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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

954空き缶:2003/11/23(日) 01:19
独歩さん、福田さん

久遠元初自受由身は『法』であるとする説、みつけました。確かに関師の書いた書籍でしたが、松戸氏の書いた本の概要を述べた部分なので、該当諸説は関師のものではなく、松戸氏のものですね。

955空き缶:2003/11/23(日) 10:45

続き

法華叢書1「発想の転換」−日蓮正宗法華堂 関 慈謙
書評・松戸幸雄著『人間主義の「日蓮本仏論」を求めて』を読んで

上記の中に、『久遠元初自受用報身は法である。これを、「人」とするところに寛師の誤解の始まりがある。』との文言が出てきます。
しかしこれは関師の所論ではなく、松戸氏の所論を関師が要約して示したものであります。
このところを、私が誤解していたようです。

956犀角独歩:2003/11/23(日) 11:51

954,955 空き缶さん:

有り難うございます。

> 久遠元初自受由身は『法』である

しかし、この解釈は二重におかしな考えであるとわたしには思えます。
法であれば「報身」ではなくて「法身」でしょうし、また、三身であれば、人ではなく、仏でしょう。また、自受用身が法であれば、凡夫(人)本仏自体成り立ちようがないことになります。

さらに言えば、そもそも蓮師真跡上にただ一度も「久遠元初」も「自受用身」も表れないのであってこの点をまったく考証の対象にしないのは、学的に不誠実であるとわたしは思います。

957ガンコ:2003/11/23(日) 12:00

ワラシナさん、どうもです。

>長い間思索し続けてきた・・・自分なりの謎解きができた・・・

これはたいへん楽しみです。お待ちしております。

しかし、「現象佛と内面佛の二重内面」ってとっても難しいですね。わたくしのあたまではほとんど理解できないんだもの。

958犀角独歩:2003/11/23(日) 12:46

950 空き缶さん:

漫荼羅中、法は「妙法」の二字ですね。
しかし、『本尊問答鈔』では「末代悪世の凡夫は何物を以て本尊…法華経の題目を以て本尊」でした。では、ここで蓮師がいう法華経題目は“法”なのか、という問題が提示されます。その答えは次下にあるとわたしは読みます。すなわち、

「法華経の第四法師品に云く「薬王在在処処、若説若読、若誦若書、若“経巻”所住之処、皆応起七宝塔極令高広厳飾。不須復安舎利、所以者何、此中已有如来全身」等云云」

です。蓮師が言う「題目」とは法ではなくて“経典”です。わたしはここのところ、何度も繰り返してきましたが、蓮師は題目本尊論者なのでしょう。そして、この題目は法華経“経典”を指しているわけです。では、これを漫荼羅に「南無妙法蓮華経」と記し、奉掲する理由は、と問われれば、同鈔の次下に(一句飛ばします、後述します)

「天台大師の法華三昧に云く「道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置せよ、亦必ずしも形像、舎利並びに余の経典を安ずることをもちいざれ。唯だ法華経一部を置け…法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊」

ということから、題目は法華経典の指標であり、その題目を図し、奉掲して法華道場の荘厳たらしめたと見えます。

では、しかし、この題目=経典は、論理展開としてここで畢っているかと言えば、そうではなく、そこに“法”をしっかりと看取されます。すなわち、先に飛ばした一句です。

涅槃経の第四如来性品に云く「復次迦葉、諸仏所師所謂法也、是故如来恭敬供養以法常故諸仏亦常」(復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり)

です。諸仏は法を師とするという記述です。この点から言えば、法が師である、…ここのところの議論で言われる「南無法」…ではないのかと、なります。
けれど、法が師なのだというのは即断であるとわたしは思います。何故ならば、「諸仏の師とする所は所謂 法」という一句は「末代悪世の凡夫…法華経の題目・本尊」と対句をなしているからです。すなわち、諸仏は師とするところはたしかに法であるけれど、末法衆生が本尊とするところは題目経典であるという対比です。

ですから、法は諸仏が師とするところであるけれど、末法衆生が本尊とすべきは題目(法華経典)であるというのが、この鈔の脈絡です。この点を落として、末法無仏・本尊は法としては、蓮師の本尊観と相違するというのがわたしが言いたいことなのです。

959アネモネ:2003/11/23(日) 13:22
横レス失礼いたします。

>951愚鈍凡夫さんのレスを拝見いたしまして、少し私にはわからないところがあるのです。
ここのところの教学的議論の流れは、私にはとても高度でわからないことだらけなのですが、ここは素朴な疑問ということで、レスをお許しください。

>「法灯明」の教えは原始仏典にありますし、法華経に於いては、最も強調されている事ですよね。…とあります。「法華経」を信じ持つことが最も重要であるとのことですね。

ここなのですが、いわゆる「原始仏典」に記される、釈迦牟尼仏が説いた「法灯明」の教えとは、「法華経」を信じ持つということだったのか。つまり、「法灯明=法華経を信じ持つ」といえるのか。もしくは、法灯明=南無妙法蓮華経ということなのかという素朴な疑問です。

>仏の教えを説いた経典は、衆生を成道に導くためのものであるとのことですよね。

素朴な疑問なのですが、法華経は仏の教えを説いているものなのでしょうか。
うまくいえませんが、法華経には確かに「仏の教えを説いた経典は、衆生を成道に導くためのものである」と書いてあるとしても、その「仏の教え」が何であるかという具体的な内容に触れてあるものなのかなあという疑問が私にはあります。
もっといえば、先の疑問にも関連して、「仏の教え=法華経」なのか。「仏の教え=南無妙法蓮華経」なのか。もしくは、「仏の教え=法華経を信じ持つ」ことなのかという素朴な疑問です。

>仏法は経典から導き出されるものですから、古より「法」を柱とする精神は変わらないのではありませんか。

法を柱とする精神はそうだと思うのですが、その「法」とは何かということについて具体的に書かれている経典がまさに法華経といえるものなのか?という疑問があります。

>法華経を中心とした仏道修行の重要性が説かれていますね。一言で言えば、「法華経」を通して「釈迦牟尼仏」を拝謁すると言うことでしょうか。

法華経を通して釈迦牟尼仏を拝謁するということは、恐らく法華経という経典を成立させた人々の信仰観だっただろうなあということは想像できるのですが、しかし、逆にそれが拝謁する釈迦牟尼仏の教導せんとする成道の姿といって間違いなのか?という素朴な疑問が出てきました。

すみません。私、よくわかっていませんので、トンチンカンな疑問かもしれません。
要するに、法華経という経典を信じ持つことが、釈迦が説いた法灯明の教えであるのかどうかという疑問ですね。もっと平たく言えば、法華経という経典=法灯明の法、つまり法華経=法なのかという疑問でもあります。
まあ、日蓮の信念と教えはそうだったのかもしれませんけれども…。

960犀角独歩:2003/11/23(日) 13:59

951 愚鈍凡夫さん:

横レスへの横レスです。

> 法灯明

単に法灯明ではなくて、「自灯明・法灯明」が対になっています。
「自らを灯明となし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を灯明となし、法をよりどころとして、他をよりどころとせず、すすめよ」でした。

在世のシャキャムニが、自分のことを拝ませたか? そんなことはなかったでしょう。
ですから、ここで拠り所とされたのは、愚鈍凡夫さんが言うとおり、ダルマ(法)であった、しかし、その法を拠り所とする前提は自分自身が正しく道(どう)を歩むという前提にあったのでしょう。道とはまさに法なのであろうと思います。

滅後、仏教徒である指標とは三帰五戒であって、ここに三宝帰命が仏教徒である証となっていったわけですね。この段階で自灯明の精神が損なわれたかと言えば、わたしにはそう思える節もあります。殊に教団信仰へ転落すればするほど、自己評価を貶めることによって集団・指導者への依存度を増すという“操作”がそこに看取されます。ここでは自灯明というシャキャムニの遺言は影を潜めてしまっています。これではいけないと思うわけです。

> 法華経

『六法全書』を例に採ります。これは法律をまとめたものですが、法律そのものではありません。法律をまとめた本です。
同じように法華経は正法(羅什師が言う妙法)に基づく本ですが、法そのものではありません。経典です。

愚鈍凡夫さんが引用された三品、譬喩品では「此經」、寳塔品では「此經」壽量品では「經典」となっています。“法”ではなく、経典です。実はこの点が重要なのだとわたしは思います。

> 「法華経」を通して「釈迦牟尼仏」を拝謁する

この視点に賛同します。これが要するに「見仏」ということなのであろうとわたしは思います。

少し横道に逸れますが、わたしが法華梵本直訳を読んでいちばん驚いたのは、全編を通じて記されていないことが二つあった点でした。一つは正法と言いながら、その法が何であるのか記されていない、もう一つは仏が「この上なく完全なさとり(阿耨多羅三藐三菩提)に到達したとしながら、このさとりがどのようなものであるの記されいないという二点です。

これを羅什師は諸法実相九如としますが、これは意訳でした。また、智邈師はここを十如三千で湛然師が一念三千としてこれが法であるといいますが、これが羅什師から智邈師、最澄師を経って蓮師受け継がれる台学の有様でした。この系譜にはわたしは大いに異論はあるのですが、ここでは蓮師の素意を考えますので、この異論はさておきます。

梵本法華経で、強調されるのは経典崇拝という一点でした。法華経典を通じて如来を見(まみ)えるという見仏思想です。そして、経巻崇拝はまた菩薩道のなかに摂取されます(法師品「若有得聞是經典者 乃能善行菩薩之道」

ところが羅什師が九如の意訳をなし、ここに新たな教学運動が起こるとそれは一念三千という法華経そのものにはまったくない教学解釈が添加されていくことになります。法華経の中でどこが一番大事なのかという部分論が展開されていきますね。八品だ、一品二半だという話です。さらにそれが題目だと言ったのが蓮師でした。そして、その理由は『本尊鈔』「不識一念三千者仏起大慈悲五字内裏此珠令懸末代幼稚頸」と言い、その題目が大切なのは仏がこの五字に一念三千の珠を裏(つつ)んだからであると蓮師は言って、ここに題目本尊が成立していくのであろうと思います。これまた、余談ですが、漫荼羅は本尊であるというより、その首題・妙法蓮華経の五字が本尊であるというのは押さえるべき点でした。

ここで疑問に挙げるのは、何故釈迦本尊ではなく、題目本尊なのかという点なのでしょう。『本尊問答鈔』が果たして真跡か、という大きな問題は残りますが、「南無妙法蓮華経」は動かし難い事実です。わたしはしかし、福田さんに投げかけた問題点は漫荼羅には明確に「南無釈迦牟尼仏」と記されている、これまた動かし害対事実である、それなのに、なぜ富士門徒はこの点を等閑にするという点でした。

この点は、日蓮本仏論者は避けたい議論のようで、どうも皆さん、議論を横道に逸らしてしまいますね。残念です。

961空き缶:2003/11/23(日) 14:37

犀角独歩さん

→そもそも蓮師真跡上にただ一度も「久遠元初」も「自受用身」も表れないのであってこの点をまったく考証の対象にしないのは、学的に不誠実であるとわたしは思います。

関師もこの点を指摘していました。


→ですから、法は諸仏が師とするところであるけれど、末法衆生が本尊とすべきは題目(法華経典)であるというのが、この鈔の脈絡です。この点を落として、末法無仏・本尊は法としては、蓮師の本尊観と相違するというのがわたしが言いたいことなのです。

法=題目で、どうなのでしょう?それから関師は「自立」の中で独歩さんと全く同じ個所の「本尊問答抄」を引用されています。

松戸氏の所論には、同感できる部分も多いといった評価ですが、全面的に賛同しているわけではなさそうです。

962犀角独歩:2003/11/23(日) 14:51

アネモネさん:

横レス失礼します。

“法”ということなのですが、どなたが、どの著述で明言していたことなのか失念したのですが、読書で頷いたことがあります。

それは仏法と仏道は同じ意味であるということでした。
つまり、法は道(どう)であるというのでした。

まあ、インドなどでいうダルマ(ダンマ)は実に多義に亘る意味を凝らした語であって、上述の限りではないですし、それは中国から日本への伝播、三国における内観分析や、羅列主義とも映ずる論の展開でますます煩瑣の度合いを増していきました。

こうなってくると、法とは何なんだか、わけがわからなくなってきます。
法華経で言う、正法(サ・ダルマ)、妙法などと言い出すとますますわかりませんね。
960にも記したとおり、それが何であるのか、まるで説かれていないと見えるのが法華経だからです。

けれど、法と道、より正確に言えば、法の実践が道なのではないのかと、わたしは考えて見ることにしました。こうなると、法は道(実践)のなかでしか見えませんから、そもそも別に論じること自体意味をなさないことになりますね。

この視点で、もう一度、法華経を読み直します。すると、法華経の中にまざまざと浮かび上がる“法”があります。何でしょうか。おわかりになると思います。「菩薩道」です。つまり、法華経の中に説かれる正法とは菩薩道であると見ると、この経典が元来、言おうとしていた意味が初めて見えてくるとわたしには思えるわけです。

難信難解だというのは、法をこねくり回し、わけをわからなくしてきた解釈にその原因があったのではないのか、遮蔽物となっていたのは一念三千という解釈にあったのではないのかというのが、最近、夙に思うところです。

963犀角独歩:2003/11/23(日) 15:11

961 空き缶さん:

> 法=題目

そうですね。
でも、蓮師は末法衆生は題目が法であることがわからない前提で題目本尊を立てていると、わたしは指摘したわけです。繰り返しになりますが、「不識一念三千者仏起大慈悲五字内裏此珠令懸末代幼稚頸」です。

一念三千を教学的に勉強してくると、これがどうやら法のことらしいというのは誰しも考えるようになります。でも、本当に一念三千の意味がわかる人がいるのでしょうか。もっと言えば、蓮師の立場は一念三千という法は末法衆生にはわからない、だから題目だということではないでしょうか。

だから、諸仏は法を師とできるけれど、末法衆生には題目であるという相違を、蓮師は言っているとわたしは拝しているわけです。

964ガンコ:2003/11/23(日) 15:40

>わたしはしかし、福田さんに投げかけた問題点は漫荼羅には明確に「南無釈迦牟尼仏」と記されている、これまた動かし害対事実である、それなのに、なぜ富士門徒はこの点を等閑にするという点でした。

>この点は、日蓮本仏論者は避けたい議論のようで、どうも皆さん、議論を横道に逸らしてしまいますね。残念です。

いやいや、独歩さん、そんなことありませんよう。
だいたい、富士門徒の中には、何を血迷ったか、大聖人の御曼荼羅にイエスが認められても問題ない・・・みたいなことを言う人だっているんですから、順番から言えば釈尊が筆頭であって、それは「動かしがたい事実」でしょうし、べつに避けているわけではないと思います。
問題はいわゆる造像にあるわけで、曼荼羅正意の立場から申せば、それだけは避けたい・・・仏像は拝みたくないわけです。
遥拝勤行はべつとして、じっさいに御本尊の御前で勤行するばあい、まさか、南無釈迦牟尼仏だけ見ないようにする・・・というか、もう、そうなると、御本尊自体拝めなくなっちゃうわけですから、それはおかしな話でしょう。まさか、文字通りの題目本尊・・・つまり、南無妙法蓮華経だけ認められた御本尊を拝む・・・って、こうなると大石寺の御本尊を否定することになってしまうし・・・ですから、べつになおざりにはしていないのです。

おそらく、
「法華経の寿量品に云はく『或は己身を説き或は他身を説く』等云々。東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏、上行菩薩等、文殊師利・舎利弗等、大梵天王・第六天の魔王・釈提桓因王・日天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星、阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神・一切世間の国々の主とある人何れか教主釈尊ならざる。」(日眼女抄)

とあるし、また、開目抄には、
「華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をば、その経々の仏・菩薩・天等守護し給ふらん。疑ひあるべからず。」(切り文)

とありますから、極論すればイエスもあり? なんでしょうかね。ご本人に聞いてみないとわかりませんが・・・

965空き缶:2003/11/23(日) 16:18
犀角独歩さん

恐らく、関師の諸説は独歩さんも共感されることと思いますよ。

→でも、蓮師は末法衆生は題目が法であることがわからない前提で題目本尊を立てていると、わたしは指摘したわけです。繰り返しになりますが、「不識一念三千者仏起大慈悲五字内裏此珠令懸末代幼稚頸」です。

はい、この通りだと思います。つまりわからなくても問題ないということなんだと思います。

福田さんにメールで問い合わせましたが、関師や法華堂の出版物は現在「私の中の仏」「自立」「発想の転換」「法華思想の再生に向けて」「信ずるということ」の5冊のみです。
5冊とも30Pから100Pほどの書籍です。したがいまして、この中だけで判断すると矛盾も多くみられますが、書籍になっていない部分も含めれば恐らくそれなりの理論構築は出来ていると思われます。
この辺は、やはり法華堂信仰者の福田さんからの情報に頼るしかないと思います。

966犀角独歩:2003/11/23(日) 16:32

964 ガンコさん:

引用している「日眼女抄」とは板漫荼羅が造立されたとなっている弘安2年に記された『日眼女釈迦仏供養事』の御文ですね。

「三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女…教主釈尊をつくりまいらせ給ひ候へば、後生も疑ひなし…女人の中の第一也」

と釈迦仏像を造ったことを蓮師が褒めちぎる書です。ですから、引用される箇所も、漫荼羅の記述ではなくて、その結論部は「釈尊一体を造立」に掛かっています。つまり、仏像についての記述です。それで、

> 仏像は拝みたくないわけです

たとえ、蓮師の真跡であっても、仏像は拝みたくない、祖師の教義を枉げてもそこまで言いますか。考えさせられるところはあります。

ガンコさんとは関係ありませんが、この書の記述は、像非派は信仰のない日眼女に方便で仏像を認めて書いたものなんて、解説しています。ここまで自分の祖師を愚弄した話もないと呆れるわけです。

参考にお聞かせいただきたいのですが、ガンコさんには「南無釈迦牟尼仏」の帰依があって、漫荼羅を本尊と拝んでいらっしゃるのでしょうか。この点が、わたしの福田さんに投げかけた質問の焦点です。また、なぜ仏像を拝みたくないと自分は考えているのか、いつそのように刷り込まれたか、その経過はどんなあんばいであったのでしょうか。差し支えなければ、お聞かせください。

967犀角独歩:2003/11/23(日) 16:34

空き缶さん:

> 恐らく、関師の諸説は独歩さんも共感される

そうですか。わたしは読みもしないで記しているだけですからいけません。
機会があれば、関師のものは読んでみようと思います。

有り難うございます。

968ガンコ:2003/11/23(日) 17:54

独歩さん

>と釈迦仏像を造ったことを蓮師が褒めちぎる書です。ですから、引用される箇所も、漫荼羅の記述ではなくて、その結論部は「釈尊一体を造立」に掛かっています。つまり、仏像についての記述です。

これですが、わたくしは曼荼羅だと考えたんです。ちょっと前に独歩さんがおっしゃっていた総帰命の根拠がこれではないかと。

で、仏像を嫌う理由ですが、この半年ばかりいろいろ考えてきて、わたくしは“大聖人の御意に叶う仏像本尊は存在しないし、今後も出現しない”というしかないと思っております。
つまり、「一閻浮提第一の本尊」ははたして造立されたのか? もし、造立されなかったのであれば、もはや大聖人がましまさない以上、どうしようもない、ということです。
それこそ、四菩薩に相当する人が出てこないとムリですし、もっといえば、わたくしは四菩薩とて仏像本尊は造れない、と考えました。

「我が弟子之を惟へ、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来たらず双林最後にも訪はす、不孝の失之有り。迹門の十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、但八品の間に来還せり。」

地涌千界は久遠の弟子であって、久遠実成の釈尊にまみえる時間はそれこそ長遠であったろうから、その方たちがお出でになって仏像を造れば、印度の釈尊ではなく、法華経の中の釈尊をお造りになられるかもしれません。しかし、それは“仏”のすがたではなく、じつは“法”なのではないか・・・という風に考えるのですが、未だじぶんのなかでじゅうぶんにまとまっていません。まだまだ、時間がかかりそうです。
少なくとも、大聖人は守護国家論で「今は法華経の中の仏を信ず」と仰せであって、御自らはもっぱら御文字でもって御本尊を御認めであられます。よって、それを法華経の中の仏と認識しております。当然、南無釈迦牟尼仏に異論はありません。

なお、日眼女抄の問題は、半年ほど前に考えをまとめようとしていたのですが、途中で挫折しました。(本仏論のスレッドに無残な記録が残っています)

969愚鈍凡夫:2003/11/23(日) 19:22
うわっ! 知らんまにレスが進んでる。 (;^_^A アセアセ…

アネモネさん、説明不足のようでした。
単に「法灯明」と記したのは、釈迦牟尼自体が「法」を重要視したということを言いたかったからです。
「法華経」は、蓮祖に最も関係深い経典なので引用しました。
言いたかったことは、「法華経」を含む経典に説かれる「法」こそが「柱」である。ということです。

「諸譱男子。如來所演經典。皆爲度脱衆生。(諸の善男子、如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり)」(妙法蓮華經如來壽量品第十六)

犀角独歩さんのレスと重複しますが(犀角独歩さんレス有り難うございます)、
この一節に、釈迦牟尼仏亡き後の、弟子たちの想いを感じます。というより、ここの部分が「此の経」ではなく、「経典」とあることに、好意を持ったと言ったほうが正確でしょうか。
この「経典」とは、「法華経」のみを指すのではないと思います。
先のにも述べましたが、「仏法」は「経典」から導き出されるものだと思うので、「経典」の中に仏陀を観じ、「経典」の指南を仰いで仏道を求めるというのが仏教のスタンスではないかと思います。

970犀角独歩:2003/11/23(日) 19:26

968 ガンコさん:

『日眼女釈迦仏供養事』の該当部分は間違いなく、仏像についてです。

> 「一閻浮提第一の本尊」ははたして造立されたのか

これは造立ではないでしょうね。「可立」です。

> 法華経の中の仏

ここでもガンコさんは勘違いしているでしょう。
「法華経の中の仏」とは権大乗を簡んで、本門寿量仏を言うわけです。
法華経が文字で書かれているから仏は文字で、法であるなどということではありません。蓮師はこれを本門本尊と言い表した。その相貌は文字であれ、仏像であれ、意味するところは同じです。寿量品の意義を具えた仏格をとらえるかどうかにあるわけでしょう。

> 四菩薩とて仏像本尊は造れない

この根拠は何ですか。
一つ、しっかりと富士の勝手な言い分を一つ、わたしは指摘しておきたいと思います。
仏の相貌は文字でしか表せないというのは勝手な憶測です。
わたしは文字ですら表せるはずはないと思いますよ。
絵像、彫像にはたしかに表現の限界があるでしょう。けれど、文字も同様です。
我々は漢字文化圏の人間だから漢字で書かれた漫荼羅の諸尊・聖衆のだいたいの意味はわかります。しかし、漢字がわからない文化圏の人からすれば、絵よりさらに漢字で書かれた漫荼羅は何がなんだかわからないのです。

あと、一点、蓮師の教学を考えるうえで、絶対に落としてはいけないことがあります。それは「結縁」ということです。例えば、法華経がある。法がある。それがあれば、衆生が成仏するかと言えば、しないわけですね。もっとも必須条項があるわけでしょう。それが結縁です。たとえば、極楽でも法華経の説法は阿弥陀如来はするでしょう。でも、その阿弥陀如来の説法を我々が聞いても成仏しない。何故か。それは阿弥陀如来は娑婆世界の我々とは無縁の仏だからです。我々と有縁の仏は釈迦如来のみです。ですから、釈迦如来との結縁を得て、釈迦如来の法華経を聞き、結縁の次第を覚知しなければ我々は成仏しないというのが蓮師教学の根幹です。「念仏無間」とは、そのような結縁の次第から他仏へ情を寄せる過ちを突いたものであるわけです。法だけでは成仏はありえない。そこには結縁の仏とその導き手の菩薩(僧)が必要である。ここのところの議論は、この「結縁」という重大事が欠落しているとわたしは思うわけです。まあ、この点はガンコさんに記すところではないかも知れません。福田さんに申し上げたいことでした。

971ガンコ:2003/11/23(日) 20:49

>一つ、しっかりと富士の勝手な言い分を一つ、わたしは指摘しておきたいと思います。

あら、うれしい。わたくしって、けっこう富士の立義にかなっているみたい。

972ガンコ:2003/11/23(日) 21:02

>なぜ仏像を拝みたくないと自分は考えているのか、いつそのように刷り込まれたか、その経過はどんなあんばいであったのでしょうか。差し支えなければ、お聞かせください。

話が前後しますが、顕正会においては入信のおり、会長の指導が読み上げられます。(前にどなたか書いていました)
で、その中に、「一念三千を識らざる者には・・・」の御文があって、ようするに、ここで言う仏は日蓮大聖人であり、大聖人が御本尊を我々に与えてくださる、言うような意味に捉えるわけです。
それ以外はすべて謗法であると・・・
まあ、こういうことを教わってしまうと、特に若いうちは一般教養もありませんので、そのとおりに受け取ってしまうでしょう。
わたくしだって、つい数年前までは、まったく疑うことはありませんでした。
これを刷り込みというのであれば、まあ、そうなんだろうと。

973愚鈍凡夫:2003/11/23(日) 21:31
ガンコさん。
以前、ガンコさんと「本尊」について議論したことがありましたよね。
その時、川蝉さんや問答迷人さんから御指南を受けました(この場を借りてもう一度お礼申し上げます。有り難うございました)。

その時、小生は蓮祖の「本尊」に3通り(仏像・絵曼陀羅・文字曼荼羅)の可能性があると言ったと思いますが、その考えは今も変わっていません。
実は、この考えを小生に与えたのは「本尊集」です。同じ人が顕した漫荼羅であるのに、それぞれ相貌が違うのは何故だろう・・・・・、これが最初の一歩でした。
そして辿り着いた結論が、蓮祖はその時々の想いに任せて曼陀羅図顕したのではないだろうか・・・・・、ということです。このことは、蓮祖が本尊の形に拘っていなかったのではなかったかとの考えを小生に与えました。
もし「勧請」という言葉が許されるのなら、「法華経の題目」がその本尊に勧請されているのか? ということが蓮祖にとって重要だったのではないでしょうか。仏像に法華経を添えるのはまさにその意義だと思います。

現状の考えを率直に言えば、「法華取要抄」にある

「問て云く、如来滅後二千余年竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや。答て云く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。」

とは、所詮「題目の五字」に集約されるのではないかというのが現時点での結論です。

974ガンコ:2003/11/24(月) 03:03

愚鈍凡夫さん

ひじょうに難しいところでして、わたくしも考えを改めないといけない点がたくさんある、と思ってますけど・・・

まあ、お説にそって申すならば、大聖人の御曼荼羅はそれぞれ相貌が異なるといえども、あくまで南無妙法蓮華経が中心であるってことでよろしいかと思います。
しかし、取要抄のいわゆる三大秘法のご教示はどうなんでしょうかね。題目の五字に集約されるとおっしゃるけど、これを本門の題目に集約・・・と言い換えると、ちがうのでは?っていう気がします。
ここで、本尊問答抄の「題目を本尊」とする旨のご教示が入ってくるとわけがわからなくなる・・・ようするに本尊というのは“仏”だという考えがやはり有力だからなわけで、これが本尊問答抄を疑う理由かもしれません。
まあ、わたくしはこうした煩瑣なことをひっくるめて曼荼羅正意としてしまうのがわかりやすいと思うのですが、まだまだいろいろ考えなければならないところがあるようです。

話は変わりますが、愚鈍さんって、おふざけの時とまじめの時のギャップが大きい。

975犀角独歩:2003/11/24(月) 03:20

ガンコさん:

本尊は仏、ぜんぜん有力ではありません。大いに勘違いです。

976犀角独歩:2003/11/24(月) 13:21

本来であれば「つぶやき」に書くべき内容ですが、資糧手放しで少しだけ。

○題目本尊は真跡か?
 法勝人劣ではない経勝劣仏は蓮師説か?

『本尊問答鈔』に「本尊とは勝れたるを用ゆべし」といい、ここに“法華経勝釈迦劣”を明記されています。これは法華経は“父母/釈迦は子”という対比でもあります。(法勝人劣ではなく、あくまで法華“経”勝釈迦劣)
同鈔は本当に蓮師の真筆なのか、わたしはいまだに決し難いところはあります。

その直後、禄内『千日尼御前御返事』(第四書)(青鳧書)にも「仏は子也、法華経は父母也」という一節が見られ、ここでも法華は父母/仏は子という考えが記されています。

両書ともたしかに禄内であって、その信憑性は真跡存に匹敵すると考えられるところですが、『本尊問答鈔』が記されたとされる弘安元年以降の、蓮師の本尊に関する記述を追うと、しかし、法華経勝釈迦劣を殊更論う記述に当たることができない不釣り合いを感じるのは事実です。

ただ例外的に真跡『上野殿母尼御前御返事』弘安3年(1280.10・24)「諸仏の御本尊とし給ふ法華経」という記述は一カ所見られます。けれどここでは馬鳴の故事を挙げるこの記述は 法華経は父母/諸仏は子 というに留まります。真跡で見る限り、題目本尊という線はまるで浮かんできません。

なお、『本尊問答鈔』で記される法華経題目本尊とは“蓮師の本尊観ではなく、あくまで天台宗の本尊観”として記されている点に、殊更わたしは着眼しています。

なぜ、着眼するかと言えば、智邈/灌頂/湛然など中国天台宗の文献には、そもそも「本尊」語の使用がまったく見られないからです。それにもかかわらず、その台家道場に置く法華経を「本尊」という記述は史実に違反すると見えるからです。

わたしが何より題目本尊に疑問を懐くのは、三つの法門(本門本尊/本門題目/本門戒壇)において、本尊と題目を分け立てているのに、なぜ題目を本尊というのか、という疑問でもあります。題目が本尊であれば、この三つは分けて論じる必要はないことになるからです。

また写本遺文で見ると実に早い時期から題目本尊が記されている“ことになっています”。例えば、『唱法華題目鈔』では文応元(1260.05・28)の時点で「本尊は法華経八巻、一巻、一品、或は題目をかきて本尊と定むべし」また、『妙法曼荼羅供養事』文永10(1273)「妙法蓮華経の御本尊供養」、『本尊供養御書(報南条平七郎書)』建治2(1276.12)「法華経御本尊供養」、『法華初心成仏鈔』建治3(1277)「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ」などと『観心本尊鈔』の寿量仏・久遠釈尊本尊観を跨ぎながら、題目本尊観が散りばめられていきます。

いわば、題目本尊観は、むしろ写本遺文、殊に真偽未決書に見られる特徴のように思えます。

しかし、以上のように記せば、ガンコさんが挙げた疑問の如く、ではなぜ漫荼羅は題目を中心に図示されているのか、中心が題目であれば題目本尊ではないのかという反論は当然、起こることになるでしょう。

この時点で、わたしは像非家が常に見ないようにする点、すなわち蓮師の一体仏随身の事実を挙げることになります。

『清澄寺大衆中』に「日蓮が御本尊の手にゆい(結)つけていのり」という場合の本尊は間違いなく釈迦仏像を言うものでしょう。

977犀角独歩:2003/11/24(月) 13:22

―976からつづく―

○本尊は仏とは限らない

真跡を具に見ると、蓮師は本尊という語を仏に限って使っているわけではありません。

「此れ等の人々を絵像木像にあらわして本尊と仰ぐ」開目抄
「智証大師の本尊慈氏菩薩」報恩抄

この点は写本遺文においても同様です。

「達磨大師を本尊とする」諸宗問答鈔
「畜類を本尊として男女の愛法を祈り」是名五郎太郎殿御返事
「漢土の道士悦をなして唐土の神百霊を本尊としてありき」四条金吾殿御返事
「儒家には三皇、五帝を用て本尊とする」本尊問答鈔
「達磨を本尊」新池殿御消息

そして、その類型の一つとして法華経本尊という特異な記述も見られることになります。しかし、なぜか日蓮本仏圏では本尊といえば仏、本仏であるという暗黙の決めごとに存しているように見受けます。

これはまた、有師などの日蓮“本尊”論の誤謬とも大いに関連していると、わたしは観察するわけです。
有師が「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」というとき、蓮師を仏と言っているわけではありません。それは次文を見れば明らかです。「未断惑の導師を本尊とする」と明らかです。

ところが、勝れた、それも仏を本尊とするという刷り込まれた固定観念がある場合、元来、日蓮本尊は、ただちに日蓮本仏と解釈されることになります。これしかしながら、まったく短絡です。有師の脈絡は人師本尊から日蓮本尊を言っているものでした。

以上の誤謬は、いわゆる凡夫本仏論にもたしかに踏襲されているとわたしは見ます。
ここで凡夫本仏と言わず、“凡夫本尊”を言うのであれば、元来の富士教説と矛盾を来すことはなかったように見えます。

本尊といえば、仏、それもいちばん勝れた仏・本仏という論法が、人法一箇・日蓮本仏論を生んでいった躓きであったとわたしは観察しているわけです。

978ガンコ:2003/11/24(月) 14:49

相変わらず難しいですなあ。

ところで、清澄寺大衆中の「御本尊」は虚空蔵菩薩のことであるって、どこかで読んだ気がするのですが、う〜ん、いかがでしょうか?

いま、該当部分を大急ぎで読んでみたけど、よくわからない。はっきりしているのは、曼荼羅ではないこと。(当たり前か)

979犀角独歩:2003/11/24(月) 15:18

愚鈍凡夫さん:

横レス失礼します。

> 「法華経の題目」がその本尊に勧請されているのか

というより、法華経題目を証明(しょうみょう)
するために勧請の意を籠めて諸尊聖衆をそこに列挙したとは見られませんか。

980犀角独歩:2003/11/24(月) 15:41

ガンコさん:

清澄寺の本尊は不思議法師が彫った虚空蔵菩薩像ではありませんでしたか。
それが虚空蔵求聞持法を蓮師が修したとき、生身(しょうしん)で現前し、智慧の宝珠を賜った、こうなっていくのでしたね。

像に刻まれた菩薩様は、生身(なまみ)で現れる、ここら辺のコンセプトが仏教説話であると思うわけです。

981ガンコ:2003/11/24(月) 16:53

あっ、いやいや独歩さん。

わたくしの申し上げたかったことは、清澄寺の本尊ではなく、独歩さんがお引きなさった清澄寺大衆中の本文に出てくる「日蓮が御本尊の手にゆいつけて」云々は、釈尊像ではなく虚空蔵菩薩像ではなかったか・・・ということなんです。
確信があるわけではないですが、そのような記述をどこかで見たような見ないような・・・

982れん:2003/11/24(月) 18:20
横レス失礼します。

独歩さん。問題の「本尊問答抄」は日興上人と実相寺日源師の写本が現存します。日興上人の書写のものは重須本門寺蔵で、「法華本門本尊問答抄 日蓮撰」と記されています。御筆写真が「図録日蓮聖人の世界」に掲載されています。興師写本に日蓮撰と明記されているので、本尊問答抄が蓮師の著作であることは動かしがたい史実と私は考えます。

983れん:2003/11/24(月) 19:05
あと、唱法華題目抄ですが、蓮祖真筆の「南条兵衛七郎殿御書」の第二紙・第三紙に日興上人が細字で行間に唱法華題目抄を書写されており(日蓮聖人真蹟集成第四巻所収)、唱法華題目抄も、蓮祖真撰で間違いないでしょう。以上討論のご参考までm(__)m

984愚鈍凡夫:2003/11/24(月) 19:37
うわっ!!また置いて行かれてる・・・・・。ヾ(;´▽`A``アセアセ

>>974:ガンコさんへ。

「問うて云く如来滅後二千余年竜樹天親天台伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(「法華取要抄」 学会版P336)
の一節について、何故「題目の五字」に集約されるとの結論に達したかといえば、

「在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」(「観心本尊抄」 昭定P715)
「日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり」(「法華取要抄」 学会版P336)
「権経流布せば実経流布すべし権経の題目流布せば実経の題目も又流布すべし」(「撰時抄」 学会版P284)
「日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は諸天世間の眼にあらずや」(「諫暁八幡抄」 学会版P582)
「一部八巻二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広なり、方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり、担一四句偈乃至題目計りを唱えとなうる者を護持するは要なり、広略要の中には題目は要の内なり」(「法華経題目抄」 学会版P942)
「今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり、而るに今時の学者時機に迷惑して或は小乗を弘通し或は権大乗を授与し或は一乗を演説すれども題目の五字を以て下種と為す可きの由来を知らざるか」(「曾谷入道殿許御書」 学会版P1027)

これらの文証に題目の重要性が説かれているからです。
これらの文証から推察すると、蓮祖は題目の流布を主眼に置いていたのではないでしょうか。現在では、創価学会の戸田さんの影響か、「一家に一台。幸福製造機」といった感じで、漫荼羅流布が主眼のようにされていますが、これは、蓮祖の考えではないと思います。
勿論、紙を入手しにくい時代であったから、信者全員に漫荼羅授与できなかったという事情もあるでしょうが、やはり先の文証を読み返すと、主眼は漫荼羅授与ではなく、唱題行の流布であったと思えるからです。

985愚鈍凡夫:2003/11/24(月) 19:47
>>979:犀角独歩さんへ。

> というより、法華経題目を証明(しょうみょう)
> するために勧請の意を籠めて諸尊聖衆をそこに列挙したとは見られませんか。

捉え方が逆だということですね。
小生の場合、仏像も蓮祖の本尊構想の中にあると思っていますから、先のようなレスになりました。
御教示有り難うございます。

986犀角独歩:2003/11/24(月) 20:32

981 ガンコさん:

そうですか。
これは迂闊な発言をわたしはしましたね。
もう少し、詳しく記していただけませんか。

987犀角独歩:2003/11/24(月) 20:33

982,983 れんさん:

有り難うございます。
ロムをいただいていたどうか存じませんが、昨年の夏から冬に掛けて、『本尊問答鈔』の真偽問題は大いに涌いた話題のひとつでした。そのなかでわたしは、興師写本自体に疑義を立てました。理由は、れんさんも記された『唱法華題目抄』にしても、なぜ興師に係るところで題目本尊論が展開されるのかという点からの疑問でした。これは日蓮上行論をはじめて載せると思われる『頼朝陳状』がまたそうでした。すなわち、富士義となる題目本尊、あるいは日蓮上行は興師写本から導き出されるのはなぜか、極端な話、興師の偽託の可能性も視野に入れるべきではないのかというのがわたしの主張したことでした。もちろん、その主張にしがみつこうというものではありません。
以下、当時、『本尊問答鈔』について、輝師『本尊略弁』から議論が生じ、それについて、現時点さんが以下のような資料を提示してくれたことが際だっておりましたので、転載させていただきます。

*** 以下転載 ***

『日有上人による石山教学の展開』

52 名前: 現時点 投稿日: 2002/08/04(日) 11:51

「日蓮聖人の本尊観について」において、元初仏・先仏等の重要な議論が展開中ですので、「本尊問答抄」の位置づけに関して、ここに記します。

望月歓厚師「日蓮聖人の本尊について」から

「本尊問答抄は、法本尊のもっとも明瞭な依文である。特に、仏本尊を否定して「教主釈尊を本尊とす、法華経の正意にはあらず」といい、「法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり〜ゆえに、能生をもって本尊とするなり」とて、諸仏所師所謂法なりの義である。本抄は、古来紛々の論議を重ねて対告は清澄の浄顕房義城房等なるによって所論は権実相対の重に止まり、未熟の機である真言教徒に対して、しばらく権仏に対して法本尊を示したるのみと会通するは「本尊略弁」である。しかるに、本抄に先だち建治二年七月同じく清澄の大衆に示して、道善御房の墓前に一遍読み、その後は度々読み合わせよと教示された「報恩抄」の明瞭な仏本尊との相違をいかに解釈すべきか。同一授与者に二年後には全く反対な指示を与えたとは考えられないではないか」と記述されています。

『日蓮聖人の本尊観」

68 名前: 現時点 投稿日: 2002/08/03(土) 07:44

独歩さん

本尊問答抄について 少々

浅井要麟師は「日蓮教学の研究」で、p138に「聖人は自ら建立された本尊の実体を説明して、本尊抄、報恩抄、開目抄等には「寿量品の仏」といい、「本門の教主釈尊を本尊とすべし」等といって、明らかに人格的仏陀として解説されている。

しかるに本尊問答抄には徹頭徹尾「法華経の題目をもって本尊となすべし」といい、明確に法格的本尊なることを断言されている。

p117で「優陀師は、この背反関係について、対告衆である浄顕坊、その機いまだ生しきがゆえに、ただ権実相対の一辺を示して、真言諸家の本尊を破し、通途の天台法華の法相を述べたまう。要するに浄顕坊に対する誘引の意図に成ったものという会通できある。」

「私はその会通上の理論においてにわかに首肯しがたいものである。
浄顕坊は機根未熟なりといわれるが、これより先建治2年には同じ浄顕坊に対して報恩抄を送られている事実がある。その中に「本門の教主釈尊を本尊とすべし」と、明らかに聖人本懐の本尊観が指示されているのである。それより3年後に同じ浄顕坊に送られた本尊問答抄において、機根未熟のゆえに法本尊観を説かれたとは領解に苦しまざるを得ないのである。」

とあります。ご参考まで。

本尊問答抄について  小林是恭師 大崎学報
「本尊問答抄にはその筆述の年次が記されていない。先師の所説は概略以下のごとくだ。
建治元年7月13日  久遠成院日親の本尊相承抄 本尊論資料2の18
弘安元年       諸註書、諸目録、諸板本
弘安5年       日尊写本奥書=日蓮宗年表  常師筆跡
縮冊遺文の本抄末に岩本実相寺に正応3年(聖人滅後9年)7月15日に転写したという  日源
日興上人の写本が重須本門寺にあるという *** 転載おわり ***

988犀角独歩:2003/11/24(月) 20:34

985 愚鈍凡夫さん:

> 仏像も蓮祖の本尊構想の中にある

このお考えにはわたしも賛成です。

989愚鈍凡夫:2003/11/24(月) 22:38
横レス失礼します。
ガンコさんこんな資料がありますよ。

「小櫃川源流と清澄寺」
http://guncyan.k-server.org/iitoko-kiyosumikouyou.htm

「日蓮聖人「立教開教」と虚空蔵・妙見尊の関係」
http://www.d1.dion.ne.jp/~janis/9-8-1.html

「日蓮聖人「立教開宗」における 妙見尊と虚空蔵菩薩の関係」
http://www.d1.dion.ne.jp/~janis/kenkyu1.html

「鉱山と深い関係 妙見尊、虚空菩薩 祀る寺社」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/paper/1998/98080101.htm

990アネモネ:2003/11/25(火) 02:31
またまた横レス失礼いたします。

>962 犀角独歩さん

レスありがとうございます。

>仏法と仏道は同じ意味であるということでした。つまり、法は道(どう)であるというのでした。…法華経の中に説かれる正法とは菩薩道であると見ると、この経典が元来、言おうとしていた意味が初めて見えてくるとわたしには思えるわけです。

正法の体感や体現ということになると、なにか捉えどころがなく、仮に「悟った」といったところで、どことなく眉唾ものに思えてなりません。
しかし、仏道ということになると違ってきますね。個人の解脱に留まらないという「菩薩道」を志して実践するところに「正法」があるということであるならば、私は信じたいという気持ちにもなります。

実は、この掲示板に参加したとき、独歩さんがしきりに菩薩という言葉をレスされていたことが、とても印象的に感じました。ところがお寺での説教を振り返ると、菩薩ではなく、むしろ凡夫という語彙のほうがよく聞かされていたように思うのです。
また、何が仏道(菩薩道)なのかということにおいても、お寺では、この法を広めること、つまり折伏(勧誘活動)が仏道(菩薩道)だと教えられていたように思いますね。
pundarikaでも書いたことですが、私はそのことがやはり釈然としないんです。

正法は仏道であると言える。そして、法華経の中に説かれる仏道とは菩薩道のことであり、つまり正法とは菩薩道であるともいえる。
しかしお寺の教えにのっとって、菩薩道は正法を広めることといえる…となれば、菩薩道は菩薩道を広めることという、なんだか堂々巡りに思えてしまいます。
菩薩道の実践=菩薩道の広報宣伝と、置き換えられていいものなのか、ここも素朴な疑問ですが、法華経に説かれてることとは、結局そういうことなのでしょうね…。
なんか、ここにある種の限界を感じてしまうところです。
法とは何かがわからないのと同じく、菩薩道とは何かがはっきりしていないようにも思えるところです。

991アネモネ:2003/11/25(火) 02:45
愚鈍凡夫さん

ご返信ありがとうございます。

>言いたかったことは、「法華経」を含む経典に説かれる「法」こそが「柱」である。ということです。

いずれのお経も、また釈尊の教説においても、「法」を拠り所とすることが柱になっているということなのでしょうね。
しかし、その「法」っていうのが、なんだかよくわからないんですよね。せいぜい私に理解できるところは、自然の摂理くらいのもので、そんなことを感じる中に、不思議とも思える「法」らしきものを考えることはありますが、だからといって法を悟ったなどと思えるものではありません。
唱えていれば、それが悟れるというのも、よくわからない。(←これは、私のつぶやきです)
確かに日蓮さんは悟ったのか、戸田さんが悟ったのか、池田さんが悟ったのか、それだってわからないことですね。悟った気になっているだけかもしれません。
ただし、やっぱり悟っていようが悟っていまいが、菩薩道に目覚めた姿には、仏をみる思いがするだろうなあと思います。日蓮さんに菩薩や仏を見る思いがするのは、まさに法華経を通して「菩薩道に目覚めた姿」を感じるからなのだろうと思います。
もはや私とて、日蓮さんの限界も認めているところですが、菩薩道に目覚めた人であっただろうなあと今でもそこは敬慕するところです。

>この一節に、釈迦牟尼仏亡き後の、弟子たちの想いを感じます。というより、ここの部分が「此の経」ではなく、「経典」とあることに、好意を持ったと言ったほうが正確でしょうか。

なるほど。
独歩さんのレスにもありましたが、「見仏」への思いが、法華経全体に通じるコンセプトなのかもしれませんね。それが、菩薩道への発心となるものなのかもしれません。
そのあたりの心情について、法華経を成立させた人々の切なる思いに心を合わせてみると、法華経が示す独特の強い精神性というものも想像できます。
なにより、仏を讃嘆し求める思いの強さにおいては、ものすごいものが感じられますね。

>先のにも述べましたが、「仏法」は「経典」から導き出されるものだと思うので、「経典」の中に仏陀を観じ、「経典」の指南を仰いで仏道を求めるというのが仏教のスタンスではないかと思います。

確かに仰る通りなんでしょうね。
だけど、私には、やっぱり素朴な疑問がまだ少し残るのです。
仏を求めるが故に、経典の指南を仰ぐことは決して間違いではないでしょう。
しかし言葉をかえて、仏法とは経典からしか導き出されないものなのでしょうか。経典が仏法の全てなのかという疑問でもあります。
お釈迦さまは、自分の肖像はもちろんのこと、説いたことさえも文字として残すことを認めていなかったとも聞きます。
もちろん、結果的にはお釈迦さまの意に反して、多くの教えが文字に記されたことで、現代に生きる私たちもその心を探ることが出来ているわけですが、しかし本当に拠り所とすべきは、経典そのものではないんじゃないのかなあって思うんですね。
お釈迦さまが説いていないことまでも、釈迦の名によって記されたものもあるようですし。
その正邪を判断する自分というものが、しっかりしていなければならないだろうと思います。それが、自灯明ということでしょうか。

また、間違っているかもしれませんが、愚鈍凡夫さんも尊敬されているマザー・テレサですが、恐らく経典を全く知らないはずなのに、私としては、彼女の行動こそ菩薩道そのものではなかったかと思えてしまうんですね。きっと愚鈍凡夫さんも同じように感じていらっしゃることと拝察いたします。

議論を飛躍させて申し訳ありません。また本題から横道にそれてしまって恐縮ですが、これも素朴な疑問ということで、お許しください。

992犀角独歩:2003/11/25(火) 12:39

990 アネモネさん:

このスレッドは「素朴な疑問」。当然の決めごととして了解してきたけれど、実は解けていない素朴な疑問にこそ、実は自分の信仰の落とし穴が潜んでいたのではないのかと思う昨今です。

> 菩薩道は正法を広める…菩薩道は菩薩道を広める…堂々巡りに思えてしまいます

堂々巡りですか。そう見えるかも知れませんね。けれど、法華経では五十展転随喜は重要なテーマでした。絶えざる精進の道を歩むことなので、堂々巡りになっては、むしろいけないのでしょう。

> 菩薩道の実践=菩薩道の広報宣伝

広宣流布という言葉はいまで言えば、広告宣伝にいちばん近い言葉かも知れません。もちろん、商業的な意味合いを抜いた場合です。ですから、類似語である広報宣伝…広く報じて宣(よ)く伝える…意味も準じているとわたしも考えます。

ただし、法華経のなかで弘法は大きなテーマですが、それだけではありません。
六度(布施・持戒・忍辱・精進・禪・智)が具体的な道として示されています。
布施とは自分の功徳を我が菩提の資糧とせず、衆生に施すことでした。それは戒を持(たも)ち、堪え忍び、精進し、深い禅定と智慧を修することによって実践されるということでした。この布施行のなかにこそ弘法が含まれるのであるとわたしは思えます。
いまの時代、ボランティア、福祉、社会還元などという考えは一つも新しいものではなく、既に実践されていることです。けれど、いまから2000年昔、このような福祉が既に主張され、実践されていたことにわたしは驚きを禁じ得ないのです。

ここのところ、蓮師三宝義を論じるに、仏(釈尊)・法(妙法)・僧(四菩薩)と、僧は菩薩という伏線で記してきました。これしかし、法華経成立当時、菩薩は上座部その他の寺院に籠もる僧侶を意味したのではなく、在俗の実践者であったのでしょう。法華経創作者もたぶん、在家の実践活動家であったのではないのかと想像できます。法華経は法華経創作をした集団に限って、書かれていますから、法華経を広めるテーマが大きく、そこに菩薩道が摂取される憾みがあります。そして、他の経典を排斥するとすれば、結局、それが法華経の限界そのものを意味することになるのでしょう。この点でアネモネさんの杞憂と同一の思いをわたしも懐きます。

> 法華経に説かれてることとは、結局そういうこと

法華経そのものに内在する法華経そのものへの極端な賛美、まさにもっとも問題にされる点でした。法華経のなかに繰り返し記述される迫害の物語は、創作者集団が「自分たちだけが正しい」とする偏狭さを持っていたために起きた事実を記したものであったかも知れません。そして、2000年を経ていまに至るまで法華経によってもたらされる人格形成はその点から脱却していないようにも見えます。

> ここにある種の限界を感じてしまう

そうですね。わたしも同様に感じます。
しかしもし、法華経を信奉する実践者=菩薩道を目指す人と集団が、その限界を越えようとするとき、それは補完されるのではないのかとわたしは楽観的な予測を立ててはいます。否むしろ、法華経信奉者は、その偏狭な信仰姿勢から、文字通りの大乗精神に漕ぎ出す必要があると思います。

> 法とは何か…菩薩道

菩薩としての生き方、道としての法。それを法華経のみに呪縛したとき、アネモネさんが仰るような堂々巡りに陥ることになるのだと思います。

偏狭な一経主義に法華経創作者が陥った過ちを2000年を経たいま、超克することができれば、アネモネさんの疑問はあるいは解消されるかも知れませんね。

愚鈍凡夫さんへの問いかけで「マザーテレサは菩薩道」と記されていましたが、まったく仰るとおりであろうと思います。法華経のなかに菩薩道は記されています。しかし、法華経がはじめて菩薩道を説いたわけではありません。菩薩道は善意の実践のなかに、その遡型があるのでしょう。菩薩道実践の人がいたからこそ、菩薩道をテーマにした経典が創られたという時系列です。法華経もその一つです。その意味からすれば、法華経を知らずとも菩薩道を歩む尊い人々がいることはなにも不思議なことではないと、わたしには思えるわけです。

過去数千年前に興った救済者思想の継承者であり、菩薩精神もまた、同じ源から生じた勝れた人間精神であったのであろうと思います。それはたぶん、イラン・ミトラ教のミトラを遡型とするミトラ信仰が、ミシュラン、メシヤ、マイトレーヤ(ミロク)と姿形を変えながら新約世界ではイエス・キリストとなり、大乗経典郡では弥勒菩薩を濫觴とする救済者=菩薩思想へと展開していった源を同じくする救済者思想であったというのがわたしの結論です。それを一教一宗派に封じ込めることこそ愚かなことであると思うわけです。

993愚鈍凡夫:2003/11/25(火) 18:49
アネモネさん、レス有り難うございます。

マザー・テレサの言葉にこういうのがあります。

『教皇パウロ6世がくださった1台の車を、ボンベイで、くじの賞品にさせてもらい、集まったお金でハンセン病者のための大きなセンターを建て、それを「平和の街」と名づけました。
 ヨハネ23世賞でいただいたお金で、もう1つのリハビリテーション・センターをつくり、それには「平和からの贈り物」と名づけました。
 ノーベル平和賞でいただいたお金では、貧しい人たちのために、いくつかのホームを建てました。というのも私はこの賞を、貧しい人々の名においてのみ受けたのですから』

これって、経典に説かれるままの布施行ですよね。
またこういう言葉もあります。

『ガンジーは、キリストのことを知った時、興味を抱きました。しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。』

理想と現実のギャップは、どの宗教も同じなのですね。
またこうも言っています。

『キリスト信者であるためには、キリストに似た者でなければならないと、私は固く信じています。
 ガンジーがかつてこう言いました。「もしもキリスト信者たちが、その信仰に忠実に生きていたら、インドにはヒンズー教を信じる者たちは一人もいなくなってしまっただろう」と。
 人々は、私たちがキリスト信者らしく生きることを期待しているのです。』

これは、富士門系在家教団に言えることでしょう。そして、これが広宣流布の理想型なのでしょうね。

「人々は、私たちが菩薩らしく生きることを期待しているのです。」 (^∧^) 合掌

994問答迷人:2003/11/25(火) 23:29

愚鈍凡夫さん

>「人々は、私たちが菩薩らしく生きることを期待しているのです。」 (^∧^) 合掌

愚鈍凡夫さんのお考えに全面的に賛同します。

法華経は「教菩薩法」として説かれています。マザーテレサの実践は、法華経を信ずる僕自身が目指すべき姿なんだと感じます。法華経の経典作者が言いたかった事を、マザーテレサは、身を以って実践し、人のあるべき姿を人類に語り掛けているのだと思います。

995アネモネ:2003/11/26(水) 01:40
犀角独歩さん

>このスレッドは「素朴な疑問」。当然の決めごととして了解してきたけれど、実は解けていない素朴な疑問にこそ、実は自分の信仰の落とし穴が潜んでいたのではないのかと…

お寺にしろ組織しろ、その中で自分の居場所を求めるとなれば、質問そのものが憚られるというものでした。そんな疑問が素朴に投稿できる掲示板は、やはり貴重な存在だとつくづく思います。

>絶えざる精進の道を歩むことなので、堂々巡りになっては、むしろいけないのでしょう。

菩薩道の随喜がなんであるのか、そこから学び知ることが大事なことなのではないでしょうか。しかしそれも菩薩道の実践のなかに本当に知ることが出来るものなのでしょう。だけど、その菩薩道が完全に組織勧誘や供養や財務といった行為に置き換えられてしまっているといえるわけですね。これも確かに実践活動ですから、菩薩道だと信じて実践し、その上成果も出れば、随喜となるわけでしようね。

>布施とは自分の功徳を我が菩提の資糧とせず、衆生に施すことでした。

このことは、とても重要なことだと思います。
衆生に施すということ。このことを私は、お寺で一度も聞いたことがありませんでした。
組織に対してご供養や財務をすることは、仏法に対する供養と称した布施行とされてしまっています。
ということであるならば、そのような名目で集金をしている組織は、供養した信徒になり代わって、集めた資金を広く衆生に対して施すことをしなければならないと思うのです。そうでなければ、個々の信徒の供養の厚意を無にしているといえるでしょうね。

私は、信仰に入る人というのは、その大半は人を救いたくて入るのではなく、自分が救われたくて入るものだと思うんですね。創価学会が破竹の勢いで躍進した時代背景を考えてみても、多くの民衆は戦後の貧しさの中、明日をも知れぬ生活不安を抱えていた時代だったわけですから、むしろ社会的にも施しを必要としていた人々といってもよかったといえるでしょう。そのような人々が、社会や他人からの施しを当てにせず、自力で生き抜くための拠り所として、信仰を求めたものだろうと思うのです。そのことは、在家の立場で信仰を求める志として、何も間違いではないですし、何もとがめられることでもないでしょう。
だけど、聖職者の立場となると話は違ってきますね。自分が救われる為に聖職者となることすれば、その志は邪なものといえるものでしょうし、本来的には菩薩精神にのっとり、自分の成仏を捨てても他(民衆)を済度する志で聖職者とならなければならないものだと思うのです。
つまり、組織的に供養や財務を集めている聖職的立場の人たちは、布施行を託している信徒に成り代わって、その集めた資金を広く衆生に施す責任の立場にあるのではないかと思うのです。
施すべき衆生とは、救いを求める「不信の人」ですね。それをしなければ、救いを求めて布施行を託した「信の人」も救われないものでしょう。

>この布施行のなかにこそ弘法が含まれるのであるとわたしは思えます。

済度を目的とする弘法なのでしょうね。
ところが、いずれの組織も済度の名を借りた我田引水といえます。
しかし、まあ、私がレスをすると、どうしても組織批判になってしまいますね。長らく、組織を離れているのでそんなに感情的になることもないのですが、こうして書いているうちに、ついつい苛立ちを覚えます。

996アネモネ:2003/11/26(水) 01:41
(つづき)
>これしかし、法華経成立当時、菩薩は上座部その他の寺院に籠もる僧侶を意味したのではなく、在俗の実践者であったのでしょう。法華経創作者もたぶん、在家の実践活動家であったのではないのかと想像できます。

ここでもまた素朴な疑問ですが、いわゆる法華経成立の時代、法華経創設者のいうところの「菩薩道の実践」とは、一体何だったのでしょう。
何を菩薩道として何を具体的に実践したのかということに、私としては興味をもつところです。
それが、いわゆる今日でいうところの慈善事業やボランティア的なことだったのか。それとも、仏像建立や経典創作、または建造物の建立だったのか。
実践といってもいろいろあると思うんですね。

>そして、他の経典を排斥するとすれば、結局、それが法華経の限界そのものを意味することになるのでしょう。
>華経のなかに繰り返し記述される迫害の物語は、創作者集団が「自分たちだけが正しい」とする偏狭さを持っていたために起きた事実を記したものであったかも知れません。

そのことが事実だとするならば、なぜ、そのようなことになったのか、その背景を知りたいと思いますね。

>法華経を信奉する実践者=菩薩道を目指す人と集団否…法華経信奉者は、その偏狭な信仰姿勢から、文字通りの大乗精神に漕ぎ出す必要があると思います。

菩薩道の実践とは何であるのかということが重要だと思います。その菩薩道が、宗教的観点、つまり宗教的精神性において心から随喜を感じることが出来るとき、広める価値がある教えといえるのではないでしょうか。
法華経が説くという不軽菩薩の精神でいうならば、人を敬う心のこと、つまり人を差別することなく遍く思いやる心を培うことではないかと思うんですね。
法華経が広めるべき心とは、信心ではなく、不軽心ではないかと私は思うのです。
法華経を読みもしない私が、偉そうに言ってはいけませんが…。

>愚鈍凡夫さんへの問いかけで「マザー・テレサは菩薩道」と記されていましたが、まったく仰るとおりであろうと思います。

マザー・テレサの行為というのは、きっと聖職者として、もしくは宗教家として、実は当たり前のことなのかもしれません。
世間に名が出ることのない一介の人の中にも、マザー・テレサのような慈愛の実践者はいらっしゃることと思います。このことは、私などより、愚鈍凡夫さんや独歩さんのほうがはるかに実感として体感されていらっしゃることと思いますし、まさに実践者でもいらっしゃること、私は一目置いております。

>菩薩道は善意の実践のなかに、その遡型があるのでしょう。菩薩道実践の人がいたからこそ、菩薩道をテーマにした経典が創られたという時系列です。

ここは重要なところではないかと思います。

>法華経もその一つです。その意味からすれば、法華経を知らずとも菩薩道を歩む尊い人々がいることはなにも不思議なことではないと、わたしには思えるわけです。

世界中に、古の時代から信仰者はいるわけですが、ほとんどが経典も聖典も読めない文盲の信徒が多かっただろうと思います。
最近知って驚いたことですが、あの宗教裁判にかけられて処刑されたジャンヌ・ダルクも全く字が読めなかったといいます。しかし、ジャンヌ・ダルクは、自分が戦いが終わると、自陣の戦死者はもちろんのこと、戦った相手の亡骸をも抱きしめ涙していたとのこと。
文盲でありながらも、「汝の敵を愛せよ」というイエスの心を理解していたことに、私は驚きました。

997アネモネ:2003/11/26(水) 01:42
(つづき)
私は、法華経をはじめとする経典や聖典を否定するものではありません。だけど、「経典信仰」ということになると、違うのではないかなと思うのです。その意味では、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のあり方にも大きく疑問を持ちます。と同時に、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が持つ聖典信仰のあり方に、法華経信仰の姿が酷似していることも気になるところでもあります。成立した時期や地域が近いことからも、その親和性みたいなものがうかがえるものでもあります。
私も、もともとはクリスチャンですから、聖典信仰のその思想性は非常に理解できるところでありますし、事実、法華講入信のときは、仏像信仰ではない、法華経信仰というスタンスに対してまるで違和感を感じなかったものでもあります。
ただし、御本尊下付から、なにか偶像崇拝(器物崇拝)ではないかという疑義を感じたのも事実でした。
恐らく、今、ここで議論されてきた本題の流れとは、何が本尊であるのかということだったのだろうと思うのですが、私に限っていえば、「本尊」という言葉そのものが馴染めないところなのです。
たぶん、本尊=偶像崇拝(器物崇拝)と感じてしまうのでしょう。
ただし、もっと突き詰めれば、偶像や器物を立てるまでもなく、聖典信仰そのものが究極の偶像崇拝ではないだろうかと、そんな思いももっています。
それは、決して聖典を否定するものではないのですが、聖典そのものを信仰の対象や本尊と崇めるといった宗教観に対して、私は疑義をもっています。
なにより、聖典を読んでいる人よりも、聖典も読めない人に、聖典の心を理解している場合があるという事実を知るからです。

>それはたぶん、イラン・ミトラ教のミトラを遡型とするミトラ信仰が、ミシュラン、メシヤ、マイトレーヤ(ミロク)と姿形を変えながら新約世界ではイエス・キリストとなり、大乗経典郡では弥勒菩薩を濫觴とする救済者=菩薩思想へと展開していった源を同じくする救済者思想であったというのがわたしの結論です。

非常に感覚的なところでの見解ですが、私は最初はキリスト教から宗教を知り、そして成人してから日蓮仏教によって法華経に触れたわけですが、聖書のいわゆる救世主信仰と、法華経の済度思想は、非常に似通ったものだと感じました。本当に感覚的に、そう思いました。

>それを一教一宗派に封じ込めることこそ愚かなことであると思うわけです。

私もそう思います。
法華経成立の背景というものも、概ねわかってきているわけですね。同時に、聖典の限界も見えてくるわけです。決して絶対的なものではないということを認めることも、仏教精神にかなったことではないでしょうか。
だからといって、完全否定するものではありません。絶対的、信仰の立場も否定の立場もとらないで、学ぶべきところを自らの判断で掴むということが求められるところだと思いますね。

998アネモネ:2003/11/26(水) 01:42
愚鈍凡夫さん

>マザー・テレサの言葉にこういうのがあります。
…これって、経典に説かれるままの布施行ですよね。

私は実は、キリスト教徒だったとき、今ほどマザー・テレサに対して強い思いを抱くことがなかったのです。むしろ、キリスト教を離れて仏教徒の立場になってからのほうが、彼女に対する強い憧憬と敬慕の思いを持つようになりました。
しかし、法華講信徒の中には、マザー・テレサは謗法であり地獄に落ちたなどと言い切る人もいたりしましたから、仏教徒の愚鈍凡夫さんから、マザー・テレサの具体的な菩薩道についてこうして教わることは、とても新鮮なことと感じます。

>『ガンジーは、キリストのことを知った時、興味を抱きました。しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。』

私もガンジーのことは、心から敬愛し憧れてもいます。こんな表現は不適切かもしれませんが、ガンジーの中に日蓮をみるような思いもあるくらいなのです。
また、ご紹介くださってガンジーの言葉、とても納得するものがありますね。

>ガンジーがかつてこう言いました。「もしもキリスト信者たちが、その信仰に忠実に生きていたら、インドにはヒンズー教を信じる者たちは一人もいなくなってしまっただろう」と。

いろんな意味があるんでしょうね。ここでいうキリスト信者とは、インドを植民地としたイギリス人のことを意味しているのでしょうか。
私は、キリスト教の嫌いなところは、植民地政策における思想戦の道具であったところです。
しかし、近代の列強国に侵略されるたいていの国々は、当然、近代化に遅れた国であり、国内事情としては貧富の差が著しく激しいわけです。皮肉なことに、侵略してくる列強の思想戦の道具であるキリスト教が、その博愛精神に基づいて、貧しい人々を癒し慰め励ましていくわけですね。
マザー・テレサがそのような構造に組み込まれた人とは全く思ってはいませんが、仏教発生の地でありながら、インドの最下層の人々を実践的に救ったのは、インドを侵略した国の異教の宗教家であったということが、いかにも皮肉に思えてしまうところです。
大乗仏教が発生した歴史的背景というものにも、似たようないきさつがあるのではないかと想像してしまうくらいです。

>「人々は、私たちが菩薩らしく生きることを期待しているのです。」

菩薩らしく生きることに、心から随喜できたときはじめて、五十展転の菩薩道(仏法)の弘法精神があるのかもしれませんね。
ところで、またまた、素朴な疑問ですが、仏教徒として菩薩らしくあるって、どういうことの実践だとお考えになられますか?

999アネモネ:2003/11/26(水) 01:44
問答迷人さん

お久しぶりですね。

>法華経は「教菩薩法」として説かれています。

もしも法華経に「教菩薩法」の象徴的な経文があるならば、ぜひ教えてください。

>法華経の経典作者が言いたかった事を、マザーテレサは、身を以って実践し、人のあるべき姿を人類に語り掛けているのだと思います。

素朴な疑問として、お許し頂きたいのですが、本当の本当にそうなのでしょうか。
もちろん、問答さんの個人的な思いの範疇でのレスかもしれないとも拝察いたしますが、そう思う根拠みたいなところの経文があるならば、ぜひ教えて頂きたいと思います。

私としては、むしろこうした法の捉え方のほうが、しっくりくるんですね。だけど、かつて所属していたお寺では全く聞かれることのなかった解釈ですから、いわゆる文証みたいなものがあるといいなあと期待するところなのです。

1000問答迷人:2003/11/26(水) 08:05

>もしも法華経に「教菩薩法」の象徴的な経文があるならば、ぜひ教えてください。
>そう思う根拠みたいなところの経文があるならば、ぜひ教えて頂きたいと思います。

やはり、「二十四文字の法華経」として、蓮祖がご自身の行動の規範とされた不軽品の一節に尽きると思います。

「最初の威音王如来、既已に滅度したまいて、正法滅して、後像法の中に於いて、増上慢の比丘、大勢力有り。爾の時に一りの菩薩の比丘有り、常不軽と名づく。得大勢、何の因縁を以ってか常不軽と名づくる。是の比丘、凡そ見る所有る、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、『我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし』と。而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして但礼拝を行ず。乃至遠く四衆を見ても、亦復故に往いて礼拝讃歎して、是の言を作さく、我敢えて汝等を軽しめず。汝等皆、当に作仏すべきが故にと。(妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十 )

1001アネモネ:2003/11/26(水) 10:18
問答迷人さん

早速ありがとうございます。

>増上慢の比丘、大勢力有り。

自省の念も含めて、考えさせられるところです。

1002アネモネ:2003/11/26(水) 10:19
>995の自己レス
>しかし、まあ、私がレスをすると、どうしても組織批判になってしまいますね。長らく、組織を離れているのでそんなに感情的になることもないのですが、こうして書いているうちに、ついつい苛立ちを覚えます。

私の舌足らずな拙文で誤解があってはいけませんが、苛立ちを覚えるのは、宗教教団の組織に対してのことです。
菩薩行の本当の意味するところが何であるのかを、私は組織で指導として教わることがなかったと振り返るんですね。
菩薩行がなんであるかを、考えることさえも、停止させられていたのではないかと思います。
問答さんに示して頂いた不軽菩薩の姿にしても、組織勧誘(折伏活動)に置き換えられて教えられていたと思いますね。今でこそ、そこに大きな疑問を持ちます。今も組織活動を信じている人には、その疑問、菩薩行とは何であるのかということを、立ち止まって考えてみてほしいなあと思うところです。

1003愚鈍凡夫:2003/11/26(水) 14:02
問答迷人さん、ご賛同頂きまして有り難うございます。
アネモネさん、菩薩の在り方ですか・・・・・。一言で言うのは難しい。 (゜ペ)ウーン

ハードディスクを検索したら、こんな資料がありました。
**************************************************

Ⅰ、大乗仏教以前の菩薩
①、釈迦菩薩の登場→菩薩の登場は紀元前2世紀頃の部派仏教時代であろうといわれている。菩薩の始まりは釈迦菩薩である。即ち、仏陀の成道までの修行時代を菩薩ということから始まっている。歴史上で言えば、釈尊の出家した29才から成道した35才までの修行時代の6年間を菩薩といったのである。
②、仏伝・ジャータカの菩薩→信仰に基づく宗教上の仏伝やジャータカの世界の菩薩は歴史事実上の世界の菩薩とは別のものである。例えば、ほぼ紀元前2〜1世紀のものとされるバールハットの彫刻では釈尊のマーヤー夫人への入胎は「世尊入胎」と、また、アショーカ王の建てたルンビニー園の碑文も「世尊誕生」となっているという。ここでは、釈尊は生まれた時から既に仏陀となっていたのである。従って、釈迦菩薩は前世ということになる。しかし、文献上では「世尊入胎」は「菩薩入胎」、「世尊誕生」は「菩薩誕生」となっているという。平川彰著作集第3巻236頁で「当時はまだ菩薩の用語は一般に通用していなかったといわれる。」ごとく菩薩となるべきところが世尊となったのであろうか。また中村元選集[決定版]第21巻104頁にも「原始仏教や伝統的保守的仏教では、前世、またはさとりを開くまでの釈尊を菩薩と呼んでいる」と述べている、この「前世」は「釈迦菩薩は前世」と同じであろう。

************************************************** (※1)

菩薩とは、仏教史の上から見るとこういうことなのでしょう。さらに、
**************************************************

白衣・居家の維摩詰→白衣は世俗の人の着物で、修行僧は色のついた衣を着ていた。『方便品』には「白衣を着けた世俗の人であるけれども修行者の清浄な戒律の行を奉持し、在家の人であるけれども欲界・色界・無色界の三つの迷いの世界に執着していない。妻子ある姿を示しているけれども、常に清らかな行を修している。」と。即ち、維摩詰は妻子のある家にいて自ら生計を営む世俗の人であった。
(中略)
維摩詰は菩薩 →「娑婆という名の世界がある。仏は釈迦牟尼と号す。今現在、五濁の悪世において、小さな教えを願う衆生の為に教えの道をひろめている。そこに、維摩詰という名の菩薩がいる。不可思議解脱の立場から、諸々の菩薩の為に法を説いている。」(『香積仏品』)

************************************************** (※1)

とあります。このことから言えば、出家・在家に関係なく「菩薩」という用語は使えるようですね。仏法を拠り所として、衆生を悟りの道に入らしむる人を菩薩というと言えるでしょうか。

ところで、小生の手元に「女子パウロ会」出版の「マザー・テレサ 愛の言葉」という絵本があります(カトリック信者の友人から贈られたものです)。
この中に、
「人は一切れのパンではなく 愛に、小さなほほえみに 飢えているのです。

だれからも受け入れられず だれからも愛されず 必要とされないという悲しみ
これこそがほんとうの飢えなのです。

愛を与え 愛を受けることを知らない人は 貧しい人のなかでも もっとも貧しい人です。」
との言葉があります。「心の貧しさこそが、本当の飢え」であるとの意味だと思いますが、不軽菩薩の礼拝行とは逆説的な意味で興味深いです。
不軽菩薩は人々の中に「仏性」を観じ、それを礼拝した。マザー・テレサは人々の心の中に飢餓を観じ、それを救済したいとの思いに駆られた。ということでしょうか。
しかし、「救済」という結果から見れば同じことなのかもしれません。
結局、「助けを必要とする人」の手助けをする行為全般が、菩薩行と言えるのではないでしょうか。

※1 『 「維摩経」の研究レポート (1)、「維摩経」の菩薩』
http://www5.ocn.ne.jp/~ono13/page59.html

1004犀角独歩:2003/11/26(水) 16:28

アネモネさん

> 素朴に投稿できる掲示板は、やはり貴重な存在

同感です。その意味でも、この掲示板を用意される管理人・問答名人さんに改めて敬意を表します。

> 菩薩道の随喜

菩薩が随喜するという意味で、わたしは記したわけではありません。
菩薩は随喜させる側であって、その心中が随喜、あるいは感動に満ちているかといえば、必ずしもそうではないと思います。しかしこれは本題とずれますから、いまは記しません。

> 組織に対してご供養や財務…仏法に対する供養・布施行とされてしまっています

そうですね。わたしが3年間言い続けてきたことの一つです。

> 集めた資金を広く衆生に対して施すことをしなければならない

わたしが法華講に入ったばかりの時、本山役僧でもある住職は「供養は元来、個人が仏様に対してするものであって、集団が行うべきものではない」と言っていました。もっともな意見であると思いました。しかし、直ぐに反故になりました。
そもそもシャキャムニはサンガの蓄財そのものを禁止していました。
元来、サンガは法の修行場であったからでしょう。
その後、100年にして、この戒律はその後、大乗教団と発展していくと目される側で破られ、現在に至っています。いまとなって教団の蓄財を咎めたところで意味もなしません。しかし、アネモネさんが仰るように、襟度があるべきであるとわたしも思います。
何のために金銭を集めるのか、単に集団・指導者・構成員のためであれば、ただの商売です。名誉勲章のためであれば名聞名利です。仏に成り代わり衆生済度のために使えば仏使・菩薩の行となるのでしょう。

> 施すべき衆生とは、救いを求める「不信の人」ですね。
> それをしなければ、救いを求めて布施行を託した「信の人」
> も救われないものでしょう。

まったくこの意見には賛同します。
「不信の救済」、布施の意味と併せ、わたしが申し述べてきたをこのように総括いただいたことを嬉しく存じます。
大乗といいながら、集団・指導者・自分たちの本尊を信じなければ救えないのであれば、それは自分たちが小乗と貶称する教義より、さらに劣った乗り物に過ぎません。
不信の救済こそ、真の大乗であるということもまた、わたしが主張してきたことでした。

1005犀角独歩:2003/11/26(水) 16:29

―1004からつづく―

> ところが、いずれの組織も済度の名を借りた我田引水といえます。

よく引用しますが、浅見定雄師が「何を信じているかではなく、何をしているかで集団の真価が問われる」と仰ったのはこの点です。「世界平和はヒットラーも言っていた」と、その非を突いた人もいました。
集団が何をやっているのかを見れば、我田引水の仏法教義利用の商売であるか、衆生済度を目的にしているかは一目瞭然殊です。自己集団の対社会に向けた功績が論じられなければ商売に過ぎないという批判に甘んじるしかないことになります。

> 組織批判

組織批判、大いにけっこうではないでしょうか。
批判を真摯に受け止め、前向きに是正を繰り返すことを健全な運営といいます。
批判を許さない独裁主義は、日本では昭和20年で終わりを告げました。ところがいまでもそんな独裁主義を繰り返している集団があれば、むしろ断固、糾弾されるべきですね。

> 法華経成立の時代、法華経創設者のいうところの「菩薩道の実践」とは、
> 一体何だったのでしょう。

重要な点です。
ボーディサットバとは愚鈍凡夫さんが引用くださったように、ジャータカ(本生譚:シャキャムニの前世物語)における修行者のシャキャムニを指す言葉でした。
その後、大乗経典郡創作の時代にはいると無数の菩薩達が登場するようになります。この濫觴が弥勒菩薩であったようです。このころから、仏の担い手として衆生済度に当たる菩薩は、シャキャムニ一人から無数の求法者として宛われていくことになるのでしょう。
これはたぶん、ミトラ(ミスラ)と菩薩思想の習合の結果であるとわたしには思えます。いずれにしても、菩薩は釈尊一人から拡大解釈されるにいたり、救済者としての性格を色濃く持つようになるのでしょう。

現存する多くの菩薩像は、裕福な服装をした在家、、すなわち、王族・豪商の姿で創られています。わたしはこのことから、そのような社会的に裕福な人々が仏教信仰に基づいて救済活動をする姿に人々は菩薩を見ていった経過を看取します。

その場合、菩薩の与える物は衣食住薬などが主立った救済の糧であったと想像できるわけです。しかしながら、全知全能の神に紛う性格を与えられた永遠の存在として仏に使者として菩薩は、その様相を異にします。彼らが与えるものは仏の教えであったのでしょう。そして、その弘法こそ、菩薩の使命となっていると見えます。

ここからがアネモネさんの疑問に掛かるところですが、単に仏使として法を弘めることを菩薩道と言えるかと問われれば、わたしは断固、「否」と応えます。
では法華経の菩薩はいかばかりかと一瞥するとき、残念ながら法を弘める菩薩の側面ばかりが見えるわけです。わたしは敢えてこの点を欠陥と認めることにします。そして、この欠陥を積極的に補完する方途を法華信奉者はいまこそ真剣に考えるべきであると主張するわけです。

> 法華経…迫害の物語…創作者集団が「自分たちだけが正しい」
> とする偏狭さを持っていたために起きた事実を記したもの
>> そのことが事実だとするならば…その背景を知りたい

法華経に記述される物語はその創作者(集団)のその性格を反映しているというのは学者一般の見解でした。
岩本師が「この経典(『法華経』)を捨て去る災難を数えあげるとすれば、いくら数えても最後に達しないだろう」という。この脅しの言葉はまさにインフェリオリティ・コンプレックスの表現そのものであり、あたかも小児が竹棒を持って強がりをいうのに類すると言っても言い過ぎではない。『法華経』のこの態度は日蓮に見られ、さらにその流れを汲む宗教団体に受けつがれていることは、よく知られていることである」(『佛教入門』中公新書 P167)と記すのはまさにこのことです。同様の記述は渡辺照宏師の著にも見られます。

1006犀角独歩:2003/11/26(水) 16:29

―1005からつづく―

法華経の創作者(集団)とは、一体如何なる人々であったのか。その確実な研究をわたしは知りません。しかし、譬喩品をはじめ、そこに書き連ねられる脅しの言説は、実に見苦しく、そして、差別的です。この差別は、岩本師が言うように被差別側であった怨恨から生じたものである可能性もあるでしょう。しかし、反面、問答名人さんが引用される如き不軽精神の如き、その点を止揚した側面もたしかに看取することはできます。怨恨から不軽への精神的向上の流れをそこに看取できるわけです。この昇華はしかし、高く評価されるべきですね。アネモネさんが「不軽心」といった点にわたしは大いに賛同するものです。その特徴を余すことなく、示すために差別、恫喝の教説をわたしは潔く捨て去ることにしたわけです。


> 「経典信仰」…聖典信仰

この比較は実に重要な意味を持つと思います。
法華経は大乗経典のなかでも特異の聖典信仰の“影響”によって創作された経典であると思えます。梵本のテキストはありませんので、妙法華で「法華経」という語彙を検索したところ、実に97回も出てくるわけです。

また、そのなかで、「吾於過去 無量劫中 求法華経(吾過去無量劫の中に於て法華経を求めし)」(提婆達多品)と経典が過去無量劫から存在していたことを示唆する一節まであります。つまり法華経典は量り知れない過去から存在していたものであるという神話がここに織り込まれているわけです。
このような特異な聖典信仰は他の大乗経典に見られない特徴であるとわたしには思えます。この極端な経典賛美で特徴づけられる理由は、アネモネさんも記されるように、当時の東西文化のなかで勃興していった聖典信仰の影響を法華経創作集団が受けていたからではないのかと、わたしは想像します。

> 本尊=偶像崇拝(器物崇拝)

仏像の出現はたぶんにギリシャ神像彫刻の影響を受けたものでした。
わたしもその意味から、本尊が「生身(しょうしん)の日蓮大聖人」などと言われれば、まさに偶像崇拝という批判を遁れがたいと思えます。しかし、元来の仏像・漫荼羅は、たとえばキリスト者が十字架を用いることに、むしろ近いものであると思える向きもあります。

> 偶像や器物を立てるまでもなく、聖典信仰そのものが究極の偶像崇拝

わたしも、もちろん、同様に感じます。
わたしが「経典は法ではない」というのも同様の意味からです。
題目の五字に一念三千の意義を籠めるのは是であるにせよ、五字そのものが一念三千であるといえば、いわば偶像化に類似をなすと思えます。
しかしながら、ここで、キリスト圏の他教批判の言を費やす必要はありません。
「一切法空」から仏像・漫荼羅を見る視点があれば事足りることでしょう。

> 聖典…信仰の対象・本尊と崇める…宗教観…私は疑義をもっています。

偶像崇拝というキリスト者側の批判からではなくて、大乗仏教の「空」から見ても、この点は再考されなければならない点であろうと存じます。

> 聖書のいわゆる救世主信仰と、法華経の済度思想は、非常に似通ったもの

東西文化比較論では、夙に指摘される点でした。

> 学ぶべきところを自らの判断で掴むということが求められる

この点も大いに賛同します。
日本人といわず、すべての信仰者は、集団信仰を卒業する時機が到来しているのだと、つくづく思う昨今です。

1007愚鈍凡夫:2003/11/26(水) 21:15
>>1003: 注

たぶん、お気づきだとは思いますが、

『方便品』には「白衣を着けた世俗の人であるけれども修行者の清浄な戒律の行を奉持し、在家の人であるけれども欲界・色界・無色界の三つの迷いの世界に執着していない。妻子ある姿を示しているけれども、常に清らかな行を修している。」

との記述がありますが、これは「法華経」ではありません。「維摩経」です。
悪しからず。

「あの〜っ・・・・・。レスが1000を超えてしまいましたが・・・・・。」(独り言) (^_^;)

1008アネモネ:2003/11/27(木) 01:17
愚鈍凡夫さん

レス、大変勉強になります。ありがとうございます。

>仏法を拠り所として、衆生を悟りの道に入らしむる人を菩薩というと言えるでしょうか。

やはり、そういうことなんですね。
私は、図書館である本に菩薩について書かれていたわずか一行の説明に目が釘付けになりました。それは、「自分の成仏を捨てて衆生の済度に生きる」一字一句正確というわけではありませんが、そんなような言葉だったと思います。
私はこのわずか一行に、ジーンとてしまいました。

キリスト教が説く神の愛は、報われることを一切期待しない「無償の愛」だといわれ、イエスの生涯にもなぞらえ、自己犠牲の精神が伴うことを意味しているといわれます。
愛することに報いを期待した時点で、それは本当の愛ではないとなってしまうといえるでしょう。
菩薩が、自分の成仏を捨てても衆生を救わんとする心は、まさにキリスト教が説いた無償の愛と同じ精神性だと私は感じます。

しかし、頭ではわかっていても、その実践となると、ぜんぜん駄目です。
どうしても、報われる愛を求めてしまうものです。
ですから、信仰という場の修行も実践も供養も弘法も、全て自分が報われるためにしてしまうと、それは本当の意味での菩薩道にはならなくなるのではないかと思うころです。

>「人は一切れのパンではなく 愛に、小さなほほえみに 飢えているのです。
だれからも受け入れられず だれからも愛されず 必要とされないという悲しみ
これこそがほんとうの飢えなのです。
愛を与え 愛を受けることを知らない人は 貧しい人のなかでも もっとも貧しい人です。」

涙が出てしまう言葉ですね。

>「不軽菩薩は人々の中に「仏性」を観じ、それを礼拝した。マザー・テレサは人々の心の中に飢餓を観じ、それを救済したいとの思いに駆られた。ということでしょうか。

イエスの山上の垂訓はご存知でしょうか。
その冒頭には、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」という一説が語られています。
きっとマザー・テレサも不軽菩薩と同じように、心の貧しい人の中に神やイエスを見、そして神やイエスに仕える気持ちで貧しい人々に接していらしたものと思われますね。

>結局、「助けを必要とする人」の手助けをする行為全般が、菩薩行と言えるのではないでしょうか。

そうなんでしょうね。他を利するとは、人に尽くすことであり、それが喜びと感じられるとき、それが菩薩行となっているのではないのかなあと思います。

1009アネモネ:2003/11/27(木) 01:18
犀角独歩さん

>そもそもシャキャムニはサンガの蓄財そのものを禁止していました。

キリスト教においても、イエスは自分の弟子になる者に対して、自分の財産を貧しい人々に施してから弟子になるようにと戒めていたようです。

私の想像ですが、蓄財とは、あくまで自分の為の行為だと思われますね。しかし、いわゆる義に生きる道を選ぶとき、それが菩薩道であるならば、他に尽くす(利する)為に、自分を捨てる(自己犠牲)から始めなければならないものなのでしょう。
菩薩の道で、蓄財を禁止することは、基本中の基本なのかもしれませんね。

>元来、サンガは法の修行場であったからでしょう。

またまた、素朴な疑問ですが、法の修行とは、何のために行うことなのでしょう。
ちょっとこれまた舌足らずな変な質問かもしれません。
具体的にいえば、修行とは、自分の為の行なのでしょうか、それとも他者の為の行なのでしょうか。もしくは、他者の為の自分…となる為の行なのでしょうか。

>仏に成り代わり衆生済度のために使えば仏使・菩薩の行となるのでしょう。

本当にそう思います。
くどいようですが、菩薩行が何であるかの次に、衆生済度とは何であるかということも問題となりますね。
法華講でいわれていたことは、正確な言い回しではないかもしれませんが、仏法を持たせることだといわれていましたし、そしてそれが本尊を持つことということでもありました。しかし今にして思えば、それはどうも仏法の解釈に飛躍があるんじゃないかと、素朴に思うわけです。
折伏の名を借りた組織勧誘は、弘法という菩薩行に解釈されていること、これが法の歪曲であるならば、ことは深刻だと思いますね。

>大乗といいながら、集団・指導者・自分たちの本尊を信じなければ救えないのであれば、それは自分たちが小乗と貶称する教義より、さらに劣った乗り物に過ぎません。

やはり、本尊という概念そのものこそ、カルト問題で指摘される「象徴の病」という落とし穴に思えますね。これも、かつて独歩さんに教えて頂いた言葉ですね。
しかし、そもそもお釈迦さまの直説では、本尊というものは、どのように説かれていたのでしょう。恐らく、本尊という語彙は使われていなかったと思われますが、それこそ自灯明、法灯明ということでしょうか。
キリスト教では、やはり天地創造の全知全能の絶対神が、本尊ということになるのでしょう。これも、まったく観念的な世界のいわば象徴の病ではないかと、元クリスチャンの私も、今ではそう思っております。

>不信の救済こそ、真の大乗であるということもまた、わたしが主張してきたことでした。

独歩さんに、まさにご自身の体験を通して教えて頂いたことでした。
不信の救済。私も宗教に関わった者のひとりとして、このことを考え続けていきたいと思います。

不軽菩薩は、法華経不信の人にも礼拝されたのでしょうか。そうだとしたら、この経文からは、そこを読み取ることが肝要なのかもしれませんね。
マザー・テレサは、キリスト教を信じないインドの最下層の人々を救済しようとしたわけですが、そこが、イエスの山上の垂訓にかなった実践的行いといえるのだろうと思います。

>浅見定雄師が「何を信じているかではなく、何をしているかで集団の真価が問われる」と仰ったのはこの点です。

自分の信仰する教団が、実際に何をしているのかということを見ようとし、そのことを考えてみようとするということは、正法とは何か、成仏とは何か、菩薩道とは何か…といったことを考え直してみることに通じるものだと思われますね。

1010アネモネ:2003/11/27(木) 01:23
(つづき)
>そのような社会的に裕福な人々が仏教信仰に基づいて救済活動をする姿に人々は菩薩を見ていった経過を看取します。

キリスト教が広まった本当の背景には、中世の裕福な階層の人々の存在があったようです。なにせ、「貧しき者は幸いなり」という、貧しい者こそ神の国に行けるのだというイエスの言葉により、富裕層の人々は裕福故に神の国に招かれないのではないのかという不安や恐れがあったわけですね。そうした富裕層の人々が、死後に神の国に行きたいと願いによって信仰に励んでいった背景によって、キリスト教は拡大していったといったことを何かの本で読んだことがあります。そしてその富の一部を神の名において慈善事業に使うようになったともいわれていますが、その点、法華経成立の背景もどこか似ているようにも思われますね。
ただしキリスト教のこの場合は、人を救いたいという無償の愛というよりは、自分が救われたいがためにという我欲からの信仰心なわけですが、しかし、最初はそうであっても、やがて真の博愛に目覚めていった人も多くいただろうと思います。

>では法華経の菩薩はいかばかりかと一瞥するとき、残念ながら法を弘める菩薩の側面ばかりが見えるわけです。わたしは敢えてこの点を欠陥と認めることにします。そして、この欠陥を積極的に補完する方途を法華信奉者はいまこそ真剣に考えるべきであると主張するわけです。

なるほど。ということは、法華経では、不軽菩薩の精神は説かれてはいるものの、全編にわたって主題としての強調はみられないということなのでしょうか。

>「…『法華経』のこの態度は日蓮に見られ、さらにその流れを汲む宗教団体に受けつがれていることは、よく知られていることである」(『佛教入門』中公新書 P167)

結局この掲示板で私は、宗門や教団批判をしてきましたが、そのルーツを遡れば、結局は、法華経にたどりついてしまうということになるわけですね。
こうなると、やはり経典に対する絶対信仰を考え直してみなければならないでしょうね。

>譬喩品をはじめ、そこに書き連ねられる脅しの言説は、実に見苦しく、そして、差別的です。この差別は、岩本師が言うように被差別側であった怨恨から生じたものである可能性もあるでしょう。

やはり、法華経信奉者は、どうしてもここを克服しなければならないでしょうね。そのためには、どうしても経典信仰の限界を考えることではないでしょうか。
法華経=正法という錯覚が今日的にもあることが否めないとするならば、そこから紐解いていかなければならないでしょうね。

>怨恨から不軽への精神的向上の流れをそこに看取できるわけです。この昇華はしかし、高く評価されるべきですね。

怨恨と不軽は、相反する心のように思われます。しかしそこは、法華経全編を通して昇華と読み取ることが、創作者の意図するメッセージであるといえるのでしょうか。
ややこしい質問ですみません。

>妙法華で「法華経」という語彙を検索したところ、実に97回も出てくるわけです。

これは、奇怪というか奇妙というか、他のお経はもちろんのこと、一般的な本としても、とても特異なことですね。

1011アネモネ:2003/11/27(木) 01:24
(つづき)
>経典が過去無量劫から存在していたことを示唆する一節まであります。

なんだか、昔観た、「ネバーエンディングストーリー」という映画のことを思い出します。
私の想像ですが、書き手の術中に嵌るとでもいいますか、不軽菩薩の精神がというよりは、むしろこのミラクルストーリーこそ読み手の心を掴んで信者とならしめているのではないでしょうか。
宗教的な精神の観点からいえば、不軽菩薩の精神こそ強調されなければならないはずなのに、実際の力点はミラクルなところに置かれているわけですね。

>当時の東西文化のなかで勃興していった聖典信仰の影響を法華経創作集団が受けていたからではないのかと、わたしは想像します。

聖典信仰といえば、キリスト教のバイブル、ユダヤ教のトーラー、イスラム教のコーラン、いずれも法華経が創作された中東の信仰観に共通しているものですね。

アメリカでは、大統領や州知事が就任するとき、聖書に手を置いて宣誓がなされている様子が報道によって確認できますが、民衆に対する宣誓を神に誓うという儀式の形が色濃く残っているものなのでしょう。
また、イスラム教ではコーランそのものが特に神聖なものであり、信徒でない人はコーランに決して触れることは許されないといったことも聞きます。
神の言葉が記されたそれらの書物は、神聖なものとして、私たちがいうところの「本尊」のように扱われているといえるかもしれません。
キリスト教もイスラム教も、ユダヤ教から派生したものであり、もともとは神との契約から始まっているともいえるわけで、契約の証が聖典につながって大切にされていったのなのかもしれませんね。

>しかし、元来の仏像・漫荼羅は、たとえばキリスト者が十字架を用いることに、むしろ近いものであると思える向きもあります。

象徴と捉えていいのでしょうね。
キリスト教でもいろいろあるわけですが、かつて私が通ったプロテスタントの教会では、十字架は掲げられていなかったんですね。ですので、かえって聖典信仰の傾倒が非常に強かったと思います。

>わたしが「経典は法ではない」というのも同様の意味からです。
題目の五字に一念三千の意義を籠めるのは是であるにせよ、五字そのものが一念三千であるといえば、いわば偶像化に類似をなすと思えます。

もともとここのスレッドで議論されていた「本尊が何であるか」ということの主題も、ここだったのだろうと思います。

>偶像崇拝というキリスト者側の批判からではなくて、大乗仏教の「空」から見ても、この点は再考されなければならない点であろうと存じます。

言葉足らずの表現になるかもしれませんが、結局、たとえ目に見えない神や仏の存在であっても、それを絶対的な信仰対象としたとき、偶像崇拝というものの範疇、つまり象徴の病というものにうなっていくものだろうとなんとなく思うのです。
偶像崇拝は、何かの像を拝むことを意味するわけですが、目に見えない絶対神の存在も、それが観念的なものである以上、それは人間の頭の中で創造された偶像だと思いますね。ですから、久遠の釈尊や、本仏にしても、観念的存在であるならば、それは偶像といえるでしょう。また、それが経典や聖典という言葉や文字であっても、それが法に代わる象徴であるならば、それは紛れもなく偶像崇拝というるものになってしまうと思いますね。
言葉足らずで、私の意図するところは、非常にわかりにくいかもしれませんが。
観念上の像を信じることはもちろんのこと、言葉や文字や絵や像によって正法を象徴的に据えて信じることも、いずれも結局は偶像崇拝だと思いますね。

1012みかん:2003/11/27(木) 05:03
菩薩には
1、ジャータカなどに登場する、釈迦の前生。修業時代。
2、四弘誓願をし、修行する衆生。
3、観音菩薩、弥勒菩薩のような超越的な存在。
の三種類が、おおざっぱに言って分けられると思いますが、
とりあえず、生身の実在の衆生・人間である2について考えます。

菩薩はボディサットバ(菩提を求める衆生)の略であり、
第一義的には「覚りを求める修行者」のことです。
菩薩は「上求菩提・下化衆生」であり「上求菩提」をし、
覚り、開悟、成仏を求める存在です。

また、四弘誓願(菩薩の総願。すべての菩薩に共通する願)に、
衆生無辺誓願度
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

とあるように、煩悩の断滅、仏道の成就を目指し、成仏を求めているのです。

また、「下化衆生」「衆生無辺誓願度」と言ったときの、衆生への教化、度脱は、「世俗的な意味の善行」ではありません。
自らが、覚りを求め、開悟・成仏を目指すのと同様に、衆生に開悟・成仏を目指させるように働きかけるのです。それが菩薩行道です。
善意の人、善行の人、善行に一生をかけた人が菩薩であるというわけではありません。
他人を覚らせようとし、自信も覚ろうとする人が菩薩なのです。

ですので、私は、伝統的な仏教解釈に則るならば、異教徒であり、菩提・覚りを求めた訳ではない「マザー・テレサ」は菩薩ではないと言わざるを得ません。

(わたし個人は伝統的な仏教解釈とは別の菩薩観(智慧の一分を開いた人、ダンマの一分を見た人が菩薩である)を持っているので、マザーテレサが菩薩であるという可能性はゼロではないとは思いますが、可能性は高くないだろうと思います。)

1013みかん:2003/11/27(木) 05:16
菩提心についての言及がすっぽ抜けていました。

菩提心を起こしていない人は菩薩ではありません。

菩提心についての解釈はいろいろありますが、
「覚りたいと望むこと」が菩提心では
"ありません"。(往々にそう誤解されていますが)

菩提心はそう簡単に起こせません。
菩提心を起こせれば、ある意味では覚ったも同然、という宗派もあります。

いずれにせよ、わたしが強調したいのは、
世俗的な善行を行う人が、菩薩だというのは、誤解であるということです。

菩薩は、他人を覚らせようとし、自分も覚ろうとする衆生のことです。
世俗的な意味の善行をする人のことではありません。
それがどれほどかけがえのないことであっても、です。
世俗的な善行をする人は、世俗的な善行をする人として
高く評価されればいいのであって、「菩薩」という
間違ったレッテルを貼る必要はないと私は思います。

1014愚鈍凡夫:2003/11/27(木) 06:11
皆さん、お早うございます。

たぶんアネモネさんがいっている「山上の垂訓(山上の説教)」とは以下の文のことだと思います。
「マタイ伝 5」より引用
**************************************************

1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
3 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
4 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
6 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
(後略)

**************************************************

富士門の掲示板で新約聖書を引用するのは不思議な気分ですね。
マザー・テレサは「貧しい人たち」について、次のように述べられています。

「貧しい人々の中で最も貧しい人々は、私たちにとってキリストご自身、人間の苦しみを負ったキリストに他なりません。」(「愛と祈りのことば」 PHP研究所)
「私たちの食物、衣服、何もかも貧しい人々と同じようでなくてはなりません。なぜなら、貧しい人々はキリストご自身なのですから。」(「愛と祈りのことば」 PHP研究所)

「マタイ伝5-3」の意味は、マザー・テレサが「心の貧しい人」といっている意味とは違うように思うのですが、いかがでしょうか。
何故なら、女史は「貧しい人」と「心の貧しい人」とは区別されているように思うのです。女史の言う、「心の貧しい人」というのは、「忘れ去られた孤独の中の住人」のことではないでしょうか。または、「心に深い傷を負った人」のことではないでしょうか。

「山上の垂訓 山上の説教から」
http://www.hiroshima-cdas.or.jp/home/jm4kdv/sanjyou.htm

1017犀角独歩:2003/11/27(木) 09:28

みかんさん:

質問です。

世俗的な善行と衆生の教化はどのように違うのでしょうか。
教化とは具体的に何をすることでしょうか。
開悟・成仏とはどのようなことでしょうか。

この三つ、ご説明願えませんでしょうか。

1018犀角独歩:2003/11/27(木) 09:42

みかんさんは、ひとつ誤解があると思います。

みな「マザーテレサが菩薩である」というレッテルを貼っているわけではありません。

マザーテレサの尊い行動と精神に、菩薩の姿を見るという趣旨で話が進んでいるだけです。そこから、菩薩道とはなんであるのかを再考しようという流れになっているということです。

それは単に、菩薩戒を受け、勤行に四弘誓願を口ずさみばかりの僧、あるいは仏教集団といいながら、商業集団としか映じない宗教法人などより、よほどマザーテレサのほうに菩薩を見るという前提で話が進んでいます。異教徒であるマザーテレサのほうにこそ、なぜ菩薩を見るのかが重要な点です。ご呈示いただいた菩薩については、もちろん認識したうえで議論が進んでいるところをお読みとりください。

1019犀角独歩:2003/11/27(木) 10:12

少しくどいですが、もう一点だけ。

蓮師は『本尊鈔』に

「無顧悪人慈愛妻子 菩薩界一分也」
((悪事を行っても)顧みることの無い悪人も妻子を自愛する 菩薩界の一分なり)

と記しています。この場合の悪人は菩提心があるわけでもなく四弘誓願も立てません。
しかし、蓮師は菩薩界一分と言います。
以上のようですから、マザーテレサに菩薩界を見ることは、蓮師の菩薩観から推しても外れているものとは思えません。

1020みかん:2003/11/27(木) 14:01
> 世俗的な善行と衆生の教化はどのように違うのでしょうか。

全く違います。
衆生の済度、教化とは、衆生の「智慧を開かせる」ための行為です。衆生の智慧を開かせるために
自分の能力と、相手の能力を知った上であらゆる事をします。それが衆生済度・教化のための行為です。


> 教化とは具体的に何をすることでしょうか。

あらゆること、です。文字通りあらゆる事、あらゆる方法を採ります。
生身の人間であるところの仏・菩薩とは、自分が生きる姿をもって、
相手の智慧を開き、智慧の眼を開かせる人間です。
あらゆる方法を用いることが、仏・菩薩の慈悲でしょう。
あらゆる方法とは、文字通り、あらゆる方法です。
行住坐臥、すべてで伝法します。言語にもよるでしょうが、
言語のみによるわけではありません。
また、仏・菩薩が衆生を開悟させられるわけではありません。
開悟するかどうかはあくまでも衆生の機縁の問題です。

> 開悟・成仏とはどのようなことでしょうか。

智慧の眼を開くこと、縁起を知ること、そして煩悩を滅することです。
私がなぜ私であり、世界がなぜこのような世界であるのか、
直感によって、直下に分かることです。
問題のある表現を敢えて使うなら「諸法の実相」を
我、我が身の上にありありと体験することです。
生身の人間が煩悩を完全に滅することは不可能なので、
(煩悩がないと、死にます)生きている限り、完全に
成仏することは不可能でしょうね。

> もちろん認識したうえで

菩提を求める衆生が、菩薩であるという視点が欠けているように見えましたが。
世俗の善行と、仏道の衆生済度、衆生教化が異なるという視点も欠けているよ
うに見えましたが。

> 「無顧悪人慈愛妻子 菩薩界一分也」

譬喩表現だと思いますが。あくまでも菩薩界一分であり、菩薩ではありません。
また、わたしは日蓮信者じゃないので、日蓮がこう言っているから、と
いわれても、ああ日蓮はそういっているのですか、それは仏教一般の
考え方とは違いますね、ということしか言えないですね。

1021犀角独歩:2003/11/27(木) 14:15

みかんさん:

菩薩界の一分と菩薩は違うと言うことですが、何がどのように違うのでしょうか。
また、一分ではなく、十分の菩薩とはどのようなものを言うのでしょうか。
生きた人間の例で引用するとのことでしたが、十分の菩薩とは具体的にはどのような人ですか。

また、智慧を開かせるということですが、では智慧とは何でしょうか。
智慧が開くとどうなりますか。

それにしても、たしかみかさんは「仏教信者ではない」と自称されていましたね。
日蓮信者でないから、日蓮が言っていることはそう言っているという範囲に留まるというのであれば、仏教信者でないみかんさんが引用する菩薩の説明は何の意味を持ちますか。

1022犀角独歩:2003/11/27(木) 14:27

そうそう、みかんさん。一つ書き忘れました。
みかんさんが日蓮信者ではなく、哲学者の立場から仏教一般の用語説明をされているのでしょう。
わたしは社会活動という実践の立場から菩薩の在り方を考えています。
ですから、仏教一般の説明の正確さをここに競っているわけではありません。

1023犀角独歩:2003/11/27(木) 15:07

アネモネさん:

いつもながら長文のレス、有り難うございます。

> イエス…財産を貧しい人々に施してから弟子

仏教では、財産を教団にすべて寄進して弟子になるなどという話を聞いたことがあります。この点をたしかオウム真理教も模倣していました。それに比し、イエスの姿勢は実に立派であると感服するものがあります。

> 菩薩道…他に尽くす(利する)為に、自分を捨てる(自己犠牲)

この点が菩薩道を考えるうえでネックになると思います。
愚鈍凡夫さん、みかんさんが菩薩の変遷について、やや記してくださいましたので、その線に沿ってやや考えたいと思います。

まず結論から言って、わたしは菩薩道は後期になるほど“堕落した”と見ます。
堕落という言葉が悪ければ、歩み方向を間違えたと言い換えてもよいかと思います。
超人化し、加護、祈祷の対象になった菩薩は、もはや菩薩道とは関係のない崇拝対象でした。
では、法華経の菩薩はどうか、ここが焦点になります。
先にも記したとおり、この菩薩達は艱難辛苦をよく忍び、軽んじられながら、その相手を礼拝し続ける人々でした。それは見仏を求め、弘法を誓った人々でもあったわけでした。換言すれば経典(聖典)崇拝者でもあったわけですね。
わたしが注視するのはこの点です。これら菩薩は仏と法のために身を捨てていく人々であったわけです。反面、法を弘める相手から害される覚悟を持って臨んでいます。
このような弘教の精神は法華持経者の模範とされるところです。

しかし、わたしはこの菩薩の在り方に、敢えて疑義を立てます。
本来の菩薩精神は違うと異論を述べようと思います。
その根拠は本生譚(ジャータカ)です。シャキャムニの前世物語として綴られる菩薩も、たしかに仏・法を求める人でした。しかし、そこで展開される菩薩行は法華菩薩とは格段に違っています。

著名なところで、法隆寺に遺る国宝・玉虫厨子に描かれた物語を例を挙げます。
「捨身飼虎」と称される飢えた虎の親子に自分の身を捧げる“菩薩”行を図したものです。ここで着目したいのは菩薩が身を捧げたのは、仏・法ではなく、畜生界の虎であったという点です。もちろん、その志は仏法を求めてことでした。しかし、その菩薩が身を布施したのは畜生に対してです。ジャータカを注意して読むと、その物語はほぼそのような有様で、仏法を求める菩薩は、我が身を十界論でいう六道の衆生に与えることによって行にしています。わたしは、ここに菩薩道の遡源を見たいと思うわけです。

ところが現在の信仰者は、菩薩道と言いながら、その布施を捧げるのは、仏・法、あるいは教団、指導者に対してです。不信の人々にはただ法を弘めてそこで終わってしまいます。

みかんさんが「世俗の慈善事業は菩薩道とは無関係」と記された。しかし、わたしはそのようには思いません。いかなる慈善行為のなかにも菩薩道は生きていると考えます。前世のシャキャムニが六道の衆生に身を捧げたように、アネモネさんの言葉を借りれば自己犠牲と見える行を通じて利他を実践する、その利他を慈善の実践をする心に、わたしは菩提心を見ます。神仏を求め、あるいは求めずとも、悩める人・苦しむ人のために、実際の行動をしようとする心が菩提心の原型になっているという意味です。それが仏教の菩薩道であれば発菩提心と呼ばれ、マザーテレサは「貧しい人にイエスを見る」というも、そのように衆生を自愛する心象こそ、現世人類が生物として到達した秀でた精神状態なのだという点こそ、重視されるべきであると思うわけです。

その観点から、菩薩道の実践は衆生救済、具体的には世俗の慈善事業の場でこそ、実践されるべきでものであるとわたしは思うわけです。
教団・指導者に自分の利益を願って散財をするより、支援を必要とする人々に、その罪過を手向けることのほうが、わたしはよほど菩薩の精神に適うと思うものです。

1024犀角独歩:2003/11/27(木) 15:08

―1023からつづく―

また、このような菩薩道は、なにもわたしがここに記すまでもなく、日本仏教のなかでもかつて営々と培われ実践されたことでした。この点については『創価学会の功績を考える』のスレッドで、『現代宗教研究』第37巻掲載の『日蓮宗のビハーラ活動 ― その理念と意義』を紹介しました。また、このような活動は他教団でも広く認識、実践されているところです。

> 菩薩の道で、蓄財を禁止することは、基本中の基本

この点はお言葉を返すようで恐縮ですが、少し違うと思うのですよ。
シャキャムニの教団では、一切の生産活動が禁止され、蓄財ももちろん禁止されていました。その後、シャキャムニが没し、100年ほど経てバイシャリーで起きた分裂の時点で、金銭で供養を受け取る改変が起こります。菩薩思想は、こちらの流れで、在家実践家、それも裕福な人々が、その蓄財を持っていかに仏教を実践しようかとした動向に関わるのだと思います。

ただし、アネモネさんが菩薩の蓄財を戒めるのはやや意味が違うかも知れませんね。
仏法名目で財貨を募り、それを着服する横領詐欺行為を糾弾してこのことと拝察いたします。

わたしは、この点についても厳しい論及をしてきました。
かつて記した拙書のなかで

「神仏に仕えるはずの集団と人間が莫大な布施・献金を着服する。これを中間搾取といわずして、ほかになんと言えばよいのであろうか。それら集団と指導者は、神仏と信者の中間に立ってすべてを持ち去るのである」(拙書『あなたは違う方向に歩いている』前書)

> 法の修行とは、何のために行うことなのでしょう。

これは先にみかんさんが記したとおりであろうかと存じます。
シャキャムニの行法の目的は滅苦であったろうと思います。

> 修行とは、自分の為の行…それとも他者の為の行

初期仏教教団は己の滅苦を目的とした自利に即したものであったろうと思います。
その後、勃興するいわゆる大乗運動とその菩薩精神は、そこに新たに利他の側面を添加したものであったとわたしは思います。
菩薩道はジャータカに見られるものの、それはシャキャムニと遡源できるものではないと思えます。後世の新たな展開であったのでしょう。けれど、人類の秀でた精神活動である菩薩道が、仮にシャキャムニに由来するものでなくとも採用すべきであるというのが、わたしの考えです。

> 折伏の名を借りた組織勧誘は、弘法という菩薩行に解釈されていること、
> これが法の歪曲であるならば、ことは深刻だと思いますね。

ええ、仰るとおり、わたしも「歪曲」であると考えます。


> 本尊…「象徴の病」

この点から考えるべきであると思います。
また、この視点からの批正に絶えられない本尊論であれば、もはや、今後の社会では通用しないものとなっていくことでしょう。

> お釈迦さまの直説…本尊…使われていなかった…自灯明、法灯明

「本尊」語は先にも何度か記しましたが、そもそも天台教説にすら現れません。
先に福田さんが「無仏の時代は法を本尊」ということを記されていました。この考えは、天台の教説とは本尊語の使用で違い、蓮師の教説でも寿量仏観で違うとは思います。しかし、シャキャムニの遺言からすれば、何も間違っていません。シャキャムニは自身が仏陀(覚者)である自覚はあったでしょうが、自身を崇めさせたり拝ませたりする考えは元よりなかったでしょう。アネモネさんがここに記されるとおり、自らを灯明とし、法(ダルマ)を灯明として、歩むことを遺言されたのであろうと拝察します。

1025犀角独歩:2003/11/27(木) 15:09

―1024からつづく―

> キリスト教…天地創造の全知全能の絶対神が、本尊

言葉で当て嵌めれば、たしかにそうなりますね。

> 観念的な世界のいわば象徴の病ではないか

わたしもそのように考えます。

> 不信の救済。私も宗教に関わった者のひとりとして、このことを考え続けていきたい

有り難いお言葉を頂戴しました。

> 不軽菩薩は、法華経不信の人にも礼拝

むしろ、不信にこその礼拝であったというコンセプトの物語ですね。

> マザー・テレサ…キリスト教を信じないインドの最下層の人々を救済
> …イエスの山上の垂訓にかなった実践的行

なるほど。
愚鈍凡夫さんが引用してくださったので、改めて読み直すことができました。
人類の尊い遺産と言えるすばらしい精神をここに見ることができると思いました。

>> 浅見定雄師
> 自分の信仰する教団が、実際に何をしているのか…を見ようとし、
> そのことを考えてみようとするということは、正法とは何か、
> 成仏とは何か、菩薩道とは何か…といったことを考え直してみる
> ことに通じるものだと思われますね。

社会のなかにある宗教法人として活動するのであれば、当然の視点ですね。

> キリスト教が広まった本当の背景…「貧しき者は幸いなり」
> 貧しい者こそ神の国に行ける…イエスの言葉
> …裕福故に神の国に招かれないのではないのかという不安や恐れがあった

これは実に興味深い話であると思いました。
差詰め、日本で言えば「清貧の思想」と言ったところでしょうか。

> 富の一部を神の名において慈善事業に使うようになった

意図せずの結果であったのかも知れませんが、望ましい方向性でしたね。
わたしは学生時代、森島恒雄師のファンで、魔女狩り、十字軍、科学と宗教の闘争といった中世キリスト教の悪い面ばかりを取り沙汰してきたものでした。
しかし、ここ10年、多くのキリスト者である聖職者との交流を通じて、彼らの社会活動を見聞し、そして共に歩むなかで、その評価を大きく書き換えてきました。
魔女狩りから慈善運動への変遷、それを日本仏教も見習わなければいけないと考えています。

> 法華経成立の背景もどこか似ているようにも思われますね。

これはちょっとわたしには解せないのですが、どのような意味で仰っているのでしょうか。

> キリスト教…無償の愛というよりは…我欲からの信仰心
> …やがて真の博愛に目覚めていった

仏教では「無縁の慈悲」ということを言いますね。
まったく自分と関係がない人に対しての慈悲心ということです。
自利から出発した仏教がやがて利他面に到達したのは、アネモネさんが説明されるキリスト者の向上と似通っているところを感じます。

1026犀角独歩:2003/11/27(木) 15:10

―1025からつづく

> 宗門や教団批判…そのルーツ…法華経にたどりついてしまう

この点を率直に認め、法華信奉者としてどうするのかを考える時期に来ているとわたしは思います。

> 法華経=正法という錯覚…そこから紐解いていかなければならない

そう思います。教理云々ということではなく、法華経=正法、だから南無妙法蓮華経は絶対に正しく、それを立てる我が集団が唯一正しいなどという論法はもはや通用しないと言うことです。

> 怨恨と不軽は、相反…昇華…創作者の意図

うーん、これは違うと思います。
法華経は300年ほどの時間をかけて複数の寄せ集めの編纂のようで、その意味で、矛盾した要素が取り混ざっているということではないでしょうか。
全編の整合性を取るに至らない編集と見えます。

> 聖典信仰…キリスト教のバイブル、ユダヤ教のトーラー、イスラム教のコーラン
> いずれも法華経が創作された中東の信仰観に共通しているものですね。

偶然ではないと思うのです。
このような研究をどなたかここでご紹介いただければ参考になります。

> 神の言葉が記された…書物…神聖…「本尊」のように扱われている

南無妙法蓮華経は、聖典に帰命し、それを本尊視するものである、これが題目本尊であるわけですから、実に類型をなしていると思えます。

> …神や仏…絶対的な信仰対象…偶像崇拝…の範疇…象徴の病

「絶対」を信仰することから脱却、わたしが脱カルトでテーマにしてきたことの一つでした。結局のところ、象徴の病が取り沙汰されるのは、健全な精神を封殺し、人間が生み出したものにかえって人間が呪縛されてしまう不健全さを指摘してのことです。人間は自分たちが生み出した神仏(とその概念)に支配されることなく、健全な精神状態で生きること、その前提からの仏教再考であるべきですね。それはひいては集団・指導者からの卒業をも意味するでしょうし、過去数千年、仏海と表されるほどに肥大した経・論・釈の守文の徒からの卒業も意味するものとなります。

> …久遠の釈尊…本仏…観念的存在…偶像
> …経典や聖典…言葉や文字…法に代わる象徴…
> …観念上の像を信じること…言葉や文字や絵や像…
> …正法を象徴的に据えて信じること…偶像崇拝だと思いますね。

結局のところ、「空」というも、アネモネさんが象徴の病から総括される以上のようなことを言おうとしたもなのだろうと、わたしは考えています。

「象徴の病から見直し、実に意味のあることですね。

1027犀角独歩:2003/11/27(木) 16:50

【1023の訂正】

誤)現世人類が生物
正)人類が生物

誤)その罪過を手向けることのほうが
正)その財貨を手向けることのほうが

1028アネモネ:2003/11/28(金) 01:54
つぶやきスレッドの>718において、みかんさんは、
>仏教の目的は、滅苦です。
苦を滅するために、開悟(=成仏)することが、仏教の手段です。
四聖諦を見れば分かります。
と書かれておられました。
仏教における手段が、菩提心に始まらなければならないとしても、しかし仏教のその目的が「滅苦」であるならば、開悟(=成仏)を意識しない世俗的な善行も、仏教の目的からまったく外れたことではないのではないかと、私などは考えたいところです。
しかしそれでも、菩提心のあるなしを厳格に区別して論じなければならないならば、そこには「不信の人」と「信の人」の差別と同じような意識が生じるものではないかとも思います。
となれば、仏教とは差別を克服できない宗教ということにもなりはしないでしょうか。

仏教を教説的に厳格に捉えることは、もちろん大切なことです。しかし、その仏教の真の目的が何であるかを考えたとき、あらゆる現実の事物を包括的に捉えていくことも重要なことではないかと考えます。そもそも、仏教は世俗の問題を分けて考えることなのでしょうか。滅すべき苦とは、世俗のなかにあるものなのではないでしょうか。
そうでなければ、仏教思想は現実社会に生かされることのない、ただの観念論に過ぎないのではないかと、私は思ってしまいます。

実際、仏教では、世俗的な善行について、どのように説いているのでしょう。一切関知しない論外として、何も説かれてもいないものなのでしょうか。
膨大なスケールで過去世を論じたり、来世を論じたりと、気の遠くなるほどの経典が存在するにも関わらず、世俗のことになると全く論外となるならば、私などが思うに、「滅苦」の目的など、ただの口先だけ。お題目だけのものに過ぎないと思えてしまいます。
それが仏教なのかどうかもわかりませんが。

いずれにしても、仏教の菩薩が、どのような行いをする人なのか、これではますます私にはわからなくなってしまうわけですが、たとえマザー・テレサに菩薩を見たとしても、教義的に仏教の菩薩には値しないということなら、それはそれでいいのでしょう。
ただし実社会で、人々が、どこに救いを求め、どこで救われるのかという問題となったとき、これでは、仏教よりもキリスト教のほうが、はるかに社会に実践的に生かされた教えであるものと、判断せざるを得なくなると思われます。
こうなるともう、仏教はあまりに難解すぎて、救われる人が限られるという欠点を指摘したくもなります。仏の慈悲と神の愛、どちらが広大無辺なのでしょう。
本当はこのような比較論をここでするつもりはないのですが、思わず、ついつい書いてしまいました。

1029アネモネ:2003/11/28(金) 01:56
愚鈍凡夫さん

>女史は「貧しい人」と「心の貧しい人」とは区別されているように思うのです。女史の言う、「心の貧しい人」というのは、「忘れ去られた孤独の中の住人」のことではないでしょうか。または、「心に深い傷を負った人」のことではないでしょうか。

私、大好きな「山上の垂訓」を例に出しましたが、ルカ福音書には次のような一節もあるんですね。


さて、イエスは目を上げ弟子たちを見て言われた。
「貧しい人々は幸いである、
神の国はあなたがたのものである。」


「貧しい人」と「心貧しい人」は、私の中では、いずれも救いを必要とする人々として同じに捉えていたかもしれません。
ただし貧しい人に、ただ衣食を施せば、それが慈善行為だというものではないのでしょうね。本当に飢えているのは、人の愛だということ…愚鈍凡夫さんは、マザー・テレサの言葉を通して、そのことを感じていらっしゃるのかなと拝察いたします。

古今東西どこの国でもそうですが、貧しい人というのは、社会から差別されている階層の人である場合が多いですね。
イエスの時代、そのような人々に関わってはならない、また触れてもならないと考えられていたと聞きます。言葉を交わすこと、食事を共にすること、家を訪問すること、そのようなことを忌み嫌ったといいます。特に、病気の人や身障者に対する社会的冷遇はそれはひどいものだったといわれています。
しかし、イエスはそのような慣習に反して、率先して差別をされている人々と交わり、言葉を交わし、そして手をとり、そして食事を分け与えて、共に過ごしたといわれています。

話は変わりますが、数日前でしたが、七十代の女性と、五十代の男性が、借金を苦にして、心中を図ったことがテレビで報道されていました。海岸の絶壁から投身自殺を図ろうとしていたところを、通りがかりの警察官の説得によって、一時は思い留まらせられたものの、数日後、2人はその警察官宛に遺書を残して首を吊っていたのが発見されたそうです。
遺書によると、警察官の説得に励まされ、生きることを決意した後、役所に生活保護を求めていったと綴られていました。しかし、思うように手続きもとってもらえないばかりか、心無い言葉を向けられて冷遇され、結局、希望も気力も失ってしまったといったような内容だったといいます。
生活を苦に自殺を考えたものの、人の心に励まされて思い留まることが出来たのに、結局最後は、人の心無い言葉によって、死を選んでしまったわけですね。いろんなことを考えさせられてしまいます。
役所の言い分では、遺書に綴られていたような心無い言葉は発していないとの弁明でしたが、心が飢えている人にとっては、突き刺さるものに感じたものだったのでしょう。

差別は貧しさを招き、そらには、愛に飢えた心の孤独をも招くものですから、恐らく、貧しさ(乏しさ)と心の貧しさとは、裏腹である場合が多いかもしれません。
しかし、実は本当に心の貧しい人というのは、乏しい人ばかりではなく、むしろ富める人であるともいえますね。
これはむしろ、現代の日本の社会が抱えている問題ではないかと思います。確か、マザー・テレサも日本について、そのような指摘をしていたのではなかったでしょうか。
この点を、日本の既存の宗教は、真剣に考える必要があると思います。
ところが、こういってはなんですが、既存の宗教組織が往々にして「心貧しき富める人々」に陥っているとも思われるわけです。
なんとも、これでは救われない。それがそのまま、日本の世相として反映されていると思ってしまうところです。

1030ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/11/28(金) 04:13
犀角独歩さん、顕正居士さん、毎度の事ですが、ずいぶんと遅くなってしまいまして、すいません。


犀角独歩さん

>>892

>組織、指導者のやることは絶対で間違いがないとその判断能力を他者に委譲してしまい本質が見えなくなることを第三者心理操作、すなわち破壊的カルトマインド・コントロールにおける“思考停止”というわけでした。

現実においても、ネット上においても、いわゆるバリバリ系と呼ばれている創価学会員や、その他の宗教における盲信的・狂信的な信者たちの姿に接していると、それが実によくわかります。
政治的な話になりますが、先の衆議院選挙において、公明党とあそこと連立を組んでいる自民党への支援・投票をした創価学会員たち(活動者学会員)のほとんどが、自分のアタマで考えながら理性的な判断を下す事なしに、ただ学会執行部からの命令のまま、単なる集票マシーンとしてしか動かなかったという事実にも、それが端的に表れていて、非常に危険なものだと思います。

>家に漫荼羅が複数あることをあたかも謗法の如く扱う学会の論調は理解に苦しみます。
>例えば、学会本部内にはいったい何体の漫荼羅本尊が安置されているわけでしょうか。
>「一家一世帯の御本尊」は創価学会独自教義に過ぎません。
>何の根拠もない言いがかり以上の何ものでもありません。
>むしろ、何百年も石山とその末寺檀家であった人々にとって、複数の漫荼羅本尊を所有することは誉れでこそあれ、非難される謂われなどまったくないことでしょう。

そのように言われてみますなら、確かにそうですね。
まぁ、あそこの場合、何事に関しても自分たちにとっての好都合な事しか言わず、幼児並みの言い訳をしたり、見え透いたウソを平気でついたり、必死で誤魔化しをしたり、機関紙を使っての稚拙な情報操作を用いたりして、無知で盲信的・狂信的な会員たちを騙し、洗脳して煽るのが大好きみたいですから。
それと、これは17年前、学会2世の知人で、本人はほとんど自覚がなかった人間から聞かされた事なので、真偽のほどは不明ですけど、知人の郷里である愛媛県のどこかの地域においては、家族の者たち一人一人がそれぞれに御本尊を持っていたというお話でした。
もし、その知人の話が本当だったのなら、いったい、どういう事なんだろうか?と思ってみるのですが・・・

>> 御本尊を土産物として売る

>これは信仰観の相違ではないでしょうか。
>たとえば、国によっては国王の写真を撮ることを厳重に禁止している国があります。
>しかし日本人からすれば、何がいけないのかピンときません。
>そもそも漫荼羅本尊観が相違しているのでしょう。

日蓮系でも富士門流と他門流との間には、曼荼羅に対する捉え方の違いがあるんでしょうかね(あるいは、同じ富士門流の中でも)。
ところで、創価学会は、以前、御本尊の写真撮影を謗法に当るとか何とか言い、厳禁にしていましたけど、しかし、数年前の聖教新聞に掲載されていた記事によれば、実際には昔から大石寺において、御本尊書写の為の写真撮影が行われていたとか。
ちなみに、学会は、その事で会員に対してただの一言の釈明も謝罪も行っていません(あそこがお得意とする、何でもかんでも他者に責任を擦り付ける事で、自分たちの非をまったく認めようとしないという、いつもの薄汚いやり口ですが)。

>ドプチェクさんからすれば、社務所で売られるお守り、絵馬は飾り物、アクセサリーと映じるのでしょうが、そこに願をかける人々にとっては信仰の対象であるからです。
>これらの人々にとってお守り、絵馬は富士門信徒の漫荼羅を仰ぐ信仰心と何ら変わらない恭敬をそれらの品々に懐いていると想像できます。

そのように言われまして、そうなのかもしれないと思いました。
もしかすると、長年私の中に刷り込まれて来た他宗のお守りや絵馬・お札等を悉く否定するという考えが働いて、それらに対して偏見を抱いてしまう癖がついているのかもしれません。

>>893

>学会を含む石山系グループの本尊観の濫觴はもちろん、興師にその遡型を見るわけですが、わたしは最近、この興師の漫荼羅観こそ、実は蓮師から飛躍した独自解釈であったのではないのかと疑いだしています。

富士門流は、日興上人だけが、宗祖日蓮聖人の教えを正しく受け継いだ正統な後継者であると主張し、また、一般の日蓮関係の書籍においても、日興上人が師の教えに対して厳格だったと記されている事が多く、私は長年、そのように思って来たのですが、しかし、次第に様々な疑問を抱くようになりました。
日興上人とその門流に関する疑問は色々とあるのですけど、その中で、前々からどうも納得が行かないのが、先ず神社への参詣厳禁という事なのです。

1031ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/11/28(金) 04:14
犀角独歩さん、続きです。

少なくとも「三沢抄」における日蓮聖人の記述(信徒の内房の尼が氏神へ参詣したついでに、身延を訪ねて来た為、聖人は面会を断られたというものです)を読む限り、信徒が神社へ参詣する事をあながち否定されていたようには思えず、もし仮に、聖人が神社参詣を容認されていたとすれば、日興上人は何故それを禁じられたのか?と。
また、それと関連する事なのですが、以前、こちらの掲示板でご意見が交されていました、日興上人が身延の地を立ち去る直接的な原因になったという地頭の波木井実長との対立についても。
日興上人は、波木井実長が神社参詣等の「四箇の謗法」(一般の書籍では、何故か?「三箇の謗法」となっていました)を犯した事を容認できなかったのが原因だと言われているものの、しかし、その後も両者の間には何らかの形で交流があったというお話ですよね(以前、何かの書籍に記されていたのですけど、様々な資料を見る限り、波木井実長の人物像は、富士門流が言っているような悪人のイメージなど、到底浮んで来ないという事なのでした)。
それに、波木井実長が犯したとされる謗法行為?の一つの「釈迦像を造立して本尊にした」事に関しても、もし日蓮聖人がそうされていたのなら、何故実長の場合には批判される必要があったのか?と。
それから、日代上人が離脱(追放?)し、西山本門寺へ移られたのは、法華経全品の読誦の是非を巡る対立が原因だったと、学会系の書籍に記されていたのを憶えていますけど、その事も「?」と思ってしまいます。

>>894

>> …松戸行雄氏の著書を読んだ影響

>この点はわたしはちょっと意味を取りかねます。

松戸氏の著書は、真偽不明の御書を用いている事でもあって、批判的な見方も多いようですね。
無論、私も氏の考えに全面的な賛同をしているわけではなく、批判的な見方をすれば、独り善がりと言うのか、やや独りで突っ走りすぎているような感じが致します。
ただ、松戸氏の考えは、それまで長年に渡って接して来た創価学会や日蓮正宗のガチガチの教えと違い、私には、すごくリベラルで斬新なものとして映りましたし、少なくとも、氏の著書に接した事で、私自身のマインドコントロールからの解放に、更なる拍車がかかって行ったのは事実です。
松戸氏の著書を知る直前であった6年半位前、私はすでに一般の日蓮関係の書籍を読むようになっていたのですが、日蓮正宗が主張する大御本尊絶対論、歴代の法主による書写・開眼供養の有無等といったような神話めいたお話、そして日蓮久遠本仏論までをも否定されていた氏のそれに初めて遭遇した時は、本当に強い衝撃を受けました。
しかし、時間が経つにつれて、それまで自分の心に重く圧し掛っていたものが、次第に消えて行き、すごく楽な気分になれましたね。
私の場合、6年前に松戸氏の著書と巡り合っていなかったなら、御本尊の写真をコピーして拝む事に、かなりの抵抗感があり、もしかすると罰を受けるのではないか?という、恐怖感を抱き続けていたのではないかと思うのです(コピー御本尊を拝む事に関する是非は別としても)。
ただ、そういった恐怖感がなくなったという意味では、心が自由になれたものの、それと同時に、何だか自分自身の中で、御本尊に対する畏敬の念や信仰心までもが次第に薄れつつあるのではないか?と、その事が少し心配なのです。

>>895

>日蓮信者であれば=本尊安置などというのは現代の常識に過ぎません。
>仰るとおり、「但行唱題」こそ、中心であったのではないでしょうか。

長年、御本尊を拝むのが基本という考えの中で信仰して来た私と致しましては、なかなか難しい事のように思えます(私と同じような感覚を持っている人たちは、結構いらっしゃるのかもしれませんけど)。

1032ドプチェク </b><font color=#FF0000>(Liye31iI)</font><b>:2003/11/28(金) 04:16
顕正居士さん

>>901

「見えない教会」「公同の仏教会」と「カルト」ですか・・・
その境界線がよくわからず、何だか難しいですねぇ・・・
創価学会のような仏教団体を名乗りながらも、実際には自分たちにとっての好都合な勝手な教義の解釈をして、おかしな事ばかりをしている教団は、もはやカルトに属するのでしょうか?
あるいは、エホバの証人とかも?

>宮沢賢治は国柱会の「文芸布教」を実行しようとした。奔放な発想と信仰が両立しえたのは
>国柱会は国柱会を宣布する団体でなく、「日蓮主義」を宣布する団体だったからでしょう。
>「見えない神」は唯一であり、「見えない教会」もまた唯一といい得るからです。

宮沢賢治氏の書簡によると、若い頃には田中智学氏に対して個人崇拝?していたような感じですけど、それでも、賢治さん自身の中では、やはり飽くまで仏教徒としての自覚の方が何よりも強かったのでしょうね。
創価学会員の場合、はたして賢治さんのような人間は、いったい、どれぐらいいるのだろうか?と、そんな事を思ってみます。


皆さん、ところで、鹿砦社(エスエル出版会)のお話が出ていましたが、あそこは15年位前、プロレスや格闘技に関する書籍をよく出版していたのを憶えています。
出版物の内容は、通常のプロレス・格闘技関係のものと違い、今思い出すと、その名のとおり、やや昔の左翼っぽい雰囲気のところがあったような気も致しますし、ちょっといかがわしい感じでしたね。
アントニオ猪木や、昔存在していたUWFという団体を取り上げたものが主で、プロレス界における暗部・内幕等のタブーを暴露した書籍が、結構ファンの間では有名だったようです。
それと、多分、10年以上前ではないかと思いますけど、創価学会を批判する書籍を出版した事があるようにも(うろ覚えなのですが)。
創価学会批判のものを出版したかどうかについては、記憶が定かでないものの、9年位前だったと思いますが、確かイタリアのSGIのメンバーであるサッカー選手のバッジョを賞賛するような書籍を出していたのは憶えています。
また、左翼っぽい感じのする出版社でありながら、格闘技関係の書籍で、右翼系の人へのインタヴュー記事を掲載していたようにも。
あそこは、いったい何を考えているのかがよくわからず、もしかすると、金になるのであれば、何でもいいのではないか?と、そんな風にも思ってみるのですけど。

1033愚鈍凡夫:2003/11/28(金) 05:33
皆さん、お早うございます。

マザー・テレサは、戦火の中で悲惨な体験をし、深く傷ついた少女たちの心のケアもしていたわけです。PTSDに苦しむ人の心の奥底まで入り込める人なんですね。そういう意味では、サイコ・セラピストとしても一流の方だったと思います。この、病苦・生活苦だけではなく、深刻なトラウマにまで光を当てた女史の姿に、幾度となく感動を覚えたものです。
女史が育った街は、いろんな宗教が混在していて、女史自体異教徒に対するアレルギーが元々なかったようですね。そして、見知らぬ貧しい人にまで優しかった母親の影響を強く受けたのだと思います(食事の時、見知らぬ人と食卓を共にすることがよくあったそうです。母親は微笑みながら親戚の人と紹介していたらしいですが)。

誕生から6〜7歳までの子供の生活で最も重要な大人は母親です。それは、子供がこの時期に、愛情とは何かを学ぶからです。女史は、子供が社会生活に適応することを学ぶこの時期に、人間としてもっとも尊いことを母親から学んだのだと思います。
「援助を必要とする人」を援助することが当たり前の行為として、自然に身に付くような環境に育ったというのが大きかったのではないでしょうか。

女史がノーベル賞で貰ったメダルを売って、パンを買おうとした話は有名ですが、反面、自分の名を施設や建造物に付けるのを極端に嫌がったそうです。どこかの宗教指導者とは全く正反対なのが、何とも凄いですね。

余談ですが、
数珠を通して仏教・ヒンズー教・キリスト教の関係を考えてみるのも面白いかなと思ったりしています。

1034愚鈍凡夫:2003/11/28(金) 19:09
皆さん今晩は、愚鈍凡夫です。
「あれ! 誰もいない・・・・・。いまのうちにカキコしよっと。」(独り言) (^◇^)v

キリスト教のロザリオは、もともと祈りの回数をカウントする計算器で、本来の役割は仏教の数珠と同じでした。
一方、数珠はもともとヒンズー教(バラモン教)の法具で、ヒンズー教では数珠を「ジャパマーラー(japamala)」と呼ぶそうです。
「ジャパ(japa)」とは、神の名を唱えて姿を思い浮かべることで、「マーラー(mala)」は輪のことです。したがって、「ジャパマーラー」とは「念誦の輪」を意味します。
歴史上、言語の違う民族同士の言葉の聞き違いはよくあることで、ローマ人が「ジャパ」を「ジャパー」と聞き違えてしまったのです。面白いことに、「ジャパ」を「ジャパー」と伸ばして発音すると、サンスクリッド語ではバラを意味する言葉に変わるそうです。下世話な話ですが、「米(rice)」と「虱の複数形(lice)」の違いぐらいありますかね。 (-_-;)
そこで、「ジャパーマーラー」は「バラの輪」と解釈されました(なんのこっちゃ?)。 (^▽^;)
そして、ラテン語で「ロザリウム」、ポルトガル語で「ロザリオ」、英語で「ローザリー」と呼ばれるようになったそうです。とはいうものの、ロザリオの珠はバラを材料にしたものは珍しく、主に木、ガラス玉、クリスタルなどが用いられるそうです。
日本では、ポルトガル宣教師が「ロザリオ」を「計算する(contas)道具」と説明したため、「コンタス」、「コンタツ」と呼ぶようになったと言うことです。
尚、イスラム教でも数珠は使われるそうですよ。

話は変わりますが、「キリスト」の捉え方がキリスト教、ユダヤ教、イスラム教では違います。
キリスト教では「神の子」・「救世主」と位置づけますが、ユダヤ教では「宣教師の一人」に過ぎず、ただの人間としか見ません。
一方、イスラム教では、「予言者の一人」と位置づけます。
アラーは、現世に度々予言者を遣わし、人類に悔い改めることを警告したといいます。しかし、人類は悔い改めることはありませんでした。そこで、アラーはキリストを遣わせたのですが、人類の多くは彼の予言を無視しました。ここで、本来ならアラーは全人類を滅ぼすところなのですが、慈悲深いアラーは最後のチャンスを人類に与えることにしたそうです。その最後の予言者がマホメットであるとするのがイスラム教の立場です。
アラーがマホメットを通して「神の啓示」を行ったのが、「コーラン」であるという位置づけですね。
また、ユダヤ教の偶像否定はモーゼの十戒の「あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない」が教義的根拠になっているわけですから、嘗ては、キリスト教も偶像否定だったわけです。このことから言えば、この三宗教の歴史上の争いは、まさに近親憎悪の縄張り争いといえるでしょうね。富士門系在家教団同士の確執も同根だと思います。

1035犀角独歩:2003/11/29(土) 00:41

愚鈍凡夫さんのハードディスクは、何ともすごい知識の宝庫ですね。
永年の研鑽に改めて敬意を表します。

1036みかん:2003/11/29(土) 01:44
>>1034
キリスト(救世主の意)ではなくて、イエス(人名)と呼ぶのであれば、その通りですが。
キリストとは救世主(メシア)の意味ですので、イスラームやユダヤ教ではナザレのイエス(人名)をキリストとは呼ばないと思いますが。

1037愚鈍凡夫:2003/11/29(土) 03:39
今、「朝生テレビ」の下らない討論を見ていますが、余りにも下らないから、寝ようと思っているところです。

>>1035:犀角独歩さん、有り難うございます。

犀角独歩さん、顕正居士さん、川蝉さん、問答迷人さんといった方々の頭脳コンピュータと比べれば、単なる雑学みたいなものです。尚、他の方々の資料もデータ・ベース構築に活用させて頂いています。この場を借りてお礼申し上げます。有り難うございます。 m(_ _)m

>>1036:みかんさん、レス有り難うございます。冷徹なみかんさんのレスを楽しみにしていますので、より一層の投稿を期待申し上げます。 (*^_^*)

確かに、みかんさんの仰る通りですね。分かりやすくするために、単に安易な表現を使用したことを反省します。

正確な語句の説明を以下に記しますので、みかんさん、間違いがあれば訂正して下さい。

キリスト(ポルトガル語:Cristo・基督)
もとは、ヘブライ語のマシーアハ(Messiah、ギリシア語形メシアスMessias)のギリシア語訳のChristosからで、「油を注がれた者」の意味である。古代ヘブライ国家で王は即位の礼として頭に油を注がれる。従ってイスラエルの王、転じてイスラエルを救うために神が遣わすべき将来の王との意味になる。キリスト教では人類の罪をあがなうために神が遣わした救世主の意味。

イエス(ラテン語:Jesus)
ヘブライ語のイェホーシュア、またはヨシュアのギリシア語形Iesousからきた言葉であり、「ヤハウェ(ヤーベ)は救いなり」の意味である。北パレスチナのナザレの大工ヨゼフとその妻マリアとの子として生れ、30歳頃、家を出て、ヨルダン川で洗礼者ヨハネから洗礼を受け、神の国の来臨の近いことを告げ、ユダヤ民族の悔改を迫った。神は慈愛深い父で、人間は皆同胞として相愛すべきことを説き、一切の偽善を排し、正義と愛との徹底を期した。初めガリラヤ地方に活動、のち首都エルサレムに上り、パリサイ派や祭司階級の宗教を批判、讒訴されてゴルゴタ丘上に十字架上で刑死。弟子たちはイエスが死後3日目に復活したと確信(復活祭を参照)、「油そそがれたる」救主、すなわちメシアまたはキリストと信じ、新運動を開始、ここにキリスト教が興起した。我が国では耶蘇、イエズスとも呼ばれる。

済みません、引用のネタ元が分かりません。 (^^;ゞ

1038アネモネ:2003/11/29(土) 10:32
「キリスト」を、イエスの名前の一部のように思っている人は、意外と多いのかもしれませんね。
愚鈍凡夫さんの語句のご説明と多少重複しますが、なぜイエス・キリストと呼ぶのか、ここにも参考になることが書かれています。
http://www2.odn.ne.jp/row/sub2/knowledg/knowle_04.htm

聖書は、ヘブライ語でかれたものが、最初にギリシャ語に訳されたのだったと思います。「キリスト」はギリシャ語ですから、聖典信仰のルーツはギリシャに遡るのかなあと、想像したりもします。
ペーパー(紙)の語源にもなったエジプトのパピルスとも関連があるのかなあとも思ったりもします。
http://contest.thinkquest.gr.jp/tqj1999/20208/lesson/papirus.html
http://www.seinan-gu.ac.jp/rad/koba9014.html

ロザリオが数珠の役割をしていたとは知りませんでした。といいますのも、プロテスタントでは、ロザリオも十字架も身につける習慣がなかったのです…。思い返せば、ロザリオを身につけるカソリックが、ちょっぴり羨ましくもあったりしましたね。
最近は、女性のファッションで、クロスのネックレスやペンダントがとっても流行っていますね。
だけど、そのルーツをうかがうと、非常に興味深いですね。

ユダヤ・キリスト・イスラム間の近親憎悪の話が出ていました。
この信仰圏は、十字軍遠征から始まる長い長い戦争とテロを繰り返してきていますね。結局その本質は、領土と資源を巡る利権戦争なのだと私は思います。信仰信念を巡る争いのように見えて、実は、人間の生存権を巡る欲望が引き起こしている戦争なのでしょう。そこでは宗教は、戦争やテロを正当化する大義名分に利用されているものと思われますね。
しかしそこで命を賭けて戦う戦士たちは、純粋に信仰信念に基づいている場合が多いです。まさに、ジハード(聖戦)。
信仰信念を持ついかなる人も、そのことの本質を冷静に見極める必要があるのだろうと思います。
イエスの言葉でいえば、「汝の敵を愛せよ」と説く行動規範が重要ですし、仏教ではもっとさらに深く内面に向けて掘り下げ、心のあり方を説いているものなのではないでしょうか。
しかし、あの地域の信仰のルーツを通した歴史を知ることは、法華経のルーツを知る上でも大変重要なことだと思います。
法華経を最高だと思い、それを広める使命を感じている人は、尚更知っておく必要があると思いますね。

1039犀角独歩:2003/11/29(土) 11:08

愚鈍凡夫さん:

数珠の由来についてですが、流浪の民と言われるジプシー(この言葉は差別語に抵触しましたっけ?、したらばご指摘ください)は、アーリア人の侵入によって所を追われたインドの先住民・ドラビダ人で、彼らもまた数珠様のような宗教具を持っていた、流浪の道すがらカトリック圏との接触の末、ロザリオになったという記述を、何かで読んだことがあります。ところがこの根拠をまるで失念し、おまけに先のHD破損でデータの一切を失ってしまったためにわからずにおります。何かご存じのことがありましたら、ご教示ください。

なお、この説に拠れば、ヒンドゥー(バラモン)教の法具であるジャパマーラーは、先住民の法具を模倣したか、あるいは影響を先住民に与えたか、その両方の可能性があることになります。

ちなみに輪廻転生の基礎となったのは先住民の「悪い行いをすると豚に生まれる」という土俗信仰がバラモンに取り入れられて発展したものであると、たしか長尾雅人師が書いていたと思います。(これまた消失データ)

さらにまたまた横道に逸れますが、旧約聖書に記述される洪水伝説と同様の記述は『マヌの法典』(インド)で見られ、たしかその記述は聖書よりも古層に属していたという研究があったとも記憶します。
この説は田辺繁子師が紹介していたかどうか、これまた消え失せたわたし個人のデータファイルにあったもので、いまは確認できずにおります。

これらの点、ご承知の所がありましたら、併せてご教示ください。

1040犀角独歩:2003/11/29(土) 12:12

> 1030 ドプチェクさん

>> 思考停止
> 非常に危険なものだと思います。

仰るとおりであろうかと存じます。

> 家族の者たち一人一人がそれぞれに御本尊を持っていた

同じように大量生産された印刷漫荼羅を各人が成果目的で所持しているとすれば、信仰心からしても不純なことですね。その線からのドプチェクさんの疑難であったと拝察します。

> 日蓮系でも富士門流と他門流…曼荼羅に対する捉え方の違いがある
> …あるいは、同じ富士門流の中でも

ええ、もちろん、あるでしょうね。
富士門流のなかでも石山と他山では違いますし、同じ石山系でも石山と学会は違い、顕正会も違いますね。でもその違いは、興師その人との漫荼羅観との相違よりは小さいと思えます。いまの学会を含む石山系の漫荼羅本尊観は興師その人とまるで違っています。そしてまた、興師、あるいは重須と、蓮師の漫荼羅観はまた違っているではないかというのがわたしの指摘してきたことです。

> 創価学会…御本尊書写の為の写真撮影が行われていた

いまの寛師ラミネート本尊、携帯本尊を作るのに、当然、写真撮影は行われているのでしょうが、これはいまのことに属しますか。

過去の事例でわたしが思い出すのは、板漫荼羅を正本堂遷座にする際、赤沢朝陽とその下請けによって修繕がされたわけですが、この際、聖教新聞社Hカメラマンが、詳細な写真撮影を行ったと聞いています。離間後、八王子牧口記念講堂に、この写真を元にした完全な板漫荼羅レプリカを安置する予定があったとかなかったとか。その実否は謎ですが、写真撮影は事実であると聞きました。

また、写真撮影とはややずれますが、九州からの団体登山は船舶を利用したもので、その際、船内各客室に置かれたテレビに映し出された漫荼羅本尊に向かって勤行をしていたということでしね。

それにしても複製を作るのに写真製版を使っている大本営を擁して、個人撮影は厳禁、整合性のない話であると思います。まさにナンセンスというしかありませんね。

> 日興上人…神社への参詣厳禁

この点について、日蓮宗で詳しい研究がされていました。
いまは失念していますが、現宗研、あるいは大崎学報のなかで読んで記憶があります。

> 「三沢抄」…信徒が神社へ参詣…否定されていたようには思えず

ええ、仰るとおりです。該当の部分は以下でしたか。

『三沢鈔』「うつぶさ(内房)の御事は御としよらせ(年老)給て御わたりありし。いたわしく(痛)をもひまいらせ候しかども、うぢがみ(氏神)へまいり(参)てあるついでと候しかば、けさん(見参)に入るならば定てつみ(罪)ふかかるべし。其故は神は所従なり、法華経は主君なり。所従のついでに主君へのけさんは世間にもをそれ候。其上尼の御身になり給てはまづ仏をさき(先)とすべし。かたがたの御とが(失)ありしかば、けさんせず候。此又尼ごぜん一人にはかぎらず。其外の人人もしもべ(下部)のゆ(温泉)のついでと申者を、あまたをひかへし(追返)て候」(真蹟在京都妙覚寺。内一九ノ二〇。遺二四ノ三四)

ここで蓮師が言う骨子は二つあります。一つは「神は所従なり、法華経は主君」、もう一つは「ついでと申者を、あまたをひかへし」という点でした。力点はむしろ後者で「ついで」ということに蓮師が腹を立てていた様子が窺えます。仰るとおり、所従の(氏)神参拝を批判したものとは受け取れません。

1041犀角独歩:2003/11/29(土) 12:13

―1040からつづく―

> 波木井実長が神社参詣

これはたしかに三島社の参詣に異義を唱えたと見えるわけですが、これが蓮師の直接の考えであるかどうか一考を要するのは当然のことでしょうね。

> 波木井実長の人物像

身延離山が円師との断絶を意味したかどうかという論点ですが、これは先に空き缶さんも指摘されていましたが、重須に興師が移ったのちも、交流があることが窺われるので、石山・学会のアナウンスは単なる創作物語であるというしかありません。
なによりわたしも指摘したことですが、『白蓮弟子分与申御筆御本尊目録事』に「甲斐国南部六郎入道者 日興第一弟子」と明記されているわけです。縁を切ったかつての弟子檀那には「背了(そむきおわんぬ)と書かれているのにも拘わらず、円師にはその記載が見られません。この目録の執筆は永仁6(1298)年、当の円師はその前年に死去しています。つまり、円師は逝去するまで興師の弟子であったことを物語っています。

> 波木井実長…「釈迦像を造立して本尊にした」

そうですね。わたしは、この点の興師の指摘は、蓮師随身の仏像がなくなったからと言って、新しいものを作っても本物に替えることはできないというのが興師の主張であったと思えます。仏像を興師が否定したわけではなかったでしょう。まして、大石寺には興師持仏堂があったことが漫荼羅への書き込みから窺えるわけで、興師が仏像を持していたのは史実であると思えます。その後、道師のころから漫荼羅本尊正意論が喧しく言われるようになった分析するのが執行師でした。興師は、蓮師在世、身延在住、石山持仏堂において仏像を立てていたことは至極当然の事実であったろうと推します。

> 何故実長の場合には批判される必要があったのか?

そうですね。ですから、仏像を立てることで円師が批判される理由は何一つなかったと思いいます。ただし、繰り返しになりますが、興師は昭師が持ち去って失した仏像の代わりを立てることに嫌悪を懐いたのであろうと思うわけです。

> 日代上人が離脱(追放?)…法華経全品の読誦の是非

全品読誦の是非ではなく、これは方便品の読不の仙師との論争となっていました。
しかし、ご指摘のとおり、代師の排斥は法門上の問題が際だってのことではないように思えます。

> 松戸氏の著書

ドプチェクさんにとっては有効な書であったということですね。

> 御本尊に対する畏敬の念や信仰心までもが次第に薄れつつある…心配

この意識の変遷は、かつてのわたしの経験でもあります。
漫荼羅を「本尊」ととらえたのはたしかに興師その人であったと思います。
しかし、わたしはこれは蓮師の素意とは違うと諸文献から、ほぼ結論づけています。
本尊は確実な真跡資料からすれば釈尊を置いてあるわけもありません。『本尊問答鈔』その他写本資糧から類し蛮勇を起こせば題目本尊の線も考えられると思います。しかし、いずれにしても漫荼羅全体を直ちに本尊とするのは御書から見る限り無理があります。
となれば、蓮師の素意を斟酌して信仰に励もうと思えば、石山・学会から植え込まれた本尊観は次第に薄れるのはむしろ自然なことであると、わたしには思えます。
心配されることではなく、蓮師の素意に基づくかぎり、自然なことです。

> 長年、御本尊を拝むのが基本…

これは正確に記せば、「蓮師漫荼羅を本尊と拝む」ということですね。
蓮師の素意からすれば、かなり特異な考えでありながら、石山・学会で至極当然の“常識”ととらえられている点でした。わたしはこの点に警鐘を鳴らしたわけです。

1042犀角独歩:2003/11/29(土) 17:27

【1041の訂正】

前)本尊は確実な真跡資料からすれば釈尊を置いてあるわけもありません
訂)本尊は確実な真跡資料からすれば釈尊をさし置いて、ほかにあるわけもありません

1043愚鈍凡夫:2003/11/29(土) 23:02
>>1039:犀角独歩さん、
ジプシーと数珠の関係ですが、資料がないので分かりません。 m(_ _)m

ところで、ネット・サーフィンしていたら、こんなHPを見つけました。

「民族@インド:ラジャスターン」
http://sekitori.hp.infoseek.co.jp/Hito/hito_India_sabak.html

「ホロコースト ジプシー」
http://www.mainichi.co.jp/life/family/syuppan/chronicle/holocaust4.html

「世界史ノート(古代編)」
http://www.sqr.or.jp/usr/akito-y/mokuji.html

1044Leo:2003/11/30(日) 00:40
犀角独歩さん、横レス失礼します。
>>1040
>離間後、八王子牧口記念講堂に、この写真を元にした完全な板漫荼羅レプリカを安置する予定があったとかなかったとか。
>その実否は謎ですが、写真撮影は事実であると聞きました。

八王子牧口記念会館は(通常なかなか入れませんが)ある機会があり入館したことがあります。
入り口を入ると広い空間(吹き抜け)がありました。

(入り口を入ると(不自然な?)大きな吹き抜けで、正面の壁にはヒマラヤ山脈の頂上を越える鳥を画いた大壁画があり、
上に上る途中には所々に珍宝が置いてありました(中でもよく覚えているのはハイビジョンTVを用いたバーチャルな
熱帯魚水槽です)最上階は大広間でかなり天井が高いです。他には、顕彰の品々の特別展示室や大きめの書籍部(売店)が
ありました。まあ、そのような建物です。)

1045顕正居士:2003/11/30(日) 02:19
>>1032 ドプチェクさん。

>境界線

は単純です。「我々の教会の宗教サービスのみが効果がある」というのはカルトです。
これはマルチ商法と同じです。たとえば、我々から購入した洗剤だけが「真の効果」がある
という。その洗剤は実際には他社より劣っており、かつ高額です。これを大量に購入させ、
知り合いに販売させる。販売に成功すると、親-子-孫-…の逆順でマージンが納められ
販売者には「実の効果」が生じます。宗教マルチの場合、マージンの額は決められては
いません。販売成績によって昇進し、収入が支出を越える地位である教団専従者に達し、
さらに資産に関与できる幹部の地位を目指します。創価学会の場合、歳費が税金から
支出される「議員」の地位を販売成績者に与え、自ら出費せずに多数の専従者を作った。

マルチ商法はマージンの逆順による納入が本質ですから、「商品」には関与しません。
他社より劣っている、かつ高額な擬似商品の押し売りで、会社や代表者はバッシングを
つねに受けます。宗教マルチでは創価学会や統一教会が実例です。他の新興宗教は
そういう立場になっていないでしょう。カルトには宗教マルチ以外のタイプもありえますが。

1046ガンコ:2003/11/30(日) 03:03

『清澄寺大衆中』における「日蓮が御本尊」とは何か? (独歩さん、愚鈍さん等へのお返事)

たいへん遅くなりました。
インターネットはまだまだ発展途上なのでしょうか、あるいはわたくしの調べ方がわるいのでしょうか、懸案について書かれているサイトはほとんどありませんでした。
唯一、山中講一郎氏がこの問題について触れていらっしゃいます。生意気を申しますが、山中氏の諸研究はやや学会チック?なところがありまして、全面的に賛同するわけにはまいらないのですけど、しかし、内容の濃さといい、広範さといい、傾聴にあたいするものであります。

まず、御書の該当部分をわたくしなりにかみ砕いて要を申せば、東条景信が清澄寺を念仏宗に改宗せしめようとした→大聖人がそうはさせまいと御本尊に祈った→一年以内に祈りが叶った・・・という流れであろうかと思います。

ところが、この出来事がいつのことなのか、いまだに判明していないのだそうです。 で、山中氏の推論は以下のとおりです。

まずここで述べられている「日蓮が御本尊」とは何かという問題がある。仮に「日蓮が御本尊の手に」とある御文を「日蓮が(清澄寺の)御本尊(である虚空蔵菩薩の)手に」と読むならば、他の時期にこの事件を設定することは不可能となり、立教直前の出来事と確定してもよいと思う。
なぜかなれば、立教後において虚空蔵菩薩に祈願することなどあり得ないからである。(晩年、弟子に虚空蔵菩薩の前で『報恩抄』を拝読させているが、それは祈願の為ではなくあくまで報恩の一環としてであった)
しかし、清澄寺の本尊を「御本尊」と呼ばれた例は無く、例外なく「虚空蔵菩薩」と述べている。
また、「御本尊の手にゆいつけて」とあるところから、この「御本尊」が仏像であることがわかるが、大聖人の御所持の仏像といえば、後の文永八年になって相模の依智で初めて紙幅の御本尊を認められるまでの間、所持の本尊として随身しておられたのは、伊豆流罪のおり、地頭の伊東氏から献上された釈迦仏の像以外には無い。
では随身仏を「御本尊」と呼ばれた例はあるのだろうか。
『神国王御書』に文永八年の法難を回想して
「其の外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて・仏像・経巻を諸人にふまするのみならず・糞泥にふみ入れ・日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候いしを・とりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ」p1525 という御文があり、
ここに松葉ガ谷の草庵に安置していた釈尊を「本尊」と述べられている。この釈尊が大聖人の随身仏であることには異論はないと思う。
この『清澄寺大衆中』に述べられる「御本尊」が大聖人の随身仏だとすれば、東条氏との闘争は伊豆流罪地よりの帰還後弘長3年から帰郷される文永元年までの1年間ということになる。

http://www.ginpa.com/karagura/nenpu2/c32-07.html
http://www.ginpa.com/column/20001119.html

1047ガンコ:2003/11/30(日) 03:10

結局のところ、わたくしがかつて読んだものがなんだったのか、わかりませんでした。あるいはじぶんで御書を拝していて、そのように、つまり御本尊=虚空蔵菩薩と読んでしまったのかもしれません。ですから、いまは虚空蔵説に客観的な根拠を持ち合わせておりません。

たいへん失礼しました。

1048ガンコ:2003/11/30(日) 03:17

素朴な法勝人劣論

上のほうで、わたくしは法勝人劣を支持するむね述べましたが、顕正会員のクセに人法体一を言わないのはけしからん・・・と思われるといけないので、少し言い訳を書いておきます。

まず、人法一箇ならば、なぜ御観念文をべつべつにわけるのだろう? 順番もいわゆる仏・法・僧ではなく、法・仏・僧になっているし・・・

そしたら、なんと日蓮正宗の宗規には「本宗は、大曼荼羅を法宝とし、宗祖日蓮大聖人を仏宝とし、血脈付法の人日興上人を僧宝とする」とあるんだそうです。ああ、やっぱり、法仏僧なんだなあ、と思ったわけです。

当体義抄のわりと有名な部分には、
「至理は名無し、聖人理を観じて万物に名を付くる時、因果倶時・不思議の一法之有り。之を名づけて妙法蓮華と為す。此の妙法蓮華の一法に十界三千の諸法を具足して欠減無し。之を修行する者は仏因仏果同時に之を得るなり。聖人此の法を師と為して修行覚道したまへば、妙因妙果倶時に感得し給ふ。故に妙覚果満の如来と成り給ふなり。」
とあって、意味はさっぱりわからないけど、ともかく法のほうが先なんだと仰せになっているように思えます。
で、なんだかますますわからないけど、日寛上人の御指南には次のごとくあるようです。(孫引きだから、どの御指南かわからない)

「此れ須く分別すぺし、若し内体に約さば実に是れ体一なり。所謂法宝の全体即ち是れ仏宝なり、故に一念三干即自受用身と云い、又十界具足を方に名づけて円仏と云う也。亦復一器の水を一器に写す故に師弟亦体一なり。故に三宝一体也。若し外相に約さば任運勝劣あり。所謂、仏は法を以て師と為し、僧は仏を以て師と為す故也。故に法宝を以て中央に安置し、仏及び僧を以て左右に安置する也」

以前、苦悩乱者さんが「法前仏後」っておっしゃってましたが、なるほど、このことだったんだ、と思いました。

1049みかん:2003/11/30(日) 06:47
>>1038
旧約聖書は、ヘブライ語です。
新約聖書は、最初からギリシア語だそうです。
なんで最初からギリシア語で作成されたかは、下の本で読みましたが、忘れました。

新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか
//www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4469212369/
書物としての新約聖書
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/432610113X/

1050Leo:2003/11/30(日) 10:09
>>1049 >新約聖書はなぜギリシア語で書かれたか

その当時の東方地中海世界の共通語がギリシャ語(コイネー)だったからですね。

(現在でもネストレ版ギリシャ語新約聖書が決定版あるいは底本とのことですね)

1051犀角独歩:2003/11/30(日) 10:23

1043 愚鈍凡夫さん:

有り難うございます。
ジプシーではなく、「ロマ」と呼ぶべきようですね。
また、ご紹介のHP、参考になりました。
殊にドイツの事例、改めて胸が痛みました。


1044 Leoさん:

有り難うございます。
八王子・牧口記念講堂の実地見聞、参考になりました。

1052犀角独歩:2003/11/30(日) 11:22

ガンコさん:

1046はなかなかの秀作でした。
参考になりました。また、ガンコさんの研鑽姿勢が窺えました。

1048について、「法勝人劣」で区切ってしまっていますが、それでは寛師の説明を途中でやめてしまっていることになるでしょう。ここでの結論は三宝一体を言うものでした。
ただ外相に約せば法勝人劣だということでしょう。内証を簡んで外相で説明をやめてはいけません。

以下、掲示板の
http://nakanihon.net/nb//log/log14.htm
1349 顕正会破折文からの「血脈否定は三宝破壊」 アッド 2001/08/18 20:20
はガンコさん的には参考になるところがあるのではないでしょうか。
もちろん、わたしは、この投稿には一々に疑難を投じるところばかりで、まったく用いるところはありませんが。ただし、浅井親子への破折は現石山義から言えば筋が通っていると思えます。

上述の投稿で興味深いのは、応師が法宝を「一期弘法」としている点でしょうか。これは板漫荼羅とするより正確であるとわたしには思えます。
上記、引用の応師『弁惑観心抄』の該当部分は以下のとおりです。

「日蓮とは仏宝なり一期弘法とは法宝なり本門弘通の大導師とは僧宝なり」(第4章 下種三宝を論ず 第51節 P204)

寛師教学からすれば、板漫荼羅は,
蓮師と恒一(体一)となるわけですから、その線から言えば仏宝に拝されなければならないでしょう。

仏宝 − 日蓮/板漫荼羅
法宝 − 一期弘法
僧宝 − 日興

ところが御影式奉安では仏宝を示せますが、しかし、客殿式奉安では以上のようにすると不整合が生じるわけでしょうね。

わたしは何度も繰り返しています。経典は法ではなく経典です。題目も法ではなく題目です。漫荼羅も法ではなく漫荼羅です。法は法であって、それ以外ではない。ただし、法は見えないし、言語道斷心行處滅です。ですから、凡下に示すに有形に託してしまうわけです。託さないのが智邈師の在り方であるけれど、蓮師は託したと言えると思います。
しかし有形に託してしまえば、そもそもそれは法そのものではないという限界を示した側は知っているわけです。ところが受け取る側は、その有形を法そのものであると思ってしまうわけです。

そんな延長でガンコさんが言うような法勝人劣論が語られるわけです。
これはしかし、以上の次第ですから、二重に取り違えているとわたしは言うわけです。
さてさて、如何に研鑽されるか楽しみです。

1053アネモネ:2003/11/30(日) 13:24
横レス御免なさい。
自己レス>1038の続きを少し…

キリスト教の「キリスト」とは、メシヤ(救い主)のギリシャ語ですから、キリスト教を日本語に直訳すれば、救世主教といったところになるでしょうか。
救世主思想が菩薩思想のルーツと近親関係にあるならば、菩薩教といってもいいかもしれません…。(もちろん、これは仮説の話ですので、読み流してください)
そして、クリスチャンとは、「キリストを信じる者」という意味ではなくて、「キリストに似た者」という意味だとか。ですから、イエスをキリスト(救世主)と見る信仰者は、イエスに習う救世の行いをしなければ、クリスチャンとはいえないわけですね。

ところで、なぜイエスを救世主と呼ぶのかは、ユダヤ教における預言書に由来し起因しますね。
ユダヤ人の預言書とは、聖書の中の旧約聖書の部分に書かれている書の中にあり、そこには、多くの神の言葉を預かったとする預言者の預言書があるわけです。救世主降誕の預言書は特に後半部分に数多くみられ、有名なところでは、イザヤ書と呼ばれるものがあります。

ところで聖書は、新旧いずれも、そこに集められたひとつひとつの書のタイトルには、その書を書いた著者の名前である場合が多いのです。ここが仏教経典とは大きく違うところといえるかもしれません。ですから、イザヤ書はイザヤという預言者が書いた書となります。
イザヤは、およそ紀元前700年ぐらいに、北イスラエル王国がアッシリヤの攻撃を受けて、ユダヤ人たちが捕らえられていった時代のユダヤ王国にいた予言者といわれています。
ユダヤ(イスラエル)という国は、ダビデ王によって栄えていた時代以外は、何度も何度もいろんな国に占領され、また国内的にも内戦を繰り返し、分裂したり一部消滅したりといった非常に複雑な歴史を持ちます。政治的な見方でいえば、内戦を繰り返して国内情勢が不安定な国は、外国からの侵略は免れない一面の真理ともいえます。
さらに最後は、イスラエルの地さえも追われて、ユダヤ人は流浪の民となってしまったわけですが、占領の時代が長く続いていた頃から、人々の中には救世主を求め待ち望む思いが非常に強かったわけです。
その思想のルーツは侵略の歴史的背景からいっても、独歩さんがよく書かれている、ミトラ信仰に繋がっていく説は、私としても非常に興味深いところです。

バビロン捕虜の時代の後、ペルシャがバビロンを制圧してパレスチナを占領します。紀元前614年のことです。仏教では、どのような時代でしょうか。
菩薩思想のルーツを求めて、ペルシャ帝国の研究も興味深いと思います。
ミトラについて興味深いサイトを検索しましたので参考まで。
http://www.hi-net.zaq.ne.jp/buakf907/bun032.htm

このサイトの中にもありますが、ユダヤ教には、カバラという占星術といいますか算術をもとにした秘儀があるわけですが、恐らく数珠といった算盤は必要だったのではないのかなと想像します。実際に数珠のようなものを使っていたのかどうかは、私の手持ちの資料では見当たりませんでしたけれでも…。


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