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教養(リベラルアーツ)と場創り(共創)に向けて

35田中治:2007/12/01(土) 14:38:05
パウロ2世時代の東欧の民主化、それに続くベネディクト16世を先頭にバチカンの次の戦略はどのようなものであろうか?欧州はその長い歴史の中で常に拡散と収縮、つまり遠心性と求心性の動きを繰り返しているように見えるのだが、21世紀の幕開けと共に、ヨーロッパ連合として通貨も統合した欧州がどのような戦略をもっているかについては、問題山積ではあっても、過去を俯瞰して必要な価値を再び未来につまみ出すだけの教訓と人材を豊富に備えている点で目が離せない。前述のようにバイエルンやオーストリアが欧州の保守反動勢力の拠点であるとすれば、東からやってくる異教徒への砦としての位置は前述の通りだし、北にはルター以来プロテスタント勢力がいてキリスト教内での勢力均衡を図っているし、その西には、啓蒙主義が発達しフランス革命以降現在まで理性による人間の営みを貫いているフランスが存在していて、欧州の中でのパワーバランスになっているように思う。また啓蒙主義以前まで脈々と受け継がれている秘教の伝統についても、フランスには特に北フランスを中心にゴシック建築の傑作が現存し、建築そのものや彫刻などに寓意として見る人が見ればわかるように扉は開かれている。これら北フランスのゴシック建築の多くは聖人化された女性を祀っており、ノートルダムの名称からも判るとおり聖母マリア信仰の源流を探る必要を感じる。秘教の源流は中東やインドにあると言われているし、それが東に伝播したルートの行き止まりである日本には、空海以来の密教の伝統があるし、正倉院の宝物殿は見るものが見れば文字通り宝の山かもしれない。因みにわが国の宮様のおひとりは古代オリエント史を専門とする歴史学者として知られていることは示唆的だ。故白洲正子が「隠れ里」として愛した近江や奈良・京都に人知れずひっそりと存在し続けている寺院や仏像や伝承の中にも、日本古来としながらもユーラシア大陸との長い歴史を示す断片が刻まれているのかもしれない。
話が拡がりすぎ、かつ欧州の歴史に偏りすぎたかもしれないが、歴史に関して「筋」を見極めていくことの大切さを改めて実感すると共に、そのことが「審美眼」を養うのではないかと考え、その際建築や絵画や音楽といった芸術の多くが、顕密における密の部分として我々に多くを教えてくれる存在として、古から賢人の多くは文武両道・芸術奨励の姿勢であったことに深く納得する次第である。

36尾崎清之輔:2007/12/02(日) 01:30:29
田中さんの叡智と機知に富んだ書き込みへ敬意を表すと共に、R・シュトラウスの「ばらの騎士」が持つ中途半端さ加減の行間まで読んで頂きまして、誠に感謝致します。

仰せの通り、R・シュトラウスがヒトラーへ100%迎合していなかった証左として、このオペラの中途半端さ加減が表されていると考えており、それがフルトヴェングラーとは全く別の意味での彼の抵抗だったのかもしれません。

また、田中さんの文章を良く読めば、私の拙文や雑文とは異なり、そこにリベラルアーツとしての自由七科における三学七科(特に、修辞学や幾何学)が存在していることは一目瞭然であり、漸くこのスレッドのタイトルが「…について」ではなく「…に向けて」とさせて頂いたことの意味するところまで読み取って頂いたようで、本当に有難うございます。

そして、これらの書き込みを切っ掛けにして、嘗ての「適塾精神」が蘇ってくることを信じておりますが、これから飛躍するであろうと私が心から信じた方々におきましても、畏まらず、恐れず、固くならずに、ごく自然体のまま、それぞれの持つ「場」で自ら進んで己を表現して頂ければ、(あえてこの場に書く必要はありませんが)誠に幸いと思っている次第です。

37尾崎清之輔:2007/12/02(日) 22:43:16
『三学七科』⇒『三学四科』ですね。失礼しました。

さて、田中さんが以前トスカーナ地方を車で走り回った際、塔の街として知られるサン・ジミニャーノについて少し触れられておりましたが、このサン・ジミニャーノを含め、トスカーナ州は世界遺産の多さで知られ、イタリアにおけるルネサンス芸術の中心であるフィレンツェをはじめとした芸術都市の宝庫でもありますね。
実は、この頃ちょうど『イタリア 美術・人・風土』三輪福松(著)(朝日選書)を精読しておりましたので、未見ではございますが、仰ることの意味と背景が私なりに消化できました。

おそらく、サン・ジミニャーノを訪れたということは、同じ世界遺産地区であるシエナにも向かわれたのではないかと察しましたが、このシエナもその歴史を辿りますと、なかなか興味深い発見がありそうですね。
特に、中世におけるシエナの都市計画が、雄大かつ審美的な思想を背景にした理想的な都市作りを目指して、全ての建築物や道路などに全体と部分の調和ならびに統一性が考慮されており、それが、あの有名なカンポ広場を生んだということを知りました。

尚、それら理想的な都市作りが、日常生活の様々な面においても規定化されていたことについては少々驚きましたが、このあたりに単なる箱(ハードウェア)としての芸術ではなく、シエナの全体としての理想的な都市作りと、当時のシエナに住む個々人の精神が反映され、統合した結果、一つの芸術品へ至ったという点で、後にシエナを訪れる方々の多くが、この街を通してインタンジブルな美や芸術性を感じることができるようになったのではないかと思いました。

38尾崎清之輔:2007/12/02(日) 22:52:56
ところで、十五世紀末から十六世紀初頭にかけて、このシエナ出身の銀行家にアゴスティーノ・キジという人間がおり、当時の教皇ユリウス二世にとりいって、メディチ家にとって代わるほどの財力を持つ実力者へ成り上がったことと、メディチ家と同じく芸術を愛していたことから、ラファエロとも親交を持って(正確には目をかけていた)おりましたが、このアゴスティーノ・キジに熱愛されたのが、26歳という若さで亡くなったインペリアという、当時のローマで最も有名なコルテジアーナであり、これまで私が何度か引き合いにさせて頂いた「ラ・トラビアータ(邦題:椿姫)」のクルティザンヌをイタリア語にしたのがコルテジアーナであることを知ったことで、漸くその歴史的な背景を正しく理解することができました。

先に紹介した書籍では、コルテジアーナを「芸奴」としておりましたが、やはり日本にはそのような歴史が存在していないので、だいぶご苦労されたなと思いつつ、該当する箇所について、以下に抜粋させて頂きます。

◆コルテジアーナがローマにおいて特別な例外的地位を得たのには、いろいろな理由があった。ボルジア治下においては、上流社会の婦人たちは勢力と批判力を持っていた。とくに彼女たちは教会の堕落に対して非難をしていた。したがってユリウス二世は、これらの婦人を教皇庁から締め出すことを試みた。アレキサンデル六世の時代以来ますますいちじるしくなった風俗の退廃に対して、上流社会の婦人たちは顰蹙し、ローマに住むことを喜ばなかった。ユリウス二世の時代、教皇庁に勤めるものたちは、婦人を自分の家にとどめた。ローマは子女を教育するのに適さない都市であった。気位の高い婦人たちは、自分の代わりに主人の日常の世話をコルテジアーナに任せることを、あえてした。高級なコルテジアーナは枢機卿や外国使節、文学者、詩人、美術家たちと交じわり、彼女たちはルネサンスの「サロン」を支配した。インペリアはもちろん、そのなかでも最も有名なコルテジアーナで、枢機卿の住まいにも劣らぬ大邸宅を持ち、彼女の名前のようにローマでも最も自由奔放に振舞った。

◆彼女の住まいは、このように洗練された住まいであった。スペインの行儀の悪い使節が絨毯の上に唾を吐こうとして、そこに立っていた召使いの顔に吐きかけて、「許してくれ、ここには、お前の顔より汚いものは何もない」といったエピソードが残っている。

そして、先述の通りインペリアは26際の若さで夭逝されましたが、多くの方々に愛されていたようで、それが死を悼む数多くのエピグラムへと繋がるのですが、先の著書ではブロシウスのエピグラムが載っておりましたので、以下紹介をもってこの文章を閉じさせて頂きます。

◆二人の神がローマに二人の大きな贈り物をした。マルスは至上権(インペリウム)を、ヴィーナスはインペリアを。彼らの力は比較すべくもなかったが、この二つに対して、二人の力があった。それはすなわち、幸運と死であった。幸運はインペリウムを滅ぼし、死はインペリアを滅ぼした。われわれの祖先たちはインペリウムに対して嘆き、われわれはインペリアに対して嘆くのである。われわれの祖先たちは、この世の支配力を失った。われわれは、われわれ自身と、われわれの心を失ったのである。

39田中治:2007/12/03(月) 01:04:35
尾崎さんご推薦の書籍三輪福松著「イタリア 美術・人・風土」を偶然ですが私も所有していることに気付き早速取り出してざっと再読しました。お察しのように、トスカーナを廻った際、シエナにも立ち寄りました。カンポ広場は予想以上に広く、扇形でゆるい傾斜がついているため、人々は広場に腰を下ろしのんびり寛いでいる姿が印象的でした。私個人の印象からすると、そこに立った時に一瞬古代ギリシャの劇場にいるような感覚を持ちました。フィレンツエの賑わいに比べるとはるかに落ち着いた街で、ルネッサンスの栄華というよりは中世的な雰囲気を持ったかつての都市国家の姿を今に伝える街として印象に残っております。因みに塩野七生著「チェーザレ・ボルジアあるいは優雅なる冷酷」(新潮文庫)の導入部分は、カンポ広場の情景から始まり、この三輪福松氏の著書の中に登場するカテリーナ・スフォルツアもチェーザレ・ボルジアと闘ったことから登場しております。機会があれば、カンポ広場で1年に一度行われるパリオを見てみたいものだと思います。尾崎さんの仰るとおりトスカーナ地方には豊かな自然の中に個性豊かな街が数多く散在し、建築・絵画など見るべきものがあまりにも多すぎます。またどこの街にもポルタ・ロマーナ(ローマ門)があり、そこから南のローマへの道へ繋がっており、幼少期カルタで遊んだ際の「すべての道はローマに通ず」「ローマは一日にして成らず」などの文句が頭に蘇り、旅の途中、これからローマがどう自分の眼前に広がってくるのかも楽しみとなりました。

さて上記の著作中コルティジャーナを「芸奴」と訳しておられるのは、尾崎さんもご指摘のように、確かにご苦労のあとがうかがえますね。Cortigianaには女官という意味もあるし、Corteは中庭・宮廷の意もあることから(フランス語のCour 英語のCourtでしょうか)なんとなくニュアンスが異なると思いますが、他にあてはまる日本語がないのでしょう。

カンポ広場で感じた劇場性に絡めてもう一冊ご紹介させて頂けますならば、陣内秀信著「ヴェネチアー水上の迷宮都市」でありまして、この本を携えて実際にヴェネチアを歩いたことがありますが、都市の中の様々な機能に目を向けながら劇場としての都市を読み解くきっかけとなりました。ヴェネチアのコルティジャーナの話もあり、なかなか興味深い話が詰まっていると思います。

40田中治:2007/12/03(月) 01:21:51
ひとつ書き忘れたが、シエナにはキジアーナ音楽院(Accademia Musicale Chisiana)という知る人ぞ知る音楽院があり、その設立者がグイド・キジ=サラチーノ伯爵という名前の方であることから、尾崎さんが投稿で挙げられたシエナの銀行家アゴスティーノ・キジの末裔である可能性があると思う。もしそうであるならば、ルネッサンスのパトロン精神が今も生き続けていることになり味わいのある話であると思った次第です。

41尾崎清之輔:2007/12/03(月) 23:50:09
キジアーナ音楽院の設立者であるグイド・キジ=サラチーノ(Chigi-Saracini)伯爵が、シエナの銀行家アゴスティーノ・キジ(Agostino Chigi)の末裔である可能性を示唆された田中さんには流石と申し上げるしかございません。

先に少し述べましたように、アゴスティーノ・キジは、十五世紀後半から十六世紀前半にかけて、アレクサンデル六世、ユリウス二世、レオ十世、といった歴代のローマ教皇へ莫大な額の献上や融資を行っていたことから、相当な特権を与えられていたことは想像に難くないし、ボルジア家出身のアレクサンデル六世、枢機卿時代にはボルジア家の仇敵であったにも関わらず政治力を駆使してチェーザレ・ボルジアの支持を取り付けたユリウス二世、メディチ家出身のレオ十世、と、おそらくそれぞれの出身や立場の違い見極めて巧みに利用した可能性も否めないでしょうから、それが後にどのような結び付きへと至ったのか大変興味深いところです。

キジ(またはキージ)家はシエナの名家でしたが、「Chigi」という名前は、イタリア首相官邸のキジ宮殿(Palazzo Chigi)をはじめとして、主にトスカーナ州の観光名所の建築物に多く使用されていること、十七世紀半ばのローマ教皇はキジ家出身のアレクサンデル七世こと「ファビオ・キジ(Fabio Chigi)」であり、その甥は「フラヴィオ・キジ(Flavio Chigi)」枢機卿であること、キジ家は代々芸術家のパトロンであった事実などから、私もその可能性は非常に高いと思っております。
更に、やや歴史を遡りますと、十三世紀後半にはサン・ジミニャーノにもキジ家の塔が建てられていることから、これらの点と点を繋ぎ合わせていくことで、中世における欧州の上つ方の歴史の一端を発見できるかもしれませんね。

そして、ルネサンスのパトロン精神とは、欧州における芸術の持つ普遍性というものを、後の世に伝えるという、フィラントロピィ精神の萌芽にも繋がるものと考えており、それが通俗的な概念としてのパトロン云々とは天と地ほどの(またはそれ以上の)違いではないかと思った次第です。

それにしても、偶然とはいえ、田中さんも『イタリア 美術・人・風土』を所有されていたということは、一種の共鳴現象が働いたのかもしれません。

余談ですが、私はこのようなインタンジブルな次元の持つ力というものにも着目しており、あの有名や複雑系における「全体性」「創発性」「共鳴場」「共鳴力」「共進化」「超進化」「一回性(ないしは非線形性)」といった、それぞれの「知」が多元的に連関・連携していく中で、どのような次元へと飛躍・発展していくのか、考えただけでもワクワクしますし、その根底には、大局観とか直観とか洞察力を身に付け、磨き続けていくことで、「暗黙知」の次元へ至ることの楽しみがあるとも考えますが、別のスレッドでも若干言及させて頂きましたように、「暗黙知」をタンジブル寄りに理解しようとする経営者(経営屋さん)たちが平気で誤解を与えかねない使い方をしているため、この辺りはポランニーの『暗黙知の次元』(ちくま学芸文庫)の一読をお勧めしますが、取り急ぎ骨子だけでも知っておきたい方々へは以下のサイトをご紹介させて頂きます。

◆松岡正剛の千夜千冊『暗黙知の次元』マイケル・ポランニー
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1042.html

42尾崎清之輔:2007/12/04(火) 01:05:29
ところで、これまでとは話題はがらりと変わりますが、私が何年も前からご紹介させて頂いている仏の高級誌「ル・モンド・ディプロマティーク」から、ここ数ヶ月で印象に残った記事を幾つか以下にご紹介させて頂きます。
前にも少し言及しましたオイルピークや食糧ピークに関する最近の流れ(ウェーブ)や、また、金融ないしはそれに準ずるシステムの極限状態ともいえる「プライベート・エクイティ・ファンド」という僅か10社程度のグローバル企業体による最後の残飯あさりも加速度を増してきたようです。
このあたりは、ル・モンド・ディプロマティークのイグナシオ・ラモネ社主(兼)編集総長が以下のサイトで簡潔に述べておりますが、その中で驚いたことは、オルターグローバリズムが欧州において既に錯綜を極めた状況になっていたということです。

◆ファンドの貪欲
http://www.diplo.jp/articles07/0711.html

また、WTOの問題については既に世界中の心ある識者たちから指摘されていることですが、以下のサイトでは再度そのことに対して攻撃の手を緩めずに、次のアクションへ向けた提言も行っておりました。

◆WTOの使いみち
http://www.diplo.jp/articles07/0711-4.html

そのそも食糧という人間の生存権にとって最も大切なエネルギーを、産業社会という、人間社会が存立する上での選択権の一つにしか過ぎない、単なるサブセットシステムの維持のために、逆転現象や逆立ちした発想が当たり前の如く生み出されておりますが、「デリバティブバブル崩壊後の新世界秩序」のスレッドへ各自が投稿され、展開された幾つかの示唆的な内容の意味するところをしっかりを見極めた上で、先述の「創発性」「共鳴場」「共鳴力」の持つ「知」や「力」に注目しつつ、ポジティブフィードバック(≒遠心性)とネガティブフィードバック(≒求心性)のバランスを常に考慮した上で(このあたりは陰陽の考え方やそれを包含する太極図の思想にも通じますね)、徐々にではありますが実際の活動に反映させて頂きたいと思っている次第です。

◆人権としての食糧権の確立をめざして
http://www.diplo.jp/articles07/0710-3.html

◆アグリ燃料にまつわる5つの幻想
http://www.diplo.jp/articles07/0706-3.html

43尾崎清之輔:2007/12/04(火) 01:56:37
今夜はこのスレッドが立ち上がって、ちょうど1ヶ月を経過したということで、ちょっとした御礼の言葉を申し上げさせて頂きます。
尚、私事になってしまい誠に恐縮ですが、その辺りにつき予めご了承願えますと幸いです。


「英語版Japan's Zombie Politicsの出版について」のスレッドにおいて、私のNO.67の投稿に至るまでに費やした時間は、当該スレッドで述べさせて頂いた通りでございます。

この文章を公開させて頂くにあたっては、先にも申し上げた通り、直接的な因果関係は無かったにも関わらず、私にとっては「資質の高さ」(または秘めたるポテンシャル)を感じ取ることのできた方から、ある種の「共鳴場」や「共鳴力」を感じられたことは確かであり、それが見えない何かの大きな力に突き動かされるが如く、投稿させて頂くに至ったことはもちろん、日々書き続けてまだ1ヵ月半ほどと、僅かな期間ではあるものの、ここまで継続してきたということについては、我ながら申し上げるのは恥ずかしいものの自負したいとも感じており、どこまで同じペースで続けられるかは、正しく「神のみぞ知る」(笑)ことでしょうが、今後も鋭意努力していきたいと思っている所存でございますので、宜しく願い申し上げます。


また、当初は「単なる躁状態だから程々に」から「今や私の覚悟の程を認識した」という私信を頂いた方や、同じ「場」と「時間」の共有を通して、自然に癒され治すという「治癒」の意味するところを「ありのまま」の自然体を無意識に表現することで新たな発見を私に与えて頂いた方につきましては、感謝ひとしおです。

何度も申し上げてしまうようですが、本当に有難うございます!


さて、日本では冬到来が間近で寒い日々が続きますが、皆様くれぐれもお体ご自愛下さい。
それでは、おやすみなさい。。。

44尾崎清之輔:2007/12/05(水) 00:01:22
さて、昨日深夜の書き込みで申し上げたように、当スレッドは今日から2ヶ月目に突入したこともあり、「教養」と「場創り」について、心機一転で取り組んでみたいと思います。

実は、このスレッドを立てるにあたって、タイトルの一つに「教養(リベラル・アーツ)」という言葉を使わせて頂いたのは、藤原さんの「KZP」や「JZP」が切っ掛けであり、「KZP」においては、この書籍を購入または一読された方々からは、一見すると非常にジャーナリスティックな要素が強い内容のみに思われてしまったことや、内容自体が日本の新聞社や雑誌社が決して触れることのできないテーマについても真正面から取り上げたことで、発売後すぐベストセラー(amazonで1位獲得や八重洲ブックセンターでのベストセラー本など)になったにも関わらず、殆どの新聞や雑誌で書評に取り上げられることはございませんでしたが、この書籍が本来意味するところまで読み取ることができた諸兄におきましては、先に述べた内容以上に、実はこの書籍が「Liberal Arts」の重要性について、歴史的な背景なども踏まえて読者へ強く訴えかけていることに気が付かれたのではないかと思います。

それが、後の「JZP」という普遍性を持つ内容の書籍として成立し、英語よりフランス語が得意な藤原さんが、Scott Wilbur氏の協力を得て、(愚生のような自らの専門分野以外の英文書籍にはやや苦手な者にとっても感じられる)美しい文体に至ったと思った次第ですが、先の「JZP」の書評を多く読ませて頂いたにも関わらず、これらの書籍が持つ「教養」の重要性について言及されていた方々が殆ど見受けられなかったことについては、やはり現在日本社会においては「教養」が死語になって久しくなってしまったと改めて感じざるを得なかったことです。

そのことは、世代を超えた長い歴史の中から高い評価を与えられてきた、音楽(交響曲、協奏曲、ピアノソナタなど)に思いを馳せることで、作曲家の意図するスコアに忠実に再現することが求められつつ、実際の演奏家たちが五線紙に書かれた音符や音階、またテンポとどのように向き合っていくかについては、いかに原曲への深い理解が肝要であり、根底に眠る水脈の理解にも至ると考えておりますが、それは例えばフルトヴェングラーのベートーヴェン第九交響曲の第三章に表されているが如く、フォルテッシモとピアニッシモ違いによる素晴らしさはもちろんのこと、無音階の部分にも注視することで、永遠に観客(人々)の記憶に残り続けることにも繋がるのではないかと考えており、このことに、「自由七科」の中に「音楽」が存在している証左の一つではないかという私見を持っております。

45尾崎清之輔:2007/12/06(木) 00:45:12
藤原さんの「KZP」や「JZP」を切っ掛けとして、このスレッドのタイトルの一つに「教養(リベラル・アーツ)」という言葉を使わせて頂くに至りましたが、「KZP」が非常にジャーナリスティック、且つ、既存の(腰抜け)メディアが全く触れられない内容を全面的に展開しつつも、この書籍の持つもう一つの側面として、「Liberal Arts」の重要性を(あちらこちらに散りばめながら)強く訴えかけていることにも気付きましたことから、今日は昨夜の続きをさせて頂きたいと思います。

私の場合は、書籍を読む際、通常は線は引くことが多いものの付箋紙や書き込みは滅多に行ないませんが、「KZP」については珍しく多くの付箋紙と書き込みが入っており、その中から、スレッドのテーマに相応しいと思われる内容の一部を、未見の方々へのご紹介を兼ねて、以下に抜粋・引用させて頂きたいと思います。
尚、この出版社のシリーズ独自のスタイルである、英語(あるいは他の外国語)混じりの「4重表記」については、必要と思われた言葉以外は、基本的に削除させて頂きました。


◆アメリカの教育の最も優れている点は、大学で行われるリベラル・アーツ(教養過程教育)にある。これは日本の教養課程とは似て非なるもので、ひと言で言えば「全人教育」である。

(中略)

◆リベラル・アーツにおける優れたコアー過程の役割は、人間として「真・善・美」の価値を知るうえでの素養として、「幅広い教養」と「良識 bon sense」を身につけることにある。だから、リベラル・アーツ教育では、そのための基礎訓練が徹底的に行われる。

(中略)

◆人間におけるその行為や動機において、人間としての繊細な区分を見届け、本物のよさを身につけるためには、精神の目を磨く必要がある。それは崇高な文体で構成された、文芸作品の助けを借りない限り不可能である。

(中略)

◆つまり、教養を身につければ人間は豊かになり、すぐに安易な答えに飛びつかなくなる。そして、いつも対案を考えるように頭を働かせて、理性と良識に基づいて判断を下し、自立した思想を持つ卓越した人間になるのである。


そして、相変わらず拙文ながらも、当時の私が「終わりに」の章の最後の空白箇所に書き込みした文章を以下にご紹介させて頂きたいと思います。


◆20年ほど前のバブル狂乱と、その後に訪れたバブル崩壊による様々な混乱と混迷を極めた現象は、「バイロイトの音楽祭」ならぬ、バイロイトの”狂奏曲”(協奏曲でも狂想曲でもない私の造語)のオンパレードであったと思われるが、「KZP」に書かれている「ワルプルギスの夜」の想起に至った今世紀からの一連の流れは、まさしく病膏肓に至るが如く、更に進行してしまったという意味で、事態はより深刻な状況ではあるものの、より輝きのある未来の土台作りをしていくためには、次代を担う若者たちを育てる環境を作り上げて(または創り上げて)いくことが、私を含めた中間層にあたる人間の役割であり、筆頭で為すべき焦眉の急ではないかと強く感じさせられた。


尚、これは本来ならば、これから第二の人生に向かいつつある、かつて高度成長期時代に若手中間層であった方々の、二十一世紀への「社会への恩返し」として行って頂きたいと考える次第ではあるものの、実際のところ、彼らの多くは「共創」よりかは、学生時代から「共闘」とその後の「競争」の人生に明け暮れてしまった傾向が、他の世代に比べて顕著に現れてしまったため、冷徹で残酷な言い方をすれば、一歩間違うと「社会の宿便化」しかねない危険性を秘めておりますが、「宿便」を逆に「社会の肥やし」と捉え直して頂く勇気と行動をもってすれば、身土不二の意味まで認識することにも繋がり、それが「社会への恩返し」に至るという意味では、これから大いに期待したいところです。

46尾崎清之輔:2007/12/07(金) 01:09:13
元々、一部の演奏や演劇については、チケットを取り難かったクラシックコンサートではございますが、特に1年ほど前のテレビ番組が一つの切っ掛けとなったようで、今年になってもその勢いは止まらず流行り続けているようです。
例えどのような切っ掛けであったとしても、その後、本人にとって良い方向へ発展することができれば、結果オーライと思う次第です。

そんな今夜は、フルトヴェングラーのベートーヴェンの交響曲第七番(1943年版のベルリンフィルとのライブ)を聴いておりますが、確かに同じフルトヴェングラーの戦後の第七番の演奏(他の手持ちは1954年版のウィーンフィルとのライブ)や、あのカルロス・クライバー指揮のウィーンフィルとの演奏、同じくロイヤルコンセルトヘボウとのライブ版と比べて、…と言うより、比較できないほどのレベルであると感じさせられました。
ベートーヴェンにしては珍しいリズムを主体としたこの作品は、最初(第一楽章)では、ゆったりとしたテンポで壮大に進んでゆきますが、第二楽章の持つ崇高さの裏にある深さにも引きずり込まれ、第三楽章の小気味良いリズム感と優しさ溢れるメロディの繰り返しの中に漂う極限状態ともいえる気迫ぶり、そして第四楽章に至っては、ディオニュソスそのものではないかと思われるほどの「すさまじさ」と「熱狂的な」演奏には、もう言葉に表すことができないほど圧巻され、これぞ正しく「名演」であると思います。

久しぶりに『丸山眞男 音楽の対話』から引用させて頂きたいと思います。

◆『明日がない』、『これが最後のコンサートかもしれない』と覚悟したとき、人間はこんな音楽をやるんだねえ。

(中略)

「でも、あんな悲劇的な状況と、悲惨な経験を抜きに最高の演奏が生まれないとしたら、<音楽>とはいったい何なんでしょう。」

短い沈黙があった。丸山の言葉は、私の問いかけに対する答えではなかったような気もする。

「人間の本質に関わるテーマですね。」

返ってきたのはそのひと言であった。

47尾崎清之輔:2007/12/09(日) 21:00:01
田中さんにご紹介頂いた、陣内秀信(著)『ヴェネチアー水上の迷宮都市』(講談社現代新書)を昨日購入しました。
さっと捲ってみましたが、田中さん仰せの通り、ヴェネチアのコルティジャーナの位置付けなど、確かに興味深い話が多く詰まっているようですね。
著者の感想にもございましたが、私も「ポンテ・デッレ・テッテ」などという直接的な表現が、よくぞまあ今も残っているものだと、変に感心してしまいました。
ちなみに、ルネサンス時代のコルティジャーナとフランスにおけるクルティザンヌは、宮廷の人(courtesan)という言葉にも表されているように、歴史的な位置付けを含めて同じ意味を持っているようですが、ヴェネチアのコルティジャーナについては若干異なるように感じました。

また、著者がイタリアの建築・都市史の専門家ということもあり、そちらの内容にも大変興味を引かれましたので、これから読んでいくのが楽しみです。
尚、蛇足ですが、私が同時に何冊読んでいるかご存知の方は「え!また?」と笑われてしまいそうですね。

ところで、昨日は漫才観劇と絵画鑑賞に出向き、ライブが持つ即興劇の動的な楽しさと、絵画作品が持つ精密さと大胆さの調和や、描かれた時代背景を読み取る静的な楽しさを味わうという、大変充実した一日を過ごすことができましたが、その際いろいろ興味深い発見もありましたので、このあたりにつきましては、後日あらためて投稿させて頂きたいと思います。

48尾崎清之輔:2007/12/09(日) 22:02:48
私の過去の投稿記事を再読してみたところ、「てにをは」をはじめ、相変わらず誤字脱字が散見しており、且つ、論理飛躍もあって、お恥ずかしい限りではございますが、これらは「自由七科」の言語系3学のうち「文法」と「弁証法」における悪い見本になると思いますので、このままアーカイブさせて頂きます。

但し、No.45の一部において2点ほど明確な間違い、つまり時代考証におけるミスと、本来お伝えしたかった内容とは異なる表現がございましたので、以下に修正させて頂きます。


誤:かつて高度成長期時代に若手中間層であった方々の、
正:かつて高度経済成長期時代の後半頃に多感な青春時代や学生時代を過ごした方々の、


誤:身土不二の意味まで認識することにも繋がり、
正:文字通りの身土不二にも繋がり、

50尾崎清之輔:2007/12/12(水) 00:09:16
過日「暗黙知」関連して、松岡正剛氏のサイトをご紹介させて頂きましたが、この掲示板を訪れる方々の多くはご存知の、松岡正剛氏が主宰する「連塾」というイベントが、今年12月22日(土)の13時〜20時に、東京の赤坂の草月会館・草月ホールで予定されております。
詳細につきましては、下記URLをご確認頂きたいと思いますが、多数のゲストに対して、やや玉石混合の感は否めないものの、今回は場の研究所の理事長である清水博博士(東大名誉教授)がゲストの一人であり、テーマが「生命科学の新陰流」となっておりますので、ある程度期待できるのではないかと思います。
尚、嘗て尾張柳生の当代とその一番弟子による、柳生新陰流の木刀(袋竹刀ではない)を使った真剣勝負の演舞を拝見させて頂いたことがございましたが、この時に生じた「場のエネルギー」は今でも忘れることが出来ません。

ちなみに一般的なイベントからすると高い費用(3万円)と思われますが、もしご興味があるようでしたら、どうぞ。


◆セイゴウちゃんねる(2007年12月1日):News 連塾2最終回「浮世の赤坂草紙」申込受付中
http://www.eel.co.jp/seigowchannel/archives/2007/12/news_2_1.html


◆当該イベントのフライヤー
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/ren4_flyer.html

51尾崎清之輔:2007/12/13(木) 07:51:12
昨夜は掲示板のサーバに広範囲の障害が発生したようで、せっかく投稿記事を纏めたにも関わらず、更新できなくて残念でした。

さて、村上陽一郎さんといえば、『近代科学を超えて』(講談社学術文庫)を読まれた方々が結構いらっしゃることと思いますが、その村上さんが3年ほど前に、『やりなおし教養講座』(NTT出版)を出され、確か今年の初め頃に書店へ立ち寄った際、この本を偶然発見し、タイトルに興味を持ったことから購入はしたものの、暫く眠ったままになっておりましたが、このスレッドに関連して思い出したことから、この際、一気に読み通しました。
(…と、これで漸く同時に数冊読みのうち一冊完了。。)

書き下ろしというか、全て口語的な表現で書かれているため、誰にとっても非常に読みやすく、通勤・通学の片手間であっという間に読了できるタイプの本であると思います。

著者個人の体験も相当織り交じっているため、「教養講座」というタイトルからは若干違和感を覚えますが、その分、大上段に構えることなく自然体で語られており、著者が「規矩(きく)」と名付けた、人間の行動の手本となるものさし(基準)の大切さと、その「規矩」が教養を支える原点であるという意味では、「リベラル・アーツ」の持つ意味とは異なった感じがしましたが、そのあたりは著者も明確に述べており、私にとって印象に残った文章を以下にご紹介させて頂きます。

尚、読了後に、線を引いた箇所や付箋紙を張った箇所が、矢鱈と多かったことに気が付きましたので、そのあたりにつきましても追々ご紹介させて頂くつもりです。


◆「リベラル・アーツ」というのは、すでに述べてきましたように、本来は「自由七科」、つまり学問をするために身につけておかねばならない基礎的な技という意味ですから、日本語でいう「教養」という概念を、直接に表しているわけじゃない。

(中略)

「教養」という言葉に最もよく当てはまるのは(と言っても、これは私の個人的な感覚には違いありませんが)、私はドイツ語の<Bildung>だと思うんですよ。
ドイツ語の<Bildung>というのは、英語の<building>に近い言葉です。つまり「造り上げる」ことですね。では何を「造り上げる」のかというと、「自分」という人間をきちんと造り上げていくことであり、これが「教養」ではないかと思うのです。

(次項へ続く)

52尾崎清之輔:2007/12/13(木) 08:01:09
(前項より続く)

また、村上さんは、福澤諭吉の『学問のすすめ』にも触れており、福澤の説く「実学」が、単純に「世の中に役に立つ知識」のことではなく、一部からは「虚学」とも言われている「あまり役に立たない知識」のことでもなく、自分を造り上げるために必要である、あらゆる「役に立つ」ための知識活動であれば、福澤自身が「実学」の中に「修身」を含めていることからして、それらは全て「実学」であると仰っております。


◆その<Bildung>という概念を考えますと、福澤が、実学の中にちゃんと「修身」、「身を修める」という項目を入れているということは慧眼だと思います。自分を修めること、きちんとした人間として、正しいと思う方向に向かって自分を造り上げていくことをもって教養と理解するとなると、市井の中に埋もれている生活者、先に実は知識人ではないといった鋳掛屋さんだとか、花屋さんだとか、農民だとかいうような人たちの中にも、自分をしっかり持って、自分を見つけて、自分をきちんと造り上げていく人はいると確信しています。自分が親からいろいろ教わったことを受け継ぎながら、さらに気持ちを開いて、他者の言うことをよく理解しようとする姿勢を持ち続ける。その中で批判も生まれ、受け入れるべきものと、受け入れられないものとがきちんと分別され、その分別のための基準(私好みの言葉を使えば、まさしくそれは「規矩」ですが)が、次第に明確になる。こうして少しずつきちんとした自分というものが造り上げられていくことができれば、別段ギリシア・ローマがどうであったか、<mathematica>がギリシャ語であるなんていう知識は一切持たなくても、そういう人は十分教養のある人だと考えていいと思います。

◆つまり何を材料にして自分を造り上げるか。広い知識や広い体験は決定的に大事な材料の一つですけど、全部ではない。造り上げるというと、いかにも何かがちがちに造り上げた完成品ができてしまうように見えますけど、そうじゃないんですね。自分というものを固定化するのではなく、むしろいつも「開かれて」いて、それを「自分」であると見なす作業、そういう意味での造り上げる行為は実は永遠に、死ぬまで続くわけです。もしかすると死んでからも続くかもしれない。その中で、一生をかけて自分を造り上げていくということにいそしんでいる、邁進している。それを日常、実現しようと努力している人を、われわれは教養のある人というのではないか、そう私は思っています。

53尾崎清之輔:2007/12/14(金) 02:59:19
こういうシーズンになりますと、書き込み時間が若干ずれますことをご了承下さい(笑)。
前項の続きになりますが、先述の村上先生の著書の上記引用箇所から、藤井尚治博士の『アナログという生き方』に書いてあった、あの何度も引用させて頂いた箇所を思い出さざるを得ませんでした。

◆「大局観」で捉えつつ、「些細なこと」には拘らない。
◆「一生新手」の面白さを楽しむ。
◆そこで得られた「自分の楽しみ」と「他人に役立とう」という2つの観点を持つ。

そして、日々を過ごしていく中で、ほんの少しの変化とか、ちょっとした幸福感、例えそれが小さな幸せであったとしても(個々人の意識が決めることですから大きいとか小さいとかは無いです)、それを見つけられる心の豊かさと、『自由気ままに生きる』ことの大切さを認識できることについて、常に気が付けるだけの感受性は持っていたいと思っており、『何かを選択しながら、しかし、それに捉われずに自由に生きていく』ための間口の広さと、冴えた目を養うための「観の目と行の目」の肝要さを改めて知った次第です。

尚、私事で恐縮ですが、私は比較的先端に少し近い生業に関わっており、藤井尚治先生が『アナログという生き方』の中で仰っていた多くの印象的な発言内容にインスパイアされた身としては、おそらく周りの方々へ個性的な発言ないし主張を行ってしまうことが良くあると思っており、確かに「変わった人」という印象(つまり変人扱いかもですね)と受けられているようですが、それも長い間、貫ける信念と(ほんの少しの)勇気と行動があれば(自分を良く知り自然体で考えれば何も変わった云々も無いと思いますものの)、良いのではないかと思います。

54尾崎清之輔:2007/12/18(火) 00:34:51
10日ほど前、漫才観劇と絵画鑑賞に出向いて、ライブが持つ即興劇の動的な楽しさと、絵画作品が持つ精密さと大胆さの調和や、描かれた時代背景を読み取る静的な楽しさを味わうという、大変充実した一日を過ごすことができたと申し上げましたが、このあたりについては、今夜から少しずつ感想を織り交ぜた形で投稿させて頂きたいと思います。

漫才観劇の方につきましては、普段テレビ番組を殆ど見ることの無い私ではございますが、過去の経験などからして、番組収録とは異なる一瞬の間合いの大事さや、漫才コンビ同士または観客とのやり取りの中に、『リアルタイムの創出知』とまで申し上げるには少々褒めすぎではあると思いつつも、観客との一体感を感じさせるだけの勢いを持つ芸人(それは必ずしも有名な方々とは限らない)が何人かいて、そこに素直に楽しめる「場」があったと思いました。
そういう出会いも偶には大切であり、腹の底から笑うことの重要さを楽しむためにも良い機会ではないでしょうか。

その後、訪れた絵画鑑賞の方につきましては、渋谷で開催されているアルベール・アンカー展という、19世紀のスイスの自然主義的な画家の作品群で、この方はスイスでは非常に有名な画家とのことですが、日本では余り知られること無く、私も偶然電車内に掲載された広告が記憶に良く残っていたため訪れた次第です。

アンカー自身は主にパリに在住されておりましたが、その作品の多くはアンカー自身が過去に育ったスイスの村(スイス中央部にあたるインス村)を夏ごとに訪れたことにより、その情景を通して、その村に生きる子供達や老人達の日常を多く描いており、観る者に対して一種の安らぎ感を覚えさせられるとともに、老人と子供達が家の中でのんびりと寛ぐその構図には、「異なる世界の安らかな共存」も見られました。
特に、未来の希望に満ち溢れる子供達の人生のはじまり感と、経験が刻んだ人生終盤の時期を迎えた老人達の表情ならびにその対比については、構図に描かれた、光と影の持つ意味も手伝って、何とも言えない感情が沸き起こってきたとも申し上げて起きましょう。

また、これらスイスの風景画には、フランスのバルビゾン地区に陣取った、田園地帯の風景や、そこに生きる方々の作品群を中心とした、所謂「バルビゾン派」にも通じるものがあったとも感じましたが、一通り観賞し終わった後に見たショッピングセンターの解説から、アンカー自身が、実は「もし生まれ変わったらバルビゾン派になりたい」とまで仰っていたことに、ある種の驚きを隠せませんでした。

更に、このアンカーの風景画の手法が持つ、草木や森などの緑を中心とした自然風景や、そこに調和している少女達を表している色彩感覚には、ジブリ作品(男鹿さんの絵作り)に相通ずるものも感じ取られた気がしましたが、何とパンフレットの解説において、宮崎駿さんの作品イメージとも重なっている旨が記載されておりましたので、先述と併せて二重の意味で驚愕を禁じえませんでした。

ちなみに、このアンカーは風景や人物画のみではなく、「教育」にも大変な力を注いでいたようで、そのあたりも多くの作品に垣間見ることができましたが、その中の印象的なひと言をもって、今夜は締めくくらせて頂きたいと思います。

◆教育は知識を身に付けるものではなく、子供の成長、周りを取り巻く人々や、育った自然環境に関わることで、個々の人格が成熟していく包括的な事業である。

55尾崎清之輔:2007/12/19(水) 01:25:09
昨日の記事で、アルベール・アンカーが、風景や人物画のみではなく、「教育」にも熱心に力を注いでいたことから、そのあたりも多くの作品に垣間見ることができましたという話をさせて頂き、それはアンカー自身が晩年に生まれ育ったスイスのインス村を中心に、実際の教育活動へ積極的に関わることになったという事実からも伺えますが、まだ具体的な内容までは存じ上げていないものの、おそらく、このあたりに彼の晩節を飾るべくフィラントロピィ精神の精華を見る思いがしました。

さて、昨夜も触れました、アンカーの一部作品群から感じ取られた「教育」というテーマへ移る前に、今夜はまた別の作品から少し異なるテーマを語らせて頂きたいと思います。

中でも印象に残った作品が2点ほどあり、1つは「骨玉遊び」というタイトルの付けられた、古代ギリシャの頃から行われてきた「羊の後ろ足の骨4個」を使った子供たちの遊ぶ姿を描いた作品ですが、この作品が描かれた時代にもこのような遊び方が存在していたかどうかはともかくとして、まさに古代ギリシャ時代の建築物の中で「骨玉遊び」に興じている子供たちに加えて、その背景に存在している大人たちが、古代ギリシャ時代の服装に身を包まれていたことです。

もう1つは、当時の一般的な家庭の中で、少女たちが刺繍を行っている姿を描いた作品であり、実は私は解説を見るまで全く気が付かなかったのですが、この家庭の中に描かれてあった家具や調度品などインテリアの全てが、当時の中産階級の理想化された情景であると解説されていたことから、先述の作品と併せて、アンカー自らの目で見た「構図」ではなく、アンカー自身の「思い」や「理想」、また「歴史観」など頭に浮かんだことを基にして描かれたのであった、ということに対して一種の感銘を覚えたとともに、また1つ、絵画を鑑賞する楽しみを得たと申し上げておきましょう。

56尾崎清之輔:2007/12/21(金) 00:49:59
過日の絵画鑑賞の感想の続きの前に、今夜は少し寄り道させて頂くことをご了承願いたいと思います。
毎年、年末あたりになると、その1年(個人とか社会など)を1つの漢字で表すと何を思い浮かべるか、といったことが巷間の話題となり、それに対して、ここ数年の私は、「空(くう)」、「色(しき)」、「無(む)」、といった一文字で、1年というスパンとは全く関係の無い、時空間的な全体像を表す漢字をあてはめてきましたが、今年は全く別の観点から、『覚』という私的な文字をあてたいと思います。
もちろん、この一文字の本当の意味が示している域には、到底、達することはできませんが、より高位の次元へ向けた観察と実践によって、漸く辿り着けるはずの「道」に対して、少しでも近づくことができるよう、また、翌年へと繋げていくことも加味した上で、あえて挑んでみることを選びたいと思い、『覚』という漢字にさせて頂いた次第です。

57尾崎清之輔:2007/12/21(金) 15:15:27
本日も寄り道が続きますが、現在、マイケル・ポランニー(著)『暗黙知の次元』(ちくま学芸文庫)を再読しております。

私の幾つかの投稿において、「暗黙知」という言葉を安易に使わせて頂いておりますが、その概念を少しでも分かりやすく語ることができるようにするには、申し上げるまでも無く相当の次元に至らねばなりませんが、それは「暗黙知」が『言語の背景にあって言語化されない知』であり、『生を更新し、知を更新する、創造性に溢れる探求の源泉、新しい真実と倫理を探求するための原動力、隠された知のダイナミズム、潜在的可能性への投企』などといった『暗黙知の次元』の裏表紙で著されたことに明らかであるからです。

このように、語り手の私に相応の努力と時間が必要であることを再認識したため、久しぶりに手に取り精読することに致しました。

より本筋に近づくには、同じ著者による『個人的知識―脱批判哲学をめざして』(地方・小出版流通センター)という傑作の精読が必要と感じておりますが、この大著こそ、それなりの時間と、読み手の真剣さ並びに能力が問われると思っているだけに、私の蔵書には未読のまま眠っております。
従いまして、その要約書とも言われる『暗黙知の次元』をもとに、まずは気になった文章の引用からはじめさせて頂き、それから私なりに咀嚼した上で、思ったこと感じたことを徐々にではございますが述べていきたいと思います。

58尾崎清之輔:2007/12/21(金) 15:22:21
(No.57から続きます)

『事物の本性について現在認められている見解と矛盾するという理由で』容赦なく却下する権威が、その一方では『定説に著しい修正をもたらすような見解に対して最大級の敬意を払う』ことに対して、ポランニーは、


◆こうした明らかな自己矛盾も、私たちが外界を認識する際にいつもその底流にある、形而上学的根拠に立脚すれば解決される。ある物体を見ると、その物体には別の側面と隠れた内部があり、私たちはそうしようと思えばそれらを探求できるということが分かる。つまり、誰かを見るということは、無限に存在するその人の精神と肉体の隠れた働きをも見るということなのだ。知覚とはかように底なしに奥深いものなのである。なぜなら、私たちが知覚するのは実在(リアリティ)の一側面であり、したがって数ある実在の側面は、いまだ明かされざる、おそらくいまだ想像されざる、無限の経験に至る手掛かりになるからである。


また、全く連携性が無かったにも関わらず、複数の同時的な発見や新見解の提示といったことについては、以下のように述べております。


◆事が成就する(イヴェント)以前に未来に目を向けているという点で、発見の行為は、個人的で不確定なもののようだ。それは、問題の孤独な暗示、すなわち隠れたものへの手掛かりになりそうな種々の些末な事柄の孤独な暗示から、始まるのである。それは未だ知られざる、一貫した全体の、断片のように見える。こうした試行的な先見性(ヴィジョン)は、個人的な強迫観念へと転じられねばならない。なぜなら私たちを悶々とさせぬ問題は、もはや問題とは言えないからである。その中に衝迫(ドライヴ)が存在しなければ、問題は存在しないのだ。私たちを駆り立て導く、この強迫観念がどこから由来するものなのか、それは誰にも分からない。なぜならその内容は定義不能で不確定なものであり、きわめて個人的なものだからだ。実際、それが明らかにされていく過程は「発見」として認識されるだろう。その理由は、言うまでもなく、所定の事実に明白な規制をいくら適用し続けても、そうした発見に到達することはできないからである。真の発見者はその大胆な想像力の偉業によって称賛を受けるだろう、その想像力は思考の可能性という、海図のない海を渡ったのである。

59尾崎清之輔:2007/12/23(日) 00:04:05
以前にも少し述べましたように、今年はピアノ演奏を聴く機会が多く、今では朝晩の通勤時間及び帰宅途中と、夜の就寝の際の欠かせないアイテムになっております。
ほぼ同じ作曲家や演奏家の作品を聴いておりましたが、ある切っ掛けで、ガブリエル・ユルバン・フォーレ (Gabriel Urbain Faure:1845 〜 1924) の「シチリアーノ(シシリエンヌ)」を楽しむ機会が偶然ございました。

「シチリアーノ(シシリエンヌ)」は、フォーレの劇付随音楽『ペレアスとメリザンド』(Pelléas et Mélisande)の中でも、フルート独奏が入ったオーケストラによる組曲として知られており、単独で演奏される機会も多い有名な作品ですが、原曲はチェロとピアノのデュオ用に書かれたことを、実は今日はじめて知った次第です。

そんな今日は冬至で、東京は雨と、天候の良くない日でしたが、暖かい陽気であろう地中海のシチリア島を想像しながら、哀愁のあるこの曲に耳を傾けてみたいと思います。
尚、余談ですが、先ほど調べてみたところ、彼の地(シチリアのパレルモ)も気温15度でしたが雨模様のようでした。
(明日から晴れそうです)

◆無料クラシック音楽MP3配信サイトより(フルート旋律版)
http://classicmp3.iis.ne.jp/sicilienne.mp3


◆Classic MIDI COLLECTION (シチリアーノ)より(ピアノ旋律版)
http://classic-midi.com/midi_player/classic/cla_Faure_sichiriano.htm

60尾崎清之輔:2007/12/23(日) 02:29:14
蛇足ですが、No.59のMIDI音源やMP3では物足りない方へ、ご参考までに以下のサイト(チェロとピアノによる生演奏映像)をご紹介させて頂きます。

◆Cello Journey「Faure Sicilienne」より
http://cellojourney.com/?p=103

62尾崎清之輔:2007/12/23(日) 20:57:46
今夜は『暗黙知』の続きからはじめさせて頂きます。ポランニーは、『人間と芸術作品を理解するために応用される、暗黙知の目覚しい一形態について』述べる上で、ディルタイとリップスの、それぞれの言葉を引き合いに出しております。

◆ある人の精神はその活動を追体験することによってのみ理解されうる
◆審美的観賞とは芸術作品の中に参入し、さらに創作者の精神に内在することだ


しかし、ポランニーは、ここから更に踏み込む形で、以下のように言及しております。

◆暗黙知の構造に由来するものとしての内在化は、感情移入などよりはるかに厳密に定義される行為であり、かつて内在化の名のもとに呼ばれていたものをも含む、ありとあらゆる観察の下地を出すものだ。


この内在化の過程を通じて、隠れた存在への考察に移り、未だ見えぬ様々な諸要素の中にあると思われる一貫性や普遍的な何かを見出し、または暗に気付いて、それらに対する妥当性の認識に至るのであれば、次の段階としての統合化が可能になるのではないかと考えます。
そして、ここに至って、観察者と対象物ないしは行為者との間に存在する、目に見えない共通した連携というものが、「場」の研究の主要テーマの一つである、主体と客体が分離していない状態、つまり『主客未分離』の状態にも繋がり、そこから生み出される「創出」、延いては『共創』は、ポランニーの『創発』にも通じるのではないかと考えており、それはポランニーの以下の文章に見出すことができると思います。

◆暗黙知は、身体と事物との衝突から、その衝突の意味を包括=理解(コンプリヘンド)することによって、周囲の世界を解釈するのだった。この包括は知的なものであり、なおかつ実践的なものでもあった。だから包括的存在の範囲は拡張されて、自分自身の動作(パフォーマンス)は言うまでもなく、他人の動作とその他人自身をも含むものとされたのである。


しかも、『創発』は常により高位のレベルへ進化を遂げることによって、それ自身が持つ、冒険的かつ志向的な追及により、無限の可能性を秘めていることになりますが、このあたりについて、ポランニーは以下の通り明確に述べていると思います。

◆進化論的革新の過程は、その過程がいずれ到達することになる、より高次段階の安定した意味への、到達可能性によって、触発される。そうしたより高次の潜在的可能性によって引き起こされる緊張が、偶然の作用で、あるいは第一原因(ファースト・コーズ)の作用で、行動へと解き放たれるのだ。


ちなみに、『暗黙知の次元』の訳者高橋勇夫氏も「解説」で以下のように触れておりました。

◆より高次のレベルが生成しようとするとき、それはまだこの世に存在するものでも、しかと認識されているものでもないから、個人の側から見れば潜在的可能性にとどまらざるをえないだろう。しかしその見えざるポテンシャルに退っ引きならぬものを感知して、想像的にかつ創造的に掛かり合う。その過程でより低次のレベルの個々の諸要素をもしっかりと感知し直されて、それがまた高次のポテンシャルにフィードバックされていく。そうして段々に新しい高次のレベルが形成されていく。そうした一連のダイナミズムのことを、ポランニーは暗黙知と呼ぶのである。

64尾崎清之輔:2007/12/23(日) 21:13:34
さて、ここで私は、この『創発』について、『丸山眞男 音楽の対話』(文春新書)の中で紹介されていた丸山博士の『追創造』を思い出さざるを得ませんでした。

◆「安定と不安定の中を動揺しているような、そうした種類の不安定」な美をもつシューマンや、丸山の遺稿のなかにはこれという記述が無いが、やはりそれに似た美しさを湛えるシューベルトを演奏し、曲に内在する真価を聴き手に伝えるには何が必要か…。それは作曲者が曲に託した想いへの共感と、それを楽想として把握し、音楽として聴き手に伝達しうる弾き手の、つまり演奏者サイドの構成力と表現力ということになるのであろう。あえて言えば、曲自身に内在する構成力の弱さを補う強靭な再構成能力=丸山の言葉を藉りれば、「追創造(ナッハシェップフェン)」能力が、演奏者に要求されるということになる。


上記で丸山博士が、『「安定と不安定の中を動揺しているような、そうした種類の不安定」な美』と述べたように、確かにシューマンは、オイゼビウスとフロレスタン(※注釈)という、相反する独特の二面性を持っており、この情感をどのようにバランスよくコントロールするかによって、その演奏の説得力が全く異なってくるという意味では、丸山博士の慧眼の素晴らしさを改めて認識した次第です。
また、この『追創造』については、『丸山眞男集第九巻』の「思想史の考え方について」においても、丸山先生ご自身が以下のように述べております。

◆演奏が芸術的であるためには、必然に自分の責任による創造という契機を含みます。しかしそれは自分で勝手に創造するのではない。作曲家の作曲が第一次的な創造であるとすれば、演奏家の仕事はいわば追創造であります。あとから創造する−ナッハシェップフェン(nachschÖpfen)なのです。これと同じように思想史家の仕事というのは思想の純粋なクリエーションではありません。いわば二重創造であります。


尚、これは「追創造」を行う「演奏者」に対して否定するものでも矮小化するものでも決してなく、寧ろ、「演奏者」に対する肯定=積極的な評価を行っているという意味では、No.58で紹介したポランニーの発言にも通じるものがあると考えております。

※注釈:オイゼビウスとフロレスタン
シューマンが音楽評論を行なう上で生み出した架空の人物像。シューマンの持つ相反的な二面性を表しているとも分身とも呼ばれている。オイゼビウスは「静」、つまり冷静で思索的でありつつも、夢想的な面や、内に秘めた情熱を持つ人物像で、フロレスタンは「動」、つまり明るく積極的に行動しつつも、激情的な表現を顕わにする面を持つ人物像。

(余談ですがNO.61及びNo.63で投稿ミスをしたため再掲させて頂きました)

65尾崎清之輔:2007/12/23(日) 23:18:45
先日フォーレの「シチリアーノ(シシリエンヌ)」を楽しむ機会があったと、No.59で述べさせて頂きましたが、同じ日に、ベドルジハ・スメタナ(Bedřich Friedrich Smetana:1824〜1884)の「モルダウ」も聴く機会にめぐまれました。
スメタナの代表作である、連作交響詩『わが祖国』(Má Vlast)の中でも最も有名で、単独演奏される機会も多い「モルダウ(原題:ヴァルタヴァ=Vltava)」は、日本では合唱曲として編曲されているほどで、誰しも一度は耳にしたことがある曲と思います。

スメタナはチェコの作曲家ですが、私個人としては、これまでチェコの作曲家の作品群を聴く機会があまりなかったものの、二十世紀の偉大な指揮者の一人であり、かつ作曲家でもあった、クーベリック(Rafael Jeroným Kubelík)の指揮する作品や、チェコ出身ではないものの、現在のNHK交響楽団の音楽監督で、その前までチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者であったウラディーミル・アシュケナージ(Vladimir Ashkenazy)のピアノ演奏家時代の作品群は何度か聴いており、また、つい先日までチェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を務めていたズデニェク・マーカル(Zdeněk Mácal)が、最近の日本のクラシックブームに貢献していることなどから、日本にとって決して遠い存在ではない気が致します。
そんな今夜は、クーベリックが1990年に指揮したオーケストラのライブと、主にプラハの街並を映した動画作品をバックにした『モルダウ』をお楽しみ下さい♪


◆Smetana Ma Vlast Moldau Kubelik Czech 1990(YouTubeより)
http://www.youtube.com/watch?v=LlLPLO90fSk


◆Wonderful Prag(YouTubeより)
http://www.youtube.com/watch?v=mfHBuX9z5FE

66尾崎清之輔:2007/12/24(月) 23:53:43
日々の整理整頓や片付け、また掃除などの重要性につきましては、だいぶ以前より珪水さんが仰っていた通りですが、日頃の怠け癖が祟って、毎年この季節あたりにならないと、なかなか本格的に実行しようとしないのが、私の悪い癖であると、いま年末の大掃除を行いながら痛切に感じているところです。

今年も昨日から徐々にはじめつつありますが、特に書籍の多さには我ながら辟易としており、今年に入ってから一度だいぶ整理したにも関わらず、まだまだといったところで、せめて本棚やクローゼットの中などに入りきらないで残っている分はどうにかしたいと考えており、書棚の前の山積み150冊ほど、ベッドの隣の山積み50冊ほど捨てようとしましたが、そもそも手元のスグ近くにあるということは、それだけ必要性が高い書籍が多いということになるため、一苦労しているところです。
しかも、手元の分を良く数えなおしてみたところ、書棚の前とベッドの山積み分を合わせて300冊ほどと予想より遥かに多く、最初は思わず溜息が出そうでした。

それでも昨日から水周りその他の掃除と併せて片付け続けていったところ、段々と何が大切で何が不必要なものかが何となくですが分かってきて、少しずつ片付いてきれいになっていく様は、やはり気持ち良いですね。

ちなみに、このテーマは、珪水さんが嘗て良く投稿されていたスレッド、または珪水さんのお名前が付けられているスレッドで行うべきかと思いましたが、自分の住む場所こそ、毎日を過ごす重要な『場』ということを示しておりますので、あえて自ら立ち上げたこのスレッドに投稿させて頂きました。

67尾崎清之輔:2007/12/25(火) 02:11:38
既にイブを2時間ほど過ぎて、クリスマス当日となりましたが、昨夜はクリスマスイブをご家族と、友人たちと、親しいあの方と、またはお一人でのんびりと、ご自宅や友人宅、またはイルミネーション豊かな街中や、夜景の綺麗な場所など、さぞかし多種多様な場所で迎えられたことと思います。
さて、いつの頃からかは分かりませんが、毎年クリスマスになると、ケーキと蝋燭に火を灯してお祝いをすることが多く、それはおそらく誕生日のケーキと蝋燭によるお祝いと同じくらいであると思いますが、そもそもケーキと蝋燭でお祝いをする習慣が、ヨーロッパの古い宗教儀式に由来していることは、数年前に読了した吉村正和(著)『フルーメイソンと錬金術』(人文書院)で私も知った次第です。
この著書の本文に関する詳細は、こちらのスレッドではなく、既に適切なスレッドがございますので、そちらで行わせて頂きたいと思いますが、ここでは冒頭に述べた文章に関する部分のみ「はじめに」から、以下の文章の引用とご紹介をさせて頂くに留めたいと思います。


◆ローマ時代には、人間が生まれるときにその運命を左右する一種の守護霊ゲニウスが付着すると信じられていた。誕生日とは、その人の魂に付着するゲニウスを祝う日のことであり、バースデーケーキと蝋燭はこのゲニウスへの捧げものと灯明を意味するのである。
ゲニウス(genius)は、古代から近代にいたるヨーロッパ精神史においてきわめて重要な役割を演じてきている。古代魔術や密儀宗教は、ゲニウスあるいはそのギリシャ的な名称であるダイモンの存在を前提として、人間がいかにしてダイモンに目覚めるか。またどのようにしてダイモンを駆使することができるかを探求してきた。ダイモン(daimon)は、主としてキリスト教の影響のもとにデーモン(demon)として長い間貶められてきたという事実があり、その原意を復権させるのはそれほど容易なことではない。ギリシャ時代において神と人間の中間に位置する存在であり、テオス(神)の意味領域が確立する以前においては神的存在として理解されてきた。

(中略)

ダイモンとは、現代の読者にも分かるように表現するとすれば、自然における全ての存在の内部に隠された神的エネルギーあるいは根源的な生命力のようなものといえる。このダイモンはローマ時代においてゲニウス(守護霊)と呼ばれて信仰の対象となるが、キリスト教の登場とともにさまざま異教の神々とともにデーモン(悪魔)と総称されることにより、ヨーロッパ精神史の片隅へとおいやられてしまうのである。

68尾崎清之輔:2007/12/25(火) 02:37:10
さて、クリスマスの夜も更けてきましたが、今夜はドミンゴの「Ave Maia」と「White Christmas」、カレーラスの「Ave Maria」、カレーラスと今は亡きパバロッティの「Happy Christmas/War is Over」、そして三大テノールによる「Silent Night」をお楽しみ下さい。

◆AVE MARIA -Placido Domingo & Michael Bolton - Nana Mouskouri
http://www.youtube.com/watch?v=pRDIggpHL-w

◆Placido Domingo sings "White Christmas"
http://www.youtube.com/watch?v=JKyW4xybsmw&feature=related

◆Jose Carreras - Ave Maria 1995
http://www.youtube.com/watch?v=LPVo4I0qflo

◆Pavarotti Domingo Carreras - Happy Christmas/War Is Over
http://www.youtube.com/watch?v=mqGpMxtWWBQ

◆Pavarotti Domingo Carreras - Silent Night
http://www.youtube.com/watch?v=SPlxBow16SA


※No,67で一点間違いがございましたので以下に修正させて頂きます。
誤:『フルーメイソンと錬金術』
正:『フリーメイソンと錬金術』

69尾崎清之輔:2007/12/26(水) 00:35:20
この年末で片付けようと思った書籍300冊ほどのうち、200冊ほどブックオフへ叩き売ってきました。まだ100冊ほどありますが、昨日のうちに片付けの要領を得ましたので、残りもあっという間に片付けられると思います。
尚、叩き売った200冊が思ったより随分と値段が付いたので、ひょっとしてプレミア扱いのものが数冊混ざっていたのではないかと思い、もっと良く調べてからと、少し後悔しましたが、元々そのようなことに気が付かないほどご縁が薄かった書籍ということなのでしょう。

私は都会からそう遠くない地域に居住しており、本日もやや底冷えのする気温の中、日中は窓を全開にしてお片付けと昨日の掃除の続きをしておりましたので、今日はすっかり部屋の空気が入れ替えって気持ち良いです。
今年も残り6日となりましたが、自らが日々を過ごす重要な『場』を少し大切にしたことで、年末を気分良く過ごせそうです。

70尾崎清之輔:2007/12/27(木) 04:39:11
過日、シューマンに絡んで、オイゼビウスとフロレスタンについて、お話させて頂きましたが、とにかく深い。。。

いろいろな方々の演奏を聴きましたが、かつて、リパッティとカラヤンのデュオを遥かに超えている、というのが正直な感想です。詳細は、また過日。。

71根本敦史:2007/12/27(木) 16:44:59
ご無沙汰しております。本日をもって、仕事納めを迎えることとなりました。本掲示板による貴重なご縁により、今年も何とか無事に一年を終えることができそうです。ありがとうございます。尾崎さんがおっしゃるとおり、私も自分が生きる「場」を日々精一杯整えながら、何とかやっております。そして、改めて、自身が生きる土台の脆さに気付き、そうしたことに気付くきっかけを与えてくれた藤原先生や珪水さん、そのほか、この掲示板に集まる皆様に心から感謝する次第です。珪水さんが以前書かれていましたが、自分が生きるこの時空(タイム・スペース)を如何に整え、より良く生きるかが来年の私の課題であります。恐縮ではございますが、この場をお借りして、御礼申し上げます。

72尾崎清之輔:2007/12/27(木) 23:00:25
根本さん。ご無沙汰しております。お元気そうで何よりです。また、近況をご報告いただき、有難うございます。

私も、宇宙巡礼という以前からの貴重な『場』に加えて、今年は更にこのようなスレッドを立ち上げ続けていこうという決心に至った貴重なご縁があり、おかげさまで今年一年を無事に終えつつ、来年以降に向けたテーマに邁進することができそうです。

根本さんも仰っておりましたが、私も自分が生きる『場』を日々精一杯整えながら、何とかやっているというのが実情で、『自身が生きる土台の脆さ』に気付くという意味では、決して他人事ではないと思っており、それが自身に課したテーマの一つとして、このスレッドを立ち上げるに至った次第ということになり、身の回りの事柄からはじまり、より大きく広く高い次元への言及と展開が行えるよう、そして少しでも実践に繋げられるよう、やや大げさな言い方ですが修養の日々を過ごしております。

さて、寄り道して放っておいたままとなっていた、アルベール・アンカーの作品群の感想を思い出しましたので、今夜はその話も織り交ぜさせて頂きたいと思います。

先に述べましたように、アンカーは、あの「バルビゾン派」に通ずるが如く、主にスイスの村の自然が奏でる風景画や、その中に生きる方々の人物画を描いており、その作品群の写真的な正確さと絵画的な大胆さの見事な調和は、見る者に一種の感動を覚えさせますが、それと同時に、彼の考える「権威主義的でない近代の教育理念」を念頭に置いていたことも、彼の作品群から一目瞭然でした。
そんな彼も、やはり生活のため、食べていくためには肖像画の製作にも携わっており、注文主とのやり取りにはそれなりにご苦労されたようですが、それでも注文主に対して、『美しく描いてほしいか? それともあなた自身を描いてほしいか?』と言えるだけの、常に矜持を失うことのなかった素晴らしい姿勢には感銘を覚えております。

そして、こうしたことへの気付きの大切さこそ、以前に申し上げた「自由とはFree toであり、自由気ままに生きていけるだけの心の余裕の持ち方」へ繋がると思っており、意識的か無意識的かに関わらず、そのようなきっかけを与えてくれた方々へは、本当に心から感謝する次第であり、今年一年を漢字一文字で表す際に『覚(かく)』をあてさせて頂いたのは、「めざめる」「おぼえる」「さとる」といった意味以外に、同音で似たような意味合いを持つ『確』つまり「たしかさ」へ繋げていこうという思いがあるためで、それが私自身より良く生きるための、そして私が敬愛する周りの方々と、同じ場所や同じ時間を通じた「共感」と「共鳴」、そして「共創」へと発展させていくことで、喜びを分かち合えるようにしていくことが、来年の、そして来年以降の課題と考えております。

73尾崎清之輔:2007/12/29(土) 01:25:32
年末の大掃除に伴い、整理整頓を続けておりましたところ、過日の書籍300冊云々どころの話ではなく、無用の長物が矢鱈と多いことに気が付き、先程まで片付けるのに大変な状況でした。
一旦というか、漸く収束が付きましたが、まだまだあれもこれも捨てたいと思う物が一杯見つかりました。これも、日頃の行いが肝心ということを改めて知った次第です。

そのような中、私の親族のある方(現在は故人)から頂いた10年ほど前の年賀状を見つけ、さり気ないその文面の美しさに思わず目がとまり、頂いた当時、忙しさにかまけて賀状のやり取り以外はすっかり疎遠になっていた自分を恥ずかしく思いました。
読書家で、且つ学生時代には日本各地の寺を廻って巡礼するのと同時に、スポーツカー好きでもあった彼は、私が幼少の頃から何台も乗り回しており、30年以上前にポルシェ911ターボを所有されていたので相当のマニアだった思います。
卒業して教職を務めた後、暫くして親の会社を継ぐこととなりましたが、常に読書は欠かさなかったようで、私の手元にある何枚かの賀状の文面を拝読する限りにおいても、それらが感じられます。
そんな故人に今夜は敬意を表しつつ、その一部を以下にご紹介させて頂きます。

◆国ありて、その下に民草は折り敷き、という朦昧たるこの国の濃霧、晴らしたし。


さて、明日(既に今日ですが)の東京は、気温はやや上がるものの、この時期には珍しく雨模様でお昼頃までは降り続きそうです。
年末で皆様いろいろやることがあって慌しいでしょうから、早めに晴れることをお祈り申し上げます。

74尾崎清之輔:2007/12/29(土) 01:30:52
私にとって、半ば年末行事と化しておりました『ベートーヴェン 交響曲第九番』の鑑賞ですが、今夏に東京フィルによるベートーヴェン交響曲のチクルスを聴いていたことや、年末に鑑賞できる主要なオーケストラの第九はここ数年で一通り聴いてしまったこと、更には所有している歴史的な名演のCD及びDVDが数多くあることなどから、今年末はあえて鑑賞に出向くことを止めました。

この話題と関連して、久しぶりにブログ『toxandoria の日記、アートと社会』から、第四楽章の合唱部である『歓喜に寄す』について触れた文章をご紹介させて頂きます。
ちなみに原文では『ベートーベン』となっておりましたが、統一性を保つため、引用者にて『ベートーヴェン』とさせて頂きました。

http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071222

◆ベートーヴェンはシラー(ゲーテとともにドイツ古典主義の代表者)の詩『歓喜に寄す』を第四楽章の歌詞に取り入れた『Symphony No.9 in D minor、 Op.125』を作曲しています。晩年にシラーが重視した精神的自由には、ゲーテの「ヒューマニズム」と「プロテスタントの救済の精神」に通ずるものがあり、それは産業革命(科学技術発展≒頑迷固陋で殆どカルトに近いという意味での制度設計主義)の台頭と賭博化した資本主義経済の発達によって分断され孤立化した一般民衆への励ましでもあったと見なすことができます。


尚、2007年12月27日付の同ブログの記事においては、EUにおけるリスボン条約の意味するところと、日本の相変わらずというか、政・財・官・業とも全てひっくるめた、余りの政治的社会的貧困さとの対比も優れていると思いましたので、以下にURLをご紹介します。
同じ記事中の、ミュンヘン、ガルミッシュ・パルテンキルヒェン、フュッセン・シュバンガウ、ローテンブルク・オプ・デア・タウバー、ハイデルベルク、ライン川クルーズ、といった風景画像の観賞と併せてご一読頂けますと幸いです。

◆市民の厚生を見据えるEU、軍需利権へ媚びる日本/リスボン条約の核心
http://d.hatena.ne.jp/toxandoria/20071227

75尾崎清之輔:2007/12/29(土) 01:52:09
(No.74の続きです)

この第四楽章の合唱部の対訳については、原語に近い内容のものから、日本人にも分かりやすい解釈へ改められているものなど、かなりの数が出ておりますが、私自身ドイツ語を解せないため、どの訳が適切かは分かりません(…と言っても誰にとって適切かという重要な観点は抜いております)。
従って、ここではWikipediaの外部リンクにあったサイトと、私の手元にある、『ベートーヴェン事典』(東京書籍)からの抜粋をご参考までにご紹介させて頂きます。

◆ベートーヴェン交響曲第9番 −曲目解説− より(Wikipediaからの外部リンク)
http://kcpo.jp/legacy/33rd/b-sym9top.html#head


◆『ベートーヴェン事典』(東京書籍)からの対訳抜粋
おお友よ、この調べではない!
もっと快い調べとともに声を合わせよう、
喜びにみちた調べに!
(ベートーヴェン)

歓喜よ、美しい神々の輝きよ、
天上の楽園からの乙女よ、
我らは情熱にあふれて
天国の、汝の神殿に足を踏み入れる。
汝の不思議な力は、時流が
厳しく引き離したものを再び結び合わせる。
すべての人々は兄弟となる、
汝のやわらかな翼がとどまるところにて。

ひとりの友を真の友とするという
大きな難事を成し遂げた者、
また優しき妻を得ることができた者、
そのような人々は歓声をあげよ!
そうだ、この地上で
一つの魂でも自分のものと呼び得る者も!
しかしこれをできなかった者は
涙を流しながらこの集いから立ち去れ。

すべてのものは、喜びを
自然の乳房からのみ
すべての善なるもの、すべての悪なるものは
自然のばらの小径をたどる。
自然は我らに接吻とワインを与え
死の試練を経た友を与える。
快楽は虫けらにすら与えられており
そして天使は神の前に立つ。

多くの星々が、天の完全なる計画によって
喜ばしくとびかけるように
走れ、兄弟たちよ、汝らの道を、
勝利に向かう英雄のように喜ばしく。

互いにいだき合え、もろびとよ!
この接吻を全世界に!
兄弟たちよ、星の天幕の上には
愛する父が必ず住みたもう。
地にひれ伏すか、もろびとよ?
創造主のあることに気づいたか、世界よ?
星の天幕の上に神を求めよ!
星の彼方に神は必ず住みたもう。
(フリードリヒ・シラー)

76尾崎清之輔:2007/12/29(土) 14:02:02
私の願いが通じたのか(笑)、それとも天の気紛れか、昨夜からの雨模様だったお天気も、私の居住している地域では、今日の午前の比較的に早い段階から上がりました。尚、都内でも午前中には上がったようですね。

さて、先週のうちにマイケル・ポランニー(著)『暗黙知の次元』(ちくま学芸文庫)を精読し終わり、幾つかの投稿において、引用と若干の感想を述べさせて頂きましたが、自らのものとするには、まだまだ何度か読み直す必要性を感じております。
しかも、前にも申し上げましたが、『個人的知識―脱批判哲学をめざして』(地方・小出版流通センター)へ至るまでには相応の時間が必要であると改めて思い知りました。
そこで、現在は『暗黙知の次元』の再々読とともに、同じ著者による『創造的想像力』(ハーベスト社)を読み始めておりますので、読み終えた段階か、または途中で何かしら気が付いた段階で、投稿させて頂くつもりです。
尚、この『創造的想像力』では、「直観」の意味と重要性についても明確に述べておりますので、必読と考えます。

77田中治:2007/12/30(日) 12:50:19
今年も残すところあと僅かとなったが、慌しい年の瀬の生活の中で今年1年を振り返っている。今年新しく出会った人々、これまで培った友人知人そして家族、人との出会い・語らいからは人生の豊かさを実感すると共に多くのことを学んでいることに改めて気づく。また今年新たに出会った書籍の数々、振り返るとどれも手応えはあったが、
このスレッドでも尾崎さんが何度も引用と共に触れられていらっしゃるように、「丸山真男 音楽の対話」
は別格の読後感が残った。「日本の思想」(丸山真男著)と共に読み進めたのだが、あまりに深い本質的な内容
を含んでおり、日頃の問題意識に対するヒントや答えを得た思いでいっぱいになり、心から感動を覚えた。
今年は、個人レベルでも社会レベルでも、強いてはインフォメーションレベルで伝わってくる国家レベルの諸問題においても、「身体における背骨」の役割と同様、「精神における背骨」としての思想や理念の不在がどれほど人間の生活そして社会に影響を及ぼしているかを痛感せざるをえないようなことが続き考えさせられた年となった。これまでだって感じないことはなかったのだが、今年はより大きく感じていた時に、改めて丸山思想の一端に触れ、そこに自分なりに多くのヒントを見つけたので、自分のできる範囲で未来に実践したいと思っている次第である。
 日本ではこの時期そこかしこでベートーヴェンの第9交響曲が鳴り響いている。しかし、この曲は本来、その年1年を祝うといった歳時的なレベルの内容ではないはずだ。欧州ではEUの歌に制定されており、またベルリンの壁が崩壊して東西ドイツが統一したときに東と西の人々が共に歌ったのも第九だった。この曲の中に哲学・思想・理念が在り、
近代以来の精神的な背骨としてこれほど偉大な曲は他にないからであると思う。丸山は言っている。
「・・・・・バッハは神のために、ハイドン、モーツアルトは現世の人々のために音楽を書いたけれど、ベートーヴェンは人類に向かって呼びかけを行った。「第5」や「第9」はその典型です。音楽の中に哲学があるのです。・・・・」
(「丸山真男 音楽の対話」中野雄著 P.73ページより)
フルトヴェングラーのベートーヴェンを聴いていると、ベートーヴェンという作曲家と彼の生きた時代の「創造」とフルトヴェングラーという指揮者と彼の生きた時代の中で作り上げられた「追創造」が大きく相まり、偉大な寓意図を読み解いた時と同じような言葉では言い表せないほどの感動はその響きの中で人生観を変えるほどである。
その存在と精神の気高さ(昨今日本で流行の「品格」などという言葉では言い表せない)と丸山が繋がっていたことが
読者として大変嬉しかった。
クラシック音楽の世界では、これから先どのような偉大な芸術家を生み出し我々に「追創造」を聴かせてくれるのだろうか。そのこととこれからの時代がどうあるかは密接に関わっているし、すなわちクラシック音楽の未来のみならずすべての芸術文化にいえることだろうと思う。

78田中治:2007/12/30(日) 12:55:33
ところで、最近、個人的に注目している芸術家にイギリス人やイギリスに在住している人が多いことに気がついた。もちろんドイツやフランス、スペイン、北欧とヨーロッパのあらゆるところから優秀な芸術家が輩出されているとは認識しているが、イギリス系はなかなか一筋縄ではいかない。「伝統」に則ってみると「正統」ではない筋なのだがこんな時代には柔軟な聴き方・見方が必要と思い、枠にとらわれずに聴くようにしている。 イアン・ボストリッジという若いテノールが歌うシューベルトはなかなか素晴らしいと思う。リート歌手として日本でもコンサートやCDで人気のようだが、これまでとはちょっと違った歌手のようだ。経歴も興味深い。ケンブリッジとオクスフォードで哲学と歴史を勉強し、博士論文のテーマは「中世イギリスにおける魔女について」だとか。音楽大学で専門教育をうけたことはなくほぼ独学でコンサート活動を行っているのだから、大変にユニークでイギリス人好みの生き方を体現しているように思う。 ピアニスト内田光子もイギリス在住で、以前雑誌で日本の音楽界について批判していたのを読んだ覚えがあるのだが的を得たものだったので印象に残っているし、演奏もモーツアルトやシューベルトは自由な楽想で美しかった。
ベルリンフィルの常任指揮者サイモン・ラトルもその活動内容には目を見張るものがあり、賛否両論あるだろうがなかなかユニークな存在だ。丸山真男の言うように、音楽が生命体であるならば、今後、作曲界におけるベートーヴェンや指揮者におけるフルトヴェングラー、ピアニストにおけるケンプはもう出てこないであろう。しかし、我々は、後ろを振り返りそこから学びつつも、前を向いて歩んでいくより他ない。テクニックが素晴らしいだけならこれからの世界はロボットに任せたらいいのだし、人間にしかできない領域となるとインタンジブルな価値を内包していることが必要だろう。藤原博士によるMTKダイアグラムの図の普遍性を思い出しながら今後の価値観の在り方の行く末を音楽の話題と共にしばし考えるのも無駄ではないと思う。

79尾崎清之輔:2007/12/30(日) 19:18:04
一昨日、ベートーヴェンの交響曲第九交響曲に関する投稿をさせて頂きましたが、先日の大掃除で私の蔵書に眠ったままとなっていた書籍を偶然見つけました。

◆『ベートーヴェンの「第九交響曲」―“国歌”の政治史』エステバン ブッフ(著)(鳥影社ロゴス企画部)

BOOKデータベースには、以下内容が記載されており、それなりの厚みを持つため、こういうお休みの時期でないと手に取らないでしょうから、この際、一挙に読破してみようと思います。

◆その最終章の『歓喜の歌』が、今やEUの歌にさえなった『第九』、その政治的読解を試みる。『第九』が誕生するまでの思想的・歴史的背景、誕生以後の『第九』の政治的受容をダイナミックに捉える。

また、田中さん仰せの通り、この曲は本来、その年1年を祝うといった歳時的なレベルの内容ではなく、書籍の帯にも以下の通り明確に書かれてありました。

◆ヒトラーは自らの誕生日を『歓喜の歌』で祝った。しかし一方、強制収容所のなかに至るまで、人々はこの曲で彼に抵抗した。
『歓喜の歌』は、常にオリンピックで鳴り響いている。ついこの前、サラエボでも響き渡っていた。この曲はまた、人種差別の国、ローデシアの国歌であった。今日ではEUの歌である。


尚、第九交響曲の成立は19世紀前半(作品完成時期は1824年5月)であり、これは、欧州において、産業革命を経て、近代国家群と国旗ならびに国歌が成立した後ということになると思いますが、そのあたりに、以前ここの掲示板で大変盛り上がった「国旗とミランダ」の話にも繋がるのではないかと考えつつ、読んでみたいと思います。

◆交響曲第9番(ベートーヴェン):Wikipediaより
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%A4%E9%9F%BF%E6%9B%B2%E7%AC%AC9%E7%95%AA_(%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3)

80尾崎清之輔:2007/12/30(日) 19:49:03
ご参考までに、第九の映像作品について、以下に幾つかURLをご紹介させて頂きます。ちなみに私個人としては、第三楽章全体と、第四楽章の真ん中あたりにある『Allegro assai vivace−Alla marcia』の管弦楽のみによる演奏から、「歓喜」の合唱に至る部分が最も好きです。

◆フルトヴェングラー指揮+バイロイト祝祭管弦楽団の演奏(1951年)をBGMにしたイメージ映像。
・FURTWANGLER Beethoven No.9 mov.4 part1
http://www.youtube.com/watch?v=FRQ2fb6w7P0

・FURTWANGLER Beethoven No.9 mov.4 part2
http://www.youtube.com/watch?v=L494cJlP98I

・FURTWANGLER Beethoven No.9 mov.4 part3 (end)
http://www.youtube.com/watch?v=v7Pvib56teI

◆フルトヴェングラー指揮&BPOによる戦前ライブ(1942年)の抜粋より。彼の指揮ぶり(≒文字通りの意味での生きた音楽の肉体化)が良く分かります。
・Furtwangler on 4.19.1942 Full edition
http://www.youtube.com/watch?v=Yqff1F0Ijn0

尚、演奏後にゲッペルスと握手したシーンは敗戦後に物議を醸したことは有名ですね。

◆フルトヴェングラー亡き後にBPO常任指揮者(後に終身指揮者&芸術監督)に就任したカラヤン&BPOの演奏です。こちらは第一楽章から第四楽章までフルバージョンです。
・Karajan - Beethoven Symphony No. 9:Part 1
http://www.youtube.com/watch?v=O2AEaQJuKDY

・Karajan - Beethoven Symphony No. 9:Part 2
http://www.youtube.com/watch?v=cSEqQsAXbJw

81田中治:2007/12/30(日) 22:09:13
尾崎さんが早速ベートヴェンの第九について呼応してくださり、Youtubeでフルトヴェングラーの戦前の演奏に接することができるとは知らなかったので教えていただき大変感謝申し上げたい。早速フルトヴェングラーとカラヤンの映像つきの第九の演奏を鑑賞した。ナチスの旗のもとでタクトを振るフルトヴェングラーの姿は大変に貴重な映像であり、百聞は一見にしかずと言う通り、歴史の真の姿に対峙できる一級の資料ですね。フルトヴェングラーの指揮姿やその演奏はさることながら、当時の観客の表情を写したシーンも、非常に印象に残った。
「明日がない、これが最後のコンサートかもしれない、と覚悟したとき、人間はこんな音楽をやるんだねえ。・・・・・人類の音楽は、フルトヴェングラー戦時中の音楽をもってその頂点とするんじゃないだろうか。戦後の録音、とくにスタジオで作ったLPにはこの凄みが欠けるんです」・・・・・・・・・・・・
「でもあんな悲劇的な状況と、悲惨な経験を抜きに最高の演奏が生まれないとしたら「音楽」とは何なんでしょう」・・・・「人間の本質にかかわるテーマですね」・・・・(「丸山真男 音楽の対話」(中野雄著)P233~234より抜粋)
尾崎さんが所有されている書籍もご紹介くださり感謝申し上げたい。是非私も取り寄せて読んでみたいと思っております。ヨーロッパの演奏会では年末に第九が恒例化していないし、逆に第九を演奏するときは何か意味のある出来事に即して演奏するのが大体だ。第九は彼らの偉大なる遺産であり、共通の理念の象徴なのだと思う。血肉なのですよね。日本では興行的な効果を期待して始まった現象だと専門家の口から聞いたことがあるが、それにしても日本人というのは、こういった現象にある意味無頓着で居られるのだということに同じ日本人として改めて驚くと共に、それを「バッソオスティナート」と表現した丸山真男には尊敬の念を覚える。

82尾崎清之輔:2007/12/31(月) 01:06:54
フルトヴェングラーとカラヤンの第九を演奏された映像作品を早速ご鑑賞いただき、また第九の意味するところから、日本の古層であるバッソオスティナート(執拗低音)へ繋げていただきました田中さんへは、誠に感謝致します。

ところで、No.78におきまして、田中さんが仰っていられた、現在のBPOの常任指揮者サイモン・ラトルの活動内容につきましては、私も以前から着目しており、就任当初は外野がいろいろと五月蝿かったようですが、3年前の『ベルリンフィルと子どもたち』あたりから少しずつ何かが変わりつつあると思い、今年6月にベルリン郊外で開催されたヴァルトビューネコンサート(通称:ピクニックコンサート)をNHKのBSハイビジョンで偶然視聴した際には、漸く新生BPOの音創りの意味するところが明確になってきたようで、ラトルとBPOが一体となった瞬間を垣間見るような気が致しました。

今年のヴァルトビューネコンサートは、「狂詩曲(ラプソディー)」を中心としたテーマでしたが、中でも圧巻であったと思ったのが、ラフマニノフの『パガニーニの主題による狂詩曲 作品43』で、スティーブン・ハフ(ピアニスト)とラトル&BPOとの協演には深い感動を覚えずにはいられませんでした。
ラトルも、BPOのメンバーも、おそらくお互いに成長しあうということへの喜びを見出したのではないか、そして、そのような「表現」を創り出した『場』から『共創』が生まれ、聴く者に対してある種の感動を伝え、覚えさせるに至ったのではないか、そんな想いでした。

尚、コンサートの模様がYouTubeに載っておりましたので、ご参考までにお知らせします。

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 1
http://jp.youtube.com/watch?v=OFM_LxkR6Yc

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 2
http://jp.youtube.com/watch?v=yhZkC8trqKQ

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 3
http://jp.youtube.com/watch?v=kXkLghuoIJc

◆Stephen Hough: Rachmaninov Rhapsody on a Theme by Paganini 4
http://jp.youtube.com/watch?v=epsIWa7EZnU

83田中治:2007/12/31(月) 05:18:16
尾崎さん、昨年のヴァルトビューネの映像と演奏のご紹介をありがとうございます。小生は2001年のヴァルトビューネを現地で鑑賞した経験があるのですが、
それは感動的でした。プラシド・ドミンゴの指揮でスペインの音楽をたくさん演奏していた記憶があるのだが、とにかく「場」としてのヴァルトビューネ
は素晴らしく、ヴァルトビューネは“Waldbuehne”文字通り「森の舞台」で、演奏はもちろんすばらしいのだが、石の客席の上に
それぞれ持参したクッションを敷いて座り、またまたそれぞれが持参したバスケットの中にはワインやチーズ・サンドイッチが入っていて
それをおもむろに開けほおばりながら仲間同士乾杯をして皆思い思いに開演を待つ。その間夕日が沈み、空が徐々に暗くなり、自然が幕開けを予告
してくれる。日が沈むとザワザワとこれまた森の木々が夜風に乗ってざわめき始める。それぞれが良い気分に浸っているときに、照明がつき
BPOの素晴らしい演奏が始まる。あれは一度体験すると病みつきになるのではないか。尾崎さんが「場」から「共創」という言葉を使っていらっしゃるが
ヴァルトビューネはサイモン・ラトルという指揮者の個性にはとりわけうってつけの「場」であるように思う。

ところで、BPO創立125周年記念を前にDie Welt(ドイツの高級紙のひとつ)と共同でBerliner Philharmoniker im Takt der Zeit(ベルリンフィル
ハーモニカー その時代のタクトの中で)という12枚組のCDが発売されており、ひょんなことから今年知人に頂いたのだが、これがなかなか興味深い。
中に冊子が入っており創立以来歴史的な事象と合わせてベルリンフィルがどのような変遷を辿ったかを時の常任指揮者のそれぞれの時代と合わせて
紹介されている。ここにも、音楽が単なる表層的なお飾りではなく、時代に翻弄された人々の心の支え、精神的な背骨のひとつであり、人々の血と肉
になっていることを実感する。12枚のCDは二キシュからラトルまで往年の常任指揮者たちの演奏が入っているのだが、BPOが各指揮者のどの演奏を
ピックアップしているのかに興味が湧いてよく見ると、因みにフルトヴェングラーのCDには3曲収められており、
ベートーヴェンの交響曲第五番(運命):1943年6月30日
モーリス・ラベルのダフネとクロエ:1944年3月22日・20日
ベートーヴェンの交響曲第一番:1954年9月19日 
であった。やはり1943年6月30日の第五が入っており、一方でフランス物であるラベルも、信じられないぐらい美しい。最後の第一は、死の2ヶ月前の演奏で、BPOとの最後の演奏であった、と記されているが、その演奏をあえて言葉で表現する気にはならない。

尾崎さんも仰るとおり、サイモン・ラトルはこの数年、「未来」を強く意識した活動を通常のシーズン以外にも力を入れているようであり、おそらく彼なりの
思想があるのだと個人的に注目している。その思想にBPOが感応してまさに尾崎さんが仰るところの「場」から「共創」へと変容している。後期アバド時代の重厚で真摯でそれでいてヒューマンなBPOも素晴らしかったが、ラトルは21世紀の幕開けと共に新しい生命力を吹き込んだようで、今後も楽しみだ。31日のジルヴェスターコンサートは日本でもライブで放送されるようだから、ご興味がある方は是非ご覧ください。
末文ではあるが今年後半、尾崎さんによる本スレッドでは、たいへん多くのことを学ばせていただいており、この場を借りて心より感謝申し上げたい。
皆様どうぞ良い年をお迎えください。

84尾崎清之輔:2007/12/31(月) 10:37:08
田中さん仰せの通り、ベルリン郊外にある森に囲まれたヴァルトビューネ野外音楽堂でのこのコンサートは、通常の劇場でのコンサートと異なり、皆々、思い思いのカジュアルなファッションに身を包み、サンドウィッチやワインなどの入ったバスケットを持参して、観客と演奏者が一体となり、文字通りのピクニックコンサートと呼ぶに相応しい雰囲気を醸し出しております。

私は、そのあたりにも、欧州における「精神における背骨」としての思想や理念を感じさせ、延いては精神の気高さ、つまり『精神の貴族性(アリストクラシー)』に繋がるものがあると思っております。

さて、今年を締め括る言葉として、このスレッドを立ち上げてから僅か2ヶ月にも満たない短期間で、我ながら良くぞここまで書き続けることができたという思いがございますが(実は今だから申し上げられますが、スレッド立ち上げ直前の頃には数日で挫折しそうであるという私信を送ったこともございました)、これからが始まりであり、今年の感謝の言葉は直接的に、または掲示板を通して、様々な箇所に散りばめることでもお伝えさせて頂いておりますが、来年の目標に、暗黙知と複雑系(主に「共鳴場」「共鳴力」「共進化」)のシンフォニーを念頭に置くことで、普遍的価値を持つ藤原博士のMTKダイアグラムの知識集約型における現在と近未来の在り方を考えつつ、人間にしかできない領域であるインタンジブルな次元への展開(表現や価値創りなど)を行っていくことができるよう励みたいと思いますので、今後もより一層のご指導とご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

本年はどうも有難うございました!
今年も残すところ僅かとなりましたが、皆様どうぞ良いお年をお迎え下さい。

85佐藤:2007/12/31(月) 15:48:03
尾崎さんと田中さんの仰っておられる、ピクニックコンサートですが、ここロスアンジェルスのハリウッドにもあります。多分ドイツの真似をしたのでしょう。ハリウッドボールと言って、約1万人収容のハリウッドのど真ん中の山と山の間にあり、各自思い思いのワインと食事を持ち込んで演奏を聞いております。夏の間、毎日演奏が行われます。クラシック音楽に縁遠いと思われる当地ですが、皆楽しんでいます。

86尾崎清之輔:2008/01/01(火) 22:41:30
新年、あけましておめでとうございます。
本年もどうぞ宜しくお願い申し上げます。
また、皆様におかれましては、良い子年を過ごされますよう、心よりお祈り申し上げます。

本日は先程まで『ウィーン・フィル ニューイヤー・コンサート2008』を視聴しており、今もその余韻に浸っているところです。
毎年、話題となる指揮者の選出と演奏作品、そして視ていて楽しくなる演出ですが、今年はフランス・クラシック音楽界の大御所で、ニューイヤー初登場かつ史上最高齢(83歳)のジョルジュ・プレートルがタクトを振り、演奏された曲も例年とは趣向が異なり、非常にユニークなものになったと感じました。

その演奏は、『ナポレオン行進曲 作品156』からはじまり、『パリのワルツ』や『ベルサイユ・ギャロップ 作品107』といった、これまでのニューイヤー・コンサートでは演奏されなかったと思われるフランス関連の曲や、『ルクセンブルク・ポルカ』、『ロシア行進曲 作品426』、『中国風ギャロップ』、『インドの舞姫 作品351』などといった多国籍に渡った選曲であり、シュトラウス一家のレパートリーの多さにも驚かされました。
ちなみに『インドの舞姫』については、ひょっとしたら昨年のニューイヤーの指揮者を務めたズービン・メータへの御礼のメッセージが込められていたのかもしれません。
(ルーマニアとブルガリアがEUへ加盟したことに対する歓迎の挨拶)

また、2008年のサッカー欧州選手権の開催地がウィーンということに因んで、『スポーツ・ポルカ 作品170』が演奏され、ラストは例年と同じく、指揮者からの挨拶とウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のメンバー全員による『あけましておめでとうございます!』の後、オーストリアの第二の国歌と呼ばれる『美しく青きドナウ』と、もう一つのアンコール曲である『ラデッキー行進曲 作品228』で締め括られます。

ところで、この番組ではウィーン市内のメインスリートであるケルントナー通りが紹介されており、番組内でも話が出ておりましたが、このケルントナー通りには余計な電飾や看板などが一切無いところに、以前No.3で紹介させて頂きました中村勝巳先生の『経済的合理性を超えて』(みすず書房)に書かれていた『芸術や美的な要求、また市民自治の伝統への誇りといったことが、欧州社会の根底に存在していることの重要性』の意味するところを思い知らされました。

尚、余談ですが、かつて観客と演奏者たちを大いに楽しませた「踊る指揮者」こと「カルロス・クライバー」指揮による1989年と1992年のニューイヤーのDVDがあることを思い出しましたので、亡きクライバーを偲ぶ意味で久しぶりに聴いてみようと思います。

87尾崎清之輔:2008/01/01(火) 22:47:42
佐藤さん。No.85では、ハリウッドボールの情報をご紹介いただき、有難うございました。
仰っておられた内容から、とても楽しそうな光景であることが想像されます。
日本もいずれこのような光景が見られるようになる日をつくり上げていけるだけの本当の意味での「余裕」が必要ですね。

88尾崎清之輔:2008/01/03(木) 01:31:51
新年に入って2日過ぎましたが、皆様におきましては、いかがお過ごしのことでしょうか。

さて、新年と言えば、「初夢」を見られた方々も多いと存じますが、初夢は一般的には、1月1日〜2日または1月2日〜3日にかけての夜に見る夢のことを示しているそうです。
ちなみにこの初夢に関して、Wikipediaその他を幾つか拝読させて頂いたところ、室町時代から良い夢を見る秘訣が存在していたようで、それは七福神の乗った宝船の絵に、

◆永き世の遠(とお)の眠(ねぶ)りの皆目覚め 波乗り船の音の良きかな

という回文を書いたものを枕下に入れて眠ると良いとされているとのことでした。
この辺り、以前どこかのスレッドで賑わった回文の話題にも絡めて考えてみたいですね。
尚、これで悪い夢を見た場合は、翌朝、宝船の絵を川に流して縁起直しをしたそうです。

また、初夢で縁起が良いとされるものは、「一富士、二鷹、三茄子」と呼ばれ、その起源は定かではないですが、江戸時代には一般化されていたようです。それ以降の良い夢の順番につきましては諸説ございますので、ここでは割愛させて頂きます。
未だ初夢を見られていない方々、または昨夜の夢が余り宜しくなかった方々は、ものの試しに先の回文を枕元に置いてみたらいかがでしょうか。

ところで話題はがらりと変わり、またまた音楽の話題になって恐縮ですが、田中さんがNo.81において、フルトヴェングラーの戦前ライブを歴史の真の姿に対峙できる一級の資料であるというコメントを頂いたことから、(私自身は既にDVDを所有しておりますが)戦時中のフルトヴェングラーとカラヤンが、それぞれ同じ『ニュルンベルクのマイスタージンガー』の前奏曲をライブ演奏した映像が残っており、やはりYouTubeに掲載されておりましたので、ご参考までにご紹介させて頂きます。
あの時代のお互いの演奏=音楽への取り組み方の違いも必見ですが、特にカラヤンの戦前ライブ作品(映像自体はニュース扱い)については、彼が帝王になる過程で、あの時代の映像に関しては、政治力を駆使して相当数を闇に葬ったという噂を聞いたことがございましたので、非常に希少価値と思います。

・Furtwangler conducts Die Meistersinger in 1942
http://www.youtube.com/watch?v=3rM96_RS1Os

・Karajan in Paris in war time
http://www.youtube.com/watch?v=iMwVaDDpIAE

89田中治:2008/01/03(木) 08:52:24
2008年あけましておめでとうございます。今年も皆様にとって良い1年でありますようこの場をお借りして
お祈り申し上げます。

昨晩は一日遅れでウィーンフィルの新年演奏会を聴き、その曲目の多彩さ・洒脱さからも多民族国家ハプスブルグ家の薫り高い文化の名残をテレビを通してではあるが堪能したところである。藤原博士の「オリンピアン幻想」の中でも、若き藤原博士がグルノーブルからウィーンまで雪道の中を車で向かい、ウィーンフィルの新年演奏会を堪能したくだりがあったことも思い出し、また昨年本スレッドでも触れさせていただいたハプスブルグ家の歴史とヨーロッパにおけるウィーンの位置(地理的・精神的)をも、つい思い出しながら演奏を楽しんだ。

さて、尾崎さんがまた興味深い映像をリンクしてくださり、早速鑑賞させていただいた。ほぼ同じ頃の演奏であるにもかかわらず、両者の演奏の響きがここまで違うとは・・・当時の録音技術事情を差っ引いても、その違いはこうして鑑賞すると明らかだ。「丸山真男 音楽の対話」にもいくつかのエピソードと共に記述があるように、フルトヴェングラーの演奏に聞き入る一般聴衆の背格好・眼差しなどから当時のドイツあるいはベルリンの人々にとっていかに彼の演奏が精神的な支えであったかが伝わってくる。フルトヴェングラーの演奏はたとえワーグナーであっても、響きの美しさはさることながら、その演奏の中に良心や慈悲・節度を感じる。ところであくまで私個人の趣味で恐縮だが、私は昔からカラヤンという指揮者を好きになれない。彼の指揮姿、そして彼の音楽には、傲慢さと強烈な自己顕示性を感じて辟易してしまう。以前、日本におけるその道の大家にそのことをつい口走ったら、激しく罵倒されてしまった。その方曰く、カラヤンがわからない奴は音楽がわからないのだという。その後、ひょんなことからカラヤン時代にBPOのコンサートマイスターを務めた方にお話を伺う機会があったのだが、カラヤンの人間性について私が彼の音楽からなんとなく感じていたことを裏付けるようなエピソードを聞き、おかしな言い方だが納得してしまった経験がある。尾崎さんがリンクしてくださったこの1940年のマイスタージンガーの演奏とその指揮姿からは戦後よりも激しい自己顕示性を感じるし、この映像の中にハーケンクロイツが一緒に映っていなかったのが、せめてもの救いだと思った。
東京は元旦から素晴らしい晴天に恵まれているが、太陽の光の中で、しばし明晰さを取り戻し今年の抱負をもう一度意識しなおして正月三が日の最終日を過ごそうと思っている。

91鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:00:56
ベートーヴェンの略年譜(Career of Ludwig van Beethoven):1770〜1827

1770年:12月16日(17日説も有る)ドイツのボンに生まれ17日に受洗。
     イギリス産業革命。
1775年:( 4歳)アメリカ独立戦争。
1778年:( 7歳)3月26日最初のピアノ独奏会をケルンで開催。
     パヴァリア継承戦争開始。
1781年:(10歳)小学校を退学しネーフェに入門、和声と作曲の勉強を始める。
     83年には最初の『ピアノ・ソナタ 作品161』を作曲。
1784年:(13歳)ネーフェのボン宮廷管弦楽団の次席オルガニストに就任。
1785年:(14歳)ブロイニング家のピアノ教師となる。
1786年:(15歳)2月、シラーが詩『歓喜に寄す』を発表。
1787年:(16歳)4月、ウィーンのモーツァルトを訪ねる。
1789年:(18歳)ボン大学聴講生になる。
     フランス革命勃発、アメリカ初代大統領にワシントンが就任。
1790年:(19歳)12月、ボンでハイドンに初会見。
1791年:(20歳)12月5日、モーツァルト死去。
1792年:(21歳)11月10日ウィーンに移り、ハイドンに師事。
     フランス、王政廃止。
1793年:(22歳)フランス国王ルイ16世と王妃マリー・アントワネット処刑。
1794年:(23歳)『ピアノ三重奏曲 作品1』を作曲。
1795年:(24歳)『歌曲「相愛」』を作曲。
     アルト歌手M.ヴィルマンに求婚し断られる。ナポレオン登場。
1798年:(27歳)ハイドン、『オラトリオ「天地創造」』を作曲・初演。
     『歓喜に寄す』のスケッチを試作。
1799年:(28歳)『ピアノ・ソナタ「悲愴」』を作曲。ナポレオン第一統領就任。
1800年:(29歳)『交響曲第1番』を作曲。
1801年:(30歳)『ピアノ・ソナタ「月光」』を作曲。神聖ローマ帝国崩壊。
1802年:(31歳)耳疾の不治を悟る。夏ハイリゲンシュタットに転地。
     10月6日、失意の内に「ハイリゲンシュタットの遺書」を書く。
1804年:(33歳)『ピアノ・ソナタ「ヴァルトシュタイン」』、
     『交響曲第3番「英雄」』をナポレオンに献呈する積もりで作曲。
     4月ナポレオン帝位に就いたため、献呈を取り消す。
1805年:(34歳)歌劇『フィデリオ』(初題は「レオノーレ」)の第1作、
     『ピアノ・ソナタ「熱情」』を作曲。
1806年:(35歳)ブルンスヴィック家のテレーゼと婚約。
     『弦楽四重奏曲「ラズモフスキー」』、
     『ヴァイオリン協奏曲 作品61』を作曲。
     ナポレオン大陸封鎖令、神聖ローマ帝国滅亡。
1808年:(37歳)『交響曲第5番「運命」』『交響曲第6番「田園」』、
     『合唱幻想曲』を作曲。
1809年:(38歳)5月31日、ハイドン死去。
         『ピアノ協奏曲第5番「皇帝」』を作曲。
1810年:(39歳)テレーゼとの婚約解消。『ピアノ・ソナタ「告別」』を作曲。
1811年:(40歳)『ピアノ三重奏曲「大公」』を作曲。
1812年:(41歳)『交響曲第7番』『交響曲第8番』を作曲。
1814年:(43歳)4月ナポレオン退位、エルベ島に配流。
1818年:(47歳)『ピアノ・ソナタ「ハンマークラヴィーア」』を作曲。
1821年:(50歳)ナポレオン、セントヘレナ島で死す。
1823年:(52歳)『ミサ・ソレムニス』を作曲。
1824年:(53歳)『交響曲第9番「合唱付き」』を作曲。
1826年:(55歳)生涯最後の作『弦楽四重奏曲 作品135』を作曲。
1827年:(56歳)3月26日雷雨の中で死去。
         3月28日頭骨を切り解剖し
          彫刻家ダンハウザーが死面(デスマスク)を採る。

92鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:23:24
日本において『第九』が陳腐な年末行事と化してわけのわからぬ有象無象の大衆が下手な聴いておれん発音でストレス発散のために
うたいまくりそれで儲けた音楽家がその金で家を建て かくして 第九で大工が 儲かる 仕組みが 日本において 確立されたのであった。
というのは 笑い話として、既に知られたことではあるかもしれぬが、『第九』の裏には上記の年表からも察せられるが実に奥深い世界が横たわって
いるのであって、それを少し紐解いてみよう。
まずこの詩の作詞家シラーであるが、当然彼と『クンドコ団』及び『クンドコ思想』(ここでは便宜的にこう呼ぶ。皆さんは勝手に好きな名称を当てはめて
読まれたし)に触れずして、この詩の本当の内容を理解することはできない。

93鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:36:15
1784年にシラーは、貴族と町人(音楽家!(笑))の娘の間の恋愛をテーマにした劇『Kabale und Liebe』(邦題:たくらみと恋)を発表、フランクフルト・アム・マインにて4月に初演され、大成功を収めた。その頃ザクセン王国のライプツィッヒに、この作品に痛く感化され、心の底から共鳴し、シラーを尊敬崇拝敬愛して止まない若いカップル達が居た。男は貴族、女な銅版画家の娘姉妹達で、自らの結婚を親に反対され、絶望の淵に沈んでいたのであった。

94鈴木次郎:2008/01/03(木) 17:54:14
富裕な男の名前は、Christian Gottfried Körner(最も近い発音:キュウオナー)。彼らは、人間シラーの思想やその作品に対する絶大なる信頼と賛同を手紙に記し、シラーにエールを送り続けたが、結果として、1785年にシラーは(金に困っていた、という事情もあり)、彼らの招請に応じる形で、男の所有するドレスデン近郊の館に身を寄せるのである。シラーとキュウオナーは信頼関係を築き、数々の手紙のやりとりがあるが、その中であるときシラーは、知り合いのボーデ(Johann Joachim Christoph Bode)(軍楽隊のオーボエ奏者、音楽家、翻訳家、クロップシュトック、レッシング(『賢者ナタン)』等の著作の出版者)から、クンドコ団への加盟を薦められた(誘われた)ことを伝え、どうすべきか相談するのである(やっぱり出てきたか)。

95尾崎清之輔:2008/01/03(木) 18:02:00
鈴木さんがNo.92で重要なご指摘をされたように、シラーが最初に第九の『歓喜の歌』の元になった詩を書いたのは1785年(1786年?)ですが、この時の題名は『Hymmne a la liberte(自由賛歌)』であり、1803年になって、一度シラーによって『An die Freude(歓喜に寄せて)』書き直され、後にベートーヴェンが第九の第四楽章の合唱向けに冒頭部分の追加修正を行っております。
この間の歴史の変遷につきましては、先に鈴木さんからご提示頂いた年表と当時の欧州、特にフランスやドイツ辺りの歴史と対比してみれば何が起こっていたか気が付くことと思います。もちろん、彼が何に影響を受け、どのような影響を与えてきたかについても。。
特に鈴木さんから既に続けてコメントが投稿されておりますように、Christian Gottfried Körner(日本語では「ケルナー」と呼ばれることが多いようですね)は要着目です。

96鈴木次郎:2008/01/03(木) 18:04:28
自身正当且つ真面目なクンドコ団員であったキュウオナーはしかし聡明な男で、シラーに対し、ボーデが入会を勧めてきたのは実はクンドコ団の亜流であり、インゴルシュタット大学で唯一の非ジェスイット系教授で、学内のジェスイットとちゃんちゃんばらばら戦っていたアダム・ワイスハウプトが興した『キンドコ会』(そのシンボルはミネルヴァの梟)であることを伝え、やめるよう、諭したのであった。

97尾崎清之輔:2008/01/03(木) 18:31:16
久しぶりの話題のため、すっかり記憶から遠のいておりましたが、このあたりを整理していく上では、概説書になりますが、『間脳幻想』(東明社)の中でも触れられていた、セルジュ・ユタンの『錬金術』(白水社)並びに同じ著者による『秘密結社』(白水社)の再読の必要性を感じました。

98鈴木次郎:2008/01/03(木) 19:04:36
おっとっと。ちょっと暴走してしまったようです。#96の中でキンドコ会が戦っていた相手のことは今後便宜的に『ラヨローズ』と呼ぶことにします。
ちなみに、近年にないくらい(瞬間的に?)このスレッドが活性化したために既に大分前になってしまいましたが、私としてはいずれスレッド#27,28,29,31,33,34などにこの話をつなげて行きたいと思っておりますので、お付き合い頂ける皆様はぜひここでこれらのスレッド及びその前後のスレッドを読み返して頂ければと思います。

99鈴木次郎:2008/01/03(木) 19:39:34
さて、#96に続けます。
キュウオナーの時代、啓蒙思想の浸透とあいまって、というか、啓蒙思想の担い手として、クンドコ思想と、クンドコ会は隆盛を極め始め、市井の多くの人間がクンドコ会に入会し始め、会は次第に大きくなっていった。ザクセンにおいては、当時の貴族がそれぞれのクンドコ会の長を務め、その興隆と発展・振興、会員同士の交流に心血を注いだことも、勿論、同会の発展と無縁ではなかった。クンドコ会は、その会の性格上、その思想や教えを独特の形で会員に伝えていたが、そのひとつのやり方が、そのイデアを詩にして、それに曲を付け、会員がディナーの席上で歌う、ということがあった。まじめなクンドコ会員であったキュウオナーは、シラーに対し、キュウオナーが属していたクンドコ会ドレスデン支部の会員を念頭に置いた、集会の時に利用できる曲のための詩、の作詞を依頼したのである。不遇の身を囲っていた自分をドレスデンに招き寄せ、憂いの無い生活を通じて思い存分創作活動に邁進させてもらっていたことに恩義を感じていたシラーは、友の依頼を二つ返事で引き受け、友と色々対話し語り合いながら1785年に最初の詩が出来上がったのである。

100鈴木次郎:2008/01/03(木) 19:57:24
ではここに、1785年バージョンの先ずは導入部分を、オリジナルのドイツ語と、わかりやすいように英語の対訳を付けて紹介してみよう。ここで是非ともご注目頂きたいのは、⑦の部分である。これは、現在日本で歌われているものには、勿論、ない。

1 Freude, schoener Goetterfunken,
1 Joy, beautiful spark of Gods,

2 Tochter aus Elysium,
2 Daughter of Elysium,

3 Wir betreten feuertrunken,
3 We enter, fire-imbibed,

4 Himmlische, dein Heiligtum.
4 Heavenly, thy sanctuary.

5 Deine Zauber binden wieder
5 Thy magic powers re-unite

6 Was der Mode Schwert geteilt
6 What custom's sword has divided

7 Bettler werden Fuerstenbrueder
7 Beggars become Princes' brothers

8 Wo dein sanfter Fluegel weilt.
8 Where thy gentle wing abides.

101鈴木次郎:2008/01/03(木) 20:16:17
このスレッドの#75において 尾崎さんが、現在歌われているベートーベンの歓喜の歌の日本語訳歌詞を、番号をあわせて書いてみる。そうすると、より一層、オリジナルとの違いが鮮明になると思うので。

①歓喜よ、美しい神々の輝きよ、

②天上の楽園からの乙女よ、

③我らは情熱にあふれて

④天国の、汝の神殿に足を踏み入れる。

⑤⑥汝の不思議な力は、時流が
厳しく引き離したものを再び結び合わせる。

⑦すべての人々は兄弟となる、

⑧汝のやわらかな翼がとどまるところにて。

しかし大変申し訳ないが、どうして日本語になると、こう、意味不明 に なってしまうのかな。仕方ないけど。

102鈴木次郎:2008/01/03(木) 20:26:37
さらに、オリジナルにはあって、現在の歓喜の歌には ない 部分ですが、

97 Rettung von Tyrannenketten,
97 Delivery from tyrants' chains,

98 Grossmut auch dem Boesewicht,
98 Generosity also towards the villain,

99 Hoffnung auf den Sterbebetten,
99 Hope on the deathbeds,

100 Gnade auf dem Hochgericht!
100 Mercy from the final judge!

101 Auch die Toten sollen leben!
101 Also the dead shall live!

102 Brueder, trinkt und stimmet ein,
102 Brothers, drink and chime in,

103 Allen Suendern soll vergeben,
103 All sinners shall be forgiven,

104 Und die Hoelle nicht mehr sein.
104 And hell shall be no more.

でこのあと あと 4行 詩が 続き、おわり、です。これを受け取ったキュウオナーは喜んだの何の。クンドコの長老も兄弟達も拍手喝采あめあられ。残念ながら今日まで伝わっていないが、キュウオナー以下数人のクンドコ達が、早速自前で曲を付けるほど。

103尾崎清之輔:2008/01/03(木) 21:25:27
鈴木さんからの投稿を受けて、Wikisourceを確認し、シラー版の『An die Freude (Schiller)』とベートーヴェン版の『An die Freude (Beethoven)』、そして過日ご参考までに貼り付けた『交響曲第9番』のURLに記載されている歌詞(原文と対訳)、更に同じく手元にある書籍からの原文と対訳を一通り比べさせて頂きましたが、そもそもベートーヴェン版『An die Freude (Beethoven)』はオリジナルのシラー版『An die Freude (Schiller)』から、想像していた以上に存在していない詩が多いですね。
英訳して頂いたおかげで助かりましたが、No.100とNo.101における7行目のご指摘については、その前の6行目と7行目自体がベートーヴェン版とシラー版では異なっており、ベートーヴェン版では、

Was die Mode streng geteilt;
Alle Menschen werden Brüder,
(時流が強く切り離したものを
すべての人々は兄弟となる)

ですが、シラー版(シラーの原詩)では、

Was der Mode Schwert geteilt;
Bettler werden Fürstenbrüder,
(時流の刀が切り離したものを
貧しき者らは王侯の兄弟となる)

となっており、これだけでも一目瞭然ですが、No.102でご指摘のシラー版にしか存在しない部分については、思わず「成程!」と唸ってしまいました。
(それは確かに早速自前で曲を付けたくなるでしょうね)

104鈴木次郎:2008/01/03(木) 22:15:40
尾崎さん、早い(!)ですね。ありがとうございます。#100の中の⑥ですが、私の貧困な想像ですが、ここで言う Schwert / Swordの言葉の使われ方ですが、悲惨な戦争を戦うのも刀であり、ある人を平民から貴族に列する際にも、英国女王の叙勲の例に漏れず、刀を肩に振り下ろすことでナイトの称号を与えますよね。また#102ですが、これは、キリスト教の教義に異を唱えている、という見方ができるのではないか、と思っています。97のtyrantとは、ストレートに訳すと 暴君、とでもなりましょうが、人間の精神を教義を通じてがんじがらめに縛る 暴君的思想、教義、教化、とも捉えることができそうです。そして、勝手な意訳を更に許して頂くならば、99と100なんかは個人的には笑ってしまいます。例えば思い出すのは、フランスが誇る大宰相・外交官タレイランは、オータンの大司教でもあったのですが、実はとんでも無いことに(詳細は忘れました)聖職者として必要であったある種の手続きを踏んでおらず、その死の床にあって、告解をし、署名をするかどうかが、キリスト教徒として生を全うし、天国に行けるか否かを決める、少なくとも残された、生き残った関係者にとっては大変重大な問題でした。ダフ・クーパーの伝記は、このタレイラン(らしい?)最後の騒動の詳細をレポートしていますが、99と100は、そんなキリスト教の滑稽な様子をちゃかしているようにも思えます。そして極めつけは、すべての罪人に恩赦を与え(103)、しかも、実は地獄なんてないのさ!(104)と宣言するあたりです。

105鈴木次郎:2008/01/03(木) 22:21:02
ということで、もともと『歓喜の歌』の詩は、本来は『クンドコの歌』『クンドコ節』とでも言えるものであったわけで、それをベートーベンが自らの曲の為に一部を抽出し、使った結果、オリジナルとはある意味全く違うものが出来上がったわけです。でも、尾崎さんも指摘頂いた異なる箇所については、シラー自身が、確か1803年頃だったと思いますが、手を入れて、変更しています。

106尾崎清之輔:2008/01/04(金) 00:37:34
No.104に関連して、折角なので拙宅の書棚を漁って、ダフ・クーパーの伝記『タレイラン』を探し、後半部分をさっと斜め読みさせて頂きましたが、どの部分が『聖職者として必要であったある種の手続きを踏んでおらず、その死の床にあって、告解をし、署名をするかどうかが、キリスト教徒として生を全うし、天国に行けるか否かを決める、少なくとも残された、生き残った関係者にとっては大変重大な問題』になるかまでは、正確には今一つ分かりませんでしたが、そもそもローマ法王と仲違いした(教皇ピウス六世から、それまでの反カトリック教会的行為を咎められて破門された)ことや、ダフ・クーパーの伝記にも記載されていた、三つの重大な過失である、『僧侶の市民憲法を承認したこと』、『勝手に司祭を叙任したこと』、『彼自身の結婚の問題』、ではないかと推測しました。これらがローマ教会側からの罪状列挙と捉えられていたようで、これらの打開のために、神父デュパンルーがその役所に立ったようですが、いずれにしても、大司教自らが、一種の声明文並びに法王へ宛てた書簡の両方に、あらかじめ懺悔者(この場合はタレイラン)が宗教上の慰めを得るに先立ち、自身の手で書名されない限り、先述の通り、キリスト教徒としての生を全うし、天国に行けるか否かを決める、少なくとも残された、生き残った関係者にとって大変重大な問題になったようです。
尚、余談ですが、同著では彼が胸に十字架をかけない司祭としても有名だったようですね。

107藤原肇:2008/01/04(金) 10:20:00
ローマ教会に対しての生涯をとうしたタレイランの反抗精神に対して、「のごころ」を真情にして生きた私は若い頃から関心を持ち、彼が死ぬ間際に果たして教会と和解したり妥協したかは重大な関心事だった。だから、彼が死の直前の五月十七日にサインした二通の手紙の内容について、留学生時代に図書館で調べたことがあった。
「前言撤回書」はクーパーが書いているように、「若い頃のことが教会を悲しませたことを残念に思う」という文面だけであり、彼が教会に対して犯罪を犯したとは触れていないのでサインしたので、タレイランは自己の立場を押し通したのでサインした。それもクーパーが書いたように完全な署名でサインした。
二通目の法王にあてた手紙は「青春時代に不向きな職業に就いた」とは書いてあるが、それが間違っていたとは言っておらず、そこに彼の抵抗と自己主張があったと私は思うが、彼はローマに対して謝罪はしていないと思う。ローマ法王よりもボルテールに敬愛の念を持って旧体制に反発した彼は、死ぬまで自分はフランスとヨーロッパのために人生を生きたと確信し、いかにも外交の達人として受け入れられた文書だったので、自分の死を見守る人たちを安心させるために、くつろいだ気分で署名したのたと思う。
だから、ダフ・クーパーの伝記にも記載されていた、三つの重大な過失である、『僧侶の市民憲法を承認したこと』、『勝手に司祭を叙任したこと』、『彼自身の結婚の問題』はローマ側の問題点ではあったが、それに関しては触れることなくタレイランは満足げに署名して死んだのだと考える。
幕末のときの唯一の体制側の自決者は川路聖謨だというが、タレイランがもし日本人なら署名した後で、果たして切腹したかどうかは興味深いテーマだが、国際政治を見る目は彼の方がナポレオンより優れていて、ナポレオンは島流しという刑に服したけれど、タレイランは国王ルイ・フィリップの見舞いまで受けてベッドの上で安眠したのである。

108田中治:2008/01/04(金) 17:42:13
死に際や死に方というのは案外その人物の生き方を表すものであるのかもしれないと常々思っているのだが、藤原博士の投稿でタレイランは国王の訪問を受けベッドの上で安眠したというくだりから、フランス革命からナポレオン時代にかけてタレイランと共に台頭したジョゼフ・フーシェの葬式の話を思い出した。フーシェはトリエステで死に、葬式の日には当地特有の強風が吹き荒れ、棺を乗せた馬車の馬達がこの強風に驚いて前脚を上げてのけぞったため、バランスを崩して棺は地面に投げ出されて遺体は地面に転がり出たという。悪天候の中、彼の遺体は地面の上で泥まみれになり、馬達に蹴散らされたというが、このスレッドでしばしば話題にあがる「精神の気高さ」「精神の貴族性」といったことをここでもまた両者の生き方から学ぶのであり、作家シュテファン・ツヴァイクが世紀末のウィーンで伝記「ジョゼフ・フーシェ」を書いた意味があらたに浮かび上がる。

109田中治:2008/01/04(金) 17:58:09
訂正:シュテファン・ツヴァイクが「ジョゼフ・フーシェ」を公表したのは1929年であった。フーシェの死後から約100年後、時は世紀末どころか世界大恐慌の年であり、第2次世界大戦へと向かっていく時代のさなかであった。

110鈴木次郎:2008/01/04(金) 18:14:48
皆様、そして藤原先生まで

あやふやでいい加減な私の記述を補足いただきましてありがとうございます。
しかし、このリズム、反応こそが、“活きている”スレッドの醍醐味、でしょうか。

111鈴木次郎:2008/01/04(金) 18:23:36
1800年に、シラーがケルナー(この書き方だと、個人的にはKellner=レストランの給仕を思い浮かべてしまうのですが、日本的慣例に従いましょうか)に宛てて書いた手紙において、『貴殿の(あの詩に対する)思い入れと賞賛、高く評価してくれていることはわかるが、あれはあくまであの頃の、(限定的な)時代状況、背景において、限定的に価値のあるものであって、それ以上でも以下でもない、と思います・・・』というようなことを言っています(意訳ですみません)。当時、少なからぬキンドコ関係者もシラーに接近し、シラーもそれと知って付き合っていたようですが、彼は、クンドコ対キンドコの“内輪もめ”に類する抗争や軋轢、緊張を熟知しており、それらを知っていたが故に、自分自身は、交流は続けたものの、仲間に加わらなかった(理由の)ようです。これは全くの想像で、もしかすると文献があったり、既に発表されているのかもしれませんが、シラーは、自ら数箇所に訂正を入れることで、クンドコ・ソングにより広い意味を持たせたのかもしれません。全くの推測です。

112鈴木次郎:2008/01/04(金) 18:42:16
クンドコに関するambivalentなスタンス、という意味で興味深いのは、大物のクンドコ、そして、最終的にはクンドコを超えてしまったフォン・ゲーテがいます。彼は、ある時期までは個人としてクンドコの人間形成のシステムや世界観に深い共感を覚えていたようですが、政治家としては、実に微妙な立場にあり、必ずしもクンドコに賛成・支援していたわけではないようです。1934年、だったでしょうか、政権を掌握したナチスは、クンドコ禁止令を出し、結果としてドイツのクンドコは表向き解散を余儀なくされ、クンドコ達は地下に潜行しました。これには、クンドコが“国際フンバラ資本と結びついており、その一機関としてドイツの転覆を企図している”といった悪質なデマ、誹謗中傷が流され、しかし多くの大衆がそれを信じた、ということがあります。ちょっと前のスレッドにおいて、クンドコの厳格(先鋭化した)版であるキンドコについて言及しましたが、18世紀〜19世紀、大学、学生がクンドコに興味を持ち、現にキンドコはせっせと優秀な学生の勧誘に励んだようです。しかし、日本の安保闘争や、ベトナム戦争に対する米国のカリフォルニアの学生による反戦運動でも明らかですが、学生が政治に結びつき、活発に活動することは、時の政府としては政情不安を警戒せざるを得ず、これがあってゲーテは、ドイツの大学都市におけるクンドコ設立に反対の意見書を提出しています。結果として、クンドコには学生はあまり加わらず、学生はその代わり、とでもいいますか、学生団など、クンドコのシステムを模した、様々な団体を学内に作るようになり、これらが18、19世紀のドイツにおいて大変盛んになります。

113尾崎清之輔:2008/01/05(土) 04:25:35
小生の知らないうちに盛り上がっていることに大変喜ばしく。
『Hope on the deathbeds』に触発されているわけではございませんが、愚生なりに今際の際のセリフがそれなりに分かりつつあります。しかるがゆえに、生きている間のその人物の生き方を表すものであるのかもしれない云々というものも愚生なりに認識しております。
いずれにしても、如何に「生」をまっとうすることができるのかにヒントがあるのかなと思っております。詳細は明日以降にて。

114田中治:2008/01/05(土) 14:02:50
ベートーヴェンの第9の話題から、シラーによる「歓喜の歌」の原詩Urtextの全文とその成立の背景について、鈴木さんに深く掘り下げた投稿を続けていただいた。これらの内容は、小生が本スレッドにて27・28また33・34・35番で触れさせていただいたあたりの歴史背景とも絡んでいくことと思い、それにしても保守反動勢力の牙城としてのオーストリアからバイエルンまでの地域(Region)で、鈴木さんが投稿で紹介されたバイエルン州の都市インゴルシュタットを中心に18世紀末に保守反動の急先鋒に対するもうひとつの急先鋒が理性という名の衣を身につけ登場してきた事実には、喩えそれが長い歴史の中では亜流の筋であるにしても、その影響は別の大陸においてactualであるように思えるし、またこの辺り一帯の地域(Region)からはこの事象以外にも特に近代以降ラディカルな事象や人が生み出されている点で、この地域の持っている特性についてはもっと深く掘り下げる必要性を感じている。なお本筋である啓蒙思想については、鈴木さんが別のスレッドを立ち上げられたようなのでそちらで議論を期待したいと思う。

何はともあれ、メッテルニッヒの旧体制下、ビーダーマイヤーBiedermeier様式とされる小市民的な市民社会の中で、ベートーヴェンはそれまでの西洋音楽の蓄積の産物である交響曲Symphonyに、人間の声による合唱(それはかつてマキシミリアン1世がフランドルからウィーンに持ち帰った多声音楽ポリフォニーPolyphonyを源とする)と、その集団としての人間の声をより特化させた4人のソリストたちの声とに、シラーによるテキストを与えて一体化したこの壮大な曲を当時の旧体制然とした雰囲気のウィーンで作曲したことの意味はあまりにも大きく迫ってくる。どう考えてもこの曲は西洋音楽におけるひとつの頂点であろう。

話は少し変わるが、小生は昨年より「丸山真男 音楽の対話」(中野雄著)に続いて、故小泉文夫氏による「対談集 音のなかの文化」を精読中であるが、音楽を軸としながらも世界の民族文化歴史全般に渡る幅広く奥深い内容からは多くを学ぶことができ、本スレッドでの活発な議論と共にあらためて「対談」「対話」の素晴らしさを身にしみて感じているところだ。

115尾崎清之輔:2008/01/06(日) 00:34:10
藤原博士から貴重なコメントバックを頂きましたので、ダフ・クーパーの伝記『タレイラン』(中公文庫)の後半部分を再読してみましたところ、ローマ教会側からの問題指摘に対して、私も確かにタレイランから謝罪を行ったことは無いという理解であり、そのことは『タレイラン』第十四章「最後の条約」にも幾つかの文章で示されていると思います。
自身の回顧録ならばともかく、伝記として残っているこの文章から読み取るに、正しく死の瞬間までタレイランはその威厳を保ちつつ、永眠の途へつかれたようですね。
おかげさまで、気高き人であり且つ信義と誠実を重んじたタレイランの人となりを改めて知った次第です。

さて、田中さんも仰せの通り、掲示板を通じて、久しぶりにこのような早さでの対話・対談ができたことは誠に喜ばしく、また、啓蒙思想については鈴木さんが別スレッドを立てて頂いたので、続きはそちらで行っていきたいと思いますが、他のスレッドでも「場」の整理に絡めて若干触れさせて頂きましたように、今年からはいろいろな意味で「実行」の年であることを認識しました。

116尾崎清之輔:2008/01/06(日) 01:11:29
先程までの投稿内容から一変して、若干「場創り」に関わるお話をさせて頂きます。
個々人それぞれが成長しつつ喜びと感謝に繋げていくために、これまでも何度かご紹介させて頂きました藤井尚治先生の『アナログという生き方』(竹村出版)から、印象に残っている文章を以下に引用します。

◆人間は恐れ、疑い、怒り、迷いを必ず持つ。持つから人間だとも言える。名人と呼ばれる人は訓練することでこの4つをいわば解脱していった。しかし、神になることは決してなかった。私たち凡人も生きていくうえでこうした訓練が必要になるだろう。それは人生の経験と言ってもいい。
ストレス学のハンス・セリエ流に言えば、何でもいいから、とにかく勝つことだ。そうすれば、自信ができる。自分に対する疑い=不信が一番いけない。

(中略)

小さくても成功感があれば、生きやすくなる。人生には成功体験が欠かせないのである。セリエはその成功体験に「敵も味方も傷つけないで」という条件を付けている。


そして、これこそが『愛他的利己主義の真髄である』と藤井先生は明確に述べております。

藤井先生が仰せのように、事の大きい小さいは関係なく、何かの成功感=成功体験の積み重ねが肝要であり、何かの資格であっても認定であっても免状であっても、とにかく何でも構いません。たとえ極めて単純なことであっても、生きているということの充足感を味わっていくために、何かをやりとげてみる、やりとげるために続けてみる、これでいいと思います。有り体な言い方しか思い付かず誠に恐縮ですが、お互い人生という日々を気持ち良く楽しく歩んでいきましょう。

117スワヒリオーズ:2008/01/06(日) 01:22:19
先日リラックスして英語検定試験を受けたら満点でした。くだらないとお思いかもしれませんが、実に気持ちが良かったのです。この結果を使ってどうのこうの、と、18歳の学生でもあるまいし、そういうことはいまさらないのですが、でも、なんだか、うれしいのです。くだらない、矮小な話でごめんなさい。

118鈴木次郎:2008/01/06(日) 01:30:03
在りし日の藤井先生が出席された最後の脱藩クラブの会だったでしょうか。そこで先生は、『これから注目すべきは、○○と、イチローですね。』と おっしゃったことを、思い出しました。イチローも、メジャーリーグのバッターボックスに立って、実に颯爽と、飄々と、ヒットやホームランをたたき出しますが、あの裏の苦労、苦悩。小さな勝利を積み重ねながら、やっているんだろうなぁ、と思うのです。彼は、毎日毎日、一瞬一瞬を勝負している。してきた。私には、そのように思えますが、いかがでしょうか。

119田中治:2008/01/06(日) 01:43:31
素晴らしいですね。まさに同意を得たりです。周囲の人間や環境に不平不満をぶつけず、恐れ、疑い、怒り、迷いを持っても屈せず自己努力を続けることなしに心の平安はないし新しい次元の展開もないのだと経験からもまた信念からもまったく同感である。高みに登り少しずつ世の中が俯瞰できてきたとしても自分は人間であることを謙虚に受け止め人間として人生を全うすることが大事であると考える。また自己努力を続けながらその時々に「足るを知る」ことも忘れず人生のプロセスを気持ちよく楽しんで歩みたいと年頭にも心に誓ったばかりだ。まさに「場作り」への基礎ですね。

120尾崎清之輔:2008/01/06(日) 22:31:06
No.116にて申し上げた私の投稿に対し、皆様からの反応の早さに驚くとともに、大変嬉しく思いました。
引き続き、『アナログという生き方』から、以下ご紹介させて頂きます。

◆人生はしょせんわからないものだが、頭の中でシミュレーションをして軌道修正できれば、大負けすることはなく、勝てるチャンスが増えてくる。
「空を飛ぶ弾丸は見えないが、弾痕によって逆算できる」(英国の物理学者、アーネスト・ラザフォード)
「木の葉がそよぐことによって、風の存在を察知できる」(英国の詩人、ジョン・ダン)
人生で起こること、すべてを知ることはできないが、想像力でそれを補うことができる。ここにストレスの意義がある。ストレスは目に見えないし、手に触れることもできない。しかしながら、暑さ、寒さ、怒り、喜びといった心身のできごとが起こるたびに、何かが動く。それがストレスである。私たちはストレスによって、人生のできごとを逆算し、察知することもできる。それが人生の学習であり、訓練である。


内容とか大きいとか小さいとかは全く問わず、とにかく何かひとつ新たな目標を立てて、それに向かって邁進し、続けてみる、もちろん納得するまでやってみる。そして自らの行動の中でルーティン化していくことが肝要であると思っております。

この件に関連してイチローの話が出ておりますが、イチローがバッターボックスに入った際に必ず行う行為(アドレス)があります。これはイチローに限らず、所謂一流のスポーツ選手には決まったアドレスが存在しており、これが先に述べたルーティン化の一環であると考えます。

また、鈴木さんが仰せのように、人生は日々一瞬一瞬が真剣勝負そのものであり、それはいみじくも清水博さんの『生命知としての場の論理』(中公新書)で触れられていた、尾張柳生新陰流の「剣の真髄」ということになると思います。
なぜ、尾張柳生新陰流が「殺人剣」ではなく、「活人剣」なのか。それは相手を自由に動かして(≒働かせて)、その動き(≒働き)にしたがって「勝つ剣」、ということになりますが、それは自分と相手(これは複数の場合も当然有り得る)との関係性、つまり自分と相手との間に生ずる「場」というものを瞬間的に見極め、相手を斬るのではなく、自分の人中路(自分の中心線)を截り徹す、その結果、相手が斬られている、ということになりますが、この奥義書を読破された方々でしたらこの辺りはあえて申し上げるまでもございませんね。

121尾崎清之輔:2008/01/07(月) 01:03:33
先の投稿に、ちょっとだけ補足させて頂きます。
人生は長いようで短い、でも短いようでも長い。だから、天を仰ぎ見ながらも、焦らずに、慌てずに、一歩ずつ、地に足を付けながら歩んでゆけばよく、そして、畏まることなく、固くならずに、ありのまま、あるがままの自然体で自分らしくできることからはじめていきましょう。まずは、こうでありたいという自分のイメージを頭の中でつくり上げて進んでゆけば良いと思います。

122尾崎清之輔:2008/01/08(火) 00:57:36
先ほど『なんでもコーナー』にて、珪水さんの『日本人の最も苦手とする「待つ」事』や『時間(間取り)の捕り方が巧さ』について、小生の愚見を述べさせて頂き、時間を支配できる者が『自由人』であるならば、時間に支配される者が『奴隷』であると言及させて頂きましたが、これは延いては、中村勝巳先生が、自著『近代社会市民論』(今日の話題者)で仰せの、『日本では「長期」とはいっても、三年とか、五年とか、せいぜい十年くらいです。ヨーロッパでは長期というのは百年単位です。世紀単位で考えているぐらいの視野で考えなければ、長期的予測と計画などはできるものではありません。』ということにも繋がり、身の回りの具体例としてあげたのが、清水博さんの『場の思想』(東京大学出版会)と考えておりますが、この辺りについては以下の通り明確に述べております。

◆現在の日本の企業や組織の経営者(★)には、創造的思考の持ち主が少なく、その多くが適応的な思考をする人々である。適応的な思考をする人々の特徴は、周囲に適応することを行動原理とするために、自己否定を通じての変態的想像ができないことである。それは目が内向きになりがちで、自分の周囲の即興劇しか目に入らないからである。これに対して創造的な人に共通な思考パターンは、できる限り広い世界を掴んで、その動きの中に自分自身を位置づけて、その動きを積極的に進めようとする点にある。
(★引用者注:これは何も企業や組織の経営者に限った話ではないと考える)


そして、以下のような多くの名文とともに、清水先生のこの書籍と、先述の中村先生の書籍のご紹介を兼ねつつ、いつもながらの愚見を披露させて頂きたいと思います。

◆柳生石舟斉の言葉に、「昨日の我に今日は勝つべし」があるが、日々創造的に生きることは、人生劇場において日々新しく純粋生命に出会うように生活をすることである。創造不断が充実した人生をもたらす。ここから生死に対する覚悟が生まれる。その覚悟とは、いつでもどこでも、自己の全存在(命)を賭けた行為(生活ドラマ)を実行することを決断していることである。

123田中治:2008/01/08(火) 09:56:38
藤原博士がJZPの中で述べられているように、「真善美」という言葉とともにリベラルアーツは古代ギリシャの都市国家において非奴隷つまり「自由人」が正しく世の中を見極め、正しく考えを進め、人間社会の秩序づけに貢献するための「根幹」であっただろう。それは自由七科の最上段に「哲学」が置かれている事からも明らかだ。尾崎さんが仰せの通り、時間を支配するのが「自由人」であるとすれば、英語でいうところの「ハイカルチャー」は、(西洋においては古典文学・詩・諸学問・クラシック音楽・美術など、また日本においては古典文学・和歌・茶道・華道・能・日本画・仏教美術など)時間を支配できる者のみが享受できる文化であり、その対極には大衆文化としての「マスカルチャー」があり、(諸芸能・マンガなど)それらはあまり時間を必要としない即興的・即物的な文化であると言えると思う。もちろんここで言う「自由人」とは、現代において社会的階層や職業的な差別を基にして指すのではない。ここに「教養」の意味が存在するのであり、本来は大学における「教養課程」の意味でもあるわけだが、日本においては大学で「教養課程」を受講する時間そのものが、それまでの熾烈な受験戦争から解放され「緊張から弛緩へ移行する時間」「骨休めの時間」として存在するので本末転倒であるし、その「教養課程」自体も未だ西洋の二番煎じのようなものだから、期待はできない。建築同様、万全の基礎作りのないところに強固な構築は不可能なのであるし、今一度、現代人にとっての、また日本人にとっての真の「教養」を捉えなおす必要があると思っており、それを「精神における背骨」として世界の中の日本を意識し、個人レベルで「自由人」を志向し切磋琢磨するより他ないと考える。昨年末、福田首相は中国訪問の最終日に孔子廟を訪れたというニュースに触れたが、それが例えパフォーマンスであったとしても、靖国問題などで世界の人々を不愉快にさせるよりは、はるかにましだと思っており、その意味は多義的ではあっても、世界と未来に向けたメッセージになる点では個人的に評価したいと思った。

124尾崎清之輔:2008/01/09(水) 01:25:06
田中さんが仰せの通り、リベラルアーツの自由七科を司るその最上段に「哲学」が置かれていることの意味するところは非常に重要であると私も考えており、おかげさまで「哲学」つまりフィロソフィ(philosophy)が、ギリシャ語の「philos」(愛)と「sophia」(知)という2つの言葉の結合により、「知を愛する」という意味が込められていることから、藤原さんと正慶さんの共著『ジャパン・レボリューション』(清流出版)で言及されていた以下の文章を思い出しました。

◆社会貢献を英語でフィラントロピィと言うが、「フィロス」は「フィロソフィ」(哲学)のフィロスと同じで、ギリシャ語の「愛すること」という意味だし、「トロピィ」は「アントロポロジー」(人類学)と同じ人類で、フィラントロピィは人間愛という意味を持つ。

125尾崎清之輔:2008/01/10(木) 00:08:06
No.124にて、『フィラントロピィ』という言葉を出させて頂いたことから、再び『ジャパン・レボリューション』より以下の文章をご紹介させて頂きます。

◆フィラントロピィの本質はカネよりも心であり、社会に恩返しをすることを意味していて、単にカネやモノを出すのはチャリティーという。


以前も『社会への恩返しのすすめ』のスレッドで申し上げましたように、嘗てこのような活動に若干携わっておりましたが、その多くがチャリティーに過ぎなかったという反省から、現在は位相を変えた活動へ主軸を移しておりますが、それは『場創り』の基本とはいったい何か、ということを自分なりに整理し、認識しなおした結果、(日々の仕事や日常の雑事に追われていたとしても)やはり自らの頭と身体を使って納得した上、主体的な動き(≒働き)として行っていくべきであると思ったことによります。

その根底には、先に述べた『自由人』の類義語と考えている『ノブレス・オブリジェ』があると思っており、これも日本では言葉としては存在していても、実体としては殆ど無いに等しいと考えており、事実そのような「場」に幾つか出向いたところ、それらは日本型ギルドの一種にしか過ぎなかったことや、主催者側の(他に立ち上げた組織体のための)宣伝活動の一環として行っていると思われたこと等から、『ジャパン・レボリューション』で藤原博士が述べられておりました、本来の『ノブレス・オブリジェ』である、『尊敬に値する立場の人は、それに相応しい品性、教養、良識を備え、社会に進んで貢献をする。』ことが意味への正しい認識と実際の行動とを、どのようにしていったら日本社会の上で普遍的な価値として、時間をかけてでも植えつけていくことができるか。。。

二十世紀を席巻した収奪型社会から、二十一世紀の夜明けを経て既に7年が過ぎましたが、理想を生かす今世紀の場創りと社会創りに向けて、何を優先に考えて実際の行動へ移していくべきか、真剣に考えていく必要を痛切に感じております。

126鈴木次郎:2008/01/10(木) 00:52:52
今米国のとある地方都市の空港ロビーにおります。手持ちのラップトップでワイヤレスLAN接続を試してみると、空港の開設している無料ポータルが見つかり、快適にインターネットが動いています。日本、例えば東京ではいまだにワイヤレスLANが街中や公共施設にこのような形で普及しておりません。なんだかんだと金をとることばかり優先してしまっているようです。米国ではワイヤレスLANでインターネットに入り込むことのできるポータブルデバイスが、特に学生を中心に爆発的に普及しています。大学のキャンパス中にワイヤレスLAんの網が張り巡らされているからです。これが本当の情報化社会であって、その点日本はハードばかり出ていますが、肝心のネットワークはお寒い限りです。私はほぼ10年ぶりに米国に滞在しておりますが、限定的な観察から言えることは、米国においても藤原先生が日本の現象として指摘されている 賎民資本主義がますます進展している、ということでしょうか。今回の米国体験については、折を見て別途、書かせて頂きたいと思います。

127尾崎清之輔:2008/01/11(金) 00:28:21
No.126で鈴木さんから、米国においても『賤民資本主義』がますます進展しているとのご報告を頂いておりますが、やはりキャピタリズムの本家である米国においては、そのような状況に進展しやすいのはある程度必定であると思っております。

但し、藤原博士が仰っておられていたように、仮に米国という「国」が崩壊しても(これは国家という存在が「想像の共同体」の一種である以上、そういうことから免れないのは歴然たる事実)、『教養』だけは残るという意味では、確かに建国以前からリベラル・アーツという全人教育に主眼を置いた『教養創り』という歴史が存在していたことから、太平洋の対岸に位置する日本が似たような状況にありつつも、そこのあたりの決定的な差が、如何に現在のお寒い状況を生み出しているかは言わずもがなと言ったところです。

さて、世界レベルの視点からすると、実質的にはとっくに嘗ての「経済大国」では無くなってしまった現在の日本において、未だ一部の者たちが追い求めている幻想(≒幻覚)でしかない「量としての大国主義や思想」とか「ミーイズム的な発想や行動」ではなく、そこに生きる多くの個々人の質である『クォリティ・オブ・ライフを如何に高めていくか』に主軸を移していくことで、創造的破壊が起こり、大国的な幻想とミーイズムからの脱却はもちろんのこと、次の新たなる場(≒社会)創りや次世代のライフスタイルも段々と明確になり、本来の『経世済民』に繋がると考えておりますので、長い間には高い精神性と文化を持つ「場」として生まれ変わる可能性も残されているのではないかと思う次第です。
そのためには、長期的な考え方に基づく戦略的な思想や発想、そして実際の継続的な行動に移していくことが最重要であることは申し上げるまでもございません。

無論そうは申し上げても、先に申し上げた通り、すぐには思った通りにいかないのが現実であることは十分理解しておりますが、その上で、やり遂げるために続ける、という姿勢は常に持ち続けていこう、ほんの少しのことでも良いから自分のできることからしてみよう、たとえ私の代では出来ないような大きなことであってもそれならば次の代へ託そう、そして託せるためには、やはり日々弛まなく続けていこう、そういったことを念頭に置いていきたいと思います。
また、そのためには日々の真剣勝負の場を通じて、以前に述べた「活人剣」すなわち「勝つ剣」を身に付けていかねばなりません。

尚、前にも申し上げましたが、藤原博士が『ジャパン・レボリューション』で「フィランソロピー」でも「フィランスロピー」でもなく、何故『フィラントロピィ』という言葉を使ったか、現在、私なりに推考を重ねておりますので、この辺りにつきましても、いずれ改めて私見を述べさせて頂ければと思っております。

128尾崎清之輔:2008/01/12(土) 00:43:17
先日の投稿でも若干ご紹介させて頂きましたが、久しぶりに清水博博士の『場の思想』(東京大学出版会)を他書と共に読んでおり、この本にも様々な箇所に線が引いてあって、最初に読んだとき、どのようなことを考えていたのか、当時のことをいろいろと思い出しつつ、再読しているところです。

特にこのスレッドのタイトルの一つである『場創り(共創)』に関連して、『創造』という用語を何度か使用させて頂いておりますものの、では『創造』とは何か、一体どういう意味を持っているのか、前にご紹介した『丸山眞男 音楽の対話』やマイケル・ポランニーの『暗黙知』等から引用させて頂いた『創造』を頭に置きつつ、考えていきたいと思いますが、まずは清水先生の著書から、私が線を引いた箇所を中心に引用させて頂きます。

◆新しい世界の枠は、現在の世界の外側からは限りなく遍在的な純粋生命が働き、そしてその内側からは局在的な自己(意識)が働くかたちで創出される …(中略)… すなわち、無限定と限定とが出会うのである。

◆まず、意識的な思考によって、現在の世界において生じた諸矛盾の原因を、論理的にはこれ以上追究することができないとぃう状態まで追いつめることが必要である …(中略)… つぎに朝目覚めたときに、昨夜まで考えていた問題がすっかり解消して消えているという不思議な現実感を経験することがよくおきる。 …(中略)… つまり限りなく遍在的な生命の活きによって、無意識のうちに自分自身が変化している − 無意識のうちに創造的飛躍が起きている − と考えられるのである。

◆創造に純粋生命の活きが必要であるということは、新しい世界の発展の方向が純粋生命の活きに合致していなければならないことを意味している。自分自身の欲望の充足のためだけに創造するということはありえない。創造には、「世のため、人のため」という志や使命感が存在していなければならないのである。

ちなみに、この著書では『純粋生命』を『地球環境』と同義的に捉えておりますが、私はもっと広義の意味に捉える必要性を感じております。
つまり、メタサイエンスやホロコスミクス図から認識できる、宇宙を超えた宇宙システムの先にある『空』の世界、また極小から特異点を超えた“欠けているものが何も無い”『無』の世界、そして特異点での位相変換により完成されるトーラス図を動態的に見据えない限り、『創造』がどのように発生し、派生して、フィードバックループし、また新たな『創造』へと至るか、本当の意味で説明ならびに理解できないと考えるからです。

129尾崎清之輔:2008/01/12(土) 01:23:22
先の投稿では、『場』に関連した広義な世界について、私なりに敷衍をさせて頂きましたが、実は人と人との直接的または間接的なコミュニケーションにおける、ちょっとした切っ掛けが、日常を生きていく中で、様々な『創造性』を私に与えてくれる「楽しみ」や「喜び」の意味も理解しているつもりです。

また、別のスレッドにて、珪水さんが、『この場に集う人の大半の本質は妥協をする生き方とは無縁の方々』と仰せのように、私も妥協しないことを是とする考えを持っていることは確かです。

そして、妥協しないことによるストレスが活力の源泉であると同時に、『人生まあるく』という心の余裕を常に持ち続けることが、より広く大きく高みの世界へと自らを導き、且つ導かれると確信しており、それらをお互いの成長に向けた動き(≒働き)へと繋げていくことによって、お互いの人生が螺旋状に登っていく楽しみや喜びを得ていくことができれば幸いであり、そうしていきたいと思います。

130尾崎清之輔:2008/01/12(土) 22:56:00
昨年11月初めにこのスレッドを立ち上げ書き込みはじめてから、早いもので、2ヶ月強で130ほどの投稿数へと至りました。ここに改めて皆様へ感謝の意を表します。

今回の投稿でNo.130になり、音楽作品の付番からすると、Op.130(作品130)ということになりますが、Op.130で思い起こされる作品としては、ベートーヴェンの『弦楽四重奏曲 第13番 変ロ長調』がございます。

この作品は、当初その難解さと曲の余りの長さから、後に別枠で単独扱いとされた『大フーガ 変ロ長調』(Op.133)を含んでおり、「第九」完成後のベートーヴェンが、その後どのような心境に至っていったかを知ることのできる貴重な作品群の一つであると思います。

ピアノソナタの最晩年作品群と呼ばれ、至高なる精神の宿った30番〜32番の一つ前である、29番すなわち『ハンマークラヴィーア』で、ピアノとしての表現可能な最大を極めたと思われるベートーヴェンは、「第九」を経て、室内楽曲による表現の極みを、10数年のインターバル期間をおいて、後期の弦楽四重奏曲に託したのではないかと考えられます。

ちょうど今、40年近く前に結成され、ベートーヴェンの弦楽四重奏曲の演奏団としても有名である、一時期ウィーンフィル(VPO)のコンサートマスターも務めたギュンター・ピヒラー(Günter Pichler)をリーダーとした、アルバン・ベルク四重奏団(Alban Berg Quartett)のライブ作品群を視聴しておりますが、ベートーヴェン弦楽四重奏曲の後期作品群のうち、13番や大フーガといった、崇高さや壮大さから精神の精華を感じさせる曲と、最後を飾った『16番 ヘ長調』のように、他の後期作品群と比べて小規模でありつつも、肯定的で陽気な鳴り響きから、章が進むごとに透明度が高くなっていくような風にも思われる曲が、ほぼ同じような時期(およそ1年以内)に作られたことに大変興味を持っております。

この辺りの時期のベートーヴェンに『啓蒙的な何か』があったかどうかは未だ分かりませんが、そちらの内容は鈴木さんに立てて頂いた『啓蒙思想』のスレッドで掘り下げていきたいと思いますので、ここでは引き続き「音楽」をはじめとした芸術などの話題から『教養と場創り』へ結び付けていきたいと思います。

そして、これからの私の投稿も、掲示板としての品位を保ちながらも、時には少し世俗的な内容を交えていくことで、この場を初めてまたは稀に訪れる方々に対して、一読して分かりやすさと楽しさが含まれていると感じさせられるようにもしていくつもりです。

131尾崎清之輔:2008/01/14(月) 01:59:26
『丸山眞男 音楽の対話』から、『シューベルトという作曲家の神髄は、ケンプのピアノを聴けば分かります。』という文章を前に引用させて頂きましたが、その後ケンプ(ヴィルヘルム)のピアノソナタ全集を入手して、シューマンのピアノソナタ集と共に暫く聴き入っております。

テレビ番組を余り視ることが無いものの、一昨年の秋頃に日本で大ヒットした、クラシック演奏を通して人間の成長をモティーフとしたコメディタッチの連続ドラマ(原作はアニメ)があり、実際の放送では最終回のラスト10分程度を視聴したに過ぎませんが、後に発売されたDVDセットを一通り視聴することにより、単なるドラマとかアニメを遥かに超えた内容であると感じさせられました。

この番組が今日(こんにち)の日本のクラシックブームの火付け役となり、先に申し上げた通り、その勢いは現在に至っても止まることなく、今年正月には二夜に渡ってヨーロッパへ舞台を移したスペシャル番組が組まれ、パリのコンセルヴァトワール(ドラマで使われたのは『Conservatoire National Superieur de Musique』ではなく『Conservatoire national superieur de musique et de danse de Paris』のようでしたが)など、現地の本物の舞台が使われ、内容も視聴者へより深い楽しみを与えてくれるものであったと思います。

二人の主人公のうち、一人はピアニストとして、もう一人は指揮者として、お互いに影響を与え、そして与えられつつ、演奏者として成長していきますが、いま聴いているシューベルトのピアノソナタから、今夜は日本を舞台にしていた頃の内容を若干の感想を交えて述べさせて頂きます。

日本でのピアノコンクールの予選時に使われた『第16番 イ短調D.845』を、(コンクールに向けて初めて本気になった)主人公の一人が悪戦苦闘して練習している際、携帯メールでもう一人へ送った『シューベルトはなかなか気難しい人みたいで、頑張って話しかけてもなかなか仲良くなれません。』に対して、『シューベルトは本当に気難しい人なのか? 自分の話ばかりしていないで、相手の話もちゃんと聞け! 楽譜と正面から向き合え。』というようなコミュニケーションが多くあり、『楽譜と正面から向き合え』の『楽譜』を別の言葉に置き換えて考えられる、示唆に富んだセリフが随所に散りばめられており、これらの言葉に感銘を受けつつ、原点に立ち返ることの大切さを再発見しております。

尚、この掲示板の常連の方々や良く訪れる方々にとって、『正面から向き合って』いくことは、人生の入り口の「当たり前」の一つに過ぎないかもしれませんが、No.130で申し上げましたように、私はあえて、初見の方々やこれからの方々へ向けたメッセージも多く伝えていきたいと思いますので、その辺りにつき予めご了承願えますと幸いです。

132尾崎清之輔:2008/01/14(月) 23:49:34
昨年暮れに大掃除と片付けや整理整頓を行ない、一旦は収束が付いたものの、逆にまだあれもこれも捨てたいと思う物が一杯見つかったというお話をさせて頂きましたが、この連休のうち丸一日を使って、7割ほどを捨てました。

いっそのこと、この機会に全て捨ててしまいたかったのですが、残りの多くがもう使わなくなって久しい家電製品(古い機種で壊れたまま放っておいただけですが…)など粗大ごみ扱いのため、手続きはしたものの、その日にならないと捨てられないことや、片付けた後の空いたスペースを掃除していたところ、あっという間に時が過ぎてしまいました。

ちなみに、このようなことを書いていると、まるで拙宅が相当広いように思われてしまいますが、実は単に余計な物が普通の人と比べて圧倒的に多かっただけで、昨年末に大掃除を始めるまでは、特に本棚に入りきらなくて積みあがった書籍の山や、空けてみるまではいったい何が入っていたかすっかり忘れていたプラスチックケースとかダンボールなどのおかげで、狭い家の中を文字通りの“迷路”にしていたほどでした(笑)。これでは一見すると形だけ整っているようで実態はゴミ屋敷と何ら変わりございません。

掃除と片付けを通して、更に不必要なものと必要なものが見えてきた中で、前にも申し上げましたが、こうして自分が住む場所という日々を過ごす重要な「場」が、段々と片付いてきれいになっていく様は、本当に気持ちが良いです。

ところで、昨年暮れからの掃除&片付けの過程で、何年か前に入手してそのままとなっていた(元々どのような切っ掛けで手元にしたかは忘れてしまいましたが…)、太田朋さんという絵本作家、より正確には『シンプルなイラストに短い言葉を添えたスタイルが一部の方々に人気のある大人のための絵本作家』、の作品が2冊ほど見つかりました。

実はこの時期と前後するようにして、太田朋さんのイラスト&言葉が入ったメッセージを頂く機会があったことから、その偶然性に大変驚きと感銘を覚えております。

しかも、手元2冊のうち1冊は、『ぼくの手のなかには』(大和書房)という題名ですが、『いらない物を掃きだして』、『気持ちよいほどのひとり』、というイラスト&言葉から始まり、『ぼくの手のなかには なにもなくて』、『ぼくの手のなかには なにもかもがある』、というイラスト&言葉で終わる、今の私にとっては示唆的とも黙示的とも言える内容であったと申し上げておきましょう。
(終わりの二つの言葉は、申し上げるまでも無く、老荘思想そのものですね)

133尾崎清之輔:2008/01/16(水) 01:47:48
No.130の投稿において、ベートーヴェンの『大フーガ 変ロ長調』(Op.133)が、その難解さと曲の余りの長さから、弦楽四重奏曲『第13番 変ロ長調』(Op.130)から外されて、別枠で単独扱いの曲となったことを述べさせて頂きましたが、今回の投稿がNo.133だからと言って、それを模したわけではなく、全くの偶然に過ぎませんが、ごく最近、このスレッドのタイトルの一つに関連して、非常に目に障る状況に陥りつつあることを再発見しましたので、この考えを忘れないうちに書きとめておきたいと思い、少し寄り道をさせて頂きたいと思います。

このスレッドを立ち上げた際、タイトルを付けるにあたって、『場創り(共創)については、これまでも何度か取り上げられてきた内容ではあるが、本来あるべき姿としての「場」は広がりを持つ系であり、私が「場」と言われて出向いたその多くについては、残念ながら閉じた系である「空気」でしかなかったことだ。』と述べさせて頂き、『開いた系としての「場創り」』に向けたことを考え、行動していく中で、関連すると思われる書籍や、音楽とか絵画の話題、そして場の整理整頓や片付け、更にはその他日常の様々な出来事をベースにして、多くの投稿をさせて頂いていることはご存知の通りです。

最近、ほんの少しずつではございますが、『競争から共創へ』とか『共生へ向けた』様々な提言や発信が為されてきたようですが、残念なことに(…と言うよりこのようなことは余り申し上げたくはございませんが予想通り…)その多くは私が先に申し上げた通り、『閉じた系である空気』でしかなく、それだけならばまだしも、政界、財界、学会などへ身を置いている(または嘗て身を置いていた)、一般的には社会的立場があると言われており、且つ現在も社会的にある程度影響力の与えている人たちの多くが、現役時代は『競争』そのものを是とするが如く活躍され、また影響力を行使されていた頃に、いったい『共創』や『共生』に対して何を為されてきたか、具体的にどのようなことへ取り組んでこられたか(…実質的には取り組んでないに等しいと言っても過言ではないですが…)といったことを全く棚上げにして、当たり前の如く『共創』や『共生』といった用語を安易に使い始めているような気がしてなりません。

特にどの人間(延いては生命体)に対しても、一日に等しく与えられた24時間という時間から、生命体の健康維持に必要な睡眠時間、毎日規則正しく食事を取るための時間(つまり早飯とは無縁な時間)、日々の読書の時間、コンサートや音楽鑑賞の時間、絵画鑑賞の時間、ゆっくりと自らを省みる時間、自らの健康を保つため休養にあてる時間などにつきましては、生涯に渡っての全人教育という名の教養創りのための必須な時間と考えており、これが昨今の(意識的か無意識的かには関わらず)「市場原理主義」やその極限である「賤民資本主義」的な思想や発想や行動様式から、健全なる人間としての立場を取り戻すための焦眉の急の課題であると考えます。

134尾崎清之輔:2008/01/16(水) 03:02:12
(No.133から続きます)

実際、その人生の多くの時間を、文字通りの「生き馬の目を抜く」ことに費やしてこられた結果、見る人が見れば一目瞭然の「人相の悪くなった」方々が、『競争』という生き方から、いくら『共創』や『共生』を唱えたとしても、全く説得力が無いどころか、寧ろ胡散臭さを覚えてしまい、却ってその方々が少なからず持っていたであろう「信」さえも失うのではないかと危惧しております。

ちなみに、これはその方々への危惧のみではなく、そのような立場であった方々の豹変振りと、提言と実態との乖離も予め見えてしまうだけに、その方々の「信」だけではなく、こういう方々を実質的に支え、または暗黙的に支持してきた、市井に生きる我どもに対しても、世界的な視点からは、同じように「信」を失ってしまうという悪影響を与えかねないからです。

数多くとは言わないまでも、嘗て幾つかそのような場所や会合、また勉強会や研究会などへ出向いて知ったことは、彼ら彼女らの多くは、所謂「社会的優等生」であり、端的に申し上げますと、傍目には一定の社会的成功を収めた人たちの集まりが多いことから、畢竟、自らの範囲ないしは枠組みに終始したことに関する発言はできても、例えばある一つの問題提起から想定し、考察していくべき普遍的なテーマに対しては、全くと言って良いほど議論することが出来ず、逆にそのような課題提起をさせて頂くと、黙ってしまうか、若しくはそのテーマと全く関係の無い「自分の周りに起こった出来事」へ話の流れを逸らされてしまい、大抵の場合は「退かれて」しまうのが実態でした。

数年前、ある会合において、確か藤原さんか管理人さんの許諾を得て、博士の『日本は〝賎民資本主義〟から脱却せよ』をサブテキストに、中村博士の『経済的合理性を超えて』からの抜粋やマックス・ヴェーバーなどから、日本の病理診断をはじめとして、日本の古層である「バッソ・オスティナート」や、1300年以上にも渡る鎖国精神などの議論を行い、より普遍的な方向への展開を目論見ましたが、案の定、最初の時点から非常にレスポンスが悪く、一言二言のコメントは出たものの、次の展開に向けては程遠く、尻切れトンボ以前に議論が始まることなく終わってしまった経験がございます。

◆日本は〝賎民資本主義〟から脱却せよ
http://www2.tba.t-com.ne.jp/dappan/fujiwara/article/zaikai0107.html


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