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素朴な疑問

959アネモネ:2003/11/23(日) 13:22
横レス失礼いたします。

>951愚鈍凡夫さんのレスを拝見いたしまして、少し私にはわからないところがあるのです。
ここのところの教学的議論の流れは、私にはとても高度でわからないことだらけなのですが、ここは素朴な疑問ということで、レスをお許しください。

>「法灯明」の教えは原始仏典にありますし、法華経に於いては、最も強調されている事ですよね。…とあります。「法華経」を信じ持つことが最も重要であるとのことですね。

ここなのですが、いわゆる「原始仏典」に記される、釈迦牟尼仏が説いた「法灯明」の教えとは、「法華経」を信じ持つということだったのか。つまり、「法灯明=法華経を信じ持つ」といえるのか。もしくは、法灯明=南無妙法蓮華経ということなのかという素朴な疑問です。

>仏の教えを説いた経典は、衆生を成道に導くためのものであるとのことですよね。

素朴な疑問なのですが、法華経は仏の教えを説いているものなのでしょうか。
うまくいえませんが、法華経には確かに「仏の教えを説いた経典は、衆生を成道に導くためのものである」と書いてあるとしても、その「仏の教え」が何であるかという具体的な内容に触れてあるものなのかなあという疑問が私にはあります。
もっといえば、先の疑問にも関連して、「仏の教え=法華経」なのか。「仏の教え=南無妙法蓮華経」なのか。もしくは、「仏の教え=法華経を信じ持つ」ことなのかという素朴な疑問です。

>仏法は経典から導き出されるものですから、古より「法」を柱とする精神は変わらないのではありませんか。

法を柱とする精神はそうだと思うのですが、その「法」とは何かということについて具体的に書かれている経典がまさに法華経といえるものなのか?という疑問があります。

>法華経を中心とした仏道修行の重要性が説かれていますね。一言で言えば、「法華経」を通して「釈迦牟尼仏」を拝謁すると言うことでしょうか。

法華経を通して釈迦牟尼仏を拝謁するということは、恐らく法華経という経典を成立させた人々の信仰観だっただろうなあということは想像できるのですが、しかし、逆にそれが拝謁する釈迦牟尼仏の教導せんとする成道の姿といって間違いなのか?という素朴な疑問が出てきました。

すみません。私、よくわかっていませんので、トンチンカンな疑問かもしれません。
要するに、法華経という経典を信じ持つことが、釈迦が説いた法灯明の教えであるのかどうかという疑問ですね。もっと平たく言えば、法華経という経典=法灯明の法、つまり法華経=法なのかという疑問でもあります。
まあ、日蓮の信念と教えはそうだったのかもしれませんけれども…。


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