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素朴な疑問

998アネモネ:2003/11/26(水) 01:42
愚鈍凡夫さん

>マザー・テレサの言葉にこういうのがあります。
…これって、経典に説かれるままの布施行ですよね。

私は実は、キリスト教徒だったとき、今ほどマザー・テレサに対して強い思いを抱くことがなかったのです。むしろ、キリスト教を離れて仏教徒の立場になってからのほうが、彼女に対する強い憧憬と敬慕の思いを持つようになりました。
しかし、法華講信徒の中には、マザー・テレサは謗法であり地獄に落ちたなどと言い切る人もいたりしましたから、仏教徒の愚鈍凡夫さんから、マザー・テレサの具体的な菩薩道についてこうして教わることは、とても新鮮なことと感じます。

>『ガンジーは、キリストのことを知った時、興味を抱きました。しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。』

私もガンジーのことは、心から敬愛し憧れてもいます。こんな表現は不適切かもしれませんが、ガンジーの中に日蓮をみるような思いもあるくらいなのです。
また、ご紹介くださってガンジーの言葉、とても納得するものがありますね。

>ガンジーがかつてこう言いました。「もしもキリスト信者たちが、その信仰に忠実に生きていたら、インドにはヒンズー教を信じる者たちは一人もいなくなってしまっただろう」と。

いろんな意味があるんでしょうね。ここでいうキリスト信者とは、インドを植民地としたイギリス人のことを意味しているのでしょうか。
私は、キリスト教の嫌いなところは、植民地政策における思想戦の道具であったところです。
しかし、近代の列強国に侵略されるたいていの国々は、当然、近代化に遅れた国であり、国内事情としては貧富の差が著しく激しいわけです。皮肉なことに、侵略してくる列強の思想戦の道具であるキリスト教が、その博愛精神に基づいて、貧しい人々を癒し慰め励ましていくわけですね。
マザー・テレサがそのような構造に組み込まれた人とは全く思ってはいませんが、仏教発生の地でありながら、インドの最下層の人々を実践的に救ったのは、インドを侵略した国の異教の宗教家であったということが、いかにも皮肉に思えてしまうところです。
大乗仏教が発生した歴史的背景というものにも、似たようないきさつがあるのではないかと想像してしまうくらいです。

>「人々は、私たちが菩薩らしく生きることを期待しているのです。」

菩薩らしく生きることに、心から随喜できたときはじめて、五十展転の菩薩道(仏法)の弘法精神があるのかもしれませんね。
ところで、またまた、素朴な疑問ですが、仏教徒として菩薩らしくあるって、どういうことの実践だとお考えになられますか?


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