織である。安倍晋三首相から科学性を読み取れない。右翼も左翼も、この両者はまったく同じ穴のムジナなのである。天皇主権や暴力革命後の一党独裁。天皇の背後で操る闇将軍たち。暴力団が右翼実行部隊。満州で日本軍がとった統治政策からその本質が読み取れる。一部のグループによる支配体制の確立のため’伝統’を強調し、傀儡の皇帝を歴史から再来させ、国民に崇めさせる政策はその典型なのである。

273凡人:2019/09/11(水) 08:08:31 ID:aa/QkHo60
香港デモと「圧殺の森」。

かつて高崎経済大学の学生が決起した「圧殺の森」にみられる大学民主化の学生運動と相通じるものがある。三潴信吾学長体制前(60年~50年前)の高崎経済大学。約十年間の短い期間には、かつて政治的に世界に胸を張れる頭脳をもった優秀な学生がいたのだろうと推測される。世界大学ランキング100位にも入っている優秀な大学が5校集中する香港地域にあって、市民や学生を含んだ政治活動が激しいのもうなずける。当地の暴力団が体制側の手先になって、活動家とやりやっているビデオをみたが、国が違えども全く構図は同じである。学生運動がエスカレートしているようであるが、彼らの体を張っての勇気や行動力には敬意を払うが、中国警察の強硬逮捕等の暴力に対する活動家たちの安否が気がかりでならない。これ以上怪我人が出ないうちに平和のうちに収拾することを願いたい。

香港はその面積が東京23区の約2倍、沖縄本島や札幌市と同程度(1,104 km2)にありながら人口700万人を超える世界有数の人口密集地域。(sauceインターネット)その香港には世界大学ランキング100位に5校も入っている。日本も同じ5校である。それと比べても、その凄さがわかるというもの。今年2019年の4月あたりに、香港の大学、多分The Hong Kong University of Science of Technologyだと思うが、(凡人は香港大学と思っていたが、こんな大学があるとは思っていなかった)夏休みに勉強しに行くという、あるUCLAの理系の女子学生とそんな話をした。その時は香港デモのことは全く念頭にはなかった。今そのアメリカ人学生が香港デモに遭遇して何を考えているかと思うと面白い。UCLAと香港のその大学は提携しているようである。UCLAと中国の繋がりはそれだけではない。UCLAの建築学科の女子院生と出会い、面白いことを話してくれた。いま上海やその他、中国の諸都市でビルの建設ラッシュが続いているが、UCLAの建築学科の教授たちがたくさん関係しているという話である。

the QS World University Rankings 2020:英国のクアクアレリ・シモンズ(QS)社は2019年6月19日、世界の大学を6つの調査項目をもとに順位づけする「世界大学ランキング2020」を公表した。アジアの大学ランキングは以下の通り。
11 National University of Singapore (Singapore
11 Nanyang Technological University, Singapore(NTU) ( Singapore
16 Tsinghua University (Mainland, China
22 The University of Tokyo (Japan
22 Peking University (Mainland, China
25 The University of Hong Kong (Hong Kong
32 The Hong Kong University of Science of Technology (Hong Kong
33 Kyoto University (Japan
37 Seoul National University (South Korea
40 Fudan University (Mainland, China
41 Korea Advanced Institute of Science & Technology (South Korea
46 The Chinese University of Hong Kong(CUHK) (Hong Kong
52 City University of Hong Kong (Hong Kong
54 Zhejiang University (Mainland, China
58 Tokyo Institute of Technology
60 Shanghai Jiao Tong University (Mainland, China
69 National Taiwan University (NTU) (Taiwan
70 Universiti Malaya(UM) (Malaysia
71 Osaka University (Japan
82 Tohoku University (Japan
83 Korea University (South Korea
87 Pohang University of Science And Technology(POSTECH) (South Korea
89 University of Science and Technology of China (Mainland, China
91 The Hong Kong Polytechnic University (Hong Kong
95 Sungkyunkwan University (SKKU) (South Korea

274凡人:2019/09/17(火) 13:02:07 ID:X3mQg1qs0
「いい加減、目覚めなさい。」

「日本という国は、そういう特権階級の人たちが楽しく幸せに暮らせるように、あなたたち凡人が安い給料で働き、高い税金を払うことで成り立っているんです。そういう特権階級の人たちが、あなたたちに何を望んでるか知ってる?

今のままずーっと愚かでいてくれればいいの。世の中の仕組みや不公平なんかに気づかず、テレビや漫画でもぼーっと見て何も考えず、会社に入ったら上司の言うことをおとなしく聞いて、戦争が始まったら、真っ先に危険なところへ行って戦ってくればいいの。」

https://buzzap.jp/news/20150620-2015-japan-class-of-empress/

https://twitter.com/LoudminorityJP/status/1148581535827681280

275凡人:2019/10/01(火) 06:56:40 ID:aa/QkHo60
安倍晋三と高崎経済大学

安倍晋三政権のスキャンダルやその他赤裸々な部分、憲法や法律破りを含め多くが、高崎経済大学の過去と現在の行き末とまったくと言っていいほどにオーバーラップしているということに凡人は気付いても、まったくおどろかない。天皇主義思想の持ち主たちの知的レベルや隠された私利私欲が根底にある行動はそうなるのがむしろ当然といえるだろう。安倍晋三と高崎経済大学の歴史の類似点についてはすでに至る所で触れているが、時間が見つかり次第後にまとめという形で言及してみたい。

276凡人:2019/10/06(日) 04:52:59 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学と反民主主義。

Takasaki City University of Economics (TCUE) Is The Public Enemy of True Democracy.

You don't have to take my words for it. This institute was and still is build on the ground of religious/imperial cult beliefs and practices. They hide and don't show you the true identity. So I have been here to reveal the truth, the whole truth and nothing but the truth of this school. All of the past history of scandals or whatnot of this institute give me this conclusion. If you have a working brain, you should search for what I have found so far by yourself.

277凡人:2019/10/06(日) 04:58:32 ID:aa/QkHo60
Must Read:

CAVEAT EMPEROR
The Religious Cult Secretly Running Japan
Nippon Kaigi, a small cult with some of the country’s most powerful people, aims to return Japan to pre-WWII imperial ‘glory.’ Sunday’s elections may further its goal.

Jake Adelstein/Mari Yamamoto
Updated 04.13.17 3:25PM ET / Published 07.10.16 12:15AM ET

Photo Illustration by Kelly Caminero/ The Daily Beast
TOKYO — In the Land of the Rising Sun, a conservative Shinto cult dating back to the 1970s, which includes Japanese Prime Minister Shinzo Abe and many of his cabinet among its adherents, finally has been dragged out of the shadows.

The group is called Nippon Kaigi (Japan Conference) and is ostensibly run by Tadae Takubo, a former journalist turned political scientist. It only has 38,000 members, but like many an exclusive club, or sect, it wields tremendous political influence.

Broadly speaking, Shinto is a polytheistic and animist religion native to Japan. The state-sponsored Shintoism promulgated here before and during World War II also elevated the Emperor to the status of a God and insisted that the Japanese were a divine race—the Yamato; with all other races considered inferior.

Nippon Kaigi originally began in the early 1970s from a liberal Shinto group known as Seicho No Ie. In 1974, a splinter section of the group joined forces with Nippon o Mamoru Kai, a State-Shinto revival organization that espoused patriotism and a return to imperial worship. The group in its current state was officially formed in May of 1997, when Nippon o Mamoru Kai and a group of right-leaning intellectuals joined forces.

The current cult’s goals: gut Japan’s post-war pacifist constitution, end sexual equality, get rid of foreigners, void pesky “human rights” laws, and return Japan to its Imperial Glory.

With Japan’s parliamentary elections to be held on July 10, the cult may now have its chance to dominate policity completely. If the ruling coalition wins enough seats, the door will open to amending Japan’s modern democratic constitution, something that has remained sacred and inviolate since 1947.

Indeed, for Japan, these elections may be a constitutional Brexit—deciding whether this country moves forward as a democracy or literally takes a step back to the Meiji era that ended more than a century ago. Then, the Emperor was supreme and freedom of expression was subservient to the interests of the state.

The influence of Nippon Kaigi may be hard for an American to understand on a gut level. But try this: Imagine if “future World President” Donald Trump belonged to a right-wing evangelical group, let’s call it “USA Conference,” that advocated a return to monarchy, the expulsion of immigrants, the revoking of equal rights for women, restrictions on freedom of speech—and most of his pre-selected political appointees were from the same group.
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278凡人:2019/10/06(日) 05:00:38 ID:aa/QkHo60
Sounds incredible… In any case, this would worry people.

That is the American equivalent of what has already taken place in Japan with Prime Minister Shinzo Abe and his cabinet.

Abe, a third-generation politician, is the grandson of Nobusuke Kishi, who was Japan's minister of munitions during WWII and arrested as a war criminal in 1945 before becoming prime minister in the 1950s.

Abe is a staunch nationalist and historical revisionist, who also served as prime minister, from 2006 until 2007, before resigning abruptly mid-term. His ties to the Nippon Kaigi organization go back to the ’90s.

In line with fellow members of his imperial and imperialist cult, Abe has said the revision of the constitution is his lifetime goal. In an interview in Nikkei Asian Review, published in February 2014, Abe stated, “My party, the Liberal Democratic Party (LDP), has been advocating amending our constitution since its founding almost 60 years ago.”

So, now, Abe and his party, at least the extremist factions, are at last coming very close to that goal.

Japan’s Parliament, also known as the Diet, is composed of an upper and lower house. Article 96 of the constitution stipulates that amendments can be made to the constitution if approved by super majority of two-thirds of both houses of the Diet, and by simple majority in a referendum.

At present, the LDP and its coalition partners only have a two-thirds majority in the Lower House and a simple majority in the Upper House. They hope to have the needed two-thirds majority in the Upper House after Sunday’s elections.

The Asahi Shimbun and the independent press in Japan have called this year’s campaign “The Hidden Agenda Elections.” Local media have reported that the LDP and partner political parties have made sure their candidates avoid mentioning constitutional revision in their stump speeches.

The ruling coalition is toeing the party line that: “It’s all about Abenomics.”

And those are?
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279凡人:2019/10/06(日) 05:02:25 ID:aa/QkHo60
Abenomics is the economic policy Prime Minister Abe promised to put into action in 2012. It is based upon "three arrows" of fiscal stimulus, monetary easing and structural reforms. It was supposed to revitalize Japan’s long stagnant economy. The third “arrow” has yet to be fired and on June 20, this year, the International Money Fund essentially declared it a failure and suggested Japan raise wages.

The ruling party wants to focus all talk on the economy and the hope that Abenomics eventually will work, while the opposition parties, united by The Democratic Party of Japan (DPJ), are cooperating to field single candidates in areas of Japan where they have a good chance of winning—all under the banner of blocking constitutional revision.

DPJ leader Katsuya Okada has warned, “Under the Abe administration basic human rights such as freedom of speech and the public’s right to free access to information (about their government) have been threatened… the pacifism of the constitution will be destroyed.”

The LDP’s internal crackdown on mention of constitutional revision is savvy, notes Koichi Nakano, a professor and expert on Japanese politics at Sophia University. “Abenomics was simply a way of repackaging Abe’s nationalism as something sexy so he could return to power,” says Nakano. He notes public opinion is opposed by a large margin to the revision of the constitution.

“Abe is using the same tactics he did in two previous elections since 2012 to emphasize that the vote is about the economy and then proceed to do what he intended to do once the election is over. He did this with the passing of the State Secrets Laws and then with the strongly opposed Security Laws last year after the December 2014 snap elections. Perhaps he is getting advice from his deputy prime minister, who once remarked that the LDP should learn from the Nazis about how to quietly change the constitution.”

The LDP’s proposed constitution, which has been strongly influenced by Nippon Kaigi alumni, according to reports by the Asahi Shimbun and other media, would scrap Article 9, which forbids Japan from engaging in warfare as a means of settling international disputes. It would also severely curtail freedom of speech, taking away the right to speak out on issues “if it is against the public interest.”

Presumably, the government would decide what is “the public interest.”

It eliminates the words “basic human rights” from key sections, as constitutional experts have noted.

The LDP argues that revision is necessary for a modern Japan to deal with the threat of China and break free “of the post-war regime.”

The ideology behind Prime Minister Abe and his cabinet had received only modest scrutiny from Japan’s mainstream media until this May. All that changed with the publication of the surprise best seller, Nippon Kaigi No Kenkyu (Research into Japan Conference) by former white-collar worker turned journalist, Tamotsu Sugano, on April 30.

Japan’s leading constitutional expert, Setsu Kobayashi, who is also a former member of Nippon Kaigi, says of the group, “They have trouble accepting the reality that Japan lost the war” and that they wish to restore the Meiji era constitution.
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280凡人:2019/10/06(日) 05:04:50 ID:aa/QkHo60
Some members are descendants of the people who started the war, he notes.

Kobayashi is so vexed with his former brethren, that in May he created a new political party to promote and protect constitutional rights called, somewhat amusingly, Kokumin Ikari-no Koe aka The Angry Voice of the People. For Nippon Kaigi, he is a traitor and a nightmare. For Prime Minister Abe, he is an angry loud-mouthed headache.

And Abe is having other headaches before the election. Seicho No Ie, the spiritual forebear of Nippon Kaigi, has turned its back on the LDP and the ruling coalition as well—its first overt political action in decades.

The organization told the Weekly Post last month, “The Abe government thinks lightly of the constitution and we are opposed to their attempts to change Article 9 (the peace clause). In addition, we feel distrust in their failure to uphold policy determined by law.”

Despite Nippon Kaigi’s small numbers overall, half of the Abe Cabinet belongs to the Nippon Kaigi National Lawmakers Friendship Association, the group’s political offshoot. Prime Minister Abe himself is the special advisor.

Former Defense Minister Yuriko Koike, who is running for Governor of Tokyo, is another prominent member.

Sankei Shimbun and others have reported that Nippon Kaigi even tried to pressure the publisher, Fusosha, into dropping the book on April 28. The protest letter sent to the publisher was surprisingly under the name of the group’s secretary general, Yuzo Kabushima, not the name of the Chairman Tadae Takubo.

Kabushima is a staunch Emperor worshipper and was a key member of Seicho No Ie’s student movement. Sugano argues in his book that Kabushima is the person really running the organization.

Despite the threatening tone of the letter, the publisher didn’t budge. Originally, only 8,000 copies of the book were printed. It’s now on it’s fourth printing with over 126,000 copies sold. Five other books have now been printed on the group; magazines are running front-page stories about them.

Suddenly, Nippon Kaigi is very visible.

Sugano is surprised and relieved to see Nippon Kaigi and its influence on national policy finally getting attention. He himself is a political conservative who graduated from the University of Texas with a degree in political science before returning to Japan over a decade ago.

While he was living in Texas, where he picked up a bit of an accent, he noticed how the Christian evangelical movement exerted political influence and sees some parallels in their methods and those of Nippon Kaigi.

Sugano was still a white collar worker aka “salary-man” when he first became aware of the existence of Nippon Kaigi. Back in 2008, Sugano recalls the shift he felt in the atmosphere on the streets. “Crazy people were starting to speak out,” he says. Protests lead by groups, such as the anti-foreigner hate speech group Zaitokukai were more noticeable. He saw an ugly escalation of their activities with each passing day.

He found these hate speech movements troubling and started to infiltrate their protests, documenting the events in photos and recordings. In order to understand the motives of members and supporters, he started to dig into the conservative publications often referenced in their online comments.

The contributors that wrote for these publications puzzled him. Many were established in their field, journalists and academics, all contributing on topics unrelated to their expertise. This peculiar pattern helped him connect the dots: they all seemed to be members of one group. That realization led him down the rabbit hole, where he found the revisionist wonderland that is Nippon Kaigi.
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281凡人:2019/10/06(日) 05:05:56 ID:aa/QkHo60
Nippon Kaigi, he found, used neto-uyo (cyber right wingers who troll anyone on the internet they feel writes negatively of Japan), intellectuals, politicians, and closet sympathizers in mainstream media to exert considerable influence on policy and public opinion.

That included getting the Japanese government to reinstitute the Imperial Calendar, which was banished by the U.S. occupation government. It’s 2016 in the West, but under the Imperial Calendar, based on the reign of the Emperor, it is year 28 of the Heisei era. The system is so confusing that many reporters in Japan carry a handy chart to translate the Imperial Calendar dates into Western time.

Sugano also credits Nippon Kaigi with politically resurrecting Prime Minister Abe, whose political career was considered dead after his abrupt resignation as prime minister in 2007.

He also believes their goal may be to alter radically the parts of the constitution which define marriage and the rights of wives, thus, “rolling back sexual equality and making Japan a country pleasant for cranky old men, like themselves.”

The Daily Beast contacted Nippon Kaigi via email, fax, and by telephone and asked for clarification of what has been written about the group and their objections to Sugano’s book but did not receive a reply

While several recently published books and articles paint a picture of a masterful Machiavellian organization that has skirted the law to avoid having to register as a political group, Sugano believes they are primarily reactionary with no clear idea what they want to do once their goals are achieved.

“They have worked steadily and stealthily with local politicians and political lobbies to oppose things like gender equality, recognition of war crimes and the comfort women [sex slaves during WWII], women using their maiden names after marriage etc. It’s anti-this and anti-that but has no vision of the future.”

Other researchers have taken notice of the group’s anti-gender equality stance, but point out that Prime Minister Abe appears to be sincere about promoting women in the workplace and that the group also has female lawmakers in its ranks.
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282凡人:2019/10/06(日) 05:07:12 ID:aa/QkHo60
Sugano isn’t surprised. “Prime Minister Abe talks a lot about womenomics (the empowerment of women in the business world) but it’s all talk. It’s like a Texas racist saying, ‘I have a black friend so I’m not racist.’ The fact that there are female politicians supported by the group is the same logic. There are always some minorities in a minority that consider discrimination to be acceptable. Or these women find the support of the group advantageous to themselves—if not for women in general.”

Professor Jeff Kingston, a historian of modern Japan, has pointed out that while Abe says all the right things, he has quietly reduced his original professed goal of promoting women in management from 30 percent to 15 percent, and in reality his meager actions are “a nod to patriarchal realities that exposes Abe’s version of womenomics as a sham”.

Sugano insists the “patriarchal realities” of Japan are one reason behind Japan’s media self-censorship under the Abe administration and why they long avoided touching upon Nippon Kaigi.

He argues the mainstream Japanese media are run by misogynistic old men whose world views align with Nippon Kaigi’s sexist ideals, and since they agree with their principles, they have seen no need to report on the organization.

“It is not self censorship. It’s more like silent collusion,” he said.

Nippon Kaigi’s dismissive attitude towards women and children also explains its evident opposition to The United Nations Convention on the Rights of the Child (UNCRC).

Hideaki Kase, a prominent member of Nippon Kaigi and prolific revisionist writer, is also listed as Chairman of Japan’s Corporal Punishment Association—which advocates judicious beating of children as a means of educating them and making them strong.

If you ask Sugano why these elections are important, he will tell you why in his Kansai-accented Texas drawl:

“The LDP, Abe, and Nippon Kaigi have essentially the same agenda. The frightening thing about this election is that they have never been closer to achieving their dreams—amending the constitution to return Japan to a militaristic feudal society where women, children, youngsters and foreigners, including the Japanese-Koreans, have no basic human rights. They will only have one right: the right to shut up.”
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283凡人:2019/10/15(火) 06:21:00 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学と富岡製糸場のフィヤスコ(FIASCO)。

維持管理などに年10億円前後を投じる富岡市が採算の目安とする水準、約80万人に落ち込む(2016年ー830,719人)。出典https://www.sankeibiz.jp/business/news/170622/bsc1706220500006-n1.htm

2017―2019年はどうかを示すのが下の表である。ここに転記すると、2017ー666,227、2018ー523,572、2019(10月14日現在)ー370,663。確実に大きく右下がり。将来にはさらなる減少が予想される。

富岡製糸場見学者数(の動向)
http://www.silkmill.iihana.com/visitor/seisijninz19-9-12.pdf

高崎経済大学が大学上げて応援する富岡製糸の世界遺産登録と観光化の行く末。高木賢・現高経大理事長が長年財団法人大日本蚕糸会会頭理事として天皇家に仕えて得意とする分野である。凡人もゼミを中心にそこの学生たちも教員のもと、富岡製糸場の観光化の活動に参加している新聞記事を読んだものだ。ところが、それをあざ笑うかのように、年が経るごとに富岡製糸場を訪れる観光客が激減している。公式サイトにある富岡製糸場見学者数を示す表をみて欲しい。県政や高崎経済大学の肩書だけの教授がなんと言おうとも、統計は嘘をつかない。この大学がいかに低能、無能大学か、それがわかるといってもいいのではないのか。そうだろう。経済と地域政策を専門と自称する高崎経済大学だが、どんなに人材・金銭・学生をつぎ込んだとしても結果は知れたもの。どれだけ今までに学問を通じて地域の経済・生活を良くしたのか問うがいい。地域の将来を近視眼的にしか見れないグループのこの大学の教員が手につけると、地元群馬で高崎に近く、富岡といういたって小さな地域さえ、その経済やそこに住む人々の生活’すら’満足に改善することができないでいる。むしろ逆で、将来的に見ても悪くしていると言わざるを得ない。昔にとうに役割を終えた倉庫群にユネスコ世界登録の厳しい規定に沿うためを主目的に、維持管理費のために多額の市税を使い、日本政府や県からの補助金を目当てにし、その反面住民・市民を将来のない貧困に導くほど見返りはことさら少ない。そんな地域政策とは何ぞや。富岡市民の将来を台無しにしたとしか思えない。

284凡人:2019/10/30(水) 12:46:29 ID:aa/QkHo60
反民主主義の高崎経済大学というペテン大学。

創価大学という大学があるが、その名前からその大学がどういう大学かすぐわかるというもの。高崎経済大学がもし岸信介大学とか安倍晋三大学とか三潴信吾大学という名を冠していれば大学受験者もどんな大学か疑う余地がない。ところがそうなっていない。実際、高崎経済大学の大学案内書にはそこに触れていない。がこの大学は何を隠そう、その反民主主義の姿勢が特徴である。全国数ある国公立大学の中にあって特筆すべきなのに、そこになに一つ触れていない。つまり隠ぺいし、日本国内の大学進学者や帰国子女をだましていると言わざるを得ない。つまり俗にいうペテンである。歴史ある有力国公立大学とは違っている。私立大学のように易化受験をして、偏差値操作をし、勉強嫌いの受験生を全国から集めている大学である。スポーツと無知さ。教員の思想選考といい、それは意図的なものか、結果的なものかはわからないが、カルト大学に相応しく、カルトに染まるに十分な素地をもつ学生たちをが集まってくる。何を言われても従順に従う、’適当に’できる学生たちである。よい就職さえできれば、それに頭がいっぱいのノンポリ学生である。極右森友学園・加計学園のスキャンダルでの安倍晋三。彼が得意とする知人や支援者への違法な特別計らいと同じように、当時の右翼市長の支援者である地元有力者の子弟への裏口不正入学をした高崎経済大学。ーさすがに地域に密着した大学を標榜するだけある。笑いー 安倍晋三の選挙事務所と暴力団・やくざとの癒着が国会で暴露されたのと同じように、三潴信吾元高経大学長と地元暴力団幹部との癒着が当時地元新聞に暴露され国会の特別委員会で問題になる。安倍晋三のスキャンダルといい、高崎経済大学の悪魔的歴史を飾るスキャンダルは実質同じでものある。だから安倍晋三大学と名付けても満更間違いではない。今になって分かったのではもう遅いが、入学する前からはっきり他の国公立大学との違いが判っていたら、この凡人はこの大学は避けたと思う。福沢諭吉の法の下の平等は凡人の信念の一つであるからである。なんと民主主義の的を得た言葉なのだろう。身分制度の不合理や弊害を知り、ますます福沢諭吉の言葉の意味の重要さがます。民主主義の精神は素直に理解できるし、現実的である。たぶん獄中生活を余儀なくされ、獄中死した元高経大学生・星野文昭さんも私の意見に同調するであろう。もし彼が他の大学に入学していたら、彼の正義感は不滅でも、はたして中核派の活動家になっていただろうか。獄中死とはまったく違った人生を歩んでいたであろうことは想像に難くない。また彼の死でも冤罪の疑惑は消えない。

285凡人:2019/10/30(水) 14:11:32 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学を知るうえで、重要な単語、人物や言葉。(敬語略)

凡人は現行の日本国憲法の改憲に強く反対する。安倍晋三が目指す大日本帝国憲法復帰である。現行日本国憲法との違いが明確に示されている表がこれ。
http://gakusyu.shizuoka-c.ed.jp/shakai/seiji/01_3_5_teikoku_hikaku.htm

忘れてはならないのは、高崎経済大学にしても、決して過去の話はしていない。すべて現在進行形である。例えばマスコミを懐柔し、現在権力を我が物顔で掌握した安倍晋三首相の改憲へ取り組みは現実である。

安倍晋三と三潴信吾の高崎経済大学との接点。安倍晋三は岸信介の孫であり、岸総理下で奉仕する右翼改憲推進者で憲法学者・三潴信吾とは思想的にぴったりあてはまる。(三潴信吾の著書『日本憲法要論』(昭61)には岸信介、福田赳夫が序文を寄せている。)面識云々は知らないが、安倍晋三は大きな影響を受けていることには疑いの余地はない。

今までの記事をざっと復習するとこうなる。
映画「圧殺の森」(高経大学生の学内民主主義運動の敗退の記録、学生の大量処分と学生自治会や新聞会や活動の拠点となった三扇寮の廃止。当時高経大学生たちは裏口入学という事実に端を達し、不正入学の中止を大学に要求して立ち上がった。当時大学の母体である高崎市の右翼市長や岸信介の息の掛かった高経大教授の三潴信吾らを相手に学内の民主化運動が学生を中心にスタートを切った。果敢に戦いを繰り広げたのだが、なんとその背後には中曽根康弘、福田赳夫という地元高崎出身の有力右翼国会議員が控えていた。生長の家のカルト信仰は現実である。はじめは純粋な民主化運動だったが後にどう変貌していったか。大学の強力な右翼路線を前に、孤立無援の学生活動家たちがどこに助けを求めたか。凡人の単なる推測なのだが、運動の内容が変わり、過激派中核派の代理戦争化しても全く驚かない。凡人は当初のこれらの学生活動家や学生たち、純粋に民主主義を信じ、民主主義の社会の実現のために戦った学生たちを心から賛美したい。それがこの大学の唯一の金字塔なのだと信じている。教員8人の抗議辞職によって高崎経済大学の暗黒の歴史が始まる。)

高崎経済大学直属応援団(圧殺の森以後、三潴信吾が創設。体育系の所属から、文サ協(文化サークル協議会)や体育会を超えた単一組織に引き上げる。全学生による投票なしの高経大全学生の代表となる。南方ペリリュー島で天皇万歳で玉砕した大日本帝国陸軍歩兵第15連隊(本拠高崎市)を賛美した演舞や唄を市民公開演舞で創作披露。大学の名で明治神宮に参拝する、戦前の大学応援団を模範にした右翼政治組織に他ならない。)

故岸信介(岸信介は東条英機内閣の商工大臣を務めた軍国主義者、改憲推進者、日本会議、東大法科卒。「岸信介は戦前の官僚。のちに甘粕正彦と組んで、帝国陸軍が中国東北部を植民地にし、そこに建設した傀儡国家「満州国」を牛耳った男だ。A級戦犯として逮捕されたが、米国の”操り人形”になることを条件に釈放された。甘粕正彦は陸軍憲兵大尉の時に、無政府主義者の大杉栄らを殺害したことで知られている。世に言う甘粕事件である。その後、甘粕は突然、日本を離れて満州に渡り、関東軍の特務工作を陣頭指揮。その時、岸と知り合い意気投合。いわく因縁の「闇のつながり」である。」ー(sauceインターネット、自己検証要))
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286凡人:2019/10/30(水) 14:13:01 ID:aa/QkHo60
筧克彦(三潴信吾の岳父。1923 年に秩父宮、翌 1924 年に貞明皇后に進講。東大卒、東京帝大教授(憲法)。古神道にもとづく「神ながらの道」を説き、天皇中心の国家主義をとなえて軍部の主張に理論的に寄与した)

安倍晋三(成蹊大卒・学業不振で有名。現内閣総理大臣に上り詰める。岸信介の孫、スキャンダル暴露にも全く動じない。マスコミを懐柔。暴力団との関係国会で暴露、改憲推進者)、

故福田赳夫(元内閣総理大臣、群馬県高崎市選出衆議院議員、生長の家信奉、東大卒)

中曽根康弘(大戦下海軍主計中尉として、隣国で日本兵の士気高揚のため慰安婦調達翻弄、群馬県高崎市選出衆議院議員、元内閣総理大臣、生長の家メンバーとの深い関係、改憲推進者、東大卒)

故三潴信吾(前高崎経済大学学長、東大法科卒。岸信介総理下で改憲を目指す憲法調査会の有力メンバー、戦後も高経大に教壇に立つ一方、陰で暴力団幹部と癒着、憲法学を講義し、大日本帝国憲法・教育勅語を愛し、現行日本国憲法を認めない。日本会議、生長の家信奉者)

八木秀次(前高崎経済大学憲法学教授、第2次安倍内閣発足後につくられた「教育再生実行会議」の委員の一人。「新しい歴史教科書をつくる会」第3代会長として日本史美化改ざん教科書推進者、右翼プロパガンダ、改憲推進者、早大卒)

谷口雅春(生長の家創始者、早稲田大中退、靖国信仰・国家神道復活・軍拡・自主憲法推進者)

カルト信仰と高学歴(オウム真理教にも信徒に高学歴者が存在したので驚かない。日本では東大卒は高学歴であるが、世界の視点では東大は高学歴と呼んでいいのか疑問が残るが。オウム真理教の信者が現在、名前を変えて同じ教義の下、活動中である。「生長の家と密接な関係を持っている。元幹部の上祐も谷口雅宣と血縁で、鈴木邦男もオウム真理教と繋がっている。」(ウィキ))

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これら人物に共通しているのは国民主権、男女平等、三権分立、政教分離を保障する日本国憲法を完全否定・廃止・改憲し、天皇主権にたった身分制の復活、天皇側近/利権/権力側に有利に働く憲法を確立。つまり戦前の憲法に戻すことに他ならない。近代的日本国憲法の下、高度経済成長を成し遂げ世界の経済大国にのし上がった日本の歴史を無視し、アメリカに押し付けられたといって、日本国憲法が日本の弱体化の原因と嘯く。戦前の明治憲法や大日本帝国憲法が民主主義の下で国民の意思を反映し制定されたのか問うがいい。国民の大部分は参加さえさせてもらえない身分制度下で国民の意見が反映されたとどうして言えようか。また野球というスポーツを考えてみよう。今や日本の人気国技と言っても誰も否定しないであろう。そのスポーツが純粋にアメリカ起源であるとはどれだけの人が知っているのだろうか。だれもアメリカから押し付けられと文句をいう日本人に合ったことがない。つまりそれは国民・庶民を相手にするスポーツだからである。今の日本国憲法もまったく同じで、横暴になりがちな権力側の力を極力抑制するために、庶民の目線で庶民の幸福を謳ったものである。誰が改憲を推進しているのか、望んでいるのか?元戦犯者の岸信介、孫の安倍晋三や天皇信仰派、右翼暴力団、創価学会等のカルト信仰、プロパガンダに乗りやすい無知蒙昧者、懐古主義者、皇族、天皇に可愛がれた故三島由紀夫等や高学歴の東大・早大卒等等、なかなか庶民の気持ちなどわかる人種ではないだろうと推測する。

<反共・反憲法の岸信介人脈>
 戦後の右翼政治の系譜は、東條内閣の商工大臣で敗戦時、A級戦犯となった岸信介と、もう一つが海軍主計中尉の中曽根康弘である。両者の間に、戦後右翼暴力団のドンといわれた児玉誉士夫が君臨してきた。児玉と同様の笹川良一は、岸人脈に接触して、その後継者と安倍はゴルフ仲間ともなっている。中国にも羽を伸ばしている。
 日本右翼の共通点は、靖国信仰・国家神道復活・改憲軍拡に特段の関心を抱いていることだが、これは神社神道を正当化(国家神道復活)するための行き着く先でもある。日本国憲法が否定する天皇制国家主義である。
 ちなみに、岸人脈は福田赳夫・安倍晋太郎・石原慎太郎・森喜朗・小泉純一郎・平沼赳夫・安倍晋三らで、森の「日本は天皇中心の神の国」という時代錯誤の宗教イデオギー論者で知られる。
 現在は、日本会議の誕生によって、岸と中曽根の二つの右翼勢力が一体化したことになる。ここが深刻な日本政治を現出させている元凶である。その政治思想は、神道信仰と谷口信仰の合体で、カルト・神がかりに特徴がある。

(ソース<本澤二郎の「日本の風景」(2324)日本会議と谷口雅春・生長の家教団
2016年4月14日記(政治評論家・日本記者クラブ会員)
http://blog.livedoor.jp/jlj001/archives/52135475.html
2-2

287凡人:2019/10/31(木) 11:00:30 ID:aa/QkHo60
上の知識を踏まえ、国会衆議院特別委員会で触れている高経大の問題を読み返すと、より事態の重大さや高崎経済の将来が容易に理解や読み取れるというものである。
―――
高経大の現体制を築いた故三潴信吾氏(高経大学生部長ー学長)の暴力団スキャンダルを取り上げた国会特別委員会の議事録が下記のリンク。

第061回国会法務委員会第19号昭和四十四年(1969年)六月六日(金曜日)
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0080/06106060080019c.html

この1969年は三潴信吾氏が高崎経済大学学長に就任した年でもある。高経大PR誌、宣伝広報の目的で定期的に出版する「たかけい学報」なるものが生まれたのもこの年。学長就任の年に、その学長の暴力団との関係が国会で討論されているのは面白い。地元新聞記事の暴露から国会の議論にいたるまでには、すでに群馬・高崎市民をはじめ日本国中の中・高校生、大学生、知識人や文化人、マスコミ・予備校・大学関係者、暴力団にひどい目にあった人などなどに、この記事ニュースが届いていると解釈して間違いはなかろう。大きな社会問題や波紋を投げかけたであろうと当時を想像するが、高崎経済大学という前代未聞の大学では三潴信吾氏の学長の座は揺るぎもしない。しかもだ、今年の「たかけい学報」には50周年記念号ということで、三潴信吾氏の当時の学長就任の挨拶文が全文そのまま再掲載。高経大のドンを崇め祭っている大学側である。それが現在の高崎経済大学の姿なのだ。過去と現在はまったく途切れていない。一線上に繋がっているのである。恐れ入りました。笑い

この暴力団問題といい、今まで凡人が書いた高崎経済大学の内外で起こっていることは、凡人の創作や作り話でない。嘘みたいな本当の話が過去でも現在でも起こっている事実。この大学の卒業生である凡人にはこれがまったくの作り話であって欲しいと願うが、現実である。そのことに対してまったく目をつぶっていられない問題だからこそ繰り返して、記憶を新たにし過去の出来事から学び将来を占っているのである。

288凡人:2019/10/31(木) 11:04:10 ID:aa/QkHo60
ツイッターからの転載
Oct 29, 2019
立川談四楼
@Dgoutokuji

河野太郎防衛相の「私は雨男」は、訓練してない人のギャグが滑ったわけで「なに調子こいてんだよ」と突っ込みゃ充分だと思う。しかし萩生田文科相の「身の丈」は別次元で、憲法や教育基本法を踏みにじる重大発言である。「教育勅語」が好きだという一点において、教育の頂点にいてはいけない人なのだ。

289凡人:2019/11/14(木) 12:58:30 ID:aa/QkHo60
Takasaki Keizai Daigaku (TCUE) Student's Movement for Democracy in 1960's and early 1970's (crashed by the ultra-right wing city Mayer & officials And the university management) is now available to be able to see in DVD form.

Assatsu no mori : Takasaki Keizai Daigaku tōsō no kiroku = The oppressed students
圧殺の森 : 高崎経済大学闘争の記錄 = The oppressed students

Responsibility: kantoku Ogawa Shinsuke ; seisaku, Kiroku Eiga "Assatsu no mori" Seisaku Jikkō Iinkai, Jishu Jōei Soshiki no Kai. 圧殺の森 : 高崎経済大学闘争の記錄 = The oppressed students / 監督小川紳介 ; 製作記錄映画「圧殺の森」製作実行委員会, 自主上映組織の会.
Language: Japanese. In Japanese.
Sound: digital; optical; mono; Dolby Digital 2.0.
Video: NTSC.
Digital: video file; DVD video; region 2.
Publication: [Tōkyō] : Kabushiki Kaisha Dimenshon, 2016. [東京] : 株式会社ディメンション, 2016.
Physical description: 1 videodisc (103 min.) : sound, black and white ; 4 3/4 in.
At the library

Media & Microtext Center: Today's hours: 8a - 9p
Ask at Media Microtext desk
Items in Ask at Media Microtext deskCall number Status
ZDVD 40956 Available
More options: Find it at other libraries via WorldCat

Description:
Creators/Contributors: Ogawa, Shinsuke, 1936-1992, film director. Kiroku Eiga Assatsu no mori" Seisaku Jikkō Iinkai, production company. Jishu Jōei Soshiki no Kai, production company.

Contents/Summary
Summary: Documentary film of student movements which took place at the Takasaki Keizai Daigaku in 1967 after ongoing fraudulent admissions to the university were revealed causing much anger and resentment among the students.

Subject: Takasaki Keizai Daigaku > Students > Political activity. 高崎経済大学 > Students > Political activity. Student movements > Japan > Takasaki-shi. Violence > Political aspects > Japan.

Genre: Documentary films. Nonfiction films
Feature films: Feature films > Japan.
Foreign language films > Japanese. Local subject
Japanese DVD and Blu-ray Collection.

Bibliographic information:
Publication date: 2016
Copyright date: 1967
Title Variation: Oppressed students
English title also known as: Forest of oppression : a record of the struggle at Takasaki City University of Economics

At head of title on container: Dokyumentarī eiga no daiuchū : Ogawa Purodakushon
At head of title on container: ドキュメンタリー映画の大宇宙 : 小川プロダクション
Medium: 4 3/4 in.; stamping
Publisher Number: DIGS-1014 Dimention

290凡人:2019/11/14(木) 13:14:22 ID:aa/QkHo60
Correction/訂正: That DVD mentioned above is the documentary film of TCUE student movements taking place in 1967 and nothing more and else. Follow the summary which is right: "Documentary film of student movements which took place at the Takasaki Keizai Daigaku in 1967 after ongoing fraudulent admissions to the university were revealed causing much anger and resentment among the students."

291凡人:2019/11/14(木) 14:32:59 ID:aa/QkHo60
2チャンネルでは成蹊大と学生の偏差値/頭程度がよく比較・同類される高崎経済大学。成蹊大の方がより知名度、有名人輩出度や就職先でもすこぶるよく、まったくかなわないのにも関わらず。一方高崎経済大学は就職がよいことで応援団に入った女性団員に象徴される政治的無知さで彩られる。学生・院生は大学生として普通に考える能力が問われているのが高崎経済大学であろう。殊更学問の府として高崎経済大学の将来性・運命はすこぶる最悪である。
*****
AJAA 安倍晋三に反対する成蹊大学後輩による抗議声明 on strikingly
http://ajaa.mystrikingly.com/

PROTEST

1977年度成蹊大学法学部政治学科卒業生、安倍晋三さん

私たち成蹊大学後輩一同は、あなたの安全保障関連法案における、学問を愚弄し、民主主義を否定する態度に怒りを覚え、また政治学を学んだとはにわかに信じがたい無知さに同窓生として恥ずかしさを禁じえません。

日本国憲法に、集団的自衛権の行使を基礎づける条文が存在しないことを、私たちは成蹊大学で学んでいます。

憲法を、時の総理大臣が自らを責任者と称し解釈で改憲することは、法の支配に反する行為であると、私たちは成蹊大学で学んでいます。

日本国憲法は、アメリカによって押し付けられた恥ずかしいものなどではなく、日本国民が自ら選び取り70年間維持してきたものだと、私たちは成蹊大学で学んでいます。

そして、私たち成蹊大学生は、憲法学を机上の空論などと考え学者の意見を軽視することなどはせず、学問が蓄積してきた知識を大切にしています。

あなたは、本当に成蹊大学で学ばれたのでしょうか。

知っていますか。就職活動の際、自己紹介で母校の名前を答えると「ああ、安倍晋三のね」と冷笑されることを。その冷笑に含まれている意味を考えてみてください。

安倍晋三さん、あなたは成蹊大学の誇りなどではなく、ただその無知で不遜な振る舞いによって、私たちの大学の名誉と伝統に泥を塗っているのです。

私たち成蹊大学生は、先輩・安倍晋三さんの立憲主義を否定する態度に反対し、安全保障関連法案の廃案を求めます。


平成27年9月13日 発起人・成蹊大学法学部政治学科4年 秋山直斗

付記:成蹊大学の教授、職員の方々が「安全保障関連法案に反対する成蹊学園有志の会」を発足され、様々なご活動をされておりますが、現役学生は賛同者になることができないということなので新たにこちらを作りました。

UNITE!
賛同者募集

成蹊大学の現役生、卒業生の方で、声明にご賛同いただける方は、下のフォームから送信していただくか、
againstabe(実際にメールをするときには上下をつないで下さい)
@yahoo.co.jp
まで
(1) 氏名
(2) 所属(学部、学年または卒業年次)
(3) 氏名公開の可否(必ずお知らせください)
(4) 連絡先電子メールアドレス
をお知らせください。

MEMBERS
賛同者

●現役生
鈴木耕(文学部現代社会学科2年)藤沢(旧姓 西郷) 敦子(2015年文学部科目等履修生、文学部1982年卒) 、坂本優(大学院法学政治学研究科博士前期課程1年)、匿名希望:4人

●卒業生
日比和子(旧姓: 武智)(文化学科2000年中退)、鏑木睦子(文学部1979年卒)、早川行雄(法学部政治学科1976年卒)、佐藤千晴、加藤亜弥子(法学部法律学科1999年卒)、高山龍(理工学部2008年中退)、田中(文学部1971年卒)、泉祐輔(経済学部経営学科2004年卒)、和根崎いくえ(法学部政治学科1981年卒)、中川麻里(文学部日本文学科1992年卒、飯田良弘(1977年卒)、髙瀬祐子(文学部博士後期課程2012年卒)、清水康之(工学部1979年卒)、浅見清武(法学政治学研究科2003年卒)、重松久惠(文学部文化学科1978年卒)、圓城康彦(法学部1983年卒)、花上光治(政治経済学部1969年卒)、服部至道(法学部政治学科1999年卒)、矢幅美穂(文学部卒)、鈴木葉子 (文化学科1983年卒)、芳賀まき(旧姓・渡辺)(文学部文化学科1984年卒)、榎本雅文(経済学部経営学科1981年卒)、大村憲子(文学部日本文学科1975年卒)、髙橋優子(法学部1990年卒)、坂田峰人(法学部政治学科1978年)、匿名希望:27人

●学外
林嵜和彦(福岡教育大学)、神谷栄司(京都橘大学教授)、西田彩(京都精華大学ポピュラーカルチャー学部音楽コース非常勤講師)、与那覇大智 、福田良典、加藤悦子、佐藤有希、中山裕、井川雅子、匿名希望:15人

●罵詈雑言
23通

292凡人:2019/11/21(木) 23:24:19 ID:aa/QkHo60
日本が戦後民主主義でなかったら、故本田宗一郎は日本に生まれなかっただろう。このビデオは下の言葉で本田宗一郎の人柄を締めくくって終わっている。敗戦後軍国主義・天皇主義から突然、アメリカから輸入された民主主義。身分制度から解放された日本人。競争が社会に生まれ、新しく得た自由と平等が原動力となって、日本が製造業界を中心に世界の需要の供給元に躍り出る高度経済成長を達成可能にしたと言えないだろうか。
******
本田宗一郎 ー挑戦と成功ー
Sep 10, 2012 https://youtu.be/lhfYbzOh1yI

生1906年(明治39年)11月17日 - 没1991年(平成3年)8月5日)

「明治生まれの男は自由に生きることのできる民主主義が好きだった。学歴やも生まれも無関係に知恵と能力で生きていける環境が好きだった。本田宗一郎は偉大な経営者であることより、いちエンジニアであることになによりも喜びを感じた。引退後も工場へ足を運んでは若い技師たちの仕事をみて回っていたという。」

293凡人:2019/11/22(金) 00:13:57 ID:aa/QkHo60
本田宗一郎 講演 ノーカット『行政改革 』
Jan 25, 2014
https://youtu.be/8gXajczE5sw

この講演は、1982年6月19日(社団法人)本庄青年会議所、現(公益社団法人)こだま青年会議所主催にて本庄市民文化会館で開催された様子です。
第二次行政改革推進委員会委員長 土光敏夫氏のもと、副委員長であられた本田宗一郎氏が『蘇れ日本、生きがいのある故郷­を-行政と地域住民とのかかわりあい』をテーマに、60分間にわたる特別講演をなされ­ました。
〜昭和57年の国の借金は約98兆円に膨らみ、生まれたばかりの赤ちゃんから年寄りの方国民一人­が約83万円の借金になってしまった。〜
講演では『今、何とか行政改革して、国の借金を減らさないと日本は滅びてしまう』とお­話されています。
また、子供の教育についても問題視し、『人間尊重の教育が一番大事なのではないか』と­お話されております。
本田宗一郎氏の講演から37年が経ち、今日本の借金は1,000兆円を超えて約10倍­となり、また、子供の教育問題も大きな岐路にたたされております。
この講演の中に日本が蘇るヒントがあるのではないかと思います。そして、日本が蘇るの­には、今が最後のタイムリミットではないでしょうか?
是非とも、この映像を多くの方に見て頂き、行財政改革についてより一層の関心を持って頂くことが日本の蘇る手引きの一助になるのではという思いから、この講演映像を配信する­事に致しました。
ご覧頂きました皆さま方で、明るく、豊かな日本にしていきましょう。
金井福則

294凡人:2019/11/22(金) 14:35:41 ID:aa/QkHo60
高経大直属応援団とは
http://www1.tcue.ac.jp/home1/ohendan/endantoha.htm

大学直属の応援団

高崎経済大学直属応援団は、名誉顧問に公立大学法人高崎経済大学理事長、特別顧問に同窓会会長と(財)高崎経済大学後援会代表理事、最高顧問に学長、更に教授7名に顧問団を形成して戴いており、大学公認の直属応援団です。入学式・卒業式・公式行事等に関与するのは、私たちが大学から高い信頼を得ているからであり、世間一般に悪いイメージでとらえられている旧態依然とした応援団とは違う、近代的な体質の応援団です。

高崎経済大学直属応援団の現状

高崎経済大学直属応援団は現在、附属吹奏楽部も含めて約80名に及ぶ人員を擁し、団の中にいくつもの部を有する総合団体として、且つ大学直属という高い信頼を戴いています。弊団は創団50年の歴史を有し、『人を応援するに足る自己の陶冶』を基本理念に掲げて活動をしています。これは他人を援助し、応援するには自分にそれだけの力量が必要である事を知り、それに近づこうとするところに成長の意義と価値を見出そうとする理論であり、他大学へも啓蒙しているところです。又、竹内健総監督の御指導のもと、基本理念に近づく為の具体的な行動規範として応援団活動を『実学』を学ぶ場として考え、諸活動に邁進しています。
現在弊団では、旧態依然とした応援団というイメージを払拭し、更に一層合理的なものを目指して、大学諸行事への公式参加、大学内の各部の応援・壮行式はもちろんの事、この様な活動を通して、全ての学友との連帯感を強め、親密な関係を構築しています。

尚、応援という意味を幅広くとらえ、更には公立大学である事の特色を生かし、日頃御世話になっている高崎市民の皆様に対するボランティア活動にも力を入れています。

『実学とは?』
礼法・決断力・勇気・相手側からの思考の分析・臨機応変の身の処し方等といった、大学の講義では学ぶ事の少ないものの、一般社会に出て実際に役に立つ能力を修得する事です。

『応援団は暴力的なのでは?』
当団では、暴力を否定しています。ところで、暴力とはどの様な事を指すと思いますか。例えば人を殴ったり、蹴ったりする事でしょうか。それを暴力とするならば、格闘技は暴力になってしまいます。座禅の際、警策で打たれる事は素手よりも物を使った暴力となってしまいます。或いは、相手に遭わなくても夜中のいたずら電話や不幸の手紙等はどうでしょう。私達は理不尽に人を傷付ける言動、行為の事を暴力と考えています。逆に、もし自分の恋人が暴漢に襲われようとしている時、あなたはどの様な行動をとりますか。拳を振り上げても自分の恋人を守るでしょう。この時の戦いに、殴る・蹴るがある場合、これも暴力でしょうか。私達は正当防衛を暴力とは思いません。

では暴力とは何でしょうか。当団ではこの様に考えています。暴力とは理不尽な行為の事であり、それは受けた側の人が判断するものと思います。例えば、前に述べた座禅の警策は、たるんだ自分の気持ちを瞬間的に立て直すものと考えれば、警策を打たれた人は、合掌し頭を下げ、感謝の意さえ表わします。つまり、その相手からの行為を自分の為と受け取った場合、それはその人によっては暴力と考えにくい事もあるでしょう。私達は、理不尽な行為を暴力と呼び、正義の為の正当防衛は、暴力には当らないと解釈しています。自らの命や、かけがえの無い家族・友人を守る為には
時に力も必要であるという事です。それらを踏まえた上で、本団では総合護身術の訓練も行なっています。
又、応援団という組織は規律・礼節・元気・勇気・相手側からの思考の分析…を学ぶ組織でもあり、従って、団体行動等は早く正確に行なう必要があります。これを外見的に御覧になると、統制された動きから、恐いというイメージに結びつく事も考えられます。しかし、警察・消防・自衛隊がそうである様に、統制の美は男性的でもあり、いざという時に大切な学友を守るという意味からは、毅然とした態度も時には必要と思って居ります。

295凡人:2019/11/22(金) 19:58:49 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学という名の高校。

この大学にしてこの応援団の頭の中身。全学生の代表として君臨する我が高崎経済大学直属応援団の団員の考え方がよくわかって面白い文章が上である。オフィシャルサイトから拝借したもので、誰もが読むことができる。どこの大学でも、出来の悪い学生はつきものだ。普段無視し、まったく問題にならない。ところが、なぜここで大きな問題として取り上げるか。それは高崎経済大学の場合、大学直属であり、応援団の団員が高崎経済大学の現役の全学生・学院生の学生代表として大学側で取り扱われるからである。またその応援団は同窓生/卒業生にとっても同窓会という形で、同じ役目を担っている。入学金やその他学費等や、あるいは同窓会費等の形で、現役学生・院生や同窓生から徴収している金額。払い込みしている学生・院生やその父兄等は、大学直属応援団の活動内容を知り、納得しているのであろうか。彼らのお金が直属応援団にどう使われているかの詳細を知る必要があろう。ところがそういう金額について何も問題にならないようだ。

凡人は本を読むのが好きだ。日本文・英文にかかわらずである。自己紹介を含め、あることを説明する文章にはまず論理性が必要だ。それがないと話になんの説得力がない。こうした書き物の命といってよい。ここにはそれがあるだろうか。凡人には大学生級の論理性が感じられないと言いたい。

インターネットやその他には、難しい言葉をたくさん羅列した意味のない文章があふれている。逆に小学生や中学生でもわかる言葉であるが、凡人をうならせる文章に出くわすことがある。豊富な知識や経験や優秀な人間ならだれもがもっている批判的考察。それらがなければ到達できない意見や感想やその論理性に感動する。そういった論理は中学・高校・大学で得た学習の成果だろう。またあるいはそれ以外、まったくの個人の努力で養成されたもの。正規の学校だけが学習の場ではないといいたい。

たくさんの書き物を読み込んでいると、当然だがその書いた人間のレベルが自然に読み取れる。だから凡人の応援団のこうした書き物を読んだ感想は、よくて中学・高校レベルという結論に達する。書き手は読書家ではない。多分勉強嫌いだろうということも容易に予想される。

どこが悪いのか。大学生が書いたものと言われたら驚く程度の問題だが、その結論に達するヒントは一つではない。時間がないので、すべてに触れることはできないが・・・・説明するとこうなる。

最初から物凄い。

高崎経済大学(高経大)の現体制の生い立ちに何度も触れているが、思想選抜された教員たち、理事長を含め、大学直属応援団の顧問団とはどんな集まりかを最初に知る必要がある。例えば初代で現理事長の高木賢氏や昔八木秀次氏も以前顧問であったというだけで、顧問団という集まりがどんな思想的集団かわかるはずだ。

そして言う「入学式・卒業式・公式行事等に関与するのは私たちが大学から高い信頼を得ているからであり」。こういう場合、信頼なんて言葉使うの不自然じゃない?例えば、今は知らないけど日本の株式会社には「総会屋」なるものが存在した。民主主義を具現化した会社組織で恒例の株式総会に「総会屋」なるものが現れる。同じ論理でいけば、この総会屋は会社側から高い信頼を得ていたということになる。さらに皮肉屋の凡人に言わせれば、この大学は公立大学でありながら、裏口入学をやってのける大学。暴力団幹部と学長のなれ合い大学。それが日本全土にニュースで暴露されても、学長として問題でない大学。スキャンダルが絶えない大学。そんな大学側に絶大な信頼をもらっている応援団とはすごすぎるだろ。
1-3

296凡人:2019/11/22(金) 20:00:17 ID:aa/QkHo60
「旧態依然とした応援団とは違う、近代的な体質の応援団」何が旧態なのか、何が近代的なのか?何を定義に言っているのか、論理の飛躍と申しましょうか、不思議な文章が続く。

「大切な学友を守る」なんてカッコいいことを言うが、応援団の歴史は学友を守る歴史ではなかった。現実は大学・市長の権力側の犬となって、学友を裏切り、学生たちが起こした民主主義を真っ向から潰しにかかった団体である。ここでいう「大切な学友」とは高経大の学友のことではない。ただ応援団と行動を共にする仲間たちを指すのであろう。

また「暴力の否定」とか言っているあとで、正当防衛の話を持ち出している。誰も正当防衛が暴力だなんていう人は少ない。そんなのは現行の憲法下の法律だって、警察だって正当防衛は認めていること。正当防衛も暴力とする人はいないことはないが、無視してかまわない程度。また「座禅の警策」を暴力か否かを議論するのは愚の骨頂に思える。そこに行くか行かないかは個人の自由だからだ。暴力をいうならば、生徒に対する先生による体罰とか親が子にする体罰が社会問題になっているが、そうした暴力に対する重要な問題がいくらでもある。ただここに取り上げている事例は、みな自分の意見を正当化するために、都合のよいものだけを引き合いに出している感を否めない。

「暴力の否定」を取り出すならば、暴力や恐喝を売り物にする暴力団に対する見方はどうか。直属応援団の産みの親である高崎経済大学学長故三潴信吾氏はなんとその暴力団の幹部と一緒に盃を交わす仲であった。当時、その幹部は学長室にもしばし来てたというから、当時の応援団団員とも顔なじみであったと言われてもまったく驚かない。また、「暴力の否定」がもし本当とすれば、戦争とかに言及するのが普通であろう。ところが、ここでは一切触れていない。隣国中国その他の地で、なんの罪のない婦女子供を銃剣で刺し殺し、武力でその土地を奪い、満州国を建設したような日本の歴史。岸信介のような東大卒をたくさん含む日本人が率いる天皇軍が過去に犯した侵略戦争の数々。それこそ戦争は「正義」無き暴力そのもの。それに対してどう思うか。中国や東南アジアからの留学生が少なからず勉学している高崎経済大学である。その中にあって、高経大の直属応援団は大日本帝国陸軍で玉砕した高崎15連隊を賛美する歌や演舞を自ら創作し、自慢し、公式として市民の前で公開演舞している。その事実は何をいったい意味するのであろうか。

その外にも、意味不明、矛盾する箇所がところどころに目に付く。ここまで来て、この文章から右翼の共通点を教えられる。右翼/右翼思想傾倒者は高学歴の肩書を持つものから街のチンピラにいたるまで存在するが、その共通点は何であるか。それは喧嘩するとか、肉体的に暴力をふるうとかいうのではない。そこに共通する点は自己正当化のために、矛盾することを平気で言ってはばからないことである。矛盾していることさえわかっていないのではないかと疑う。あるビデオの中に、右翼暴力団の活動家が「日本の右翼は人種差別ではないんですよ」とインタビューで断言的に答えている場面があった。そのあとのまったく違う画面で、マスコミ関係者やインタビュー者は近くにはいないが、「中国語でも話そうもんならその場で殺しちゃえ。」恐ろしいことを叫んでいる右翼活動家の言葉が聞こえる。彼らには矛盾が存在しない。わからなければまったく問題にもならないのである。
2-3

297凡人:2019/11/22(金) 20:01:26 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学直属応援団によりますと、「私達は、理不尽な行為を暴力と呼び、正義の為の正当防衛は、暴力には当らないと解釈しています。自らの命や、かけがえの無い家族・友人を守る為には時に力も必要であるという事です。それらを踏まえた上で、本団では総合護身術の訓練も行なっています。又、応援団という組織は規律・礼節・元気・勇気・相手側からの思考の分析…を学ぶ組織でもあり、従って、団体行動等は早く正確に行なう必要があります。これを外見的に御覧になると、統制された動きから、恐いというイメージに結びつく事も考えられます。しかし、警察・消防・自衛隊がそうである様に、統制の美は男性的でもあり、いざという時に大切な学友を守るという意味からは、毅然とした態度も時には必要と思って居ります。」

「正義のための正当防衛」ー日本が始めた隣国への侵略戦争が、右翼の手によると「正義のための正当防衛」になる事例を紹介しよう。アメリカ連合軍に無条件降伏した日本。その第2次世界大戦での日本とは何だったのか、戦後70年以上経つ今、彼らによるとこうなります。つまり、いわゆる「従軍慰安婦」や「南京大虐殺」などは中国や韓国のまったくのでっちあげで存在しない。大東亜戦争の真実は日本の正義の為の日本の正当防衛の行使であり、欧米列強による植民地支配からアジアの同胞を救い、人種差別を打ち砕く正義のための戦いであること。その戦争の結果、ようやくにして東南アジアの諸国は独立を果たすことができ、すべては万々歳となった。東南アジアの諸国は今でも日本に感謝しています、と。日本昭和史の美化。実に美しい日本である。 

最後に指定暴力団『山口組』の綱領を紹介して終わりにしたい。高崎経済大学直属応援団が違う違うといいながら、犯罪集団・暴力団の綱領と見比べると、なんらその違いがないことに気が付く。言葉は違っても意味するところはとても近い。そのことは、とても興味深い。書いたり言ったりすることはいくらでもできる。その真意を証明するのはその行いであり、またその歴史である。歴史を知ってのみ嘘を見破ることができる。右翼はそのことをよく知っている。じゃ、いっそのこと悪い歴史は消しちまえ。証明としての歴史を嘘や偽り、事実の隠ぺい、改ざんで、過去を抹殺。その試みは彼ら右翼の常套手段である。安倍首相を見るがよい。国会という重要な場ですらやってのけてしまう。子供に道徳教育の必要性を説く右翼。ところが道徳とは国民のみが守るものであって、特権階級の安倍ではないと言わんばかりである。事実があまりにも言っていることとかけ離れているために、歴史的事実を曲げてのみ自己正当化が可能。この逆立ち戦法が日本の権力たちのあいだで流行っている現象は今も昔も変わらない。成功するかは別として、自己正当化の究極だろう。右翼の極意である。

『山口組』綱領
山口組は侠道精神に則り国家社会の興隆に貢献せんことを期す。
一、内を固むるに和親合一を最も尊ぶ。
一、外は接するに愛念を持し、信義を重んず。
一、長幼の序を弁え礼に依って終始す。
一、世に処するに己の節を守り譏を招かず。
一、先人の経験を聞き人格の向上をはかる。
この5か条の「綱領」は田岡三代目時代に制定されたもので、定例会などの行事の際に唱和される。加えて、年度ごとに定められる「組指針」がある。
3-3

298凡人:2019/11/30(土) 04:57:30 ID:aa/QkHo60
欧米の歴史学者も認めている「従軍慰安婦」は中国や韓国のでっち上げか-----

「女の耐久度」チェックも! 産経新聞の総帥が語っていた軍の慰安所作り
2014.09.07 08:25
https://lite-ra.com/2014/09/post-440.html

『いま明かす戦後秘史 下』(サンケイ出版)

 朝日新聞の慰安婦報道の失態で勢いづいている右派・保守陣営だが、中でも、一番大はしゃぎしているのが産経新聞だろう。産経は慰安婦が政治問題化した1990年初頭から、慰安婦の強制連行はなかったと否定し、河野談話や村山談話を批判、慰安婦を記述した教科書を糾弾するキャンペーンを展開してきた。

 さらに同紙の社説にあたる「主張」や月刊オピニオン誌「正論」では、強制連行の否定だけでなく、慰安婦は「民間業者が行っていた商行為」で、「自ら志願した娼婦」。日本軍は従軍慰安婦に「性病予防対策などで関与していた」だけ、「公衆衛生面で関与していた」にすぎないという主張を繰り広げてきた。

 そして今回、朝日が「吉田証言」の間違いを認めた事で、こうした自分たちの主張がすべて正しかったと勝ちどきをあげているのだ。

 97年に結論が出ていた「吉田証言」の虚偽を朝日が今になって認めたというだけで、どうしてそういう結論になるのかさっぱりわからないが、とにかく産経は自信満々で、日本軍に慰安婦の責任はまったくないかのような論調を繰り広げている。

 だが、彼らは自分たちの会社で中興の祖とあおがれている人物が、その「軍は公衆衛生面で関与していただけ」という主張をくつがえすような衝撃的発言をしていたことを知っているのだろうか。

 その人物とは元産経新聞社長で、フジサンケイグループ会議議長だった故・鹿内信隆。鹿内は日経連専務理事からニッポン放送、フジテレビを開局して社長を歴任した後、産経新聞の経営権を握り社長に就任。現在、フジサンケイグループの原形を築き上げた人物だ。その権力と政治力は絶大なものがあり、1990年になくなるまで、事実上のオーナーとして同グループを独裁支配。経営方針だけでなく、現在の同グループのタカ派的な姿勢もすべて鹿内がつくりあげたものだ。

「鹿内さんは産経新聞社長に就任時するや同紙を反共タカ派の拠点にする方針を掲げ、自分にさからうリベラルなスタンスの社員のクビを片っ端から切っていった。800人に及ぶそのリストラの凄まじさは当時、マスコミ界でも“産経残酷物語”といわれたほどです。こういうことがあって、産経は今のゴリゴリの右派一色に染まった訳です。この鹿内さんのDNAはもちろん、現在の経営陣、編集幹部にも引き継がれています」(産経新聞OB)

 その鹿内は戦中、陸軍経理部に招集されていたのだが、産経新聞社長就任後に桜田武・元日経連会長との対談集『いま明かす戦後秘史』(サンケイ出版/絶版)を出版。陸軍時代の思い出話をこんなふうに語っている。

「鹿内 (前略)軍隊でなけりゃありえないことだろうけど、戦地に行きますとピー屋が……。
 桜田  そう、慰安所の開設。
 鹿内  そうなんです。そのときに調弁する女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか、それからムシロをくぐってから出て来るまでの“持ち時間”が将校は何分、下士官は何分、兵は何分……といったことまで決めなければならない(笑)。料金にも等級をつける。こんなことを規定しているのが「ピー屋設置要綱」というんで、これも経理学校で教わった」

 鹿内は召集後、1939年4月から9月にかけて陸軍経理学校で軍の後方支援のノウハウを学んでいたのだが、そのときに、慰安所の作り方も叩き込まれたというのだ。しかも、その内容は今、右派メディアがしきりに喧伝している「公衆衛生の管理だけ」というようなレベルではない。鹿内の発言に「調弁する女」という表現が出てくるが、「調弁」というのは軍隊用語で兵馬の糧食などを現地で調達するという意味。つまり、これは陸軍が慰安婦の調達に関与していたということではないのか。

 さらに衝撃的なのが「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとか(中略)といったことまで決めなければならない」という発言だ。当時の日本軍が現地の女性を完全にモノ扱いし、どんな女がいいのかを品定めする作業までをも士官に命じていたことを証明するものだ。

 断っておくが、この鹿内発言は老人の妄想でも記憶違いでもない。靖国神社の一角に靖国偕行文庫という図書館があるのだが、そこにこの鹿内発言を裏付ける一冊の本が所蔵されている。

 300ページ以上はあろうかという分厚いその本のタイトルは『初級作戦給養百題』。昭和16年に陸軍主計団記事発行部が発行した、いわば経理将校のための教科書だ。
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299凡人:2019/11/30(土) 04:59:11 ID:aa/QkHo60
 表紙はハードカバーで、「日本将校ノ外閲覧ヲ禁ス」という文字。その9ページ目、第一章総説に、師団規模の部隊が作戦する際に経理将校が担当する15項目の「作戦給養業務」が解説されているのだが、その最後の項目「其他」の解説に以下の任務が列挙されていたのだ。

1 酒保ノ開設
2 慰安所ノ設置、慰問団ノ招致、演藝會ノ開催
3 恤兵品ノ補給及分配
4 商人ノ監視

 ようするに、陸軍の経理将校向け教科書に任務として「慰安所ノ設置」が掲載されていたのである。軍が関与したのは衛生面の管理だけという保守派の主張が、明らかな嘘だということがよくわかるだろう。

 もちろん、こうした事実を産経新聞をはじめとする右派、保守派が知らなかったわけはない。少し前に中曽根康弘元首相が「土人女を集め慰安所開設」していたという戦時記録を紹介したが、今回は自分たちが中興の祖とあおいでいる人物が自社の単行本で軍の組織的な関与を認めていたのだ。

 しかも、中曽根元首相の証言でも明らかになったように、軍は現地で娼婦でない女性たちも徴収している。これでほんとうに、従軍慰安婦のことを「自ら志願した高級娼婦」などと信じているとしたら、どこかおかしいとしか思えない。

 ようするに、保守系メディアはこうした事実を知っていながらそれをネグり、あらかじめ強制連行の定義を「軍が銃剣を慰安婦に直接突きつけて連行した」という非常に狭いものに限定し、それを否定することで、巧妙に情報を誘導してきたのである。朝日が歴史を捏造したというなら、産経をはじめとする保守メディアもまったく同罪なのだ。

 しかも、中曽根首相、今回の鹿内信隆フジサンケイグループ元議長の発言でもうひとつはっきりしたことがある。それは、彼らが従軍慰安婦に対していささかも自責の念を抱いていない事だ。それどころか、まるで笑い話のように、「慰安所をつくってやった」「女の耐久度とか消耗度、それにどこの女がいいとか悪いとかまで決めなきゃならない」と語っている。

 狂気のるつぼだった戦中ならともかく、戦後20年以上たってもこんな発言を嬉々としてできるというのは、そのベースに「女性はセックスのための使い捨ての道具」という差別意識が横たわっているという事に他ならない。そして、このメンタリティは、従軍慰安婦像に紙袋をかぶせるような性差別ギャグを嬉々としてほめたたえる今の右派メディアや嫌韓本、百田尚樹などの右派言論人にもしっかりと引き継がれている。
 
 彼らの姿が今の日本人を代表するものだと思われているとしたら、それこそが「日本の恥」ではないか。
(エンジョウトオル)

最終更新:2015.01.19 06:01
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300凡人:2019/12/08(日) 01:01:28 ID:aa/QkHo60
偶然このサイトを見つけた。評判やうわさが本当であるか只の嘘であるか。その歩んだ「真実」の歴史を見れば一目瞭然であるが、不思議にもそこには一切触れていない。ヒトの履歴書にある経歴や学歴が雇入れる会社にとって最重要と同じに、大学の歩んだ歴史でその大学の価値がわかると言っても間違いではない。その歴史を知れば、大学の過去や現在がわかるばかりか、将来も推測できるというものである。以下は記事のコピペである。凡人がすでに高崎経済大学について書き並べたこととは意外にも、大きな違いが見つからない。この記事を読むだけでもある程度はわかる。例えば、意識の高い優秀な高校生(例外はあるものの、県内一位・二位を争う伝統ある進学高校生は敬遠する)は入ってこない。楽しく遊べて、難なく卒業でき、就職する大学。「商業高校」に毛が生えた程度の大学ということがわかる。そういうことを含めて、曖昧な言い方や気になる言葉を次のポストで凡人流に翻訳・解説してみたい。笑
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24 APR 2019
高崎経済大学の評判と偏差値【群馬県ではトップレベルに難しい】
by kpbiz0
https://life-hack-lab.com/gakureki/takasaki-keizai/

こんにちは!今回は高崎経済大学の評判について、卒業生の方にインタビューをしてきました。結論から言うと、高崎経済大学の経済学部は群馬県の中では最もレベルが高いです。群馬大学に経済学部がないということも大きいと思います。それでは、さっそく高崎経済大学の評判について見ていきましょう!今回インタビューをした方は高崎経済大学地域政策学部 です。

高崎経済大学の評判まとめ
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#高崎経済大学の偏差値
◇経済学部…偏差値57.5 ◇地域政策学部…偏差値55

#高崎経済大学の学生の学力レベル
Marchに受からなかったレベルの学生が多い

#高崎経済大学の学力レベルを他の大学と比較すると、
駒澤大学<高崎経済大学<法政大学 といった印象。

#高崎経済大学の世間からの評判
地元では一番の大学だとされている。とは言っても高崎経済大学のある群馬県は大学の数も少なく、厳密には群馬大学の医学部もあるため、一番とは言えないと思いますが、文系だけで言えば確かに一番だと思います。北関東にある他の国公立大学よりもキャンバスがキレイで、コンパクトな敷地で移動も楽だったので良かったのではないかと言われたことがあります。

地方の信用金庫などに就職すると、それなりに高学歴扱いされると友人に聞いたことがあります。 あとは当たり前の話ですが公立なので学費が安く、コスパの良い大学とも言われています。比較的合格しやすい大学ではありますが、社会に出ると国公立大学の卒業生として、それなりに優秀であると評価してもらえます。

スポーツは弱いと言われており、どこに行っても弱小扱いされています。高崎市内の飲食店には必ずどこかしらのサークルに所属してる学生が見られますが、バイトに力を入れすぎて学業が疎かになっている学生が一定数いることも有名です。

#高崎経済大学の学生の様子
平凡である程度真面目な学生が多いです。特別優秀な学生も少なければ、特別能力が低い学生も少ないため、平均的な知能という考え方を持つ学生も多く、実際就職先を見ても、多くの学生が地方銀行、信用金庫、公務員、中堅会社を志望し、就職しているところからもわかると思います。一流大学のように、非凡で型破りな学生も少ないので、ある意味刺激的な出会いは少ないかと思います。また、一流企業や官僚、弁護士など高給取りを目指さない傾向があるので、人脈が作りづらかったり、そういった価値観が生まれにくい側面もあるかと思います。

しかしながら、性格的に扱いにくい学生や、型破りなことをする学生も少なく比較的周りとの協調性がある学生が多いので、無難に楽しく過ごすには非常に良い環境かと思います。学業に関しては特に熱意があるという訳でもなく、単位を取れるように最低限の力を注いでる学生が多いです。

また、真面目に受講する学生もいれば、寝てしまってる学生もいます。教授によってかなり違うというのが正直なところで、とある先生はマナーや礼儀に非常に厳しいため、遅刻はおろか居眠りやスマホ操作する学生は一人もいない講義もあります。一方で、半分くらいの学生が眠ってしまうような講義もあります。学生からの発言やアウトプットを重視する教授の授業には、一部の熱心な学生が積極的な授業参加をしています。
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301凡人:2019/12/08(日) 01:04:15 ID:aa/QkHo60
#高崎経済大学の就職先について
学部問わず、中堅の地方銀行や、信用金庫、地方公務員に就職する学生が多いです。 一方でビックバンクや大手上場企業に就職できる学生は少なく苦戦していると思います。地域政策学部からは、大手旅行会社に就職していくケースも多いみたいですが、離職率も高いらしいです。

中小企業に就職する学生も非常に多く、就職活動前半でビックバンクや優良地方銀行、大手企業の営業や経理、事務を志望していきますが、実際就職することができず、中盤以降少しずつレベルを落として、中堅地方銀行や信用金庫、中小企業への内定を掴むというパターンがとても多いです。MarchのようにコネもなくOBも少なく、教授と大手企業とのパイプも強くないため、学生数の少なさが多少影響しているかもしれません。

#高崎経済大学の良かったところ、悪かったところ
*良かったところ
①キャンパスがキレイです。特に7号館という新しい棟は特にキレイです。食堂も2つあり、そのうちの1つがこの7号館にあります。他の棟も掃除がしっかりされてるので、ある程度キレイだと思います。
②学費が安いです。あくまで公立なので、私立よりも安く済みます。あと周辺の家賃も安いですから独り暮らしもしやすいです。
③性格が良い学生が多いところです

*悪かったところ
①ゼミの魅力が薄いです。参加率の悪いゼミが非常に多いです。
②部活が弱いです。強い部活でバリバリやりたい人には、おすすめできません。
③駅から遠いです。市外から通う学生は高崎駅か、北高崎駅からバスで20分くらいかけて通うことになると思います。

#高崎経済大学に4年間通ってみていかがでしたか?
良かったと思います。理由は、自由に過ごせることができましたし、良い仲間にも恵まれたからです。休みの日は色々なところへ友達と遊びに行ったり、朝まで喋ったりして毎日楽しかったですし、困った時に助けてくれたり支えてくれた人たち出会えたことが財産になりましたし、周囲の人の大切さもよくわかりました。

また、教授にも恵まれたので、地域政策の知識だけでなく、人との接し方やPCスキル、経済学、英語なども楽しく学ぶことができましたし、単位もご厚意でいただけたこともあり、無事に卒業することができました。そういった経験が今、社会人としてとても役に立っており、学生生活は今にいきてます。あとは出会いに本当に感謝しております。

#高崎経済大学の基本情報
#高崎経済大学の住所と最寄駅
◇住所 〒370-0801 群馬県高崎市上並榎町1300
◇最寄駅 JR「高崎駅」西口よりバス乗り場2番(群馬バス)乗車⇒「経大前」下車。

#高崎経済大学の学費(4年間)
高崎経済大学の学費は以下の通りです(入学金含む)
経済学部…学費248万円
地域政策学部…学費248万円
奨学金情報や学費免除制度をはじめとした詳しい学費情報は、高崎経済大学の学校パンフレットでご確認下さい。

#今回のまとめ
いかがでしたでしょうか。
高崎経済大学の経済学部は群馬県の中では最もレベルが高いです。群馬大学に経済学部がないということも大きいと思います。また、奨学金やサークル情報などといった詳しい事を知りたい方は、高崎経済大学の学校パンフレットをお取り寄せ下さい。
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302凡人:2019/12/08(日) 06:01:28 ID:aa/QkHo60
「麻雀技術全般に言えることですが、初心者ほど暗記が重要で、上級者ほど自分で考えることが大切になります。」
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「初心者ほど暗記が重要で、上級者ほど自分で考える」。ふむふむ。こんな言葉が麻雀を学んでいたら出てきた。麻雀ゲームだけに使うとしたら、まったくもったいない。

日本は大学生になっても小中高と同じに板書を中心とした学習。期末試験で正解答案が書け、単位が取れる。それで卒業ができ、就職ができる。まったく困らない。もし自分で考えることが出来なければ、例えば簡単にカルト信仰に慣らされたり、他人の言うことを鵜吞みにして人生を終わるならば、まったく人間として初心者で人生が終わるのと解しても間違いではないであろう。

最近になって麻雀を勉強している。現役学生時代にはよく学友が麻雀を楽しんでいるのを、こたつを囲んで横目で羨ましそうに見ていた。けれど大学時代は超忙しく、麻雀をやってる場合じゃなかった。ハリウッド映画を見ても、中国系の国々で、庶民レベルで人気があることがわかる。麻雀ゲームは昔は覚えるのが難しく感じていたが、学習するにつれ、そうではなさそうである。中国語の言葉を覚えるのに少し閉口はある。お金を賭けないで、友人とゲームを楽しむだけなら面白そうである。日本の麻雀ルールを学んでいるが、普段は日本人とまったく会わない。日本人よりシンガポールや台湾を含む中国系アメリカ人とよく会うので、将来は中国人との麻雀が楽しめるようになりたいと考えている。

303凡人:2019/12/09(月) 10:07:35 ID:RjleDHaQ0
日本の過去の歴史をきちんと知らないで、右翼の「美しい日本」を鵜呑みにできる大学生がいること自体稀であるし、しかもそれが最高学府の大学の顔になるなんてありえない。冗談の世界である。大学とは真理や正しい知識が何よりも優先、重んじられ、それらを学生たちに伝授する教育機関だと信じるからである。リーダー養成機関としての重要な役目を担う大学において、真理や正しい知識の伝授なしには学生は日本や世界をリードする人物には育たない。それが民主主義の世界である。その意味からすると、安倍晋三氏も日本のトップの総理にはなれないはず。故に、もし日本が民主主義の国だったら、高崎経済大学は大学にあらず。では何と他に呼ぶか?レベルから判断して便宜的に高校と呼んでいる。それも普通高校ではない。卒業後はほとんどが就職、それに就職先も似通っているので商業高校がよいであろう。日本の伝統ある商業高校を軽く見ないで欲しい。卒業生のなかには日本を代表する一流トップ企業に就職する者が若干名いる。
******
Twitter から転載
沖縄県民なら知っている「沖縄戦で日本軍が沖縄住民に何をしたか」

・自決強要
・スパイと疑い虐殺
・投降しようとした住民を殺害、虐待
・ガマから強制的に追い出し
・食糧強奪&脅迫

沖縄戦では県民の4人に1人が死亡。さらに日本軍は日本人ですら平気で殺した。
歴史の授業で時間かけて教えるべき

304凡人:2020/01/08(水) 13:33:21 ID:aa/QkHo60
中曽根康弘氏と高崎経済大学。

先に、故中曽根康弘氏と高崎経済大学との関係にはちょっと触れているが、深い付き合いであったことには間違いない。その中曽根康弘氏という人はどんな人なのか、表の顔はほかのいくらでも記事になっているが知らない面、彼の書いた歌を紹介したい。

「憲法改正の歌」 中曽根康弘・詞、明本京静・曲 youtu.be/x21PiXfWxSg
明本京静と言えば、高崎経済大学の学歌の作詞作曲もこの人の手による。

中曽根康弘氏が主役を演じた慰安婦強制連行はこちら youtu.be/vWyzRhCp77g

1 嗚呼戦に打ち破れ
  敵の軍隊進駐す
  平和民主の名の下に
  占領憲法強制し
  祖国の解体を計りたり
  時は終戦六ヶ月

2 占領軍は命令す
  もしこの憲法用いずば
  天皇の地位うけあはず
  涙を呑んで国民は
  国の前途を憂ひつつ
  マック憲法迎えたり

3 十年の時は永くして
  自由は今や還りたり
  我が憲法を打ち立てて
  国の礎築くべき
  歴史の責を果さんと
  決意は胸に満ち満てり

4 国を愛する真心と
  自ら立てて守るべき
  自由と民主平和をば
  我が憲法に刻むべし
  原子時代におくれざる
  国の理想を刻まばや
(この節は吹き込まれて居りません)

5 この憲法のある限り
  無条件権降伏続くなり
  マック憲法守れとは
  マ元帥の下僕なり
  祖国の運命拓く者
  興国の意気に挙らばや

ーーーーーー
Wikipediaよりー
「憲法改正の歌」(けんぽうかいせいのうた)は、1956年(昭和31年)に発表された日本の楽曲である。後に内閣総理大臣となる中曽根康弘の作詞で、明本京静が作曲した。

発表当時、衆議院議員在職5期目で「押し付け憲法論」の最右派として“青年将校”の異名を取っていた中曽根が「自主憲法制定」への思いを全5番の歌詞に込めたものである。1953年(昭和28年)にサンフランシスコ講和条約が発効し、進駐軍が撤退した後も日本国憲法は「マッカーサーによる押し付け憲法」として国民に無条件降伏の屈辱を強いているという否定的評価より“マック憲法”と呼び、4番では原子力開発の必要性を説いている。

1956年(昭和31年)4月13日に東京宝塚劇場で自主憲法制定期成同盟が主催する発表会が行われ、作曲を手掛けた明本京静と後に自民党公認で参議院議員となる安西愛子のデュエットにより初演奏が行われた。その後も散発的に憲法改正論議の中で紹介される場合があり、作詞者の中曽根自身も後年に著書『日本の総理学』で1番と4番を取り上げている。

2016年(平成28年)時点でも、中曽根は新年会や誕生会でこの曲を歌うという。

305凡人:2020/01/08(水) 15:24:45 ID:aa/QkHo60
中曽根康弘氏と高崎経済大学。

上の中曽根康弘氏作詞・明本京静作曲の軍歌調の歌は安倍晋三大学こと、高崎経済大学の学歌として唄われたとしてもなんら違和感がない。たいした成績を残せない体育系クラブにも関わらず、応援団だけ目立つ異様な右翼公立大学。日本国憲法がまずもって理解できない、民主主義や人類の進歩を反故にする勢力に加担する三流級の教員たちでかためた、正にこの大学の校風とぴったりはまっているではないか。

こんな歌作っておいて、”ロンヤス”をうたい文句に当時のアメリカ大統領ロナルド・レーガンと仲良くする中曽根康弘氏という詐欺師的人物像がうかがい知れて面白い。右翼や左翼には矛盾だらけの、矛盾していることに自らがわからない人物像がたくさん暗躍しているが、彼はその一人なのだろう。

306凡人:2020/01/08(水) 16:04:50 ID:aa/QkHo60
高崎経済大学ー知の拠点が笑わせる。この大学にないもので、必要なのは正しい知であり、それを支える良心である。

俺この学歌は在学時代、すきだったんだよな。覚えやすいメロディーと詞が実によい。特に「高崎経大 われら若し 真理を求めて つねに若し」のところ。大学の存在価値である学問を通じて真理を求める、しかもその精神は決して年をとらない、意気揚々とした若さで。ところがである。だんだんこの大学の醜い反民主主義を貫く歴史と現在をみてきて、その実像がわかった今、詞の中の言葉がすべて虚構の世界であり、中身が一切ないことがわかる。馬鹿げていて、歌う気がまったく失せる。嘘でしかない歌・この学歌・校歌を声たからかに歌う人の気が知れない、笑。中曽根康弘氏の「憲法改正の歌」のほうが、この高崎経済大学の実像を浮き彫りにしており、学歌にすればよいと思う、笑。中曽根康弘氏の歌は真理から目を覆い、時代錯誤や時代遅れなところが、この大学にまさにふさわしい歌と言えるだろう。
*****
高崎経済大学学歌 明本京静作詞・作曲

1
高崎経大 われら若し
真理を求めて つねに若し
西に妙義 浅間 北には榛名
きびしき試練の 嵐に耐えて
雄々しく学ぶ われら 高崎経大

2
高崎経大 われら尊し
人たる道をば ゆきて尊し
時流は如何に 荒れ狂うとも
愛 慈悲 仁の観音山を
のぞみて学ぶ われら 高崎経大

3
高崎経大 われら強し
天に合して ひたに強し
世界歴史の 流れをみつめ
日本文化の その三ツ扇
かなめを学ぶ われら 高崎経大

307凡人:2020/02/12(水) 18:16:31 ID:uliNLMcY0
UCLAの日本人留学生たちの実態ー当たらずと雖も遠からず

日本人学生は中国からのインターナショナルスチューデントと比べるとあまりお目にかからない。貴重な存在と言える。笑い。中国人留学生たちはプリメド、コンピューター、経済、建築、アンダーグラジュエイトや院生、Ph. D.などなど幅広く存在する。つい最近、anthropology を専攻する韓国からのアンダーグラジュエイトの女子留学生と話した。彼女は中国人留学生がなんだか怖いと意味が不明なことを言っていた。察するに、UCLAでは中国人留学生がアジア人の中でも数の上で圧倒しているからだろうと思われる。過去にUCLAの日本人留学生とは数人に出会った。アンダーグラジュエイトでコグニティブ・サイエンスを専攻していて、日本語を不自由なく喋れるUCLAの男子学生に出会ったが、日本ではインターナショナルの高校に通っていたと言っていた。一年前にも話した慶大卒で社会にいったんでて、UCLAのアンダーソンMBA院大学に入学した男子学生。彼がいうには9人ぐらい日本人学生が在籍していると言っていた。そこのPh. D.を勉強しているケンブリッジ大学卒の日本びいきの英国人学生と話したことは前にも書いた。それも一年前の話かな。その慶大卒の学生がいうには、詳しくは聴けなかったが、ほとんどは東大卒程度の学費も国から支給されての留学である。それから後に、UCLAのロースクールと経済学部の院にいる日本人留学生各一人と半年前ぐらいに出会い話した。ロースクール学生は奥さんと思われる無口な女性同伴である。彼によると、ロースクールに在籍する日本人留学生はほとんどは東大卒ですでに弁護士試験を受かり、弁護士になっている人が主らしい。20人前後いるらしい。務めている事務所/会社から出張というかたちで学費を支給されている人たちだ。経済学部の院も、ロースクールと同じような日本人留学生の状況である。若い顔をしている彼は、イエール大学の法律学部にもいたとほのめかした。UCLAは州立と言えども、海外留学生の学費は半端なく高い。州立で安い学費の対象になる学生はカリフォルニアを地元にする学生のみ。

308凡人:2020/02/12(水) 18:19:34 ID:uliNLMcY0
民主主義の敵である高崎経済大学ー理事や教員や同窓生は民主主義の正当性、妥当性、高尚性、未来性が理解できない集団。民主主義を教えるどころか、民主主義を圧殺した大学。仮に優秀な教員が大学に就職しても、長くは居ない。過去の歴史から、大学コミュニティーでも、高経大の本性はよく知られている存在で、大学教員を目指す優秀な人材は避けると思われる。東大院卒がいるがほとんどはロンダリング。意識の高い学生は入学しないか、仮面入学。大学もどき学校。安倍晋三大学ー過去から言えることは、レベルが低い嘘八百大学。そんな大学が就職率99%を誇っても、まともに取れない。就職のために応援団に入ったと自己紹介した女子学生がいるように、それが何を意味するかは問答無用、就職のためなら何でもする学生たちなのであろう。大笑。就職率よりもどこの会社に就職できたかのほうがより重要とおもうのは凡人だけか?第一に経済学部は就職率が他の文科系の学部より高くなるのは必然である。経済学部を有する他大学の就職率と比べるのも一理ある。だがやはり、就職の量より質が大きく議論されるべきであろう。日本を代表する他の大学の就職先と比べるとより、高崎経済大学の就職に関しての真実が明確になる。逆に「OB・OGによる手厚い支援」があってこの程度。支援がなくても日本を代表する一流と目されている会社に就職している他大学、たとえば同じ公立でしかも歴史の浅い国際教養大学の存在はなにを意味するのか、考証する必要がある。やはり大学は教員と学生の質で就職のよし悪しも決まるといえるのではないだろうか。
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高崎経済大、就職率99% 学生の意識向上カギ
2020/2/5 17:31日本経済新聞 

高崎経済大学(群馬県高崎市)は経済学部と地域政策学部の2学部6学科からなり、4000人以上の学生が通う。就職率が99%と高い背景には、入学後まもない1年生から始める就職指導とOB・OGによる手厚い支援がある。キャリア支援センター長の関根雅則氏に活動内容を聞いた。

経済大学という特性もあり、学生の就職先は金融関連が圧倒的に多い。2018年度卒業生の就職先は金融・保険業が経済学部で20.4%、地域政…

309凡人:2020/02/12(水) 23:40:56 ID:uliNLMcY0
UCLAでの中国からの女子留学生の場合。

中国の女子留学生で、UCLAのバイオロジーのPh.D.キャンディデートとの会話を忘れていた。数日前のつい最近の話。彼女はPh.D.をとったら中国に帰って、高校の教員になりたいと話してくれた。Ph.D.を持って高校の教壇って?といぶかしがったら、北京とか上海とかの大都市の周辺では給料もよく、そこでの教員への就職希望者がかなり多く、競争率が高いため、アメリカの有名大学のPh.D.というタイトルがあることで、競争に有利に働くということも計算にいれてあるらしい。へえそうなんだと感心したものだ。

このことからも、今現在の状況や未来の中国がどうなるのか、期待と羨望を同時に感じる。

310凡人:2020/03/05(木) 09:29:39 ID:mldCjOSY0
警察官の死の責任を負って無期懲役。その捜査は杜撰なものであった。つまり犯人の特定が極めて難しいケースであり、彼の牢獄は冤罪の可能性が高い。また殺人を犯しても、すぐ出所する受刑者もいる日本の刑法にあってである。冤罪のほうが凡人には今なお無視できない問題である。
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「刑務所医療 問題で病死」 警官殺害の元高経大生 遺族が国提訴
[2020/02/22]
 
 1971年に東京・渋谷の沖縄返還協定反対闘争で警察官を殺害したとして殺人などの罪で無期懲役が確定し、服役中の昨年5月に病死した元高崎経済大生、星野文昭元受刑者=当時(73)=の遺族が21日、刑務所の治療に問題があったとして、国に5500万円の損害賠償を求めて東京地裁に提訴した。

 妻の暁子さん(65)は都内で会見し「死の責任を追及し、二度と繰り返さぬよう刑務所の医療改善のために闘いたい」と話した。

311凡人:2020/03/09(月) 08:00:01 ID:gtfItWFI0
“Every man dies, not every man really lives.” — William Wallace

312凡人:2020/03/23(月) 09:39:31 ID:mldCjOSY0
高崎経済大学と中曽根康弘氏と鮫島伝次郎

この3つの名前に共通するモノはなにか。その口からでるものはどれも信じられない、信じてはいけないということ。その多くが、単なる無知(博学ではない)からだったり、現状をよく見せるだけのトリックだったり、単なる嘘だったりと内容は様々だが。これらをあてにすると罰が当たる。日本の常識は世界の非常識と同様な意味合いであり、またこうも世界とネットで結ばれても、真のグローバル化には程遠いという意味も含んでいる。

鮫島伝次郎(架空人物)を知らない人もあるだろう。それは漫画はだしのゲンに出てくる人物。戦前と戦後の日本の敗戦に生き、戦前権力に喜んで迎合し、戦争を鼓舞しそれに従わない者を悪徳の限りを尽くしいじめぬき、敗戦後は自分は戦争反対をだったと平然と真っ赤な嘘をつき、そして戦後の市議会議員に立候補する。世渡り人。戦前には彼のせいでどれほどの人、家族らが身体的に精神的に虐待、傷つけられた事実も、なかったかのように振る舞う。その反省一切なし。良心の呵責はこれっぽっちもない。

それに似た人物は日本の政界にはうようよ(No Pan Intended)していそうだが、その中の一人に中曽根康弘氏の名前が浮かぶ。前にも書いたように、「日本・大韓民国・アメリカ合衆国・国際連合などで1980年代ころから議論となっている」旧天皇軍の慰安婦の国際政治問題。日本側ではそれを全面否定し、朝日新聞の作り事と世論を誘導している。そんななかにあって、真実はいかに。それにこたえられる筈の中曽根康弘氏は口を閉ざしたままで昨年の暮れに他界してしまった。まったく無視を決め込んでいた中曽根康弘氏とはどんな人間なのか、想像するがよい。また地震大国の日本に原子力発電の建設を推し進めた人物として名高い。改憲と原子力発電の推進するための歌詞を作った中曽根氏。その歌詞をつい前に投稿したので参照してほしい。世界の科学者が原子力発電の危険性の報告書や警告を出して誰もが手に入る段階でも、それを無視して建設に邁進した人物。2011年3月に起きた東日本大震災。今の福島県の惨状をみてどう思うか。数世代に及ぼす深刻な放射性による地域汚染で家を追われた住民たち。原子力発電の怖さを目の当たりに思い知らされた日本。それをみれば、彼の先見性または頭脳には大きな穴があることに気付かざるを得ない。

世界からすればそうでないが、東京大学はやはり日本のトップ大学。その大学はいやはや経済・文化と活躍する優秀な人材を輩出するが、その一方とんでもないモンスターを作り出す。いやすでに入学する当初から良心の呵責や自己責任感はないのであろう。ただ東京大学に入学できる者は試験勉強がよくでき、入学試験の筆記でよい得点がとれればいいのである。
(1の2)

313凡人:2020/03/23(月) 09:58:00 ID:mldCjOSY0
そんな人物中曽根康弘氏を祭り上げる高崎経済大学とは何ぞや。この大学は民主主義の敵。日本国憲法やその基礎になったアメリカ憲法を正しく知ることは、政治に社会科学性を持たせることで誰もが国政に参加できる健全なる社会の構築を目指すものである。ところが、それができないで明治天皇の教育勅語を信じる教授を学長に選び、それを大学教育の理念に教鞭をとった過去とその学長をいまも大学の基礎を築いたと敬う教授たち。宗教学校ならともかく、科学性を求める大学には無縁のしろものである。それがわからない愚かな教授たちが集う高崎経済大学。砂上の楼閣がまさにそれで、そこから進歩発展はまったく見込めない。建物が国立大学より新しいかそうでないかなんていう次元の問題ではない。この大学は何に貢献したか。人類の進歩ではないこと間違いない。信じがたいが、大学創立60周年には「三扇」と名のついた高崎経済大学オリジナル「日本酒」ができたことが唯一の大学の誇りである、笑。それが高崎経済大学の現状であり、将来である。真理を必要としない天皇主義を信じ、反民主主義の大学ならではである。
ーーー
高崎経済大学には地域科学研究所。2015年4月1日に開設とある。これまで2つの研究機関、産業研究所(1957年の大学開設と同時に開設)と地域政策研究センター(1998年に開設)を一緒にしたものであるが、どうもその名前、「科学」という言葉がこの大学にはまったく結びつかない。また中曽根康弘氏のNPI-中曽根康弘平和研究所(東京都港区虎ノ門3丁目2番2号 虎ノ門30森ビル6階)の「世界平和」という言葉にもどうも違和感がある。

平和という文字は、単に名ばかりだろう。「IIPSも会長は当初から中曽根康弘である。内容としては「憲法改正案」の提示、各国の選挙制度の研究、中華民国との交流、対中華人民共和国戦略研究などがある。」(ウィキ)

世界平和研究所は、国際社会が直面する重要課題について、自由な立場から深く考察し、創造的かつ建設的な提言を内外に広く発信する、開かれた政策研究提言機関として、1988年6月28日、総理府、防衛庁、経済企画庁、外務省、大蔵省及び通商産業省の6省庁を主務官庁とする財団法人として発足いたしました。
本研究所は、安全保障を中心とする調査研究、国際交流等の目的に添って、政治、経済、外交、安全保障等の重要課題の調査研究の他、内外の有識者を招いた公開シンポジウム、研究フォーラムを行っています。
これらの調査・研究結果は、平和研レポートとして会員および関係機関に配布しています。また、英文論文集「アジア・パシフィック・レビュー」を年2回発行しています。また、わが国が直面する重要課題に関し、積極的に独自の政策提言を実施しています。

2018年1月1日より、公益財団法人 世界平和研究所(IIPS)から、公益財団法人 中曽根康弘世界平和研究所(NPI)に名称を変更いたしました。また、2018年10月10日より、「中曽根平和研究所」を通称名として使用することといたしました。今後とも皆様からの変わらぬ御鞭撻・御厚情を宜しくお願い申し上げます。(オフィシャルサイトより引用)
2の2、終わり

314凡人:2020/05/05(火) 11:37:16 ID:mldCjOSY0
安倍晋三と改憲とコロナ禍。

日本会議の連中が後ろで安倍政権を援護している。これほどの腐敗政治が明らかなのに誰も止められない。憲法の骨子である三権分立や政教分離が骨抜きにされ、政府が立法や司法を掌握して(権力の一極集中)してやりたい放題。これほど憲法違反を繰り返しながら、都合のよいときだけ憲法や野党のせいにする。隠ぺい、改ざんをする政府をいまだ信じるほどのカルト信仰は有権者に蔓延し、もう戦前化している。

安倍晋三大学こと、高崎経済大学。そう凡人は呼ぶ。その理由は次。三潴信吾高崎経済大学元学長が高崎経済学の現体制の創設者である。岸信介氏の孫、安倍氏と同様、改憲に尽くした人物。貞明皇后と信頼関係をもち、皇国運動を実践した筧克彦の娘婿。現行憲法は存在しないとまで大学内外で公言する三潴信吾氏。「國體は我国にあっては、如何なるものであるかといふと、約言すれば、(一)祭政一致 (二)萬世一系の天皇の統治 (三)君民一体 」の憲法論を出版。その人の支配は現行憲法の法の支配と真っ向から対立する。戦前は天皇は現人神。そうしたカルト信仰も根底にあるだろう。学生相手に教壇で説き、それを大学内外で実践した人物。暴力団の幹部とも親交があった人物。学生と教員が起こした民主主義運動を徹底弾圧し(圧殺の森)、現在の高崎経済学の校風の元を築いた。紀元節を唱え、教育勅語を信奉し、日本国憲法や教育基本法を無視。反発する教員はこぞって大学を総辞職し、それにより反民主主義体制の地盤が固まった。戦前に流行った学生応援団を昇進させ、大学のお金と権威を与え大学の象徴とし、学生自治会を潰して全学生の支配体制を築いた。だからそこの学生は大学では何が民主主義か教わらないし、わからない。知識のない高校生以下相手ならそれでも通用するだろうが、とてもじゃないが世界はおろか、民主主義を標榜するまたは愛する多くの日本の著名大学からまったく孤立していると見てよい。だから建学から60年もたってもいまだ評価されないのもうなずける。男女平等とか平和とか、経済学や地域政策学の根底に流れる重要な思考が欠如しているために、そこの学問が死んでいる。もしこの大学が人類に貢献しているものがあるのであれば指摘して欲しいものである。そこをとっても一般教養の面で世間では最低の教員が集まると見てよい。大学の採用教員は思想選別をしているという記事を読んだ。

現行憲法への攻撃は憲法制定の直後からすでに始まっていた。

三潴信吾元高崎経済大学学長は日本会議になる前組織のメンバーに名をつらねている。日本会議はいまの安倍晋三内閣を裏で操るカルト集団である。三潴信吾氏は生長の家とも深い関係を持つ。戦後直後から改憲(現行憲法の骨抜き)をめざしていたA級戦犯である総理大臣岸信介によく起用され、改憲についての憲法学からの学問的アドバイザー。これまた改憲を目指す群馬県選出の国会議員で後の総理大臣中曽根康弘氏は1959年岸信介内閣の科学技術庁長官。この三人はすでに他界したが、安倍晋三総理大臣と同様、改憲運動を語るとき無視できな人物たちである。それが群馬・高崎がもつ意味であり、高崎経済大学の存在である。成蹊大卒の安倍晋三氏を除くすべてが東大卒の右翼グループである。戦前、中国を侵略し、満州国建設で暗躍した岸信介と海軍の元主計大尉で日本軍慰安婦の実行者・中曽根康弘と日本会議と生長の家と圧殺の森の三潴信吾元高崎経済大学学長と錚々たるメンバーではないか。

そして現在安倍晋三政権で過去の一連の改憲運動が開花し、行政と立法と司法の三権を事実上掌握した今、改憲(改悪)まで実現一歩にたどり着いた。日本会議の功績は大きい。戦後一貫した自民党一党政治の支配下で、日本人が戦前から持つカルト信仰気質を呼び起こす巧妙なプロパガンダ。民主主義的思考や発想を根底から覆す、民主主義が日本を駄目にしたというプロパガンダキャンペーン。それに平行して利権を絡めてNHKや民放マスメディアや日本の各界の重要ポストを掌握。三権分立を骨子にするチェックアンドバランスの現行憲法は実質骨なし、無力状態。
1-2

315凡人:2020/05/05(火) 11:38:18 ID:mldCjOSY0
コロナウィルスと安倍晋三の野心

安倍晋三の皮算用。東京五輪2020の成功後、国民からの多大な支持のもと、総理大臣の任期を延長し、一気に改憲をしようとする一連の野心。それが成就する一歩手前でなんとコロナウィルスで頓挫させられた。

東京五輪2020は来年に延期。今や中止が囁かれている。

コロナウィルスは安倍政権とハネムーン気分でスヤスヤ眠っていた国民に氷水を浴びせたのであった。コロナウィルス禍で裸の王様安倍右翼の本当の姿・正体・嘘や出鱈目や無能さや改憲後に来る日本の将来を垣間見させたのである。こんな緊急時でも、メディア、大学教授、芸能人、知識人、作家、音楽家、医療機関や専門家集団は国民を守るという見地を捨て、共産党国家さえ羨むような権力の都合よく利用されるオカルト集団や機関となっているということだ。すべて利権やポスト昇進を通じて成り立った日本という国家。政府に御用化された専門家グループたち。

さすがコロナ禍を前にしていう安倍氏の言葉。「敬意・感謝・絆があれば打ち勝てる。」「絆の力があればウイルスの恐怖や不安に打ち勝てる」。先の戦争の「日本は神の国だから負けない。敵が来たら、神風が吹いて追っ払う」のと同じレベル。これがきちんとした、万全な撲滅やコントロールへのコロナウィルス対策をしているのだったら許される言葉でもである。ところがまったく勝ち目無しの戦い・日米開戦に国民を突入させた大日本帝国政府とまったく同じ状況を醸し出している。国民への十分な説明なし。自粛強制と不十分な経済的救済。検査さえ国民は受けさせてもらえない状況。現在の感染者数や死者でさえ、確実に把握していない現状。すでに医療崩壊している日本。何をとっても敗戦時の日本を思わせる。そんな経済的や精神的苦悩を強いられている国民を前にテレビでの記者会見が精神論。大政翼賛会の「欲しがりません勝つまでは」「足らぬ足らぬは工夫が足らぬ」「進め一億火の玉だ」。科学的根拠で政府の政策や対策や今後の展望を説明するのだったら、国民は少しは安心するだろう。ところが大戦中を思わせる精神論と前面に出したテレビ記者会見とはいやはやまいりました。他の独逸や韓国や台湾の民主主義国とはまったく違った道を行く日本。迷走する日本。戦前右翼日本の過去回帰志向型の日本政府・安倍政権を象徴している。

安倍政権とは何か。その権力の本当の姿が白日の下にさらけ出す形になったコロナウィルス禍。権力側に鎮座する橋下徹氏は自らは進んで検査を受けるが、医療崩壊を口実に国民には検査をうける資格も権利もないような口調でお茶の間テレビでプロパガンダ。強制的な自粛と経済的無給付等々、すべて教育勅語的な国民(臣民)への対応。非科学的で、精神論を前面にだしたコロナウィルス対策。驚愕するのは日本会議のカルト信仰が日本の社会を隈なく万遍なく浸透していることを教えてくれる。NHKや民放のマスメディア、検察警察はいうに及ばない。政府に従わない者への制裁。自警団や憲兵隊の過去を思わせる国民の動き。民主主義をこよなく愛する凡人にとって、安倍政権を象徴した将来無き高崎経済大学もそうだが、日本の現状がとても残念な気持ちで一杯である。
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316凡人:2021/02/27(土) 12:11:37 ID:XHJUtMzk0
アメリカは理想的な民主主義社会か?アメリカの歴史をたどれば、それを疑わせる数々の事件が起きている。今回も昨年の11月に行われた大統領選挙戦とその後の混乱は目を見張るものがあった。この大統領選をツイッター等で追っていた者にはその選挙結果は大きなショックだ。選挙に不正があったか?それが疑われる納得ができない現実とその数値。問題になっているいくつかの州の最高裁は結局トランプ陣の有効投票の厳格な調査要求を退けた。つまり真実の追及はなされず、政治的に葬られた形だ。現在のトランプ前大統領や共和党の動向はどうか?トランプ大統領の共和党への影響力は今だ強く、失脚するどころか、2024年に出馬する説が浮上している。もしそれが実現すれば、共和党から再び大統領候補としてノミネートされるという見方が強い。今まで書かなかったのは、書くことが無いからではない。生活に毎日追われていて、ニュースの記事やツイッターなどを十分読んだり、書いたりできない現実がある。ガソリンが急に値上がりしだしたのはとても気になる。その謎は以下の記事で納得する。バイデン氏は就任直後に15の大統領令に署名し、政策路線の転換に着手。カナダから米中西部まで原油を運ぶ「キーストーンXLパイプライン」の建設認可を取り消したほか、トランプ政権が最近許可したアラスカ州北東部の北極圏国立野生生物保護区での石油・ガス開発に向けたリース活動に停止措置を講じた。

317凡人:2021/03/04(木) 15:09:09 ID:XHJUtMzk0
高崎経済大学。戦後生まれ、高度経済成長時代を経て、現在日本経済の下降期を目の当たりにするなか、経済学や地域政策学の看板を挙げているにもかかわらず、その持つ責任さえ見えない。ただの地方自治体の労働力の埋め合わせや地方就職予備校に成り下がっている。知の拠点とはまったくのお笑い草。世界と比較して、日本列島の経済力低下が叫ばれる、こんな記事が現われても見当もつかないであろう。

大学経営者や教員の資質が問われてもしかるべきであろう。たとえば国際化にあって、海外や日本にある大学との学生や教員との学問を通じての繋がりに力を入れるべきなのだが、なぜか日本の高校生との繋がりに意義を見出す大学。学問ではなく、都留文大学とは体育系で長い繋がりの歴史はある。国際学科を作ったのはいいが、こんな教員が国際学科の教員と思うものばかり。大笑。凡人は今UCLAやUSCの学生達(アメリカ人や留学生たち、学士生や院生)やたまに教員と話す機会があるが、学生時代にそんなことができれば若いうちに学問ばかりではなく、世界観や人生観や仕事観や幸福観が深く考察でき、また日本とういう国が良く(日本の良さが)見えていただろうに。
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2021年の論点100
平均賃金は韓国以下…「貧しい国」になった日本が生き残るための“新常識”
By 加谷 珪一 source : 文春ムック 文藝春秋オピニオン
https://bunshun.jp/articles/-/42697

「日本は世界でもトップクラスの豊かな先進国である」というのは、多くの日本人にとって当たり前の話だった。

 だがその常識は近年、音をたてて崩れ始めている。諸外国と比較して日本人の賃金は大幅に低くなっており、近い将来、中国や東南アジアに出稼ぎに行く人が増えるのはほぼ確実と言われている。

 多くの読者の方は「そんなバカな」と思われるかもしれないが、日本が急速に貧しくなっているのは紛れもない事実である。私たちはこの厳しい現実を受け入れ、従来の価値観から脱却する必要がある。

平均賃金ではすでに韓国以下
 OECD(経済協力開発機構)が行った賃金に関する調査は衝撃的だ。2019年における日本人の平均賃金(年収)は3万8617ドルだったが、米国は6万5836ドル、ドイツは5万3638ドルと大きな差を付けられている。

 それだけではない。かつては途上国というイメージの強かった韓国ですら、4万2285ドルとすでに日本を追い抜いている。日本人の賃金は米国の6割程度しかなく、韓国よりも低いというのが偽らざる現実である。

写真:平均賃金ではついに韓国を下回った(写真はソウル) ©iStock.com
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318凡人:2021/03/04(木) 15:10:15 ID:XHJUtMzk0
 こうした数字を出すと、為替の影響があるので単純には比較できないという意見が出てくるのだが、OECDの調査は購買力平価を用いたドル換算なので、為替や物価の影響をすべて考慮したものである。数字の差は、各国の本質的な豊かさの違いと考えてよい。

初任給「50万」の壁
 もう少し分かりやすい例をあげてみよう。日本における大卒初任給は約20万円だが、米国では50万円を超えることも珍しくない。

 筆者は以前、香港のホテルで一杯飲もうとビールを注文したところ1500円以上取られてビックリしたことがあったが、海外では価格が高めの店に行くとビール一杯1500円から2000円というのはごく普通である。

 国内にいるとピンと来ないかもしれないが、海外にしょっちゅう行く人の間では、日本の豊かさは先進諸外国の3分の2から半分程度というのがリアルな感覚といってよいだろう。

 仮に賃金が安くても、国内の物価が安ければ生活しやすいという見方もできるが現実はそうはいかない。

 私たちが日常的に購入するモノのほとんどは輸入で成り立っており、海外の経済状況から影響を受けてしまう。海外の方が豊かであれば、輸入品の価格が上昇するので、日本人が買えるモノの量が減ってしまうのだ。自動車はまさにその典型である。

日本人にとってクルマはもはや高嶺の花
 自動車はグローバル商品なので世界中どこで買っても価格は同じである。

 トヨタ自動車の1台あたり平均販売価格は世界経済に歩調を合わせ約20年で1.5倍になった。だが日本人の賃金は横ばいなので、日本人にとってクルマはもはや高嶺の花だ。

 多くの若者が愛用するiPhoneは機種によっては1台10万円くらいするが、初任給が20万円の日本人と50万円の米国人では負担感の違いは大きいだろう。

写真:15カ国が協定に署名したRCEP首脳会合での韓国・文在寅大統領 ©AFLO

 近年、食品などにおいて価格を据え置く代わりに内容量を減らすという隠れた値上げ(いわゆるステルス値上げ)が増えている。内外の賃金格差というのは、こうした形でジワジワと日本人の生活を苦しめていく。

 日本人の賃金が上がっていないのは、バブル崩壊以降、日本経済が成長を止めてしまったからである。

 同じ期間で、諸外国は経済規模を1・5倍から2倍に拡大させたので、相対的に日本は貧しくなった。日本だけが成長から取り残された原因は、ビジネスのIT化を軽視し、従来の産業モデルにしがみついたことだが、これについては本稿の主題ではないので割愛する。
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319凡人:2021/03/04(木) 15:11:38 ID:XHJUtMzk0
 原因はともかくバブル崩壊以後の「失われた30年」で、日本経済はかなり弱体化しており、私たちはこの現実を前提に今後のキャリアや資産形成について考えなければならない。

活路は「脱日本」
 海外の方が豊かになっているのが現実ならば、今後はその富を何らかの形で自身に取り込んでいく工夫が必要となる。

 これまで日本人の資産運用はほとんどが日本国内を対象としていたが、その考え方はあらためた方がよい。30年前であれば、日本における大企業は世界における大企業だったが、今となっては国内で大企業であっても、グローバルでは弱小企業に過ぎないというケースは多い。

 株式投資の王道は優良な大手企業に長期投資することだが、その基準に合致する日本企業は大幅に減っている。投資の初心者であればなおさらのこと海外企業に目を向けるべきだ。幸い今はネットが普及しているので、オンライン証券を使えば海外企業にも国内と同じ感覚で投資できる。

 仕事という点では、海外で稼ぐことも視野に入れる必要があるだろう。シニア層であれば、これまで得たノウハウや知見を海外で生かせる可能性は高い。かつて海外で仕事をするのは商社マンなどいわゆるエリート層ばかりだったが、状況は変わっている。

 東南アジアではすでに多数の日本人コミュニティが出来上がっており、日本人向けのサービスを提供する企業も多い。こうした企業は基本的に日本人相手なので、それほど英語ができなくても問題はない。

 若い人の中には、日本の大学を出て、日本人向けにサービスを提供するアジア企業にいきなり就職する人も出てきている。海外で稼ぎ、最終的には物価の安い日本で暮らすというライフスタイルは今後、当たり前のものとなるだろう。

現状を悲観するのではなく…
 国内から出る予定がない人でも、日本のモノを海外に売って稼ぐという手段がある。

 メルカリは海外の消費者向けに商品を購入代行するサービスを提供している。日本のグッズは海外では意外と高く売れるので、センスのある人はチャレンジしてみるとよい。

 現状を悲観するのではなく、外に機会が増えたと前向きに捉えることが重要だ。
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320凡人:2021/03/04(木) 20:59:48 ID:XHJUtMzk0
こんな嘘宣言が存在する高崎市。高崎経済大学は高崎市の傘の下にある最高学府。だがその大学運営は日本国憲法の基本的人権をまったく無視した三潴体制によっている。そもそも日本国憲法の存在すら認めない三潴信吾元高崎経済大学長。その上に立っている現体制の高崎経済大学。その経過はすでに何回となく書いているので、ここでは省略。アカデミアならその矛盾や乖離に疑問を持つのが至極あたりまえだろうが、それがない/できないのは恥ずかしい限り。

いくら海外の大学との提携協定をたくさん増やしても、果たして大学としてのレベルにあるかさえの疑問は消えない。よって他の大学、特に海外大学との学問的な深い付き合いなどできるはずはない。人権は大学にあってユニバーサルに議論されるテーマだと信じているからだ。学生の人権を認めない最高学府が他にあるのか知らない。笑
*****
高崎市
平成7年11月30日

人権尊重都市宣言
人はだれでも、一人ひとりかけがえのない存在として尊重され、豊かに、健康で幸せな生活を営む権利をもっています。この基本的人権は、いかなる理由があっても侵害されるものではありません。

わが国では、日本国憲法に明示されている基本的人権の確立のため、人権擁護のさまざまな努力が続けられてきました。いまや、地球規模の交流時代の中で、人権の尊重がいっそう強い社会的要請にまで高まっています。

私たちは、すべての市民の人権を等しく保障するために、平和及び人権尊重について、ともに学び行動し、明るい民主的社会の実現を図る必要があります。

ここに、私たち市民は、憲法のかかげる平和及び人権の確立とその擁護のための活動を推進し、人と人とのふれあいを大切にし、いたわりの心がゆきわたる市民生活の充実した高崎市を築くために「人権尊重都市」を宣言します。

321凡人:2021/03/06(土) 14:52:24 ID:XHJUtMzk0
アメリカ憲法にほぼ沿って作られた日本憲法の大きな意味はアメリカの「法の支配」を日本に定着させ国の民主化をはかることである。明治憲法など戦前は内閣や国会はあるが、それは天皇の賛助機関としての存在にすぎなかった。つまり「人の支配」が戦前の日本である。A級戦犯の故岸信介氏、故中曽根康弘氏、安倍晋三氏が真剣に取り組んでいた戦前回帰とは「法の支配」から「人の支配」に戻すことに過ぎない。

高崎経済大学に関連して「人の支配」を例にだすとすればこうである。日本国憲法をまったく認めない故三潴信吾元高崎経済大学長は天皇の復権を夢に見ていた人物。彼は高崎経済大学内で存分にその「人の支配」を確立実践していた。暴力団との付き合いがマスコミに暴露され、日本国中に報道され、国会でも討議された。そもそも暴力団はドンが決めたことがその組織の法律であり、「人の支配」を実現させている犯罪団体である。公立大学の学長が暴力団との付き合いを暴露されても、道徳も恥もなし、すでに思考選考で雇用された教員が集まる教授会を掌握、高崎経済大学の学長の職を追われることは決してなかった。彼は言わば高崎経済大学の天皇である。いまも彼の亡霊が高崎経済大学の「圧殺の森」を象徴する反民主化の砦に居座っている。同じようなことが安倍晋三氏の首相時代に言える。道徳や憲法・法律の無視や違反のし放題でも、内閣、国会、検察を掌握していることから、犯罪を問われることがない。これぞ「人の支配」がどんなものであるか教えてくれるというもの。もし天皇が戦前のように復権し、「人の支配」に完全に戻ったら、A級戦犯の故岸信介氏、故中曽根康弘氏、安倍晋三氏や日本会議の連中達の犯した数々の憲法や法律違反は一切揉み消され、日本の偉人として改ざんされた日本の教科書に載り、子供たちは暗記させられるのはほぼ間違いない。

322凡人:2021/03/06(土) 15:47:56 ID:XHJUtMzk0
「人の支配」は少数が大勢を統制、牛耳ることができることや命令が速やかに伝わるという特性がある。トップが決めたことが、上から下部層へ流れるシステム。その逆は稀。高崎経済大学の応援団や軍隊や広域暴力団を想像すればよい。海外でいえばマフィアである。

高崎経済大学には自由な意見が公に高らかに言えない。表現の自由がない。高校にすらある生徒会組織や学生のための学生による学生新聞が高崎経済大学には存在しない。大学側の出す定期的に発行する広報誌などに、頼まれた学生の投稿する記事は見ることができる。全て大学側が決めたことに全学部生や院生が従うに過ぎない。つまり、管理されやすい学生たちであるのであろう。そういう大学は世界の大学にも稀であろう。大学は社会に出る前の準備期間とみると、まことにお粗末である。つまりここでいう社会とは多様性を含んだ社会であって、決して就職人養成だけが大学の役割ではない。就職だけだったら専門学校や就職予備校で十分。大学は学問を深めることや、民主主義を学んだり、草の根の運動や組織を学んだりと知的な活動を含む。活動は運動部だけのものではない。

問題意識を持つ学生はすでに優秀であるが、残念ながらこの大学にはかつてのように全国で通用する優秀な学生は「圧殺の森」以降は稀にしか集まらない。集まったとしても退学して他大学に入学するケースも見られる。そうした悪の伝統を作っておいて、学生をバカにできるそんな阿呆な教職員が集まっている大学でもある。

323凡人:2021/03/26(金) 13:15:41 ID:GvDJucak0
反民主主義体制の公共教育機関である高崎経済大学。相反する要素の共存を許す不思議な公立大学法人。市税が投入されている。いまだ戦前を彷彿。笑。

「人の支配」の悪い側面は高崎経済大学の歴史が教えてくれる。憲法や法律が無視され、ごく一部の権力者による都合・独裁・独断でモノゴトが決められる。故に平等・公平は無視され、自由競争が消え、コネや血縁やその他が幅を利かせる。大学の停滞がそれに付随する。「ばか」でも長期政権が望める。適材適所の人材が望めない悪の循環システムが仕上がる。そのために大学の発展が大きく阻害・挫折する。そこでの卒業生の愛校心は存在するが、ごく限られた卒業生たちの間で、権力追随の盲目による支配である。創立から60年を経過しても、いまだ滑り止め大学。地元の優秀な高校生は相手にしない。政治に無関心で、ごく生真面目で、家庭の貧しい学生に人気があるが、全国から見ても大学の存在感が空気のように薄い。これを停滞と言わずして何であろうか。

学園闘争のドキュメンタリー映画のタイトルに「圧殺の森」というのがある。1967(昭和42)年に作られた映画の舞台となったのが高崎経済大学。圧殺の森の舞台背景を知れば知るほど、この大学が正常な大学で無いことに気付く。全国で学生を募っておきながら、市内の有力者の子弟を不正入学させていたのである。その不正に当時の右翼市長住谷啓三郎氏も介入していた。それを知った教員や学生たちの純粋な愛校心からの抗議から始まったと言えよう。大学の民主化、公正化を求めての学生達の抗議。それが圧殺の森に発展していった。昔の愛校心と今の愛校心はまったく違うように思う。昔の方が知的であった。

大昔の事を持ち出すと指摘するかもしれない。「圧殺の森」が終わったことなら、そう言えるが、実は過去のことではなく、高崎経済大学にあって現在進行形である問題だと言いたい。歴史を知らないものは過ちを何度も繰り返す。それが高崎経済大学である。「人の支配」や反民主主義態度はまったく変わっていない。どれだけの者がそれを認識しているか。権力追随型の就職予備校生と化した高崎経済大学の学部生や院生には無関心でいられるかも知れないが、「法の支配」の民主主義を愛する者にはこよなく面白い話題である。

高崎経済大学の現体制を作った当時の役者たち。
高崎市長住谷啓三郎(早稲田大卒、右翼暴力団員から絶大の支持)、三潴信吾高崎経済大学学部長/学長(岸信介内閣下憲法調査会、現行憲法を認めない、日本帝国憲法を信奉、日本会議の前身のメンバー)、中曽根康弘(第2次岸信介内閣/科学技術庁長官、総理大臣、憲法改正推進)
 
国会法務委員会昭和44年6月6日での高崎経済大学が取り上げられた。昭和44年6月6日
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=106105206X01919690606

高崎経済大学直属応援団の団史ー昭和30年代後半から40年代にかけての歴史を参照。
http://www1.tcue.ac.jp/home1/ohendan/danshi.htm

324凡人:2021/03/27(土) 18:01:07 ID:GvDJucak0
リンク訂正
昭和44年6月6日国会法務委員会の議事録:当時の三潴高経大学長と暴力団幹部との関係が追及される。
http://kokkai.ndl.go.jp/SENTAKU/syugiin/061/0080/06106060080019c.html

325凡人:2021/03/28(日) 22:17:45 ID:GvDJucak0
「I 高崎経済大学事件」を読むべし。ここに高崎経済大学の創立時や現体制への経緯がよく書かれているので参照することを勧める。高崎経済大学を知るためには必読の記事だろう。コピペが出来ないのが残念である。
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広島大学 高等教育研究開発センター 大学論集
第35集(2004年度)2005年3月発行:311-332

1965年における高崎・都留・下関の3市立大学事件
ー公立大学に関する一考察ー

高橋寛人/Hiroto Takahashi(横浜市立大学准教授・国際文化研究)

https://rihe.hiroshima-u.ac.jp/search/attachfile/63723.pdf

326凡人:2021/03/28(日) 23:27:59 ID:GvDJucak0
凡人はすこぶる現実主義者であって、妄想は信じない。もしそれをイデオロギーと呼ぶのなら、それが凡人のイデオロギーだ。過去の歴史は重要な証言者であり、将来を占う上で重要なヒントをくれる。だから歴史は無視できない。かといって歴史にがんじがらめになることにも反対する。未来を担うのは若者たちが中心だからだ。それ自体がすでにユニークを醸し出す。

凡人は妄想イデオロギーに染まった人間を嫌悪する。よって高崎経済大学のような右翼反動大学は嫌いである。大学の本来の目的は教育を通じて民主主義を広め、学生や市民の啓蒙に尽くすこと。そんなことは毛頭ない、あるいは出来ない、残念な大学が高崎経済大学。それ故権威や天皇の目線でしか考えられず、庶民の歴史やその男女平等や人権などと言ったコミュニティーの発展に係る重要なテーマの議論が存在しない。それらは世界中の一流大学がこぞって良く討論するテーマであることは知るべきである。それが大学レベルでの学識である。就職がよいとか学費が安いなんてのは別の次元である。

凡人は民主主義になってはじめて正義や平等や公平が促され、あらゆる階層の市民による市町村の活動や地域活性化への積極参加が可能になると信じる。正しい歴史や知識の探究により無知やタブーから、コミュニティーの中の住民を解放させ、それによって初めて、市民が共感や愛する文化や科学や社会の進歩・発展が可能となる。「死んだ文化」を強要する今の地方自治体の教育に大きな疑問を持つ。’大戦後軍国主義と階級の旧社会が崩壊し、民主化の波で自由と競争が社会に生れた日本にあって、高度経済成長が他のどの国より早く実現したのは十分な理由があったといいたい。本田宗一郎はそんな民主化日本を愛した成功者の一人だ。

凡人はアメリカの民主党勢力の強い主要各都市での暴動を影で支えていた左翼系の民主党に深い不信感を持っている。ブラック・ライフ・マターなんていうのは只のマヤカシである。大統領再選挙時の共和党トランプ大統領の選挙演説を楽しく聞いていた。トランプはそこで至極もっともなことを言っていた。ところがアメリカのマスコミはトランプ前大統領を右翼とか白人至上主義者とかレイシストとかレッテルを張って、選挙以前から民主党に有利なニュースを流していた。一流紙と呼ばれるニューヨークタイムズを含む各紙もそれに同調していた。新聞記者がリベラルに染まっているのは伝統である。アメリカの一流大学と呼ばれるところもまた皆リベラルが伝統である。凡人はアメリカの現実を知っている(そこで生活している)から、やみくもにはリベラルを信じない。広く観たり、聞いたり、読んだりする。また時間をかけて、記事の正しさを検証することも忘れない。白人を人種差別している黒人間の人種差別は白人以上のモノがある。黒人文化のアメリカの基礎をなす白人文化キャンセル運動が流行っているアメリカ。アメリカの将来を本当に心配している一人である。

327凡人:2021/03/29(月) 13:03:47 ID:GvDJucak0
現在の群馬県高崎市長(3期)は富岡賢治氏である。国の教育行政に長く携わった富岡市長は今までの実績からして、高崎市に絶大な活力を与えていると信じる。すこぶる有能な人物・市長であると言いたい。市長になる前の群馬県立女子大学長時代に、凡人は彼の存在を知った。その女子大をグローバル化に対応すべく大胆な新留学制度導入したことに凡人の目を引いた。その時からすでに彼のファンである。政治信条はよく知らないが自民党王国の高崎にあって、市長選は自民党から出馬していない。つまり高崎市には幸いにも、彼は能力で選ばれたと言った方がよいであろう。

出身校: 東京大学法学部第2類
文部官僚。国立教育研究所所長、日本国際教育協会理事長、群馬 ...
所属政党: 無所属
前職: 国家公務員(文部省); 群馬県立女子大学長

328凡人:2021/03/29(月) 13:07:49 ID:GvDJucak0
広島大学 高等教育研究開発センター 大学論集第35集(2004年度)2005年3月発行:311-332

1965年における高崎・都留・下関の3市立大学事件
公立大学に関する一考察

高 橋 寛 人
広島大学高等教育研究開発センター客員研究員/横浜市立大学国際文化学部助教授

はじめに
地方自治体が大学を運営することに関して,戦後改革期,政府レベルで議論が行われた。1947年,CIEは国立の高等教育機関を,総合大学を除いて地方に委譲するプランを立て,その実現に向けて文部省に働きかけた。当時首相の諮問機関として設置されていた教育刷新委員会(教刷委)ではこの問題をきわめて重要視し,特別委員会を新設して審議を行う。特別委員会での検討をもとに同年12月26日の総会で「大学の地方委譲,自治尊重並びに中央教育行政の民主化について1)」と題する建議がまとめらた。この建議は,国立大学を地方に移譲することは不可能であると述べ,その理由を3点あげた。第一の理由は,地方行政当局が大学について十分な理解をもたず,地方の政治的利益に動かされやすいため,大学の自由・自治が保障されないことであった。第二は,日本の大学等高等教育機関が全国的な視野に立って計画的に配置されてきたこと,第三は,脆弱な地方財政によっては,大学の健全な運営は不可能であることであった。 教育刷新委員会の建議に示された危惧すなわち地方行政当局による大学自治の侵害,大学経費の過重負担という問題は,実際に様々の公立大学で発生した。なかでも,1965年に起こった高崎と都留の2つの市立大学の事件ついては,当時新聞の全国版や雑誌等でもさかんに報じられ,全国紙の社説でもとり上げられた。この年には,下関市立大学でも紛争が生じた。下関の場合は紛争が短期間に終結したためであろうか,高崎・都留ほどには報じられなかった。3大学の事件はいずれも公立大学特有の事情に起因するものであった。また,公立大学の中でも,都道府県・指定都市ではなく,一般市の設置した大学という点で,教刷委の懸念が深刻化しやすい大学であった。当時の人口を見ると,下関市が30万,高崎市は14万,都留市に至っては3万であった。1965年当時の公立大学は全部で31校あったが,ほとんどが都道府県,指定都市が設立した大学で,それ以外は一般市の設置したもので5校のみであった2)。5校のうちの3校が1965年に時を同じくして,公立大学であるがゆえの事件を起こしたのである。1965年に起こったこれら3つの市立大学の事件は,公立大学のはらむ問題性が端的にあらわれたものである。本稿は,3市立大学の事件を取り上げて,公立大学の特質の一側面を検討するものである3)。

I 高崎経済大学事件

1 高崎短期大学の誕生
高崎経済大学の前身は高崎短期大学である。1951年8月の市議会に短大の設置が提案され,満場一致で可決された。設置予算は当初わずか7万円であったが,その後61万円に修正され,さらに381万円に増額された。増えた予算は市営競馬の純益金からまわすというのであった。市議会では,市の財政では短大の経営は困難ではないか,義務教育に向けるべき予算にしわ寄せが来ないか,などの意見があったが,原案通り可決された4)。1952年4月,定員200名の商経科からなる市立高崎短期大学が,旧歩兵第15連隊兵舎を用いていた青年師範学校跡地に開校した。設置認可申請書は,短大設置の理由を2点あげている。第一に群馬県内における高等教育
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329凡人:2021/03/29(月) 13:09:21 ID:GvDJucak0
機関は群馬大学のみであり,しかもその学部は学芸学部と工学部と医学部の3学部に限られた。したがって,人文・社会科学を学ぼうとすると県外に出なければならない状況であること。第二に,青年が夜間高等教育を受ける機会がないことをあげ,「県内交通至便の位置に産業経営に関する昼夜間就学の便を有する大学の設置は県民ひとしく要望しているものである」と記している。市立高崎短期大学は,勤労青年にも門戸を開くため昼夜開講制をとったことが大きな特徴であった5)。短大の設置認可申請書に「可及的速に4年制大学の設置に総力を結集せんとする」と記されているように6),4年制大学への昇格は短大設立時からの計画であった。1955年5月,住谷啓三郎が新市長に就任した。新市長は就任直後,施政方針の談話の中で短大の廃止を表明した7)。 市立短期大学は早速廃止する。1300万円もの赤字を出しているとのことだが,短大は中途半端な教育だから意味がない。(中略)4年制大学に昇格することは財政上無理だから結局廃止する8)。 短大廃止の談話に驚いた教授会・学生自治会は,大学存続の陳情・署名運動を行った。市長はその後短大廃止の考えを改め,予算削減を行うけれども4年制への昇格を認める。12月の定例市議会で市長は,短大は商学・経済学専門の大学であるのに,教養部門の教員が多く,商学・経済学専門の学者は少ないことを問題にした。そして「現在の短期大学は最低500万円の市費の投入を減らさなくてはならん」とも答弁したのであった。ともあれ,翌1956年9月の市議会で高崎経済大学の設置案が可決された9)。

2 4年制への改組
昇格後の大学の学長には,田辺忠男が就任することになった。ところが,4年制への移行に際して,短大教授19人のうち経済大学に教員として残るのはわずか6名にすぎず,残る13人は排斥された。市当局は,短大と高崎経済大学は別の大学だから教授陣を引き継ぐ必要はない,また13名は東京から通勤していて出講率が悪いことを考慮したなどと述べた10)。解雇された大井正教授らは,「新大学は田辺忠男学長以下,渡辺銕蔵,北岡寿逸氏らを教授に迎え,われわれ13人を思想的に面白くないとして整理したのだ」と訴えた11)。『群馬県教育史』は,『高崎経済大学新聞』記事から引用して,次のように記している。排斥の対象は「短大の色に染った教授たちでありその他彼らを信奉する一部の学生を含む共産主義者であって,彼等に第一の矢が向けられた。田辺,細野両教授を先頭とする排斥運動は3ケ月間強力に推し進められ,次々と共産主義者たちは追放されて姿を消して行くか,羽をもぎ取られるかしていった12)」。後に,田辺学長は「建学の精神」を『入学案内書』に書いた。そこでは,高崎経済大学における経済学の立場を次のように記している13)。われわれの専門的研究は経済学であるが,マルクスの第19世紀的誤謬を指摘しケインズの大戦後のイギリス的諸条件に制約された抽象に失する点を批判し,現実的・社会的な学風を持って日本の再建に役立つ理論と政策を究明するとともにその応用の才能を展開することを期する。マルクスもケインズも批判する経済学であった。1956年10月,大学の設置認可申請書が文部省に提出された。短大の教授会は,短大施設を新設大学に譲渡することへの反対を表明した。これに対し,市議会では短大の廃止と4年制大学の設置を議決した。短大の昇格ではなく,大学の新設という形をとったのであった14)。こうして1957年4月に高崎経済大学が開学した。この事情を,高崎経済大学の『自治会新聞』は,後日次のように書いている。「短大当時は,革新系市長や進歩的教授陣に支えられて自治会活動は......積極的な運動を展開し,群馬大学と共に学生運動に於ける拠点校的存在でさえあったのである。しかしながら4年制大学への昇格と共に,市長は保守系の住谷氏へ変っており,それに伴って短大当時の一流教授陣もやめさせられていったのである。(中略)初代学長に,当時保守反動の大御所的存在であった田辺学長をすえた15)」。ここでは,短大から4年制への移行期に,市長の政治的なスタンスが大学の学長,教員人事に大きく影響を与えたことが指摘されているのである。 住谷啓三郎は1959年4月の市長選で再選を果たす。公約のひと
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330凡人:2021/03/29(月) 13:10:39 ID:GvDJucak0
つに高崎経済大学の校舎移転・新築を掲げていた。ただし,経費の全額を市が支出するのではなく,移転・新築のために後援会をつくって,その後援会が銀行から1億4千万円を借り入れ,市は6千万円を後援会に寄付し,移転・新築後に後援会は市へ大学施設を寄付するというものであった。市議会では,「経大は短大を国立に移管するために昇格したはずだ」との反対意見が出されたが,結局原案通り可決となった。1961年4月に新校舎が落成したものの,校舎の資金計画をめぐって田辺学長と市長とが対立し,学長は6月に辞任し,北原金司学長にかわった16)。

3 コネ入学問題と市長の私学移管発言
1964年4月,田中精一が第3代学長に就任した。1965年度の高崎経済大学の志願者は6,185人,定員は200名であったから名目上の倍率は30.9倍,508人の合格者を出したが,高崎市出身学生はわずか7名,群馬県出身者も20名だけであった。従来,補欠の繰り上げ入学では情実が働いて地元有利だという噂があった。だが,この年は,大学側が地元優先主義をやめて成績順で合格者および補欠入学者を決定した。市当局は補欠入学者を地元優先で決めるよう大学に要求したが,大学は応じなかった。だが,市の「有力者」の間では「経大の費用は年間1億2千万円で,うち7千万円は授業料その他の収入でまかなわれ,不足の5千万円は市民の税金を注ぎこんでいるのだから,地元優先は当然」だという声が強かった17)。 市当局は今度は,市議会議員などの有力者から依頼された82人について,とりあえず「委託生」として入学させ,後に本科生に編入させるよう大学に求め,大学側はしぶしぶこれにしたがった。同大学の学生自治会は学生大会を開いて,この措置に反対して授業放棄を行うことを決定した。田中学長は,「高崎市当局の大学に対する考え方があまりにひどすぎる。大学を市の一部局のように勝手気ままに扱ってきたことが,今度の事件の最大原因だ」と話した。住谷市長は「大学の創立にあたって地元の子弟教育と産業振興にあてるということが大きな目標だった。この方針にそって地元の子弟を入れるために市長の立場から努力した」と述べている18)。 田中学長は同大後援会幹部などと話し合い,問題の収拾の見通しがつくまで委託生の入学を延期するとともに,大学を休校にすることを決めた19)。さらに委託生は単位の取得ができないという文部省の見解にしたがって,委託生を聴講生に改めること,そして試験を行って成績のよい者を編入学させるという見解を示し,市長もこれに合意した20)。他方で,地元からの優先入学は今年度限りとすることも確認された21)。学生大会でも,編入試験を厳正に行うという条件付でこのプランが了承されたので,4月末に授業が再開された22)。ところが7月末,住谷市長は高崎経済大学の私立移管をほのめかした。教授会は移管反対を決め,田中学長は辞表を提出した。学生たちも文部省に市長の私学化計画を阻止してほしいと陳情した23)。8月下旬,住谷市長は,「地元の子弟教育,市の財政負担の軽減,大学の将来などを考えたうえで『私学移管』のほかはないという結論になった」として,翌年度からの私学移管を正式に表明した。地元関係者による学校法人を設立し,現在の大学を私立高崎経済大学として発足させるというものであった24)。 学生たちは,市議会における私学化案の審議を阻止するために,議場入り口へのすわりこみ・ハンストなどの行動に出た。翌年度から私学化するためには,9月末までに文部省に対して,教員の同意書を含む認可申請書を提出しなければならない。しかし,高崎経済大学の教授会は「私学化に絶対反対し,市当局から私学の教官就任に同意を求められても承諾書は出さない」との声明を発した25)。 事態の深刻化を憂慮した高崎市選出の自民党2名,社会党2名の計4名の県議たちが収拾に乗り出し,3箇条の調停案を打ち出した。①授業料を値上げして市財政への圧迫を減らす,②地元子弟を多く入学させるため,従来のような広範囲の地域からの学生を募集しない,③県立か,国立か,私学にするかは,広く市民の意見を聞いて決めるというものであった。市議会では各会派の役員会を開いて協議し,私学移管に反対する学生や保護者の要
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331凡人:2021/03/29(月) 13:12:51 ID:GvDJucak0
求にしたがって収拾案をまとめた。それは,①公立を維持すること,②大学経営は市財政を配慮して行うこと,③地方大学の建学精神の特殊性をいかすこと,④大学当局責任者の退陣であった。学生側は授業料値上げを含む調停案に反対して,9月から再び同盟休校に入った。文部省も非公式ながら調停に乗り出し,調停案を示した。しかし,市長は,大学の教授会が決定した新学長の発令を拒否し,別の教授を学長事務取扱として発令したため,教授会との対立がさらに深まった26)。


4  市議会各会派による私学化反対
市議会各会派はさらに協議を続け,私学化案が議会に提出されても共同して否決することを確認し,ここに私学化は不可能となった27)。9月下旬の議会では私学化の提案はなされず,かわりに学費と受験料の値上げが可決された。値上げは次年度からで,授業料は年間2万円から3万5千円,入学金は1万円から2万5千円,受験料は3千5百円が5千円へと,大幅な値上げであった。値上げに反対して市議会の議場前にすわりこんだ約500人の学生が警官隊に排除され,学生6名が逮捕された28)。 他方,大学当局は,9月はじめに聴講生の編入試験を行い,87人中47人を合格とした。その後12月,合格しなかった40人に対してもう一度編入試験を実施し,33名を本科生に編入することを決めた。学生側はこれに強く反対して後期試験をボイコットしたため,教授会は試験を延期せざるを得なかった。試験ボイコットをめぐって学生が3名逮捕された29)。なお,1967年度入試より合格者の数を大幅に増やした。既述のように,定員200名のところ,従来はその約2.5倍の500名前後の合格発表をしていた。この中から例年200〜300人が他大学に抜けるので,その分を補欠合格で穴埋めして,結局,500〜600人を入学させていたのである。しかし,補欠入学がコネ入学に絡んでいたことから,1967年3月の合格発表より,当初の合格発表時に従来の補欠合格分もあわせて合格者1351人としたのである。これは定員の6倍をこえる数であった。文部省は「常識をはずれるもの」とコメントし,定員より多く入学させるならば学生定員増が必要であると指摘した30)。この問題について翌1968年3月,大学の事務局長は,「定員を厳守していては収入が少なくてやっていけない。収入増によって教官や施設の充実策を図り将来は定員を増やしていきたい」と説明したのであった。その後1969年9月に市議会で定員増の議案が可決され,翌年4月,12名の新任教官を迎えて,入学定員が400名に増員されたのである31)。

注】1)文部省調査普及局『教育刷新審議会要覧』1952年,43ページ。2)これら3大学のほかは,後述するように,岐阜薬科大学(岐阜県岐阜市立,1949年開学),金沢美術工芸大学(石川県金沢市立,1955年)のみである。短期大学を見ても,政令都市を含めて10校,政令都市を除くと6校に過ぎなかった。すなわち名寄女子短期大学(北海道名寄市立,1960年設置)前橋市立工業短期大学(群馬県前橋市立,1952年)大月短期大学(山梨県大月市立,1955年)岐阜女子短期大学(岐阜県岐阜市立,1950年)三重短期大学(三重県津市立,1952年)尾道短期大学(広島県尾道市立,1950年)である。3)本論文は,地方自治体と大学との関係に関する研究の一環である。これまでの論稿に以下のものがある。拙稿「公立大学をめぐる政策に関する史的検討」『教育制度学研究』第7号,日本教育制度学会,2000年,公立大学協会編『地域とともにあゆむ公立大学』第1編第1・2章(拙著)公立大学協会,2000年,拙稿「大学大衆化以降18歳人口急増期までの間における公立大学の新増設」『横浜市立大学論叢人文科学系列』第52巻第3号,2001年,拙稿「18歳人口減少期における公立大学の急増」『経済と貿易』第184号,横浜市立大学経済研究所,2002年,拙編著『公設民営大学設立事情』東信堂,2004年,拙稿「大学と地域20世紀日本の公立大学のあゆみをふまえて」『20世紀教育学からの課題』日本
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332凡人:2021/03/29(月) 13:14:42 ID:GvDJucak0
教育学会関東地区研究会,2004年。4)戦後における群馬県教育史研究編さん委員会編『群馬県教育史戦後編』上巻,群馬県教育委員会,1966年,747〜748ページ,40周年記念誌編集委員会編『高崎経済大学40年のあゆみ』高崎経済大学,1997年,1ページ。5)昼夜開講制は当時全国に2校だけであったという(前掲『群馬県教育史戦後編』上巻,752ページ,高崎市教育史編さん委員会編『高崎市教育史』下巻,高崎市教育委員会,1981年,947ページ)。6)前掲『群馬県教育史戦後編』上巻,761ページ。7)前掲『高崎市教育史』下巻,952ページ。8)高崎市市史編さん委員会編『新編高崎市史』資料編11,高崎市,2000年,621ページ。9)前掲『群馬県教育史戦後編』下巻,1492〜1493ページ。10)『朝日新聞』(全国版。以下『朝日新聞』はすべて全国版を用いた)1957年2月23日付。11)同前。
3272004年度高 橋 寛 人12)戦後における群馬県教育史研究編さん委員会編『群馬県教育史戦後編』下巻群馬県教育委員会,1967年,1494ページ。13)前掲『群馬県教育史戦後編』下巻1495ページ。14)同前,1493ページ,前掲『高崎市教育史』953〜954ページ。15)三一書房編集部編『資料戦後学生運動』第7巻,三一書房,1970年,207ページ。16)前掲『群馬県教育史戦後編』下巻,1497〜1498ページ。17)前掲『高崎市教育史』下巻,957〜958ページ,『朝日新聞』1965年4月13日付。18)同前。19)『朝日新聞』1965年4月14,15日付。20)『朝日新聞』1965年4月20日付。もっとも,村松喬『教育の森』第8巻(毎日新聞社,1967年)によれば,市長は学長に対し,「聴講希望者全員を,直ちに入学させてほしい。これがいれられないなら,大学の本年度予算の執行を停止する」と迫り,大学当局がこの要求に屈服したとされている(112〜115ページ)。21)『朝日新聞』1965年4月30日付。22)『朝日新聞』1965年4月25,30日付。23)『朝日新聞』1965年8月21日付。24)『朝日新聞』1965年8月22,24日付。25)前掲『高崎市教育史』下巻,958ページ。『朝日新聞』1965年8月22,24,25,26,28日付。26)前掲『高崎市教育史』下巻,959ページ。『朝日新聞』1965年8月29,31日,9月8,9,10日付。27)『朝日新聞』1965年9月10日付。28)『朝日新聞』1965年9月21,22日付。29)『朝日新聞』1965年12月13,16,27日,1966年1月27,31日,2月3日,4月1日付。その後紛争は一時沈静化するが,翌年秋に再燃し,1969年まで断続的にくり返されるのである。ただし,それは地元子弟のコネ入学や私学化といった公立大学特有の問題をめぐるものではなかった。30)『朝日新聞』1967年3月6日付。31)『朝日新聞』1968年3月5日付,前掲『高崎経済大学40年のあゆみ』25ページ。以上が高崎経済大学における入試をめぐる紛争の経緯である。ただし,この頃,他の公立大学でも入試をめぐる問題がしばしば報道され,世間の批判を浴びていた。市立北九州大学では,1965年4月,有力市議が依頼した11名を補欠入学させた(『毎日新聞』1965年4月18日付)。横浜市立大学では,1967年2月,横浜市民の子弟や運動部員を優先入学させていることが報道された(『朝日新聞』1967年2月10日付)。奈良県立医科大学の場合,1959年以降県幹部,県会議員あるいは同大学の教授から紹介のあった受験生で合格点に満たなかった者を毎年10名程度入学させていたことが,1968年に明るみに出た(『朝日新聞』1968年5月12日付)
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333凡人:2021/04/02(金) 06:41:44 ID:GvDJucak0
高崎経済大学は大学もどき。良くて短大。知的教育機関というよりも、むしろ日本の会社組織に似ている。

現行憲法や教育基本法を無視しているゴマカシ公立教育機関である。以前にも書いているが、右翼教育を中心としたカルト教育機関である。「大学側に逆らえない風土」。学生の、学生のための、学生による学生自治会や学生新聞部が生れないように仕組んでいることからも分かる。大学側は大学直属の応援団を設立し全学生から学費と共に徴収するお金で運営している。特筆すべきはその応援団員が高経大の全学生の代表としている点。大学側が主催する大学行事があるが、応援団が学生代表として参加する。ブラック会社が御用組合を造ったり、総会屋もどきの団体を造り会社運営をする日本の伝統と同じく、高経大はその運営を都合のいいように決められる。そんな校風だから自由な思想が許されるはずはない。学生は大人として、または社会人として当然もつ個人の意見は尊重されない。入学者の大半は滑り止めで泣く泣く集まった学生たち。勉強よりもむしろ部活に精を出すタイプが多く、自分の意見を持つ学生はとても少ないのだろう。大学側もそんな学生の資質をうまく利用している。学生は校則が厳しい商業高校生や専門校生と同様に扱われても、大学卒業時に就職が出来れば御の字で、問題は何一つおこらないようである。高経大が実学重視と銘打っているのは偶然ではない。今の商業高校や専門学校がやっている商業活動を、大学の教育の特徴やメインにしていることからも、大学レベルが頷けるだろう。国内や海外の高いレベルの他大学との知的交換よりも、高大連携に高い関心を持つことも至極当然といえるのである。
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高崎経済大学は日本の会社組織に似ている。日本では大量の新設公立大学とその躍進の中で、古株の自由な思想が許されない高経大とその停滞が気になる。それが今の日本企業が他のアジアの企業と競争し、徐々に追い越されて行くイメージと重なる。今の日本企業ではいったい何がおこっているのか。読者からのコメントに興味を引いた。

「上司に逆らえない風土」「社内政治」…なぜ「東芝」不正会計事件は起こったか
2021/3/30(火) 11:00配信 デイリー新潮

不正会計事件が起きた「東芝」
 道を踏み外すのは個人に限らない。名だたる大企業、組織であってもちょっとした判断ミス、トップや関係者の保身、煩悩が連鎖すると大きな過ちを犯す。

 日本を代表する大企業、東芝とて例外ではない。2015年、同社は不正経理で世間を大いに賑わせる。しかもこの不正、ちょっとしたゴマカシのレベルをはるかに超えたスケールのものだった。

 彼らはどこで間違えたのか。そこには「上司に逆らえない風土」といういかにも日本的な組織の特徴も作用していた。この事件の背景を知ることは、ビジネスパーソンとしての必須教養と言えるだろう。

 ジャーナリスト、田中周紀氏によるレポートをお届けする(田中周紀著『会社はいつ道を踏み外すのか』の一部を抜粋)。
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334凡人:2021/04/02(金) 06:44:57 ID:GvDJucak0
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以下は上記デイリー新潮の記事の投稿者達のコメント抜粋
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日本人はすぐに「風土」だとか「文化」だとか曖昧な、醸成された空気が原因にあるという結論を出して納得してしまうが、古今東西、組織というもので上に逆らうと不利益を被るというのはどこでも同じ。

要は、上に能力があれば、下の言っている「まっとうな」話を聞いて軌道修正できる、もしくは、「まっとうな」話だけれども事業をすすめるにあたり周りをとりまく理不尽な人々を乗り越えるためにはそれでは成功できないから採用できない、などということになる。

だから上司が馬鹿だと、部下も能力も成果も出していないヒラメ社員が出世して優秀な社員がやる気を無くし、ヒラメだらけになり、会社が傾く、という負の拡大再生産が起こってしまう。

spi***** | 1日前
日本人はすぐに「風土」だとか「文化」だとか曖昧な、醸成された空気が原因にあるという結論を出して納得してしまうが、古今東西、組織というもので上に逆らうと不利益を被るというのはどこでも同じ。

要は、上に能力があれば、下の言っている「まっとうな」話を聞いて軌道修正できる、もしくは、「まっとうな」話だけれども事業をすすめるにあたり周りをとりまく理不尽な人々を乗り越えるためにはそれでは成功できないから採用できない、などということになる。

だから上司が馬鹿だと、部下も能力も成果も出していないヒラメ社員が出世して優秀な社員がやる気を無くし、ヒラメだらけになり、会社が傾く、という負の拡大再生産が起こってしまう。
逆も然りで上司が優秀であれば、正の拡大再生産が起こる。

だから、結局は上に立つ人の能力次第。
東芝で言えば、佐藤社長が間違った人間を選んだ(西室)以降はデタラメになった。

tai****** | 1日前
知人に半導体部門の人がいたが、常務レベル承認で出した社内会議のパワーポイントの資料のミスを、作った本人(主査級)3時間ぐらい社長室に呼ばれ説教されたその同僚を見て、気の毒というか本来責任を取るべき常務もそうだし、そもそも社長が一担当を呼び出して長時間ミスをあげつらう、というのも本当の話なのか、と耳を疑ったそう。

その当時の社長はかの「テヘランから来た男」で有名な方。

hon***** | 1日前
「上司に逆らえない風土」「社内政治」…まんまうちの会社。一度、経理仕事があまりにもずさんで、ヒラの私が上に意見したが最後、長年勤務した今でも係長にすら昇進させてくれません。昇進するか否かは完全に人事の好き嫌いで決まります。上は世を騒がせた元首相とすっかり同じ考えのようで。結果、何も言わず、波風立てずにおとなしくしているだけの腰掛女とその課にいても自己啓発すらしないが、上にへつらうのだけは一流の無能な男だけが昇進してます。東芝もうちも似たようなもんです。
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335凡人:2021/04/02(金) 06:45:58 ID:GvDJucak0
osh***** | 2日前
東芝にいました。電機メーカとは仕事で関係が深かったのですが、上に逆らえる風土の会社なんてほぼ見たことないですね。大きな会社なので部署による差は大きいわけですが、東芝はまだましという感じを受けるお客様も多かったです。私自身が思う凋落の理由は、まずは東日本震災という運の悪さ、そして社長の質の悪さですね。社長をやってみると分かりますが、会社内で社長に逆らうことはほぼ不可能です。これは西室社長が大きな影響を及ぼしています。西室、西田、佐々木、田中の4代の社長が自らの失敗を認める勇気を持たなかったというか、それをごまかすことで社長に成り上がった。優れた人材は多くいたのに、小人が社長となり虚偽を重ねた。残念でならない。

j******* | 1日前
高卒で中途採用されNECにいたけど、ほんと社内政治。自衛隊か軍隊か警察か…縦割り組織の弊害。トイレと食堂に行く以外、何でもかんでも上(主任)に相談、上が課長(マネージャー)に進言、さらに上位者に相談、進言。ドッと疲れる。回覧ひとつとっても、上から見ないと怒鳴りつける昭和生まれの古狸管理職が数人いた。

bxd***** | 2日前
一緒に仕事をした事あるけど何というか官僚的。
上下方向には固く横方向の風通しの悪さは一級品。
それと上意下達が激しい印象を受けた。
トップが強いのはどの大手企業も一緒かも知れないが、
下も薄々悪いことと思っていても長いものに巻かれてしまい
反骨がない。
普通に考えたら違法に気づいた時点で下が意見して止めに掛かるのであろうが
そういった事がない。今の官僚もそうだろうが、政治家がやれと
言うからその通り違法なことを平気でする。
結局そのような中で上に逆らってまで止めないしなんとなれば自己保身の為に悪事を手伝う。社内通報窓口もこのような場合は意味をなさないだろう。
社の方針に逆らってまで何とかすることをしないだろうから。
だから耐えかねた社員か監査法人がリークするまで発覚しなかったのだろう。
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336凡人:2021/04/04(日) 20:34:05 ID:GkhSRDuE0
山本五十六と民主主義と高崎経済大学

民主主義を理解できる人は高経大にはいないと推測する。大学直属応援団、大学理事や学長や教職員や学部生や院生たち。ミヤンマーで軍のクーデターが起こったのは昨今であるが、凡人が在学中からずっとこのかた、この大学側や教員から「民主主義」という言葉を聞いたことがない。凡人はそのころはまったく無知であったと認めざるを得ないが、いまから考えるとなるほどなと頷く。それがこの大学・高経大の特徴である。受験生や父兄にわかるように大学案内に明記すべきであると強く感じる。それが公立大学としての最低限の義務だろう。戦後の新憲法下で育った父兄や受験生には公立大学に対する、あるイメージが存在するが、高経大には他の国公立大学と違っている。大学運営にハッキリとした右寄りの思想的政策を取り入れている。平和憲法や教育基本法に、細かくいえば反している。海外派遣で天皇のためにかつて玉砕した大日本帝国陸軍の歩兵高崎第十五聯隊*を、独自創作した歌と踊りで賛美する応援団が大学直属で存在し、それが大学の象徴として位する。しかも学生の代表というのであるから凄まじい。学生自治会や学生新聞は以前はあったが、大学側の一連の「圧殺の森」*によって潰された。それはほんの一例だ。

*西南戦争後の軍備拡張によって、群馬県高崎市にて創設される。日清・日露戦争から、満洲・上海両事変、支那事変、太平洋戦争とほぼすべての戦役に参加。終戦時はパラオにあった。(ウィキ)
*「圧殺の森」は監督小川紳介のドキュメンタリー映画のタイトル。「森」とあるが、当時の高経大キャンパスはアスファルトとコンクリートに覆われ、木は殆どなく、高校を思わせる素朴なものであった。

故山本五十六は日米開戦の立役者だが、戦争の直前にアメリカのハーバード大学に留学していることも有名だ。アメリカに住み、彼は当時の日本より遥かに高い生活水準や科学技術の進歩に目を見張ったと容易に推測する。凡人が昔読んだ記憶が正しければ、(間違っていたら許してほしい。チェックする時間がない)アメリカの当時の軍事力は世界でたった7位。日本のように明治以降、富国強兵と徴兵制をとり入れ、学校には軍事教練を義務化した大日本帝国の日本とは違って軍事力には力をそれほどいれていなかった。アメリカ政府はモンロー主義を保持し、対外や国外問題には関心を最小限にとどめ、国内の生活の豊かさに、国民は満喫していた時代である。そのころ黒人差別が政治化し、黒人を含めた市民権運動が大きく動きだしていた。白人と黒人とその他の人種問題、土地をめぐる先住者インディアン問題。黒人差別反対のデモ隊と警察官との衝突。民主主義のアメリカで毎日のように起こっていた事件や市民運動やそうした喧噪。山本五十六はそうした「民主主義の喧噪」を目の当たりにみて、アメリカの弱点と取った。もし日米開戦でもしたら、黒人はアメリカ政府に反旗を翻すとまで夢にみていた。その混乱が日本の勝利に貢献すると見ていた。そこに山本五十六の大きな誤りがあった。それが彼の限界である。つまり民主主義の本質がまったく理解できていないのである。民主主義は大きな喧噪や社会のうねりを創り出すことには間違いない。だがその喧噪は社会改革や生活改善への産みの苦しみである。市民が草の根ベースで積極的に国政に参画している証である。決して国力を損なうものではない。事実、真珠湾攻撃がニュースになると、愛国心に燃えた若者が兵隊志願に殺到。いままでの人種間の軋轢はうせ、アメリカ人が国民として一致団結して、日本の帝国主義とドイツのナチズム打倒に乗り出した。当時の日本のように、天皇を頂点とした軍国主義下では市民は洗脳され、どんなに不平不満があっても、政府や権力に一切盾を付かない、またはつけないのが現実。非民主主義な日本社会では「民主主義の喧噪」などあ
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337凡人:2021/04/04(日) 20:35:14 ID:GkhSRDuE0
る筈はない。そして海軍による真珠湾奇襲攻撃によって日米開戦となった。そういう国ほどバカが権力を掌握する運命にある。反対者は影に隠れ、戦争がどんどん拡大し、泥沼化していった。当時日本での戦争反対者は憲兵により野良犬のように殺害された。アメリカの原爆投下をもって日本の無条件降伏。日本の国壊滅一歩までいった。主要都市が焼土と化し、日本兵や市民を含め日本史上かつてないほどの戦死者が出た。正しい情報があれば日本の負けは開戦前からすでに予想されていた。そんな戦争にようやく終止符がうたれたのであった。

戦後生れの高経大はいまだ民主主義を知らない山本五十六の過ちを繰り返している。「圧殺の森」の高経大生には民主主義の一縷の希望があった。当時学生自治会が中心となり、学生や教員たちが右翼市長とグルになっての大学の裏口入学に反対、その是正を訴えてデモに発展。その後、私学化や授業料値上げ反対へと続く。それはいわゆる「民主主義の喧噪」であり、必然であった。ところが不当にも大学側はそうした愛校心に燃える学生たちを大量に退学や除籍等で処分したのである。その過程で教員たち8人も辞表を提出、大学を去って行った。この高経大の民主化を拒否した右翼大学こと高経大の「圧殺の森」がそれである。当時、まったくの無名であった高経大が「圧殺の森」の映画で一挙に全国で名を馳せた。その後学園闘争が全国に飛び火する。もしここで高経大の経営側に先見性をもち有能な人物がいたら、そして高経大の民主化、正常化が生れていたなら、きっと今のような高経大にはなっていなかった筈である。教養や知識・知恵がタブーに打ち勝ち、正しいことが正しいとされ、民主主義に貢献できる大学、ほこりがもてる大学。学生間には愛校心が自然と生れる大学に成長したであろう。天皇万歳の大学長も頭の弱い応援団が直属として大学の象徴になることもないし、優秀な学生や教員が全国から集まり、学生自治会も存続し、学生新聞には大学内の問題はもちろんのこと、政治や社会や国際問題が記事になり、自由活発に学生間で討論される校風を創り出す。他大学との学生による自発的な学問的交換や交流も盛んになるだろう。そんな資質の学生が入学することにより、国会議員など全国レベルで活躍できる人物も卒業生のなかにぼちぼち現われることも予想できる。

ところが高経大の大学側や卒業生や同窓生はそんな大学の歴史を正常と認識できないバカ者たちである。当時不正入学した者が現在の高経大の役員や幹部になっているのではないかと邪推したくなる。またやっている事や記事を知って、時として知性や教養が大学レベルかと疑うことがある。一貫して反民主主義であることには変わらない。悪の連鎖は当時から現在にまで永遠に続いている。
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338凡人:2021/04/05(月) 23:35:01 ID:GkhSRDuE0
山本五十六のアメリカ留学と当時のアメリカと日本の人種問題。

彼の留学が何時頃なのか気になったのでチェックしてみた。そこでわかったことを訂正も含めての記事がこれである。アメリカの黒人差別の歴史は長い。広い意味では黒人の闘争はいつも市民権や人種間平等の獲得であると言えるが、アメリカ史では狭い意味での市民権運動は大戦後の1950年から1963年に架けてである。だからもう少し適切な言葉をつかうならば、山本五十六がみたアメリカはセグリゲーションの時代(1900年から1932年)である。つまり日常生活で、白人と黒人とは公共施設では別々に離されていた。黒人は学校のクラスでも、バスに乗るにも、水飲み場も指定された専用場所があった。それが当然とされた時代。公共施設以外でも、例えばバー・クラブでは白人と黒人は一緒にならない。もしそれを破ろうものなら黒人は警察に連行されたり、リンチにあった。政府統計による現在の黒人の犯罪率は他の人種に比べ顕著に高い。当時の犯罪率はどうだったのか知りたいものだが、多分今のようにキチンと比較したデータはないであろう。

山本五十六のアメリカ留学
1919年(大正8年)4月5日にアメリカに駐在を受命、ハーバード大学に留学した(〜1921年5月5日)。アメリカに駐在する前の1918年(大正7年)から「ナショナルジオグラフィック」を購読していた。長男の山本義正は、2度目のアメリカ滞在から日本に戻った1928年(昭和3年)以降のこととして「(山本がアメリカから帰国してから1930年(昭和5年)まで住んだ)鎌倉・材木座の自宅には、ナショナルジオグラフィックがアメリカから毎月届きました。当時小学生だった私は、父より先に封筒から取り出して良く見たものです」「(山本の)本棚の半分はアメリカの歴史に関する本で、他に黄色い背表紙のナショナルジオグラフィックがたくさん並んでいました。付録地図もケースの中に大切にとってありました。父はアメリカを知るためのあらゆる勉強をしていました」と語った。(出典ウィキ)

山本五十六が見た当時のアメリカ
As segregation tightened and racial oppression escalated across the United States, some leaders of the African American community, often called the talented tenth, began to reject Booker T. Washington’s conciliatory approach. W. E. B. Du Bois and other black leaders channeled their activism by founding the Niagara Movement in 1905. Later, they joined white reformers in 1909 to form the National Association for the Advancement of Colored People (NAACP). Early in its fight for equality, the NAACP used the federal courts to challenge disenfranchisement and residential segregation. Job opportunities were the primary focus of the National Urban League, which was established in 1910.

During the Great Migration (1910–1920), African Americans by the thousands poured into industrial cities to find work and later to fill labor shortages created by World War I. Though they continued to face exclusion and discrimination in employment, as well as some segregation in schools and public accommodations, Northern black men faced fewer barriers to voting. As their numbers increased, their vote emerged as a crucial factor in elections. The war and migration bolstered a heightened self-confidence in African Americans that manifested in the New Negro Movement of the 1920s. Evoking the “New Negro,” the NAACP lobbied aggressively for a federal anti-lynching law.

In 1933, President Franklin D. Roosevelt’s New Deal provided more federal support to African Americans than at any time since Reconstruction. Even so, New Deal legislation and policies continued to allow considerable discrimination. During the mid-thirties the NAACP launched a legal campaign against de jure (according to law) segregation, focusing on inequalities in public education. By 1936, the majority of black voters had abandoned their historic allegiance to the Republican Party and joined with labor unions, farmers, progressives, and ethnic minorities in assuring President Roosevelt’s landslide re-election. The election played a significant role in shifting the balance of power in the Democratic Party from its Southern bloc of white conservatives towards this new coalition.
資料 https://www.loc.gov/exhibits/civil-rights-act/segregation-era.html
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339凡人:2021/04/05(月) 23:39:15 ID:GkhSRDuE0
アメリカ国内の人種関係の出来事。1914ー1939
1914–1918 
World War I
1914 NAACP published an open letter to President Woodrow Wilson protesting segregation in federal agencies
1915 Carter G. Woodson founded the Association for the Study of Negro Life and History
1916 Representative Jeannette Rankin (R-MT) became the first woman elected to Congress
1917 Marcus Garvey established the American branch of the Universal Negro Improvement Association (UNIA) in Harlem
1917 Harlem Renaissance began
1917 NAACP led a “Silent March” of 10,000 black New Yorkers down Fifth Avenue to protest the East St. Louis race riot
1919 NAACP published Thirty Years of Lynching, 1889–1918, as part of an antilynching campaign
1919 Summer and early fall race riots erupted in twenty-five cities across the U.S.; later called “Red Summer”
1922 U.S. House of Representatives passed the NAACP-supported Dyer antilynching bill; defeated by Southern Democrats in the Senate
1925 A. Philip Randolph organized the Brotherhood of Sleeping Car Porters Union
1926 Carter G. Woodson inaugurated “Negro History Week,” later extended to Black History Month
1928 Octaviano Larrazolo (R-NM) became the first Latino U.S. Senator
1929 Oscar DePriest (R-IL) elected as the first black congressman since Reconstruction
1929 NAACP-supported “Don’t Buy Where You Can’t Work” economic boycott movement began with the goal of securing better jobs for African Americans
1931 A filibuster by Southern Democrats defeated the NAACP-supported Costigan-Wagner antilynching bill in the Senate
1931 Nine black men were wrongfully charged and convicted of the rape of two white women in Scottsboro, Alabama; the accused chose the Communist Party-supported International Labor Defense (ILD) rather than the NAACP to represent them
1932 Hattie Wyatt Caraway (D-AR) became the first woman elected to the U.S. Senate
1933 Joint Committee on National Recovery formed to represent African Americans during the first 100 days of President Franklin Roosevelt’s administration
1934 Southern Tenant Farmers’ Union, an interracial organization, formed to advocate for the fair treatment of sharecroppers and tenant farmers under the Agricultural Adjustment Administration (AAA)
1935 National Council of Negro Women founded
1935 National Negro Congress (NNC), led by A. Philip Randolph, called for the unionization of black workers, desegregation, and the protection of migrant workers
1935 Congress of Industrial Organizations (CIO) formed, espousing racial egalitarian rhetoric but allowing discriminatory practices
1936 Jesse Owens defied Nazi racist propaganda by winning four gold medals at the Olympic games in Berlin
1937 The Brotherhood of Sleeping Car Porters signed a collective bargaining agreement with the Pullman Company, the first such agreement between a black union and a major American company
1938 African American choreographer and dancer Katherine Dunham formed her own dance company
1939 African American contralto Marian Anderson sang in concert at the Lincoln Memorial before an integrated audience of 75,000
1939 NAACP Legal Defense and Educational Fund formed
資料 https://www.loc.gov/exhibits/civil-rights-act/segregation-timeline.html
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340凡人:2021/04/05(月) 23:47:10 ID:GkhSRDuE0
当時の日本国内の人種関係はどうか。

当時の日本を代表する事件。戦前の人権なき、民主主義なき国・日本。日本人は昔も今も、事実の追及は二の次で、プロパガンダに直ぐ反応すると言えないだろうか。笑。

関東大震災朝鮮人虐殺事件
大正12年(1923年)の関東大地震によって生じた関東大震災の混乱の中で、官憲や民間の自警団などにより多数の朝鮮人および朝鮮人と誤認された人々が殺害された事件である。正確な犠牲者数は不明であるが、論者の立場により、推定犠牲者数に数百名〜約6000名と、非常に幅広い差がある。

大正12年(1923年)、関東地方は地震によって壊滅的な被害を被り民心と社会秩序がひどい混乱に陥ったことを受けて内務省は戒厳令を宣告し、各地の警察署に治安維持に最善を尽くすことを指示した。しかし、そのときに内務省が各地の警察署に下達した内容の中で「混乱に乗じた朝鮮人が凶悪犯罪、暴動などを画策しているので注意すること」という内容があった。この内容は行政機関や新聞、民衆を通して広まり、朝鮮人や、間違われた中国人、内地人であるところの日本人(聾唖者など)が殺傷される被害が発生した。

東京日日新聞(一六八六七号)に「火をのがれて生存に苦しむ牛込」「雨と火と朝鮮人との三方攻め」といふ題下にて、次の如き記事が載せてあつた。 「火に見舞れなかつた唯一つの地として残された牛込の二日夜は、不逞鮮人の放火及び井戸に毒薬投下を警戒する為め、青年団及び学生の有志達は警察、軍隊と協力して、徹宵し、横丁毎に縄を張つて万人を附し、通行人を誰何する等緊張し、各自棍棒、短刀、脇差を携帯する等殺気立ち、小中学生なども棍棒を携へて家の周囲を警戒し、宛然在外居留地に於ける義勇兵出動の感を呈した。市ヶ谷町は麹町六丁目から、平河町は風下の関係から(此所新聞紙破れて不詳)又三日朝二人連の鮮人が井戸に猫イラズを投入せんとする現場を警戒員が発見して直ちに逮捕した。」  下野新聞(九月六日)に「東京府下大島附近」「鮮人と主義者が掠奪強姦をなす」と云ふ題下にて次の如き記事が記載されていた。 「東京府下大島附近は、多数の鮮人と支那人とが空家に入り込み、夜間旺に掠奪強姦をなし、又社会主義者は、市郡に居る大多数の鮮人や支那人を煽動して内地人と争闘をなさしめ、そして官憲と地方人との乱闘内乱を起させ様と努めて居る許りでなく、多数罹災民の泣き叫ぶのを聞いて、彼等は革命歌を高唱して居るので、市民の激昂はその局に達して居る。」(出典ウィキ)
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341凡人:2021/04/06(火) 23:46:36 ID:GkhSRDuE0
近代国家における大学の役割と民主主義。

民主主義は完璧とは言えないまでも国家や組織の運営上、権力のチェック&バランスが存在し、権力の暴走規制、法の下の構成員(市民)の平等、権利保護、公平性やサステイナビリティという点で優れており、その政治形態に優るものはいまだ見つかっていない。

民主主義は権力者にあっては、法律上規制を要求するため、大きな目の上のたん瘤である。よって無教養な有力者がいったん権力を掌握すると民主主義のシステムを潰そうと企てる。アフリカなど、民主主義の弱い国家ではクーデターがしばしば起こり、民主主義システムが転覆される事件が後をたたない。昨今に起きたミャンマーで軍のクーデターが良い例である。それほど民主主義はそれ自体は弱く、近代的な政治形態であって、存続のためには強固な地盤が必要である。日本でも戦前にいくつも起きている。だから凡人はよく、民主主義を水や養分がいつも必要とする一輪の花に例えている。民主主義はその支持者の構成員(市民)による絶対多数の支持があって初めて強固になるために、構成員への民主主義の教育は不可欠。大学等の教育機関がその重要な役割を担っている。

民主主義が脅威に晒されれば、大学が民主主義の擁護者になり、最後の砦になる。権力から独立することにより、尚更大学は色々な視点からの議論を通じ、また正しい知識や教養や歴史を通じ、民主主義の正しさを教えられる場所。最高学府としての知の拠点であるから当然だろう。

大学が民主主義を基本とした教育指針を造り、それにのっとり義務教育を含む初等教育から構成員(市民)の民主主義教育が始まる。構成員(市民)の民主主義の理解なしには、民主主義も枯渇する。年齢に応じた教育機関の民主主義教育で、構成員(市民)は民主主義への深い理解が可能となる。大学と民主主義は建設的な相互関係にある。大学はその民主主義によって大きな恩恵が与えられるからである。なぜなら、民主主義下によってのみ、個人の表現の自由や良心の自由が獲得され、教育・文化が花開くからである。それによってのみ、大学の発展が可能となろう。

342凡人:2021/04/07(水) 03:47:04 ID:GkhSRDuE0
高崎経済大学という刑務所。
ー自分の出世が一番の関心である学生たちー

高崎経済大学には民主主義は存在しない。戦前の大日本帝国軍陸軍を賞賛し、自信をもって公開演舞を披露する高経大応援団の存在。大学側はそうした団体を大学の直属としている。また大学側はそれをもって、その大学の全学生の代表とならしめている。いったいこの大学はどうなっているんだ。高経大の理事を始めとした経営者や学長を始めとした大学役員、教職員を含む人間はたぶん、大学経営の十分な資格や教養などあろうはずがない。むしろ刑務所とか、映画『カッコーの巣の上で』の舞台となった精神科病院の経営をしたほうがより向いているだろう。笑。

高い浪人率を誇る、文武両道をモットーにしている日本屈指の公立や私立の有名大学進学高校が全国にたくさん存在する。その校風は自由の精神が満ちている。大学である筈の高崎経済大学よりもっと自由な精神で包まれていると微笑ましく感じる。教諭の質も高いのだろう。進学先の妥協をしない生徒たちがかなりの割合で在学するとみて間違いない。一方、高崎経済大学の学生はむしろ商業高校のように学校側が一方的に決めた校則・規律で動く。生徒会に匹敵する学生自治会もないし、新聞部もない。あるのは大学の広報誌のみ。政治や大学への批判は大っぴらに言えない。言うだけの知識も関心もない学生が大半を占めると推測するが、多分政治に関心のある大学進学者は高崎経済大学を進学先とは考えないというのがもっともな原因だろう。発言の自由が許されないのだから、進学先に値しない。

高崎経済大学にあるのは名ばかりの「文武両道」。それを大学の特徴と嘘を付いて憚らない。体育系の部活動や業績は目立つものが無いに等しいが、応援団のほうが異様に目立つという不思議さ。応援団が主役であり、大学の象徴である。そんな応援団の団員の記事をたまたま読む機会があるが、その学生の学力がどの程度なのか読み取れる。そんな酷いものを平気で大学生として公表しているのが凄い。また学生の多くは「就活をよくするために」体育系や文化サークルの部活動に参加していると思われるふしがある。たくさんの部を兼部している学生が少なからずいて、その記事を読むたびに、それらの部活動の中身を疑う。スポーツやその他の業績が大学として僅かにマスコミで取り上げられる程度である。高校と違って、大学は自由時間にも恵まれる。ましてや学年に1000人以上在学しているが、全国大会等で勝負できる個人や団体のスポーツ選手はどれほどいるのか。男子ソフトボール部が全国大会によく名を連ねるのは知っているが、ソフトボール自体、大学スポーツではマイナースポーツの中のマイナーであろう。陸上部が箱根駅伝の予選に毎年恒例で出場していて、地元の新聞記事になるが、いつも結果はビリに近い。途中で棄権したこともある。これも毎年恒例のことで、なんの期待もできない。出場すること自体、とても大変で名誉なことと自慢するが、それは只の予選会である。そして、その競技結果はいつもビリに近い。そんなニュースならば、大学の学生の士気が上がらないのは当然だろうし、むしろ皮肉を言いたくなる。笑。

343凡人:2021/04/07(水) 05:08:10 ID:GkhSRDuE0
大学は民主主義を育む場所。

民主主義を支える市民がいなければ民主主義は死ぬ。大学の存在価値はそうした市民を養成することだと凡人はみている。民主主義を理解し、遵守し、広め、擁護できる市民の養成が民主主義社会ではなによりも必要である。それを大学教育が担っている。自動車整備士や美容師になりたければ職業訓練学校に行けばいい。仕事に関係ない、幅広い教養などいらない。そんなものを必修科目として学ぶ必要がないのである。それが大学の教育の特徴だ。

ところが高崎経済大学には民主主義はない。大学経営陣や教職員はそれが何なのか実際にはわからない。憲法は試験のための科目にすぎない。憲法を理解しなくても一向に生活に支障をきたさない日本人。それはすでに日本が民主主義を失っている証拠である。

アメリカでは幼稚園からすでに、やさしく憲法を教えている。初等教育の学校現場では憲法を守る誓約を唱和させる。それほど憲法は身近で、生活のなかに生きているのがアメリカである。憲法に民主主義の本質が書かれている。憲法に違反するいかなる思想は危険思想になる。危険思想から憲法を守るよう義務つけているのがアメリカ憲法である。憲法では思想の自由は認めているものの、憲法を真っ向から否定するマルクス主義は危険思想となる。一党独裁や私有権を認めないマルクス主義とアメリカ憲法は相容れないからである。だからアメリカは反共を全面に押し出している。共産主義思想は憲法が保障した思想の自由の枠外となる。当然と言えば当然である。

日本の保守主義や天皇主義の反対語は民主主義である。日本ではいつも共産主義が反対語となり、右翼と左翼と大別されるが、それは間違いであると確信する。だいいち天皇主義や共産主義は「人の支配」として共通点を持っている。一方の民主主義は「法の支配」を代表。それをとっても明らかであろう。

中国共産党(CCP)の中国と保守化した今の日本の政府の国政はよく似ている。中国の一党独裁は明らかだが、日本だって弱小野党があるものの、実質自由民主党の一党独裁が戦後から現在まで一貫している事実だ。民主党が短期間、政権を初めて奪取したのは異例の出来事で、その後政党として存続すらできないで解体してしまった。また中国同様、日本の「人の支配」の顕著な例として、安倍首相が違法しても、まったく罰を受けない有様。

凡人は特権階層だけが優遇される「人の支配」を信じない。社会を混乱に陥れる革命思想も信じない。それらは過去の日本と世界の近代史が教えてくれる。天皇主義も共産主義も両方、欠陥だらけで自浄効果がまったく期待できない。庶民を不幸にする両者。一方の民主主義は完璧ではないにしても、自由や競争を原理を建前として、法の下の平等を教えてくれる。故に民主主義社会を強く信じるものである。

344凡人:2021/04/07(水) 07:11:22 ID:GkhSRDuE0
圧殺の森(現在進行形)当時のふたりの人生模様。
ー故星野文昭氏と故奥深山幸男氏ー

高崎経済大学は民主主義がないどころか、右翼を表に全面に出した大学である。ただ大学案内書には書かれていない。笑。民主主義を学生に教えるどころか、大学側は当時の右翼市長の要求を受け入れ、密かに不正入試・裏口入学をやっていた。そんな大学である。そんなこととも知らず、夢を膨らませて入学してきたふたりの若者がいた。

自分の出世や就職のことしか考えないで、大学生活を楽しめばいいだけの現在の学生とは大違いであるが、入学する前には、まさか学生活動家や中核派の活動家になろうなどとは夢にも思ってもいなかったに違いない。

そんな彼等の人生の軌跡に思いを馳せてみたい。時系列で、当時の大学側の詳しい動きや応援団団史を参照にしながら、彼等の歴史を突き合わせて想像してみると面白い。この年表によると、いったん学生自治会が大学側によって潰された後に、学生側は不服とし、再建自治会なるものを作ったことがわかる。それが応援団や右翼体育系団体は除いても、全学生の同意であったのか知らない。

彼らが過激派である中核派とどう係わって、どう深まって行ったのかは知らない。でもそんな彼等を凡人は責めることも驚くこともしない。前にも言ったが、大学は民主主義を教える場所である。反民主主義的な高経大が彼等を中核派に追いやったのであると信じる。論理や正義よりも、力で押しつぶそうとする大学側やその犬であった応援団や体育会の学生たちと対峙しながら、孤立無援に陥った若者たち。現状をどう打開するか、大いに迷ったであろう。彼等の当時の状況を察すれば同情しかない。その選択肢が今から考えれば大きな間違いであってもだ。彼等はたった二十歳前後の若者である。目の前のことに一生懸命で、人生を大いに踏み外していったことには本人ですら気付かなかったに違いない。しかし不毛な暴力革命を目指すよりは、政権交代による平和革命を目指すべきだ。小さいけれども他人を助ける方法はいくらでも存在する。民主主義を学び、それを貫いて欲しかった。

自民党王国の高崎にあって、高崎経済大学は右翼を標榜する大学。それを民主化することは儘ならないが、しなければならないことである。それがあって初めて、国内外の他の著名・有力大学との本当の意味での連携・連帯ができる。高崎経済大学を一流大学に押し上げるには是非なさねばならぬことである。それが60年以上にも続く悪の歴史に終止符をつけることであろう。このことにより高崎経済大学を世界に発信が可能になり、大学をアカデミックの停滞から救うだけではなく、大学母体である高崎市の都市の格を一段引き上げる起爆剤になるだろう。文化や思想の自由化や活性化が生れる。それにより人口移民が現実的になり、文字通りの住みたい街になる。高崎市の人口が飛躍的に伸びると信じる。

345凡人:2021/04/07(水) 07:17:45 ID:GkhSRDuE0
星野文昭氏の歩み

高経大で学生運動
 星野さんは1966年4月、高崎経済大学に入学。大学では、不正入学を告発した学生運動が巻き起こっており、全学ストライキが闘われていた。大学当局は闘う学生を次々に退学か停学処分にしたが、処分された学生は自治会室に泊まり込んで徹底抗戦していた。
 大学2年になった星野さんは、大学当局の弾圧をものともせず、自ら自治会室に入り込んだ。当時の高崎経済大学闘争の記録映画『圧殺の森』(小川紳介監督、1967年)を撮影した大津幸四郎さんは、星野さんは「正義感の強い人、まじめでナイーブな学生だった」と語っている。
 星野さんは処分撤回闘争の中心を担って闘った。69年6月には全学自治会を再建し、副委員長に就任した。自治会では、毎夜議論しては、ビラを作った。星野さんは絵がうまいこともあり、立て看板の文字をいつも早朝から書いていた。群馬大学の学生から呼ばれて行き、立て看板を書いたこともある。
 大学の寮を回って寮生と熱烈な議論を繰り広げた。こうして、高崎経済大学を全学連の不抜の拠点に形成していった。
http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2019/06/f30450201.html

1946年4月27日 北海道札幌市に生まれる
1962 4 道立月寒高校入学、翌年、生徒会長をつとめる
66年4月   高崎経済大学入学、不正入試阻止闘争に参加
 (記録映画「圧殺の森」に登場)
69年6月   同大学再建自治会執行委員会副委員長就任
71年春    全学連三里塚現地闘争本部に常駐
       7月、9月強制代執行阻止決戦で指名手配
71年11月14日 沖縄返還協定批准阻止・渋谷闘争に決起
75年8月6日 不当逮捕
79年2月13日 検察が死刑求刑。死刑阻止署名12万筆
  8月21日 東京地裁で判決、懲役20年
83年7月13日 東京高裁が一審判決破棄・無期懲役判決
86年9月17日 暁子さんと獄中結婚
87年7月17日 最高裁が上告棄却、無期懲役が確定
88年     杉並と徳島で「救う会」発足(以降、全国で36の救援会が結成)
96年1月28日 「全国再審連絡会議」発足
  4月17日 再審請求書提出
2000年2月22日 再審請求棄却決定、24日に異議申立
04年1月19日 異議申立棄却、23日に最高裁に特別抗告
06年6月   友人面会実現(以降、94人が面会)
08年7月14日 最高裁、特別抗告棄却決定
09年11月27日 第2次再審請求書提出
12年2月5日 徳島刑務所包囲デモ(以後17年まで5回)
  3月30日 再審請求棄却決定、4月3日に異議申立
17年7月14日 家族、弁護団、共同代表が四国地方更生保護委員会へ第1回申し入れ(以後、13回)
18年5月20日 朝日新聞大阪本社版(関西、中国、 四国)と四国新聞の各朝刊に意見広告
  8月22日 星野さん、徳島刑務所で作業中に倒れる11月25日 朝日新聞東京本社版朝刊に意見広告
19年1月19日 韓国・大邱で星野詩画展、暁子さんら参加
  2月17日 琉球新報、沖縄タイムスの朝刊に意見広告
  3月4日 徳島刑務所でエコー検査。結果は告げず
  4月18日 東日本成人矯正医療センターへ移監
  5月28日 肝臓がん切除手術。翌朝、周術期出血に伴う急性肝不全で重篤状態に。暁子さん面会
    30日 午後9時44分、永眠

346凡人:2021/04/07(水) 07:19:25 ID:GkhSRDuE0
   奥深山幸男氏の足跡

1948年 6月14日 長野県佐久市で誕生
1967年 4月   高崎経済大学入学
1971年11・14  星野さんと共に闘う
1971年11月   学生自治会書記長に就任
1972年 2月 2日 事後弾圧で逮捕
1972年 3月13日 殺人罪等で起訴
1974年     この頃幻覚が始まる
1975年 6月26日 保釈決定
1979年10月23日 東京地裁懲役15年の判決
1981年 7月15日 公判手続停止の決定
1994年12月13日 公訴棄却・免訴を申立
2002年 3月15日 検察官審理再開を申立
2002年 9月17日 山上東医歯大教授が鑑定人
2006年 2月15日 免訴を実現する会請願書
2009年 5月 7日 山上鑑定不採用
2009年 6月23日 村松慶応大教授に鑑定依頼
2015年 4月15日 免訴を求める会意見書
2016年 5月17日 春日医師の意見書
2016年10月15日 転倒して健康悪化
2017年 2月 7日 太田記念病院で永眠

347凡人:2021/04/07(水) 07:32:14 ID:GkhSRDuE0
高崎経済大学直属応援団 団史
http://www1.tcue.ac.jp/home1/ohendan/danshi.htm

◎昭和32年(1957年)3月高崎市議会の決議により、同短期大学を廃校とし、翌4月より4年制大学として高崎市立高崎経済大学が創立された。

◎応援団の創立については諸説がある。昭和35年頃には、運動部等を退部した学生、他部との掛持ちの学生達が集団化し、一時的に応援団(実際は愛好会)を名乗る動きもあったというのも、その一つである。しかし、個々に見解が分かれており、実体も定かでなく、否定的な風聞も多いところである。

◎昭和36年4月、高崎市上並榎町(現在地)に新校舎が完成し、高崎城跡(旧第十五連隊兵舎)より移転する。これに伴ない学生の間から、本学の高揚の為にも新たに正式な応援団活動団体を創設すべきとの声が起きた。これを受けて、時の学生自治会・佐藤静雄先輩(後の衆議院議員)を始め、運動部や諸団体の要望により、三潴信吾学生部長(後の第5代学長)の御理解を得て、応援団結成の機運が高まる。そして、発足の経緯から公立大学では例の無い「全学応援団」として創団される事になった。

◎同年6月、本学の正式な公認団体として高崎経済大学全学応援団が発足する。初代団長は自治会の指名を受けた川村輝治先輩(初代、第2代)であった。この時、前述の愛好会的集団からも流入的入団があった為、一部に同集団を初代、新全学応援団を2代と数える誤認が生まれた。これが是正されずに続いた為、創団者の錯誤、OB会構成や期代の混乱を招いた事は否めない。尚、当団はこの大学と全学の公認による創立を正式な創団とし、団活動開始の根拠としている。

◎昭和37年(1962年)、当全学応援団本部長(現顧問制度)に外山正夫教授が就任する。当時の新聞によると団の機構は、リーダー部・総務部・旗守(手)部の3部から構成され、これを本部とし全学生を会員として組織されていた事が記載されている。当時は団活動に従事する学生を団員、一般の学生を会員と定義していたと思われる。当時の小誌にも、全学生に団を支える会員として、一層の自覚を訴える記事が掲載されている。

◎昭和38年6月29日、当団は全日本学生応援団連盟に正式に加盟する。(時の本部校は駒沢大学応援団)

◎同年11月、新生応援団の確立を学内外に広くアピールする為に、全国で始めて「リーダー公開祭」の名称を用いた一般市民向けの、第1回リーダー公開祭を挙行する。このリーダー公開祭は、時の高崎市長・住谷啓三郎氏を大会顧問とし、大学当局、学生自治会、各体育・文化団体、一般学生、市民等の支持を受けた大々的なものであった。

◎高崎市民の間から、当団の側面的援助を目的とする後援会(第1次)が形づくられる。(その後自然消滅となる)

◎その後の大学の資料に、当団が一時的に文化系に属したという記述が見られるが、事情は定かではないものの、当時の団活動には行動の基盤をなす精神的な部分の占める割合が大きかった
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348凡人:2021/04/07(水) 07:33:49 ID:GkhSRDuE0
事が見て取れる。当団は団員に自衛力を養う事を奨励して居り、初代の頃より合気道、7代からは拳法、その後は空手道、現在は総合護身術の修練をしている事などから、当時も精神面だけではなく、文武両道の団風があった事が窺えるが、活動面の充実に比例して精神面の強化を図った事によるものと思われる。

◎昭和40年(1965年)各大学応援団は団員数も充実し、全日本学生応援団連盟祭も2日間に渡って開催されるなど最盛期を迎える。当団も大学紛争に見舞われる中、故・吉川敬三先輩(創団5期目=第4代)の強力な指導力により揺るぎない団運営を図り、逆風の中で定例リーダー公開祭を敢行する。この時、吉川先輩の友人であった専修大学応援団・菊地守男団長の御厚意により、同団の友情出演を戴く。

◎昭和42年(1967年)大学紛争の混乱により既に学生自治会は解体して居り、当団は新たな体育会の結成に加わり、一時的に体育会に所属する。しかし、当団は精神団体であり且つ、行動団体でもあるという文武両面を有する特殊な性格を持つ団体として、その独立性を訴え、当時の三年次生(第8期目=第7代)を中心に体育会文化会の各部に団独立の理解を求める為の説得を展開する。

◎昭和43年、体育会の支持を得て独立し、文化系・体育系に属さない第三の独立団体として大学直属の位置に昇格する。これに伴い、三潴信吾学長に名誉顧問(現在は最高顧問の名称)の御就任を戴く。

◎同年、新団則の制定・応援団理論の構築・リーダー技術の改訂・諸制度等の大改革を実施し、現在の基礎を固める。昭和43年創団8期目=第7代は当団の大きな転機となった年であり、現応援団の骨組みが築かれた年と言える。(この年のリーダー公開祭は「応援団改革・独立記念」と銘打ち、1500人余の市民を集めて盛大に開催されている)

◎昭和44年、地域の有力企業30社程が連係し、新たに当団の後援会(第2次)が組織される。後援会会長には山田富二氏(元・財団法人高崎経済大学後援会理事長、元・群馬県教育委員長)が就任する

◎昭和45年(1970年)、当団は創団年から数え10周年を迎える。(創団年の1年間を1期と数える)
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349凡人:2021/04/10(土) 01:07:07 ID:GkhSRDuE0
大学教育における使命と高崎経済大学。
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一大ニュース:2021年3月25日、Times Higher Education(THE:ティー・エイチ・イー)は昨年に引き続き、「THE世界大学ランキング日本版2021」をリリースしました。日本版ランキング2021の結果をご紹介します。ランキング対象は国立67校、公立44校、私立167校。群馬県立女子大や都留文科や下関市立大学は下のほうにランクインされているが、高経大は載っていない。笑。ソースhttps://japanuniversityrankings.jp/topics/00187/
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大学には崇高なる使命があることを前にも書いた。大学の本来取り組む問題は日本全国あるいは世界レベルの問題。その解決に取り組むことが大学レベルとして要求されると凡人は信じて疑わない。。研究の中心を地元研究、また地域主義を掲げる高崎経済大学はもはや中等高等教育機関。つまり地元の高校となんら変わらない。

郷里の研究は、地元高校に務めている教諭が趣味もかねて長年やっているケースがよくある。その研究が本となって出版されるというのをよく聞いたり、地元新聞記事でよく見かける。そんな高校教諭の地元への貢献はとても素晴らしいと思う。ところが、高経大はそれを大学の中心にすえて、それをもって地域に貢献する大学と命名している。それは見かけはいいとしても、その地域研究は高校の教諭でも十分通用する。大学がそこまで地元を中心課題とする理由が分からない。地元にたくさん存在する中学や高校の中等教育機関。地元に貢献する中学や高校の先生方にそれを任せても十分で余りあるのである。大学にはもっと違った大きな使命がある。最高学府の大学とは何をすべきか。それを問うことは重要である。その使命とはなにか。それはなにも一つではないにしろ、中学や高校よりも、それはもっと高尚であるべきことには間違いない。解決すべき問題が山ほどころがっている。だから問題を見つけるのはそれほど難しいとは思わない。それが十分検討されるべきである。

大学ともなると日本の全国はもとより世界から興味がもたれているような研究が盛んに行われている。地元貢献や地元研究とか、高経大はよく口にだすが、果たして高経大は地元にどれほど貢献しているかと問いたい。それは中学校や高等学校も含めた大きな意味である。研究とはよく言ったもので、高崎や群馬の都市発展の過去の歴史をみればわかるのだが、いままでに、どれほど高崎経済大学が重要な役目を担ってきたかと真顔で問いたい。自民王国をいいことに、それに胡坐をかいていたとしかみえない。地元にある短大や商業高校の貢献とどれほど大きな違いがあるのか問いたい。

地域に貢献するをうたい文句にした高経大。60年を超える歴史(凡人に言わせると悪の歴史)をもつ高経大。地域政策学部や経済学部をもつ高経大。たとえば群馬の女性の地位向上や富岡製糸をめぐる地域政策をふくむ富岡市の将来や少子化と同時に、いまだ毎年若者たちが県や市から転出している群馬県の人口減少。そうした長くから議論されている重要な問題に答えを出してきたのか?むしろ高経大は無力、無能、無策であったと言えないだろうか。過去数年の最近になって、新高崎市長に変わり、彼のビジョンと実行力をもってはじめて、高崎市が大きく動き出したと言えないだろうか。それでも未だに人口が大きく増えていない。いまだに人口の流れが群馬から都会になっている。その逆の流れにはいまだ成功していない現実をどう解釈したらいいのか。大都会の喧騒のなか、人口過密度や高い住居費や生活費があっても尚、働き盛りの若者にとって、大都会の魅力は群馬とは比較になっていない。凡人は高崎市の強い歴史的保守主義や思想に、若者が窒息する文化風土に、大都会から人口が流れてこない原因があると見ている。他人を寄せ付けない風土。高崎市出身が中心の異色の人気ロックバンドBOØWY(ボウイ)は1980年代に活躍したが、結成は東京。しかも解散後、氷室京介がアメリカのロス、布袋寅泰がイギリスのロンドンに活動拠点を移している。言葉ではなんとも言えるが行動は隠せない。とても象徴的な出来事である。「都市の空気は自由にする」が、群馬にある市町村はもとより、中核都市の高崎市ですらそれがない。凡人の目からして、高経大には群馬県の悪の縮図を見る。高経大は群馬県というパットしない場所でのお山の大将であり、井の中の蛙大海を知らずをまるで絵にしているような大学である。
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350凡人:2021/04/10(土) 01:11:22 ID:GkhSRDuE0
世界大学ランキングの上位に毎年掲げられるイギリスにあるオックスフォード大学。歴史的にも11世紀にその礎ができた古い大学で、英語圏では最古らしい。世界の他のトップ大学も同様であるが、大学とはどんなものかを探るうえで格好の教材を提供する。高崎経済大学はおなじ大学という名前が付いているから、世界大学ランキングにあってもおかしくない。UCLAはキャンパスに創立100年の旗がいたるところで目に入る。だから60年を超える高経大と比べてもそれほど古くはないのではあるが、その大学の世界の認識度やその他もろもろ、雲泥の差である。だから歴史よりも、大学経営陣のもつ大学設計に対する将来ビジョンの正しさが重要だと分かる。だれか高経大の世界ランキングの数値をしめして、商業高校レベルだと主張する凡人の嘘を証明して欲しいものだ。ついでに言うが、つい最近創立して比較的新しい同じ公立大学の国際教養大学(ICU)や会津大学はすでに、それぞれ高くランクインしていることを最近知った。笑

高崎経済大学は就職率96%を自慢し宣伝している。就職率よりも就職先のほうが重要だと凡人は思うのだが、そもそも、それが4年制大学の本来の大学の宣伝文句としては適切なのかも気になるところ。専門学校の就職率はなんと99%だぞとかいいたくないが、高経大をなんども商業高校に例えている凡人の言い分。それが果たして、根拠のない嘘かでまかせだろうか?

ここで有名な二人のオックスフォード大学の卒業生を紹介して、言いたいポイントを指摘したい。大学の使命を考えたり、議論する上でわかり易い事例だと思う。今上天皇、皇后雅子、秋篠宮文仁親王らの皇族の留学先でもあり、オックスフォード大学の学生たちがみな、同じ思考や思想をもっているとかいう気はもうとうない。またそこの学生たちだって、高経大の学生と同様、卒業後の就職や就職先は大きな関心事には違いない。楽しく大学生活を送りたいとも、どの学生たちも思っていることだろう。ただ学生の質がこんなにもかけ離れている、または違うと言いたいだけだ。全学生ではなくても、学生たちの多くが民主主義を考える能力がある人達なのだと言いたい。ある程度、何が民主主義か、それが議論できる人達なのだ。そうした学生たちを指導し、教える立場の大学の教職員は言うまでもない。民主主義の擁護者としての役割が期待されているので、疑う余地がない。そうでなかったら、これから紹介する二人は教員たちや大学の授業や学友たちに退屈して、さっさと中退することだろう。

その一人にあげるのはアウンサン・スー・チー女史。「1964年から1967年まで、イギリスのオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジ (en:St Hugh's College, Oxford) 哲学政治経済学部 (PPE, en:Philosophy, Politics and Economics) で哲学・政治学・経済学を学ぶ。1967年に学士号を取得後、ビルマ政治史担当の助手に就任しヒュー・ティンカー (fr:Hugh Tinker) 教授に師事。1968年に同大学を卒業して政治学修士号を取得した。しかし、オックスフォード大学での成績は不振で、2度コースを変更しようとしたもののいずれも失敗し、結局可の評価で卒業したため研究を続けることが困難となった。しかし彼女はのちに、1990年にオックスフォード大学名誉フェローに選出されている。1993年にオックスフォード大学名誉博士の授与を打診されたものの出国できず断念。その後、2012年に名誉博士号を取得した。」(資料ウィキ)

2021年の現在、ミャンマーは軍部がクーデターがおこり、政権を掌握。各地でクーデター反対デモがおこり、軍部と市民との血なまぐさい衝突がおこっている。スー・チー女史はその国の民主化運動の象徴的存在である。1945年ミャンマー生まれ、「ビルマ建国の父」アウンサン将軍の娘として知られる。ビルマの独立運動を主導し、度重なる自宅軟禁を乗り越えて2016年新政権への入閣も果たした。1991年にはノーベル平和賞も受賞している。

ミャンマーのクーデターは、その起こる直前まで国家顧問になったスー・チー女史への献身的な多くの支持者はいるものの、数十年ぶりに誕生した文民政権下でもなお、少数民族に対する虐待はやまず、活動家のあいだで亀裂が拡大していた中での出来事。現在の若者世代ではスー・チー女史を「堕ちた偶像」と見ていると新聞記事は伝えている。。

スー・チー女史の記事を読んで、以前ちょっと調べた南アフリカ共和国のことが思い出される。ここでは余談になるがまったくのdéjà vuである。アパルトヘイトで悪名高い南アフリカ共和国で、人種差別がなくなることが期待されて、権力の掌握と同時に大統領になったネルソン・マンデラであったが、アパルトヘイトの撤廃後、逆に多数派の黒人による少数派の白人への虐殺が絶えず、人種差別の継続とともに、黒人間の異常に高い犯罪率が国の特色になった。
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351凡人:2021/04/10(土) 01:14:30 ID:GkhSRDuE0
これも余談になるが、クーデターがどうして起こったのかの興味深い記事を見つけたので紹介。朝日新聞 「日本人はスーチーさんを誤解」 ミャンマー取材27年の記者が読むクーデター2020年2月3日記事‥‥

「軍は民主化当初、実は最も得をした。中国以外にも、欧米諸国からの投資がどっと増え、軍の得る利権の規模が広がったからだ」。軍が民主化を支持した背景には、こうした現実的な計算があったという。

宇田さんは、軍の満足した気持ちが、民主化の進展とともに徐々に揺らぎ始めたのではないかとみる。「最近2年くらいの間、ほぼ毎日、政府系紙に麻薬取り締まりの記事が出るようになった。与党のNLD(国民民主連盟)は民主主義や人権を重視しており、実際に取り締まりを始めるという警告だったと思う」

宇田さんによれば、タイ、ミャンマー、ラオスの国境地帯に広がる「黄金の三角地帯(ゴールデン・トライアングル)」では最近、合成麻薬の生産が盛んになっている。ミャンマー軍部の腐敗した一部の幹部は、年間で数千億円規模の利権を手にしていると推測する。「3兆円規模のミャンマーの国家予算に比べても莫大な数字。この利権に手を突っ込まれると、こうした幹部らが考えたのではないか」

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スー・チーさん、再びの京都 京大から名誉博士号
2016年11月3日 22:23日経新聞

日本を訪問中のミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問は3日、京都を訪問した。京都大学から「自由と民主主義の発展に貢献した」として名誉博士号を受け、京大生たちと「自由・民主主義・リーダーシップ」をテーマに約1時間、意見を交わした。その後、京都府など主催の歓迎夕食会にも参加した。

スー・チー氏は1985〜86年、京大に客員研究員として所属。独立運動の英雄である父、アウン・サン将軍について研究した。今回の京都訪問はスー・チー氏の希望で実現。スー・チー氏は「30年前も温かく迎えてくれた京都に来て、忘れていた日本語も思い出した」と笑顔を見せた。

学生たちとの意見交換で、スー・チー氏は民主化運動が弾圧を受けた軍政時代をふり返り、「不可能と思われることでも、信念を持ち、実現に努力することが重要だ」と述べた。さらに「民主主義にまだ到達できておらず、その発展に向け、取り組みを続けなければならない」と強調した。

法学部4回生の播磨初弥子さん(21)は「とても強いメッセージをもらった。信念を持ち、自分のキャリアを決めていきたい」と感激した表情で語った。京大の山極寿一総長は「学生たちの質問に、真摯に、丁寧に答えてくれたスー・チー氏に感謝したい」と述べた。
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京都大学と高崎経済大学

そんな京都大学とは対照的なのが高崎経済大学。高崎経済大学がよく招待する講演者は元総理大臣の中曽根康弘氏。右傾化・歴史修正主義や憲法改正の立役者。戦時中、日本軍の従軍慰安婦を指揮し、メモワ―を残し、公文書にも記されるが、その責任を免れた人物。日本の戦後民主主義政治を大きく歪めた人物であることは否めない。また地震大国日本に原子力発電政策を強力に推し進めたことも有名。その安全性にまったく思慮が欠けた人物。東北大震災により福島原子力発電事故が起こり、多くのその住民が先祖の土地を失った。その責任も逃れた。なんとも幸運に恵まれた人物である。ー皮肉ー。従軍慰安婦の参照先https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_10174/
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352凡人:2021/04/10(土) 01:16:42 ID:GkhSRDuE0
二人目はマララ・ユスフザイ(Malala Yousafzai)女史だ。2020年6月19日(金)にオックスフォード大学を卒業したばかりである。3年間で哲学と政治学、経済学の学位を取得した。高校はイギリスにあるバーミンガムにあるエジバストン高校で4年間で終了(2013年-2017年)。17歳でノーベル平和賞を受賞した人権活動家。少女の頃からパキスタンにおける女子教育の必要性を訴え、武装勢力タリバンによる学校の破壊を批判してきたマララ。2012年にはタリバンから命を狙われ、頭に銃弾が撃ち込まれるという世界に衝撃を与える出来事が起きた。幸いにも彼女は医者団の手厚い治療の甲斐あって、奇跡的に回復した。

2017年にオックスフォード大学に入学。17歳でノーベル平和賞を受賞、世界的な有名人になったマララ。入学直後のインタビューでは大学生活が不安だったことも吐露していた。「友達をどう作ればいいのだろうと思っていた。みんな私のことをすでにマスコミを通して知っているから。でもキャンパスに来たらみんな私を友達として歓迎してくれた。オックスフォードの一員になれてとても嬉しい。」と語っていた。卒業後の具体的な活動や進路はまだ決まっていないという。これからどんな活躍をしていくのか、続報を楽しみにしたい。(エレ雑誌日本語版By Yoko Nagasaka)
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353凡人:2021/04/10(土) 01:22:56 ID:GkhSRDuE0
「人の支配」VS「法の支配」

「人の支配」するところ、たとえばミャンマーのクーデター後の軍国政権、金正日の息子、金正恩の北朝鮮の独裁政権、中国共産党(CCP)政権、戦前の日本の天皇主義政権等々、いずれの権力側の目からすれば、国内の市民で「民主主義を主張する者」はだれもが過激派とかテロリストとかに見えるだろう。権力者にはまったく危険思想に映り、その糾弾や迫害を怠らない。日本の一党独裁にある自由民主党の政治家・政治屋にとってはしばしば、共産党と民主主義勢力とを混同するきらいがある。両者の要求を同じ論理で批判しているテレビ新聞記事をよく見かける。右翼には双方が同じにみえるが、実際はまったく別ものである。

354凡人:2021/04/10(土) 01:48:16 ID:GkhSRDuE0
高崎経済大学の素顔
京都大学と高崎経済大学のちがい

スー・チーさん、再びの京都 京大から名誉博士号
2016年11月3日 22:23日経新聞

日本を訪問中のミャンマーのアウン・サン・スー・チー国家顧問は3日、京都を訪問した。京都大学から「自由と民主主義の発展に貢献した」として名誉博士号を受け、京大生たちと「自由・民主主義・リーダーシップ」をテーマに約1時間、意見を交わした。その後、京都府など主催の歓迎夕食会にも参加した。

スー・チー氏は1985〜86年、京大に客員研究員として所属。独立運動の英雄である父、アウン・サン将軍について研究した。今回の京都訪問はスー・チー氏の希望で実現。スー・チー氏は「30年前も温かく迎えてくれた京都に来て、忘れていた日本語も思い出した」と笑顔を見せた。

学生たちとの意見交換で、スー・チー氏は民主化運動が弾圧を受けた軍政時代をふり返り、「不可能と思われることでも、信念を持ち、実現に努力することが重要だ」と述べた。さらに「民主主義にまだ到達できておらず、その発展に向け、取り組みを続けなければならない」と強調した。

法学部4回生の播磨初弥子さん(21)は「とても強いメッセージをもらった。信念を持ち、自分のキャリアを決めていきたい」と感激した表情で語った。京大の山極寿一総長は「学生たちの質問に、真摯に、丁寧に答えてくれたスー・チー氏に感謝したい」と述べた。

そんな京都大学とは対照的なのが高崎経済大学。高崎経済大学がよく招待する講演者は元総理大臣の中曽根康弘氏。右傾化・歴史修正主義や憲法改正の立役者。戦時中、日本軍の従軍慰安婦を指揮し、メモワ―を残し、公文書にも記されるが、その責任を免れた人物。日本の戦後民主主義政治を大きく歪めた人物であることは否めない。また地震大国日本に原子力発電政策を強力に推し進めたことも有名。その安全性にまったく思慮が欠けた人物。東北大震災により福島原子力発電事故が起こり、多くのその住民が先祖の土地を失った。その責任も逃れた。なんとも幸運に恵まれた人物である。ー皮肉ー。従軍慰安婦の参照先https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_10174/

355凡人:2021/04/10(土) 01:54:32 ID:GkhSRDuE0
高崎経済大学の素顔
大学が愛して止まない高崎市出身の政治家元総理大臣中曽根康弘とはどんな人物か?

ー従軍慰安婦の調達に手を染めた男、我が中曽根康弘氏ー

中曽根康弘死去であらためて振り返る従軍慰安婦 中曽根の「慰安所つくった」証言と「土人女を集め慰安所開設」防衛省文書
リテラ2019年11月29日 21:59
https://www.excite.co.jp/news/article/Litera_litera_10174

左・中曽根元首相の“手記”が収録されている『終りなき海軍』(文化放送開発センター)/右・中曽根元首相が慰安所を設置させたことを示す資料

 中曽根康弘元首相が、101歳で死去した。メディアでは、国鉄民営化や日米安保体制強化などを功績として振り返っているが、負の側面も非常に大きい政治家ある。

 たとえば、現在の日本社会にもつながる右傾化・歴史修正主義の台頭や新自由主義路線の端緒となり、日本の戦後民主主義政治を歪めた張本人だ。こうした功罪の罪の部分も検証されるべきだが、なかでも本人が一度は告白しながら途中からダンマリを貫いたこの問題はきっちり検証するべきだろう。

 そう、日本軍の従軍慰安婦問題だ。

 中曽根元首相が戦時中、海軍主計士官(将校)の地位にあったことは有名だが、その当時、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたことを、戦後に自分の“手記”の中で自ら書いているのだ。

 しかも、これは中曽根元首相の思い違いでも妄想でもない。防衛省にも中曽根元首相の“慰安所づくり”証言を裏付ける戦時資料が存在している。

 本サイトでは、2014年夏、朝日新聞の慰安婦記事バッシングが盛り上がり勢いづいた右派の、慰安婦の存在や日本軍の関与までなかったことにしようという歴史修正主義の動きに抵抗するため、この中曽根“慰安所づくり”証言とそれを裏付ける戦時資料について詳しく報じた。(ちなみに、フジ産経グループの総帥だった鹿内信隆にも中曽根元首相と同様に、慰安所づくりへの関与発言があり、やはり本サイトが記事にしている(https://lite-ra.com/2014/09/post-440.html)。

 中曽根元首相の証言は、従軍慰安婦に日本軍が組織的に関与していたことを物語る重大な証言だったが、手記出版から30年ほど経ってからこの記述がクローズアップされると、中曽根元首相は一転否定、その後ダンマリを通してきた。

 中曽根元首相には、従軍慰安婦問題とりわけ日本軍の関与について、自らの口で明らかにする歴史的責任があったはずだが、それはかなわなくなってしまった。
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356凡人:2021/04/10(土) 01:55:34 ID:GkhSRDuE0
 中曽根“慰安所づくり”証言とそれを裏付ける戦時資料から、従軍慰安婦の存在と日本軍関与が事実であることを報じた記事を再録する。「慰安婦は存在しなかった」というデマが大手を振って罷り通るいま、あらためてご一読いただきたい。
(編集部)************

●中曽根元首相が「土人女を集め慰安所開設」! 防衛省に戦時記録が

 朝日新聞の慰安婦訂正記事で右派陣営が勢いづいている。「朝日は責任をとれ!」と気勢をあげているのはもちろん、自民党の政務調査会議は河野談話も朝日報道が前提だとして「河野談話を撤回し、新たな官房長官談話を!」とぶちあげた。また、同党の議連では朝日新聞関係者、さらに当時の河野洋平元官房長を国会に招致して聴取すべき、という意見までとび出している。
 
 だが、朝日や河野洋平氏を聴取するなら、もっと先に国会に呼ぶべき人物がいる。それは第71代日本国内閣総理大臣の中曽根康弘だ。
  大勲位まで受章した元首相をなぜ従軍慰安婦問題で審訊しなければならないのか。それは先の大戦で海軍主計士官(将校)の地位にあった中曽根元首相が、自ら慰安所の設置に積極的に関わり、慰安婦の調達までしていたからだ。

 何かというと左翼のでっちあげとわめきたてて自分たちを正当化しようとする保守派やネトウヨのみなさんには申し訳ないが、これは捏造でも推測でもない。中曽根元首相は自分の“手記”の中で自らこの事実を書いており、しかも、防衛省にそれを裏付ける戦時資料が存在していたのだ。そこには、部隊の隊員によるこんな文言が書かれていた。

「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」

 まず、“手記”の話からいこう。中曽根が慰安所設立の事実を書いたのは『終りなき海軍』(松浦敬紀・編/文化放送開発センター/1978)。同書は戦中海軍に所属し、戦後各界で活躍した成功者たちが思い出話を語った本だが、その中で、海軍主計士官だった中曽根も文章を寄稿していた。

 タイトルは「二十三歳で三千人の総指揮官」。当時、インドネシアの設営部隊の主計長だった中曽根が、荒ぶる部下たちを引き連れながら、いかに人心掌握し戦場を乗り切ったかという自慢話だが、その中にこんな一文があったのだ。

「三千人からの大部隊だ。やがて、原住民の女を襲うものやバクチにふけるものも出てきた。そんなかれらのために、私は苦心して、慰安所をつくってやったこともある。かれらは、ちょうど、たらいのなかにひしめくイモであった。卑屈なところもあるし、ずるい面もあった。そして、私自身、そのイモの一つとして、ゴシゴシともまれてきたのである」

 おそらく当時、中曽根は後に慰安婦が問題になるなんてまったく想像していなかったのだろう。その重大性に気づかず、自慢話として得々と「原住民の女を襲う」部下のために「苦心して、慰安所をつくってやった」と書いていたのだ。
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357凡人:2021/04/10(土) 01:56:35 ID:GkhSRDuE0
 ところが、それから30年たって、この記述が問題になる。2007年3月23日、中曽根が日本外国特派員協会で会見をした際、アメリカの新聞社の特派員からこの記載を追及されたのだ。

 このとき、中曽根元首相は「旧海軍時代に慰安所をつくった記憶はない」「事実と違う。海軍の工員の休憩と娯楽の施設をつくってほしいということだったので作ってやった」「具体的なことは知らない」と完全否定している。

 だが、これは明らかに嘘、ごまかしである。そもそもたんなる休憩や娯楽のための施設なら、「苦心」する必要があるとは思えないし、中曽根元首相の弁明通りなら、『終りなき海軍』の“手記”のほうがデタラメということになってしまう。だが、同書の編者である松浦敬紀はその10年ほど前、「フライデー」の取材に「中曽根さん本人が原稿を2本かいてきて、どちらかを採用してくれと送ってきた」「本にする段階で本人もゲラのチェックをしている」と明言しているのだ。

 いや、そんなことよりなにより、中曽根元首相の慰安所開設には、冒頭に書いたように、客観的な証拠が存在する。 

 国家機関である防衛省のシンクタンク・防衛研究所の戦史研究センター。戦史資料の編纂・管理や、調査研究を行っている研究機関だが、そこにその証拠資料があった。

 資料名は「海軍航空基地第2設営班資料」(以下、「2設営班資料」)。第2設営班とは、中曽根が当時、主計長を務めていた海軍設営班矢部班のことで、飛行場設営を目的にダバオ(フィリピン)、タラカン(インドネシア)を経てバリクパパン(インドネシア)に転戦した部隊だが、この資料は同部隊の工営長だった宮地米三氏がそれを記録し、寄贈。同センターが歴史的価値のある資料として保存していたものだ。
  本サイトは今回、同センターでその「第2設営班資料」を閲覧し、コピーを入手した。

 宮地氏の自筆で書かれたと思われるその資料にはまず、「第二設営班 矢部部隊」という表題の後、「一 編制」という項目があり、幹部の名前が列挙されていた。すると、そこには「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」という記載。そして、資料を読み進めていくと、「5、設営後の状況」という項目にこんな記録が載っていたのだ。

「バリクパパンでは◯(判読不可)場の整備一応完了して、攻撃機による蘭印作戦が始まると工員連中ゆるみが出た風で又日本出港の際約二ヶ月の旨申し渡しありし為皈(ママ)心矢の如く気荒くなり日本人同志けんか等起る様になる 主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設気持の緩和に非常に効果ありたり」

 さらに「第2設営班資料」のなかには、慰安所設置を指し示す証拠となる、宮地氏の残したものと思われる手書きの地図も存在していた。

 それはバリクパパン「上陸時」の様子(昭和17年1月24日)と、設営「完了時」の様子(17年1月24日〜同年3月24日)を表す2点の地図資料だ。バリクパパン市街から約20km地点のこの地図から、中曽根たちが設営したと思われるマンガル飛行場滑走路のそばを流れるマンガル
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358凡人:2021/04/10(土) 01:57:42 ID:GkhSRDuE0
河を中心に民家が点在し、またマンガル河から離れた場所に民家が一軒だけポツリと孤立していることがわかる。

 そして2つの地図を見比べてみると、“ある変化”があることに気づく。「上陸時」から「完了時」の地図の変化のひとつとして、その孤立した民家の周辺に、設営班が便所をおいたことが記されている。さらにその場所には「上陸時」にはなかった「設営班慰安所」との記載が書き加えられている。

 つまり、上陸時に民家だった場所を日本軍が接収し、「設営班慰安所」に変えてしまったと思われるのだ。 

 もはや言い逃れのしようはないだろう。「主計長 海軍主計中尉 中曽根康弘」「主計長の取計で土人女を集め慰安所を開設」という記載。それを裏付ける地図。中曽根元首相が自分で手記に書いたこととぴったり符号するではないか。

 しかも、「土人女を集め」という表現を読む限り、中曽根主計長が命じて、現地で女性を調達したとしか考えられないのである。

 実際、インドネシアでは多くの女性が慰安婦として働かされており、彼女たちは日本軍に命じられた村の役人の方針で、どんなことをさせられるのかもしらないまま日本兵の引率のもと連れ去られたことを証言している。そして、年端も行かない女性達がいきなり慰安所で複数の日本兵に犯されたという悲惨な体験が語られ、その中にはこのパリクパパンの慰安所に連れてこられたという女性もいる。
  つまり、中曽根首相がこうした“強制連行”に関与していた可能性も十分あるのだ。

 朝日新聞の訂正で勢いづいた保守・右派勢力は銃剣を突きつけて連行したという吉田証言が虚偽だったという一事をもって、強制連行そのものを否定しようとしている。さらには従軍慰安婦への軍の関与そのものを否定するかのような虚偽を平気でふりまいている。

 しかし、もし、強制連行はない、軍の関与もないといいはるならここはやはり、「土人女を集め」たという元主計長・中曽根康弘を国会に喚問して、どう「集め」たのか、「苦心」とはなんだったのか証言させるべきではないのか。一メディアの誤報をあげつらうより、そのほうがはるかに「歴史の検証」になると思うのだが、いかがだろう。
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359凡人:2021/04/10(土) 08:57:11 ID:GkhSRDuE0
訂正:高経大の就職率は実は99%が正しく、先に書いた96%を訂正致します。暫定的に書いた数値を確認をするのを忘れ書き込みしてしまいました。お詫びとともに訂正致します。ただその数値を出すまでの計算方式は面倒くさいので確認していません。就職率は偏差値と同様に、数値を多少操作できると読んだ記憶があります。いずれにせよ、就職先とか数値に出せるなら、自分の望んだ就職先に入れたかどうかの満足度の方がより意味があると個人的に思っています。
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就職率99% 学生の意識向上がカギ
高崎経済大キャリア支援センター長・関根氏に聞く
2020年2月6日 1:49

高崎経済大学(群馬県高崎市)は経済学部と地域政策学部の2学部6学科からなり、4000人以上の学生が通う。就職率が99%と高い背景には、入学後まもない1年生から始める就職指導とOB・OGによる手厚い支援がある。キャリア支援センター長の関根雅則氏に活動内容を聞いた。

経済大学という特性もあり、学生の就職先は金融関連が圧倒的に多い。2018年度卒業生の就職先は金融・保険業が経済学部で20.4%、地域政策...

360凡人:2021/04/14(水) 06:20:01 ID:GkhSRDuE0
「圧殺の森」大学こと高崎経済大学
 ー大学のモットーは剣はペンよりも強しー

高崎市を母体として戦後設立した公立機関。自治体には高等教育の満足な歴史もなく、大学教育に深い造詣も、あるいはまったく理解しようとしない、できない高崎市の有力者たちの判断で、無理矢理につくられた大学である。前橋市との対抗心。そこに位置する群馬大学との対抗心が強く働いていたことは否定しようがない。期待されるべき高等教育における大学の教育内容は二の次である。

公立大学の実質の私物化をみる。それは正しい学問的教養を教え育てる本来の目的や義務はない。大学は知力・学力は低くとも応援団と称して権力におべっかを使い迎合する、権力に立てつかずエールを送り、その犬になるべき中堅幹部の勤労者を養成する事。教員や学生は権力の横暴に耐えている同じ階層の他の弱者に対しては仲間意識はなく、同情し助けることは夢にも思わない。ただただ権力のより繁栄と自らの出世を図ることをよしとしている究極のオポチュニストたちである。

361凡人:2021/04/14(水) 08:09:45 ID:GkhSRDuE0
高崎市の特色。
ー慢性化した人口減と頭脳流出ー

群馬県は後進県。女性の社会参画は全国でも最低である。中核都市・高崎市も例外に漏れない。自民党王国とよばれる保守の地域だけあって、選挙戦では理屈も論理もない。ただ自民党というだけで、候補者が在任中、どんなに違法しようが再選されてしまう場所柄。権力や血統や学閥には巻かれることが当然とされる地域。だから、まったく民主主義が付け入る隙を与えない。民主主義の理解が不可能に近い。民主主義は庶民を守るためにあるにも係わらず、その無知蒙昧がこの地を覆いかぶさっている。なぜそうなるのか。凡人が信じるには保守主義が地元地域に残り、あるいはいったん地元を離れても、Uターンして地元にかえってくる。アメリカをみてもまったく同様であるので特別なことは言っていない。西海岸のロス、シスコ、シアトル等、東海岸のニューヨーク、ボストン等の大都市は一流・有名大学や医療、高給職、文化、娯楽活動が集中し、リベラル思想が政治を牛耳っている。一方アメリカの中央部、僻地に行けば行くほど保守主義の政治が支配する。頭が良い人は田舎から、良い学校や仕事や医療や人生に楽しみを求めて大都市に住所を移す。比較的高学歴の社会推進派はリベラルに多く、小さな街に生まれ育っても、アメリカの大都会に移り住む。よって大都会はリベラルが多数派をしめる。そのため保守的地域では一層保守主義が進み、そこで生れ育つリベラルをより住み難くしている。その循環サークルによって、政治の特色がより濃厚となる。日本でも同じで、日本の全国各地で同じことが起こっている。だからなにも高崎市が特別なのではない。そこには頭脳流出が起こるべきして起こっているということだ。ただ高崎市の特色はまちの有力者や権力者はその身分の維持のために、戦後も身分制の武士階級を尊び、男尊女卑を頑なに守っていることだろう。議論や論理が通じない。特に反民主主義の態度が顕著であることは特筆されるべきである。


高崎藩5万石騒動
ー圧殺の森が予見できる、高崎市の権力者の悪の歴史ー

反民主主義を代表する事件の一つの例は高崎経済大学におきた民主主義の圧殺こと「圧殺の森」。それを知らずして、高経大がどんな大学かを正しく知ることは不可能である。この大学の教職員や応援団や体育系運動部をはじめ、多くの在学生は当時凡人が大学中、その事件を話題すらしなかった。大学に不正があったことすら知らない世代でもある。大学の落ち度をまったく疑わないことだ。「圧殺の森」は左翼過激派の起した事件で、学生運動した当時の学生たちが悪者として扱われている現実。学生間には大学生にありがちな知的好奇心がない。事実を知ろうとする努力も、正しく歴史を捉えたり、理解したいという学生の真摯さはない。能力も疑わしい。まったく驚きに値する。高崎経済大学がよく自慢して、「文武両道」の言葉を持ち出すが、それは嘘八百もいいとこである。(笑)イチローを例にあげなくても、一人の人間にあって、知力もスポーツ力も比例すると言いたい。また例外もあるが、正しいことを見分ける力も素養もある人間がスポーツの世界でトップに立てると凡人はみている。大学に進学するとかしないとかは関係ない。大卒でなくても頭のいい人間はザラにいる。私ごとであるが、凡人はある種目で中学校体育連盟主催の中学校体育大会で優勝し、市の代表として県大会に出た経験がある。もしスポーツ選手がある種目で競争してトップになろうとすると、日頃の練習はもとより、健康管理の食事とか睡眠とか、集中力とか、また当日の試合運びとかで筋力や耐久力だけではなく、いろいろ頭も使う。そうした自らの体験で確信をもって言えると言いたいだけだ。
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362凡人:2021/04/14(水) 10:31:09 ID:GkhSRDuE0
この「圧殺の森」よりもずっと前に起こった興味ある事件がある。それは「高崎藩5万石騒動」と呼ばれ、明治初めに高崎市が舞台だ。この事件の権力側の横暴さと傲慢と不公平さ・不条理に怒りを覚え、困っている大勢のために、正しいことをして命を失ったヒーロー達への深い同情を呼び起こす。民主主義を考える上で、高崎市の権力者や有力者の頭の中が当時どうだったか推し量れる事件でもある。この事件を知れば知るほど、圧殺の森が高崎市だから特別に起こるべきして起こったとしか考えられない。まるでそれを予見できるかの出来事が「高崎藩5万石騒動」なのである。「圧殺の森」の当時、権力側は高崎市や大学側である。それらがとった反対した学生たちへの仕打ちはまさに横暴、傲慢と不公平・不条理である。最高学府としての正知性や公正や正義が欠けているものである。

アメリカに無条件降伏、大戦が終了し日本は救われた。その後平和憲法が制定され、民主化された当時の日本。だが高崎の地には、その当時になっても依然として民主主義の波は届いていなかったようだ。ではそんな「高崎藩5万石騒動」事件をみてみよう。

高崎藩5万石騒動がここによく紹介されているのでコピペする。偉人とかいってよく武士階級の官僚の名を上がるが、そんなのは偉人と呼べるか。自分の役職でやるべき仕事をやった人間たち。ぬくぬく出世して安泰な老後をした人間だ。本当の偉人とはだれか。偉人とヒーローとは同じと考える。この高崎藩5万石騒動で斬首された3人は偉人である。たくさんの弱者を困窮から救うために運動を起して前線にたった3人。それにくらべ、たとえば日本の教科書に山本五十六が偉人として書かれているが、凡人はそうとは思わない。殆どのアメリカ人やその他の外国人も凡人のその理由に賛成するだろう。山本五十六が日米開戦を導いた罪は絶大である。米国に駐在し、留学までした人間。アメリカの力を自分の目で知っていたから尚更である。その結果、日本人の人命や財産が記録的に失われ、北方領土をはじめ日本の領土が大縮小した。もし彼の地位や命を張ってでも日米開戦に反対し、それを避ける努力をしていたら、その結果がどうであれ、凡人の目には山本五十六は偉人として映っただろうが、彼はそうしなかった。自分の損益を考えないで、他人の人命や財産を救うことが偉人の最低限の条件である。ところがそれをせず日米開戦をやってのけた。偉人やヒーローとは正しい判断が出来、歴史を見る目がある人でもある。人類の幸福・進歩からみて正しい側に立つ人である。
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363凡人:2021/04/14(水) 10:33:31 ID:GkhSRDuE0
ー高崎藩5万石騒動ー

https://geolog.mydns.jp/www.geocities.co.jp/gl_rekishi/Jiken/GLH-Takasaki-5-Mangoku-soudo.html

事の発端は、明治維新後に行われた東山道鎮撫総督が行った「農商工布告」にあった。 布告によれば、「苛政に苦しむものは申し出よ」とあった。当時、高崎藩の城付領地の5郷56村の農民達は、他藩の年貢より酷く高い年貢に苦しめまれていた。

1889年 9月 7日 明治2年(1889年)9月7日夜、下之城村(現:高崎市下之城町)の如意寺に、城付五万石領5郷56村の代表が集まった。 召集のふれは100ヵ村にも及び、今日のうちにも蓑笠(農民が町に出るときの服装)で城下に押し寄せんばかりの勢いだった、という。 会議は紛糾したが、要求事項、組織、財政、戦術が決定された。 

まず、大総代3名が選ばれ、村々の要求を書いた願証文、車笠連判状、誓約書などが大総代に渡され、大総代は「命懸けて引き受けます」とした受け証を各百姓代に返した。 小八木村(現在:高崎市小八木町)百姓代の清八と弥五郎が「小八木村要求」を大総代3人に託した証文には、畑の年貢は金銭で納税に変更、田の年貢は岩鼻県並み(籾1升に付き米5合納税=50%、高崎藩は73%であった)の税にするよう要求していた。

1889年10月17日 明治2年(1889年)10月17日夜明け、柴崎村(現在:高崎市柴崎町)天王森に前夜から終結した百姓4000人が、西へ向かい高崎城下の通町木戸まで連なったという。 全員、百姓の身分を著す蓑笠で身を固め、小八木村などは村旗を押し立てていた。 直訴は整然と行われ、城下は百姓で埋め尽くされ、願書が3人の大総代から高崎藩役人に渡された。 町の衆も感じるところがあり、炊き出しなどを行って百姓衆をねぎらったという。
 
1889年10月28日 高崎藩は明治新政府と連絡を取り合ったうえ、「田方新領並(田の税率は50%)、畑方永納(畑の納税は金銭で行う)とする、ただし当年かぎり」と回答した。百姓衆は、永年減税を直訴していたことから、この回答に納得をしなかった。

1890年2月4日 大総代3名、佐野村下中居佐藤三喜蔵、大類村柴崎高井喜三郎、六郷村上小塙小島文治郎が直訴の罪で斬首される。

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364凡人:2021/04/21(水) 08:33:40 ID:GkhSRDuE0
山本五十六の教訓と高崎経済大学

ミッドウェー海戦を知れば知るほど、日本の司令官上層部の傲慢さ、バカさ加減、間違いが暴露される。勝てるはずの戦闘に負けたミッドウェー海戦。指揮官たちの個人の能力欠如もさることながら、そういう人物が指揮官に昇進できる日本社会が内包する弱点もいっしょに見えてくるから面白い。

「この作戦後、山本連合艦隊長官やその幕僚の責任は問われず、一航艦も長官南雲忠一、参謀長草鹿龍之介は一航艦の後継である第三艦隊の指揮をそのまま受け継いだ。しかし、それ以外の一航艦の幕僚は全て降ろされ、また士官も転出させられた(一航艦航空参謀吉岡忠一はミッドウェー海戦の資料作成のためしばらく残留した)」

「開戦時山本長官は「日本は開戦から半年、もって1年は優勢を維持できるが、それ以降はアメリカ(と連合軍)の国力が日本を圧倒する」と述べ、短期決戦早期講和を目指していたが、当作戦の失敗、大敗北により発言力を失い、また実質短期決戦は不可能となったため、軍令部、大本営は長期戦を主軸とした戦略への転換せざるを得なくなった。

ミッドウェー海戦直後の参謀本部への説明の中でも、軍令部は「主力空母が2隻(翔鶴、瑞鶴)では守勢の外はない」と述べている。しかし国力で圧倒される以前に、戦略、戦術、用兵など全ての拙劣さにより喫した敗北だったにも拘らず、事後に作戦戦訓研究会は開かれず、国民にもこの敗北は伝えられなかった。唯一上記のように参謀本部(陸軍)に対してのみ迅速に伝えられ、ミッドウェー海戦の実態については海軍内はもとより陸軍内でも情報統制がなされた。これは前陸相の畑俊六にさえも真相は伝えられていなかったほどである」(ウィキ)

日本天皇軍はアメリカ軍の物量で負けたとよく耳にする。それが通説になっているが、ミッドウェー海戦をしれば知るほど、そうではないと思いたくなる。この戦闘では軍事力や物量で圧倒的な有利であったのはなん連合艦隊の大日本帝国海軍である。ところが蓋を開けると、アメリカ太平洋艦隊が連合艦隊に壊滅的損害を与えた。この事実は何を物語っているのか。

山本五十六はアメリカをよく研究していたという。彼の本棚を埋めつくすアメリカに関する本。アメリカに駐在し、ハーバード大学に留学もしている。日本軍部のためにスパイ活動をしていたと容易に想像できるが、それ以外彼がそこで見たモノや学んだモノはいったいなんなのか知りたいものだ。真珠湾奇襲攻撃を決行し、日米開戦を始めた。日米交渉をしている最中で、真珠湾攻撃前の時点ではいくらでも日米交戦を回避できたのである。

以下のニュースが教えるように当時のルーズベルト大統領は日本と交戦する意思はなかったことを伺わせる。
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【外交文書公開】
「ルーズベルト親電」伝達遅れ、GHQ徹底調査
2013.3.7 12:50産経

◇◇ルーズベルト親電 日米開戦直前に昭和天皇に宛てた親電で、日本に和平を呼びかける一方、日本軍の仏印からの全面撤退を要求する内容。日本時間12月7日正午、東京電報局に到着。グルー駐日米大使に配達されたのは10時間以上遅れの同日午後10時半だった。親電は8日午前0時半にグルー大使から東郷茂徳外相に手渡され、東條英機首相が同2時半に昭和天皇に親電全文を読み上げた。◇◇

 外務省は7日、昭和16年の真珠湾攻撃直前にルーズベルト大統領が昭和天皇に宛てた親電の伝達が遅れた経緯に関する連合国軍総司令部(GHQ)国際検察局による調査実態の記録を含む外交文書ファイル72冊を公開した。国際検察局が終戦後、外務省担当者らに事情聴取を行い、詳細な経緯を調査していたことなどが明らかになった。

 外務省が作成した昭和21年8月1日付の文書によると、国際検察局は親電が早期に届けられれば戦争回避が可能だったと認識しており、開戦当時の東郷茂徳外相が伝達を遅らせたとして開戦責任の証拠固めをしたと分析している。
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365凡人:2021/04/21(水) 08:39:58 ID:GkhSRDuE0
 ルーズベルト親電をめぐっては、平成16年に元ニュージーランド大使の井口武夫尚美学園大教授(当時)が、グルー駐日米大使に配達される前に東郷外相が解読していた可能性を指摘。親電の内容を受けて日米開戦の最後通告を修正したため、開戦通告は真珠湾攻撃の約1時間後になったとしている。国際検察局側の認識は井口氏の議論と重なっており、対米通告遅延の論争に一石を投じそうだ。

 国際検察局の職員2人は昭和21年8月1日、外務省の電信官2人を尋問した。国際検察局の2人は東郷外相の名前を出しながら、親電配達が遅れた経緯や、事前に外務省が解読した上で陸海軍に送付した事実の有無を質問した。電信官2人は「本件親電には何等関係がなかった」「斯かる事実ありたるを知らざる」と回答した。 

文書では聴取を受けた印象として、国際検察局側が「東郷外務大臣は親電を解読したものを事前に見ているに違いない。この電報が天皇陛下に渡されたならば戦争は避けることが出来た」と認識していると指摘。さらに「検事(ママ)局側の同大臣の開戦責任に関する証拠固めを目的とするものの如く観取せられた」と分析している。

 東郷外相は終戦後、極東軍事裁判でいわゆる「A級戦犯」として禁錮20年の刑を言い渡され、服役中の25年7月に死亡。53年10月、靖国神社に合祀(ごうし)された。
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山本五十六は「短期決戦早期講和を目指していた」とあるが、いざ始まった全面戦争で、アメリカ政府が日本との講和を了承する理由が見つからない。真珠湾の奇襲攻撃(1941年12月8日未明、ハワイ時間12月7日)はアメリカ太平洋艦隊に大損傷を与えた。死者は2000人を超えた。海兵の多くが戦艦でぐっすり眠っているところを闇討ち攻撃され、銃をもたずして真珠湾の海に沈んでいった。アメリカ国民には屈辱的な大事件である。

それとよく比較されるのが、なんと2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件。ニューヨークの世界貿易センターがイスラム教過激派アルカイダのテロリストグループによって破壊された事件はまだ記録に新しい。同時に乗っ取った旅客機の数機でそのビルディングやペンタゴンに体当たりしたのだ。ビン・ラーディンがそのテロ攻撃を指示。その戦術は彼は日本の神風から学んだらしい。2000人を超える大勢の民間人が人命を失った。ブッシュ大統領は報復を誓い、イラク戦争を始めサダンフセインをトップの座から下ろし絞首刑で幕を閉じた。その後政権を取ったオバマ大統領はアメリカ同時多発テロ事件の本当の主犯であるビン・ラーディンを潜伏先のパキスタンで発見、外交そっちのけで秘密裡に少数の先鋭部隊を送り殺害に成功。

山本五十六はまったくアメリカを知らないも同然だ。アメリカに駐在し、ハーバード大学で何を学んだというのか?アメリカを本当に甘く見すぎている。アメリカ大統領が日本天皇軍の軍事力をそれほど高く評価していないのと対照的である。

真珠湾攻撃で、これほどアメリカ大統領やその国民を侮辱しておいて、講和を期待している山本五十六の頭はまったくいかれていると言ってよいであろう。一度戦争が始まったら、負けを意味する講和なんてない。アメリカ軍は報復のためにあらゆる手段を尽くすことが想像できる。

彼の発言から、天皇主義を尊び、日本の暴力団的頭脳の持ち主であることが分かる。戦前の日本では政治・経済・教育で、その考えが支配していたが、それを体現した日本軍人である。そんな教育で凝り固まった頭脳、限界がある頭脳ではアメリカの豊かさを支える教育、科学、技術力の本当の力が理解できないであろう。アメリカのイノベーションを生み出す自由な思考を生み出す地盤、優秀な人材が世界から集まるアメリカ。その底を流れる民主主義が何なのかさえ、まったく分からないでだろう。

山本五十六により「日本の為」という名目で、日米との開戦を余儀なくされる。その結果、日本が国として崩壊・破壊の憂き目にあった。日本人の命が大量に失われた。それは天皇兵だけではない。罪なき女性子供たちを含む民間人も大量に戦争の犠牲者となった。間違った人間やバカな人間が国や組織のトップに立つと、その国や組織はとんでもない運命を辿り、滅ぶ。山本五十六の教訓は決して忘れてはいけないと強く思うのである。

山本五十六が戦死して大分時が経つ。高崎経済大学は戦後の新制大学である。ところが、この大学運営を知れば知るほど、残念なことに、その教訓がまったく生かされていないことに気付く。笑。
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366凡人:2021/05/09(日) 05:48:10 ID:GkhSRDuE0
高崎経済大学はただの就職訓練校、短大・商業高校レベル。

民主的な国家では世界的にみても、大学がよく扱う問題が人権問題であろう。それほど複雑で学際的要素をもち、高尚な大学レベルの思考が要求される。ところが高崎経済大学には人権問題を扱うキャパシティーがない。大学や教員の質が大学レベルに到達していないことの証明だろう。学生の質にも関係するが、大学とは無知な学生を教育・啓蒙することが使命の一つであるから、すべては大学の経営者や教員に最終的には責任が行く。この大学ではそれが問題にならないほど、大学が大学もどきなのである。

群馬の僻地では人権問題という複雑な問題を高い教育・教養の拠点である大学がやるべきなのに、カソリックのキリスト教団体が取り扱っていることが興味を引く。
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2019年度人権文化セミナー連続講座・第4回

関東水平社の創立と終焉
~その歴史的背景を歩く〜

関東水平社は1923年3月23日群馬県太田町の電気館で創立大会をひらいた。これは全国水平社結成の一年後、群馬県水平社の創立大会も兼ねたものでした。大会には群馬、長野、千葉、茨城、埼玉、東京などから数千の人が集まりました。しかし 日中戦争開始後の1938年3月には関東水平社は解散しました。今回のセミナーで関東水平社の創立と終焉〜その歴史的背景を歩く〜というテーマで実施します。関東水平社結成からちょうど100年が経とうとしている今日、私たちの暮らしと社会を直視しつつ部落差別をなくしていく道筋についてフィールドワークを通して考えます。

日時:2020年3月28日(土) 10時30分〜16時45分
集合場所:東武鉄道伊勢崎線太田駅北口
集合時間:10時30分、またはカトリック太田教会へ直接おいでください、
開催協力:カトリック太田教会/部落解放同盟群馬県連合会
参加費: 2000円(車代込)定員:20人
*お弁当は各自ご持参ください
申し込み:
NCC部落差別問題委員会へ名前、 所属、住所、電話、メールを明記してメールで
nccbdic@gmaicomへお申し込みください。また faxは03-6302-1920です。

10:45 講演: 「関東水平社の結成と終焉」~その歴史的背景を歩く〜
     安田耕一さん (日本キリスト教団・部落解放センター常任運営委員)
場所:カトリック太田教会フランシスコ館(太田市東本町46-20)
12:40 フィールドワーク

〈車窓から関東水平社結成地・電気館跡地〉
①大光院…関東水平社解散地、大方丈、太田空襲犠牲者追悼碑見学
②八王子山… 中島飛行機地下工場跡見学
③長岡寺… 中国人捕虜受難碑見学
④須永地蔵…農民運動指導者見学〈須永好の記念碑・車窓から永唱寺〉
⑤太田市足尾銅山鉱毒資料室見学 〈丸木位里 俊作足尾鉱毒の図〉見学
15:55 ふりかえり 分かち合い(太田市学習文化センター)
16:45  終了/太田駅前で解散

主催:日本キリスト教協議会(NCC) 部落差別問題委員会

367凡人:2021/05/09(日) 05:50:03 ID:GkhSRDuE0
学問の質が問われる高崎経済大学。

大学は知の拠点である。それは疑う余地はない。大学は人なり。知力や教養の高い者が集まり、学問をする場所である。「少年よ、大志を抱け」と言った北海道大学のクラーク博士は敬虔なキリスト教信者であるが、大学生の可能性は上に無限大であることを示唆している。

ところが高崎経済大学のある群馬県は文化的にも大きな後進県である。上毛カルタを自慢しているが、それは教育の立場からみれば知的後進の象徴であることに、地元では気が付かないほど教育者の程度が低い。群馬県人としてよく使われる新島襄だが、東京で過ごし、育ち、さっさと群馬の家屋敷を売り払って、関西に転居し、同志社大学を創設したことは有名。なぜ群馬を捨てたのかその理由を分からないが、群馬を知れば知るほど新島襄が特別ではないことに気が付く。

群馬は後進県ゆえに、頭脳流出が激しい。

その地で生まれた高崎経済大学。群馬を象徴するかのように教育的に優れた大学教育者はいない。群馬の頂点にある進学校である高崎高校や前橋高校や高崎女子高校や前橋女子高校からの優秀層の大学進学者は高崎経済大学に入学しない。そう地元進学予備校の経営者も念をおしているビデオをみた。入試科目数と偏差値から、マーチではなくて、日東駒専レベルの高校生の大学受験の併願先として、高崎経済大学を勧める大学受験評論家のビデオも見た。

地元の国立大学である群馬大学とよく比較されるが、群馬大学は入学受験合格者の高校別数でそれらの進学校がトップを独占しているのが印象的。国立大学だから、高い確率でその合格者が入学すると思われる。一方高崎経済大学の場合は地元の中堅進学高校の合格者がトップを独占する。他県出身の受験者が多いが、その理由は受験必須科目数が少なく中期受験ができることで他の国公立大学と私立大学との併願がやり易く、また地方のいくつかの主要都市に受験会場を設けていることも大きい。でも合格しても入学率は国立大学よりも大分劣る。高崎経済大学の偏差値は医学部を除いて群馬大学の他の学部より高く表示されているが、受験の必須科目の数に注目すれば、群馬大学には偏差値では勝てないとみる。高崎経済大学の偏差値は私立大学と同じで、国立大学と比較する場合自慢できるものではない。私立大学も同様だが受験併願者が多く、受かっても入学しない受験生が多ければ多いほど、偏差値はまがい物である。

国際学科など作ったのはいいが、大学がまったくグローバル思考ができないことにいつも驚かされる。その専任教員のほとんどが日本人、学歴からネイティブに通じる英語で果たして講義ができるのか疑いたくなる。ましてや学生が理解できるのか。

368凡人:2021/05/09(日) 21:45:40 ID:GkhSRDuE0
高崎経済大学は大学か?

簡単に言うと、いかれた歴史をもち、思想統制に忙しく、悪の伝統や古い悪魔に媚びている高崎経済大学には一部の例外を除いて、まともな教員や学生が集まらない。地域の活性化を目指した地域政策学部や人々の生活を豊かにする筈の経済学部があるにもかかわらず、群馬地元の市町村や群の財政悪化、過疎化、少子化、人口の流出の深刻化は止まらない。その流れを止める有効な対策を一切生み出せないで、ただ事後の状況のありきたりの分析に終始。西洋文化の批判はできるが、その充分な理解ができず、グローバル思考もままならない。ゆえに、日本の置かれている現実がますます悪化していることに気が付かない。

全国に先駆けて生まれた地域政策学部は生まれた当時は大きな期待が持たれたが、いまはまったく当時の輝きは存在しない。たとえば高崎市に隣接する富岡市の地域政策。深くかかわっているのはいいが、その自治体の将来を考えるはずなのに、過去の遺物である製糸工場のユネスコ遺産登録のただの応援団役ではあるが、肝心の学問的分析である、ユネスコ登録後のまちの将来やユネスコ登録の負の効果がまったく読めず、その地域政策学部の知的学問的レベルや無責任さを大いに全国に知らしめている高崎経済大学。この大学は大学の現体制を築いた前学長・三潴信吾と南方で玉砕した高崎歩兵15連隊、中曽根康弘や、それに含めて日本壊滅の瀬戸際までもっていった大平洋戦争で、その日米開戦を断行した山本五十六の幽霊に芯まで取りつかれている。笑い。

370凡人:2021/05/09(日) 23:51:52 ID:GkhSRDuE0
公立大学の戦国時代での高崎経済大学の将来。

大学は人なり。優秀な人材が集まる大学ほど、全国で高く評価されると同時に、将来にかけても高い評価が維持でき、大学の将来も明るい。逆にいうと、優秀な人材が入学しない大学は以前にどんなに高く評価されていても、それを長く維持することができない。将来は暗いといいたい。それは商業高校の歴史がよい例であろう。過去の商業高校は東大にも進学する非常に優秀な生徒が入学していたが、現在では普通高校、特に大学進学高校にその地位は固まり、大きな格差がつけられている。現在の商業高校は存続はするものの生徒の偏差値も低く、過去の栄光はまったく見られない。

優秀な人材が毎年継続して入学してくれば、その大学は学部と大学院を含め、栄え、安泰であるが、大学間競争が激しくなると、大学経営陣の手腕が大きく問われ、勝ち組と負け組が時間を経るごとに明確になってくる。

昔から国公立大学志向が強いし、将来も同じ傾向であると信じるが、高崎経済大学は市立の公立大学。現在の人材・資源また格の上でも国立大学には勝てない。ーそんな中にあって国立大学を超える公立大学がある。秋田県にある国際教養大学や福島県の会津大学であるー。なにせ公立大学そのものの数が著しく少なかった過去なら、高崎経済大学も優秀な人材が入学する可能性があったが、こうも全国の地方に同じような学部学科の公立大学が乱立してくると、高崎経済大学に遠距離から入学する価値が半減する。ましてやこうも大学が悪名高く、思想・言論統制をし、反民主的で、優秀な教員も意図的に来ない大学では尚更だ。大学経営者や教職員や同窓会や後援会の幹部が前安倍晋三内閣のように、同じ思考能力の頭脳の持ち主一色になり、案の定将来も見えず、危機感すら感じないであろう。

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2021年度新学部開設 | 島根県立大学 浜田キャンパスhttps://hamada.u-shimane.ac.jp › shin...·
Mar 22, 2021 — 地域政策学部 地域政策学科 地域経済経営コース. 募集人員:45名.
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島根)県立大学長が構想発表、21年から2学部に
2018年3月14日 3時00分礒部修作、朝日

 県立大の清原正義学長は13日の定例会見で、浜田キャンパス(浜田市)の1学部1学科を2021年4月から2学部5学科に改編する構想を明らかにした。

 浜田キャンパスには現在、総合政策学部の総合政策学科(定員は1学年220人)がある。構想では、これを地域政策学部(地域経済経営学科、地域公共学科、地域活性学科)と国際関係学部(国際関係学科、国際コミュニケーション学科)に改編する(名称はいずれも仮称)。定員は各学科とも45人で計225人。

 改編は地域貢献を強めるのが狙い。地域公共学科は地方公務員を養成し、地域活性学科はまちづくりや地域興しを研究する人材、国際コミュニケーション学科は地域の情報を英語など外国語で発信できる人材を育てる。

371凡人:2021/11/30(火) 17:27:29 ID:yUHee8IM0
アメリカ便り)毎日がまた世界が目まぐるしく動いている。日々が忙しいの一言。久しぶりに投稿する。昔はアジアといえば日本が真っ先にあがったが、今では経済や映画やその他芸能界のアメリカで中国や韓国が力を伸ばしていることがわかる。テレビやスマートフォンやコンピューターの部品を含め、安い物から高価な物までを含め、生産する技術力や生産力をつけている。世界が持つ車や精密機械への日本の高い評価は揺るぎないものに見えるが、その保証はない。昔の日本がそうであったように、今の中国は昔の日本を習っているかのようだ。今のままでは日本の将来は分かりきっている。将来が全く見えない高経大を出すまでもない。東京大を筆頭にする大学群も含まれるだろう。東京オリンピック2020の閉会式をテレビで見たが、アートも演出も何もかもアイデア不足でがっかり。いまの日本文化の低迷をそのまま象徴するかのよう。世界が愛する日本アニメが日本文化を代表すべきなのに、死んだ過去の文化を今だ過大評価する時代錯誤の、盲目の日本を見た。

コロナが勃発する以前はUCLAのキャンパスに徘徊していたが、今はUSCに出没して興味ある大学情報を、主に学生から聞いている。

学部生やそれと同じぐらい院生と出会っている。ときたまPHDを目指して勉強している学生もいる。アジア系の学生では中国、インドからの留学生男女に、アメリカ人学生に混じって会う機会が多くある。台湾出身の中国系だけでも100人を超えると台湾サークルのスタッフ学生の話だ。彼らのほとんどがコンピュータ専攻、次にエレクトリック・エンジニアリング専攻、その次ビジネス(ファイナンシャル・アカウント・マーケティング)、経済学そして、たまにコミュニケーション専攻。記憶に残るのが、ニューロサイエンスを学んでいるというインドからの女子留学生。すでにインドで医者をしていると言い、いまは医療の領域を広げるために大学院で学んでいるという。またコンピュータ専攻で、どこの大学院に行くかで悩んでいる中国留学生に会った。叔父がMIT卒で親父が北京大学卒なので顔が立たないらしい。カーネギーメロン大学がコンピューター領域ではトップと言い、そこに行きたいと将来を語った。また興味をそそったのはは一年間大阪大学で交換留学生だったという北京大学卒の中国女子留学生の院生だ。彼女はコミュニケーション専攻である。日本語は残念ながら忘れている。またこちらも中国からの女子留学生。ミュージック専攻。ニューヨークのジュリアード音楽院で4年間を過ごしたといっていた。彼女はバイオリンを大事そうに携帯していた。話を元にもどすが、次に多く会う学生は留学生、またはアメリカ生まれの韓国系。とにかく日本からの留学生がUCLA同様、少ないことに気が付く。USCの他国の留学生もそれを認めている。世界で、意外に多い日本人人口からすれば特筆に値する。ベトナム系やフィリピン系、インドネシア系のアメリカ育ちにも会ったが、それらのグループに入れたくなる頭数が日本人留学生だ。日本語が少し話せても、片親だけ日本人のアメリカ生まれや、日本以外の留学生もいた。記憶に残っているのは東京の目黒区に住み、聖心女子高校に通っていたという英語べらべらの女子学生。今は家族とアメリカ住まいだ。日本人の院生にはまだ会っていない。
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372凡人:2021/11/30(火) 17:32:35 ID:yUHee8IM0
USCはフィルムや音楽が特に有名。映画学部の良さはUCLAの学生さえ認めていた。音楽学部はグーグルでの大学のランキングでその質の高さを後で知った。コミュニケーションもいいと念を押す、それを専攻するUSCのアメリカ生まれの学生たちにも会った。ここのミュージック専攻の学生は話をしていても面白い。なにかUCLAの学生を思わせる態度が、ランキングを知る前から気付いていたが、あとで納得した。

歯科学部でコスメティックスを勉強している歯科医もいた。プリメドもいた。ロースクールを目指すアメリカ人や留学生の学部生にも何人も会った。

ヨーロッパや中東の海外留学生にも会う。スウェーデン、イギリス、スペイン、イタリア、ドイツ、トルコ、パキスタン、イラン。フィルムやビジネスやコンピューター専攻。アフリカではセネガル、モロッコからの留学生にも会った。

アメリカ人はどこから来るか?当然大学の近くに実家がある学生も数人に会った。サンフランシスコからも多い。ニューヨーク州クウィーン、コネチカット州、マサチューセッツ州、ペンシルベニア州ピッツバーグ市、フロリダ州、ワシントンDC、イリノイ州シカゴ市、ワシントン州シアトル市、テキサス州ダラス市・ヒューストン市・オースティン市、ジョージア州、テネシー州ナッシュビルなどなど。

中国の留学生は卒業後ほとんどが自国に戻り、職を得るという。インドの留学生はアメリカで職を得るのが主である。UCLAで見てきたように、学費を会社払いや国費で留学し、帰国後の日本での生活が十分に保証された東大卒の院生が結構いた事実も忘れてはならない。記事で読むような昔のような国作りを目指すハングリーな精神の日本人留学生には会っていない。

次世代を担うこれら学生たち。彼らが社会に出て、活躍する頃には日本は一体どうなっているのでしょうかとふと思う。
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373凡人:2021/12/01(水) 19:26:46 ID:yUHee8IM0
カルト大学の高経大を象徴する大学直轄の応援団。その応援団長が決まったそうな。よかったね。全学部生(ほんの少しの院生たち)の学生の代表になる高崎経済大学のシステムは他の大学に見ないものがある。ケントギルバートのモルモン教がなぜにカルト宗教と呼ばれているかその理由を知ってますか。高崎経済大学をカルト大学と読んでも一向に差し支えない理由があるのです。大学運営組織も、文殊の知恵で運営というよりも、偏向した少数の者がたやすくコントロールできる体制。民主主義を知らない教員にあって、教授会なんてあって無いような物であろう。笑い。
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新しい応援団長(オフィシャルサイトより)

高崎経済大学直属応援団の新幹部が決定しました
高崎経済大学直属応援団所属の小林哲士さん(経済学部3年)が新しく応援団長に任命されました。また副団長として、同所属の山口航輝さん(経済学部2年)が任命されました。
新幹部の任期は、令和3年12月1日から令和4年11月30日までの1年間です。

375凡人:2021/12/01(水) 21:02:12 ID:yUHee8IM0
これは高経大初のベンチャー企業ですか。大学発ベンチャー企業の言葉が流行って、もうかれこれ10年以上経るのかな。その言葉をよく聞いていた者だが、今の日本の大学では成功しているのか、どんな状況だかまったく知らない。昆虫の粉末ですか?群馬では養蚕の桑に因んで、葉の粉末を使った食べ物が製品化し売り出した話は前に読んだが、その後の売れ行きはどうなのか知らない。もし売れ行きが順調ならばこの凡人は驚くだろう。昆虫を食材とする話は日本でも今の学生が生まれる前によく話題になった時期があったが、いまさらという感がある。消費者やマーケティングに無知な、しかも頭でっかちの大学生が始めたアイデアと分かる。そのアイデアは過去に、すでに多くの者が試したであろうと推測できる。だが採算が取れるようなアイデアではないことは容易にわかる。そのベンチャーは数年もてばいいし、いずれ消滅するであろう。美辞麗句の言葉を体裁よくたくさん並べても無駄である。買い手があっての商売である。コンシューマリズムという民主主義の原理が背後に一貫していることに気が付くべきである。

アメリカでは小学生や中学生の低学年の生徒が考案した小物が流行になり大きな利益を得て成功し、その利益の一部が病院とかに寄付なんていう記事を読むことがある。実学とは本来そういうものであろう。大学教育なんてまったく必要とは思わない。いま成功率の高い起業家に求められる技術はコンピューター技術、プログラミング技術であろう。現在の社会は情報革命が進み、コンピュータなしでは動かないからだ。誰もがスマートフォンを携帯している。昔なら考えもできなかった。そのスマートフォンは何を隠そうポケットサイズのコンピュータに他ならない。USCでデータサイエンスの院生によく会う。聞きなれない専攻だが、コンピュータ革命でよりその必要性が現実である。ステイーブ・ジョブはビジョナリーであって、プログラマーではないが、彼の相棒で仕事仲間にその天才がいた。マイクロソフトのビルゲイツもそうだった。iPhone用のゲーム作りで、大きなお金を稼いでる若いプログラマーにも出会うことがある。今の時代を大きく反映していると言えないだろうか。
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高崎経済大学発ベンチャーFUTURENAUT株式会社が学内ラボを開設

〜持続可能な食の未来を創造する企業『FUTURENAUT株式会社』〜
 この度、高崎経済大学発ベンチャー第1号であるFUTURENAUT株式会社(代表取締役:地域政策研究科2年櫻井蓮さん)が、学内にラボを開設しました。
 高崎経済大学では、教員・学生が本学で得られた教育研究成果を活用して、起業した企業を“大学発ベンチャー"として認定しています。
 今後も、先端的な教育研究成果を社会に還元していくことを通じて、より良い未来の実現に貢献していきます。

376凡人:2021/12/01(水) 23:11:18 ID:yUHee8IM0
『実学』とは本来そういうものであろう。大学教育なんてまったく必要とは思わない。』
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次のように訂正:『実学』とは本来そういうものであろう。高崎経済大学のように『実学』を重視しているのならば大学レベルの教育なんてまったく必要とは思われない。
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高崎経済大学の特徴として『実学』という言葉を大学案内等によく使っているが、そのはっきりした定義を知りたいものだ。コミュニティーカレッジという言葉もよく使うが、アメリカでのコミュニティーカレッジは短大のことをさす。その短大では自動車修理工や美容師やその他、仕事に必要な資格が取れるクラスがたくさんある。また大学進学者も入学してくるが、それは4年制の大学が認めたクラスの必要単位数をとれば、成績に応じて4年制大学に編入することも普通に可能だからだ。多くの大学進学者は高校卒業と同時に4年制大学に入学するが、コミュニティーカレッジの授業料が割安のために、その短大で2年分の単位を取ってから、4年制の大学の3年次に編入する。そんな学生も結構いる。家庭の事情が大いに関係する。このことからも高崎経済大学は凡人が指摘するまでもなく、自ら短大レベルであることを認めているのである。笑い。

自らの地域主義を重んじ、コミュニティーカレッジと名乗る大学は高崎経済大学だけであろう。どこの著名な4年制大学が地域主義を掲げているのか知りたいものだ。反民主主義のこのカルト大学の運営者にあっては、大学の本来のあり方すら間違って解釈している。頭の中はいまだ4年制になる前の高崎市立短大時代のままである。4年制大学は最高学府であるため、建前はあくまでも、各界における将来の指導者養成機関。コミュニティー(こんなパッとしない小さな高崎市)の奉仕者ではないのである。百歩譲っても、現実に創立このかた高崎経済大学が頭脳で高崎市の発展に貢献したと言える確固とした証拠があるだろうか。大きな疑問である。笑い。

377凡人:2021/12/06(月) 16:45:32 ID:yUHee8IM0
高崎経済大学とは何か?
(高崎経済大学の別称ーーカルト大学・大学もどき大学・高崎市立4年制短期大学)

嘘とは言わないが、なんか言葉が踊っているまたは誇張して宙に浮いている文章に出くわす。実態と言葉がそぐわない記事のことだ。スポーツ新聞や中核派の新聞「前進」など実際手にしたことがあるが、スポーツ新聞なら娯楽として読み進めても、「前進」の記事なんかは大きな文字のタイトルは読むが、本文は読み続けることがとても困難である。一種独特の書き込みスタイルは鼻につんと来る。普通の人間が読んでも、肩がこらない程度に理解できるように、なぜ書けないのかいつも思っていた。まあカルト性のグループが書いた文章とはそんなものであろう。高崎経済大学をカルト大学と呼ぶ。いろいろな理由からだが、そこが書いたものは眉唾ものである。ハッキリ言って現実を果たしてきちんと理解しているのかさえ疑わしいものが数々ある。ゆえにこの大学の出版物なんてはじめっから読む気にさえならない。現代社会を賢く生き抜くために、忙しい毎日を余儀なくされ、時間管理が必要な人間ほど、なおさらである。時間を割くとしたら、そういう時間であろう。笑い。

最近の例で笑ったのは、『先端的な教育研究成果を社会に還元していくことを通じて、より良い未来の実現に貢献していきます。』と結んでいる高経大院生の言葉。なんだと思ったら、コオロギの昆虫の粉末を商品化した商売とした大学発のベンチャービジネスを指しているものだった。それが大学敷地内の一角に移転したという。その商品の売れ行きなんて、過去の例からも知れたもの。収入もままならないだろうから、この事業の維持継続・管理のために、税金や大学の金や人材が裏で大量に投入されていることは容易に推測される。やっていることのどこが「先端」を行っているのか訳がわからない。大笑。

それにしても高崎経済大学の院生の数がなんと少ないことか。これではミニチュア・ゴマ粒大学である。海外はおろか、日本でも入学希望者が少ないのだからしかたがない。この大学の教員のレベルややっていることの愚かさは凡人が特に言わなくても、すでには日本国内で知れ渡っている証拠であろうと強く思う。この大学院を終了した者は片手の指でも余る程、数人であるが、その就職先はどうなっているのか。群馬県内のみ。この大学はすでに終わっている感がある。

空虚感が漂う「高崎市への貢献」という言葉。

高崎市の製造業の特性がこうだとか、長野堰の歴史的役割がどうだとか。高経大の教員が地域科学研究所の研究と称して高崎市を研究している。地元の高校をはじめとした中学・小学校の教諭が郷里の研究をしているであろうのに、このカルト大学はそうした努力を蔑ろにして自ら行い、よって高崎市に貢献していると信じ切っている。

高経大では大学の管理の下で、採算がとれる筈もない喫茶店あすなろをまちなかで営業している。高崎市の公金がその店の管理維持費を賄いで運営していることはよく知られる。現役生は大学卒業の単位がもらえるために進んで喫茶店のスタッフになるのだが、その現役生のひとりひとりの意気込みの言葉を拾うと、「高崎市の発展のために頑張ります!」が圧倒的に多い。まず言いたいのは、なぜ高崎市のために頑張らなければならないのか。そのスタッフは高崎市出身はわずかで、ほとんどが市外や群馬県外出身で占めている。この大学に4年制大学としての授業料を払い、同窓会費を払ったのはいいが、その挙句高崎市のために働く?これが高崎経済大学の経大生の姿だ。この姿が高崎経済大学を象徴するかのように新聞記事になる。凡人だったら、大学に授業料を払ったのなら、他の大学生がうらやむほどの大学レベルの知識を得たいと願ってやまない。喫茶店の経験がしたかったら、バイトで喫茶店のウェイターでもやればよい。バイト代がもらえるだけでなく、採算がとれる喫茶店の経営とはどんなものか、現実の厳しさも含めて、いろいろ学べるというものだ。高崎市の自治体は派遣労働者の賃金節約に忙しいのか、頭脳労働ではなくてブルーカラーの労働力。それが高崎経済大学の中身であろう。
1の2

378凡人:2021/12/06(月) 16:46:50 ID:yUHee8IM0
大学レベルだったら、高崎市をどうしたら一流の都市にするかという目標もって、高崎市の貢献を手がけるだろう。諸外国を含めた様々な都市を様々な角度から研究して、その研究成果を元に高崎市の発展のために、飛躍できない領域を改革してゆく。大学レベルでの「地域科学」と呼ぶにふさわしい高崎市への知的貢献であると凡人は信じる。大学の頭脳で貢献するとはこのことである。高崎市より優れている都市は日本国内でさえ、ザラに存在している。小さな高崎市の限られた製造業の特性の研究にお金や人材を大量につぎ込んだところで、一体この自治体の発展の何に貢献するのか?歴史書はかけても、都市発展の処方箋は書けない。経済学や地域政策学とは歴史書を書くためにあるのではない。そういうものは地元にいる郷里研究者たちに任せればよい。大学の大きな役割とは将来への舵取りのための灯台である。高崎経済大学の愚かさは、動物の像を手探りしながら、感想を述べあっている大勢の目くら集団である。そればかりか運営者は反民主主義というイデオロギーに染まり、暗黒の大学の歴史を作り誇りにした懐古主義ブラック大学。

ほとんどの学生は滑り止めで入学してくる大学。受かっても入学せず、来年の入試に賭ける受験生もいるほど。学内はしらけが蔓延する中、カルト故に盲目の愛校心は一部学生たちに見られても、絶対多数派はプライドも持てず、嫌悪感に苛められて、民主主義の素晴らしさをも学ばずして卒業して去ってゆく。それ故に本当の愛校心などもてる卒業生は数が少ない。その証拠は同窓会のページをいつも見るたびに、そこに写っている卒業生たちの顔ぶれは少数でいつも限られた人たち。高経大は創立60周年を迎えた平成29(2017)年には卒業生が33,000人を超えた。だが到底それだけの卒業生がいるとは思えない。見すぼらしいの一言。また大学宛寄付金の額や大学を再訪する卒業生の数にも、愛校心は容赦なく反映されるだろう。その実際の数は知らないのでなんとも言えない。が凡人が憶測するに、もし愛校心が通常どおり高経大の大多数の卒業生に根付いているのであるとすればホームカミングデーの日やその他の行事には、その家族を含めなくても、卒業生だけで、その大学の比較的狭い敷地構内が軽く埋まるであろう。そうになっていますか?

同窓会をはじめとして、後援会、その他の役員たちやその参加者たち。いつもが少数の顔なじみたちで、すべては経営や運営や進行がされているように思えてならない。たとえば令和2年度の同窓会役員名簿。いつの間にか新たにいくつもの役職が加わっているではないか。役職のたらい回し?井上達之助、後藤紀雄、一文字雅晴、市川豊行が顧問。見覚えのある面々である。相談役にその他9人。会長、会長代行、副会長が10名(ここに応援団で有名な卒業生の名前が見える)、そして幹事が30名を超える。いったい変更の裏には何があったのか疑問が浮かぶ。いったいどれくらい元応援団の卒業生がそこにいるのかもとても気になる。

民主主義を信じない高崎経済大学の卒業生グループ集団である。悪の歴史を作ってきた影役者たち。学のある文化人や教育者や知識人や学生や庶民が世界で日本で、民主主義を叫ぶ中にあって、右翼的イデオロギーを実行・堅持し、反民主主義を実行する高経大卒業生たち。この大学の長い歴史が導く見すぼらしい同窓会がその結末である。笑い。
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379凡人:2021/12/08(水) 15:15:42 ID:yUHee8IM0
別の視点から。
高崎経済大学とは何か?(高崎経済大学の別称ーーカルト大学・大学もどき大学・高崎市立4年制短期大・高崎市立4年制商業高校/就職予備校・高崎市の商店街を元気にする大学。)

もう読者には気付いている人もあろうかと思うが、高崎経済大学を大学つまり最高学府と考えると、とんでもない学校であると言ってきた。ところが高崎経済大学を地元商業高校や就職予備校やせいぜい短大とすればすべての謎が解ける。笑。商店街の店主たちが当時の右翼市長%住谷啓三郎氏%や地元政治家を巻き込んで、将来の高崎市商店街の仕事のために作ったのが高崎経済大学なのである。

%ウィキ『住谷 啓三郎(すみや けいざぶろう、1897年7月17日 - 1975年)は、日本の政治家。元高崎市長(1955年 - 1971年)。高崎市田町の荒物問屋の息子に生まれる。旧制高崎中学(現、群馬県立高崎高等学校)を経て、早稲田大学卒業。少壮実業家として高崎セロファン工場を起業する傍ら、井上房一郎や蠟山政道と高崎新人会を創設。1932年に高崎市議会議員に当選し、翌1933年に市議会議長に選ばれる。

1947年に行われた戦後最初の市長選に出馬するが、小島弘に敗れる。その後1955年の市長選に出馬して当選、以後1971年に落選するまで4期16年務める。 市長在任中には高崎短期大学を4年制の高崎経済大学に昇格させるのに尽力し、井上から群馬交響楽団の運営を引き受けると共に音楽センターを建設、工業団地や問屋団地の開発・整備に功績を残した。』%

高崎市は人口が現在、群馬県のトップである。その前は長い間前橋市が県下トップだった。そうなった理由は人口が流入してきて前橋市を超えたのではない。単に市町村合併によって人口が増えただけだ。そのトップになるかならないかでは群馬の政治的、商業的な重要課題であった。トップになったのはいいが、全国的にみても世界的にみても日本人や外人が住んで見たい都市ではないことは特筆。なぜ高崎市は人口が増えないのかが次に生まれてくる問題だからだ。空っ風はきついが、新幹線が通り、信越や北陸と人口過密の巨大都市・東京をつなぐ鉄道や道路のハブで、東京にも一時間以内で行ける。また工業地帯も広がり、家賃も比較的安く、雪や地震といった自然災害も少ないともなれば人口を惹きつけるには十分ではないか。ところがそうなっていない。

人口は文化的・教育的に三流・二流から一流に流れる。これは凡人がつくった指標であるが、高崎市は人口が群馬県の他市町村から流入する代わりに、多くの若い頭脳が東京やその他の大都市に毎年流れている。人口が帰ってくるのならよいが、そうになっていない。そのため人口増加が限りなくゼロに近い。笑

高崎市は群馬県の商都としての群馬県での絶大的経済力を背景に、いろいろなことをやっている精力的な町。たとえば高崎まつり、映画祭、音楽祭、高崎経済大学、マーチングフェス。だが文化度・教育度を他の都市と比べればその質や内容がとても気にかかる。

凡人はハリウッド映画の大ファン。インディーを含めてあらゆるジャンルをたくさん鑑賞する。そしてアカデミー賞が毎年開かれる会場の近くに住んでいるため、映画産業に携わる人たちと接することがあるし、垣間見ることがある。高崎の映画祭は日本映画が対象。だがこれだけは言えることは単に客集めが目的ではない。むしろ映画産業に携わる人たち、プロデューサーやデレクターや俳優女優たちばかりではないく、その映画産業に影日向なく働く人たちの、年の区切りとしてのお祝い感が漂うということだ。映画関係者のプライベートや公のパーティーの数々はアカデミー賞の授賞式が開かれる前から各所でやる。授賞式後もハリウッド界隈いろいろなところで私宅やレストランを借り切って、パーティーだらけ。関係者たちのお疲れ様という雰囲気やネットワーキングが伝わってくる。アカデミーの授賞式は当然映画業界のメイン行事であり、世界の映画ファンにむけて実況放映される。ノミネートされた映画の成績しだいで、今後の興行成績に、また俳優女優の名声や出演料に影響を及ぼすから大切であることには変わりないが、映画祭とはそういったたくさんのパーティーをも含めて、映画制作業界に携わるものが主催し、だから当然、投票も映画制作業界に携わるものによって行い、映画制作業界の人たちのためにやる行事だと知ったものだ。巷にたくさん存在する映画ファンとか映画評論家などの投票ではないのである。高崎の街の映画祭。それは結構なことだが、高崎は映画の街ではない。映画制作業界に職を得て生活している者はいても僅かだろう。有名人をたくさんのご褒美を用意して呼べば交通の便もいいことから会場にはやって来るし、その彼らを見たさに一般市民の客は市外から大勢集まるが、高崎の映画祭はそれ以上やそれ以下ではない。
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380凡人:2021/12/08(水) 15:17:13 ID:yUHee8IM0
音楽の領域でいうと、群馬交響楽団を持ち、音楽の街を謳っている。ストリートミュージシャンを集めてストリート演奏で道行く人を楽しませるのは最近のこと。その他音楽祭やマーチングフェスを恒例行事に取り入れている。ところがその割には、毎年開かれる全国音楽コンクールに出場する高崎市からの参加者、小学・中学・高校・大学の結果は芳しくない。お金を使って、派手なことをやる割には中身がついていかない。テネシー州ナッシュビルとかテキサス州オースティン市は音楽で有名な街。音楽で職を得ている人たち、例えば成功した歌手やバンドをはじめとした人の多数が第2の故郷として絶大の尊敬を勝ち得ている街。そしてそこで成功すれば音楽家とアメリカ国内でも有名になれる街でもある。高崎市のように、ただお金で有名人を招いてのイメージ作りの街であるのとはまったく違う。それがここで言いたいポイントである。

また教育の領域ではどうか。ここで問題にしている高崎経済大学の登場である。日本の高校生、大学進学者の国公立大学の人気をうまく利用して、全国の主要都市に試験場を設けて学生をかき集めてくる戦略。オンラインで便利にアクセスできる、素敵な大学案内書を作り進学を目指す高校生に入学を勧誘している。閲覧したが、大学進学者が喜びそうなキャッチフレーズの数々が目に付く。ところが凡人のような現実を知っている者には眉唾もいいところ。そこに書かれている一つ一つの文字や言葉が疑問の対象になる。ほんの一部を紹介すると、たとえば実学の校風?グローバル?果たしてそこに書かれていることを鵜呑みにして良いものかと。極端な言い方を許してもらえば、経済学部もその新しくうまれた国際学科や地域政策学部や、その観光学科もみな客集めに使われている道具にすぎない。高崎市がお金を出して、高崎市をわっしょいするための道具なのだ。大学の運営資金の大部分は学生自らが払う授業料とその他の同窓会費等だから、高崎市にとってこんなに格安な、まちつくり道具はない。

大学の教育レベルは、すでに何度も書いているのでここでは繰り返さない。高崎市出身の政治家・中曽根康弘氏の右翼イデオロギー一色。現在の応援団を大学の直属にし、現行憲法を一切信じないで、戦前の憲法を学生に説いていた元5代高経大学長三潴信吾氏。暴力団幹部とも付き合いがあったその今は亡き三潴氏を、現在の高経大を作った人と尊敬を隠さない現在いる高経大の教職員たち。すごすぎる。最高学府としての知的なプライドは存在しないようである。
高経大の学歌を作った作詞・作曲家の明本京静氏もすごい。後で知ったが、中曽根康弘氏の作詞した「憲法改正の歌」(1956年)を作曲して日本コロンビアから出している。そんなこととはつゆ知らず。今は学歌を口ずさむことすらしない。笑い。

「憲法改正の歌」
1、鳴呼戦いに打ち破れ 敵の軍隊進駐す
平和民主の名の下に 占領憲法強制し
祖国の解体計りたり 時は終戦6ヶ月

2、占領軍は命令す 若しこの憲法用いずば
天皇の地位請け合わず 涙をのんで国民は
国の前途を憂いつつ マック憲法迎えたり

3、10年の時は永くして 自由は今や還りたり
我が憲法を打ち立てて 国の礎築くべき
歴史の責を果たさんと 決意は胸に満ち満てり

4、国を愛す真心を 自らたてて守るべき
自由と平和民主をば 我が憲法に刻むべき
原子時代に遅れざる 国の理想を刻まばや

5、この憲法のある限り 無条件降伏つづくなり
マック憲法守れるは マ元帥の下僕なり
祖国の運命拓く者 興国の意気挙げなばや
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381凡人:2021/12/08(水) 15:21:12 ID:yUHee8IM0
ここで言いたいのは、高崎市はとうてい教育の街ではないことだ。前橋市にある国立法人大学の群馬大学は戦前からあった師範学校その他が、現在の大学の学部に引き継がれている。高崎経済大学は1952年開学した商経科のみの高崎市立短期大学を改組したとなっているが、戦後たったの4年間存在しただけ。大学が生まれる確固とした教育的地盤や歴史はないと言っていいだろう。そこで言えることは、ただ群馬大学のある前橋市に対抗するために政治的に無理やり作られた学校(大学と呼んでよいのかわからない。笑い)とだけである。

『短大から大学への移行に際しては、大井正に代表されるように、進歩的な教員が再任されず、事実上追放された。これにかわって、東京大学の元教授で、高崎経済大学初代学長となる田辺忠男、東宝争議時代、経営側としてストに強硬路線で対決した渡辺銕三、ILO日本代表をつとめた北岡寿逸の三教授を中心とした保守派の教授陣を迎えた。田辺は、戦前、東大の革新派として土方成美、橋爪明夫、難波田春夫らとともに知られ、大内兵衛、矢内原忠雄らのマルクス派、河合栄治郎、大河内一男、山田文雄らの純理派と角逐を繰り広げ、一時は辞表を提出した経緯を持つ。』ウィキ

短大の1年次生は、高経大の第2年次生に編入されました。高崎経済大学は、昭和35年3月、第1回卒業生は56人(高階勇輔)。

当時の市長は右翼政治家の住谷氏や戦争中大日本帝国海軍主計中尉に、戦後になって当時マスコミに青年将校とよばれた中曽根康弘氏が高崎市で健在していた当時、4年制大学の高崎経済大学として新たに出発する時点ですでに、学長をはじめとして教員の人事採用に大きく関与していたことが分かるものである。
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382凡人:2021/12/08(水) 15:37:43 ID:yUHee8IM0
高崎経済大学と中島知久平(「高崎経済大学五十年史」より抜粋)

 1949年に群馬大学が前橋に設置され、商都・高崎市では当時近隣諸県にない経済学部を誘致しようとまず市立短期大学を1952年に設立し、5年後の大学昇格を目指したが、短大の蔵書数が大学設置基準を満たしていなかった。そこで、県議会図書室所蔵・中島文庫の一部を寄託してもらい、設置基準をクリアすることにした。

  中島文庫は中島知久平の蔵書であった。知久平が衆院議員になった昭和5年は、昭和恐慌下の経済政策の失敗や金権腐敗から国民の間で政党政治への不満が高まっていた。そこで、中島知久平は昭和6年に国政研究会、翌年には国家経済研究所を開設し、政治家・政党の政策能力を高めようとした。両機関はわが国初の民間シンクタンクであった。

 両機関では〈1〉政治・経済の調査研究、〈2〉欧米諸国で刊行された新刊書を購入し、専門の学者に要点を翻訳させ提出、〈3〉毎金曜日に嘱託学者が講師となり政治・経済問題をテーマとした講演会を開いた。嘱託学者は50人もいて、田辺忠男(東京帝国大学)、大西邦敏(早稲田大学)、猪谷善一(東京商科大学)がその中心であった。

蔵書類は約4万6000冊に達し、55年(昭和30年)に県議会図書室に寄贈された。1985年、県立図書館に移管。

 高崎経済大学の初代学長には田辺忠男が迎えられ、開学記念式典の講師は芦田均(元首相)と川北禎一(日本興業銀行頭取)であった。田辺忠男は知久平のブレーン、芦田均は国政研究会で研鑽(けんさん)を積んだ政治家、日本興業銀行は中島飛行機のメーンバンクであった。

383凡人:2021/12/13(月) 11:38:27 ID:nn/aNH/60
この高崎経済大学に地域政策学部をつくったのは大きな間違いである。

この学校(あえてそう呼ぶ、笑)は地域を発展させるどころか地域の停滞を招く。その理由は2点ある。

理由1.高崎経済大学には地域主義が理解できない。その元となる民主主義が分からない大学だからだ。コンパクトシティーが流行りだ。その発想は反民主主義的アイデアから来ていると強く思う。そこに日本の国家政治が反民主主義的傾向を帯びている背景がうかがわれる。地域政策はその扱う領域にもよるが、基本は地域住民の全員参加。特定の人の意見だけでなく住民全員の意見が尊重されなければならない。そこから地域に平等や自由や生まれ、大きな活気にもつながる。そこからでる様々な視点での意見交換が生まれ、それが増せば、それにより文殊の知恵の美徳が生まれるものだろう。全住民の参加だから結束力も強くなり、それによって初めて、決定されたプランや取り決めは住民に受け入れ易く、また住民からの協力も得られ易くなるものだ。つまり何が言いたいか。地域を発展させたかったら、民主主義を徹底実行せよということだ。ところが、この大学は反民主主義、権力主義を取り入れている特殊な学校。つまり上下関係を明確にし、地域政策は上からくる押しつけ制度という間違った、時代錯誤の態度が地域に大きなマイナスを産み出す。地域政策の成功すべきところが成功すら覚束ない結果になる。

理由2.高崎経済大学はすでにその無能ぶりを60年間の長きにわたり証明している学校だからだ。高崎経済大学は地域政策学部ができる前は経済学部の一学部大学であった。創立当初から「高崎市への貢献」を前面に打ち出して、もうこのかた60年の歳月が経っている。つまり、経済大学としての中心課題は高崎市への地域政策。その間の高崎市の発展はどうか。

高崎市は日本の他の多くの都市とくらべ地理的にとても恵まれた都市。巨大人口をもつ東京の都心の目と鼻の先、日本海側の諸都市を結ぶ鉄道網や道路網の重要なハブとしての機能を持ち、現在にいたる。雪や地震の天災も少なく、晴天が続く日が多く、人口が増える理由が他の諸都市とくらべより多く存在するが、それなのに人口の増加が横這い。その横這いは県内の各市町村からの人口流入があっても、その分人口流出があるということだ。だから群馬県全体の人口をとっても減少は止まらず深刻。高崎市にとっても将来にかけての商圏の減少は大きな心配事だろう。高崎市は他の地方諸都市と何の変哲も変わらない。日本の高度経済成長期は他都市と同様に人口増加を見たが、少子化時代を迎えた現在では他都市と同様、人口の横這いや減少が続いている。ただ減少度が少し鈍いだろう。だがここで注目すべきは少子化と言えども、人口が大きく増え続けている諸都市があるという現実だ。だから少子化をもって人口の横這いや減少がくると簡単に決めつけることができない。

現在の高崎市は数ある中核都市の一つである。また群馬トップの人口を有するが、それを可能にしたのは隣接する市や郡との合併。それによって前橋市の人口を超えたに過ぎない。高崎経済大学の貢献度を測るのは非常に難しい。なくてもあっても変わらないのが実情だろう。現在群馬県内では珍しい、高崎市のマンション建設ラッシュが生まれている。その背景には保守派ではない市長の誕生とともに、高崎駅周辺への積極的財政投資による一流総合体育館や一流コンサートホールやテニスコート建設とそれに付随するイベント誘致。市による駅西口の有力店舗をつなぐ歩道橋や駅東口からコンサートホールをつなぐ歩道橋の建設。それにより都市イメージがアップ。イオンの旗艦となる新店舗が駅の西口に生まれ、駅の東口には県の巨大コンベンションセンターの建設やデベロッパーによる高崎市のランドマークとなる高層の高級マンションの建設も大いに建設ラッシュに油を注いでいる。高崎経済大学が生まれて60年を超える歴史はあるが、高崎市をこれほど変貌させるきっかけはなかった。前にも言ったが、高崎市は地理的に恵まれた都市だ。つまり発展させようとすれば発展する筈の都市だ。高崎経済大学の過去60年間の貢献とは一体何なのか。この学校は事あるごとに市の貢献度を訴えて来た。その貢献度とは何なのか。それを誰か指摘できる人物はいるのだろうか。数ある地元の小中高や短大の先生方や生徒たちでも、その役は十分ではないのか。高崎経済大学の貢献度がなくてもそれほど変わらない高崎市がある。コロナ禍によりすべての経済、文化活動が鈍くなったとは言え、高崎市の最近の著しい変貌は民主主義を支える公選で選ばれた首長が良ければこうなるだろうというほんの一例だろうと確信する。

384凡人:2021/12/17(金) 15:33:13 ID:nn/aNH/60
高崎経済大学は教育界、国公立大学の恥。それはもとより、高崎の恥、群馬の恥、日本の恥、世界の恥。

あなたはアインシュタインのように世界の平和を希求しますか?民主主義を信じますか?また能力による男女間の平等を信じすか?福沢諭吉の「学問のすゝめ」の冒頭の言葉ー天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず 人間は生まれながらに平等であって、貴賤・上下の差別はないーを信じますか。つまり、不法に人の財産や生命を奪う革命思想も独裁政治も軍国主義も天皇主権主義もよくニュースや新聞の記事で耳にするが皆民主主義の敵だから、それらを否定することをも意味します。戦前は天皇のため、国のためという理由でどれだけの人が殺害されたことでしょうか。例えば著名な社会主義思想家やその家族らが疑いを吹っかけられ、ある思想を持つだけで憲兵に拉致、拷問や殺害された過去は消えません。日本ではそうした犯罪は戦後民主主義になっても問われない不気味な社会なのです。

高崎経済大学が尊敬して止まない高崎市の有力政治家に中曽根康弘氏がいました。侵略戦争に明け暮れ、天皇軍の生き残りで、戦時中はいま話題の従軍慰安婦に手を自ら染めました。自著にそれを自慢している箇所があり否定しようがありません。その生涯戦争の敗北を死ぬまで引きずって生きてきた人物です。原子力を将来にみて、地震が多い日本の各地に原子力発電所を普及させた人物でもあります。彼がいなければ福島に原発はなく、原発事故は防げたかもしれません。中曽根氏は長生きして、とても運が強いことは確かに認めます。彼のしたことの責任は一切問われないからです。同じ時代に生き、不運な田中角栄氏とまったく反対に見えます。そんな角栄氏に、なぜか人間的魅力を感じるのは凡人だけなのでしょうか。

ところで日本では社会に出ても我が物顔の東大卒や早大卒なので吐き気がします。筆記試験の出来を重視する日本社会ならではで、日本社会や経済を牛耳っているから仕方がないとはいえ。だから日本の天皇制さえきっちり守っていれば経済的にも我が身が安泰。だから保守主義者が多いってのももう一つの特徴だ。だが一歩日本の外に出て、その人物に目を向けると、本当の姿が浮かび上がる。「大学の世界ランキング」を発表しているのは一か所ではないが、どちらも、それでみるかぎりその理由が分かるというもの。東大卒も早大卒も世界で見れば、いかにもパッとしない。だから東大卒や早大卒には世界平和を乱す、ろくでもない人物を生み出すと言われても納得する。その「大学の世界ランキング」の信憑性がなかなかあるように思えてならない。高崎経済大学に関係するだけでも、そんな東大卒や早大卒がわんさかである。たとえば高崎経済大学の元学長三潴信吾氏。中曽根康弘氏はその代表格だ。笑
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385凡人:2021/12/17(金) 15:35:03 ID:nn/aNH/60
元学長三潴信吾氏とはどういう学長か?いまの大学直属応援団を築いた人物。どんな憲法教授であったか国会討論での記録に書かれているので、そちらを参照。

第61回国会 衆議院 法務委員会 第19号 昭和44年6月6日
https://kokkai.ndl.go.jp/#/detail?minId=106105206X01919690606

天皇信奉者。現行憲法を一切認めていない。著書も内容が凄すぎる。戦前からの遺物教授である。その学長時代に暴力団・松葉会の幹部との関係がマスコミにすっぱ抜かれ、国会でも問われるほど。暴力団が学長室に出入りしていたというから仰天する。ここで注目するのは三潴氏の限りなく愛した天皇制と暴力団と応援団の関係がなかなか切り離せないということ。この高崎経済大学のすごさは、それが国会では問題になっても、大学内では問題にすらならないということ。そのスキャンダルが原因で退任、退職になることはない。それが高崎経済大学なのだ。それは昔の事でいまさらというお方がいるかもしれない。ではその後変わったのか。改善されたのか。とんでもない。それはまったく過去の出来事ではない。現在進行中なのである。たとえば50年を迎えた大学広報紙の特別号には編集責任者の現役・高崎経済大学教授が最大級の誉め言葉とともに、三潴信吾氏をたたえて、広報紙発刊第一号に掲載された、当時新学長になったばかりの三潴氏のあいさつ文を全文再掲載するという気の入れよう。この高崎経済大の過去や現役教員の頭がいかなるものかも分かるというものです。笑。今はない高崎ゆかりの歩兵第15連隊の栄誉を讃えて、自作自演の演舞でいまでも市民公開している高崎経済大学直属の応援団も不思議な存在。戦後生まれの学生が侵略戦争の手と足になって活躍した大日本帝国陸軍の歩兵連隊を高崎市ゆかりだからという理由で、戦後生まれの大学が、民主主義になった筈の高崎市で市民公開して演舞している。それを誰もおかしいと異議を唱えないのもまた不思議な話。たとえばドイツのある大学でナチスドイツの親衛隊を讃えて、ある学生団体が集会を開いたらどうか。すぐにニュースになり、抗議が世界中から殺到することであろう。高崎経済大学はどうか。プッ。この大学では大学という存在感があまりにもない。世界ランキングはもとより、誰も相手にしないのが実情であろうと強く思う。笑

「歩兵第15連隊とは、大日本帝国陸軍の歩兵連隊のひとつ。 西南戦争後の軍備拡張によって、群馬県高崎市にて創設された。 日清・日露戦争から、満洲・上海両事変、支那事変、太平洋戦争とほぼすべての戦役に参加。 終戦時はパラオにあった。ウィキ」

高崎経済大学は東南アジア中心に海外留学生が公立大のなかでは多いと記事で読むが、その留学生たちの存在すら薄い。なかなか優秀な人材は来ないのだろうと予想できる。たとえば比較に出すが、よく報道される香港の学生デモ。香港にある大学の学生たちが中国政府による人権や自由のはく奪を黙ってみていない。禁止されていても街で抗議デモを繰り返し、中国政府と対立する。それが卒業後の就職に悪影響がでることも中国警察にぼこぼこにされることが分かっていてもだ。それほど自由や人権のはく奪は無視できないのだ。それが理解できる頭脳がそこにある。それもそのはず香港にある大学群は世界ランキングでも東大に肩を並べている。またこの小さな香港島の大学群が数でも日本全体よりも多く、トップ100に世界ランキング入りをはたしているのも驚愕に値する。
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386凡人:2021/12/17(金) 15:37:01 ID:nn/aNH/60
あなたは平和な社会を築くことは嫌いですか?隣国と仲良くすることは嫌いですか?それともあなたは戦争が好きですか?暴力団がすきですか?ヤクザやギャングが好きですか。そんなあなたにピッタリのこの動画を捧げます。

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YouTube動画
群馬の暴力団事務所13
453,901 views Sep 3, 2021
https://youtu.be/DyJbRUE_nlY

鮪アンダーグラウンド
群馬県内の暴力団(ヤクザ)の事務所を13ヶ所ご紹介します。(※的屋を含む。)

群馬県[令和2年末現在]の構成員数は510名で、うち4割が稲川会、3割が松葉会、山口組と住吉会がそれぞれ1割で、このほか神戸山口組や絆会なども進出しています。

特に近年は、稲川会と住吉会、山口組、半グレが入り混じって度々衝突しています。TwitterやYouTubeに動画がアップされ、バズっていますね。

   目次
 ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
0:00 オープニング
0:22 前橋一家(稲川会)
0:39 前橋一家(稲川会)[跡地?]
0:57 寄居分家(的屋)
1:15 高橋組(山口組)
1:35 上州共和一家(稲川会)
1:52 大久保一家(松葉会)
2:12 浜田組(山口組)
2:33 岩崎組(稲川会)
2:59 大前田一家(住吉会)
3:16 田中一家(稲川会)
3:33 栗山一家(山口組)
4:02 寄居宗家(的屋)
4:28 江戸屋一家(稲川会)
4:34 エンディング

【その他、群馬県内の団体】
 [前橋市]細渕組/小田組
 [高崎市]新門宗家/荻野連合/龍侠会
 [富岡市]今村組
[みどり市]上州国定一家
 [桐生市]須永一家
[伊勢崎市]久保田組
 [太田市]幸竜会/晃竜会
 [館林市]板橋組
  [不詳]中島組/中野組/五町田/伴内
      古島組/堀越組/塚越総業/嬬恋
      富澤総業/富田組/小出総業/岡田組
      戸山興業/植田組/牧野/猪又
      田嶋組/石塚組/茂木総業/観音
      野村総業/高橋総業
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387凡人:2021/12/17(金) 17:33:52 ID:nn/aNH/60
香港の学生デモと「圧殺の森」

香港の学生デモに触れたが、それについてもう一つ言いたいことがある。ビデオとはいえ、中国警察の暴力的逮捕で、学生デモに参加した女子学生を含めて多くの学生たちがけがをして、血を流している悲劇を目撃するほど悲惨なことはない。

高崎経済大学もかつては大学生らしい、または大学を大学と呼べる時期があった。それは「圧殺の森」という映画におさめられたりした一連の高崎経大生による学生デモだ。それを頂点とした学生による大学側への民主化要求運動。それには教職員も参加していた。以前にはまともな教員がいたのである。笑 ここ近年の香港の学生デモとは共通点がいくつもあることに気付く。あるビデオの光景には香港のデモ学生たちとそこの地元の暴力団・ヤクザ(あちらではなんと呼ぶのか知らない)とやりやっている映像。そこの暴力団は中国政府の肩を持ち、応援者として、学生デモを暴力で抑えようとしているのであった。それを見て、「圧殺の森」の先輩たちを思い起こす。

高崎経済大学での民主化運動のときには学生応援団員が大学側の手と足となって、デモ学生を抑えようとした。それもそのはず、当時は縁故裏口入学をも大学に要求する右翼市長もいるし、中曽根康弘氏は政界で活発、佐藤内閣に入閣。応援団を手塩に掛けた、天皇制万歳の三潴信吾氏が多分当時学生部長をしていたであろう、そんな大学側とその片棒をもつ学生応援団に対して学生がデモで民主化要求運動。暴力団も応援団も似たようなものである。そういうと応援団員は否定するだろうが、頭のいい学生だったら、そもそも暴力団と間違われる行動や突っ張り態度は一切取らないし、服装も髪型も身に着けはしない。これほんの常識。だいいち応援団の育て親の三潴氏は暴力団幹部と関係しているのでその境界線は限りなきゼロに近い。笑。そういうことで、つまり国や場所や時代が違っても、まったく同じことが起こっていることに目をみはる。それを目撃して、他人事ではない感情が湧き上がってくるものがあった。

388凡人:2021/12/23(木) 04:17:49 ID:nn/aNH/60
高崎市発展の足を引っ張る高崎経済大学。

高崎市はここ数年マンション建設ラッシュが続くという記事を読む。その建設は新幹線が通る高崎駅近辺に集中している。そのラッシュは以前にもあったようだが日本経済のバブルと時を同じにしていないところが大きな違いだろう。駅前は人気で、マンションを作ってもすぐ売れという。それによって市の人口が増えればまったく問題ないが、そうなっているのかとても気になるところ。もしもマンション購入が投機性を帯びていれば、建設ラッシュは長くは続かないからだ。

人口は三流二流都市から一流都市に流入すると前の投稿に書いた。その都市が一流か二流かは何によって測れるか?その都市を代表する大学機関を見るのが一番手っ取り早いと思う。アメリカのカリフォルニア州を代表する2大都市であるサンフランシスコ市とロサンゼルス市に例を取ろう。サンフランシスコ市には大学世界ランキングで遥か東大を凌ぐカリフォルニア州立バークレイ校やスタンフォード大学が近くに控えている。サンフランシスコがアメリカのモスクワと揶揄する人がいるぐらい、60年代に流行ったヒッピー文化を生み出すような、バークレイには進歩的な学生がたくさん集まることで知られている。また世界の各都市が目指すような、その郊外にシリコンバレーが生まれたのはまったくの偶然ではないと強く思う。

ロサンゼルス市には州立大のUCLAや学生数が少ないので巷では目立たないがカルテックというMITにも勝るとも劣らない私立のカリフォルニア工科大学が存在する。当然どれも東京大学よりも世界ランキングが上で、前にも話したがUCLAへの日本人留学生を知る限り、その学院生は多くが東大卒である。カルテックはロサンゼルス市内ではなく、LAのダウンタウンから車で20分もかからない郊外のパサデナ市に存在するが、ここでは便宜上含めている。随分前であるが、そのパサデナ市に住んでいた時に、唯一出会った工科大の日本人留学生は東大卒と言っていた。バークレイやUCLAにもノーベル賞授賞者は珍しくないが、カルテックに関係する卒業生や教員の過去のノーベル賞授賞者の数が半端ではない。二桁台である。アインシュタインがプリンストン大学に行く前に夏の短期間滞在した大学でもある。いまでも彼に職を与えなかったことを悔やんでいる大学である。もし記憶が正しければカリフォルニア州の経済力は他の国々の経済を比較しても世界7位だ。市税が高くて、有名な企業がテキサスなどの他の州へ工場を移す傾向があるが、それでも人口が増えている。だから家賃や生活費が軒並み上昇して止まらない。

では高崎市は何流?市立高崎経済大学で測れば四流、良くみても二流/三流止まりの都市だろう。70年以上経っても県内の自治体がまったく進歩していないことを証明する文句が書かれた上毛かるたを後生大事にしている、まるで中世都市を思い起こすようなそんな存在だ。毎年商業都市で稼いだお金を投入して、他から真似したいろいろな恒例集客イベントを行っている知る人ぞ知る都市だ。その催し物、例えば映画祭や音楽祭、マーチングフェスティバル、パスタコンテストなどなど、たくさんある。一見進歩的だが、まったくそうではない。共通点はほんの例外はあるとしても、高崎経済大学を象徴する反民主主義色の街だけあって、すべて税金を頼りにした市役所役人や商工会議所主導。主催者側の透明感はない。金の切れ目が縁の切れ目というように、金がなければ存続がままならず。ユニークさやアイデア足らず、それに規模や中身がイマイチだから、地方行事止まり。どれも世界どころか、日本一すらなれず、中途半端感が半端ではない。笑。

390凡人:2022/03/19(土) 10:27:01 ID:nlUuJDLI0
ウクライナの惨状を、毎日ニュースを最近買った55インチのスマートテレビでみている。

プーチン大統領のロシア侵攻は過去の大日本帝国の天皇軍が富国強兵を武器に、隣国の中国・朝鮮半島を侵攻したのを思わせる。世界第3位の戦力と核・水素爆弾爆弾を保有し、世界第2位の石油ガスの輸出国を誇るロシアにとって、ウクライナ奪取はシリアや2014年クリミア半島の奪取と同様乳飲み子の腕をひねるように簡単。世界によるサンクションを受けても、打撃は限られている。過去とどうように切り抜けられる。だいいち世界第二位の経済力をもった中国が無二の仲間である。ただただ世界は目を瞑るか、沈黙はするしかないとでも高をくくっていたに違いない。

スターリンをまねた、ヒットラー顔負けの残虐なロシアの独裁大統領がプーチン。元KGBのヤクザのドン。国内の政敵を次々と暗殺または獄中に送る。大統領選挙は事実上ただの見せかけ。ロシアには民主主義は存在しない。プロパガンダと富で国民を操っている。まるで、大戦前の天皇制下の日本を思わせる歴史的シナリオが展開されている。プーチンの頭脳的限界がつくりだした自らの政治生命の終わりを告げる序章である。

391凡人:2022/03/19(土) 10:30:03 ID:nlUuJDLI0
高崎経済大学はヤクザ大学。

暴力団もどきの低能によって大学が管理運営経営されているという意味。今は分からないが、当時高崎経済大学の学長三潴信吾氏が暴力団幹部と関係を持っていたことでも知られる大学。つまり暴力団幹部が学長室に出入りしていたというのである。だから、それほどかけ離れたことは言っていない。早稲田大学や東大出身の反主流・右翼思想家の教員たちに乗っ取られた高崎経済大学。平和憲法下に創設された大学。それなのに、平和憲法を無視、民主主義を全く解さないあるいは無視している大学。戦時中に従軍慰安婦制に大きく関わった右翼政治家・中曽根康弘氏の思想路線を堅持し誇っている大学。天皇軍の「高崎15連隊」を絶賛する応援団が高崎経済大学の象徴として君臨し、大学トップ幹部の支援や愛護を最大限に受けていることからもうかがわれる。その大学の体制の起源は学生部長や学長時代をへた三潴信吾氏の時代に戻る。

世界が希求する平和、団結を象徴するオリンピック。その夏と冬のオリンピックが、コロナ禍で例年になく去年に東京と今年北京で開かれ無事終わった(プレリンピックはロシア選手を排除して開催中)と思いきや、ロシアが隣国のウクライナに武力侵攻。ジョンレノンの世界平和を謳った「イマジン」が北京オリンピックの閉幕式に流れたのはなんともオリンピックに相応しいが、ロシアの武力侵攻を考えると皮肉にしか思えない。ウクライナ侵攻後、ある世界大会の体操競技で3位になったロシアの選手がロシア侵攻を支持を表明する服装で表彰台に上がったというニュースを見た。一位に輝いたのはウクライナ選手だそうだ。国を代表する運動選手というのは愛国心が強いのは分かるが、その行為から物事の正しさがまったく判断できない頭脳足らずをただ単に露呈している。運動選手というものはそんなものなのだろう。高崎経済大学がなぜ運動部に力を入れていることがわかる。ただ違うのはその成績がまったくさえないというだけであろう。笑。優秀な運動選手というものはそもそも政治に関しても常識は心得ているものである。内情はよくしらないが、安倍晋三首相からの国民栄誉賞を断った野球選手、鈴木イチロー氏もそんな一人であろう。高崎経済大学は例外はあるとしても、そういう頭のいい優秀な運動選手が入学しない大学でもある。

ー天皇軍が戦時中に隣国で為した悲惨な出来事が、戦後遠い昔になって尚、明らかになっている。死人にくちなしである。これはBBCが伝える新事実。この高崎経済大学の大学幹部の頭脳の中身が大きく問われるとはおもわないか?
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-47986990
https://www.bbc.com/news/world-australia-47796046

392凡人:2022/04/07(木) 16:29:02 ID:nlUuJDLI0
血に染まった(悪魔が宿る、脳みそがない)高崎経済大学。

プーチン大統領のロシア軍がアメリカの警告を無視してウクライナに武力侵攻。今も戦闘が繰り広げられて早2か月目を迎えるウクライナ戦争。局地戦争が世界に波紋を投げかける。侵攻ロシア軍はウクライナ兵士はもとより、一般市民を含め無差別に殺戮を繰り返しているニュースが写真ビデオ等でいち早く報道されている。病院、学校施設、団地や住宅地、避難所への無差別攻撃と破壊、市民への拷問や婦女子への強姦そして虐殺も証言されている。それらのニュースは忘れかけていた大日本帝国の天皇軍が隣国の朝鮮半島、中国大陸や南方アジアで犯した悲惨極まりない悪事の過去の歴史を再び呼び起こす。

直属高崎経済大学応援団が崇拝する高崎15連隊とは何ぞや?大日本帝国陸軍の歩兵連隊のひとつで、高崎で生まれた高崎15連隊。簡単にいえば大日本帝国の侵略戦争に、手と足になって戦った武力部隊。頭脳集団ではない。忠誠心や勇気が肝心。その命令がいかに非道であっても、ただ受けた命令を、忠実に実行する人間集団である。南方で玉砕。戦争前、戦争中に戦場で何を実際何をやったか証言がないため、詳しくは知らない。とはいえ、侵略戦争で天皇軍が中国大陸で中国人に対して為した行為はたくさんの記事や写真が残されているので、想像ができる。いま毎日ニュースで報道されている侵攻ロシア軍の為したウクライナ市民への戦争犯罪行為と重なって見えるのは私だけであろうか。そんな殺人集団を崇拝する大学がまさに高崎経済大学である。大学教育を受けるよりも自衛隊に入ったほうが似合っている学問能力レベルの大学進学志望の高校生が高崎はもとより、全国からたくさん入学してくるのであろうと推測する。笑い。

なおウクライナの戦争難民を両手を広げて受けているトップの国が隣国のポーランドである。そのポーランドにあるヴロツワフ経済大学(WUE)という公立大学との交換留学プログラムを数年前から発足させた高崎経済大学。なぜポーランド?高崎市の市役所とポーランドとの経済的交流が縁。民主主義を解せない能力レベルの高崎経済大学生たちとポーランド人学生たちとのグローバルな交流とは何ぞや。その意味ってなんだ。そしてそこに何を期待できるか?学問的にあまり期待しないほうがよい。ポーランドに限らず、高崎経済大学学生の留学体験記を覗いてみる機会があるが、学生のその知的能力を測るバロメーターとして大いに役立っている。笑い。

学生を非難しているのではない。60年を超える長い年月を経って、こんなにも優秀な学生にそっぽを向かれている大学、今の高崎経済大学にしてしまったのは過去や現在の大学経営者や教員たちだからだ。彼らが最大の原因であり、責任を大きく負う。いくらでも大学関係者は変えることができる(できた)にもかかわらず、それをやらない。イデオロギーにかたまって、現実が見えない明盲のグループ集団であると言わざるを得ないのである。

393凡人:2022/04/09(土) 13:14:51 ID:nlUuJDLI0
ウクライナ侵略戦争と圧殺の森

ソ連軍のウクライナ侵略戦争を見ていると高崎経済大学に民主化を掲げ大学改革を要求し、大学側と正面衝突した学生と教員の一連の自由化運動「圧殺の森」事件を思い起こす。

時間と空間や当事者に大きな違いがあるものの、大きな共通点を見る。ウクライナ民主主義国家とロシア独裁国家の対決。善と悪との戦い。未来と過去との戦い。それは民主化・自由化によって教育・文化・科学・産業の発展が期待できる未来と独裁による権力によるイデオロギー統制と自由が否定された過去との戦い。「圧殺の森」では民主化を要求した学生・教員側の願いは聞き入れられず、学生の大量退学でもって、一掃され鎮圧された。大学側の行動に反対した多くの教員たちは自主辞任した。そして現行の平和憲法を全面否定する三潴信吾体制が高崎経済学に確立した。この大学は先の創立60周年記念には、お酒。そして現在にいたっている。だが、今回のウクライナ戦争では戦力で絶対的不利なウクライナ。それでもアメリカを先頭に民主主義を信じる国の軍事援助で、ウクライナ側の全面的勝利を期待してやまない。

394凡人:2022/04/09(土) 14:10:47 ID:nlUuJDLI0
ウクライナ侵略戦争と圧殺の森

ソ連軍のウクライナ侵略戦争を見ていると高崎経済大学に民主化を掲げ大学改革を要求し、大学側と正面衝突した学生と教員の一連の自由化運動「圧殺の森」事件を思い起こす。

時間と空間や当事者に大きな違いがあるものの、大きな共通点を見る。ウクライナ民主主義国家とロシア独裁国家の対決。善と悪との戦い。未来と過去との戦い。それは民主化・自由化によって教育・文化・科学・産業の発展が期待できる未来と独裁による権力によるイデオロギー統制と自由が否定された過去との戦い。「圧殺の森」では民主化を要求した学生・教員側の願いは聞き入れられず、学生の大量退学でもって、一掃され鎮圧された。だがその学生運動は当時としては珍しいものであった。その学生運動がその後に続く、東大を含む日本の多くの著名大学の学生闘争に波及していった。大学運動に対して賛否の議論はある。民主主義を解さない学生がやる運動は過激派の餌食になる。そして暴力団顔負けの内ゲバに発展する。それはさておき、あくまでも高崎経済大学の当初の学生運動は大学の不当な処分や対応に直面する前は、純粋に民主化運動であったと確信する。そしてその後に続く学生運動の先駆けとして位置されていることは特筆されるべきであろう。高崎経済大学の民主化運動後、大学側の反応に反対した多くの教員たちは自主辞任した。それをもって現行の平和憲法を全面否定する三潴信吾の体制が揺るぎないものとして高崎経済学に築かれた。この大学の頭脳レベルを示すエピソードがある。創立60周年記念には「三扇」という大学名もレベルについたオリジナル日本酒が市販されたことが大きな自慢である。笑い。暴力団幹部と盃を交わした元学長の三潴信吾の笑顔がイメージとなって現れる。

今回のウクライナ戦争にはウクライナが勝たねばならない戦争である。ヤクザで嘘つきプーチンが指揮する独裁大国ロシア軍を打ち負かさねばならない戦争である。戦力で絶対的不利なウクライナ。罪なきウクライナの市民、女子供さえ、拷問・強姦・虐殺とその悪魔たちの手は容赦なく襲う。今は遠い過去であるが、南京虐殺を含め大日本帝国が送った天皇軍の凶悪さとまったく瓜二つなのに驚く。アメリカを先頭に民主主義を信じる国の軍事援助の元、ウクライナ側の全面的勝利を期待してやまない。

395凡人:2022/04/11(月) 18:58:03 ID:nlUuJDLI0
国際学術交流
国際的な学術交流の推進の為、海外の大学との国際シンポジウムの開催や共著の執筆などを実施しています。

令和3年度
共著の執筆
国際的な学術研究の成果として、ヴロツワフ経済大学(ポーランド)と本学教員の共著が出版されました。

《タイトル》
「Current Trends in the Global Economy, From the Perspective of Japanese and Polish Economists」
 edited by Bogusława Drelich-Skulska, Mami Hiraike Okawara
(出版元:Publishing House of Wroclaw University of Economics and Business 2021)

《本学教員の執筆テーマ》
・Recent trends of mega-regional integration and global value chain upgrading in the Asia-Pacific region(経済学部 教授 藤井 孝宗)
・Disciplines of industrial subsides: issues and directions for improvements in the changing world(経済学部 教授 梅島 修)
・Production network of the automobile industry in the Greater Mekong Sub-Region: a comparison to Europe(経済学部 教授 野崎 謙二)
・Comparing the roles of residents in the resort town of Karuizawa in Japan and residents on Martha’s Vineyard in the US(高崎経済大学 名誉教授 大河原 眞美)


令和元年度
国際シンポジウムの開催
・「世界的文脈からのネットワーク経済の新潮流:日本とポーランド」ヴロツワフ経済大学(ポーランド)【10月15日・ポーランド開催】
・「民生移管後のタイ:ビジネスにとって好機となるか」メーファールアン大学(タイ)【12月13日・日本開催】

       メーファールアン大学(タイ)
       メーファールアン大学(タイ)

平成30年度
国際シンポジウムの開催
・「アジアとヨーロッパの経済交流」ヴロツワフ経済大学(ポーランド)【7月3日・日本開催】

      ヴロツワフ経済大学(ポーランド)
      ヴロツワフ経済大学(ポーランド)

396凡人:2022/04/11(月) 19:15:01 ID:nlUuJDLI0
https://www.ue.wroc.pl/p/english/news/current_trends_in_the_global_economy_table_of_contents_and_intro.pdf

Contents
Introduction .......................................................................................................... 7
Part 1. Macroeconomic Trends in the Global Economy............................ 15
1. Recent trends of mega-regional integration and global value
chain upgrading in the Asia-Pacific region (Takamune Fuji).... 17
2. Disciplines of industrial subsidies: issues and directions for
improvements in the changing world (Osamu Umejima).......... 29
3. From cybersecurity to economic security – the EU and the
Polish perspective (Bogusława Drelich-Skulska, Paweł Brusiło) .. 73
References .............................................................................................. 105
Part 2. Challenges of Economic Cooperation – the Mesoeconomic
Perspective.................................................................................................... 115
4. Network markets: cooperation and competition shaped by
the network effect (Szymon Mazurek)........................................... 117
5. Production network of the automobile industry in the Greater
Mekong Sub-Region: a comparison to Europe (Kenji Nozaki).... 133
6. Industrial cooperation as a form of transfer of arms and
military equipment (Przemysław Skulski) .................................... 148
References .............................................................................................. 163
Part 3. Cultural Aspects of the Global Economic Phenomena ................ 167
7. Comparing the roles of residents in the resort town of
Karuizawa in Japan and residents on Martha’s Vineyard in
the US (Mami Hiraike Okawara)..................................................... 169
8. Communication issues related to the cultural diversity of
clusters (Anna H. Jankowiak).......................................................... 182
References .............................................................................................. 194
List of figures ........................................................................................................ 196
List of tables .......................................................................................................... 197

397凡人:2022/04/11(月) 19:17:45 ID:nlUuJDLI0
Introduction
Globalization is a multidimensional phenomenon concurrent with humankind’s
development over the last few decades, or even centuries, as some authors believe.
Nowadays, no area of our lives escapes the influence of globalization. The
introduction of the term ‘globalization’ in the economic domain is attributed to
T. Levitt, who conducted deliberations about the impact of new technologies on the
foundation of global markets of standardized goods, and the role of transnational
corporations in these processes. Levitt’s insights were presented in the article entitled
The Globalization of Markets1 published in 1983. Since then ‘globalization’ has become
one of the most frequently used terms in scientific literature and journalism.
This monograph – developed by Japanese and Polish researchers – primarily
focuses on the economic and cultural aspects of globalization, as these factors,
together with technological changes, constitute the basis for this process. It is worth
underlining that modern technologies were the inducement for creating new
foundations and additional incentives to explore the previously known motives for
the development of economic activity. Such technologies involve the production
technologies, the supply of services, and the various aspects, for instance those
related to transportation, communication, and data processing.
At the same time, it turned out that the permanent pursuit of profit maximization
carried out by numerous economic actors, including enterprises and individuals,
causes multiple distortions associated with globalization. This observation indicates
the necessity of some coordination of action rules on an international scale, lacking
in the current stage of the development of globalization.
However, in this author’s view, the development of globalization, despite the
disadvantages and distortions that it causes, is inevitable unless the world is
unexpectedly devastated by some contingency. Technological progress, together
with knowledge, gives us the following tools to overcome future obstacles and
accomplish new findings, even though the world economy may be temporarily
experiencing periods of the curtailment global integration curtailment, ‘black swans’
such as COVID-19.
This monograph aims to study and present selected challenges that arise from
globalization and discuss the above-mentioned issues from the macroeconomic or
mesoeconomic perspective and also considers the cultural aspects of the global
economic phenomena.
1 T. Levitt (1983), The globalization of markets, “Harvard Business Review” (May-June), pp. 92-102.

398凡人:2022/04/11(月) 19:22:47 ID:nlUuJDLI0
8 Introduction
The deliberations included in the monograph represent a broad spectrum of topics
that constitute a review of the current trends and phenomena in the global economy.
The perspective of the Polish and Japanese economists translates into the high
diversity of discussed subjects and reflects the multidimensional challenges that
occur in the today’s globalized world.
The first part includes three chapters that give a brief overview of macroeconomic
trends in the modern globalized economy. Like in Asia Pacific, some regions have
already become one of the world’s leading regions of economic growth and regional
economic integration. In this context, the author of the first chapter begins by
presenting a review of the modern trends of negotiations over free trade agreements
and regional trade agreements in the Asia-Pacific region, followed by a research and
literature review about the expansion of the Asia-Pacific global value chains. This
study explains the existence of the two substantial agreements that include
a structure established by the ASEAN and individual associated countries and the
Trans-Pacific Partnership (currently transformed into the Comprehensive and
Progressive Agreement for Trans-Pacific Partnership). Moreover, the study of global
value chain networks in this particular region shows that their development is
intertwined with the growing number of participating countries and continually
involves numerous small developing countries. However, it also finds little evidence
that participation in global value chains by the Asia-Pacific countries translates into
their economic growth.
The next chapter investigates the various aspects of disciplines on industrial
subsidies. In this study, the author examines the effectiveness and insufficiencies of
disciplines of the industrial subsidies in the present provisions of the WTO
Agreement on Subsidies and Countervailing Measures (the SCM Agreement). The
analysis is extended with suggestions aimed to strengthen the above-mentioned
disciplines, including potential solutions and forums to resume the disciplines’
effectiveness, based on what we have experienced in the last quarter of the century.
The last chapter in this part presents an overview of the other crucial global trend
that involves the changes and challenges in the area of cybersecurity. Firstly, the
authors described the evolution of the cybersecurity concept in the context of
economic security. The conducted analysis reveals that cyberspace security has
already become a substantial determinant of economic security, since the information
and communication technologies irreversibly change fundamental areas of human,
entrepreneurial and institutional activities. Furthermore, the role of cybersecurity
that constitutes economic security nowadays was investigated both on international
and national levels. The authors conducted two case studies of the EU and Polish
cybersecurity systems and strategic approaches, which then allowed to offer their
insights towards the diverse cybersecurity issues, and provide recommendations in
the field of cooperation between various stakeholders.

399凡人:2022/04/11(月) 19:26:36 ID:nlUuJDLI0
Introduction 9
As distinct from the previous part, the second part of the monograph discusses the
various aspects of the challenges of economic cooperation from the mesoeconomic
perspective, which involve analysing the changes at sectoral or industrial level that
differed from either micro or macroeconomic view.
The first chapter begins by examining the rising significance of relationships and
interactions between market participants, which lay the foundation of the network
market concept based on network structures and network effects. Moreover, the
author indicates the determinants of a company’s success in network markets,
including the dynamics of the growth of a network created or used by the enterprise.
In addition to these deliberations, the chapter outlines the other vital aspects of
network market phenomena such as the factors shaping a market player’s network
position, the changes in market participants’ behaviour under the influence of the
network effect, and the characteristics of the concept of the network good.
The discussion about the network markets and the forces and mechanisms that
determine them is followed by another challenge of economic cooperation at
mesoeconomic level. First, the chapter discusses the growing importance and
strength of an economic linkage between industrializing Vietnam, Cambodia, Lao
PDR, Myanmar, and the Greater Mekong Sub-region, potentially leading to the
formulation of the regional production network. The study investigated the structure
of the automobile industry’s production network in the Greater Mekong Sub-region
by implementing methods such as the Grubel and Lloyd index and the unit value
ratio of exports and imports to decide the types of division of labour in the process
of production. Additionally, this research was expanded with a comparative analysis
of the European and North American cases, which allowed the author to conclude
that the production fragmentation network in the Greater Mekong Sub-region is still
in the early development stage.
The last challenge, which is addressed in this part, involves discussing industrial
cooperation in the form of the transfer of arms and military equipment. The author
of this chapter underlines the significant role of industrial cooperation in international
business and its various forms such as strategic alliance, joint venture, licensing,
subcontracting, and teaming agreements. In this chapter, the author also examined
the forms of industrial cooperation in the defence industry from the perspective of
the international transfer of arms and military equipment, which allowed to
underline two groups of determinants that influence industrial cooperation in the
arms sector and its spectrum. Moreover, the author outlined the way of acting on the
part of government institutions and the arms sector’s functioning as the determinants
that set favourable conditions for industrial cooperation.
The selected issues regarding the cultural aspects of the global economic phenomena
aspects are discussed in the last part of the monograph. The first chapter begins with
a case study of Karuizawa, a summer resort in Japan, and the locally adopted

400凡人:2022/04/11(月) 19:27:38 ID:nlUuJDLI0
10 Introduction
residential strategies aiming to act in response to vital environmental protection issues.
This study gives an overview of the strategic approach that involves different
instruments implemented by Karuizawa decision-makers, including diverse tax rates,
management fees and prices addressed respectively to local residents and vacation
homeowners. It is worth emphasizing that this approach is based on the cooperation
of residents and non-residents. Furthermore, the author compares the Japanese resort
with Martha’s Vineyard, a US island, which represents the opposite approach, where
the local residents play a crucial role in the island’s environmental issues.
The final chapter of the monograph examines communication issues related to the
cultural diversity of clusters, starting with a presentation of crucial assumptions that
clusters are nowadays a specific combination of enterprises, science, and local
authorities, which is considered a determinant of innovation and competitiveness
growth involving associated companies and the hosting regions. Moreover, the
clusters stimulate the information flow and the exchange of experience and
knowledge between the participants. However, efficient communication may be
potentially disrupted since the involved companies originate from culturally diverse
regions and countries. This chapter aims to present these communication issues
related to the existence of cultural differences in clusters by giving the example of
the Toyota cluster – a Japanese cluster located in Poland.
The composition of the chapters reflects the complexity of tendencies that take place
in a globalized world economy. The presented deliberations, studies, conclusions,
and recommendations are the results of scientific research conducted by Polish and
Japanese economists. Moreover, this monograph could not be developed without the
international cooperation between researchers from the Asia-Pacific Research Centre
at the Wroclaw University of Economics and Business and the Takasaki City
University of Economics.
Being a mosaic of diverse research subjects, this book is dedicated to readers who
look for multidimensional insights into the modern trends and phenomena occurring
in the global economy. Considering the broad spectrum of the discussed issues, this
monograph is recommended to students of economics who want to acquire
knowledge about the selected tendencies, to researchers who would like to broaden
their knowledge in the area of current trends in the globalized world economy, as
well as entrepreneurs and business practitioners seeking information about the
cultural aspects of the global economic phenomena.
The authors of the introduction firmly believes that this monograph will provide
readers with valuable information about the events and trends observed in this
century and contribute to deepening the debate about the influence of selected
aspects of globalization on the modern world economy.
Bogusława Drelich-Skulska
Mami Hiraike Okawara

401凡人:2022/04/11(月) 19:29:55 ID:nlUuJDLI0
序論
グローバリゼーション(Globalization)とは、研究者の間でも指摘されているよう
に、この数十年、いや数世紀にも亘る人類の発展と共に生じた多次元の現象であ
る。今日、私たちの生活においてグローバリゼーションの影響から逃れられる分
野はない。経済分野における「グローバリゼーション」という用語は、セオド
ア・レビット氏によって導入された。レビット氏は、グローバル市場の規格品を
基盤にした新しいテクノロジーの影響、及びこれらのプロセスにおける多国籍企
業の役割について研究を重ねてきた。レビット氏の見解は、1983年に発行された
論文『The Globalization of Markets1
』で著されている。それ以来、「グローバ
リゼーション」は科学文献やジャーナリズムで最も頻繁に使用される用語の1つに
なったのである。
本書は、日本とポーランドの研究者によって作成され、主にグローバリゼーショ
ンの経済的および文化的側面に焦点を当てている。これらの要因は、科学技術の
変化とともに、このプロセスの基盤を構築している。現代科学技術が誘因となっ
て新しい基盤を構築し、さらに、経済活動の発展のための既知の動機を探究する
ための誘因となっていることは強調に価する。このような科学技術には、生産技
術、サービスの提供、そして、輸送、通信、データ処理関連などのさまざまな側
面も含まれている。
それらに加えて、企業や個人などの多くの経済主体による利潤最大化の永続的な
追求が、グローバリゼーションに関連する多様な歪みを引き起こすことが明らか
になった。この現象を熟視すると、現段階のグローバリゼーションの発展に欠け
ている、国際的な規模での行動規則の調整が必要であることがわかる。
しかしながら、グローバリゼーションの発展は、それが引き起こす不利な点や歪
みにもかかわらず、世界が何らかの不測の事態によって予期せずに破壊されない
限り、回避できないと我々は考える。世界経済が新型コロナウイルス感染症のよ
うな「ブラック・スワン」と呼ばれるグローバル統合の縮小時期を一時的に経験
したとしても、知識と科学技術の進歩は、将来の障害を克服し、新しい発見を達
成するための手段を人類に提供するのである。
本書は、グローバリゼーションから生じた課題を選んで提示し、研究し、そし
て、マクロ経済またはメゾ・エコノミックスの観点から上記の課題を論じ、さら
に世界経済現象の文化的側面を考察することを目的としている。
本書で書かれている論考は、世界経済の現在の動向と現象の再検討のために幅広
いテーマを扱っている。ポーランドと日本の経済学者の知見は、この本書の高度
な多様性を包含した論考へと形を変え、そして今日のグローバル化した世界で生
じる多次元の挑戦を映し出している。
1
T. Levitt (1983), The globalization of markets, “Harvard Business Review” (May-June), pp. 92-102.

402凡人:2022/04/11(月) 19:31:04 ID:nlUuJDLI0
12 Introduction
第一部には、現代のグローバル化された経済におけるマクロ経済の動向の概要を
簡明に解説する三つの章がある。アジア太平洋地域と同様に、一部の地域はすで
に経済成長と地域経済統合を世界的にリードする地域の1つになっている。これに
関連して、第1章では、まず、アジア太平洋地域における自由貿易協定と地域貿易
協定をめぐる交渉の現代傾向について批評し、次に、アジア太平洋のグローバ
ル・バリュー・チェーンの拡大に関する研究と関連文献の検証を行っている。本
研究は、ASEAN(東南アジア諸国連合)、個々の関連国、環太平洋パートナーシップ
協定(現在の環太平洋パートナーシップに関する包括的及び先進的な協定
〔CPTPP〕)によって築かれた構造を含む二つの実質的な協定を解説している。さ
らに、この特定の地域におけるグローバル・バリュー・チェーン・ネットワーク
の研究は、この地域の開発が参加国の増加と絡み合い、多数の発展途上国とも継
続的に関与していることを示している。しかし、アジア太平洋諸国によるグロー
バル・バリュー・チェーンへの参加が、参加国の経済成長に繋がるという証拠は
ほとんど見出せないのである。
次の章では、産業補助金に関する諸領域を多面的に検証する。この研究では、WTO
協定の一つである補助金及び相殺措置に関する協定(SCM協定)について、最近の
産業補助金に対する諸規律の効果と不十分性を考察する。そして、過去四半世紀
の我々の経験を踏まえ、SCM協定の規律を取り戻しさらに強化するための解決策や
そのためのフォーラムなどについて提案している。
第1部の最後の章では、サイバーセキュリティ分野における変革と挑戦を含む、
もう一つの重要な世界的動向について概観する。まず、経済的セキュリティの観
点からサイバーセキュリティ概念の進化について解説する。分析結果から、情報
通信技術は人間、起業家、および組織的活動の基本的な領域を不可逆的に変化さ
せるので、サイバースペースのセキュリティがすでに経済安全保障の実質的な決
定要因になっていることが明らかになった。さらに、今日の経済安全保障を構成
するサイバーセキュリティの役割について、国内外レベルで調査した。欧州連合
とポーランドのサイバーセキュリティシステム、および戦略的アプローチに関する
二つのケーススタディを実施し、さまざまなサイバーセキュリティ問題についての
知見を得ることができ、多様な利害関係者間の協力分野における提言を行った。
第2部は、第1部と異なって、メゾ・エコノミックスの観点から、経済協力の課題
のさまざまな側面について論じる。これには、ミクロ経済やマクロ経済の観点と
は異なるセクターや産業レベルでの変化の分析が含まれる。
第2部の最初の章では、まず、市場参加者間の関係と相互作用の高まる重要性に
ついて検証している。これは、ネットワーク構造とネットワーク効果に基づくネ
ットワーク市場概念の基礎を構築するものである。さらに、企業が作り出し、
利用するネットワーク成長の力学を含む、ネットワーク市場での企業の成功の決
定要因についても述べている。これらの考察に加え、本章では、市場プレーヤー
のネットワークポジションの形成要因、ネットワーク効果の影響下での市場参加
者の行動変化、ネットワークグッズ概念の特徴など、ネットワーク市場現象につ
いて他の重要な側面も概説している。

403凡人:2022/04/11(月) 19:32:53 ID:nlUuJDLI0
Introduction 13
ネットワークの形成、及びそれを決定づける要因についての論考の章の後に、
メゾ・エコノミックスの概念からの経済協力についての取り組みの研究の章が二
つ続く。その一つ目の章では、拡大メコン地域において工業化が進むベトナム、
カンボジア、ラオス、ミャンマーといった後発アセアンにおける経済連携が強化
され、生産ネットワークの形成に向かっている点について議論している。ここで
は、自動車産業における地域内での生産分業について分析している。具体的に
は、Grubel and Lloyd 指数や輸出入単価比較の手法を用いて垂直的生産分業が見ら
れることを検証しており、拡大メコン地域においてフラグメンテーション・モデ
ルが当てはまりつつあることを示している。さらに、本研究では同様の分析をヨ
ーロッパ及び北米でも行い、比較分析の結果拡大メコン地域における生産分業
は、初期的な段階であることを明らかにしている。
二つ目の章では、武器や軍装備品の移転という形態での産業協力について考察し
ている。本研究では、国際ビジネスとその多様な形態(戦略的提携、合弁事業、
ライセンス供与、下請け契約、チーム契約など)における産業協力の重要性を強
調している。また、武器と軍装備品の国際移転の観点から防衛産業における産業
協力の在り方を検証している。それにより、武器部門とその範囲における産業協
力に影響を与える2つのグループの決定要因が明らかになった。さらに、経済協
力に向けて好ましい条件を整える決定要因として、政府機関側の対応と武器部門
の機能についても解説している。
本書の最終部となる第3部では、世界経済現象の文化的側面に注目したテーマでの
論考が集められている。最初の章は、日本の有名な避暑地の軽井沢のケーススタ
ディで、自然環境保護に向けた住民の取り組みを取り上げている。別荘住民と町
民という異なる住民層に対して、異なる固定資産税の算出方法、管理費、住居表
示などが軽井沢町で行われていることを指摘して、この二つの異なった住民層の
意識の共有と協働が町の自然環境保護対策に重要であると論じている。さらに、本
研究では、軽井沢町を米国の屈指の避暑地のマーサズ・ビンニャード島と比較し、
島の環境問題において島民が重要な役割を果たしている点に注目して、島民主体
の環境保護対策を紹介している。
第3部だけでなく本書の最終章となる本章では、クラスターの文化的多様性に関連
するコミュニケーションの課題について考察している。まず、クラスターは、
今日では企業、科学、地方自治体からなる特定の組み合わせであり、関連会社や
それらの受け入れ地域を巻き込むイノベーションと競争力の成長を決定づける要
因と見なされている。さらに、クラスターは、情報の流れと参加者間の経験のや
りとりの刺激剤となっている。しかしながら、クラスターの企業は文化的に多様
な国や地域に源を発するため、効果的なコミュニケーションに障害をきたす可能
性は十分ある。本章のねらいは、ポーランドにある日本のクラスターであるトヨ
タ及びその関連産業の事例を取り上げて、クラスター内の文化のさまざまな違い
に起因するコミュニケーションの課題を提示することにある。
本書の多様な内容の章構成は、グローバル化された世界経済で生じる傾向の複雑
さを映し出している。本書の成果となった考察、調査研究、研究結果、提言は、

404凡人:2022/04/11(月) 19:33:59 ID:nlUuJDLI0
14 Introduction
ポーランドと日本の経済学者によって行われた学術的研究の賜物である。そし
て、本書は、ヴロツワフ経済大学の国際ビジネス学部と高崎経済大学の研究者の
国際的な協力があってこそ出版の運びとなったのである。
多くの研究課題を包含した本書は、世界経済で今起きている動きと出来事につい
ての多次元研究に意欲をもった読者に適している。また、本書で検証された広範
囲に亘る課題から、本書は、それらについて知識を得たい経済学の学生、グロー
バル化された世界経済の現在の流れについての知識を広げたい研究者、世界経済
現象の文化的側面についての情報を求める起業家や実務家にも推奨される。
序論を締めるにあたり、本書が、読者に対して今世紀に見聞きした事象と傾向に
ついての貴重な情報を提供し、現代の世界経済のグローバリゼーションにおける
重要な事象の与える影響や効果についての議論を深めるきっかけになると強く確
信している。
Bogusława Drelich-Skulska
Mami Hiraike Okawara

405凡人:2022/04/11(月) 19:35:16 ID:nlUuJDLI0
高崎経済大学はプーチン大学。(敬称略)

ウクライナ戦争から学ぶもの。

20世紀型の戦争をするロシア軍と21世紀型で対抗するウクライナ軍。反・非民主主義国家と民主主義国家との戦い。悪と善の戦い。それはまるで、第2次大戦中に全面戦争した日本とアメリカのミッドウェイ海戦を思い出す。強大な海軍を誇った当時の大日本帝国が総力で戦いに向かい、だれも勝利を疑わなかった。アメリカ海軍は物量でまったく劣っていたからだ。そんなアメリカ海軍がミッドウェイ沖で、大日本帝国の主力艦隊を壊滅させたのである。遅かれ早かれ、日本の敗戦はすでに石に書き込まれていた。ただそれによって日本の敗戦が早まった。それがミッドウェイ海戦であった。

民主主義は権力乱用の制限、平等と公正な競争が保つ。民主社会では社会に貢献する優秀な者が正しく評価され、その貢献度によってその恩恵を受ける。それが長く継続され、歴史がつくられる。その下での学問、科学、教育においては、いろいろな意見が尊重され、競合し、検証され、評価され、さらなる発展を可能にする。

民主主義とは社会の喧噪をなくす政治形態ではない。むしろ許容する社会である。物事の是非をめぐって、自由に発言が許されるため、大きな喧噪が生まれるのは当然。その喧噪を通して、正しさが決められる政治形態と言える。参加者の多数決で議事が決議されるために、常に絶対的に正しいとは限らない。それでも民主主義下では正しさや公正さは独裁政治よりも遥かに正当性で優れている。そしてサステイナビリティを保証する。独裁政治においては独裁者の先見性や能力技能や知識次第で、上手くゆく場合もあるが、それはむしろまれ。有権者の大多数から選ばれていないために、独裁政治では能力に大きな疑問があるものが権力者になるのが通常。ヤクザのドンとなんら変わらない。国内外の他との競争にはまったくついていけない。北朝鮮の独裁者キム・ナンはまったくのよい例で、他の自由社会、世界から孤立することで、世界の情報を絶ち、国民を騙し続け、何とか自分の権力を保っている。笑い話のの対象になる。長く継続すればするほど、国際から孤立する。そうならざるを得ないのである。社会は後退し、将来の発展性はまったく期待できない。

それは教育機関でも同じことがいえる。高崎経済大学は反民主主義の教育機関。理事会や教員たちはアカデミックで優秀な者としてよりも、イデオロギー思想から選ばれた者たちである。思想偏向の大学として広く知られているために、応募者や候補者の質がすでに限られていると考えられるため、教養のある有能な質の高い資格者は初めから応募しないと見るほうが常識。だから優秀な教員が高崎経済大学の教壇にたつ可能性は極めて低い。仮にいたとしても、すぐ辞任するのが過去の例。だから教員の思想偏向が極め付きで、浅さが目立つ。国際性や広い教養性に大きく欠けてた高崎経済大学の教員の発言や書き込みが目立つ。木が見えても森が見えない教員たち。大学教育のあり方や方向性。いま大学は何をすべきか、何を求め、どこに向かうべきか?木を見ているほうがよほど簡単であるのである。そもそも大学教員が低能であるゆえに教育できないからこそ、学生たちの政治的な発言や自治活動を許すわけがないで制限している。ところが政治的に自己を表現できる学生は優秀な学生であることに気が付く。過去の有名な知識人は他の動物と人間との違いを指して、「人間は政治的動物」である定義した。政治的な行動なしでは人間は生活できないからである。それを否定する高崎経済大学の教員たちの頭がいかにイカレていることか。政治的な正しい発言や行動するには広い知識や読書量が要求される。それをいつも思うものである。

1/2

406凡人:2022/04/11(月) 19:37:00 ID:nlUuJDLI0
この大学は最近になってようやく、他大学を真似て「国際学科」が生まれた。担当教員たちの少なさやその学歴や資質に大きな疑問がある者もいる。その学科はただの体裁だけに思えてならない。

民主主義に反した高崎経済大学。大学教育と民主主義が両立しないまれにみる大学。この大学の将来は公立大学ということで、潰れることがないだろう。しかし何度も書くが、過去の60年年を超える歴史は悲惨そのものである。大学経営への大変革が起こらない限り、教員の質や学生の質は悪くなることはあっても、よくならない。それは少子化で大学進学者が減っていることと同時に、今後も似たような公立大学の乱立が続くことが予想されるためだ。大学は人なり。質の高い優秀な教員や学生獲得競争が大学間競争の核だ。大学発展はそこにかかっている。民主主義に反する高崎経済大学は何度も書くが、学問的にも高等教育機関としても、将来への発展は100%期待できないだろう。
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