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素朴な疑問
1046
:
ガンコ
:2003/11/30(日) 03:03
『清澄寺大衆中』における「日蓮が御本尊」とは何か? (独歩さん、愚鈍さん等へのお返事)
たいへん遅くなりました。
インターネットはまだまだ発展途上なのでしょうか、あるいはわたくしの調べ方がわるいのでしょうか、懸案について書かれているサイトはほとんどありませんでした。
唯一、山中講一郎氏がこの問題について触れていらっしゃいます。生意気を申しますが、山中氏の諸研究はやや学会チック?なところがありまして、全面的に賛同するわけにはまいらないのですけど、しかし、内容の濃さといい、広範さといい、傾聴にあたいするものであります。
まず、御書の該当部分をわたくしなりにかみ砕いて要を申せば、東条景信が清澄寺を念仏宗に改宗せしめようとした→大聖人がそうはさせまいと御本尊に祈った→一年以内に祈りが叶った・・・という流れであろうかと思います。
ところが、この出来事がいつのことなのか、いまだに判明していないのだそうです。 で、山中氏の推論は以下のとおりです。
まずここで述べられている「日蓮が御本尊」とは何かという問題がある。仮に「日蓮が御本尊の手に」とある御文を「日蓮が(清澄寺の)御本尊(である虚空蔵菩薩の)手に」と読むならば、他の時期にこの事件を設定することは不可能となり、立教直前の出来事と確定してもよいと思う。
なぜかなれば、立教後において虚空蔵菩薩に祈願することなどあり得ないからである。(晩年、弟子に虚空蔵菩薩の前で『報恩抄』を拝読させているが、それは祈願の為ではなくあくまで報恩の一環としてであった)
しかし、清澄寺の本尊を「御本尊」と呼ばれた例は無く、例外なく「虚空蔵菩薩」と述べている。
また、「御本尊の手にゆいつけて」とあるところから、この「御本尊」が仏像であることがわかるが、大聖人の御所持の仏像といえば、後の文永八年になって相模の依智で初めて紙幅の御本尊を認められるまでの間、所持の本尊として随身しておられたのは、伊豆流罪のおり、地頭の伊東氏から献上された釈迦仏の像以外には無い。
では随身仏を「御本尊」と呼ばれた例はあるのだろうか。
『神国王御書』に文永八年の法難を回想して
「其の外小菴には釈尊を本尊とし一切経を安置したりし其の室を刎ねこぼちて・仏像・経巻を諸人にふまするのみならず・糞泥にふみ入れ・日蓮が懐中に法華経を入れまいらせて候いしを・とりいだして頭をさんざんに打ちさいなむ」p1525 という御文があり、
ここに松葉ガ谷の草庵に安置していた釈尊を「本尊」と述べられている。この釈尊が大聖人の随身仏であることには異論はないと思う。
この『清澄寺大衆中』に述べられる「御本尊」が大聖人の随身仏だとすれば、東条氏との闘争は伊豆流罪地よりの帰還後弘長3年から帰郷される文永元年までの1年間ということになる。
http://www.ginpa.com/karagura/nenpu2/c32-07.html
http://www.ginpa.com/column/20001119.html
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