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高経大がわかるプログ・サイトPart2
323
:
凡人
:2021/03/26(金) 13:15:41 ID:GvDJucak0
反民主主義体制の公共教育機関である高崎経済大学。相反する要素の共存を許す不思議な公立大学法人。市税が投入されている。いまだ戦前を彷彿。笑。
「人の支配」の悪い側面は高崎経済大学の歴史が教えてくれる。憲法や法律が無視され、ごく一部の権力者による都合・独裁・独断でモノゴトが決められる。故に平等・公平は無視され、自由競争が消え、コネや血縁やその他が幅を利かせる。大学の停滞がそれに付随する。「ばか」でも長期政権が望める。適材適所の人材が望めない悪の循環システムが仕上がる。そのために大学の発展が大きく阻害・挫折する。そこでの卒業生の愛校心は存在するが、ごく限られた卒業生たちの間で、権力追随の盲目による支配である。創立から60年を経過しても、いまだ滑り止め大学。地元の優秀な高校生は相手にしない。政治に無関心で、ごく生真面目で、家庭の貧しい学生に人気があるが、全国から見ても大学の存在感が空気のように薄い。これを停滞と言わずして何であろうか。
学園闘争のドキュメンタリー映画のタイトルに「圧殺の森」というのがある。1967(昭和42)年に作られた映画の舞台となったのが高崎経済大学。圧殺の森の舞台背景を知れば知るほど、この大学が正常な大学で無いことに気付く。全国で学生を募っておきながら、市内の有力者の子弟を不正入学させていたのである。その不正に当時の右翼市長住谷啓三郎氏も介入していた。それを知った教員や学生たちの純粋な愛校心からの抗議から始まったと言えよう。大学の民主化、公正化を求めての学生達の抗議。それが圧殺の森に発展していった。昔の愛校心と今の愛校心はまったく違うように思う。昔の方が知的であった。
大昔の事を持ち出すと指摘するかもしれない。「圧殺の森」が終わったことなら、そう言えるが、実は過去のことではなく、高崎経済大学にあって現在進行形である問題だと言いたい。歴史を知らないものは過ちを何度も繰り返す。それが高崎経済大学である。「人の支配」や反民主主義態度はまったく変わっていない。どれだけの者がそれを認識しているか。権力追随型の就職予備校生と化した高崎経済大学の学部生や院生には無関心でいられるかも知れないが、「法の支配」の民主主義を愛する者にはこよなく面白い話題である。
高崎経済大学の現体制を作った当時の役者たち。
高崎市長住谷啓三郎(早稲田大卒、右翼暴力団員から絶大の支持)、三潴信吾高崎経済大学学部長/学長(岸信介内閣下憲法調査会、現行憲法を認めない、日本帝国憲法を信奉、日本会議の前身のメンバー)、中曽根康弘(第2次岸信介内閣/科学技術庁長官、総理大臣、憲法改正推進)
国会法務委員会昭和44年6月6日での高崎経済大学が取り上げられた。昭和44年6月6日
https://kokkai.ndl.go.jp/
#/detail?minId=106105206X01919690606
高崎経済大学直属応援団の団史ー昭和30年代後半から40年代にかけての歴史を参照。
http://www1.tcue.ac.jp/home1/ohendan/danshi.htm
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