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高経大がわかるプログ・サイトPart2

345凡人:2021/04/07(水) 07:17:45 ID:GkhSRDuE0
星野文昭氏の歩み

高経大で学生運動
 星野さんは1966年4月、高崎経済大学に入学。大学では、不正入学を告発した学生運動が巻き起こっており、全学ストライキが闘われていた。大学当局は闘う学生を次々に退学か停学処分にしたが、処分された学生は自治会室に泊まり込んで徹底抗戦していた。
 大学2年になった星野さんは、大学当局の弾圧をものともせず、自ら自治会室に入り込んだ。当時の高崎経済大学闘争の記録映画『圧殺の森』(小川紳介監督、1967年)を撮影した大津幸四郎さんは、星野さんは「正義感の強い人、まじめでナイーブな学生だった」と語っている。
 星野さんは処分撤回闘争の中心を担って闘った。69年6月には全学自治会を再建し、副委員長に就任した。自治会では、毎夜議論しては、ビラを作った。星野さんは絵がうまいこともあり、立て看板の文字をいつも早朝から書いていた。群馬大学の学生から呼ばれて行き、立て看板を書いたこともある。
 大学の寮を回って寮生と熱烈な議論を繰り広げた。こうして、高崎経済大学を全学連の不抜の拠点に形成していった。
http://www.zenshin.org/zh/f-kiji/2019/06/f30450201.html

1946年4月27日 北海道札幌市に生まれる
1962 4 道立月寒高校入学、翌年、生徒会長をつとめる
66年4月   高崎経済大学入学、不正入試阻止闘争に参加
 (記録映画「圧殺の森」に登場)
69年6月   同大学再建自治会執行委員会副委員長就任
71年春    全学連三里塚現地闘争本部に常駐
       7月、9月強制代執行阻止決戦で指名手配
71年11月14日 沖縄返還協定批准阻止・渋谷闘争に決起
75年8月6日 不当逮捕
79年2月13日 検察が死刑求刑。死刑阻止署名12万筆
  8月21日 東京地裁で判決、懲役20年
83年7月13日 東京高裁が一審判決破棄・無期懲役判決
86年9月17日 暁子さんと獄中結婚
87年7月17日 最高裁が上告棄却、無期懲役が確定
88年     杉並と徳島で「救う会」発足(以降、全国で36の救援会が結成)
96年1月28日 「全国再審連絡会議」発足
  4月17日 再審請求書提出
2000年2月22日 再審請求棄却決定、24日に異議申立
04年1月19日 異議申立棄却、23日に最高裁に特別抗告
06年6月   友人面会実現(以降、94人が面会)
08年7月14日 最高裁、特別抗告棄却決定
09年11月27日 第2次再審請求書提出
12年2月5日 徳島刑務所包囲デモ(以後17年まで5回)
  3月30日 再審請求棄却決定、4月3日に異議申立
17年7月14日 家族、弁護団、共同代表が四国地方更生保護委員会へ第1回申し入れ(以後、13回)
18年5月20日 朝日新聞大阪本社版(関西、中国、 四国)と四国新聞の各朝刊に意見広告
  8月22日 星野さん、徳島刑務所で作業中に倒れる11月25日 朝日新聞東京本社版朝刊に意見広告
19年1月19日 韓国・大邱で星野詩画展、暁子さんら参加
  2月17日 琉球新報、沖縄タイムスの朝刊に意見広告
  3月4日 徳島刑務所でエコー検査。結果は告げず
  4月18日 東日本成人矯正医療センターへ移監
  5月28日 肝臓がん切除手術。翌朝、周術期出血に伴う急性肝不全で重篤状態に。暁子さん面会
    30日 午後9時44分、永眠


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