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素朴な疑問

893犀角独歩:2003/11/17(月) 12:26

―892からつづく―

>> 「日蓮さんは漫荼羅を拝んでいたのか?」
> それは初耳で、まったく意外だったと言うのか、
> 正直、これまで考えてみた事もありませんでした。

ほとんどの学会を含む石山系グループの教学圏にある人はそうでしょう。
それだからこそ、わたしも三学無縁さんの慧眼に驚いたわけです。

> 伊豆流罪…伊東八郎左衛門の病悩を祈祷で治癒したお礼…

この伝説が事実であるかどうかはわかっていませんね。
一節に拠れば、蓮師は伊東流罪の折、海の浮木を得て、自ら仏像を刻みそれを随身一体仏としたとも言います。わたしはこの説に心を傾ける一人です。そして、ここで重要なこと、蓮師は漫荼羅図示のみならず、この説が正しければ、仏像をも彫像していたと言うことになります。

> 釈迦像を生涯に渡って保たれていた

これは真跡からも確認できる事実ですね。

> もしかすると、釈迦像を拝まれていた事は考えられるのではないか?

「もしかすると」ではなく、蓮師が拝まれていたのは紛れもなく、随身一体仏です。
それ以外には考えられません。
もし、その他に拝まれていたものがあるとすれば、その仏像御前に置かれた妙法蓮華経八軸二十八品をも拝まれていたでしょう。すなわち「南無妙法蓮華経」ということです。

> 曼荼羅を拝まれていたのか?という事に関しては、
> どうなんでしょうか・・・?

さて、どうでしょうか。
この明証を得たいと切望するばかりです。

> 何の為に曼荼羅御本尊を数多く顕わされたのか?

この点、真跡からわかるのは「御守」本尊として授与が筆頭に挙げられますね。
ついで、妙法五字本尊を漫荼羅形式をもって図して示した。
この二点は疑問の余地はありません。
あと、ちょっと、いま手元に資糧がありませんが、桐谷師などは、弟子に講説するにあたって、説明のために漫荼羅を使った形跡が見られると記していました。
しかし、拝んでいたかどうか、その資糧を今のところ、わたしは確認できないでおります。

学会を含む石山系グループの本尊観の濫觴はもちろん、興師にその遡型を見るわけですが、わたしは最近、この興師の漫荼羅観こそ、実は蓮師から飛躍した独自解釈であったのではないのかと疑いだしています。

先にドプチェクさんが、愛猫の遺骸に上行始顕本尊(万年救護)の複製を覆って埋葬された体験を記されていました。その際、批判される可能性を紙背に記されていましたね。
これはつまり、重須文献の

「一、上の如く一同に此の本尊を忽緒し奉るの間・或は曼陀羅なりと云つて死人を覆うて葬る輩も有り、或は又沽却する族も有り、此くの如く軽賤する間・多分は以て失せ畢んぬ」

という思想背景に基づく批判に構えられたと言うことですね。愛猫ですが、そのお気持ちは「覆うて葬る」に当たることになります。これを富士では非法としてきたので、批判される可能性をドプチェクさんは感じられたわけでしょう。

わたしは、この文献を通じて、重須の在り方とともに、日蓮門下一般の漫荼羅に対する意識も垣間見られると思うわけです。つまり、「曼陀羅」と呼んでいたこと、死人に覆う葬儀の法具としていたことの二点です。三点めの「沽却」、すなわち売り払うは論外なのでここでは割愛します。

蓮師の曼陀羅には、そもそも自筆で「漫荼羅」と記されているのに、この重須文献では「曼陀羅」と呼ぶことを非難し、「本尊」とすべきとしているわけです。この見解は現在の富士門一般は宗是とするわけですが、しかし、よくよく考えてみると、このこと自体、実は興師独自の見解であったのではないのかと疑えます。しかし、従来、蓮師以降の考えはそうではなかった。蓮師自身も「漫荼羅」と書され、門下も漫荼羅として扱ってきた。あるいは御守りとして扱ってきたということです。それ故、故人の成仏を願って、死出葬送に遺骸とともに埋葬することも行われていた。


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