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高経大がわかるプログ・サイトPart2

336凡人:2021/04/04(日) 20:34:05 ID:GkhSRDuE0
山本五十六と民主主義と高崎経済大学

民主主義を理解できる人は高経大にはいないと推測する。大学直属応援団、大学理事や学長や教職員や学部生や院生たち。ミヤンマーで軍のクーデターが起こったのは昨今であるが、凡人が在学中からずっとこのかた、この大学側や教員から「民主主義」という言葉を聞いたことがない。凡人はそのころはまったく無知であったと認めざるを得ないが、いまから考えるとなるほどなと頷く。それがこの大学・高経大の特徴である。受験生や父兄にわかるように大学案内に明記すべきであると強く感じる。それが公立大学としての最低限の義務だろう。戦後の新憲法下で育った父兄や受験生には公立大学に対する、あるイメージが存在するが、高経大には他の国公立大学と違っている。大学運営にハッキリとした右寄りの思想的政策を取り入れている。平和憲法や教育基本法に、細かくいえば反している。海外派遣で天皇のためにかつて玉砕した大日本帝国陸軍の歩兵高崎第十五聯隊*を、独自創作した歌と踊りで賛美する応援団が大学直属で存在し、それが大学の象徴として位する。しかも学生の代表というのであるから凄まじい。学生自治会や学生新聞は以前はあったが、大学側の一連の「圧殺の森」*によって潰された。それはほんの一例だ。

*西南戦争後の軍備拡張によって、群馬県高崎市にて創設される。日清・日露戦争から、満洲・上海両事変、支那事変、太平洋戦争とほぼすべての戦役に参加。終戦時はパラオにあった。(ウィキ)
*「圧殺の森」は監督小川紳介のドキュメンタリー映画のタイトル。「森」とあるが、当時の高経大キャンパスはアスファルトとコンクリートに覆われ、木は殆どなく、高校を思わせる素朴なものであった。

故山本五十六は日米開戦の立役者だが、戦争の直前にアメリカのハーバード大学に留学していることも有名だ。アメリカに住み、彼は当時の日本より遥かに高い生活水準や科学技術の進歩に目を見張ったと容易に推測する。凡人が昔読んだ記憶が正しければ、(間違っていたら許してほしい。チェックする時間がない)アメリカの当時の軍事力は世界でたった7位。日本のように明治以降、富国強兵と徴兵制をとり入れ、学校には軍事教練を義務化した大日本帝国の日本とは違って軍事力には力をそれほどいれていなかった。アメリカ政府はモンロー主義を保持し、対外や国外問題には関心を最小限にとどめ、国内の生活の豊かさに、国民は満喫していた時代である。そのころ黒人差別が政治化し、黒人を含めた市民権運動が大きく動きだしていた。白人と黒人とその他の人種問題、土地をめぐる先住者インディアン問題。黒人差別反対のデモ隊と警察官との衝突。民主主義のアメリカで毎日のように起こっていた事件や市民運動やそうした喧噪。山本五十六はそうした「民主主義の喧噪」を目の当たりにみて、アメリカの弱点と取った。もし日米開戦でもしたら、黒人はアメリカ政府に反旗を翻すとまで夢にみていた。その混乱が日本の勝利に貢献すると見ていた。そこに山本五十六の大きな誤りがあった。それが彼の限界である。つまり民主主義の本質がまったく理解できていないのである。民主主義は大きな喧噪や社会のうねりを創り出すことには間違いない。だがその喧噪は社会改革や生活改善への産みの苦しみである。市民が草の根ベースで積極的に国政に参画している証である。決して国力を損なうものではない。事実、真珠湾攻撃がニュースになると、愛国心に燃えた若者が兵隊志願に殺到。いままでの人種間の軋轢はうせ、アメリカ人が国民として一致団結して、日本の帝国主義とドイツのナチズム打倒に乗り出した。当時の日本のように、天皇を頂点とした軍国主義下では市民は洗脳され、どんなに不平不満があっても、政府や権力に一切盾を付かない、またはつけないのが現実。非民主主義な日本社会では「民主主義の喧噪」などあ
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