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素朴な疑問

1026犀角独歩:2003/11/27(木) 15:10

―1025からつづく

> 宗門や教団批判…そのルーツ…法華経にたどりついてしまう

この点を率直に認め、法華信奉者としてどうするのかを考える時期に来ているとわたしは思います。

> 法華経=正法という錯覚…そこから紐解いていかなければならない

そう思います。教理云々ということではなく、法華経=正法、だから南無妙法蓮華経は絶対に正しく、それを立てる我が集団が唯一正しいなどという論法はもはや通用しないと言うことです。

> 怨恨と不軽は、相反…昇華…創作者の意図

うーん、これは違うと思います。
法華経は300年ほどの時間をかけて複数の寄せ集めの編纂のようで、その意味で、矛盾した要素が取り混ざっているということではないでしょうか。
全編の整合性を取るに至らない編集と見えます。

> 聖典信仰…キリスト教のバイブル、ユダヤ教のトーラー、イスラム教のコーラン
> いずれも法華経が創作された中東の信仰観に共通しているものですね。

偶然ではないと思うのです。
このような研究をどなたかここでご紹介いただければ参考になります。

> 神の言葉が記された…書物…神聖…「本尊」のように扱われている

南無妙法蓮華経は、聖典に帰命し、それを本尊視するものである、これが題目本尊であるわけですから、実に類型をなしていると思えます。

> …神や仏…絶対的な信仰対象…偶像崇拝…の範疇…象徴の病

「絶対」を信仰することから脱却、わたしが脱カルトでテーマにしてきたことの一つでした。結局のところ、象徴の病が取り沙汰されるのは、健全な精神を封殺し、人間が生み出したものにかえって人間が呪縛されてしまう不健全さを指摘してのことです。人間は自分たちが生み出した神仏(とその概念)に支配されることなく、健全な精神状態で生きること、その前提からの仏教再考であるべきですね。それはひいては集団・指導者からの卒業をも意味するでしょうし、過去数千年、仏海と表されるほどに肥大した経・論・釈の守文の徒からの卒業も意味するものとなります。

> …久遠の釈尊…本仏…観念的存在…偶像
> …経典や聖典…言葉や文字…法に代わる象徴…
> …観念上の像を信じること…言葉や文字や絵や像…
> …正法を象徴的に据えて信じること…偶像崇拝だと思いますね。

結局のところ、「空」というも、アネモネさんが象徴の病から総括される以上のようなことを言おうとしたもなのだろうと、わたしは考えています。

「象徴の病から見直し、実に意味のあることですね。


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