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素朴な疑問
966
:
犀角独歩
:2003/11/23(日) 16:32
964 ガンコさん:
引用している「日眼女抄」とは板漫荼羅が造立されたとなっている弘安2年に記された『日眼女釈迦仏供養事』の御文ですね。
「三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女…教主釈尊をつくりまいらせ給ひ候へば、後生も疑ひなし…女人の中の第一也」
と釈迦仏像を造ったことを蓮師が褒めちぎる書です。ですから、引用される箇所も、漫荼羅の記述ではなくて、その結論部は「釈尊一体を造立」に掛かっています。つまり、仏像についての記述です。それで、
> 仏像は拝みたくないわけです
たとえ、蓮師の真跡であっても、仏像は拝みたくない、祖師の教義を枉げてもそこまで言いますか。考えさせられるところはあります。
ガンコさんとは関係ありませんが、この書の記述は、像非派は信仰のない日眼女に方便で仏像を認めて書いたものなんて、解説しています。ここまで自分の祖師を愚弄した話もないと呆れるわけです。
参考にお聞かせいただきたいのですが、ガンコさんには「南無釈迦牟尼仏」の帰依があって、漫荼羅を本尊と拝んでいらっしゃるのでしょうか。この点が、わたしの福田さんに投げかけた質問の焦点です。また、なぜ仏像を拝みたくないと自分は考えているのか、いつそのように刷り込まれたか、その経過はどんなあんばいであったのでしょうか。差し支えなければ、お聞かせください。
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