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素朴な疑問
1012
:
みかん
:2003/11/27(木) 05:03
菩薩には
1、ジャータカなどに登場する、釈迦の前生。修業時代。
2、四弘誓願をし、修行する衆生。
3、観音菩薩、弥勒菩薩のような超越的な存在。
の三種類が、おおざっぱに言って分けられると思いますが、
とりあえず、生身の実在の衆生・人間である2について考えます。
菩薩はボディサットバ(菩提を求める衆生)の略であり、
第一義的には「覚りを求める修行者」のことです。
菩薩は「上求菩提・下化衆生」であり「上求菩提」をし、
覚り、開悟、成仏を求める存在です。
また、四弘誓願(菩薩の総願。すべての菩薩に共通する願)に、
衆生無辺誓願度
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成
とあるように、煩悩の断滅、仏道の成就を目指し、成仏を求めているのです。
また、「下化衆生」「衆生無辺誓願度」と言ったときの、衆生への教化、度脱は、「世俗的な意味の善行」ではありません。
自らが、覚りを求め、開悟・成仏を目指すのと同様に、衆生に開悟・成仏を目指させるように働きかけるのです。それが菩薩行道です。
善意の人、善行の人、善行に一生をかけた人が菩薩であるというわけではありません。
他人を覚らせようとし、自信も覚ろうとする人が菩薩なのです。
ですので、私は、伝統的な仏教解釈に則るならば、異教徒であり、菩提・覚りを求めた訳ではない「マザー・テレサ」は菩薩ではないと言わざるを得ません。
(わたし個人は伝統的な仏教解釈とは別の菩薩観(智慧の一分を開いた人、ダンマの一分を見た人が菩薩である)を持っているので、マザーテレサが菩薩であるという可能性はゼロではないとは思いますが、可能性は高くないだろうと思います。)
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