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高経大がわかるプログ・サイトPart2
347
:
凡人
:2021/04/07(水) 07:32:14 ID:GkhSRDuE0
高崎経済大学直属応援団 団史
http://www1.tcue.ac.jp/home1/ohendan/danshi.htm
◎昭和32年(1957年)3月高崎市議会の決議により、同短期大学を廃校とし、翌4月より4年制大学として高崎市立高崎経済大学が創立された。
◎応援団の創立については諸説がある。昭和35年頃には、運動部等を退部した学生、他部との掛持ちの学生達が集団化し、一時的に応援団(実際は愛好会)を名乗る動きもあったというのも、その一つである。しかし、個々に見解が分かれており、実体も定かでなく、否定的な風聞も多いところである。
◎昭和36年4月、高崎市上並榎町(現在地)に新校舎が完成し、高崎城跡(旧第十五連隊兵舎)より移転する。これに伴ない学生の間から、本学の高揚の為にも新たに正式な応援団活動団体を創設すべきとの声が起きた。これを受けて、時の学生自治会・佐藤静雄先輩(後の衆議院議員)を始め、運動部や諸団体の要望により、三潴信吾学生部長(後の第5代学長)の御理解を得て、応援団結成の機運が高まる。そして、発足の経緯から公立大学では例の無い「全学応援団」として創団される事になった。
◎同年6月、本学の正式な公認団体として高崎経済大学全学応援団が発足する。初代団長は自治会の指名を受けた川村輝治先輩(初代、第2代)であった。この時、前述の愛好会的集団からも流入的入団があった為、一部に同集団を初代、新全学応援団を2代と数える誤認が生まれた。これが是正されずに続いた為、創団者の錯誤、OB会構成や期代の混乱を招いた事は否めない。尚、当団はこの大学と全学の公認による創立を正式な創団とし、団活動開始の根拠としている。
◎昭和37年(1962年)、当全学応援団本部長(現顧問制度)に外山正夫教授が就任する。当時の新聞によると団の機構は、リーダー部・総務部・旗守(手)部の3部から構成され、これを本部とし全学生を会員として組織されていた事が記載されている。当時は団活動に従事する学生を団員、一般の学生を会員と定義していたと思われる。当時の小誌にも、全学生に団を支える会員として、一層の自覚を訴える記事が掲載されている。
◎昭和38年6月29日、当団は全日本学生応援団連盟に正式に加盟する。(時の本部校は駒沢大学応援団)
◎同年11月、新生応援団の確立を学内外に広くアピールする為に、全国で始めて「リーダー公開祭」の名称を用いた一般市民向けの、第1回リーダー公開祭を挙行する。このリーダー公開祭は、時の高崎市長・住谷啓三郎氏を大会顧問とし、大学当局、学生自治会、各体育・文化団体、一般学生、市民等の支持を受けた大々的なものであった。
◎高崎市民の間から、当団の側面的援助を目的とする後援会(第1次)が形づくられる。(その後自然消滅となる)
◎その後の大学の資料に、当団が一時的に文化系に属したという記述が見られるが、事情は定かではないものの、当時の団活動には行動の基盤をなす精神的な部分の占める割合が大きかった
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