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高経大がわかるプログ・サイトPart2
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:
凡人
:2021/04/10(土) 01:11:22 ID:GkhSRDuE0
世界大学ランキングの上位に毎年掲げられるイギリスにあるオックスフォード大学。歴史的にも11世紀にその礎ができた古い大学で、英語圏では最古らしい。世界の他のトップ大学も同様であるが、大学とはどんなものかを探るうえで格好の教材を提供する。高崎経済大学はおなじ大学という名前が付いているから、世界大学ランキングにあってもおかしくない。UCLAはキャンパスに創立100年の旗がいたるところで目に入る。だから60年を超える高経大と比べてもそれほど古くはないのではあるが、その大学の世界の認識度やその他もろもろ、雲泥の差である。だから歴史よりも、大学経営陣のもつ大学設計に対する将来ビジョンの正しさが重要だと分かる。だれか高経大の世界ランキングの数値をしめして、商業高校レベルだと主張する凡人の嘘を証明して欲しいものだ。ついでに言うが、つい最近創立して比較的新しい同じ公立大学の国際教養大学(ICU)や会津大学はすでに、それぞれ高くランクインしていることを最近知った。笑
高崎経済大学は就職率96%を自慢し宣伝している。就職率よりも就職先のほうが重要だと凡人は思うのだが、そもそも、それが4年制大学の本来の大学の宣伝文句としては適切なのかも気になるところ。専門学校の就職率はなんと99%だぞとかいいたくないが、高経大をなんども商業高校に例えている凡人の言い分。それが果たして、根拠のない嘘かでまかせだろうか?
ここで有名な二人のオックスフォード大学の卒業生を紹介して、言いたいポイントを指摘したい。大学の使命を考えたり、議論する上でわかり易い事例だと思う。今上天皇、皇后雅子、秋篠宮文仁親王らの皇族の留学先でもあり、オックスフォード大学の学生たちがみな、同じ思考や思想をもっているとかいう気はもうとうない。またそこの学生たちだって、高経大の学生と同様、卒業後の就職や就職先は大きな関心事には違いない。楽しく大学生活を送りたいとも、どの学生たちも思っていることだろう。ただ学生の質がこんなにもかけ離れている、または違うと言いたいだけだ。全学生ではなくても、学生たちの多くが民主主義を考える能力がある人達なのだと言いたい。ある程度、何が民主主義か、それが議論できる人達なのだ。そうした学生たちを指導し、教える立場の大学の教職員は言うまでもない。民主主義の擁護者としての役割が期待されているので、疑う余地がない。そうでなかったら、これから紹介する二人は教員たちや大学の授業や学友たちに退屈して、さっさと中退することだろう。
その一人にあげるのはアウンサン・スー・チー女史。「1964年から1967年まで、イギリスのオックスフォード大学セント・ヒューズ・カレッジ (en:St Hugh's College, Oxford) 哲学政治経済学部 (PPE, en:Philosophy, Politics and Economics) で哲学・政治学・経済学を学ぶ。1967年に学士号を取得後、ビルマ政治史担当の助手に就任しヒュー・ティンカー (fr:Hugh Tinker) 教授に師事。1968年に同大学を卒業して政治学修士号を取得した。しかし、オックスフォード大学での成績は不振で、2度コースを変更しようとしたもののいずれも失敗し、結局可の評価で卒業したため研究を続けることが困難となった。しかし彼女はのちに、1990年にオックスフォード大学名誉フェローに選出されている。1993年にオックスフォード大学名誉博士の授与を打診されたものの出国できず断念。その後、2012年に名誉博士号を取得した。」(資料ウィキ)
2021年の現在、ミャンマーは軍部がクーデターがおこり、政権を掌握。各地でクーデター反対デモがおこり、軍部と市民との血なまぐさい衝突がおこっている。スー・チー女史はその国の民主化運動の象徴的存在である。1945年ミャンマー生まれ、「ビルマ建国の父」アウンサン将軍の娘として知られる。ビルマの独立運動を主導し、度重なる自宅軟禁を乗り越えて2016年新政権への入閣も果たした。1991年にはノーベル平和賞も受賞している。
ミャンマーのクーデターは、その起こる直前まで国家顧問になったスー・チー女史への献身的な多くの支持者はいるものの、数十年ぶりに誕生した文民政権下でもなお、少数民族に対する虐待はやまず、活動家のあいだで亀裂が拡大していた中での出来事。現在の若者世代ではスー・チー女史を「堕ちた偶像」と見ていると新聞記事は伝えている。。
スー・チー女史の記事を読んで、以前ちょっと調べた南アフリカ共和国のことが思い出される。ここでは余談になるがまったくのdéjà vuである。アパルトヘイトで悪名高い南アフリカ共和国で、人種差別がなくなることが期待されて、権力の掌握と同時に大統領になったネルソン・マンデラであったが、アパルトヘイトの撤廃後、逆に多数派の黒人による少数派の白人への虐殺が絶えず、人種差別の継続とともに、黒人間の異常に高い犯罪率が国の特色になった。
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