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素朴な疑問

1006犀角独歩:2003/11/26(水) 16:29

―1005からつづく―

法華経の創作者(集団)とは、一体如何なる人々であったのか。その確実な研究をわたしは知りません。しかし、譬喩品をはじめ、そこに書き連ねられる脅しの言説は、実に見苦しく、そして、差別的です。この差別は、岩本師が言うように被差別側であった怨恨から生じたものである可能性もあるでしょう。しかし、反面、問答名人さんが引用される如き不軽精神の如き、その点を止揚した側面もたしかに看取することはできます。怨恨から不軽への精神的向上の流れをそこに看取できるわけです。この昇華はしかし、高く評価されるべきですね。アネモネさんが「不軽心」といった点にわたしは大いに賛同するものです。その特徴を余すことなく、示すために差別、恫喝の教説をわたしは潔く捨て去ることにしたわけです。


> 「経典信仰」…聖典信仰

この比較は実に重要な意味を持つと思います。
法華経は大乗経典のなかでも特異の聖典信仰の“影響”によって創作された経典であると思えます。梵本のテキストはありませんので、妙法華で「法華経」という語彙を検索したところ、実に97回も出てくるわけです。

また、そのなかで、「吾於過去 無量劫中 求法華経(吾過去無量劫の中に於て法華経を求めし)」(提婆達多品)と経典が過去無量劫から存在していたことを示唆する一節まであります。つまり法華経典は量り知れない過去から存在していたものであるという神話がここに織り込まれているわけです。
このような特異な聖典信仰は他の大乗経典に見られない特徴であるとわたしには思えます。この極端な経典賛美で特徴づけられる理由は、アネモネさんも記されるように、当時の東西文化のなかで勃興していった聖典信仰の影響を法華経創作集団が受けていたからではないのかと、わたしは想像します。

> 本尊=偶像崇拝(器物崇拝)

仏像の出現はたぶんにギリシャ神像彫刻の影響を受けたものでした。
わたしもその意味から、本尊が「生身(しょうしん)の日蓮大聖人」などと言われれば、まさに偶像崇拝という批判を遁れがたいと思えます。しかし、元来の仏像・漫荼羅は、たとえばキリスト者が十字架を用いることに、むしろ近いものであると思える向きもあります。

> 偶像や器物を立てるまでもなく、聖典信仰そのものが究極の偶像崇拝

わたしも、もちろん、同様に感じます。
わたしが「経典は法ではない」というのも同様の意味からです。
題目の五字に一念三千の意義を籠めるのは是であるにせよ、五字そのものが一念三千であるといえば、いわば偶像化に類似をなすと思えます。
しかしながら、ここで、キリスト圏の他教批判の言を費やす必要はありません。
「一切法空」から仏像・漫荼羅を見る視点があれば事足りることでしょう。

> 聖典…信仰の対象・本尊と崇める…宗教観…私は疑義をもっています。

偶像崇拝というキリスト者側の批判からではなくて、大乗仏教の「空」から見ても、この点は再考されなければならない点であろうと存じます。

> 聖書のいわゆる救世主信仰と、法華経の済度思想は、非常に似通ったもの

東西文化比較論では、夙に指摘される点でした。

> 学ぶべきところを自らの判断で掴むということが求められる

この点も大いに賛同します。
日本人といわず、すべての信仰者は、集団信仰を卒業する時機が到来しているのだと、つくづく思う昨今です。


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