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素朴な疑問
990
:
アネモネ
:2003/11/25(火) 02:31
またまた横レス失礼いたします。
>962 犀角独歩さん
レスありがとうございます。
>仏法と仏道は同じ意味であるということでした。つまり、法は道(どう)であるというのでした。…法華経の中に説かれる正法とは菩薩道であると見ると、この経典が元来、言おうとしていた意味が初めて見えてくるとわたしには思えるわけです。
正法の体感や体現ということになると、なにか捉えどころがなく、仮に「悟った」といったところで、どことなく眉唾ものに思えてなりません。
しかし、仏道ということになると違ってきますね。個人の解脱に留まらないという「菩薩道」を志して実践するところに「正法」があるということであるならば、私は信じたいという気持ちにもなります。
実は、この掲示板に参加したとき、独歩さんがしきりに菩薩という言葉をレスされていたことが、とても印象的に感じました。ところがお寺での説教を振り返ると、菩薩ではなく、むしろ凡夫という語彙のほうがよく聞かされていたように思うのです。
また、何が仏道(菩薩道)なのかということにおいても、お寺では、この法を広めること、つまり折伏(勧誘活動)が仏道(菩薩道)だと教えられていたように思いますね。
pundarikaでも書いたことですが、私はそのことがやはり釈然としないんです。
正法は仏道であると言える。そして、法華経の中に説かれる仏道とは菩薩道のことであり、つまり正法とは菩薩道であるともいえる。
しかしお寺の教えにのっとって、菩薩道は正法を広めることといえる…となれば、菩薩道は菩薩道を広めることという、なんだか堂々巡りに思えてしまいます。
菩薩道の実践=菩薩道の広報宣伝と、置き換えられていいものなのか、ここも素朴な疑問ですが、法華経に説かれてることとは、結局そういうことなのでしょうね…。
なんか、ここにある種の限界を感じてしまうところです。
法とは何かがわからないのと同じく、菩薩道とは何かがはっきりしていないようにも思えるところです。
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