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素朴な疑問
1025
:
犀角独歩
:2003/11/27(木) 15:09
―1024からつづく―
> キリスト教…天地創造の全知全能の絶対神が、本尊
言葉で当て嵌めれば、たしかにそうなりますね。
> 観念的な世界のいわば象徴の病ではないか
わたしもそのように考えます。
> 不信の救済。私も宗教に関わった者のひとりとして、このことを考え続けていきたい
有り難いお言葉を頂戴しました。
> 不軽菩薩は、法華経不信の人にも礼拝
むしろ、不信にこその礼拝であったというコンセプトの物語ですね。
> マザー・テレサ…キリスト教を信じないインドの最下層の人々を救済
> …イエスの山上の垂訓にかなった実践的行
なるほど。
愚鈍凡夫さんが引用してくださったので、改めて読み直すことができました。
人類の尊い遺産と言えるすばらしい精神をここに見ることができると思いました。
>> 浅見定雄師
> 自分の信仰する教団が、実際に何をしているのか…を見ようとし、
> そのことを考えてみようとするということは、正法とは何か、
> 成仏とは何か、菩薩道とは何か…といったことを考え直してみる
> ことに通じるものだと思われますね。
社会のなかにある宗教法人として活動するのであれば、当然の視点ですね。
> キリスト教が広まった本当の背景…「貧しき者は幸いなり」
> 貧しい者こそ神の国に行ける…イエスの言葉
> …裕福故に神の国に招かれないのではないのかという不安や恐れがあった
これは実に興味深い話であると思いました。
差詰め、日本で言えば「清貧の思想」と言ったところでしょうか。
> 富の一部を神の名において慈善事業に使うようになった
意図せずの結果であったのかも知れませんが、望ましい方向性でしたね。
わたしは学生時代、森島恒雄師のファンで、魔女狩り、十字軍、科学と宗教の闘争といった中世キリスト教の悪い面ばかりを取り沙汰してきたものでした。
しかし、ここ10年、多くのキリスト者である聖職者との交流を通じて、彼らの社会活動を見聞し、そして共に歩むなかで、その評価を大きく書き換えてきました。
魔女狩りから慈善運動への変遷、それを日本仏教も見習わなければいけないと考えています。
> 法華経成立の背景もどこか似ているようにも思われますね。
これはちょっとわたしには解せないのですが、どのような意味で仰っているのでしょうか。
> キリスト教…無償の愛というよりは…我欲からの信仰心
> …やがて真の博愛に目覚めていった
仏教では「無縁の慈悲」ということを言いますね。
まったく自分と関係がない人に対しての慈悲心ということです。
自利から出発した仏教がやがて利他面に到達したのは、アネモネさんが説明されるキリスト者の向上と似通っているところを感じます。
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