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328凡人:2021/03/29(月) 13:07:49 ID:GvDJucak0
広島大学 高等教育研究開発センター 大学論集第35集(2004年度)2005年3月発行:311-332

1965年における高崎・都留・下関の3市立大学事件
公立大学に関する一考察

高 橋 寛 人
広島大学高等教育研究開発センター客員研究員/横浜市立大学国際文化学部助教授

はじめに
地方自治体が大学を運営することに関して,戦後改革期,政府レベルで議論が行われた。1947年,CIEは国立の高等教育機関を,総合大学を除いて地方に委譲するプランを立て,その実現に向けて文部省に働きかけた。当時首相の諮問機関として設置されていた教育刷新委員会(教刷委)ではこの問題をきわめて重要視し,特別委員会を新設して審議を行う。特別委員会での検討をもとに同年12月26日の総会で「大学の地方委譲,自治尊重並びに中央教育行政の民主化について1)」と題する建議がまとめらた。この建議は,国立大学を地方に移譲することは不可能であると述べ,その理由を3点あげた。第一の理由は,地方行政当局が大学について十分な理解をもたず,地方の政治的利益に動かされやすいため,大学の自由・自治が保障されないことであった。第二は,日本の大学等高等教育機関が全国的な視野に立って計画的に配置されてきたこと,第三は,脆弱な地方財政によっては,大学の健全な運営は不可能であることであった。 教育刷新委員会の建議に示された危惧すなわち地方行政当局による大学自治の侵害,大学経費の過重負担という問題は,実際に様々の公立大学で発生した。なかでも,1965年に起こった高崎と都留の2つの市立大学の事件ついては,当時新聞の全国版や雑誌等でもさかんに報じられ,全国紙の社説でもとり上げられた。この年には,下関市立大学でも紛争が生じた。下関の場合は紛争が短期間に終結したためであろうか,高崎・都留ほどには報じられなかった。3大学の事件はいずれも公立大学特有の事情に起因するものであった。また,公立大学の中でも,都道府県・指定都市ではなく,一般市の設置した大学という点で,教刷委の懸念が深刻化しやすい大学であった。当時の人口を見ると,下関市が30万,高崎市は14万,都留市に至っては3万であった。1965年当時の公立大学は全部で31校あったが,ほとんどが都道府県,指定都市が設立した大学で,それ以外は一般市の設置したもので5校のみであった2)。5校のうちの3校が1965年に時を同じくして,公立大学であるがゆえの事件を起こしたのである。1965年に起こったこれら3つの市立大学の事件は,公立大学のはらむ問題性が端的にあらわれたものである。本稿は,3市立大学の事件を取り上げて,公立大学の特質の一側面を検討するものである3)。

I 高崎経済大学事件

1 高崎短期大学の誕生
高崎経済大学の前身は高崎短期大学である。1951年8月の市議会に短大の設置が提案され,満場一致で可決された。設置予算は当初わずか7万円であったが,その後61万円に修正され,さらに381万円に増額された。増えた予算は市営競馬の純益金からまわすというのであった。市議会では,市の財政では短大の経営は困難ではないか,義務教育に向けるべき予算にしわ寄せが来ないか,などの意見があったが,原案通り可決された4)。1952年4月,定員200名の商経科からなる市立高崎短期大学が,旧歩兵第15連隊兵舎を用いていた青年師範学校跡地に開校した。設置認可申請書は,短大設置の理由を2点あげている。第一に群馬県内における高等教育
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