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素朴な疑問
1040
:
犀角独歩
:2003/11/29(土) 12:12
> 1030 ドプチェクさん
>> 思考停止
> 非常に危険なものだと思います。
仰るとおりであろうかと存じます。
> 家族の者たち一人一人がそれぞれに御本尊を持っていた
同じように大量生産された印刷漫荼羅を各人が成果目的で所持しているとすれば、信仰心からしても不純なことですね。その線からのドプチェクさんの疑難であったと拝察します。
> 日蓮系でも富士門流と他門流…曼荼羅に対する捉え方の違いがある
> …あるいは、同じ富士門流の中でも
ええ、もちろん、あるでしょうね。
富士門流のなかでも石山と他山では違いますし、同じ石山系でも石山と学会は違い、顕正会も違いますね。でもその違いは、興師その人との漫荼羅観との相違よりは小さいと思えます。いまの学会を含む石山系の漫荼羅本尊観は興師その人とまるで違っています。そしてまた、興師、あるいは重須と、蓮師の漫荼羅観はまた違っているではないかというのがわたしの指摘してきたことです。
> 創価学会…御本尊書写の為の写真撮影が行われていた
いまの寛師ラミネート本尊、携帯本尊を作るのに、当然、写真撮影は行われているのでしょうが、これはいまのことに属しますか。
過去の事例でわたしが思い出すのは、板漫荼羅を正本堂遷座にする際、赤沢朝陽とその下請けによって修繕がされたわけですが、この際、聖教新聞社Hカメラマンが、詳細な写真撮影を行ったと聞いています。離間後、八王子牧口記念講堂に、この写真を元にした完全な板漫荼羅レプリカを安置する予定があったとかなかったとか。その実否は謎ですが、写真撮影は事実であると聞きました。
また、写真撮影とはややずれますが、九州からの団体登山は船舶を利用したもので、その際、船内各客室に置かれたテレビに映し出された漫荼羅本尊に向かって勤行をしていたということでしね。
それにしても複製を作るのに写真製版を使っている大本営を擁して、個人撮影は厳禁、整合性のない話であると思います。まさにナンセンスというしかありませんね。
> 日興上人…神社への参詣厳禁
この点について、日蓮宗で詳しい研究がされていました。
いまは失念していますが、現宗研、あるいは大崎学報のなかで読んで記憶があります。
> 「三沢抄」…信徒が神社へ参詣…否定されていたようには思えず
ええ、仰るとおりです。該当の部分は以下でしたか。
『三沢鈔』「うつぶさ(内房)の御事は御としよらせ(年老)給て御わたりありし。いたわしく(痛)をもひまいらせ候しかども、うぢがみ(氏神)へまいり(参)てあるついでと候しかば、けさん(見参)に入るならば定てつみ(罪)ふかかるべし。其故は神は所従なり、法華経は主君なり。所従のついでに主君へのけさんは世間にもをそれ候。其上尼の御身になり給てはまづ仏をさき(先)とすべし。かたがたの御とが(失)ありしかば、けさんせず候。此又尼ごぜん一人にはかぎらず。其外の人人もしもべ(下部)のゆ(温泉)のついでと申者を、あまたをひかへし(追返)て候」(真蹟在京都妙覚寺。内一九ノ二〇。遺二四ノ三四)
ここで蓮師が言う骨子は二つあります。一つは「神は所従なり、法華経は主君」、もう一つは「ついでと申者を、あまたをひかへし」という点でした。力点はむしろ後者で「ついで」ということに蓮師が腹を立てていた様子が窺えます。仰るとおり、所従の(氏)神参拝を批判したものとは受け取れません。
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