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素朴な疑問

892犀角独歩:2003/11/17(月) 12:25

ドプチェクさん:

> 御本尊を単なる商売道具…宗祖日蓮聖人の本意に反する行為

もっともなことです。
ここで重要な点は、一つの集団のなかでもっともらしい理由をつけて「本意に反する行為」がどのように正当化されているのかを見抜く眼力を養うことであると思うわけです。
組織、指導者のやることは絶対で間違いがないとその判断能力を他者に委譲してしまい本質が見えなくなることを第三者心理操作、すなわち破壊的カルトマインド・コントロールにおける“思考停止”というわけでした。

> 創価学会…法華講員の家に何幅もの御本尊があった

家に漫荼羅が複数あることをあたかも謗法の如く扱う学会の論調は理解に苦しみます。
例えば、学会本部内にはいったい何体の漫荼羅本尊が安置されているわけでしょうか。
「一家一世帯の御本尊」は創価学会独自教義に過ぎません。
何の根拠もない言いがかり以上の何ものでもありません。
むしろ、何百年も石山とその末寺檀家であった人々にとって、複数の漫荼羅本尊を所有することは誉れでこそあれ、非難される謂われなどまったくないことでしょう。

> …法律に触れなくても、詐欺商法の手口

わたしも同感です。
たしかに商業法規その他の一般法には抵触しませんが、仏法からみた詐欺詐称行為であるとわたしにも思えます。

> 御本尊を土産物として売る

これは信仰観の相違ではないでしょうか。
たとえば、国によっては国王の写真を撮ることを厳重に禁止している国があります。
しかし日本人からすれば、何がいけないのかピンときません。
そもそも漫荼羅本尊観が相違しているのでしょう。
わたしは複製反対の立場ですから学会を含む石山系グループが複製漫荼羅を濫造することにしても蓮師の素意を冒涜していると思います。
しかし、ここの信者でわたしの憤慨を理解できる人は少ないでしょう。
土産物、ラミネート、携帯、みな同じ不敬と映じます。
なお、余談ですが、わたしが身延の境内売店で見た印刷漫荼羅は文字は蓮師の筆のようでしたが、本尊集などで掲載されていないものでした。たぶん、蓮師の筆跡を真似た臨写を複製縮小、表装したものであると判断できました。

> 御本尊は信仰の対象ではなく、神社で売られている
> お守りや絵馬のような事実上の飾り物、あるいは、
> 単なるアクセサリー程度の存在にまで御本尊の意義、
> 値打ちを下げてしまっている事になりますよね。

恐縮ながら、わたしはこの見解には反対です。
ドプチェクさんからすれば、社務所で売られるお守り、絵馬は飾り物、アクセサリーと映じるのでしょうが、そこに願をかける人々にとっては信仰の対象であるからです。
これらの人々にとってお守り、絵馬は富士門信徒の漫荼羅を仰ぐ信仰心と何ら変わらない恭敬をそれらの品々に懐いていると想像できます。

> 日蓮聖人が、ご存命であれば、大いに憤怒

この点については、わたしは賛同します。
ただ、ドプチェクさんとわたしの違いは複製の是非という点で分かれるのでしょう。

> 御本尊を持っていない信仰者にとっては、
> 非常にありがたいものという事になるのではないか

この文脈はお守り・絵馬に掛かるのでしょう。
このような客観的な視点は実に重要ですね。
ですから、わたしも「(複製漫荼羅)御本尊を持って“いる”信仰者にとっては、非常にありがたいものという事になる」ことは理解できます。


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