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素朴な疑問

1014愚鈍凡夫:2003/11/27(木) 06:11
皆さん、お早うございます。

たぶんアネモネさんがいっている「山上の垂訓(山上の説教)」とは以下の文のことだと思います。
「マタイ伝 5」より引用
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1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
3 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
4 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
6 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
(後略)

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富士門の掲示板で新約聖書を引用するのは不思議な気分ですね。
マザー・テレサは「貧しい人たち」について、次のように述べられています。

「貧しい人々の中で最も貧しい人々は、私たちにとってキリストご自身、人間の苦しみを負ったキリストに他なりません。」(「愛と祈りのことば」 PHP研究所)
「私たちの食物、衣服、何もかも貧しい人々と同じようでなくてはなりません。なぜなら、貧しい人々はキリストご自身なのですから。」(「愛と祈りのことば」 PHP研究所)

「マタイ伝5-3」の意味は、マザー・テレサが「心の貧しい人」といっている意味とは違うように思うのですが、いかがでしょうか。
何故なら、女史は「貧しい人」と「心の貧しい人」とは区別されているように思うのです。女史の言う、「心の貧しい人」というのは、「忘れ去られた孤独の中の住人」のことではないでしょうか。または、「心に深い傷を負った人」のことではないでしょうか。

「山上の垂訓 山上の説教から」
http://www.hiroshima-cdas.or.jp/home/jm4kdv/sanjyou.htm


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