したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

素朴な疑問

987犀角独歩:2003/11/24(月) 20:33

982,983 れんさん:

有り難うございます。
ロムをいただいていたどうか存じませんが、昨年の夏から冬に掛けて、『本尊問答鈔』の真偽問題は大いに涌いた話題のひとつでした。そのなかでわたしは、興師写本自体に疑義を立てました。理由は、れんさんも記された『唱法華題目抄』にしても、なぜ興師に係るところで題目本尊論が展開されるのかという点からの疑問でした。これは日蓮上行論をはじめて載せると思われる『頼朝陳状』がまたそうでした。すなわち、富士義となる題目本尊、あるいは日蓮上行は興師写本から導き出されるのはなぜか、極端な話、興師の偽託の可能性も視野に入れるべきではないのかというのがわたしの主張したことでした。もちろん、その主張にしがみつこうというものではありません。
以下、当時、『本尊問答鈔』について、輝師『本尊略弁』から議論が生じ、それについて、現時点さんが以下のような資料を提示してくれたことが際だっておりましたので、転載させていただきます。

*** 以下転載 ***

『日有上人による石山教学の展開』

52 名前: 現時点 投稿日: 2002/08/04(日) 11:51

「日蓮聖人の本尊観について」において、元初仏・先仏等の重要な議論が展開中ですので、「本尊問答抄」の位置づけに関して、ここに記します。

望月歓厚師「日蓮聖人の本尊について」から

「本尊問答抄は、法本尊のもっとも明瞭な依文である。特に、仏本尊を否定して「教主釈尊を本尊とす、法華経の正意にはあらず」といい、「法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり〜ゆえに、能生をもって本尊とするなり」とて、諸仏所師所謂法なりの義である。本抄は、古来紛々の論議を重ねて対告は清澄の浄顕房義城房等なるによって所論は権実相対の重に止まり、未熟の機である真言教徒に対して、しばらく権仏に対して法本尊を示したるのみと会通するは「本尊略弁」である。しかるに、本抄に先だち建治二年七月同じく清澄の大衆に示して、道善御房の墓前に一遍読み、その後は度々読み合わせよと教示された「報恩抄」の明瞭な仏本尊との相違をいかに解釈すべきか。同一授与者に二年後には全く反対な指示を与えたとは考えられないではないか」と記述されています。

『日蓮聖人の本尊観」

68 名前: 現時点 投稿日: 2002/08/03(土) 07:44

独歩さん

本尊問答抄について 少々

浅井要麟師は「日蓮教学の研究」で、p138に「聖人は自ら建立された本尊の実体を説明して、本尊抄、報恩抄、開目抄等には「寿量品の仏」といい、「本門の教主釈尊を本尊とすべし」等といって、明らかに人格的仏陀として解説されている。

しかるに本尊問答抄には徹頭徹尾「法華経の題目をもって本尊となすべし」といい、明確に法格的本尊なることを断言されている。

p117で「優陀師は、この背反関係について、対告衆である浄顕坊、その機いまだ生しきがゆえに、ただ権実相対の一辺を示して、真言諸家の本尊を破し、通途の天台法華の法相を述べたまう。要するに浄顕坊に対する誘引の意図に成ったものという会通できある。」

「私はその会通上の理論においてにわかに首肯しがたいものである。
浄顕坊は機根未熟なりといわれるが、これより先建治2年には同じ浄顕坊に対して報恩抄を送られている事実がある。その中に「本門の教主釈尊を本尊とすべし」と、明らかに聖人本懐の本尊観が指示されているのである。それより3年後に同じ浄顕坊に送られた本尊問答抄において、機根未熟のゆえに法本尊観を説かれたとは領解に苦しまざるを得ないのである。」

とあります。ご参考まで。

本尊問答抄について  小林是恭師 大崎学報
「本尊問答抄にはその筆述の年次が記されていない。先師の所説は概略以下のごとくだ。
建治元年7月13日  久遠成院日親の本尊相承抄 本尊論資料2の18
弘安元年       諸註書、諸目録、諸板本
弘安5年       日尊写本奥書=日蓮宗年表  常師筆跡
縮冊遺文の本抄末に岩本実相寺に正応3年(聖人滅後9年)7月15日に転写したという  日源
日興上人の写本が重須本門寺にあるという *** 転載おわり ***


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板