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素朴な疑問
969
:
愚鈍凡夫
:2003/11/23(日) 19:22
うわっ! 知らんまにレスが進んでる。 (;^_^A アセアセ…
アネモネさん、説明不足のようでした。
単に「法灯明」と記したのは、釈迦牟尼自体が「法」を重要視したということを言いたかったからです。
「法華経」は、蓮祖に最も関係深い経典なので引用しました。
言いたかったことは、「法華経」を含む経典に説かれる「法」こそが「柱」である。ということです。
「諸譱男子。如來所演經典。皆爲度脱衆生。(諸の善男子、如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり)」(妙法蓮華經如來壽量品第十六)
犀角独歩さんのレスと重複しますが(犀角独歩さんレス有り難うございます)、
この一節に、釈迦牟尼仏亡き後の、弟子たちの想いを感じます。というより、ここの部分が「此の経」ではなく、「経典」とあることに、好意を持ったと言ったほうが正確でしょうか。
この「経典」とは、「法華経」のみを指すのではないと思います。
先のにも述べましたが、「仏法」は「経典」から導き出されるものだと思うので、「経典」の中に仏陀を観じ、「経典」の指南を仰いで仏道を求めるというのが仏教のスタンスではないかと思います。
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