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高経大がわかるプログ・サイトPart2

382凡人:2021/12/08(水) 15:37:43 ID:yUHee8IM0
高崎経済大学と中島知久平(「高崎経済大学五十年史」より抜粋)

 1949年に群馬大学が前橋に設置され、商都・高崎市では当時近隣諸県にない経済学部を誘致しようとまず市立短期大学を1952年に設立し、5年後の大学昇格を目指したが、短大の蔵書数が大学設置基準を満たしていなかった。そこで、県議会図書室所蔵・中島文庫の一部を寄託してもらい、設置基準をクリアすることにした。

  中島文庫は中島知久平の蔵書であった。知久平が衆院議員になった昭和5年は、昭和恐慌下の経済政策の失敗や金権腐敗から国民の間で政党政治への不満が高まっていた。そこで、中島知久平は昭和6年に国政研究会、翌年には国家経済研究所を開設し、政治家・政党の政策能力を高めようとした。両機関はわが国初の民間シンクタンクであった。

 両機関では〈1〉政治・経済の調査研究、〈2〉欧米諸国で刊行された新刊書を購入し、専門の学者に要点を翻訳させ提出、〈3〉毎金曜日に嘱託学者が講師となり政治・経済問題をテーマとした講演会を開いた。嘱託学者は50人もいて、田辺忠男(東京帝国大学)、大西邦敏(早稲田大学)、猪谷善一(東京商科大学)がその中心であった。

蔵書類は約4万6000冊に達し、55年(昭和30年)に県議会図書室に寄贈された。1985年、県立図書館に移管。

 高崎経済大学の初代学長には田辺忠男が迎えられ、開学記念式典の講師は芦田均(元首相)と川北禎一(日本興業銀行頭取)であった。田辺忠男は知久平のブレーン、芦田均は国政研究会で研鑽(けんさん)を積んだ政治家、日本興業銀行は中島飛行機のメーンバンクであった。


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