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科学と疑似科学とを判別する

1diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:52:21 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板にて、ID論は疑似科学か否かというテーマでkenさんと議論を続けてきましたが、そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりましたので、ミケさんの提案に従い第3掲示板にスレッドを立てます。

 まずは第1掲示板での関連する発言へのリンクを時系列で列挙します。1発言での文字数制限があるようですので、分割してアップします。
 URL書き込みに規制があるようですので頭に「http:」を付けて使ってください。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19161 投稿日:2018年 2月27日(火)05時11分41秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x まさに、その通りです
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19137 投稿日:2018年 2月26日(月)21時18分41秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken それとも今回は宗教に話が及んだからそうなったので、議論の土俵をサイエンスに限定するなら、そういうことは起こらないと考えてもよろしいでしょうか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19130 投稿日:2018年 2月26日(月)06時06分39秒 コナン君とは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19117 投稿日:2018年 2月25日(日)16時38分23秒 ダーウィンの子犬様、一蘭様、Ken様 投稿者:ゲジゲジ この3つは同時に成立します
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19116 投稿日:2018年 2月25日(日)00時37分14秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken はじめにタイトルについて
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19112 投稿日:2018年 2月24日(土)05時41分6秒 坊さんと衣は別なので 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19111 投稿日:2018年 2月24日(土)05時39分40秒 コナン君、君は間違っている 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月24日(土)00時36分15秒 Ken様 投稿者:ゲジゲジ ダーウィニズムは「適者生存」により劣った者が淘汰されることで進化が起こると主張していません!!
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月22日(木)23時35分47秒 それをいうなら 投稿者:Ken ダーウィニズムもまた帝国主義、植民地主義の理論武装に大いに利用されたのですが
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19069 投稿日:2018年 2月20日(火)01時39分2秒 あぁ、宗教論になっていく 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19063 投稿日:2018年 2月19日(月)22時47分10秒 (無題) 投稿者:GB まっとうな宗教者たちというのは、
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19061 投稿日:2018年 2月19日(月)22時37分18秒 霊魂? 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19060 投稿日:2018年 2月19日(月)21時37分17秒 複数の真実!! 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19054 投稿日:2018年 2月19日(月)06時27分41秒 事実か公理か信仰か 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19053 投稿日:2018年 2月19日(月)06時21分48秒 Kenさん、複数の真実 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18948 投稿日:2018年 2月17日(土)03時46分25秒 ヨコからですがKen様 投稿者:ゲジゲジ もう少し問題を整理して、本質と本質でない部分とを区別して考えてみては如何でしょう?

113diamonds8888x:2018/07/14(土) 20:41:37 ID:XkzyOBUY
>>112
 私が[>>106]でお尋ねしたのは「原理的に検証不可能な過去の事実」についてですよ。「原理的に検証不可能な理論」についてではありませんよ。

114diamonds8888x:2018/07/14(土) 20:55:47 ID:XkzyOBUY
>>113
 少し舌足らずだったような気もしますので、別の質問も合わせて尋ねます。

 世界5分前仮説のことは、Kenさんはどう評価しますか?

 もちろんのことですが、私も「原理的に検証不可能な過去の事実」について予測・推測をすることは意味があると思っています。でもね、(検証不可能なのに)それは何故かと正面切って問われると、なかなか答えるのが難しいとは思いませんか?

115Ken:2018/07/14(土) 23:26:14 ID:kxVV28RY
>世界5分前仮説のことは、Kenさんはどう評価しますか?

〜世界が5分前に作られた、5分以上前には世界は存在しなかった〜

それを示唆する観測事実が何もないのだから、意味のない仮説だと思います。

もちろんドーキンスたちが「IDもそうではないか」と言っていることは承知していますが、私は、

〜自然選択では説明の困難な進化はIDを示唆する根拠となる〜

という立場をとりますので、事情が異なります。まだ基準02も論じていないので、深入りはしませんが。

>(検証不可能なのに)それは何故かと正面切って問われると、なかなか答えるのが難しいとは思いませんか?

くり返しになりますが、私(Ken)は、ある仮説は検証不可能だから意味がないという立場をとりません。

提唱時には検証のすべがなかった仮説が歴史の中で多く登場したのですから。

116diamonds8888x:2018/07/15(日) 05:52:28 ID:XkzyOBUY
>>115
 この板での基本テーマは、Kenさんの「自説の根拠を示せなくても、対立仮説の難点を示すだけでも提唱価値はある」という考えが科学的議論の上で妥当か否かということです。色々と表現が変ると微妙に意味や適用範囲が違ってくるきらいはありますが、それは多岐にわたるので都度ということにしましょう。

 過去にKenさんはいくつかの事例を上記の考えが妥当だという根拠として挙げました。

  天動説vs地動説の事例
   (「提唱時には検証のすべがなかった仮説が歴史の中で多く登場した[>>115]」に該当)
   (提唱時以降に検証のすべが見つかり検証された  )
  光の粒子説vs波動説の事例
   (  同上  )
  ブラックホール内部を予測する事例 (原理的に検証不可能に見える事例)


 Kenさんや他のこの板をお読みのみなさんの多くは既に薄々はお気付きかも知れませんが、私がやろうとしているのは、これらの事例が「Kenさんが擁護しようとしているID論(その実態を私はまだよく教えてもらってはいませんが)」が根拠を示そうとしない事例とは、「これこれの点で違うから根拠にはならない」ということを示してゆくことです。

 しかしそれは、上記3つの事例でそれぞれに異なる話になります。そして説明の下準備として、その違いがいかなるものかという点を、別のわかりやすそうな事例を出しながら示していこうとしているわけです。


 [>>113]の質問に対して、「くり返しになりますが、私(Ken)は、ある仮説は検証不可能だから意味がないという立場をとりません。[>>115」」が返ってくるということは、まだ私の下準備の行き着く先が想像がつかないのだと思います。なので私の考えの説明に移りますが、もうひとつの方にもコメントしておきます。

>それを示唆する観測事実が何もないのだから、意味のない仮説だと思います。

 観測事実は「事実A:現在の世界(0分時の世界)の観測事実」であり、それは他の対立仮説でも同様ですが、「世界5分前仮説」にはなくて他の対立仮説にはあるという「示唆する観測事実」とは何ですか?

 ある仮説は検証不可能だから意味がないという立場をとらないならば、「世界5分前仮説」は意味がないと断ずる理由は、「検証不可能だから」とは別の理由ですよね?

 ID論のデザイナー存在仮説の場合には「それを示唆する観測事実」はあるとお考えのはずですが、それは何ですか?


 こちらは真剣に考えだすと頭が痛くなるかも知れませんから急にはコメントはいりません。でもID論に入る時には、「デザイナー存在仮説を示唆する観測事実」が何かは知りたいですね。


 さてこれまで事実と理論の違いや使い方(でいいかな?)を説明してきたつもりですが、それは「ブラックホール内部を予測する事例」のためであり、「世界5分前仮説」の話もこれと関連しています。ゆえにここでは、「天動説vs地動説の事例」と「光の粒子説vs波動説の事例」とはテーマではありません。

 と、大きなヒントを示しておいて詳しくは次のコメントに続きます。


【追伸】もしも「世界5分前仮説」に関する質問への答えが浮かんだならば、私の続きを待つことなくコメントしてください。私もそれにすぐ答えるかどうかはわかりませんが。

117Ken:2018/07/15(日) 09:48:57 ID:kxVV28RY
>>116

>「世界5分前仮説」にはなくて他の対立仮説にはあるという「示唆する観測事実」とは何ですか?

現在、世界の始まりを語る仮設として最も広く受け入れられているのは、100〜200億年前に「ビッグバン」が起こったというものですが、

1.宇宙が膨張している
2.宇宙には一様な背景輻射がある

という観測事実が根拠とされています。世界5分前仮説にはそのような根拠がありません。


>ID論のデザイナー存在仮説の場合には「それを示唆する観測事実」はあるとお考えのはずですが、それは何ですか?

自然選択では説明の困難な進化が観測されることです。ただし、

1.本当に自然選択では説明が困難なのか?
2.自然選択で説明困難としても、それがIDの根拠になるのか?(diamonds8888xさんの基準02に関わることですね)

という2種類の疑問(反論)が出されています。私は7年前に、1の話だけをすればよいと思ってここでIDの議論を始めましたが、複数の方から2の切り口からの反論が寄せられ、当時は有効な回答ができませんでしたので撤退しました。

今、diamonds8888xさんが「メタ科学」と呼ばれる科学と疑似科学の区別を論じているのは、7年前の経験を繰り返さないためです。

ですから、IDそのものを議論するのは、現在進行中の科学疑似科学論が決着してからということでよろしいでしょうか?

118diamonds8888x:2018/07/16(月) 06:35:18 ID:XkzyOBUY
>>116 【BH事例のややこしさとKenさんへの提案(文末に)】
 (以下でNGワードが消せなくてURLを省略した出典は検索してください)

 「ブラックホール内部を予測する事例」では、これは事実の予測であり、理論の検証ではない。理論の検証がなされなければ、その理論は使えないが、事実の予測をすることは、たとえその予測が実際に検証困難であっても、いや検証不可能であったとしても意味がある、という話を展開するつもりでした。

 が、[>>111]でのコメントの通り、[>>109]にてKenさんが少々内部解と外部解について誤解をしているらしいことがわかりました。だとすると上記の私の話も実は的外れかも知れませんので、まずこちらの話をしておきます。そもそも一般相対性理論が何を予測しているのかを正確に掴んでおかないと、この事例を使ってKenさんの主張の妥当性を語るのにも差し障りますから。

 【まず指摘】「もちろんこれまで述べてきたのはすべて「外部解」の話です。だって内部に入った不死身の観測者にとっては、内部は観測可能なのですから。[>>109]」ということは、内部の観測者にとって観測可能であっても意味はあると考えるのですね? その観測や内部の観測者の考察などを外部に伝えるすべがないとしても?
 であれば、外部解では内部の予測はしないのですから、そもそもKenさんのこの事例での前提が成り立ちません。
 とはいえ、話はそう簡単でもないので、以下の話になります。


 【まず私自身が"内部解"という用語の使い方を誤っていましたことをお詫びします】。普通は"内部解"とは"シュヴァルツシルトの内部解(Interior Schwarzschild metric)"を意味していて、これは「球対称で密度一定の星の内部の時空を一般相対性理論で解いたもの」です。解説は以下の2つ。

 1.英語版wikipedia "Interior Schwarzschild metric"
 2.あもんノート p20-26,図9.4(p26)

 注目すべきですが、どちらのグラフでも星の表面で内部解と外部解を接続していて、そこには事象の地平線はありません。つまりグラフに描かれているのはブラツクホールになってしまった星のことを予測した解ではないのです。実際問題として遠方の外部の観測者から見れば、ブラツクホール崩壊してゆく星の表面は【有限時間内には事象の地平線内部には落ち込みません】。ですので、シュヴァルツシルト半径より小さい星の内部解は答えは出ると思いますが、たぶん実際的意味はないのではないでしょうか。それとも何か別の解釈が考えられるかも知れませんが。


 さてこれまで私の使っていた内部解は「ブラックホールになってしまっている星の事象の地平線内部を予測した解」という意味です。たぶんKenさんも同じ意味で解釈していたと思います。そして、このような事象の地平線内部を予測として多数の解説が出回っているのは「星の質量が中心の1点に集中しているとした場合の事象の地平線内部の時空構造を解いたもの」で、クリスカル座標(Kruskal‐Szekeres coordinates)を使うと見やすくなるとされているものです。解説は、日本語では次が一番詳しいと思います。

  EMANの相対性理論、クルスカル座標[//eman-physics.net/relativity/kruskal.html]

 で、この意味での内部の時空構造解から、一体何が予測されるのかという点がなかなかややこしいのです。というのも、[>>107]でも書きましたが、誰の視点から見た予測かという点もありますし、もう1点として実際に光を見てわかる象と元の像とは異なるという問題もあります。


と前振りが長くなりましたが、【ここからKenさんへの提案です】。
 1.以上のようにBHの事例は具体的像そのものの理解がややこしいので、我々の本題の事例として取り上げるのは止めておきませんか?
 2.Kenさんが考えていた「BH内部を予測した物理学者」の予測は具体的にどんなものか出典付で示してほしいのです。(これは私の参考にしたいだけなので、今後BH事例を取り上げないなら、本題には必要ありませんが)。

119diamonds8888x:2018/07/16(月) 06:41:37 ID:XkzyOBUY
>>117
>私は7年前に、1の話だけをすればよいと思ってここでIDの議論を始めましたが、

 でしたらそもそも「1.本当に自然選択では説明が困難なのか?」という話だけに絞ればよいのではありませんでしたか? 1の話をするのに「だからID論も示唆される」とかいう余計なテーマを混ぜるから、ややこしくなったのではありませんか?

120diamonds8888x:2018/07/16(月) 14:03:21 ID:XkzyOBUY
>>107
>1.宇宙が膨張している
>2.宇宙には一様な背景輻射がある

 これって「世界5分前仮説」をも示唆してますけど?
 ・世界は5分前に、宇宙が膨張している状態で生まれた。
 ・世界は5分前に、宇宙には一様な背景輻射がある状態で生まれた。

 このように説明できるのですから、1と2は「世界5分前仮説」の根拠でもあります。


 本当に、頭が痛くなりそうだったら止めといてくださいね。科学哲学上で生まれた屁理屈に対応するのは、並み大抵のことではないのですよ。

121Ken:2018/07/18(水) 00:10:23 ID:kxVV28RY
まず、私がどういう出典からブラックホールを学んだかですが、年数が経っていてすぐには思い出せません。ホーキングの著書かと思いましたが、読み直すとブラックホールの項で述べているのはホーキング輻射の話だけです。

www.fisica.net/relatividade/stephen_hawking_a_brief_history_of_time.pdf

また、Discoveryで配信された「Through the Wormhole」というシリーズの第2回でブラックホールに入った宇宙飛行士に何が起こるかが語られています。Youtubeを検索したらアップされていました。

youtu.be/yWo71eHjoQY

動画の35分頃からその話になり、ブラックホールに入る観測者にとっては事象の地平線を越えても何も起こらないが、中心に近づくと肉体が引き裂かれるという話です。番組の本題はそれではなく、外部の観測者と内部の観測者がまったく異なる事象を見る矛盾を整合させることです。

しかたがないのでWikipediaを検索しました。私自身の理解に最も近い説明をしているのは、重力特異点の曲率の記事でしょうか。

en.wikipedia.org/wiki/Gravitational_singularity#Curvature

私が正しく理解できていれば、時空の特異点は事象の地平線ではなくブラックホールの中心に生じるので、そこで起こることを外部の観測者が観察することも、内部の観察者から情報を受け取ることもできないということになります。

ただ、ブラックホールを持ち出したのは、予測される事実を検証できないのは世界5分前仮説と同じではないのか、言い換えれば基準01は正しい科学を判別することができるのかを問うためです。

もしもブラックホールが基準01への反問にならないのなら、歴史上の例はどうでしょうか。前にも述べましたが、コペルニクスは望遠鏡が無い時代の人で、彼の地動説を検証するすべは当時はなかったはずなのです。

さらに言えば、コペルニクスはアリスタルコスの地動説から、ダルトンはデモクリトスの原子論から想を得て彼ら自身の理論を立てましたが、これら紀元前の理論こそ検証不可能、というより初めから検証など考えていない、古代人の知的遊びでした。それでもコペルニクスやダルトンの発想の種子になったのだから、科学史上に重要な位置を占めたと思います。

歴史上のこれらの例を正しくない科学と判定してしまう基準01に、私は疑問を抱いているのですが。

122diamonds8888x:2018/07/22(日) 09:07:02 ID:c4FnTw2Q
>>121
>そこで起こることを外部の観測者が観察することも、内部の観察者から情報を受け取ることもできないということになります。

 私が読む限り、中心の特異点を観察することについても、そこからの情報を受け取ることについても書かれていないようなのですが、どの文章のことなのでしょう? 正直いって数式だけのwiki英語版の記事よりも、グラフやクルスカル座標の図も出てくるEMANの相対性理論の方が読みやすいと思いますし、理解もしやすいです。wikipediaの記事には「私的研究の記載は禁止」という制限があるため、特に数式が必要な記事では既知文献の式やその導入過程をそのまま記したものが多く、その式の物理的意味の説明などは不足している傾向があります。なので物理的理解にはなかなかつらい場合も多いですね。

 まあ要するに、例として論ずるには2人とも理解不足ということで、BH事例は使わないという事でよろしいですね?

>ただ、ブラックホールを持ち出したのは、予測される事実を検証できないのは世界5分前仮説と同じではないのか、言い換えれば基準01は正しい科学を判別することができるのかを問うためです。

 BH事例が「予測される事実を検証できない」事例なのか否かが不明なのでやめとくのがいいかと思うわけですが、仮に「予測される事実を検証できない」ということだったとしても、世界5分前仮説は事実ではなく理論であって、「予測される事実を検証できない」事例には当てはまらないのだというのが、これから説明すること[>>123]です。

 私も本論がその趣旨であることはわかっていますし、事実の確認と理論の検証では話が別だということが、ひとつの説明、ひとつの解決策なのです。

 なお天動説vs地動説やその他の歴史的事例では、また別の話になりますので、別途の説明になります。もっとも天動説vs地動説に関しては「この事例ではP∨¬Pだから」などと一度それとなく説明の示唆をしてはいますが。

123diamonds8888x:2018/07/22(日) 09:07:41 ID:c4FnTw2Q
>>116
 理論の検証がなされなければ、その理論は使えないが、事実の予測をすることは、たとえその予測が実際に検証困難であっても、いや検証不可能であったとしても意味がある、という話をします。

 その前に「事実」と「理論」の違いの復習です。

例1.
  事実A 今朝も、昨日の朝も・・・・n日前の朝も、太陽は東から昇った。
  理論  太陽は東から昇る。
  事実B 明日の朝も太陽は東から昇るだろう。
  事実C 明日になり、寝過ごして昇るところを見逃したが、今日も太陽は東から昇ったのだろう。

例2.
  事実A これまでに見たハクチョウabc・・・は皆白かった。
  理論  すべてのハクチョウは白い。
  事実B 新しくハクチョウxが見つかったが、そのハクチョウxは白いだろう。
  事実C 見つかったハクチョウxが白いか否か確認される前に焼け死んでしまった。
     このハクチョウxは生前は白かっただろう。

 どちらの例でも、理論は事実Aを説明できるように作られました。そして事実Bや事実Cを予測します。事実Bはまだ検証されておらず、これを確認できれば理論の検証となり、理論の確かさが高くなります。事実Cは予測はしたものの、もはや確認することはできません。では事実Cの確認という作業は意味がないのかと言えば、そんなことはありません。


 一般に事実Cのような過ぎ去ってしまった過去の事実は直接的確認ができないことが大半です。でもそれは意味のないことではありません。実際に我々は大変な努力を払ってでも過去の事実を知ろうとしています。歴史の研究しかり、犯罪捜査しかり、事故や災害時に何が起きたかの検証しかり、です。なぜかと言えば、それが現在や将来の我々の行動決定に役に立つからです。

 我々は過去から未来へと時間が連続的に流れると信じていますから、過去を知ることにより未来を知ることができると信じています。そしてその戦略により未来を予測できて生きてきたという記憶があります。記憶というものを持たないと思われる生物でさえも、結果的に未来を予測するような行動を持つものは生き残りやすくなります。

 最もわかりやすい例のひとつである「太陽は東から昇る」理論の場合なら、過去の何日かは東から昇ったかどうかは見逃した日もあるでしょう。しかし観測できた日にはすべて東から昇っていたので、見逃した日もそうだったはずだと推定するのです。そしてその過去の事実により、その日に起きた様々な別の事実の予測に役立つかも知れません。そうして推定された、さらにその日の事実は、別の日に起きたと推定した事実との組み合わせで、別の理論を作ったり、別の事実の推定に使ったりできるかも知れません。そして、現在の我々の行動に使いたい未来の事実の予測にも使えることでしょう。

 そして知的存在ともなれば、自分個人の記憶範囲を超えた過去の存在をも信じて、そこにも時間の連続的流れを想定します。ほぼ自動的思考で。

 「世界5分前仮説」では、このような因果律や予測性の存在があやふやなものになります。なにせ5分前にどんな状態で生まれるかには、どんな理由もないのですから。となると5分後の予測もあいまいだということにもなりかねません。これでは我々の行動を決めるのに何の役にも立ちません。

 まあ、私はこんな考え方で満足しています。

124diamonds8888x:2018/07/22(日) 09:09:05 ID:c4FnTw2Q
 [>>123]の考え方は私独自のものですが、同じように「うまくいくから」「未来予測に有用だから」「生物が生き残るのに有用だから」という発想自体はよく使われるものです。例えば『科学が嫌われる理由』にも紹介されています。

 「世界5分前仮説」が科学的ではない理由として一般的に言われているのは「反証不可能だから」というものです。これは「どんな事実を持ってきても検証になってしまう」ということであり、いわば「検証でき過ぎてしまう!」ということです。決して「それを示唆する観測事実が何もないのだから[>>115]」ではありません[参照>>120]。ここは「反証可能性」の理解には大切ですから御注意ください。

125Ken:2018/07/23(月) 23:26:59 ID:kxVV28RY
>>122
>私が読む限り、中心の特異点を観察することについても、そこからの情報を受け取ることについても書かれていないようなのですが、

特異点は事象の地平線ではなくブラックホールの中心に生じるのだから、特異点で起こる現象を観察することはできないと言いたかったのです。紹介したwikipediaの記事の第2段落に、

However, spacetime at the event horizon is regular. (中略)On the other hand, in the center of the black hole, (中略), the solutions suggest a singularity exists.

とあるのがそれです。ブラックホールの内部は絶対に見えないのだから、特異点について行われているいかなる予測も(特異点が存在するという予測も含め)検証不可能と言いたかったのです。

たしかに本来の目的はBHではなく基準01の検証ですから、今はdiamonds8888xさんの助言に従いBH以外の例を使おうと思います。ただしそれでは基準01を検証できないと思ったらBHの話を復活させます。

>世界5分前仮説は事実ではなく理論であって

その理論を構築するには「5分よりも前には世界は存在しなかった」という事実を観測する必要があるのではないですか?

1.宇宙が膨張している
2.宇宙には一様な背景輻射がある

という事実だけでも理論を構築できるビッグバンとは、そこが異なると思います。

>>124
>決して「それを示唆する観測事実が何もないのだから[>>115]」ではありません[参照>>120]。

それなら言い方を変えます。「観測事実が何もない」のではなく、最も大切な

〜5分よりも前には世界は存在しなかった〜

という観測事実がないのです。よって問題は「検証でき過ぎてしまう!」のではなく、

〜最も肝心の検証ができない〜

ということではないでしょうか?

ただ、くり返しになりますが、そういう例は歴史に多くありました。例えば紀元前のデモクリトスは物質を細かく分けてゆくと、それ以上は分けられない「アトム」にいたると主張しました。しかし彼は検証方法はおろか、なぜそのような考えをするのかさえ書き残していません。デモクリトスの原子論は世界5分前仮説の同類でしょう。

それでも原子論はエピクロスのような継承者が世代を越えて伝えてゆき、千数百年たって物証が現れましたが。

126diamonds8888x:2018/07/25(水) 06:31:22 ID:c4FnTw2Q
>>125
>ブラックホールの内部は絶対に見えないのだから、特異点について行われているいかなる予測も(特異点が存在するという予測も含め)検証不可能と言いたかったのです。

 それは了解です。記事でも予測をしているだけで、検証できるとは書いてありませんよね。で、それは事実の予測ですから[>>125]以下の議論をお読みください。

>>〜5分よりも前には世界は存在しなかった〜

>という観測事実がないのです。

 5分よりも前には世界が確かに存在していた、という観測事実もありませんよ。単に【そうだったという現在の記憶が】観測されているだけです。

127diamonds8888x:2018/07/28(土) 18:03:09 ID:ThHJ2a2o
>>126
 ごめんなさい。リンク先を間違えました。正しくは、以下です。

 で、それは事実の予測ですから[>>123]以下の議論をお読みください。

128diamonds8888x:2018/07/28(土) 18:04:29 ID:ThHJ2a2o
>>124
 さて、自分の記憶にある過去の事実や父母の記憶にある過去の事実なら個人の未来予測に重要かも知れません。明治時代くらいまでの過去の事実なら国や世界の未来予測に重要かも知れません。でもビッグバンの頃に何が起きたかということなど、人類の未来予測にさえ必要でしょうか? そんなことまで知ろうとするのは人類の好奇心の暴走に過ぎないのではないでしょうか?

 だってビッグバンの頃の事実検証なんて、ブラックホール内部の事実検証よりも困難、いや一歩下がって同じ程度に困難と考えられますよね。そういえばタイムマシンとブラックホール内部への旅は関連しているという話も・・・。

 さて以下は私なりの解答ですが、これは数ある理由の一つであると考えています。つまり他にも理由は考えうるだろうということです。

 物理学者や天文学者たちがビッグバンの頃の事実を推測するのは、どんな作業でしょうか? 単純化して言えば次のような作業を総合して推測します。
 ・遠くからの光、つまりは昔の情報の載った光を観測する。観測事実A
 ・素粒子理論を使い、過去にどんな事実を仮定すれば、どんな光が観測されるかを予測する。
   いわゆる仮説演繹法。理論α+仮定事実B==>予測事実A'
 ・観測事実Aと予測事実A'とが一致すれば、仮定事実Bが実際に起きたと推測する。

 ここで観測事実Aと予測事実A'とが一致したということは、仮定事実Bも使った理論群もすべて正しかったという検証になっています。つまり過去の仮定事実Bを検証するという事は、使った理論群の検証をすることでもあり、それは十分に意義のあることではないかと考えます。


 何だか循環論法にも見えますが、そうではありません。現代科学における事実予測は、あらゆる分野の科学的事実や科学的理論を総合して、どれにも矛盾が生じないような理論や事実を正しいものと考えます。つまり科学的事実や科学的理論の正しさ・妥当性というものは、狭いひとつの分野内の事実や理論だけに頼ってはいません。

129diamonds8888x:2018/07/28(土) 18:06:54 ID:ThHJ2a2o
>>128
 具体的な話をするつもりが却ってわかりにくくなった気もしますので、やや抽象的になりますが、まとめてみます。

 事実の予測は、検証できないとしても予測してみるだけでも意義があります。だって知りたいのだから。

 一方で理論とは事実を予測するために使うものです。事実を正しく予測しようとすれば、使う理論が正しいことを確認する必要があります。つまり、検証されていない理論を事実の予測には使えません。

 つまり、予測した事実は検証されなくても単にそれだけのことですが、理論が検証されなかったら、その理論は使えないのです。いや使わないで鑑賞するだけなら検証の必要はないと思いますよ。私も検証されていなかったり、しっかり反証されていたりする理論でも、鑑賞するのは結構好きですよ(^_^)。平面の大地の世界を舞台にしたファンタジーとか。でもそれは科学ではありません。

 ですからKenさんが御存知のID論をちゃんと説明してくれたら鑑賞ができるのではと期待しているのですが。


 別の視点の話ですが、極論を言えば、事実の検証と呼ばれる作業も実は、予測したのとは異なる方法によって同じ事実が予測できたということに過ぎない、とも言えます。そして、個人の知覚だけでわかることに近い事柄ほど「事実の検証」と呼ばれやすいとは言えます。典型的には(注意深く)目で見て確認できる事柄は、大抵は単に「事実」と呼ばれ、目で見て確認することは単に「検証」と呼ばれます。

 これが「物質は原子という粒子の集まりであり、原子は原子核と電子とからできている」という事実になると、肉眼で見た人は誰もいませんし、これからもいないでしょう。現在では透過電顕で原子像も観察できますが、その像を「原子の姿が検証できた」と呼ぶためには、その透過電顕の像がミクロの姿をどれだけ表しているのかという「理論」が正しいとわかっていなくてはなりません。そのためには電子の運動を予測する理論が正しくなくてはなりません。そして「宙を飛ぶ電子が存在するという事実」も検証されていなくてはなりません。そして「宙を飛ぶ電子」と「原子核の周囲に存在する電子」とが実は同じものであるという「理論」が、様々な観察事実と理論とから推論されているわけです。

 かくのごとく、「原子や電子が存在するという事実」と一般に呼ばれている事柄は、実は「原子や電子が存在するという理論によれば、様々な観測事実や既知の理論が矛盾なく説明できる」という事に過ぎないとも言えるのです。しかし、この理論は十分に検証されており一度も反証されてはいないので、単に「原子や電子が存在するという事実」と呼んでも差し支えないとされているのです。その方が思考が節約できますしね。

130Ken:2018/07/29(日) 00:04:46 ID:kxVV28RY
正直なところ、ビッグバンとブラックホール内部が同じ程度に検証が困難とは私には思えませんが、もっと大切な問題があるので、深入りするのはやめておきます。


もう一度、私の論点を整理します。

科学史に登場した理論には、現代の基準では到底まともな根拠に基づくとはいえないものがいくつもあります。アリスタルコスの地動説やデモクリトスの原子論のような紀元前に現れたものは大半がそうでしょう。古代ギリシャには、地上の万物は土、水、空気、火の4元素から作られるという考えがありました。これに天上界の元素としてエーテルを加えたのがプラトンです。いずれも検証(反証)のやりようがないのは世界5分前仮説と変わりませんし、diamonds8888xさんの言われるような事実の予測を行うことも不可能でした。そんな検証や予測をしようという意図もなかったことでしょう。

それでも、これらの理論はコペルニクスやダルトンのような後世の科学者に影響を与えているのです。

たしかに後世の科学者たちは観測された事実をもとに彼ら自身の理論を立てたので、古代思想を根拠にしたわけではありません。一方で、観測事実を解釈するのにこれらの古代思想からヒントを得たのも歴史的な事実でしょう。

古代ギリシャの4元素仮説は近代的な意味での根拠のないものでしたが、複雑多様な物質が実は単純な元素からつくられるという基本思想を生み出す契機となり、それは近代の原子論やクォーク理論にまでつながっています。エーテルはよく知られるように光波動説が長く媒質として想定しました。もしもエーテルの概念がなかったら、光波動説は歴史の中で消えていたかもしれません。

私からの問題提議は、上記のような理論は

1.科学ではないと判定されるのか

そして、科学ではないと判定する場合にのみ、次の問題提議を生じます。

2.それらの理論は登場しなければよかったと考えるか

念のために言っておきますが、2の回答が「登場してよかった」である場合、その理由は科学の進歩に寄与したからで「鑑賞」するためではありません。

131ゲジゲジ:2018/08/02(木) 01:21:00 ID:kmBs4zVs
ヨコからですが、数日コメントが中断しているようなので・・・

私自身もお2人のやり取りを拝見していて、考えが整理できて来ています。
余計な事でしたらすみませんが、少しでもヒントになれば・・・


 >>130
Ken様の論点は、見ている私も分かっているつもりですし、勿論diamonds8888x様も分かっていらっしゃると思いますよ。

ただ今は、そういう個別の事例を越えたメタな視点で、科学だと判定されるためにはどの様な条件が必要なのか? 逆にどの様な条件を満たしていないと、それは科学ではない(よって疑似科学である)と判定されてしまうのか? という点を議論しているはずです。

で、その基準の1つ目として、反証可能性という基準が論点で、既にdiamonds8888x様から「答え」が示されています。
 >>122
 >>123
 >>128
(1) 反証できない理論は、科学ではない。
(2) 反証できない(予想される)事実は、それだけでは科学ではないと言い切れない。
(3) あらゆる分野の科学的事実や科学的理論を総合して、どれにも矛盾が生じないような理論や事実を正しいものと考える。

(3)は今後の論点になるかもしれませんが、反証可能性に限定すれば(1)と(2)が「答え」だと言えると思います。


さて、これらの議論に一応の決着がついてから、それではKen様が130で挙げられているような個別の事例はどうのか? という事を論じるのが順序かと思います。
しかしKen様のコメント >>125 を読む限り、どうもKen様はまだ、反証可能性の理解が十分でないように感じます。

なぜ、反証可能性がない理論は科学とは言えないのか?
それをdiamonds8888x様は、誰もが科学とは言えない事に同意するであろう「世界5分前仮説」を引き合いに説明されてきたと思います。

ここで、>>123でdiamonds8888x様が挙げられている「事実」と「理論」に「世界5分前仮説」を当てはめて考えてみては如何でしょうか?

「事実A」は、「現在の世界(0分時の世界)の観測事実」ですよね。

では「理論」は何でしょう?
多分、「世界は5分前に作られた」ではないと思いますよ。
いや、「世界は5分前に作られた」と言って間違いではないですが、これだけでは言葉足らずではないでしょうか?
そして、その言葉の足りない部分が議論のポイントに関ってくるように思います。

「世界は10分前には存在しなかった」というのは理論から導かれる「事実B」・・・いや、今となっては本当に10分前に世界が存在していたんか否かを検証する術はないのですから、これは「事実C」になりますね。

では「事実B」は何でしょうか?
その事実が示せれば「世界5分前仮説」の蓋然性(確からしさ)が高まり、逆にその事実が否定されれば「世界5分前仮説」も否定されるという、「世界5分前仮説」の理論から導かれ想定される「事実B」・・・

132diamonds8888x:2018/08/03(金) 05:23:07 ID:ThHJ2a2o
>>130
>もっと大切な問題があるので、

 中心テーマは「自説の根拠を示せなくても、対立仮説の難点を示すだけでも提唱価値はある」という考えが科学的に妥当か否かという問題ですよね?[>>116][>>117]

 この考えが妥当だという事例としてKenさんは既にいくつか示されていますが、今回新たに3つの事例、アリスタルコスの地動説、デモクリトスの原子論、4元素説、を示されたのは、どういう意図なのでしょうか? この3つは「既に示された事例よりも大切な問題」なのですか?

 単に、まだこんな事例もありますよというだけなら、現時点では「既に示されている事例の方が先ではありませんか?」とお答えしますが?


 [>>130]や過去のコメントを拝見すると、以下の問題があるように思います。
  ・色々な種類の「根拠のなさ」を区別せずに十把一絡げで考えている
  ・その結果、色々な種類の事例をすべて「根拠がない」と断定している

 すでに私は、過去にKenさんが示された事例、BH問題、天動説vs地動説、粒子説vs波動説、素粒子の存在の反証法[>>83]、はそれぞれ性質が違うということを述べました、それゆえ個別に対応したいとも述べています。今回の3つの事例とて同じです。私はそれらの事例に「根拠がない」とは考えていません[*注]。私が否定していることを当たり前の前提のように扱って次に進まれても困ります。

 【重要】Kenさんが十把一絡げで考えている事例が、実はそれぞれ異なる性質の事例なのだと説明しようとして、これまで基礎的な話も含めて述べてきています。そこをまず御理解ください。


 ちょっと今回の3つの事例についてコメントしておきます。

>科学史に登場した理論には、現代の基準では到底まともな根拠に基づくとはいえないものがいくつもあります。

 なんですと! 先人たちに失礼な(怒)。そりゃ確かに後の様々な進歩で間違いだとはわかりましたが、「到底まともな根拠に基づくとはいえない」とはあまりにも不当な非難です。今回の3つの事例はすべて、自然の観測事実を論理破綻なく説明するために頭を絞って生み出されたものですよ。当然、当時なりの技術で観測事実との整合性も検討されています。

>いずれも検証(反証)のやりようがないのは世界5分前仮説と変わりませんし、diamonds8888xさんの言われるような事実の予測を行うことも不可能でした。

 まったく見当はずれです。Kenさんはまだ世界5分前仮説のポイントをきちんと捉えていないではありませんか。「5分よりも前には世界が確かに存在していた、という観測事実もありませんよ[>>126]」ということは理解できたのですか?

 アリスタルコスの地動説は、プトレマイオスの天動説やコペルニクスの地動説と同様に実際の天文現象を予測するためのものです。

 4元素説は長い間、錬金術を含む様々な化学現象の予測に使われ、指針となっていました。

 デモクリトスの原子論は長く冷遇されたせいでしょうが具体的な予測の記録は残っていない模様です。でも原理的には物質現象の予測に使えます。まあ定量的予測のためには、定量的観測による補強が必要でしょうけど。


------------
[*注]根拠にも色々な種類やレベルがありますので、ここでは私はそれら全てを含む意味で使っています。Kenさんも少なくとも「検証できたとする根拠」と「示唆する根拠」とは区別してますよね? 個別の議論では、どのレベルの根拠の話かで双方が食い違っていると混乱する恐れがあります。Kenさんはこのレベルの違う根拠も十把一絡げで考える傾向があるのではないかと危惧しています。

133diamonds8888x:2018/08/03(金) 05:24:52 ID:ThHJ2a2o
>>131
 ゲジゲジさん、まとめをありがとうございます。私の文章よりも他の人の書き方の方がKenさんにわかりやすい場合もあるでしょうから、歓迎します。私にも別の視点が得られて参考になりますし。


 「事実B」は、直接観測や直接検証はできないけれど、それを仮定すると既知の理論とも観測事実Aとも整合性がとれるもの、というつもりで持ち出しました。「導かれる」と言ってもいいですけど、仮説演繹法により導かれる、という形になるでしょうか。

 ここで「直接観測や直接検証ってどこまでを含むの?」という話になりますが、これは色々な見方ができますよね。極端に言えば「本当の直接観測や直接検証なんてないっ」という見方もできますし。

  仮説的事実B  目の前に赤くて四角い物体がある。
  直接的観測事実A 目の前に赤くて四角い物体があるように、私には見える。

 まあ一般的には、人が直接感覚で知ることができる事実は直接的観測事実Aとする見方が多いでしょうけど、すると「原子や電子や素粒子が存在する」という事実は、仮説的事実Bであるとしたくなります。実際にエルンスト・マッハは原子の実在をなかなか認めなかったとかいう話もありますし。

 「事実B」の考えを持ち出したのは、こんな風に素粒子問題への伏線も考えての意図もありました。

 仮説演繹法では「仮説できるのは事実B以外にはないのか?」という疑問が常にひっかかりますが、BH問題や宇宙の地平線の向こう側の事実の問題だと、理論が正しければ唯一の解として事実Bが導かれますね。この場合は確かに「導かれた事実」ですね。仮定があるとすれば「事象の地平線の向こうでもこちらと同じ理論(一般相対性理論)が成立している」ということだけです。
 ただ、いくら理論的に導かれるとはいえ特異点の存在を素直に認めている人は少ないのではないかとは思います。観測可能な裸の特異点さえ予測されてますけど。ニュートン力学でも「大きさのない質点」が実在するとは誰も思っていないはずです。でも、そんなもの実在するはずがないから絶対に理論がどこかで修正されるはずだ、と誰もが考えていたものが実在したりすることもあるから世の中は怖い。


> では「理論」は何でしょう?

 改まって訊かれると、「世界5分前仮説」の理論て正確にはどうなるんでしょうね?

 純粋な本質はむしろ「世界0分前仮説」に現れるのではないかと思うのですが、0分前の理論だと因果律もなければ未来を予測することもできなくなります。つまり論理的推論というものが意味を持たなくなります。そんなの理論なのか? 5分でも時間経過があれば、その間の因果律というものは想定できるのでしょうが。

 あまりに馬鹿げた理論なので、真剣に突き詰めた人など誰もいなかったりして。

 記憶は幻である、というあたりが理論の本質と言えるのでしょうか? 余談ですが、フイリップ・ホセ・ァーマー作『階層宇宙シリーズ』という作品には空間バージョンの理論が登場します。つまり、太陽系の外側に壁があって、無限の宇宙と見えるものは実はその壁に映った映像であった、という理論です。空間バージョンなら反証可能なんですけどね。

134Ken:2018/08/03(金) 07:03:34 ID:kxVV28RY
>>132

金曜の早朝なのでとりあえず1点だけ。

>中心テーマは「自説の根拠を示せなくても、対立仮説の難点を示すだけでも提唱価値はある」という考えが科学的に妥当か否かという問題ですよね?

それは基準02の話ではありませんか?
今はまだ基準01の議論が決着していないというのが私の理解です。

私としては、これまでに挙げた具体例はいずれも検証(反証)のやりようがない世界5分前仮説の同類では?というものです。対立仮説の難点を示す方法の是非を論ずる具体例はまだ挙げておりません。

135ゲジゲジ:2018/08/04(土) 01:24:36 ID:KSag/m5E
diamonds8888xさま
>>133 お返事ありがとうございます。

ただ、私はそんなに難しく考えていたつもりはなくて・・・

「世界は“5分前よりも前から存在していたかの様に見えるあらゆる記憶や記録などをぜ〜〜んぶひっくるめて、5分前にあった状態に”5分前に作られた」

まぁ、言葉としては色々な言い方ができるでしょうが、これが「世界5分前仮説」の「理論」の正確な表現ではないでしょうか?

で、「事実B」なんですが・・・

>>123でdiamonds8888xさまが提示された例ですと・・・
「理論」 太陽は東から昇る。
「事実B」明日の朝も太陽は東から昇るだろう。

「理論:太陽は東から昇る」が正しければ、当然「事実B」は成立するわけですから、「事実B」は「理論」から予想されたわけですよね。
そして実際に明日の朝の太陽が東から昇れば、「理論:太陽は東から昇る」は補強されますし、仮に明日の太陽が西や北、南から昇ったとすれば、「理論」は否定、すなわち反証されます。

私としてはそういうふうに解釈しまして、では「世界5分前仮説」における「事実B」とは何だろう、と考えたわけです。
すると「世界5分前仮説」においては“観察できるであろう全ての事実”が「事実B」に該当してしまうのですよね。

つまり「世界5分前仮説」の「理論」を上記のように立てれば、“私に昨日の記憶があるという事実”も、“〇年前に仕込んだウィスキーやワインが美味しいという事実”も、あるいは“1億年前の恐竜の化石が発見されるという事実”も、全てが「世界5分前仮説」を肯定してしまいます。

従って、>>124でdiamonds8888xさまが仰る通り、「世界5分前仮説」は検証され過ぎてしまう。
どんな「事実B」を持ってきても検証になってしまうのだから、反証できない。
だから「世界5分前仮説」の様な理論の立て方は科学的ではない、という結論になるのではないでしょうか?


尚、ここまで考えてきて、私はKenさまの「ID論」も理論の立て方において「世界5分前仮説」と同じ意味で科学的ではない、と思えるのですが、今はそこに踏み込むのはやめておきます。
恐らく >>56の「基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。」にも絡んでくると思いますので。

136diamonds8888x:2018/08/04(土) 06:20:59 ID:ThHJ2a2o
>>135
 あっ、そうか。[>>123]の未来の事実と[>>128]の仮定事実や過去の事実とを同じく「事実B」と名付けてしまったのですね。失礼しました。未来の事実は待っていれば検証できますが、過去の事実はタイムマシンでもない限りは検証できないので大きな違いがあります。だとすれば「過去の事実の検証」とは何か、というテーマのつもりで[>>128]を書いていましのたので、ゲジゲジさんにもKenさんにも誤解を与えたかも知れませんね。

 改めてですが、[>>128]の意図は、事実の予測は検証できなくても意味はある、ということを示す点です。

 「世界5分前仮説」に関するゲジゲジさんの話はまったくその通りだと思います。

137diamonds8888x:2018/08/04(土) 06:26:37 ID:ThHJ2a2o
>>134
> 今はまだ基準01の議論が決着していないというのが私の理解です。

 了解しました。すると「もっと大切な問題」と書かれたのは、新たに示された3つの事例がBH問題よりも大切だという意味ですか? 個別事例の間で重要性の差があるとする理由が私にはよくわからないのですが? 私がBH問題を棚上げにしようと提案したのは、2人とも細かい点を十分に理解してないので不適当ではないかと思っただけであり、他の事例より大切ではないとは思っていませんが。

> 私としては、これまでに挙げた具体例はいずれも検証(反証)のやりようがない世界5分前仮説の同類では?というものです。

 念のため確認しますが、同類と考えているのは新たに示された3つの事例だけですか? それとも既に示されている、提唱当時のコペルニクス地動説、提唱当時の光の波動説、新粒子があるとする仮説、もやはり同類だと考えるのですか?

 どちらにせよ、示された6つの事例はすべて世界5分前仮説の同類ではないのは[>>132]で書いた通りです。

 また世界5分前仮説に関しては、[>>119][>>120][>>123][>>129][>>132]を中心に読み返してみてください。Kenさんにはなじみの薄かった話でしょうからプリントアウトして読むことをお勧めします。

 実は直前にゲジゲジさんがしっかり解説されてますので[>>135]、これを読むのが早いです。


 BH事例に代表される「検証できない事実の予測」に関しての【本質的な解答そのものは[>>129]冒頭に書きました】。理論は検証できなくてはならない(裏返せば反証可能でなければならない)けれど、事実に関しては必ずしも検証できなくても意味がある、という結論です。

138diamonds8888x:2018/08/04(土) 06:29:07 ID:ThHJ2a2o
>>134
別件ですが、
【素粒子問題】で少し指摘した方がよいと思った点がありましたので書いておきます。

[>>80]「磁気は双極子である」という仮説が∀xP(x)なら「モノポールが存在する」は∃x¬P(x)だから、前者は反証可能であり、よって後者の反証可能性は問題にならないのではと考えました。

 これは[>>77]のお考えを再掲したからこうなったのでしょうが、この対比では人は戸惑います。対比するならP(x)は同じ文章にしないと次の思考に進めません。
 恐らく前者のP(x)と後者のP(x)は異なる文なのでしょうが、Kenさんの意を酌んでそれぞれのP(x)を書き出してみようとしましたが、どうもうまく行きません。できれば御本人のKenさんにお願いします。


 【重要】これはKenさんのおっしゃる「素粒子問題」について、具体的な意図を私も理解していないことを示していますので、ここに示しておきました。もちろんこの件の理解は「素粒子問題」に入る時にわかればいいことなので、その時に御配慮くださればいいです。

139Ken:2018/08/05(日) 00:12:16 ID:kxVV28RY
>>132

>この3つは「既に示された事例よりも大切な問題」なのですか?

私は>>130

>ビッグバンとブラックホール内部が同じ程度に検証が困難とは私には思えませんが、もっと大切な問題があるので、

と書きました。ビッグバンとブラックホールの違いを論じるよりも大切という意味です。

もともと私がブラックホール内部の考察を持ち出したのは、これも基準01に照らして科学ではないと判定されるのではという問題提議をするためでした。その後diamonds8888xさんからブラックホールの考察は難しいので手を出さないほうがよいという提案をいただいたので、より分かりやすく論じやすい例はないかと考え、紀元前の理論を挙げました。

>Kenさんが十把一絡げで考えている事例が、実はそれぞれ異なる性質の事例なのだと説明しようとして、

「十把一絡げ」は極端な表現でしょう。それぞれの事例には異なる点はあっても、提唱時点では検証(反証)のやりようがなかったという共通点があり、そこが世界5分前仮説と同じでは、と言いたかったのです。

その世界5分前仮説ですが、

>「世界5分前仮説」では、このような因果律や予測性の存在があやふやなものになります。

「あやふや」ですか? でも世界5分前仮説だって、

〜5分よりも前には世界は存在しなかった〜

という、それ自体は明確な事実を予測するではありませんか。問題は物理的な観測で検証できないことで、この点が例に挙げた紀元前の仮説と、それどころかコペルニクスの地動説とも、共通すると思うのです。これらの仮説は遠くの物体や微小な物体を観測することで検証ができるはずです。しかし提唱時にはそのすべがなかった。

もしもデモクリトスやコペルニクスの時代にも顕微鏡や望遠鏡が、すくなくともそのアイデアがあったら、技術の進歩でいつかは観測ができるという見通しがたったかもしれません。でもアイデア自体がなければ観測は永遠に不可能なのと同じです。以前も書きましたが、今の私たちが、5分前の世界であれ、地球史の中の進化であれ、ビッグバンであれ、過去の事実はタイムマシンがあれば観測できるといっても無意味なのと変わりません。

4元素仮説が錬金術に応用されたという話は、アジモフ先生の歴史書にも記述が無く、私は知りませんでした。ただ、中世の錬金術でもプラトンやアリストテレスとは千年の時間差があります。私は錬金術より千年前、仮説が最初に提唱された時点での検証可能性を問題にしています。

なお、

>私はそれらの事例に「根拠がない」とは考えていません[*注]。私が否定していることを当たり前の前提のように扱って次に進まれても困ります。

これは私の言葉足らずが誤解を招いたようです。diamonds8888xさんが考えておられることは承知しているつもりですが、仮説の提唱時には実は根拠がなかったのではありませんか、という私の考えを主張したかったのです。

140diamonds8888x:2018/08/05(日) 05:58:09 ID:ThHJ2a2o
>>139
> と書きました。ビッグバンとブラックホールの違いを論じるよりも大切という意味です。

 そういう意味だなんて私にはわかりませんよ。だって私は「ビッグバンとブラックホールの違いを論じよう」なんて提案はしていませんから。


> 「十把一絡げ」は極端な表現でしょう。それぞれの事例には異なる点はあっても、提唱時点では検証(反証)のやりようがなかったという共通点があり、そこが世界5分前仮説と同じでは、と言いたかったのです。

 その認識が間違いです。というか、

>問題は物理的な観測で検証できないことで、この点が例に挙げた紀元前の仮説と、それどころかコペルニクスの地動説とも、共通すると思うのです。これらの仮説は遠くの物体や微小な物体を観測することで検証ができるはずです。しかし提唱時にはそのすべがなかった。

 ここまで「根拠がない」の範囲を広げたら、およそ人が考えるほとんどの理論は昔のある時点では「検証不可能」だったことになりますよ。そんな何もかも区別しないような概念を使って何を考えようというのです?

 [>>132]を書いている時にも、もしかしたらとは思いましたが、要は、Kenさんの考える「根拠がない」の範囲が広すぎるのです。それではあらゆる理論が重要度に差が付けられなくなってしまいます。

 もっと問題なのは、提唱時に提唱者は「これが根拠だ」と示していた観測事実が無視されてしまうことでょう。


 Kenさんの考えだと、「世界5分前仮説」も他の理論も同じになるんですよね?
 では「世界5分前仮説」も真剣に検討すべきだと考えるのですか? 現在の科学者たちや教育界が世界5分前仮説を他の理論と対等に教えないのは非難すべきことだと考えるのですか?

141Ken:2018/08/05(日) 09:55:07 ID:kxVV28RY
すこし錯綜してきたので、比較的簡単に回答できることから回答します。まずは、

>そういう意味だなんて私にはわかりませんよ。だって私は「ビッグバンとブラックホールの違いを論じよう」なんて提案はしていませんから。

もともとはdiamonds8888xさんの>>128での発言を受けたものです。

>だってビッグバンの頃の事実検証なんて、ブラックホール内部の事実検証よりも困難、いや一歩下がって同じ程度に困難と考えられますよね。

ビッグバンは宇宙の膨張や背景輻射という観測事実を根拠としますし、もしも接近してくる銀河とか、宇宙の他の領域とは明確に異なる輻射を出す区画でも発見されたら反証となるはずで、そのような発見は現在の技術かその延長でも可能でしょう。でもブラックホールの内部に特異点があり、密度が無限大になり時間が止まるという事実を観測するすべは誰も思いついていません。

・・・という回答をしようかと思いましたが、ブラックホールの話はしないと決めていたので、紀元前の理論を例に出すことにしました。


>Kenさんの考えだと、「世界5分前仮説」も他の理論も同じになるんですよね?
>では「世界5分前仮説」も真剣に検討すべきだと考えるのですか? 現在の科学者たちや教育界が世界5分前仮説を他の理論と対等に教えないのは非難すべきことだと考えるのですか?

実はID論を材料にしてこの疑問に回答したと思うのですが。

私はID論と世界5分前仮説が同類とは思いませんが、かりに同類だとして、IDには世界5分前仮説以上の根拠がないとします。その場合にリチャード・ドーキンスのような人物がIDに価値を認めず無視しているだけなら問題はありません。

問題はドーキンスのような人たちが彼等の社会的な影響力でキャンペーンを行い、それどころか訴訟までやって、他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせようとすることです。私はこのような行為には明確に反対します。そんなことをする権利と資格がだれにありますか。

世界5分前仮説に関連する余談を1つさせてください。実は本質的に同じことを言ってる仮説があるのです。以前に紹介したドキュメンタリーシリーズ「Through The Wormhole」の第1回が神の実在を考察しているのですが、その中で

〜この宇宙はコンピュータ・シミュレーションで我々はゲームのキャラクター。だから世界を創造した神はプログラマー

という話が出てきます。これも動画がアップされていました。

youtu.be/3KH95YCSP_c
youtu.be/QZj1kYRT-fw

主張したのは「実績を上げているNASAの科学者」リチャード・テレルという人らしいのですが、この世がシミュレーションと考える根拠として量子論を持ち出しています。

*量子はコンピュータ画面のピクセルと似ている
*電子顕微鏡が機能するのは電子が自分が通過した箇所以外の情報を持っているから。
*観測されないものは存在しない

といった量子論の特徴はこの世がコンピュータ・シミュレーションと考えると説明がつくというのです。

おそらく「あほかいな」と思われるのではないでしょうか。私もそう思います。それでもこういう発言を自由に行える環境は大切にしたいものです。


私の考える「根拠がない」の範囲が広すぎるというご指摘についてはあらためて回答をさせていただきます。

142ゲジゲジ:2018/08/05(日) 21:25:04 ID:U99n6gxs
度々ヨコからですが・・・
どうもKenさまは、区別して考えるという事が苦手なように見受けられます。

>>140でdiamonds8888xさまも指摘されていますが・・・
 >要は、Kenさんの考える「根拠がない」の範囲が広すぎるのです。
 >それではあらゆる理論が重要度に差が付けられなくなってしまいます。

以前、第一掲示板の方で「宗教法人が運営する学校が宗教の協議を教えるのは疑似科学なのでは?」といった投稿をされましたよね。
あの時に議論していたのは「公教育における科学で何を教えるべきか」だったはずなのに。

>>141への指摘をさせて頂きますと・・・
 >問題はドーキンスのような人たちが彼等の社会的な影響力でキャンペーンを行い、
 >それどころか訴訟までやって、他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせようと

今、議論をしているのは、理論の科学的正しさを判定するための基準について、ですよね。
それを教えたり教わったり、特に公教育で教えるべきか否か、というのとは別の問題です。
もう一度 >>40>>41>>42>>44>>48>>49辺りを読み直してみる事をお勧めします。

・何をもって科学的と言えるのか?
  ・・・正に今、議論しているテーマのはずです。
・何を公教育の科学で教えるべきか?
  ・・・すでに検証済みの仮説です。

>>123でdiamonds8888xさまが提示された例で言うと、
「太陽は東から昇る。」という理論があって、実際に太陽が東から昇るところが何度も何度も観察された。そこで初めて、学校で「太陽は東から昇るのだよ」と教えて良い事になります。
Ken様がどこまでご存知か知りませんが、ネオダーウィニズムは既にそこまで検証されているのです。
そのネオダーウィニズムと、まだ検証もされていない、検証方法も曖昧なID論を同列に扱えというのですから、ドーキンスたちが「ちょっと待った!」と言うのは当然です。

 >そんなことをする権利と資格がだれにありますか。
と仰いますが、まっとうな科学者、まっとうな教育者には、そういう事をする権利と資格があると思いますよ。いや、そういう事をする義務もあるでしょう。



 >それでもこういう発言を自由に行える環境は大切にしたいものです。
あほみたいな発言を自由に行える環境を大切にする事と、それを公教育で教える事とは別の問題です。

上記の通り、公教育の科学で教えるべきは既に検証済みの理論なり事実です。
しかしアメリカのID論者たちは政治を動かして、公教育でID論を教えさせようとしたのですよ。
だからドーキンスたちは対抗してキャンペーンを張ったし、司法に訴えてそれを阻止しようとしたのですよ。

ここの所はきちんと区別して頂きたいですね。
そうしないとdiamonds8888xさまとの議論も、どこまで行っても噛み合わないままになりそうな気がします。

143diamonds8888x:2018/08/06(月) 06:12:11 ID:ThHJ2a2o
>>141
>問題はドーキンスのような人たちが彼等の社会的な影響力でキャンペーンを行い、それどころか訴訟までやって、他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせようとすることです。

 ID論はさておいてですね、学校教育において「世界5分前仮説」を「正当派進化論」と対等な理論として教えるべきだと考えるのですか? もしくはKenさんの主張に従えば、「世界5分前仮説」と「正当派進化論」と「ID論」とを同等に教えないと、思想や教育の自由を侵すことになるのですか?


 一応言っておきますが、(私的な場において)他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせよう、などとはドーキンスもやっていませんよ。むろん、ID論を主張する本などが出れば批判はするでしょう。それは互いの議論の自由であり、出版禁止にせよなどとは言ってはいないはずです。あくまでも「公教育で科学的な理論としてID論を教えるな」と言っているだけです。既に第1掲示板でも何回か指摘されていることです。

 Kenさんが公教育の重みを軽く考えるのは御自由ですが、実際には重いし、ほとんどの人は重いと考えています。だからこそ、創造論の擁護者達はアメリカにおいて「反進化論法」を成立させました。これはまさに、世界中の科学界で正しいとされる理論にもかかわらず、それを教えることを禁止した行為です。
 出典はwikipediaで「進化論裁判」の記事を見てください。既に第1掲示板でも指摘されていることです。

 確認しますが、Kenさんも「反進化論法」を成立させた行為は許されないものだと考えますよね?


 まあ、教育論は第1掲示板において一時棚上げにしましょうと合意してたと思いますし、私の問いの趣旨は、「Kenさんは世界5分前仮説は科学的に妥当な理論だと考えるのですか?」ということです。教育論に踏み込むこと自体は目的ではありませんので、訊き方が悪かったかも知れません。だとすれば改めて問い直します。

 Kenさんは世界5分前仮説は科学的に妥当な理論だと考えるのですか? つまり、正しいか正しくないかを科学的に検討してみるに値する理論である、と考えるのですか?

 「根拠がない」の範囲が広すぎるという指摘についてのあらためての回答も同時でいいですよ。その方が書きやすいならば。

144diamonds8888x:2018/08/06(月) 06:20:11 ID:ThHJ2a2o
>>141
 公教育の内容を制限することが社会的な正義か悪徳か?(ちょっと大げさかな?)というテーマに関しては、私のもってまわった話よりもゲジゲジさんの率直な話[>>142]の方がわかりやすいと思いますよ。現代の普通の人の常識的判断だと思います。

 ここで「常識が間違ってることも過去にあったではないか」とか「常識と違う考えを公教育で教えないのは、ガリレオを死刑にした教会と同じような思想弾圧だ」とかいうことにはならないか、ということですが。

 少なくとも現代の自由主義国家の社会においては、それは考えすぎで、この場合なら「公教育と私的な思想表現との違いを区別できない」ゆえの判断の誤りです。ゲジゲジさんのおっしゃるように

> あほみたいな発言を自由に行える環境を大切にする事と、それを公教育で教える事とは別の問題です。

 まさか誤解はないと思いますが、ゲジゲジさんは「あほみたいな発言を自由に行える環境を大切にする事」は社会的に正しいという大前提で書いているのですよ。「あほみたいな発言であっても自由に行える環境を大切にする事」ならもっとわかりやすいかも知れませんが。

145Ken:2018/08/08(水) 11:39:56 ID:zsbVUn6w
尋ねられたことには可能な限り回答しますが、それはそれとして1つ提案があります。

私(Ken)が科学や教育のあるべき姿をどう考えているかは、話題にしないほうがよいのではないでしょうか?

もともとdiamonds8888xさんと私では、共通土台での議論が成立しないほど、イデオロギーといいますか基本思想が懸絶しているはずです。疑似科学の定義でも、私は意図的なペテンのことを疑似科学と呼びますが、これは言い換えれば、意図的なペテンでなければ、どんなアプローチをしてもOKということですから、現在議論している「基準」自体も無意味になります。

しかし、今回は疑似科学の定義に始まり具体的な「基準」まで、すべてdiamonds8888xさんの定義に従うことで合意をしており、その内容を明らかにするための質疑応答をしているのだから、私がどういう考えをもっているかは問題にならないはずです。

そうはいっても、質疑応答の中で私の思想が姿を見せることもあるでしょう。質問をするにも私の視点と問題意識からの質問にならざるをえませんし、そこには思想が顔を出してしまいます。例えば、科学と疑似科学を判別する基準とは厳密なもので一切の曖昧さが排除されているか、定量的な判定なら数値化ができるのかと、私がくり返し尋ねたのはその現れです。

とはいえ、私の思想を封印するならその視点からの質問も封印するべきですから、上のような事態になれば、その都度矯正してゆくしかないでしょう。

これは提案であって要請ではありません。今回のように科学や教育について私がどう考えるかという直接の質問があれば、回答するのが誠意ある態度だと思います。

それを言った上で(本来は封印すべき私の思想にもとづいて)今回の質問に回答しますが、

>Kenさんも「反進化論法」を成立させた行為は許されないものだと考えますよね?

許されないと考えますが、理由はdiamonds8888xさんとは異なります。

私は、公教育といえども、内容は個々の運営責任者が決めるべきと考えます。例えば公立学校の教育内容を決める権限と責任は、そのコミュニティの構成員(市民、有権者、納税者など)に属し、学界に属するとは思いません。そこで教育された学生の人生に生じる結果まで含めて、コミュニティの自己責任だと思います。ですから反進化論法を許せないのは進化論が学会で認められた定説だからではなく、他人の教育方針に干渉する要らざるお節介だからです。もし「反創造論法」が登場しても反対するでしょう。

>学校教育において「世界5分前仮説」を「正当派進化論」と対等な理論として教えるべきだと考えるのですか?

これも同じことです。私は何かを「教えるべき」という発想をそもそも持ちません。私が教育者なら世界5分前仮説を教えようとは思いませんが、ある学校が(公立学校でも)そのコミュニティの意思決定として教えるなら自由にやればよいし、結果責任を自分たちでとればよいでしょう。

>Kenさんが公教育の重みを軽く考えるのは御自由ですが、実際には重いし、ほとんどの人は重いと考えています。

これはまさにイデオロギーの問題で、公教育が重いからこそ運営者の自由と自己責任に任せるべきという考え方もあるのではないでしょうか。

せっかくだからもう1つ付け加えます。

「基準」などを設けず、どんな仮説も自由に提唱し教えればよいという考えは、上記のような「自由と自己責任」が根底になっていますが、もう1つの理由として、科学の進歩自体もそのほうが早まると私は考えます。それはビジネスや生物の世界と同じ原理が働くと思うからです。

ご存知のように、いま世界では星の数ほど多くのベンチャーが立ち上がりますが、そのほとんどは失敗し、多くは負債をかかえて消滅します。ごくわずかな例外として成功者が現れ、グーグルやアマゾンは最も華やかな例です。

生物界でも突然変異の大半は有害なものですが、ごくまれに種の保存と繁栄に有利なものが現れ、それが進化につながります。

要するにビジネス界でも生物界でも適者生存の選択圧力が働くかぎり、どんなビジネスモデルや突然変異が現れてもそれが進歩・進化につながる。これは科学理論でも同じことではないでしょうか。とくに情報社会、ネット社会の発達により、実績を出せる仮説も出せない仮説もすぐに知れ渡ってしまい、実績を出せる仮説が生き残るのですから。

以上は私の基本思想です。今はこれは封印してdiamonds8888xさんの基準にしたがい、その基準のもとでもID論の話をできると判断した場合にIDの話をするつもりです。

146Ken:2018/08/11(土) 00:56:16 ID:Qq9lHkNc
こちらが本題です。

diamonds8888xさんが>>123で「事実A」「理論」「事実B」「事実C」という整理をしてくださったので、これに沿って言いますと、私は、

〜B、CどころかAの事実も観測されないのに理論を立てる

事例が多すぎるのではと問題提議をしています。

ブラックホール内部の話は深入りしませんが、何であれ一度も観測されずこれからも観測の見込みがない事実を語っているのはたしかでしょう。これでは、観測できないのは事実CではなくAではありませんか。

紀元前の仮説は作られた経緯自体が不明な場合も多いのですが、4元素説もデモクリトスの原子論も、どういう観測事実からそんな考えが生じたのか伝わらず、ただそのように空想したとしかみえません。アリスタルコスの地動説の根拠は、太陽の方が地球よりも大きいから中心にあるだろうというものでした。この場合はアリスタルコス自身よりも彼の仮説を検証もせず2千年も教え伝えてきた人々が問題です。たとえば直径10センチの鉄球と20センチの木球を紐でつないで放り上げたら小さい方が回転中心になる、そんな実験は紀元前でもできたはずなのに。

コペルニクスの地動説は、「事実A」として惑星位置の記録があり、そこから惑星が太陽を回るという理論が生じました。この事実からこの理論を生じた理由は、その方が惑星の動きが単純になるからです。しかし問題は、

〜なぜ単純な動きの方が理論として優れているのか

という点にあります。コペルニクスの時代にはそのように考える根拠などなかったはずなのです。

今の私たちが、惑星の動きが単純な地動説が優れていると考えるのは、ガリレオが発見しニュートンが理論化した慣性の法則を知ってるからです。物体は本来、同じ運動を継続しようとするから運動は単純なものになるわけですが、コペルニクスの時代は慣性の法則など知られていませんでした。

法則としては知らなくても日常経験から単純な動きの方が起こり易いと思ったのでしょうか? でも日常に経験するのは単純な運動の方が多いですか? たとえば石を落とせばまっすぐに落ちる単純な動きですが、羽毛を落とせば複雑な動きで舞い落ちます。コマを回すと勢いの強いときは安定した姿勢を保ちますが、弱まると予測のつかない複雑なゆれかたをします。

こう考えると、コペルニクスは

〜観測された惑星の位置という事実Aから、惑星が太陽を回るという理論を立てた

というよりも、

〜事実A不在のまま、物体は単純な動きをするという理論を立てた(もしくは当然視した)

といえるのではありませんか?

147diamonds8888x:2018/08/11(土) 18:16:21 ID:K6qbiXYU
>>145

> もともとdiamonds8888xさんと私では、共通土台での議論が成立しないほど、イデオロギーといいますか基本思想が懸絶しているはずです。

 全くおっしゃる通りです。あまりに違い過ぎるので、私もつい「これは当然だろう」という前提のもとに書いてしまうことがあり、互いに困惑することもあるようですね。[>>141]がそうでしたが、[>>143]後半で訂正しましたのでよろしく。

 要するに「世界5分前仮説」と言えども教えたければ教えるのは自由ということで了解しました。そこまで徹底した思想ならば、むしろ筋は通っていると思います。私の方に「まさかそんなことはあるまい」という思い込みがあったのが[>>141]での、ある意味で主旨を誤解させた質問の原因でしたね。

 余計なお世話かも知れませんが、いくつか注意すべき点があると思います。公立学校での教育を決める主体はコミュニティであり、何をどう教えるかはコミュニティの自由であり、「そこで教育された学生の人生に生じる結果まで含めて、コミュニティの自己責任」とのことで、その点は理解しました。ここで、
  ・コミュニティの意志とそこに属する個人の意志とが相反した場合はどうすればよいのでしょうか?
  ・具体的にはコミュニティとはどれくらいの人々の集団が適切なのでしょうか?
   (例えば国全体がひとつのコミュニティでも良い、というお考えではないと推察します  )
   (どんなコミュニティを作るのかは各個人の自己責任に基づく自由であるという方法はありますが)
   (このとき、どんなコミュニティを作るべきかを巡って個人間の対立は起きるでしょうね  )

 実際には上記の問題はKenさん流の「コミュニティ主体の自由論」とでも呼ぶべき社会ではなくても、現実のどんな社会でも問題になることだし、簡単な解決策などあるとは思いません。「コミュニティの大きさはどれくらいが適切か?」という問いは、現実の社会では例えば「国と地方自治体との権限の分配はどのような形が適切か?」「地方自治体はどれくらいの規模が適切か?」という問題と本質的には同じです。

 ですから解答を求めているのではなくて、Kenさん流の社会体制でも、こんな問題は消えませんよという指摘だけです。我々がここで目指している議論の主旨でもありませんしね。

 【情報提供です】笠井潔『国家民営化論』という本を御存知ですか? Kenさんなら御興味を持つかも知れないと思いまして。アマゾンでも見つかります。

148diamonds8888x:2018/08/11(土) 18:18:40 ID:K6qbiXYU
>>145 >>146
 こちらは本論に関係しますので別コメントにします。

> 「基準」などを設けず、どんな仮説も自由に提唱し教えればよいという考えは、上記のような「自由と自己責任」が根底になっていますが、もう1つの理由として、科学の進歩自体もそのほうが早まると私は考えます。それはビジネスや生物の世界と同じ原理が働くと思うからです。

 こちらは社会的イデオロギーではなくて、科学のための方法論に関することと考えますので、議論テーマになりますね。というか、私が自分の考えを理解してもらおうとするとき、どこが理解できないのか、またはどこが受け入れ難いのか、ということがKenさんの基本思想がわからないために見当のつかないことがあるからです。

> しかし、今回は疑似科学の定義に始まり具体的な「基準」まで、すべてdiamonds8888xさんの定義に従うことで合意をしており、その内容を明らかにするための質疑応答をしているのだから、私がどういう考えをもっているかは問題にならないはずです。

 了解しました。ではまず私の基本的考え方を説明していく方針でいきましょう。上記のKenさんの基本思想は一応わかったと思いますので、そこと何が違うかを意識しながら説明することにしますので、Kenさんの方も何が違うのかに留意しながら読んでくだされば幸いです。

 ということで、しばらくお待ちください。

149Ken:2018/08/11(土) 23:17:07 ID:ChaC3wG.
>・コミュニティの意志とそこに属する個人の意志とが相反した場合はどうすればよいのでしょうか?

それは政治のシステムなどと同じでしょう。民主的なプロセスで決まったことには従うか、どうしてもいやならその地を離れるしかありません。

>・具体的にはコミュニティとはどれくらいの人々の集団が適切なのでしょうか?

どれくらいが適当というよりも、例えば市立中学の教育方針は市に納税する市民の意思で決める。県立高校なら県民の、国立大学なら国民が決めればよいと思います。実際には教育政策を訴える候補者から議員を選ぶ形をとるのでしょうが。

なお、ある個人が自分が属するコミュニティの教育方針に賛成できないときの窮極の解決策は、学校に行かず、ネットで提供される授業で、さらにその先には人工知能が提供する授業で勉強することです。それが可能になる日はそこまで来ているはずです。

150Ken:2018/08/14(火) 21:57:55 ID:lS06oQPw
>>146でコペルニクスは惑星軌道の単純さゆえに地動説を選んだと書きました。

天文学に限らず、単純さへの志向は科学史と通して現れ、その中で提唱された仮説には論理的な根拠のあるものも、論理より志向の方が勝っているのでは、と見えるものもあります。

18世紀から19世紀にかけて新しい元素が次々と発見されると、研究者たちに「居心地の悪さ」とでもいうべき感情が蓄積されていきました。

デモクリトスが考えた「アトム」とは、それ以上には分割できない最も根源的な粒子でした。そして近代科学が酸素や水素の原子を発見したとき「アトム」と名づけたのは、それぞれが根源的な粒子と思ったからです。

ところが紀元前の土、水、空気、火という4つのアトムならすっきりしていたのが、近代のアトムは天然の存在だけでも水素からウランまで92種類もある。(全部が19世紀に知られていたわけではないにせよ。)根源粒子がそんなに多くあるなんて、宇宙はそんなにも複雑なのか、いやそんなはずはない、という葛藤を生じたのです。

この問題は結局、原子がデモクリトスの「アトム」ではなく、原子自体が電子、陽子、中性子というより根源的な粒子から成ることが分かって、人々を安心させました。根源粒子が92ではなく3つしかなかったからです。電子や陽子のような、より深いレベルの根源粒子は「素粒子」と名づけられました。

ところが20世紀になると、全く同じ問題が繰り返されたのです。

当初、素粒子は電子、陽子、中性子の3つしかなかったのに、1936年のミュー粒子の発見を嚆矢に、ミュー、カオ、パイ、ラムダ、シグマ、カイ粒子と発見が続き、パイ粒子やシグマ粒子などは正、負、中性の3種があり、そのそれぞれに反粒子があることまで分かり、「根源粒子」の数は際限なく増えてゆきました。はじめは新粒子の発見に興奮していた研究者たちも、こうなると前世紀の先達と同じ問題に直面したのです。なぜこんなに複雑なのか、と。

1964年にマーレイ・ゲルマンがクォーク仮説を提唱したのはこの問題に答えるためでした。素粒子もまた根源粒子ではなく、クォークというより根源的な粒子から構成されるというのです。

ところが電子や陽子とは異なり、いくら実験と観測をやってもクォークの実体を見つけることはできません。それどころかクォークは絶対に観測不能という説もあるのです。そうなるとブラックホールの内部と同じです。

もちろん世界の研究者たちはやれる限りの検証はやってますし、その上でクォークの実在は広く認められているようです。それにしても、ゲルマンの提唱以来多くの研究者が熱心にクォークを追求してきたのは、宇宙の基本構造は単純なものであるはずという信念があったからではないでしょうか。論理的には、根源粒子が数百もあってはいけない理由はないのですから。

単純さを求め続ける姿勢は、一種の「信仰」ではないのか、と思えるときがあります。

151diamonds8888x:2018/08/15(水) 06:15:28 ID:K6qbiXYU
>>150
> 単純さを求め続ける姿勢は、一種の「信仰」ではないのか、と思えるときがあります。

 もちろん信仰ですよ。知りませんでしたか?(^_^) 神は世界を単純に作ったとかいうキリスト教の信仰からだとかいう説が言われています。まあこれもあくまで一つの説だとは思いますが。それに世界を単純な原理から説明しようという思想は古代ギリシャでも顕著にみられますから、キリスト教だけが原因でもないでしょうし、そもそもキリスト教等で「神は世界を単純に作った」という信仰が生まれたとしたら、それは何かしら人間の心理によるものでしょうからね。つまり人間の心理に単純さを好む性向があるのが原因と考えるべきでしょう。

 単に複雑なことは考えられないだけかも知れませんけど(^_^)。四色問題のコンピューターによる証明に居心地の悪さを感じた人は多かったようですが、これなんかまさに「人が考えられないほど複雑な証明なんて」という感情によるのではないでしょうか。

 とはいうものの近年のコンピューターパワーの進歩により、「単純な規則などない」と思わざるをえない問題でも解を求められるようになり、単純な規則のない状況にも直面する覚悟というものも出てきているのではないでしょうか。

152diamonds8888x:2018/08/18(土) 12:40:34 ID:K6qbiXYU
 どうも私とKenさんとでは科学観が大きく違うのではないかと思えてきましたので、まず私の科学観を述べて、違いを確かめるという方針にしました。その前に、私がもっとも疑問に思うことを述べておきます。それは[>>119]で述べた質問です。

   そもそも「1.本当に自然選択では説明が困難なのか?」という話だけに絞れば
   よいのではありませんでしたか?

 理由は、
  ・別の仮説を持ってこなくても、このテーマの話はできる
  ・別の仮説を持ってくると、持ってきた仮説の説明やら絡んで混乱しやすい

 それでもKenさんにすれば別の仮説を持ってくる必然性があるのかも知れませんが、それは私から見ると、Kenさんの科学観ゆえかも知れず、だとすると今の私には理解が難しいかも知れません。逆にKenさんか見ると、[>>119]の疑問が想定外のものなのかも知れません。

 両者の科学観の違いがわかってくれば、この点も明らかになるのかも知れません。

153diamonds8888x:2018/08/18(土) 12:44:16 ID:K6qbiXYU
 科学という言葉が指す範囲は文脈により様々ですが、最も広義には世界を知ろうとする試みと言えるでしょう。特に、その方法として経験に基づいて未経験のことを推測するという手段を使うことが特徴と言えるでしょう。これは地球上でヒトだけが使える手段ではなく、他の生物にも行っているものがいます。余計な空想をしないだけ、ヒト以外の生物の方が素直に科学的方法を実施しているのかも知れません。[*1]

 とはいえ他の生物とは異なり、ヒトは集団を作り個人の一生を越える期間の経験をも蓄積して系統的な知識に変えることができるようになりました。こうして、ひとつの集団内で世代を超えて継承される知識や知恵とも呼べるものが生まれました。ここまでなら知識は各集団内だけに留まるのですが、さらにホモ・サピエンスは集団間でも交流し時には協力もするという能力を身に付けました。すると大きく言えば人類共有の知識というものが誕生します。この個別集団を越えて共有される知識は、いわゆる文明が誕生した時には「学問」と呼ばれるものへと発展していました。

 ここで私は、人間の活動に「学問」「技術」「芸術」という異なる活動があると定義します。「学問」というのは世界を知ろうとする活動であり、「技術」は世界に働きかけようとする活動です。「芸術」は、どう言い表せばよいのでしょうね。世界を表現しようとする活動? いや世界というと自分のことは除くという印象もありますから、自分や世界を、ともかく何かを表現しようとする活動?

 言うまでもなく(という意味が簡単には想像できにくいかもしれないけど)、ここで「世界」というのはヒトが見聞きしうるあらゆるものを指します。極微の素粒子から宇宙の地平線での出来事、人の社会のありざまから心の働き方や仕組みまで、あらゆる事柄を指します。また人の心が生み出したもの、言語、法、規則、ゲーム、数学、論理、架空世界、等も忘れてはいけませんね。

 「学問」というものが世界を知ろうとする活動である以上は、それは人が見聞きしうるもの、つまり経験に基づかざるを得ません。すなわち広義の科学的方法に基づかざるをえないのです。[*2]

 (続く)
------------
[*1] 例えばロビン・ダンバー(Robin Dunbar)『科学がきらわれる理由』の3-5章あたりに例があります。今ではもっと多くの例が知られているでしょうが。
[*2] いわゆる文系学問において、経験には基づかないかのように思ってる風もあるが、真偽の決着を付けられるのは経験以外にはありえない。詳しくは長くなるだろうし、本論の筋ではないので述べない。それに、学問観の違いと見れば、単にそれだけのことですし。

154Ken:2018/08/18(土) 18:41:56 ID:zsbVUn6w
>>152
>そもそも「1.本当に自然選択では説明が困難なのか?」という話だけに絞ればいのではありませんでしたか?
>Kenさんにすれば別の仮説を持ってくる必然性があるのかも知れませんが

私の意図は、

〜過去に起こった進化の中に知的干渉の結果と考える方が合理的なものがある

という主張をすることです。そのためには2つの段階の議論をせねばなりません。

第1段階は、自然選択では説明できないことをIDの証拠とみなすことの妥当性を論証すること
第2段階は、特定の進化が自然選択では説明できないことを論証すること

7年前の私自身もそうでしたが、多くのID論者は第1段階を無視していきなり第2段階の話から始めるので、ドーキンスのような人々から「疑似科学者」と呼ばれます。diamonds8888xさんの上の提案が、第2段階から始めようというものでしたら、現状では賛同できません。

もっとも第1段階の議論なら、実はdiamonds8888xさんの「基準02」だけを論じればよいのかもしれません。ただ、私としては疑似科学という批判を受ける可能性を根絶しておきたいので、すべての基準を検証したいと思います。ですから今は基準01の話を続けています。

科学観に違いがあるかどうかは分かりませんが、私は今回の議論ではdiamonds8888xさんの基準に従うつもりですし、それなら同じ科学観で語ることになるのではないでしょうか。

言い換えれば、diamonds8888xさんの基準に対して、異なる科学観からの反論をしようとは思いません。例外として、私が科学や教育をどう考えるかと尋ねられた時は、>>145のような回答をするでしょうし、それは結果としてdiamonds8888xさんの科学観への反論になるかもしれませんが。

そのような例外を除けば、diamonds8888xさんが挙げる基準に、私からでるであろう問題提議は1つしかありません。

〜その基準はあらゆる事例に等しく適用されるのか

これだけです。あらゆる事例に等しく適用されることが納得でき、その基準に照らして私のID論を主張できると判断すれば、上記の第2段階に移ります。その基準では私のID論は疑似科学になると分かったら、一連の議論を打ち切ることになるでしょう。

155diamonds8888x:2018/08/20(月) 05:07:32 ID:K6qbiXYU
>>154 なるほど。Kenさんは「〜過去に起こった進化の中に知的干渉の結果と考える方が合理的なものがある」との主張についての議論のために2つの段階を踏むことが必要との考えを当然視してますが、それが私には理解しにくいし、いきなり第2段階から始めるID論者の人達も含めて多くの人にも理解しにくいと思いますよ。私から見ると、ここに科学観の違いが現れていそうです。

 私の見るところKenさんの発想が生まれる原因は、私の述べた「事実」とか、「理論の根拠」というものの範囲について、多くの人と食い違いがあることだと思われます。[>>146]がその好例ですが、[>>146]に示された各事例への反論は、まだテーマずれの可能性もありますし、私の科学観の説明をしてからがよさそうです。ついでに「合理的」の範囲も違っていそうですが、まあこれは「厳密には検証できてないけど、仮説提唱くらいは妥当な」てなくらいの意味なんでしょうね。それとも、もっと強いニュアンスなんでしょうか?

156diamonds8888x:2018/08/20(月) 05:09:33 ID:K6qbiXYU
>>153
 さて知識の継承により人類共有の知識というものが誕生したのはいいのですが、そこには様々なフェイクが紛れ込みます。見間違い、聞き間違い、考え違いなどによるフェイク、伝承時のコピーミス、記録者の意図的フェイク、など原因は様々です。個人だけのことや小さな集団内でのことだけならフェイクの修正も比較的可能ですが、遠く離れた記録者や遠い昔の記録者のフェイクを確認するのは非常に困難になってきます。

 人は間違うものというのは当たり前に思えるにもかかわらず、「昔から伝承されてることだから正しいに決まっている」という思い込みは思いのほか広くみられるものです。ひどくなると目の前に見えていることさえ無視したりします。結局のところ、近代科学の発展の基礎となった「経験主義」というのは、こういった思い込みとの戦いだったと言えるでしょう。わざわざ「主義」などとイデオロギーとして宣言しないといけないほどに、この「人の言ったことを信じすぎる」という思い込みは強かったということです。とはいえ、人の言ったことを信じるというのは、つまりは仲間を信頼するというホモサピエンスの性質からきているもので、それは群れを作るという生物の強みの源泉でもあるのでしょうから、致し方ないのかも知れません。

 というわけで、明確に意識された科学的方法論というものを人類が手に入れたのは、ロジャー・ベーコン等の「経験主義」に始まる近代科学の発展以降のことと言えるでしょう。もちろん古代ギリシャを始めとする世界の様々な地域の文明においても科学的方法は使われてはいましたが、それが明確に意識されていたとは言えないでしょう。「事実に基づくことが正しい」という考えは当然あったのですが、上記の思い込みというものも強くて拮抗していたと言えるでしょう。

 (続く)

157diamonds8888x:2018/08/25(土) 19:34:20 ID:R7cfu6u.
>>156 人類共有の知識へと成長した学問や技術は、どんなものであれ世代を経るに従い知識が積み上がり発展していくという特質を持つことになります。特に自然科学はその傾向が著しいですが、その理由は自然というものが世代を経てもあまり変わらないということが大きいでしょう。これが社会学や経済学、心理学などになると、対象が歴史と共に変化しているので、一筋縄ではいかないのです。

 知識の積み上がりによる学問の発展の好例は、古代の天文学でしょう。古代バビロニアで既にサロス周期が知られていたといいますし、新大陸のアステカでも月食や日食の予測ができたそうです。これは長期間のデータの積み上げの例ですが、自然は一体のものですから、例えば物理化学で判明したことで生物や天文現象の予測ができますし、逆に天文現象の観測を物理化学理論の検証に使うこともできます。

 実はこのような各分野の密接な関係が認識されたのも近代科学発展以降のことです。つい数世紀前でさえ、生命現象は物理化学法則とは異なる「生命エネルギー」のようなものが関与している、といった理論も否定できませんでしたし、コペルニクスの時代には「天体は地上のものとは異なる物質でできている」という理論も信じられていました。それがだんだんと、地上の石や土や水も天体と同じ物質であり、生命も同じ法則に従う、という知識が積み上がり、この世界ではどこでもいつでも共通の物理化学法則が成立するという理論が確立されました。いわゆる斉一説の一種です。

 このように世界の様々な現象の関連がわかってくると、さらに多くのことを知るための推論ができるようになります。例えば、昔の地質や化石や歴史的遺物を、いわゆる自然科学的手法を使って様々な情報を引き出すことができるようになります。古文書の真偽を調べたり、その内容を天文ミュレーションや地質学的証拠と突き合わせたりなどということが可能になります。

 このように物理化学法則が成立するという理論を基に様々な分野の知識が推論され積み上がり、それら相互に矛盾がないという状況が積み上がれば、それは逆に、基にした物理化学法則の検証が積み上がるということをも意味することになります。

 (続く)

158diamonds8888x:2018/09/01(土) 15:19:44 ID:y9yGvaEo
>>157
 ポパーの反証可能性では「反する事実がひとつ観測されれば理論は棄却される」と言われます。しかし現実にはそう単純な風には進まず、結局はその反例が観測間違いだとわかったり、理論の中心的な部分は変えずに修正がなされたりという風になることが多いことがわかってきました。この修正される部分は理論の周辺部、いわば衣であり、不変の部分は堅い核(*1)などと呼ばれます。

 私が考えるに現代の科学理論が反例に見える事実が観測されたように見えても容易にひっくり返らないのは、堅い核を変えたくないという「思い込み」が主要な理由とも言えません。もっと大きな理由は、理論を支持する膨大な観測事実を無視することができないからです。むろん【過去の膨大な観測事実を現理論同様に説明できて】なおかつ新たな観測事実、現理論の反例となる観測事実をも説明できる新理論があるならば話は別です。

 そしてこの「現理論を支持する事実」の中には他分野の多くの理論も含まれます。言い方を変えれば、現代の科学理論というのは、多くの分野の多くの理論がセットとしてひとつの理論を構成しているとも言えます。特に物理化学の理論は、それが変ると他分野(天文学、考古学、生物学など)の理論にも変化を及ぼすものであり、逆に言えば、他分野の膨大な観測事実により検証されているので、容易なことではひっくり返りません。

 実際、例えばニュートン以来の物理理論は、いわゆるコペルニクス的転回のような劇的な変化はしていません。相対性理論によるニュートン力学の破れが観測されるのは速度が光速に近い領域であり、通常速度の領域ではニュートン力学が正しい理論であることはひっくり返ってはいません。相対性理論はニュートン力学を拡張したのであり、ニュートン力学は相対性理論の近似理論となったのです。これは量子力学に関しても同様です(*2)。

 このように現代の物理化学理論がまたいつかコペルニクス的転回を受けることはまずありえないと考えられます。それは、過去に積み上げられた精密な観測事実の集積や、物理化学理論が正しいという仮定のもとで動いている様々な技術製品の働きなどの日々の膨大な観測事実を無視できないことが大きいでしょう。

 しかし、物理化学以外の分野の理論はどうでしょうか?


 余談ですが、世界の様々な現象の関連がわかってきたメリットのひとつには、[>>156]で述べたフェイクを見破る手段が増えたことも挙げられます。

-----------
*1) 科学哲学用語としてのハードコアは若干意味が違うようだ。wikipediaの記事「ハードコア (科学的リサーチプログラム)」参照。
*2) ニュートン力学の破れは非常なミクロの世界においてであり、ニュートン力学は量子力学の近似としては正しい、ということは確かである。とはいえ、量子力学における物質観はコペルニクス的転回と呼べるとも言える。それは相対性理論における時空概念についても言える。さらに言えば、天動説が破れるのは力学的現象をも説明しようとする場合であり、天動説は地動説の近似(というには質が違うが)だと強弁することもできるかも知れない。
  要点は、新しい理論が正しいと認められるためには、旧理論が説明できたことは説明できないといけないということである。

159Ken:2018/09/01(土) 18:24:58 ID:29AIi7KU
>>158

まだすべての説明を完了しておられないかもしれませんが、1点だけ確認させていただけますでしょうか。

>新しい理論が正しいと認められるためには、旧理論が説明できたことは説明できないといけないということである

すでに何度か述べたように、ニュートンの光粒子説に対してホイヘンスは光波動説を提唱しました。光粒子説では説明できない事実を、光波動説は説明できると考えたからです。光粒子説で説明できない事実とは、

1.光同士が交差する
2.光が屈折する

というものです。2はちょっと微妙で、17世紀の常識では粒子説でも説明できたかもしれません。なにしろ分光を発見した当のニュートンが粒子説だったのですから。でも1はたしかに粒子説では説明ができませんでした。(もっとも中性子やニュートリノが知られていたら、話は変わったのでしょうけど。)

その一方で、光粒子説ならすっきりと説明できる事実を、光波動説は説明できませんでした。

1.光が必ず直進する
2.光が真空中を伝わる

1はヤングが回折現象を確認するまで、2は光の正体が電磁波と分かるまで、説明ができませんでした。

このように、それまでの理論が説明できたことを説明できない形で、新しい理論が登場することもあるのではないでしょうか。

160diamonds8888x:2018/09/02(日) 08:25:19 ID:y9yGvaEo
>>158
 物理化学以外の分野でなら、コペルニクス的転回を受けている理論はあるのでしょうか? 最も目立つのは歴史分野のように思えます。その例は以下の本で見られます。なお、最初の本は歴史以外での変化も書かれていて、なかなかおもしろいです。

  ・現代教育調査班(編集)『こんなに変わった!小中高・教科書の新常識 (青春新書プレイブックス)』青春出版社(2018/01/20)
  ・河合敦『もうすぐ変わる日本史の教科書: “常識”を塗りかえる新しい定説が続々―― (KAWADE夢文庫)』河出書房新社(2017/09/20)
  ・山本博文(監修)『こんなに変わった! 日本史教科書』宝島社(2017/05/20)
  ・高橋秀樹,三谷芳幸,村瀬信一『ここまで変わった日本史教科書』吉川弘文館(2016/08/25)
  ・山本博文『こんなに変わった歴史教科書 (新潮文庫)』新潮社(2011/09/28)

 歴史分野だと確かに、従来と180度違う記述になっているものも多数見られます。それは歴史の一部でもある古人類の進化史でも同様ですし、恐竜など個々の系統の進化史でも終始見直しが入っています。

 しかしこれらの広い意味での歴史分野の事例は、理論の転回というよりは事実の見直しの事例がほとんどに見えます。それは一言で言えば、過去の事実を明らかにする手段が進歩したからと言えると思います。それは例えば考古学的遺物や古文書の調査に進歩した自然科学技術を使うといったわかりやすい例から、方法論の進歩などといった専門外の人からはわかりにくい例などもあるでしょう。

 そしてこれらの分野でも、新しく正しいとされた事実は、従来の事実よりも根拠となる理論や新事実がより多く確かなものであると考えられます。それもまた知識の積み上げの一環であり、新しく正しいとされた事実は従来の事実よりも覆されにくくなっているのではないでしょうか。我々は巨人の肩の上にいるので、その巨人を全否定したら落っこちてしまうのです(*1)。

 天文分野でも「従来の常識を覆す天体」というものは結構見つかっているようです。こちらはまさしく観測技術の進歩によるところが大でしょう。太陽系外惑星の探査が好例で、21世紀に入ってから新発見の連続で「どんな惑星が一般的か?」という点に関しては二転三転で専門家も興奮状態みたいですね(^_^) 冥王星の準惑星への降格事件は一部の人達にとってはコペルニクス的転回に思えたかも知れませんが、冷静に考えれば、今まで見えなかった天体が多数見つかることで惑星の分類が見直されたということです。

 天文分野には【従来の理論では説明できない観測事実】の好例があります。それはダークマターです。その正体については未だに様々な理論が乱立状態ですが、ダークマターなどというとんでもないものの存在を仮定するか、さもなくば重力理論を大幅に修正するかしないと説明できない観測事実の存在だけは、すべての天文学者が認めています。トンデモ系の著書の決まり文句のような「常識と権威にとらわれて事実を無視する頭の固い既存の科学者」なんて人はいません。


 もっとも、上記にあげた教科書変化本も含めて非専門家相手の啓蒙書では「常識が変わった」という点を強調する表現は多いし、「自分以外のプロは常識にとらわれている」みたいな書き方の本も、特に歴史など文系の啓蒙書には多いような気はします。

 (続く)
-----------
*1) 乗っかる巨人を間違えるとあらぬ方向に連れていかれるのでご用心(^_^)

161diamonds8888x:2018/09/02(日) 08:28:02 ID:y9yGvaEo
>>159
 両理論とも、説明できにくい点はあっても説明できないという点はありません。Kenさんの示された難点は当然ながら両陣営ともに知っていて、それぞれに様々な補助仮設を入れることにより説明しています。調べた限りでは以下のRef1が一番詳しそうです。なお時間的には波動説がまず最初ですね。Ref2は概要を示してますが、粒子説を最初に持ってきていて、ミスリーディング気味です。

  Ref1) 物理教育 第43巻 第4号〔1995〕[ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf]
  Ref2) [ttp://www.nararika.com/until2015/butsuri/kagakushi/nami/hikari.html]
  Ref3) 粒子説で光の屈折を説明[ttp://uchu-kenbutsu.hatenablog.com/entry/2016/06/06/102332]
  Ref4) 粒子説で光の屈折を説明[ttp://optica.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-cabf.html]

> 1.光同士が交差する

 これはもしかして干渉のことですか? それとも交差しても衝突しないということですか? 後者はRef1では、ホイヘンスによる「波の独立性」と書かれていましたが。

> 2.光が屈折する

 Ref3,4の通り、ちゃんと説明していました。苦しい気はしますが。

> 1.光が必ず直進する

 これは私の知らないことのようです。波が直進したら、なぜいけないのですか? Ref1では「波の直進、反射、屈折をうまく説明した」と書いてありますが?

> 2.光が真空中を伝わる

 「波は媒質がないと伝わらない」という理論に反するということですが、エーテルを仮定することで説明していました。


 もちろんこれらの説明にも難点はありますし、すぐに検証ができたわけでもありませんが、「説明しなかった」ということはありません。まあ、すぐに検証ができるのだったら論争など必要ありませんし。

162Ken:2018/09/03(月) 21:27:27 ID:29AIi7KU
>>161

>1.光同士が交差する
>これはもしかして干渉のことですか? それとも交差しても衝突しないということですか? 後者はRef1では、ホイヘンスによる「波の独立性」と書かれていましたが。

はい、Ref1の4の序説で「波の独立性」といわれているものです。粒子説ではこの現象は説明できなかったはずです。

>1.光が必ず直進する
>これは私の知らないことのようです。波が直進したら、なぜいけないのですか?

これはRef1の4.1(2)で言われている回折現象の不在を意味します。波なら障害物の背後に回り込むはずですが、19世紀初頭のヤングの実験前には、光の回折はなく、直進するだけと思われていました。

>2.光が真空中を伝わる
>「波は媒質がないと伝わらない」という理論に反するということですが、エーテルを仮定することで説明していました。

一番の問題はこれですね。仮定するといっても、そんな仮定をしてもよい理由はなかったはずなのです。

真空という、物質不在の空間を光が伝わる事実は、本来、光波動説への反証になるはずです。これに対して光波動説の側がそれは反証ではないと主張するには、次の2つのどちらかを行わねばなりません。

1.波には媒質が必要という理論を否定する(その後の歴史でそうなりましたが)
2.光の媒質を発見する

エーテルなる物質が空間に満ち、それが光の媒質であると主張するなら、エーテルの現物を観測するか、もしくは光が空間を伝わるという事実とは独立した、別の根拠に基づいてエーテルの存在を示すべきでしょう。でも光波動説がエーテル実在の根拠としたのは、光が空間を伝わるという事実そのものですから、これでは論理の無限ル-プになってしまいます。

光波動説がみずからの理論をより精緻なものにするため、例えばRef1の6.1(2)に書かれたようなエーテルの弾性率と密度を予測するのは結構ですが、それだけではエーテル実在の根拠になりません。光の速度を元に弾性率と密度を算出したのなら、検証には、光の速度とは別の根拠に基づいて、そのような弾性率と密度の物質が存在することを示す必要があります。

以上の理由により、光粒子説も光波動説も「説明できにくい」というより「説明できない」難点を抱えていたと、私は考えます。

なお、新しく登場した理論の方が古い理論よりも、説明できないミステリーを多く抱えるという点では、コペルニスクスが提唱した地動説はもっと極端な例でしょう。

*なぜ大地のような重いものが動くのか
*なぜ世界に恒常的な風が吹かないのか

こんな疑問が起こることは、天動説ではなかったのですから。

163diamonds8888x:2018/09/09(日) 08:31:13 ID:u4p17aRc
[>>162]にはKenさんが誤解している点が露わになっています。これで説明がしやすくなったと思いますが、以下、よく注意してお読みください。

 新理論を提案する時には、すぐに検証されたり反証されたりする必要はありません。検証や反証の方法が原理的に提案できればいいのです。すぐに検証されたり反証されたりできるくらいなら議論なんて続かずにすぐに決着がつくのですから。あるいはその方法は提案当時の技術では困難かも知れませんが、それは本質的問題ではありません。その困難は将来には克服できるかも知れないし、実際に克服されてきたのが科学の進歩の歴史です。

 エーテル仮説について言えば、おっしゃる通り「2.光の媒質を発見する」ことができれば検証できますし、どうしても発見できなければ反証になります。これはエーテル仮説が「反証可能性を持つ」ことであり、現代の基準に照らしても科学的仮説の資格があることを意味します。【当時、すぐに検証できるかどうかは関係ないという点に御注意ください】。

 もちろん発見するためにはエーテルの性質を示して(理論的に仮定して)、どんな現象が観測できるかを予言しなくてはなりません。それは例えば以下のようになされました。

  ・エーテルは光を伝える媒質であり、通常物質と同等の運動性質を持つ。具体的には以下、
  ・光はエーテルに対して一定の相対速度cで伝わる。
  ・ゆえに、例えば地球に対する光の相対速度は、cに地球とエーテルとの相対速度を加えたものになる。

 こうして光速度を正確に測定できれば地球とエーテルとの相対速度を観測することができ、エーテルの発見(いわゆるエーテルの風の発見)になる、という結論が導かれました。そして御承知の通りエーテルの風は見出されず、エーテル仮説は反証されました。エーテル仮説が反証可能な科学的仮説であった何よりの証拠です。

 エーテルの性質については他にも、質量や密度、粘性なども考えられますが、もしもエーテルの運動が見出されていたならば、その観測により、これらの性質も観測できたはずです。Ref-1によれば光速度から密度と弾性率が計算されたようですが。その他、波を伝える媒体である水や空気や個体などとの類推から様々な性質が予測され、それゆえにKenさんが挙げている「様々な難点」が見出され議論することができました。すなわち、【科学的観測事実との比較ができた】のです。これこそがまさに科学的理論であることの資格です。


 エーテルのように未知の何かを仮定して理論を立てるということは物理学の歴史上では頻繁に行われています。ニュートリノ仮説を最初の例として、クォーク仮説など新素粒子を仮定する理論は枚挙にいとまがありません。素粒子ではありませんがダークマターの存在も、重力理論は変更せずに未知の物質を仮定するという理論による予測です。

 ここで大切な点は、仮定した未知の何かの性質を示し、どんな観測でその性質がわかるかを示すことです。それがすなわち反証可能性を示すことになります。例えばダークマターは「通常の物質同様に運動法則に従い、質量に比例する重力場を発生する」「通常の物質とは重力以外の相互作用はほとんどしない」という性質が仮定されています。その仮定された性質を元にシミュレーションも行われ、観測可能な通常物質である星雲などの観測事実と比較するということが行われています。

 では進化を説明するためにデザイナーを仮定する理論はどうなのか? デザイナーの性質として原理的に観測可能な現象を予測できるようなものを明確に示すならば科学的検討を行うことができるでしょう。別コメント[>>164]でちょっと考察してみます。


 なお、光速度不変という観測結果は粒子説でも説明できないものです。まさに、光粒子説も光波動説も「説明できにくい」難点を抱えていました。つまり何らかの改良を加えない限りは「説明できない」難点を抱えていました。これは複数の理論が対立している状況では普通のことです。難点のないような理論があるなら、それが多くの人に支持されて定説化するはずですから。難点があること自体は科学的仮説である資格を失う理由にはなりません。観測事実に反するかのように見える難点の存在は、まさしく理論が反証可能性を持つことを示していると言えます。

 なお、本筋には必ずしも不要ですが、指摘しておいた方が良い点を別コメント[>>165]で書いておきます。

164diamonds8888x:2018/09/09(日) 08:32:30 ID:u4p17aRc
>>163
 進化を説明するためにデザイナーを仮定する理論は、エーテル仮説やダーママター仮説と同様に科学的仮説と言えるのでしょうか? いずれも「未だ観測されていない何か」の存在を仮定している点では同じに見えます。しかし既に述べたように、その何かの性質を示し、それによって原理的に観測可能な事実は何かが示されなければ、科学的検討の対象になりません。私は寡聞にしてID論者が提案したそのような性質を知りません。ここでは、そのようなデザイナーの性質として考えうるものを検討してみます。

 基本的にデザイナーの性質として仮定されているのは以下のようなものだと思われます。
  1.進化に介入しようという意図を持ち、介入を実行する能力がある。
  2.実際に地球上の進化に介入してきた。

 1だけではデザイナー自身以外には観測は不可能です。何も行動していない人の頭の中身を観測するようなものですから。そこで2を観測できるかどうか、ですが、これだけでは具体性に欠けるでしょう。具体的に、どの生物のいつの時期の進化に、どのように介入したのかという仮説を示さなければ、科学的に検討することができないでしょう。

 私の知る限りID論側の示しているのは次のような事例です。ただし具体例として示したのは、単に私が例としただけで、実際にID論側からの提案にあるかどうかは知りませんので、誤解なきよう。
  ・ある進化の事実、例えばアウストラロピテクスからホモ・エレクトスへの進化は
   自然選択説では説明できない。ゆえに上記1、2の性質を持つ者の存在を仮定すべき
   である。

 仮定するのはいいですが、これだけではやはりいかなる観測事実を求めて検討すべきかが不明です。
  ・どのように介入したのか?
  ・その場合、どのようなことが観測可能なのか?(どんな痕跡が残るのか?)

 こんなことが示されれば初めて科学的検討ができます。その点ではKenさん提案の「実際に行われている人による品種改良と同じ方法を使った」という理論なら原理的に検討できる可能性があります。

 繰り返しますが、エーテル仮説やニュートリノ仮説、ブラックマター仮説では、原理的に観測可能な現象を予測できるような、未知の何かの性質が仮定されていましたから、科学的検討ができたのです。それは過去や現在の活発な議論が示しています。

 とはいえ、デザイナー仮説を科学的に検討可能な理論へと進展させる仕事は提唱する側の仕事です。現在の定説側の科学者にそれを求めるのは無理です。なぜなら私も含めて定説側では、そもそもアウストラロピテクスからホモ・エレクトスへの進化は自然選択説で説明可能と考えているからです。ベータ崩壊で明らかにエネルギー保存則が破れていた状況とは全く異なります。

 本当に自然選択説で説明不可能な進化が観察されているならともかく、そうではないのにわざわざややこしい仮説を導入する意義は感じられないというのが、定説側の多くの人々の考えです。まさしく「そんな仮定をしてもよい理由はないはず」なのです。まずは本当に自然選択説で説明不可能な進化が観察されているのかどうかを確認するのが先決であり、その時点では余計な仮説など使う必要はありません。

 さらに自然選択説がだめだったとしても、替わりの仮説はデザイナー仮説だけとは限りません。これが天動説vs地動説の場合なら明らかに二者択一ですから一方の否定は自動的他方の肯定になりますが、自然選択説vsデザイナー仮説ではそうではありません。自然選択説の否定は、デザイナー仮説や定向進化説や、その他もろもろの仮説を提案する理由にはなりますが、その中で特にデザイナー仮説だけを優先的に取り上げる理由にはなりません。

165diamonds8888x:2018/09/09(日) 08:34:29 ID:u4p17aRc
>>162
以下はあまり本筋に影響しませんが、参考までに。

>そんな仮定をしてもよい理由はなかったはずなのです。

 理由は波動説を取るなら媒体があるはずだという点です。また論理的理由ではありませんが、そもそも歴史的には「真空の存在」の方が非常識とも言えます。[参考:wikipedia記事「真空」の2章「真空をめぐる歴史」]。

>光の速度を元に弾性率と密度を算出したのなら、検証には、光の速度とは別の根拠に基づいて、そのような弾性率と密度の物質が存在することを示す必要があります。

 必ずしもそうとは言えません。まあ、より多くの質の異なる観測事実で補強されるにこしたことはありませんが。例えばニュートリノの最初の検証については都立大学名誉教授の小林澈郎の講演[ttp://gakujutsu-kenkyunet.org/koenkobatetu.html]で「遂にニュートリノを捕まえた!」として紹介されています。これはいわばβ崩壊の逆反応を予測して観測したということになりますが、β崩壊とは質の異なる観測なのかどうかは見方により難しいのではないでしょうか。またダークマターに関しては重力相互作用以外に検証できない可能性もあるわけですが、それでも多くの理論と一致する事実が重なれば「実在する」と見なされるようになっていくでしょう。

> *なぜ大地のような重いものが動くのか
> *なぜ世界に恒常的な風が吹かないのか

 これはそれほど大きな難点と見なされていたのですか? 私の紹介した日経サイエンスの記事ではそうは見えなかったのですが。

 1番目は「天体は地上の物体よりも遥かに軽い」という観測されていない仮定に基づく疑問です。当時すでに太陽が地球より遥かに大きいことはわかっていましたし、それが理由で地動説を支持した人もいました。地動説側から見れば、それほど大きいものが地球より軽いというのも不自然でしょう。ましてガリレオの木星の衛星発見以降は、「天体も(少なくとも惑星は)地球と同じ物質だ」という考えが広まったでしょうし。

 2番目は大気が地球と一緒に運動すると考えれば問題ありませんし、実際に地動説側はそう考えていたでしょう。「地球が丸いならば、なぜ反対側の人々は落っこちないのか?」と同列の疑問に見えますが?(天動説vs地動説の時点では地球が丸いことは既定事実でした)。

 もしもこれら2点がそれほどの難点と見なされていたというならば歴史文献的根拠を示してください。

166Ken:2018/09/09(日) 21:39:48 ID:KrLV/igM
最も基本的なことから確認します。

私の質問意図は、>>158にて、

>要点は、新しい理論が正しいと認められるためには、旧理論が説明できたことは説明できないといけないということである。

と言われたことの意味を最大限に明らかにすることでした。これに対して>>163では、

〜将来検証できる可能性がある説明なら、説明として受容できる

と述べられたものと理解しますが、それでよろしいですか? たとえば光同士が衝突せず交差する現象を、粒子説は検証方法も含めて説明していたわけですね?


次に、以前からも言っていますが、私は今の段階ではIDの話をしたくありません。とはいえ>>164のように尋ねられたときは、できるだけ回答しようと思います。IDの観測可能な痕跡として私が真っ先に思い浮かべるのは、進化に干渉した存在が残した記録です。おそらくは私たちが知らない言語で書かれているのでしょうが、解読できる可能性もあるでしょう。図で説明されているかもしれませんし。

それと、

>さらに自然選択説がだめだったとしても、替わりの仮説はデザイナー仮説だけとは限りません。

前にも言いましたが、この部分は基準02の検証を通して論じるべきではないでしょうか?


エーテルについて確認させてください。

>・エーテルは光を伝える媒質であり、通常物質と同等の運動性質を持つ。具体的には以下、
>・光はエーテルに対して一定の相対速度cで伝わる。
>・ゆえに、例えば地球に対する光の相対速度は、cに地球とエーテルとの相対速度を加えたものになる。

地球に対する光の相対速度を観測しようとしたのがマイケルソンとモーリーの実験だと思いますが、光波動説の登場からこの実験まで2世紀の時間差があります。その2世紀のあいだ、波動説を唱えた人たちはこの検証方法を知っていたが技術的精度が伴わないので実行できなかったということでしょうか。

ご存知のように、マイケルソンに先行して光の速度を測定した人が何人もあり、フィゾーやフーコーなどはかなりの精度で測定しています。今の私たちが見ると、この人たちの測定精度でも、地球の速度の影響を検出するには不足だったかもしれません。では、この人たちは自分たちの精度不足を承知していたからエーテルの検証をあきらめていたのでしょうか?

言い換えれば、マイケルソンはエーテルの検証方法自体を独創したのではなく、2世紀前のホイヘンスから知られていた検証を可能にする技術を発明した人だったわけですね。

167Ken:2018/09/11(火) 00:03:46 ID:TbqNCAC6
>>163で述べられた「検証や反証の方法が原理的に提案できればいい」という点を明確にするための問題提議をしたいと思います。問題は、なにをもって「原理的に提案する」とみなされるのかということでしょう。具体例を挙げながら話を進めます。

17世紀に望遠鏡が発明されてから、その技術は進歩を続け、例えば太陽と同じ大きさと明るさの星を観測できる距離は10光年、20光年、100光年と伸びていきました。望遠鏡の倍率を上げるにはレンズを大きくすればよいことも分かっていました。ですから100光年先の太陽を観測できた天文家は、その時点では1000光年離れた星を見ることはできなくても、やがては見えるようになることが予測できたし、その予測を元に特定の理論の検証方法を提唱できたはずです。これは、ある時点では不可能でも原理的に可能とみなされる検証の分かりやすい例です。

一方、江戸時代から200年も続く邪馬台国論争は一向に決着しませんが、タイムマシンが発明され3世紀の日本を観測すれば簡単に決着するはずです。しかし、将来タイムマシンが発明される前提で過去の時代を観測できると予測する人はいないはずです。理由は、タイムマシンをどうやれば作れるのか想像がつかないからで、これは原理的にも不可能な検証です。

それではコペルニクスが提唱した時の地動説はどうでしょうか。天動説と地動説のどちらが正しいかは惑星を詳しく観測すればよいという点では原理的に検証可能でした。たとえば天動説では太陽と金星のうち地球に近い方はつねに近いのに対し、地動説では金星は太陽よりも手前になったり遠くになったりするので、金星も月と同様の満ち欠けをするはずなのです。したがって金星を詳しく観測し、満ち欠けをするかを検証すれば、天動説と地動説のどちらが正しいかは分かります。実際に、コペルニクスの1世紀後にガリレオがこの観測を行い、地動説の正しさを確信しました。

でもガリレオがそれをできたのはコペルニクスの時代には無かった望遠鏡があったからです。コペルニクスの時代よりも高性能の望遠鏡があったのではありません。コペルニクスの時代には望遠鏡の概念自体がありませんでした。そうなると、惑星の満ち欠けを判別するほど詳しく観測することは原理的に可能といえるのでしょうか。コペルニクスたちにとって惑星の詳しい観測は、今の私たちにとってのタイムトラベルと同様に、不可能なことだったのではないでしょうか。

エーテルの存在は19世紀末のマイケルソンとモーリーの実験で否定されましたが、彼らにそれができたのは、地球の速度の影響を判別できるほど光の速度を精密に測定できたからです。しかし彼らの測定技術は彼ら以前に光速を測定したフィゾーやフーコーの技術の発展形ではありません。フィゾーやフーコーは歯車や鏡を高速回転させ、歯のすき間を通過する光や鏡が反射する光を観測しましたが、これでは測定精度に限界があります。現代のサーボ機構のような技術がないのだから回転速度を精密に制御することも難しかったはずです。一方、マイケルソンたちは光の干渉計を利用して測定精度を飛躍的に向上させたのです。

光が干渉を起こす波であることは19世紀の初めには知られていたので、マイケルソンたちがやったことの原理は既知のものでしたが、その原理(光の干渉)を測定に活かすことを思いつかなかったのです。その場合、光速を測定してエーテルの存否を確かめることは原理的に可能だったといえるのでしょうか? 今の私たちが歴史を振り返れば可能だったというのでしょうが、それは「あと知恵」というものではありませんか?

以上の例のうちで「原理的に可能な検証」に該当するのはどれでしょうか?
私には、望遠鏡の性能が時を追って向上してゆく最初のケースだけだと思われるのですが。

168Ken:2018/09/16(日) 12:49:29 ID:p8H3bDaI
>>165で指摘された点について、私にできるだけのコメントをしておきます。

*ニュートリノ
紹介いただいた記事は、私が主張した「別の根拠」の例を語っているように私には思われます。最初にニュートリノの存在を思いついたのは、β崩壊の観測事実とエネルギー保存則を矛盾させないためで、これは17世紀の波動理論と光波動説を矛盾させないためにエーテルの存在を思いついたのと同じでしょう。

そしてCowanとReinesは、シンチレータ装置の中での発光現象を観測したのだから、元々の根拠(エネルギー保存)とは別の根拠でニュートリノを確認したのではありませんか?

当初の根拠:エネルギーの保存
新しい根拠:発光現象

*ダークマター
ダークマターについては体系的に書かれたものを読んだことがないので、現状の私の理解に基づいて、思うところを述べます。もしも見当はずれのことを言っていると思われたら無視なさってください。

ダークマターを検証する方法として重力作用以外にない、というのはあくまでも地球から観測する場合で、ダークマターがありそうな場所に行ってみれば、直接的な観測ができるのではないのですか? それは何億光年もの彼方かもしれませんが、とにかく今の私たちが知っている技術の延長で行けないものではない。その点で、過去の世界やブラックホール内部が観測できないこととは、性質が異なるように私には思えます。

*地動説のミステリー
遠くにある天体については自由な空想が可能でした。例えば、太陽はアポロ神が天空を駆る馬車であるというようなもので、確認はできなくても「そういうことがあってもおかしくない」と、古代以来の人は考えたのです。しかし、地球には引っ張ってくれる馬車も、押してくれる天使もいないことは、目の前の現実として見えますから、「動くはずがない」と考えるのが普通でしょう。

地動説なら風が吹くはずという発想も、実際に馬車に乗って走れば顔に風を受けますからね。たしかに地球の反対側の人は落ちませんが、古代以来の4元素説では空気は土(大地)に拘束されることがない(少ない)元素と考えられていたのです。

私が何の本でそういう話を読んだのかは、今は思い出せません。これまでの読書履歴からアジモフかセーガンではないかと想像はするのですが、とにかく文献的根拠を挙げることは残念ながらできません。

169diamonds8888x:2018/09/16(日) 15:57:32 ID:u4p17aRc
>>166 【基準02について】

>>さらに自然選択説がだめだったとしても、替わりの仮説はデザイナー仮説だけとは限りません。

>前にも言いましたが、この部分は基準02の検証を通して論じるべきではないでしょうか?

 そうかも知れませんが、私にしてみると基準02は単なる形式論理の問題であり、簡単な話なので一応述べておきます。納得しがたければ、おっしゃるように基準02の検証に入ってから存分にどうぞ。

 例えば天動説vs地動説の場合は、片方の否定は片方の肯定になります。完全に二者択一です。こんな場合は、仮説Aの反証は仮説¬Aの検証と同値ですから、どちらを検証しても構いません。

 しかし、考えうる仮説がA1〜Anと3つ以上あるならば、A1を否定してもA2の正しさには直結しません。基準02は単にこれだけの話です。

170diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:02:31 ID:u4p17aRc
>>167, >>166
【「あと知恵」問題】
 まず「あと知恵」問題についてです。確かに現代の智慧で歴史上の判断を断罪する「あと知恵」は好ましいものではありません。しかしそもそも「何が科学的方法か?」という考え自体も、過去の人々の苦闘により歴史的に発展してきたものです。それゆえ例えば近代科学の黎明期であるニュートンの時代の人々は、現代の眼から見て必ずしも「正しい科学的方法」に従っていたとは言えません。そのこと自体は指摘しなくてはいけないし、現代から見て勝利した側が、いつでも「正しい科学的方法」に従っていたわけでもありません。例えば既に御紹介した日経サイエンスの天動説vs地動説の記事では地動説側が神を持ち出した事例も紹介されています。

 要するに過去の科学者たちが取った方法は、それが「正しい科学的方法」であることの根拠にはならない、という点はまず押さえておいてください。その点を指摘しようとすれば、それは「あと知恵」にならざるをえません。

 しかし概ね多くの科学者は、特に真理は経験に基づくべきという哲学を取った科学者(自然哲学者)の多くは、科学的議論の場では「正しい科学的方法」に従っていたと、私は考えています。ただし現代の眼から見ると、そこに盲点があったことも事実です。問題を解いている途中はどうしても思いつかないのに、解答を見たら、「なんで思いつかなかったんだ」と悔しくなることはいくらでもあります。それはやはり、正解から、その時に陥っていた盲点の正体を探るということもまた必要だと思います。

 次の「原理的に検証可能」問題も好例でしょう。


【何が「原理的に検証可能」なのか?】
 なにをもって「原理的に検証可能」とみなされるのか、というのは確かに、突き詰めると難しい問題です。まず基準01で挙げた「へそ理論」は「原理的に検証不可能」な例です。もしかするとKenさんはまだよくわかっていないかも知れませんが。

 次に18世紀以前の科学者も「原理的に検証可能」とみなしてくれるであろう例を挙げます。

 第1はKenさんの挙げた金星の満ち欠けの観測です。ただし、金星の満ち欠けが地動説の証拠というのはちと早計でしょう。プラーエの修正天動説ならちゃんと説明できるはずですが?

 理論から金星の満ち欠けが予測できたとして検証のためには、誰もがすぐ思いつくのは「近づいてみる」ということでしょう。これは大昔から原理的には可能と考えられていたはずです。イカロスの伝説などもありますからね。

 望遠鏡の発明(1608,ハンス・リッペルスハイ)と天体観測(1609,ガリレオ・ガリレイ)以降は近づかなくても観測できる手段が手に入りました。この場合は「遠くの物をもっとはっきり見ることができれば」ということを実現したのですが、この方法は誰の頭にも思い浮かばなかったかも知れません。ではもしも望遠鏡発明前の誰かが「遠くの物をもっとはっきり見ることができれば検証可能だ」と言ったとして、それがどう受け取られるか、という点はひとつの論点にはなりそうです。

 第2に、そもそも天動説vs地動説は基本的には近づいてみれば決着がつきます。いやむしろ、「遠く離れて、地球と月と太陽の動きを観測してみれば」という方が良いでしょうね。これは原理的には可能な方法です。むしろ古代人の中には実際よりも簡単にできると想像していた人達もいたように見えます。現実にはこの方法はなかなか実現しなかったために、三角法で距離を測定するなど、様々な手段を駆使しての論争が続いたわけです。

 ゆえに、天動説も地動説も原理的に検証可能であり反証可能です。これは古代人も同意してくれると思います。彼らの中のある者なら、「神の視点に立てば検証可能だ」と表現するかも知れません。

 第3に地球と光の相対速度検出を挙げましょう。これは原理的に検証可能だが精度がなかなか向上しなかったという例ですね。光が並みだったので干渉を使って速度差を検出する方法が見つかったのですが、もし使えなかったとしても、2つの物の相対速度が原理的に検証可能であることは変わりません。

 長文エラーは拙いので、以下は別コメント[>>171]にします。

171diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:03:15 ID:u4p17aRc
[>>170]の続き
 さて微妙な例が「タイムトラベルによる検証」ですね。現代の多くの人々は「原理的に使えない」と考えるでしょう。19世紀後半の過去へのタイムトラベル物語[*]の登場以前は、「直接過去に戻って検証する」という概念自体が思いつかないものだったでしょう。『タイム・マシン』以降の数々のフィクションによる洗脳(^_^)と現代物理学先端の動向のおかげで、現代では「ひょっとしたら直接過去に戻って検証するのも将来的にはありかも?」という心の揺れを感じる人も増えているとは思いますが、まあこれは「原理的に使えない」と考えるのが常識的線でしょう。

 しかし「過去を直接的に観測する」となると原理的に不可能とは言えません。一番わかりやすいのは、例えば超光速で地球から遠く離れた場所へ移動し、光や電磁波で地球を観測することです。また現代物理学では「情報は消えない」という原理が考えられています。つまり過去の状況を示す情報は原理的には再現可能ということになります。実は過去を探る様々な方法というのは、今に残る過去の情報の痕跡から、過去の情報を再現しようとしていることに外ならず、それがどこまで再現可能かという精度をどこまで高められるかが問題だとも言えます。過去の情景をほぼ再現できるという魔法のような方法が、いつかは開発されるだろう、という予想を原理的に禁じる法則があるとは、ちょっと思い付きません。

 過去に戻る、となるといわゆる過去への干渉によるタイムパラドックスという原理的に困難な問題が生じますが、過去を直接観測するだけであれば、原理的困難は生じません。過去の場合は量子とは違って、いくら観測しようが観測されるものは影響を受けない、というのが常識的線でしょう。

 で、『タイム・マシン』以前の人々にとっても、「過去を直接的に観測する」というのは原理的には不可能とは言えないのではないでしょうか? 例えば神憑きの状態になって昔のことが見えるとか。いやこれは具体例を知ってるわけではなく想像ですが。

 でもまあ、「過去を直接的に観測する」というのも半々としておきましょう。


--------------
*)wikipedia「タイムトラベル#タイムトラベル物語の起源#過去へのタイムトラベル」参照
  ピエール・ブアタール『人類以前のパリ(Paris avant les hommes)』(1861年)
  マーク・トゥエインの『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(1889年)
  H・G・ウェルズ『タイム・マシン(The Time Machine)』(1895年)

172diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:05:52 ID:u4p17aRc
>>166【原理的に、他】

>〜将来検証できる可能性がある説明なら、説明として受容できる

>と述べられたものと理解しますが、それでよろしいですか? 

   Yes

>たとえば光同士が衝突せず交差する現象を、粒子説は検証方法も含めて説明していたわけですね?

 [>>163]ではこの件には触れていませんが、ここで訊かれても困惑します。私も歴史を詳しく知っているわけではありません。個人的には「光の粒子がごく小さければ衝突しないのは当然だろう」と誰でも考えそうに思いますが。衝突の確率は大きさ(現代用語では衝突断面積)と数によるはずで、前者が観測できれば後者が推測できます。

>IDの観測可能な痕跡として私が真っ先に思い浮かべるのは、進化に干渉した存在が残した記録です。おそらくは私たちが知らない言語で書かれているのでしょうが、解読できる可能性もあるでしょう。図で説明されているかもしれませんし。

 素晴らしい。つまり「IDは記録(他者に伝えるための手段)を作る能力と意図を持つ」という仮説わ立てたことになりますね。そのようにIDの性質を規定することが、「理論を科学的に検証可能なものに整える」ということになるのです。まあ、ではどこを探せばよいかとかが必要ですけど。ID側が本当にそんな努力をしているなら、エールを送りますけどね。

>では、この人たちは自分たちの精度不足を承知していたからエーテルの検証をあきらめていたのでしょうか?

 詳しくは知りませんが、あきらめていたというより、頑張ったけれど精度不足でだめだったということではないでしょうか? 現在でも今までも、科学の歴史ではいつでもあることですね。

>言い換えれば、マイケルソンはエーテルの検証方法自体を独創したのではなく、2世紀前のホイヘンスから知られていた検証を可能にする技術を発明した人だったわけですね。

 「地球と光との相対速度の変化を検出する」という点では、昔から知られていたというべきでしょう。ただ御承知の通り、粒子説でも地球と光との相対速度の変化はあるはずなのです。ただエーテル説では相対的光速度が一定の物体があれば、その物体がエーテルに対して静止していることになり、間接的に「エーテルの運動を」検出できる、という風に考えたのだと思います。

173diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:16:50 ID:u4p17aRc
>>168
 一応は脇道への御回答をわざわざありがとうございます。少し余裕がないので、コメントは余裕ができた時で御容赦ください。ただ1点、若干の不満を述べさせてもらいます。

> 私が何の本でそういう話を読んだのかは、今は思い出せません。これまでの読書履歴からアジモフかセーガンではないかと想像はするのですが、とにかく文献的根拠を挙げることは残念ながらできません。

 強制できることではありませんが、真剣に議論するつもりであれば、他の出典を調べる努力くらいは試みてほしいと望みます。別にKenさんが昔読んだ出典でなくても構わないわけで、要は、発言で示した記述の根拠を示していただきたいだけですから。

174diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:31:50 ID:u4p17aRc
>>168
 もう1点、若干の不満です。

 昔の人と言っても19世紀以前に限っても長い歴史があり、各時代で人も思想も違います。「当時の人々の視点に立って」という見方が必要という事は互いに暗黙で了解していたと思いますが、異なる時代の人の視点を混同するのは拙いこともあるでしょう。天動説だって歴史的変遷をしているのですから。

 両説の歴史的変遷については「天動説と地動説-2 投稿者:diamonds8888x 投稿日:2018年 4月14日(土)08時13分29秒」[ttp://6609.teacup.com/natrom/bbs/19960]でまとめましたが、もう少し詳しくまとめておきましょうか? それとも、Kenさんの方でまとめてみますか? この歴史の中で、どの段階での話か特定しないと的外れになる場合もありますからね。

175Ken:2018/09/18(火) 22:50:22 ID:p8H3bDaI
diamonds8888xさんのお考えがようやく分かってきたように思います。

私は、実現はしていないが原理的には可能な検証とは、現状から具体的に予測しうること、とりわけ現存する技術の延長が可能にする検証と理解していました。例にも挙げましたが、すでに望遠鏡を知ってる人がさらなる高倍率の機種の出現を見通すとか、素粒子研究に粒子加速器を使う人がより大出力の加速器を予測するとかです。かつて半導体の集積度が2年ごとに2倍になる「ムーアの法則」が提唱されましたが、そこからどんなコンピュータがいつ現れるかを予測した人もいたでしょう。

しかし今回のdiamonds8888xさんの投稿を見ると、具体案がなくても漠然とした可能性があれば、原理的に可能と考えてよいという主張をしておられるようです。

なるほど空を飛んで惑星を観察しに行けばよいわけですか。もっともイカロスのように鳥の翼を人体に取り付けたら空を飛べると考える人は16世紀には(おそらくは古代ギリシャにも)いなかったと思いますが、一方で、13世紀にはロジャー・ベーコンが飛行機械を予言していますし、そんな機械の想像図を書いたレオナルド・ダ・ビンチはコペルニクスの同時代人でした。

そうであれば、コペルニクス時代の人は、空を飛ぶための現実的な具体案はなくても、不可能とはいえないと考えていたことはありうるでしょう。このような

〜できるかもしれないが、今のところ実現の具体案がない

状態を「原理的に可能」とみなすのなら、天動説・地動説の判別は該当するかもしれません。

エーテル風の検出も同じですね。マイケルソン以前の人たちは、どうすれば必要な精度で光速を測定できるのか具体案はなかったけれども、とにかく光速の測定をやっていたし、いずれは精度が上がることを期待してたでしょう。それをもって「原理的に可能」とみなすのなら、それは1つの見識だと思います。

ましてや、過去を観測することまで原理的に可能と考えるのなら、対象は非常に拡大するでしょう。超光速で移動するには、特殊相対論の否定すくなくとも修正が必要ですが、それができるかもしれないという立場をとるのですから。ブラックホールもしかり。内部を観測する具体案がまだないだけです。


さて「原理的に可能」の意味は分かりましたが、そうなると検証可能な仮説の範囲は一気に拡大し、世界5分前仮説すらも入るのではないでしょうか。

世界5分前仮説とは、世界は5分前に作られたが、そのずっと前から存在したように偽装されており、偽装は完璧で、世界のどこにも「真相」を暴く材料がない、という考えですね。でも、真相を暴く材料がないのは作られた世界の「中」だけを見るからで「外」を見れば真相が分かるかもしれません。

以前に紹介しましたが、実は世界5分前仮説と本質を同じくする理論があるのです。NASAの変な技術者が唱えたもので、この世はシミュレーションで、私たちはゲームのキャラクターというものです。そのようなゲームキャラが自分たちの世界の真相を知るには、シミュレーション世界の外を見ればよい。そこには「世界」を作ったプログラム、読み込んだデータベース、なによりもプログラムやデータベースを搭載したコンピュータがあるはずです。

世界5分前仮説も同様です。いかなる現象にも原因があるはずですから、5分前に世界を作った原因を世界の「外」に探せばよい。それは意思をもった「神」かもしれないし、意思をもたない自然現象かもしれません。

もちろん、どうすれば世界の「外」を探求できるのかという具体案はありませんが。

176ミケ:2018/09/19(水) 18:20:15 ID:hmI6xcyU
本当はdiamonds8888xさんもKenさんに自分でたどり着いてほしかったのだと思いますし
本来は1対1の場なので私が出てくるべきではないのですがあまりにもまどろっこしいので私が答えを言っちゃいます。
Kenさん返信は要りませんが理解の一助になれば幸いです。
科学哲学の文献を紹介されても読んでなさそうな当たり、そもそも理解するつもりがなさそうな気配もしますが。

まず、第一掲示板にも書きましたが、
地動説はその理論から、「年周視差」という予測をもたらしており、
ティコ・ブラーエは「年周視差が観測されなかった」ことを理由に天動説を支持しています。
これはすなわち、望遠鏡の発明を待たずとも地動説のもたらす予測を確かめること自体は可能であり、
その確かめた内容の正否はともかくも、その時点で既にその当時の技術で普通に反証可能だったということになります。

まあそれも些細なことでして、
一番重要なのは【地動説はその理論から、「年周視差」という予測をもたらしており】
という部分。

地動説は、きわめて具体的な理論の集合体ですから金星の満ち欠けに限らず、年周視差や惑星の航行などなど、
その理論にいろいろな仮定を代入して展開することでいろいろな予測をもたらすことができているわけす。

その仮説が具体的な理論の集合体であり、さまざまな仮定を代入してさまざまな予測をもたらす
(予測通りになるか確かめることが可能)という点。
これこそが原理的反証可能性の正体なのです。

「実現の具体案がない」と言っても
上記のように
「具体的な理論から予測を組み立てたものの、予測通りになるかどうかを技術的・能力的に確かめるのが困難なケース」

宗教さんがよく主張する一般的なID論やら世界5分前仮説のように
「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」
とは異なります。

後者は、科学の世界では、原理的に反証不能とみなされます。
後者は、仮説そのものが具体性に欠けるがゆえに具体的な予測をもたらすことができず、
予測をもたらさないので予測通りになるか確かめようがなく
単に「何か直接見られたらいいな」と思ってるだけで具体的なプランを考え出せる見込みがありません。

一方前者であれば、なんらかの発想の転換で代入する仮定を変えてエレガントな予測を組み立て、
確かめることが可能な予測に仕立て上げることができる可能性はあります。
具体的であれば色々な角度から予測を組み立てることができるわけですね。
後者はどうでしょう?
世界の外に出たる以外にどんな予測を立てられますか?
発想を転換して恒星の年周視差や光行差のような予測をもたらすことができるでしょうか?

たとえば理系の教授は、
前者を修論・卒論のテーマとして学生が扱うことを(ダメ元で)認めるケースもあります。
しかし後者を研究テーマとして認めることはありません。

>>172で「IDの記録」をdiamonds8888xさんがすばらしいと評したこともこれと関係しており、
IDの正体を「記録(他者に伝えるための手段)を作る能力と意図を持つ」と仮説を立てれば、
その性質を逆手にとって利用した予測が可能となりえるので
「理論を科学的に検証可能なものに整え」られていきます。
いつ、どこで、どのような手段で干渉したかの仮説もあればさらに具体的な予測が可能になります。
あえて干渉させるような実験も組めるかもしれません。
ただし、その予測通りにならないのならばその仮説を捨てたり修正したりして
最終的にはID論じゃなくて単なる機械的な進化論に落ち着いてしまう可能性もあるわけですね。

たいていのID論者はKenさんも含め、否定されるのを恐れてか、
IDの性質も、IDがどのように鑑賞したのかも、具体的な仮説として整えようとはしません。
進化論を否定しようとするのみです。
そうすると当然、具体性に欠けるがゆえに具体的な予測をもたらすことができず、
したがって科学にならんわけですな。

というか、科学とは何ぞや、どうして(一般的な宗教系の)ID論が科学たりえないのか、ということを知るには
科学哲学の資料をKenさんが読むのが一番近道だと思うのですが
Kenさんがとりあげるのはdiamonds8888xさんの主張を否定できそうな過去の歴史のみ。

単に言い負かしたいだけなのではないのかと勘ぐってしまいますね。
ここでdiamonds8888xさん一人言い負かしたところで教科書に載らない現実は>>44のとおり変わらないのですけど。

177diamonds8888x:2018/09/23(日) 09:10:49 ID:M635kl2o
>>175 随分と極端に振れますね。[>>170,>>171]の世界五分前仮説と微妙な例との間には違いがあるから、わざわざ考察しているのですよ。そこは空気、ではなくて意図は論理的に読んでください。

 科学的方法を知っている多くの人は、その違いをいわば直観的に見分けて「世界五分前仮説は反証可能性なし」と判断します。ちょうどミケさんのコメント[>>176]のように。ただ直観的であるだけに、直観の働かない人にそれを言葉で表現するのは難しい。またこの直観の働く人が全人類の何割なのかはデータがない。てことで、直観の働かない人のサンプルであるKenさんとの議論は、私にとってはひとつの挑戦であるのです。

 でもね。自分が私やミケさんにはすんなり働く直観が、現時点では働かないということ、その直観が私たちの言う「科学的方法」と密接につながっていること、これは自覚してほしいです。そういう違いが彼我にあることを自覚せず、自分の過去のやり方だけに固執されると、なかなか理解してもらうのが難しそうですから。

 まあ、ミケさんの説明の「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」と他の原理的には検証可能なケースの違いが理解できるなら、それでことはOKなんですが。いかがですか?


 さて、中間のケースをいくつか提唱されましたね。全部同じだとお考えのようですが、そうではありません。

>「外」を見れば真相が分かるかもしれません。

 世界五分前仮説は外というものは想定しません。また何者かが作ったとも想定していません。wikipediaのバートランド・ラッセルの「世界五分前仮説」は読みましたか? ゴスの「オムファロス」(へそ理論)の記事ではなくて。

 また仮に作った存在や「外」を想定したとしても、我々「内部の観測者」がそれを原理的に観測不可能であれば、我々にとっては反証不可能です。ここで原理的というのは例えば「世界五分前仮説」の理論上で原理的にという意味になります。【注意しますが】我々の科学は「内部の観測者」にとっての科学です。外部の目を持つことが原理的にゆるされない理論であれば、我々の科学は外部の目という手段は【原理的に】使えないのです。

 という視点で中間のケースをいくつか見てみましょう。違いを考察してみてください。もちろんそのフィクションの作者の設定、すなわち理論の設定によりますけど、まあ大まかに分けてみてということで。

・「この世はシミュレーションで、私たちはゲームのキャラクター」という理論に似た仮説は他にも知られています。主人公たちが実は本やテレビの登場人物だったとか、理由もわからず戦っていた自分たちが実はチェスの駒だったとか、フィクションでは色々知られています。

・似たように見える例には、体験していた世界が実は夢、というか脳内体験でしかなくて、実際の肉体は機械につながれていたとか、脳だけだったとかいうのもSFガジェットとしてはポピュラーです。映画「マトリックス」は名前くらいはKenさんも御存知かも知れません。

・現実のような夢の話は、例えば杜子春、邯鄲の夢(枕中記)、南柯記など大昔からありますね。これら昔の伝説ないし、それを元ネタにした近現代のフィクションでは、最終部までには夢から覚めることがほとんどです。まあ覚めなければ、それまでが夢だったとはわからないのですが。


 まあ、どの理論も現実の科学には使えませんけどね。その理由は、誰の視点かを基本に考えてみるといいですよ。


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 このところ時間が不足気味で、1週間ごとの対応も難しくなるかも知れません。その間に御自分で議論を読み直すなり、関連文献を読み直すなりしてお待ちください。

 それから私や他の人の紹介したものでお読みになったものがあれば、感想とまでは言いませんので「読んでみた」という報告くらいはお願いします。アシモフやセーガンの著書も昔のものですから、科学史上の事実の点だけでも古びている恐れは大きいです。以前に日本の教科書が変ったということを御紹介したとおり、歴史というのは近年の進歩がかなり大きい分野ですから。

 引用文献をきっちり示すのは困難なときもあるでしょうけど、「NASAの変な技術者」じゃなくて探せる情報くらいは付けてください。技術職でしょ。その辺は素人じゃないはずでしょ。レスをあと1日遅らせれば、それくらいできたはずでしょ。このコメントの例を御参考に。

178Ken:2018/09/23(日) 10:57:12 ID:.QxgUNGY
>>177

とりあえず2点についてお答えします。

>ただ直観的であるだけに、直観の働かない人にそれを言葉で表現するのは難しい。

私はむしろ直観(直感?)は、頭に浮かんでもできるだけ排除するように心がけるのですが。
もちろん直感したことを、あらためて論理的に導けるのなら話は別ですが。

今回はdiamonds8888xさんの基準に従うことで合意をしていますので、直観的な判断も用いるのだと言われれば受け入れようと努めてみますが、ただ

〜直観によってID論を疑似科学と判断する

と言われると、その先の話が続かないかもしれません。


>「NASAの変な技術者」じゃなくて探せる情報くらいは付けてください。

このことは>>141で紹介しているのですが。

>主張したのは「実績を上げているNASAの科学者」リチャード・テレルという人らしいのですが、この世がシミュレーションと考える根拠として量子論を持ち出しています。

あわせて動画も紹介しました。

youtu.be/3KH95YCSP_c
youtu.be/QZj1kYRT-fw

179diamonds8888x:2018/09/24(月) 10:38:45 ID:M635kl2o
>>178
 リチャード・テレルの件の確認はありがとうございました。でも、[>>175]の文だけで[>>141]を思い出せというのは、ちと酷ですよ。せめて141を参照として書いてあれば、わかったでしょうけど。


 直観という言葉は誤解されるかも知れないなあと思いながらも、うまい言葉が見つからなくて使いましたが、やっぱりそのまま受け取られちゃいましたね。直観とは言っても実体は論理的に説明可能なもので、それをなんとか表現しようとするのが私の試みでもあるのです。

 例えば数学やパズルの解は論理的に導けるものですが、それを思いつけるかどうか、また解答の説明を速く理解できるかどうかは人により違います。その能力をここでは「直観」と呼びました。よく使われる例は囲碁や将棋の達人が良い指し手を思いつく能力でしょうね。それは実は超能力でも超自然現象でもなくて、訓練でも身につく能力です。今回の例で言えば、世界5分前仮説と他の仮説との違いを見分ける能力です。Kenさんは、その違いに気が付かずに[>>175]のコメントを返したでしょう?

 なので個人的な語感では直感ではなく直観です。数学基礎論の直観主義数学の直観です。直観主義数学の直観にはたぶん、普通の人間なら見て理解できる事柄だけに基づくという意味が込められていると思います。

 他にも私の表現やジョークで戸惑うことがありましたら、おっしゃってください。コナン君の件でも戸惑わせましたしね。


 念を押しますが、直観的にはわからなくてもじっくり考えればわかるはずのことばかりです。「あらためて論理的に導ける」はずのことばかりです。

180diamonds8888x:2018/09/25(火) 06:21:51 ID:GgCZ2FfY
>>178
 [>>141]で御紹介の映像ではoral Englishだけで詳細がわかりにくいのですが、Kenさんは理解済みなのでしょうから、後述の点を参考に他の仮説との本質的違いを検討してみてください。それでも世界5分前仮説と「本質的に同じ」なのかどうか検討してみてください。

 デイスバリー・チャンネルの「モーガン・フリーマンが語る宇宙 S6」には「マトリックス」的世界の項目があり、テレビゲームの中の世界などとやや混同気味の紹介がありますが、これは違いますよね。他はS2,S3がありましたが、S1は見つけられませんでした。
ttp://documentary.wp.xdomain.jp/discovery/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%AC%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%83%9E%E3%83%B3%E3%81%8C%E8%AA%9E%E3%82%8B%E5%AE%87%E5%AE%99-s6/

 理論物理学からのまじめな話とすれば、ホログラフィック原理ないしホログラフィック宇宙の理論からの延長かとも思うのですが、テレル氏はその点には触れていたでしょうか? [例えばwikipediaの該当記事参照のこと]

 で、その仮説のポイントですが。

・実際のフィクション内の登場者は自由意志もなく実在さえしていないが、そこまで同様なのか?
 (実在の定義とかややこしくなりそうなら、我々のテーマでは考慮に入れない方が無難です)
・内の世界と外の世界との関係をどう仮定しているのか?
 (仮定ではなく、理論の公理からの演繹になるかも知れないが)

 一応念押しですが、特に後者のポイントは[>>177]の重要な論点とほぼ同じことであることはおわかりですよね? 「重要さ」に関する直観が違うかも知れないですからね。


【追伸】本当に1-2ヶ月お相手できないかも知れませんので、ごゆっくり。単発レスはできるかも知れませんが、その際はやや読みにくくなるかも知れないのであしからず。

181Ken:2018/09/27(木) 01:48:38 ID:TNgqY3ko
>>179

>直観的にはわからなくてもじっくり考えればわかるはずのことばかりです。「あらためて論理的に導ける」はずのことばかりです。

それなら私としては直観は気にせず論理に集中し、あらためてエーテルの検出と世界5分前仮説を比較しますが、その前に質問があったテレル理論について説明をしておきます。

まず、世界5分前仮説と「本質的に同じ」なのかですが、この世界がコンピュータ・シミュレーションなら、プログラムがコンピュータで走った瞬間にこの世界ができたのであるし、私たちが世界は昔からあると信じるのは、そういう記憶をもつキャラクターとしてプログラムされたからだから、世界5分前仮説そのものでしょう。

テレルはホログラフィック原理の話はしていません。というより、すべてはシミュレーション中の仮想世界なのだから、そもそも物理的な存在を必要としません。

>>141で書いたようにテレル理論の根拠は、私たちが観測する量子力学の現象です。diamonds8888xさんには量子力学の初歩的な説明は不要かもしれませんが、念のために簡単な解説をしておきます。ただし私が>>141で「あほかいな」と感想を述べたように、テレル理論は私には強引なこじつけとしか思えません。

私たちがどんどん小さな物体を見てゆくと、やがてそれ以上小さなものを観測できない限界に達します。もっとも中学校の理科実験室にある光学顕微鏡が光の波長より小さなものを見れられないのは17世紀の波動理論から導けることですが、いくら波長の短い光やX線でもやがては量子的限界に達して、それ以上に小さいものを観測できません。これは何かを見るために光なり電子なりを対象に当てると、その光や電子自体が小さすぎる対象を蹴飛ばしてしまうからです。これが不確定性原理で、観測できる最小単位を「つぶ」のようなものと考えると、万物はそんな「つぶ」の集合体であります。

そしてそれがコンピュータ・プログラムと同じ点だとテレルは言います。コンピュータ画像には画素(ピクセル)というものがあり、画素よりも細かい単位で画像を作ることはできません。そこでテレル氏は、私たちの世界の最小構成要素である量子の「つぶ」は、実はコンピュータの画素であるというのです。

もう1つの量子論的な特徴として、粒子と波動の二重性があります。たとえば、金属を熱すると電子が飛び出し、その電子が近くのスクリーンに衝突する場合を考えます。電子を実際に観測できるのは金属から飛び出す時とスクリーンに衝突するときですが、その時の電子は完全な粒子なのです。

ところが電子の発生源とスクリーンの間に、ヤングが光の回折現象を発見したときと同じ、2つの穴があいた衝立をおくとします。この場合でもスクリーンに着弾する電子は完全な粒子なのですが、スクリーンのどの場所にどういう頻度で着弾するかを記録すると、なんと波と同じ干渉縞を描くのです。「ファインマン物理学」に図が載っています。

www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html#Ch37-F3

空間移動中の電子は見えませんが、干渉縞を描くということは、電子は波となって2つの穴を通過したとしか思えません。そこでさらなる実験として、移動中の電子を見るために、その通り道に光源を置き、電子が通過したときに発光現象を起こさせます。するとたしかに移動中の電子を確認できるのですが、なんとスクリーンに干渉縞が出なくなるのです。

www.feynmanlectures.caltech.edu/I_37.html#Ch37-F4

結局、観測されない電子は波のように広がっているが、観測された途端に粒子としての実体を得るということです。観測されないときには実体が見えないのではなく実体がないのです。これが粒子と波動の二重性という、電子に限らないあらゆる量子の一大特徴にほかなりません。

さてコンピュータのゲームに登場するいろいろな物はどうでしょうか。たとえばゲームにアリスとボブという2人のキャラクターが登場し、ゲームプレーヤーは最初アリスを画面に出してゲームを進行させていたのが、ある時点でキャラクターをボブに切り替えたとします。すると画面からアリスが消えてボブが現れますが、ゲームの中の「ストーリー」としてはアリスの物語も続いています。しかしプログラムの中のアリスのサブルーチンやデータは、最新状態を保存してからメモリから消えるでしょう。一方、それまでメモリに存在しなかったボブのデータはこの時に存在を開始するわけです。

つまり、ボブを見るというゲームプレーヤーの行動がボブの実体そのものを出現させ、見るのをやめたアリスは存在自体が消えるのです。これが上記の電子の粒子的実体と同じであり、私たちの世界とコンピュータ・シミュレーションの世界の共通点とされています。

いかがですか?
実にアホなこじつけ理論と私には思えるのですが。

ただし、技術者としてのリチャード・テレル氏は、私(Ken)とは桁違いの優れた業績を上げているようなのですが。

182Ken:2018/09/29(土) 19:14:39 ID:2DANJ6sI
さて「原理的に検証可能」とは具体的にどんな状態を表すのか再度考察します。これまで主に地動説を題材にしてきましたが、空を飛んで惑星を観察に行けると認識されていたということなので、今回はエーテルを例にとります。エーテルはいつ原理的に検証可能になったのでしょうか?

エーテルの検証方法としては、観測者が空間を(つまりエーテル中を)動くことで光の速度の観測値が影響されるかを見ればよい。そして地球は宇宙空間を秒速30キロで動くので、その数値以内の誤差で光速度を測定できればよいわけです。これに成功したのが1887年のマイケルソンとモーリーですが、彼等の測定方法はそれまでの技術の延長ではなく新しい発想に基づくものでした。よってエーテルの存在検証は、光波動説の登場から2世紀後に可能になったと私は考えたわけです。もしもその前から検証可能だったというのであれば、歴史上のどの時点で可能になったのかを考えねばなりません。そこで光速測定の歴史をまとめてみます。

その前に、光波動説がいつ現れたかですが、以前にdiamonds8888xさんが紹介された資料では1665年となっています。

さて光速測定の試みの第1号はガリレオです。おそらく17世紀の前半でしょう。ある夜、彼と助手は開閉式のランタンをもって2つの山の山頂に登りました。まずガリレオがランタンの蓋を開き、数キロ離れた助手はガリレオからの光を見たら自分の蓋を開きます。助手からの光を見たガリレオが自分が蓋を開けた時間との差を記録し、2つの山頂の距離を時間差で割れば光の速度が分かるはずでしたが、光速が予測より大きすぎてこの方法ではまったく精度が得られませんでした。

次は1676年のレーマーです。木星の衛星を観察していた彼は、衛星が木星に隠れる現象が予想より早くなったり遅くなったりすることに気付きました。彼は、これは予測が間違っているのではなく、地球から木星までの距離が大きく変動するので、衛星の光景が地球に届く所要時間が変わるのだと考え、距離の差を時間差で割った結果、光速を秒速211,000キロ程度と算出しました。

次は1728年のブラッドレーです。星の観測位置が1年周期で変わり、ある時点と半年後でその差が最大になることを見つけた彼は、これは雨の降る中を早足で歩くと雨が前から顔に当たるのと同じ原理で、星からの光を横切る形で地球が動くことで星からの光に角度がつくのだと考えました。その角度から地球の公転速度と光速の比を求め、光速を秒速282,000キロと結論しました。

19世紀になるとかつてのガリレオの方法がより高い精度で再現されました。1849年にフィゾーは地上の離れた地点に向けて光を送りましたが、そこに人間ではなく鏡を置いて反射させ、また時間測定には高速回転する歯車を用いたのです。歯車の歯の隙間から光を送り出し反射光が次の隙間を通るように歯車の回転速度を調節しました。フィゾーが測定した光速は秒速314,000キロでした。

その1年後にフーコーがフィゾーの測定法を改善しました。歯車の代わりに回転する鏡を用いたのです。光を回転鏡に当てて遠くの反射鏡へ送り、帰ってきた光を同じ回転鏡で受ける。その間に回転鏡の角度がどれだけ変わったかで時間を計るわけです。光速は秒速296,000キロと出ました。

そして1887年にマイケルソンとモーリーがそれまでの方法とはまったく異なる原理の干渉計を用いて出した結果が秒速298,034キロです。実際の数値298,052と秒速18キロしか違わないだけでなく、フーコーまでの測定が秒速1000キロ単位の有効数字しかなかったのが、秒速1キロ単位の精度で再現性を得られました。はじめて秒速30キロという地球の速度の影響を検出できたのです。

さて、以上のような光速測定史の中で、地球の速度の影響を検出し、エーテルの存在を検証することが原理的に可能になったのはいつの時点なのでしょうか?

私は干渉計利用という具体案を思いついたマイケルソンたちの時と考えましたが、フィゾーたちの段階でも原理的には可能だったと考えるべきなのでしょうか? もしくは、はじめて具体的な数値を出したレーマーのときですか? いや、光の速度を計ることを思いついたガリレオの時点でそうだったのでしょうか?

それによって、光波動説が媒質の存在を原理的にも検証できない時期がどれだけ続いたかが変わります。ガリレオの時点で検証可能だったのなら、そういう時期はなかったことになります。

183diamonds8888x:2018/09/30(日) 14:50:51 ID:hb17MjWk
>>181
 Kenさんの理解している通りであるなら、テレル理論は根拠からの必然ではなく単なる連想からの思いつきにしか見えませんね。

 観測できる最小単位を「つぶ」というのは、本当に空間的距離のことなら「プランク長」と呼ばれているものです。時間軸でも「プランク時間」と呼ばれているものもあります。確かにそれは画素(ピクセル)と似ていますが、だからってテレル理論が誘導されるはずがありません。同じ数学で記述できることはあるかも知れませんが、単にそれだけ。

 次に述べられた二重スリット実験は量子論ではよく知られた話ですが、それがテレル氏の言う共通点になるようには見えません。

>ボブを見るというゲームプレーヤーの行動がボブの実体そのものを出現させ、見るのをやめたアリスは存在自体が消えるのです。これが上記の電子の粒子的実体と同じであり、私たちの世界とコンピュータ・シミュレーションの世界の共通点とされています。

 電子は別に消えてはいなくて、見えているときは粒子だが見えていないときは粒子の状態ではない、ということです。存在は消えませんよ。


 まあ根拠の話はともかくとして、テレル理論と世界分前仮説との本質的な違いのポイントです。テレル理論はプログラマーという外部の存在を想定しているようですので、ポイントは内部の観測者が外部のプログラマーを観測することが、原理的には可能であるか否かです。そこが理論上で、どう仮定されているのか、がポイントです。


【補足】
 電子の二重スリット実験は、アハラノフ=ボーム効果を実験的に検証した外村彰も追試していますね。捜してみてください。光についてはもっと前から色々やられてますね。

 モーガン・フリーマンのシリーズは怪しい理論もセンセーショナルに取り上げているように見えますね。タイトルだけですがID論みたいな話まで取り上げているようにも見えますし。なんて理由の評価はKenさんには不本意かな(^_^)

184diamonds8888x:2018/09/30(日) 14:52:24 ID:hb17MjWk
>>182
>いや、光の速度を計ることを思いついたガリレオの時点でそうだったのでしょうか?

 そうです。それどころか、それ以前に「光に速度がある」と想定した時点で原理的には検証可能です。どれだけ速い速度がどれだけの精度で測定できるかというのは、単に技術的な問題に過ぎません。だって光以外のものの速度というのは測定できていたのですから。

185Ken:2018/09/30(日) 22:49:37 ID:OnzR6jjU
それではエーテルはひとまずおいて次に世界5分前仮説の話をしますが、その前に、本日発見したことを。

今、NHKオン・デマンドで、2001年に放映されたNHKスペシャル「宇宙 未知への大紀行」シリーズを視聴していますが、その第2回「地球外生命を探せ」にリチャード・テレル(NHKは「ティレル」と表記)が登場しました。「Through the Wormhole」は2010年だからその9年前です。

ティレル博士は、木星の惑星エウロパに探査機を送りエウロパの地下水脈に生物を探そうというプロジェクトのリーダーだったようです。今から17年前ですが、その後エウロパに探査機が送られた話は聞かないので、計画倒れだったのでしょう。ただし、技術と予算のどちらに問題があったのかは分かりませんが。

そういえば日本も十年以上前に木星探査機を計画してたような。

186Ken:2018/10/06(土) 09:29:01 ID:z1rRSfY6
世界5分前仮説が原理的に検証可能であるのかを考察します。

そのためには「外の世界」の存在が問題になるでしょう。私たちの世界がある種の偽装意図をもって作られたのなら、作成者は私たちの世界の外にいるはずです。その作成者が意思をもつ「神」なのか、それとも自然現象なのかは分かりませんが、何者(何物)であれ、自分自身を作ることはできないという前提に立つなら、それは外の世界に存在するはずです。ティレル理論のプログラマーのように。

次に、外の世界の存在を検証するために、まずは私たちの世界の全体像を明らかにすることを考えます。とりわけ、特定の物理量に注目して、宇宙の総量を評価することがキーになるでしょう。

物理量の宇宙的総量というと、よく語られるのが質量でしょう。宇宙全体の質量を直接観測はできませんが、観測できる部分から推定し、たとえば宇宙の膨張速度が今後どう変わるのかという考察は昔から行われてきました。

では、質量の代わりにエネルギーに注目してはどうでしょうか。質量よりは難しいかもしれませんが、特定領域(例えばエンジンのシリンダー内)のエネルギーやその変化を評価することは日常的に行われていますし、対象領域を拡大するのだと考えれば、原理的には、宇宙全体のエネルギー量は推定可能でしょう。

>>184
>「光に速度がある」と想定した時点で原理的には検証可能です。(中略)光以外のものの速度というのは測定できていたのですから。

このロジックを適用するなら「宇宙にエネルギー総量がある」と想定した時点で原理的に検証可能です。エンジンをはじめ多くの対象で実際に評価しているのですから。

さて宇宙全体を評価した結果、もし

*宇宙の内部エネルギー量が変化している
*宇宙のエントロピーが減少している

という結論が得られたとします。その場合2通りの解釈が可能でしょう。

1つは19世紀以来の熱力学の法則が間違っていたというものです。もう1つは、

〜私たちの世界は閉鎖系ではない

というものです。「外の世界」というものがあり「内の世界」との間でエネルギーの出入りがあるのなら、内の世界でエントロピーが減少することはありえます。

もう1つ重要なことは、エネルギーが入ってくるなら情報もまた伝達可能ということです。
それなら、私たちの世界が5分以上前には存在しなかったという情報を、外の世界から受け取るのは原理的に可能ではないでしょうか?


***
宇宙全体のエネルギー状態を評価するといいましたが、考えてみれば、もっと小さな領域で、それこそエンジン内部の評価でもよいかもしれません。その領域が外部と断熱状態にあるのに内部エネルギーの変化が観測されたら、結局は同じことですから。

187ゲジゲジ:2018/10/07(日) 10:38:02 ID:ZggByl5o
ヨコからですがdiamonds8888xさまが暫く書き込みできない、との事なので・・・

少しずつ「核心」に近付いているようですが、あと一歩のところで横に逸れてしまっているような、そんな印象を得ます。

Kenさまが>>186で考察されているのは、言わば「Kenさま版・世界5分前仮説」であって、議論の題材にしている「世界5分前仮説」とは異なるのではないでしょうか?

 >そのためには「外の世界」の存在が問題になるでしょう。
>>176でdiamonds8888xさまが
 >世界五分前仮説は外というものは想定しません。また何者かが作ったとも想定していません。
とおっしゃっていますよ。
「外の世界」の存在を問題として想定した時点で、それはもう「世界5分前仮説」の考察ではなくなっています。

恐らく「Kenさま版・世界5分前仮説」は検証の可能性があるし、正当な科学理論になり得ると思います。
>>186の考察に加えて、もし本当に世界が5分前に作られたとしたら、「外の世界」からどの様な情報が届くのか、あるいは本当は世界が150億年ほど前のビッグバンによって作られたとしたら、「外の世界」からどの様な情報が届くのか、その点を考察して仮説を立てれば、検証の可能性は出てきますよね。

しかし本来の「世界5分前仮説」は検証できないと思います。



ついでに加えると・・・

>>181でKenさまはテレル理論を
 >世界5分前仮説そのものでしょう。
と判定されていますが、
>>183でdiamonds8888xさまが
 >ポイントは内部の観測者が外部のプログラマーを観測することが、原理的には可能であるか否かです。
 >そこが理論上で、どう仮定されているのか、がポイントです。
とおっしゃっていますね。
つまりテレル理論で上記の点がどの様に仮定されているのかによって、テレル理論は「世界5分前仮説」とは本質的に異なる理論、という事になり得ます。



更についでに加えると・・・
 >>166
 >IDの観測可能な痕跡として私が真っ先に思い浮かべるのは、進化に干渉した存在が残した記録です。
 >>172
 >素晴らしい。(略)
 >そのようにIDの性質を規定することが、「理論を科学的に検証可能なものに整える」ということになるのです。

つまり>>166で述べられている「Kenさま版・ID論」は検証の可能性があり得るし、正当な科学理論になり得そうです。

しかし、例えばKenさまが第一掲示板の
 ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18169で述べられているように
 >ID仮説を提唱する理由は、自然選択では説明できない進化があるという、それしか今はないのです。
では検証できないし、正当な科学とは認められません。

まぁ、この点は
 >>>56
 >基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。
 >   *)検証になる特殊な場合はある。
 >   *)理論Aの確からしさが向上する場合や向上の程度は、場合によるので複雑。
も絡んできますし、後でID論自体を議論のテーブルに上げた段階でじっくり考察されれば良いと思いますが。

188ゲジゲジ:2018/10/07(日) 22:03:08 ID:ZggByl5o
>>187
すみません。リンク先に間違いがありました。


(誤)
 >そのためには「外の世界」の存在が問題になるでしょう。
>>176でdiamonds8888xさまが
 >世界五分前仮説は外というものは想定しません。また何者かが作ったとも想定していません。
とおっしゃっていますよ。

(正)
 >そのためには「外の世界」の存在が問題になるでしょう。
>>177でdiamonds8888xさまが
 >世界五分前仮説は外というものは想定しません。また何者かが作ったとも想定していません。
とおっしゃっていますよ。

189diamonds8888x:2018/10/08(月) 13:48:22 ID:hb17MjWk
>>186
 ゲジゲジさんの説明[>>187]が的確なので、よく読んで参照してください。

 念のため[>>177]より
 >wikipediaのバートランド・ラッセルの「世界五分前仮説」は読みましたか?
 >ゴスの「オムファロス」(へそ理論)の記事ではなくて。


 なお、外を仮定した場合はおっしるとおり、【もし内外でエネルギーの出入りが可能なら】原理的に外の世界は観測可能です。そのことをいちいち例示して示す必要はありません。それは常識的な話ですから。
 もっとも宇宙が無限であれば、総量の増減を知ることは原理的に不可能です。なので実際的手段としては、有限領域の中でエネルギーの増減を調べ、さらにその領域からの出入りを調べて、勘定が合うかどうかを測定するのがいいでしょうね。

 では、ティリル理論などではエネルギーの出入りは原理的に可能なのですか? それがポイントだと言っています。

 実際に、作者の作るフィクション世界、プログラマーが作るソフトの世界、などと外の世界との間には、【実際のエネルギーの出入りはありません】。

 むろんフィクションの世界にもエネルギーはありますが、それは外の世界から見れば架空のエネルギーであって、出入りできるものではありません。

190diamonds8888x:2018/10/08(月) 13:49:32 ID:hb17MjWk
>>185
> それではエーテルはひとまずおいて次に世界5分前仮説の話をしますが、

 エーテル理論に関する私の説明がまだよく理解できないということですね?

191Ken:2018/10/08(月) 16:57:27 ID:mB5PLrWk
世界5分前仮説については>>56でウィキペディアの記事を紹介していただきました。

ja.wikipedia.org/wiki/世界五分前仮説

この記事を読む限りは、外の世界というものがなく内の世界だけで完結しているという記述はありません。これはウィキペディアの記事が不完全なのでしょうか?

>偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まった
>世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した

このような文章を読み、現実にそういうことが起こったという前提で最も合理的に解釈せよと求められたら、世界を作れる立場にいる者つまり世界の外にいる者が作ったと想像するのが自然ではないでしょうか?

>ティリル理論などではエネルギーの出入りは原理的に可能なのですか? それがポイントだと言っています。

エネルギーは1つの例です。
シミュレーション内の人工知能が、自分たちの世界が偽造されたものと気付くとしたら、一番可能性があるのはプログラマーのエラーではないかと思います。

例えば、ある場面では光の速度は秒速30万キロだったのに、別の場面では20万キロになっているようなケースです。

このようなことが繰り返されたら、自己判断能力をもつAIならおかしいと思い、やがて真相に至るかもしれません。


>エーテル理論に関する私の説明がまだよく理解できないということですね?

理解したつもりです。

もちろん私が正しいと考える「検証可能性」はdiamonds8888xさんとは異なりますから、光波動説が登場した時点でエーテルが検証可能だったとは思いません。

しかし、今はdiamonds8888xさんの基準に従うといっておりますし、その基準では、なるほどエーテルは検証可能だったという結論になると思います。

192Ken:2018/10/08(月) 17:05:53 ID:mB5PLrWk
リチャード・ティレルの理論について補足しておきます。私としても「アホなこじつけ」呼ばわりをした以上、できる限り正確に紹介しておかねば、ティレル氏への公正さを欠くでしょうから。

まず、ティレル自身は2重スリット実験の話はしていません。射出された電子がはるかに大きい対象(動画ではグラファイト)の状態をスクリーンに再現できるのは、ただの粒子ではなく広がりをもつ存在になっているから、とだけ述べています。それ以上の詳しい話は一般視聴者には伝わらないと考えたのかもしれません。私は、これは電子の粒子/波動の二重特性をいっているのだと思い、ファインマン物理学の説明を転載しました。それが2重スリット実験です。


ティレル理論の根幹は、量子が集まってこの世を構成するという事実から、この世が実はシミュレーションという理論を導くことですが、ティレル氏は、有限な大きさの構成単位が有限個集まってできた世界なら「計算可能」であると言っております。私はこれを以下のように理解しました。

たとえば、ここにある物体が存在します。物体内の位置を表すためx-y-z座標を設定し、位置(x,y,z)の密度をρ(x,y,z)とすると、物体の質量は

∫∫∫ρ(x,y,z)dzdydx

と表現できます。

さて、私にとっては遠い昔のことなので若干記憶が曖昧なのですが、高校や大学初年度の講義でこのような数式が現れたら、ρ(x,y,z)は積分公式から原始関数が求められるような関数であり、実際にそのようにして物体の質量は算出されるでしょう。この場合にはdx,dy,dzは限りなくゼロに近づくとして積分が行われます。限りなくゼロに近づくとは、もちろん量子よりも小さなサイズを想定します。高校数学で教わる微積分はそういうものです。(近年、カリキュラムが変わっていなければですが)

ところが、現実世界で遭遇する問題の多くは、積分公式で原始関数を求められるような簡単なものではありません。例えば木材の密度、地震時の建築物の振動、台風の中の空気の動きなどは、積分公式を使うには複雑すぎる関数になるのです。

それではこのような問題を技術者はどう扱うかというと「有限要素法」を用います。これは簡単にいえば、対象物を微小片の集合とみなし、各微小片内部では物理特性(密度、力、速度等)を単純な関数とみなし、全体像を計算し、全体像が現実の観測と一致するまで、条件を変えながら計算をくり返すものです。コンピュータの登場で可能になった手法であるのは、いうまでもありません。

重要なことは、有限要素法にあっては、上記のdx,dy,dzを限りなくゼロには近づけず、ある大きさで止めておきます。つまり微小片の体積dxdydz→0ではない特定の大きさをもつのです。それによって微小片の総数も有限なものになり、だからこそ全体が「計算可能」になります。

いいかえれば、現実世界をコンピュータがシミュレートするときは、小さいけれどもゼロではない大きさの微小片の集まりとみなします。それ以外の形では、コンピュータは現実世界を再現はできません。

そこで、リチャード・ティレル博士によると、私たちの世界が量子という微小片の集合になっているのは、そうでなければコンピュータが作れないからである、ということになります。この世が量子からできているべき必然的理由はほかにはみつからない、というわけです。


以上、動画で述べられた内容を私はこのように解釈しました。

193ゲジゲジ:2018/10/08(月) 19:25:39 ID:ZggByl5o
度々ヨコからですが「ありゃりゃ」という感じです。

 >>191

 >>偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まった
 >>世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した
 >このような文章を読み、現実にそういうことが起こったという前提で最も合理的に解釈せよと求められたら、
 >世界を作れる立場にいる者つまり世界の外にいる者が作ったと想像するのが自然ではないでしょうか?

ポイントはむしろその後ろ。
 >(略)という仮説に論理的不可能性はまったくない。
 >異なる時間に生じた出来事間には、いかなる論理的必然的な結びつきもない。
の部分だと思いますけれどね。


いま議論しているのは
 >>56
 >基準01. へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説のような形の理論は、科学的ではない。
 >(「反証可能性のない理論は」だと範囲が曖昧でしょうから)
つまり反証可能性ですよね。

ポイントは「検証できない」ではなくて「反証できない」のはずです。
 >>124
 >これは「どんな事実を持ってきても検証になってしまう」ということであり、
 >いわば「検証でき過ぎてしまう!」ということです。
世界5分前仮説は正確に言えば「検証できない」のではなく、「検証でき過ぎてしまう・反証できない」から正当な科学と認められないのですよ。
Kenさまには、この点がまだご理解頂けていないようですね。


ついでに申し上げると、
 >>187で指摘した
  ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18169で述べられているように
 >ID仮説を提唱する理由は、自然選択では説明できない進化があるという、それしか今はないのです。
も正確に言えば「検証できない」ではなく「検証でき過ぎてしまう・反証できない」とするべきですね。

この理論の立て方だと「自然選択では説明できない進化」があったら、それは全てID仮説を肯定してしまう。
ID仮説を反証するには「自然選択で説明できない進化はない」事を証明しなければならず、それは「悪魔の証明」になってしまうので不可能です。
現実に「自然選択では説明できない進化」は観察されていますし。



 >もちろん私が正しいと考える「検証可能性」はdiamonds8888xさんとは異なりますから、
 >光波動説が登場した時点でエーテルが検証可能だったとは思いません。
diamonds8888xさまが仰っているのはdiamonds8888xさま個人の基準ではなくて、およそ科学に携わる者の共通認識とされている基準だ、という点はご理解ください。

そういえば、以前にこんな事を仰っていましたよね。
 >>62
 >「正しい科学の手法」というのは、どうすれば効率よく正解にいたれるという助言なのか。
 >たとえば野球の投手に、球威や制球を上げるため腕や背筋の角度を指導するようなものなのか。
 >それとも、科学に携わる者が従うべき規則なのか。
 >たとえば、ボールが手を離れるまで投手の足は投手板に着いていなければならないというようなものなのか。
 >前者なら、従う従わないは個人の自由ですが、後者なら自由ではありません。

私から言わせれば、野球にたとえるなら
「三振したらアウトだよ」
「スリーアウトでチェンジだよ」
というぐらいの感覚ですね。

「私が正しいと考える野球のルールはあなたとは異なりますから、三振してもアウトになるとは思いません」なんていう主張をしたら、誰からも相手にされなくなるだけですよ。

194ゲジゲジ:2018/10/11(木) 08:20:57 ID:hd/5J5zw
ヨコから連投ですが・・・

 >>191
 >この記事を読む限りは、外の世界というものがなく内の世界だけで完結しているという記述はありません。
 >これはウィキペディアの記事が不完全なのでしょうか?
世界5分前仮説はその理論構成において「外の世界」の存在を問題にしていないし、世界が内だけで完結しているか否かを問題にしていないのですよ。
つまり世界5分前仮説は理論の構成上、「外の世界」はあってもなくても関係ないし、世界が内だけで完結していてもしていなくても関係ないのです。
問題にしていないから、理論上関係がないから記述がないのです。


ふと思ったのですが、そもそもKenさまは「理論の内容」と「理論の構成」との区別が付いていないのではないでしょうか?

<理論の内容>
その理論が何を言っているか、まさにその理論が主張している内容

例)
世界5分前仮説
世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した。

光波動説
光の本質は、何らかの媒質内を伝播する波動である。

ID論(Kenさま版)
生物の進化の少なくとも一部には知的生命(ID)が関与した。




<理論の構成>
その理論がどの様なロジックに基づいて、主張している内容を導き出しているか?

こちらは敢えて例は挙げませんが・・・

世界5分前仮説と>>186で述べられている「Kenさま版・世界5分前仮説」とは、理論の内容は同じですが理論の構成が異なります。

テレル理論は、理論の内容は世界5分前仮説とよく似ていますが、理論の構成はどうでしょう?

Kenさまが第一掲示板の
ttps://6609.teacup.com/natrom/bbs/18169 で述べられているID論と、
>>166 で述べられているID論とは
理論の内容はもちろん同じですが、理論の構成は異なっています。


そして今、「反証可能性」においてポイントになってくるのは、この理論の構成の方です。
すなわち、その理論が原理的に反証可能なロジックで組み立てられているのかどうか、が問題なのです。

195diamonds8888x:2018/10/13(土) 10:11:40 ID:XEaYMQYM
>>191
>この記事を読む限りは、外の世界というものがなく内の世界だけで完結しているという記述はありません。

 外の世界があるという記述もないでしょう? あとはゲジゲジさんのコメント[>>193]を参照してください。

>偽の記憶を植えつけられた状態で、5分前に世界が始まった

 これはラッセルの言葉ではなくwiki記事の記載者の言葉です。Kenさんみたいな誤解を想定しなかったのは不注意とも言えますけど、本人は単に受動態表現をしただけだと思いますよ。

>世界が五分前にそっくりそのままの形で、すべての非実在の過去を住民が「覚えていた」状態で突然出現した

 この文章からは「世界の外にいる者が作った」という説明の必要性はでてきません。それを言ったら「ビックバンで宇宙が始まった」という理論には、「ビックバンを起こした外部の者」が必要なんですか? 必要ありません。

>最も合理的に解釈せよと求められたら

 合理的とは何を根拠にする合理的ですか?
 言い換えれば、このときにKenさんが仮定している公理系はどのようなものですか?
 世界五分前仮説による理論構成に、他の理論の公理系を持って来てもだめですよ。


 確かにゲジゲジさんの言う「理論の内容」と「理論の構成」との区別という視点は新鮮ですが妥当なものに思えます。ちょっと私には思いつきませんでした。

196diamonds8888x:2018/10/13(土) 10:13:55 ID:XEaYMQYM
>>192
 ティレル理論の詳しい紹介をありがとうございました。お話を伺う限り、内容は不明ですね。
 「この世が実はシミュレーション」というのは、いわばわかりやすく説明するための比喩のように思えますが、その場合は現実のシミュレーションとティレル理論の実体とには共通点もあるが違った点もあるのが普通です。で、共通点が何で違った点が何かが全くわかりませんね。

>ティレル氏は、有限な大きさの構成単位が有限個集まってできた世界なら「計算可能」であると言っております。

 それはかなり確実に言えそうなことです。「ラプラスの魔」の世界観ですよね。この世界観だと自由意志が否定されるので、いわゆる自由意志の存在問題で昔から議論に登っています。でまあ、不確定性理論からはラプラスの魔にも完全な計算は不可能であることがわかる、という人達もいます。

 ただね。内部の存在が外部のラプラスの魔に干渉できたり、その存在を知ることができたりしたら、完全な計算ができなくなるはずなのですけどね。

 まあ内容の不明な理論に、これ以上あれこれ想像でものを言っても時間の無駄でしょう。


>一番可能性があるのはプログラマーのエラーではないかと思います。

 科学的法則や論理から見て不可解な現象が観測されるという意味でよろしいでしょうか?
 第1に、その法則や論理の根拠は内部世界の経験から得られたものです。Kenさんの思うものとは全く異なるかも知れませんよ。
 第2に、科学で説明できなさそうな現象の観測と思えるものは現実世界でもいくらでもあるでしょう? それで外部の世界が証明できますか?
 第3に、シミュレーションとの共通点が「全てをプログラマーが設定している」というものならば、内部の知生体(AI含む)の思考内容もプログラマーが設定しています。

197Ken:2018/10/16(火) 23:03:50 ID:c.qcr.Ug
まず、この部分ですが、

>シミュレーションとの共通点が「全てをプログラマーが設定している」というものならば、内部の知生体(AI含む)の思考内容もプログラマーが設定しています。

これはどうでしょうか。

私は最新の人工知能を体系的に学んだことがありませんが、ニュースや特集番組を見るだけでも、いまのAIはプログラマの意図を超えて成長すると理解しています。例えば、人間の名人を負かす囲碁や将棋のAIが何を考えて次の手を打つのかは、プログラム作成者にも分からない。要するに作成者は囲碁や将棋の技術ではなく学習のやり方をプログラムし、AIに自己進化をさせるわけで、進化したAIの思考内容は制御していません。すこし前に、AIが「ヒトラーは正しかった」と主張したニュースをご覧になりませんでしたか? あれだってヒトラーを正当化するプログラムが書かれたのではありません。AIが独力で結論に至ったのです。

>科学で説明できなさそうな現象の観測と思えるものは現実世界でもいくらでもあるでしょう? それで外部の世界が証明できますか?

完全な証明はできませんが、光の速度よりもよい例を思いついたので、これで問題提議をさせてください。シミュレーション世界での次のような事態を想定した思考実験です。

あるとき庭でつむじ風が起こり、木の葉が直径1メートルの円を描いて回っていました。そのつむじ風の空気の動きを仔細に調べると、驚いたことに1辺が1センチの小領域に分かれており、各小領域内では気流のベクトルが完全に一様であることが分かりました。

同じころ海上で台風が発生しました。暴風圏だけで直径100キロに達するのですが、気流を観測すると1辺が100メートルの小領域に分かれ、これまた各領域内では気流が一様なのです。例えばある領域内には南向きで強さ30メートルの風しかなく、隣の領域には南南東35メートルの風しかありません。そして境界線ではいきなりベクトルが変わります。カーブを描くのではなく折れ線で変わるのです。

この世界の力学理論が私たちのものと同じなら、こんな事象を説明はできないでしょう。しかし、この世界に気流を研究する人物(実はAI)がいれば、これは自分がやっているシミュレーションと同じではないかと気がつくことが考えられます。

直径1mの旋風は1センチ大の要素群で近似し、100キロの台風なら有限要素の大きさを100mにする。台風を1センチの要素で近似しても理論的に間違ってはいませんが、計算量が膨大になるだけで計算精度はほとんど向上しません。まともな技術者ならシミュレーション対象ごとに最適な大きさの有限要素を設定するはずです。するとつむじ風と台風に大きさの異なる一様領域があるのは、世界がシミュレーションであることを示すのではないのか???

たしかにこの観測事実だけでは、世界がシミュレーションでプログラマが外の世界にいることを証明はできません。そのような気流状態を作る物理法則が実はあるかもしれないのですから。しかし、自分でもシミュレーションをやるAIが、それとの類似から世界自体がシミュレーションではと考えることは、根拠のない空想と見なすべきなのでしょうか? 同様の事象が他にも観察されたら、疑いは確信になるのではないですか。

シミュレーション世界のAIが「真相」を見つけるのは、原理的に可能なのではありませんか?


>外の世界があるという記述もないでしょう?
>この文章からは「世界の外にいる者が作った」という説明の必要性はでてきません。

「必要性」というと言いすぎでしょう。

でも、世界が実は5分前にできたのに全員がずっと昔からの記憶を持っている、という前提にたつなら、何者かの意図が働いた偽装が行われたと考えるのは、私には自然な想像と思えるのですが。そして何者であれ「自分自身をつくることはできない」という、これまた自然な発想をすれば、偽装世界を作った者は外の世界にいると考えてもよいのではありませんか? たとば時代劇を撮影するのに江戸の町をセットで作るのと同じです。外の世界を仮定せずに、そのような仮説の具体化ができるでしょうか。

以上の理由により、外の世界を仮定する方が、仮定しないよりも、世界5分前仮説の合理的な解釈であると私は考えます。

この件の本題は、世界5分前仮説が原理的に検証可能であるか、というものでした。その場合、外の世界があるのとないのと2つの可能性があり、私は、外の世界がある場合の検証シナリオを提示しました。これだけでは、世界5分前仮説が検証可能ということはできませんか? 外の世界がない場合の検証可能性もそろわねば、だめでしょうか。

198Ken:2018/10/16(火) 23:13:56 ID:c.qcr.Ug
diamonds8888xさんに確認をさせてください。

私たちが、科学と疑似科学の判別を議論するのに、私は1対1で行なうことを希望し、diamonds8888xさんの了承を得て、第3掲示板に移ってきました。
この合意は今でも有効と考えてよいのでしょうか?

あるいはdiamonds8888xさんには不本意な合意だったかもしれません。
公開掲示板の最大の利点は衆知を集めることなのに、わざわざ発言者の数を制限するのですから。
私自身もいろいろな掲示板で参加者多数の議論をやってきましたし、これからもやるでしょう。

ただ、今回に限り、複数の方を相手にすることは、少なくとも私にはできないと考えました。

私が見るところ、この種の議論(diamonds8888xさんがいわれる「メタ科学」)は、とにかく抽象性が強いように思われます。「理論」と「事実」で問題になったように、言葉の定義からやってゆかねばならないのは、私には、ほとんど経験したことがない世界なのです。その状況で複数の方を相手にすると、衆知のメリットよりも、論点の拡散が混乱を生じるリスクが大きいと考え、1対1をお願いしました。

これが最善の形なのかは私にも自信がありません。しかし、とにかく合意を得て1対1の議論を進めてきたのです。

そうはいっても万人の目に触れる公開掲示板ですから、第三者の発言を封じることはできません。そもそも1対1でやろうというのは私たち2人の合意ですから、合意に関わっていない人が、一般的な掲示板のルールに則って発言することを責めるいわれもありません。

ただ、それはそれとして、他の人の発言を読むことを、diamonds8888xさんご自身が私に求められるのは、当初の合意から逸脱していませんでしょうか?

もし私が第三者の投稿を読み、理解できない、あるいは同意できない点があれば、diamonds8888xさんに尋ねるのですか? それとも投稿者に尋ねるのでしょうか?

常識で考えれば、投稿者がいるのだから、その人に尋ねるべきでしょう。でもその方に尋ねれば回答がくるでしょうし、それで納得がゆかねばさらに尋ねるでしょう。その応酬をしているうちに、さらに別の方から発言があることも予想されます。こうなると、1対1のはずだったのが、"なし崩し"的に1対多になってしまいます。

他の方の投稿にdiamonds8888xさんが有用と判断されるものがあるのなら、それをご自身の言葉で語っていただけませんか。それが面倒なら使える部分を貼り付け、ご自身の投稿の一部とされてはいかがでしょうか。それならdiamonds8888xさんには同じことでしょう。一方、私にとっては1対1の形を維持できるので助かります。

最近時間がとれないということなので、流用できる投稿は流用したいと思われることは分かりますが、それなら投稿の間隔を開けられたらよいと思います。もしも1〜2ヶ月も投稿ができないのなら1〜2ヶ月待ちます。

以上、ご検討ください。

199ゲジゲジ:2018/10/20(土) 22:53:27 ID:Ml9s0N7Q
度々ヨコから・・・というより、今回は私の投稿について言われているようなのでナナメ(?)から・・・


 >>198
 >もし私が第三者の投稿を読み、理解できない、あるいは同意できない点があれば、diamonds8888xさんに尋ねるのですか?
 >それとも投稿者に尋ねるのでしょうか?
diamonds8888xさまがどの様に判断され、どの様な回答をされるのか分かりませんが、私としては、少なくともdiamonds8888xさまがKenさまに読む事を勧めた私の投稿について疑問や反論があれば、diamonds8888xさまに尋ねて頂くのが良いかと思います。
勿論diamonds8888xさまに質問されても、diamonds8888xさまが多忙で答えられないようであれば、私がヨコから回答する事もあると思います。でもそれはそれとして参考として読んでおいて頂いて、後でdiamonds8888xさまに質問されても良いでしょう。

言ってみれば、参考書籍とか他のサイトを勧められてご覧になったのと同じように考えて頂ければ良いのではないでしょうか?
私もお2人の議論である事は承知の上、Kenさまから自分へのコメントが返って来る事は期待せずに書き込んでいますから。


さて折角の機会なので、どうして私がお2人の議論である事を承知の上で度々ヨコからコメントするのか、理由を述べさせて頂きます。

率直に申し上げて、私はお2人の議論が早く終わってほしいと思っています(理由はすぐ後で述べます。)。
但し消化不良のまま「打ち切り」のような形で終わるのではなく、きちんとお2人がどちらも納得のいく「結論」に達して終わってほしいと思っています。
ですから傍から見ていて議論が何だかあらぬ方向に行ってしまいそうに見えた時や、議論が同じ所をぐるぐる回っているように見えた時は、少しでも議論を進める参考にして頂ければと思ってヨコからコメントさせて頂いています。


さてさて、私がお2人の議論が早く終わってほしい理由ですが・・・

まず経緯から振り返ってみますと、Kenさまが約6年ぶりに第一掲示板にコメントされたのが昨年12月でした。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/17995 じつに久しぶり 投稿者:Ken 投稿日:2017年12月21日(木)20時13分11秒

その後、何人かとやり取りされていましたが、私がKenさまのID論に対してコメントしたのがこちらです。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18023 科学とはなにか? 投稿者:ゲジゲジ 投稿日:2017年12月23日(土)17時16分34秒

その後も他の方も含めてやり取りしています。そしてdiamonds8888xの最初のコメントがこちら。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18079 Kenさん、初めまして 投稿者:diamonds8888x 投稿日:2017年12月29日(金)06時14分48秒

そしてここから、お2人の議論が始まります。年が明けてから私がコメントしましたが・・・
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18168 Ken様のID論が疑似科学である理由 投稿者:ゲジゲジ 投稿日:2018年 1月 2日(火)21時42分24秒

Kenさまからdiamonds8888xさまとの議論を優先したいとの事でお返事を頂けませんでした。
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18169 ゲジゲジ様 投稿者:Ken 投稿日:2018年 1月 2日(火)23時28分9秒

これ以降、Kenさまは一時的に他の方(Misoさま)との議論をされていますが、基本的にdiamonds8888xさまとお2人の議論に集中されています。そしてミケさまに勧められてこちらの第3掲示板に移動されました。


つまりdiamonds8888xさまよりも私の方が先にKenさまと議論していたのですよ。
とはいえ、Kenさまが議論を継続する相手としてdiamonds8888xさまを選ばれた事に文句を付けるわけではありません。
Kenさまには議論する相手を選ぶ権利はあるし、それに仮にKenさまと私と2人で議論したとして、ここまで深い議論ができたとは思えません。
ヨコからエラそうにコメントしていますが、私自身がdiamonds8888xさまとKenさまとのやり取りを拝見していて気付いた内容がほとんどです。

しかし私としては、やはり1月2日の投稿に対してKenさまからのお返事がほしいし、ID論の議論に進んだ時には是非とも参加させて頂きたいと思って、お2人の今のやり取りが終わるのをずっと待っているのですよ。
ですから最初に申し上げたように、議論が横道に逸れそうになった時や停滞しているような時にはヨコから口出ししてしまう次第です。

但し頓珍漢な口出しをすれば却って議論を混乱させてしまうのですが、少なくともdiamonds8888xさまからは好意的な反応を頂いていますので、そこそこ有効な口出しになっているのではないかと自負しております。

200diamonds8888x:2018/10/21(日) 10:56:21 ID:XEaYMQYM
>>198

>ただ、それはそれとして、他の人の発言を読むことを、diamonds8888xさんご自身が私に求められるのは、当初の合意から逸脱していませんでしょうか?

 私が読むことを勧めるのは、私が紹介したり示したりしている参考情報と同じく、kenさんが理解するために有用な情報だと思うからです。また、私の説明ではわからないことでも、他の人による違った視点や表現での説明ではっと理解できることもあるかも知れないからです。私の説明がKenさんにとって一番わかりやすいとは限らないでしょう?

 異なる教科書をいくつか読み比べたら、ある本で、はっと気づいた、なんてことはありませんか? だからこそ私も基礎的教科書の紹介でも複数紹介したのです。


>もし私が第三者の投稿を読み、理解できない、あるいは同意できない点があれば、diamonds8888xさんに尋ねるのですか? それとも投稿者に尋ねるのでしょうか?

 確かに1対1の形を崩すとやりにくいでしょうから私に質問してください。私も自分の考えを補強したり、別の形で表現したりしていると思うからこそ、読むことを勧めていますからね。もちろん、それは読めば共通点がわかるはずですけど。私の勧めた参考情報についても同様です。こちらは著者に訊くことは壁が高いでしょうから。

 そういえばミケさんの説明でわかったのかどうかも明確な答えはいただいていませんね? たぶんわからないか納得できないのでしょうけど、どの点がひっかかるのか答えてもらえはれば、私もまたKenさんの思考が理解しやすくなると思います。

 [>>177]まあ、ミケさんの説明の「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」と他の原理的には検証可能なケースの違いが理解できるなら、それでことはOKなんですが。いかがですか?

 それと以前に紹介した科学哲学関係本で読み始めた本はありますか? そちらに目を通せば、また理解が開けるかも知れません。


【追伸】ケジゲジさんが初期に「投稿日:2017年12月23日(土)17時16分34秒[>>199」で紹介していたサイト「科学とは何か? 2:論理的では十分ではない」にも5分前仮説が載っていましたね。全能の神が作ったことにはなっていますが、むろん神はわかりやすく喩えただけで必須の要素ではありません。

201diamonds8888x:2018/10/21(日) 10:59:58 ID:XEaYMQYM
>>197

>外の世界がない場合の検証可能性もそろわねば、だめでしょうか。

 当然です。外の世界など仮定していないのですから。「必要ない」という表現は決して言い過ぎではなく、単なる事実です。

>以上の理由により、外の世界を仮定する方が、仮定しないよりも、世界5分前仮説の合理的な解釈であると私は考えます。

 合理的とは何を根拠にする合理的ですか?[以下は >>195]
 それを言ったら「ビックバンで宇宙が始まった」という理論には、「ビックバンを起こした外部の者」が必要なんですか?[>>195]

>何者かの意図が働いた偽装が行われたと考えるのは、私には自然な想像と思えるのですが。

 私に言わせれば、意図のある何者かなどという複雑な存在を考える方が不自然です。その何者かはいつから存在していたのでしょうか? 無限の過去から存在していたと仮定するのは自由ですが、それこそ反証不可能に見えますね。

>>シミュレーションとの共通点が「全てをプログラマーが設定している」というものならば、内部の知生体(AI含む)の思考内容もプログラマーが設定しています。

>これはどうでしょうか。

 以下の説明は、シミュレーションとの共通点が「全てをプログラマーが設定している」というものではない場合の話でしょう? Kenさんが説明したのは「プログラマーは初期設定等を決めただけで、後はプログラム?が働くままに任せた」という理論ですよね? もっと正確に言えば、「プログラム?の動きは【決定論的ではない】」ということになります。

 いや失礼、「プログラマの意図を超えて成長するAI」という比喩は、「この世界はひとつのシミュレーションである」という比喩とはまったく異なるものですね。前者のAIはシミユレーションされたものではないではありませんか!

 [>>197]での以下の説明をするならば、まずは「ティレル理論についてのdiamonds8888xの理解は間違っている」という前置きと説明があってしかるべきです。

202diamonds8888x:2018/10/23(火) 05:44:57 ID:XEaYMQYM
>>201
 世界5分前仮説でどうしても外部の者を想定したくなったり、完全なシミュレーションの世界の住人がシミュレーターから自立できると考えたりしたくなるようですが、以下のように考えてみたらいかがでしょうか?

 簡単のために量子力学は無視して古典力学のみが成立しているとします。物質の最小単位は原子と電子であり、その運動は初期条件を決めれば運動方程式により厳密に決定されます。すなわち初期条件でのあらゆる原子と電子の位置と運動量とを正確に知ることができれば、未来は完全に予測できます。そのような完璧な検知能力と計算能力による完全予測能力を持つ仮想的存在はラプラスの魔と名付けられています。

 ここで初期条件、すなわち時間t=0の時点はいつにしても矛盾は生じません。5分前がt=0であり、それ以前の時間は存在しない、と仮定しても矛盾は生じないのです。

 もしもt=0において何者かが世界を作ったとすれば、t=0以前に世界を作る時間があったはずですが、【それ以前の時間は存在しない】と仮定した理論においては、その何者かも存在できません。

 もちろんラプラスの魔の力を過去に適用すればt<0における運動も完璧に計算できます。しかしそれはあくまでも【もしもt<0に世界が存在していたならば】どのような運動をして来たのか、という問題を解いただけであり、t<0に世界が存在していたかどうかは示してはいないのです。

203Ken:2018/10/23(火) 23:38:17 ID:/TjmlT5Q
まず「AI」の定義について説明不足があったことは理解しました。申し訳ありません。
最近目にする時事ニュースから、AIが自己認識と自由意志を持つ日がそこまで来ていることは、一般に知られていると思っていました。紹介した動画(youtu.be/3KH95YCSP_c)の中でティレル氏もそのことに言及しています。動画の5分9秒のところで、

"I believe that if human is conscious and self-aware, I must also believe that machine has the same quality."

と言っているのが聞き取れるのではないでしょうか。


>「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」と他の原理的には検証可能なケースの違いが理解できるなら、それでことはOKなんですが。いかがですか?

いくらなんでもこの質問は心外です。

違いが分かっているからこそ、地動説やエーテルの存在を検証する具体方法を論じてきたし、世界5分前仮説の検証方法も提案しました。あるいは「外の世界」を仮定したことがdiamonds8888xさんの意に沿わなかったかもしれませんが、それにしても「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」と同列視されるような代物だったのでしょうか?


その「外の世界」についてですが。

私は、外の世界を仮定することで世界5分前仮説を具体化ひいては検証可能化できると主張しています。それとも、ラッセルが仮説を唱えたとき「内の世界」だけで完結しており、外の世界を考えてはいけないと注釈をつけたのでしょうか?

diamonds8888xさんは、外の世界は必要ないと言われますが、それはどういう意味でしょうか?

ある理論が「必要ない」というときは、もっと優れた理論があることが前提ではありませんか?

例えば、人類の祖先が大脳を進化させた事実を説明するのにID論を持ち込む必要はないと私は考えますが、それは直立二足歩行に始まる、自然選択の説明に納得しているからです。

でも、外の世界を仮定せずに、世界5分前仮説を検証可能な形で説明できますか?

世界5分前仮説の具体説明としては、この世がコンピュータ・シミュレーションとするティレル理論を紹介しました。私自身も>>197で、映画撮影のセットを作るようなことを提案しました。これらは、私たち自身の世界が「外の世界」という形では実現してますから、今度は私たちの世界が「内の世界」である場合に発想を拡張しようというわけです。さらに「内の世界」の住人が真相を発見しうるシナリオとして、有限要素法を思わせる観測事実やエネルギー総量の変化を提案しました。

外の世界を仮定することなく、このような具体化が可能ですか?
私には何も思いつかなかったので、外の世界を仮定する方が合理的であると判断しました。

ビッグバンについてですが、「ビッグバンで宇宙が始まった」という前提から出発するなら、私ならなんらかの外の世界を想定するでしょう。
なぜならビッグバンを起こした原因が、ビッグバンが作った世界にあることは不可能ですから。

かりにビッグバンが外的要因のない完全に内発的な事象だとしても「ビッグバン前」と「ビッグバン後」を分ける時間の経過があったはずであり「ビッグバン前」の時間が経過したのはビッグバンが作った世界ではなかったと思います。

204diamonds8888x:2018/10/28(日) 06:34:21 ID:jOR7OsaM
>>203
 どうにも詳しい説明の時間がないので、簡単ですが、時間はありますから見直し、かつよく考えてみてください。そして[>>202]も御参考に。そして他の資料等も読んでみてください。
 [>>203]を投稿された時には[>>202]をお読みのはずですが、それについては今まで悩んでいらっしゃるのでしょうね。ご苦労様ですが、よろしくお願いします。

> でも、外の世界を仮定せずに、世界5分前仮説を検証可能な形で説明できますか?

 世界5分前仮説は反証不可能です。初めから世界中の人に言われていることです。
 そして、外の世界をいくら仮定しようとも、その性質によっては内部の住民には反証不可能な仮定が(すなわち反証不可能な仮定が)あり得ます。

> ある理論が「必要ない」というときは、もっと優れた理論があることが前提ではありませんか?

 理論が要ないと言ってはいません。世界5分前仮説という(反証不可能な非科学的)理論には、Kenさんが必要と思い込んでいる条件のあるものは必要ない、と言っています。
 この場合は、「宇宙ないし世界の初期条件以前の時間の存在」でしょうね。
 確かに「宇宙の果ての外側には何があるのだろう?」という問いは自然な疑問です。でも、「そこには何もない」という解答を全否定することはできません。

> まず「AI」の定義について説明不足があったことは理解しました。申し訳ありません。

 それは、今の議論の本質には関わりありません。AIでもヒトでも何らかの知的存在であっても同じことです。それが内部世界の住民だということが本質です。

> いくらなんでもこの質問は心外です。

> 違いが分かっているからこそ、(以下略)

 この違いはミケさん自身に説明してもらうのがいいかも知れませんね。私もなんとなくわかるくらいなので、Kenさんに理解できるようにかみ砕いて説明するには手間取りそうだし、ミケさんの意図する「違い」とはずれる恐れもあるかも知れません。

 ただ私なりに問えば、Kenさんは「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」を具体的に考え付きますか? 何も思いつけなければ「違いが分かっている」とは言えませんよ?

205diamonds8888x:2018/10/28(日) 08:24:13 ID:jOR7OsaM
>>204
Kenさんへ、
 「世界5分前仮説」が非科学的とは言いましたが、「t<ゼロの時間は存在しない」という仮定が非科学的とは言っていませんから念のため。反証不可能ではあるんですけど、例えばゼロ時点をビックバン時点とすれば、「t<ゼロの時間も存在する」という仮定も反証不可能になるので、2つの対立仮説が対等になってしまって、どちらが非科学的とか言えなくなるのです。もちろんビックバン以前の痕跡が何か観測できる可能性が出てくれば話は別ですし、それを探っている理論物理学者もいますが。
 こういうの話をすると、また混乱させそうで心配でもあるんですが・・。

ミケさんへ
 なんだか説明をお願いしているようなコメントになってしまって、そのうえでさらに注文をつけるようで申し訳ないのですが・・。
 これまで読んできて、Kenさんの考え方、思い込みというか、傾向というか、がある程度おわかりと思いますので、もしもコメントされる際には御配慮をお願いします。しかもKenさん御自身は、それが自然で科学的にも妥当な考え方だと思い込んでいますから、普通の科学的センスの持主相手の説明では通じにくいと思われます。

206diamonds8888x:2018/10/28(日) 08:42:52 ID:jOR7OsaM
>>203 Kenさんへ、

 御不快かも知れませんが、きちんと議論する上で、これはあまりにも目に余ります。

>それとも、ラッセルが仮説を唱えたとき「内の世界」だけで完結しており、外の世界を考えてはいけないと注釈をつけたのでしょうか?

 "must not"と"need not"を取り違えないでください。こんな基本的な違いを区別しないほど、いつも雑な読み方をしているのですか? Kenさんとは長く話していて誠実なお人柄だとわかっているからいいものの、初めての人が読んだら、意図して話をすり替えていると悪意に解釈されても仕方ありませんよ。

207Ken:2018/10/28(日) 11:29:39 ID:965CGPc.
とりあえず1点だけ言わせてください。

>この違いはミケさん自身に説明してもらうのがいいかも知れませんね。私もなんとなくわかるくらいなので、Kenさんに理解できるようにかみ砕いて説明するには手間取りそうだし、ミケさんの意図する「違い」とはずれる恐れもあるかも知れません。

>ミケさんへ
>なんだか説明をお願いしているようなコメントになってしまって、そのうえでさらに注文をつけるようで申し訳ないのですが・・。

何度も繰り返していますが、私は複数の方を相手に1対多の議論をする気はありません。

他の方の考えを採用するのはdiamonds8888xさんのご判断ですが、私に読ませるのは、あくまでもdiamonds8888xさんが説明できるご自身の考えとして、ご自身の投稿の中で紹介してください。それこそ文章の貼り付けでもかまいませんから。それなら大した負担にはならないでしょう? 投稿の間隔もいくら開いても結構です。

まずは、この点に同意いただけませんでしょうか。

同意をいただけるなら、この先の議論を続けたいと思います。

208たこ焼き帝国:2018/11/01(木) 11:55:47 ID:W5O20kzQ
ALL>>ビッグバンの前にインフレーションがあった。

209Ken:2018/11/01(木) 23:37:28 ID:965CGPc.
「あまりにも目に余る」と叱責を受けた件を説明しておきます。

diamonds8888xさんが「must not」ではなく「need not」と言っておられることは、もちろん承知しています。ただ「need not」では私が論旨を把握できず、もしかして

〜ここでの「need not」は「must not」の婉曲表現なのか?

という考えが浮かんだので、一応の確認を入れました。そんな婉曲表現をやるはずがないと言われるかもしれませんが、互いにどこの誰か分からないネット掲示板ですし、念押しの確認を入れただけです。それ以外の私の発言は「need not」を前提にしております。

なぜ「need not」では論旨が分からないかも説明しておきます。

>>170から>>184あたりにかけての議論で、diamonds8888xさんが「検証可能性」をどのように定義されるかを知りましたし、私自身の定義よりも広汎な対象を検証可能とみなせることも理解しました。(例えば、エーテルの存在が検証可能になったのは、私はマイケルソンの時だと思いますが、diamonds8888xさんはガリレオの時代にはそうだったと言われます。)

ただ、そうなると今度は、世界5分前仮説が検証可能になるのではと思ったわけです。

世界5分前仮説が検証可能かを考察するには、具体的な検証方法を発想せねばなりません。今回は>>170

>遠く離れて、地球と月と太陽の動きを観測してみれば

と言われたことがヒントになりました。地球上の人間には分からなくても[地球-太陽]の運動系の外から見れば、どちらがどちらを回っているかは一目瞭然です。同様に、世界5分前仮説が正しいかどうかは、世界の外から観測すればよいのだと。外の観測者から「1週間前には世界は存在した」という情報を得られれば、5分前仮説は反証されますから。

そして外の世界の確認方法としては、私たちの世界が物理的な存在ならエネルギー総量を(>>186)、シミュレーションの場合には気流の構成要素の大きさをチェックする(>>197)ことを提案しました。

ただし、ラッセルがこの思考実験を提唱したとき「外の世界は想定しない」という条件を設定したのなら、つまり外の世界の想定が「must not」なら、私がやってることは無意味です。そして、それなら論理的にすっきりとするのです。

しかしdiamonds8888xさんは「need not」であると言われます。そうなると意味が分かりません。

「need not」とは外の世界など考えなくても反証は可能であるという意味でしょうか?

でも、これはおかしい。そもそもdiamonds8888xさんは仮説は反証不可能と言われているのですから。

では「世界5分前仮説は反証不可能」と決めることが議論の出発点で、それを疑うことが「need not」という意味でしょうか?

これもおかしい。それならラッセルは「世界5分前仮説」などといわず、ただ「反証不可能な仮説」といえばよかったはずです。世界は5分前に始まり住人はだれもそれを知らないという具体設定に落としたのは「反証できるものならやってみなさい」という訴えがあったはずです。

すると「need not」の意味はなんなのでしょうか?

210diamonds8888x:2018/11/12(月) 06:04:26 ID:dAo5344Q
>>204
  私とkenさんとでは科学的推論などについての考え方の違いがあるのですが、これまでのログを改めて読み直してみて、Kenさんは最初から「世界5分前仮説」のポイントを「(何者かが)世界を操ったり作ったりしている」ということだと見ていたことがよくかりました。だからこそ「世界は(プロクラマーが作った)シミュレーションだ」というテレル理論との共通点を外部からの操作という点に見出して、本質的に同じだと推論していたのですね。

 私は誰が作ったかとかどうやって誕生したかとかは、最初から眼中にありませんでした。私が見ていたのは、内部の観測者と外部との関係性だけです。その関係性次第で、内部の観測者が原理的に観測可能なものは何かが決まってきます。それにより内部の観測者にとっての「反証可能性」が決まってくるのです。

 ここで世界の外部を仮定したとき、Kenさんは自動的に「内部も外部も自由に見ることのできる視点」に立って推論を進めているように思えるのですがいかがですか? だから、「内部の観測者が外部を知ることは原理的には何の問題もない」と自動的に即断しているように思えるのです。でもそれは自明なことではありません。

 このように自分では合理的なつもりでも実は個人間で異なる思い込みによることもままあります。そしてkenさんの思い込みのいくつかは「世間一般で言われるところの正しいアプローチなるもの[>>112」とは相反していると考えられます。

 本当は[>>155]から始めた私の科学観の説明の流れで詳しく説明すべきでしょうが、ひとまず今回、この点だけ。違いがはっきりすれば無駄な食い違いは避けられると思いますのでよろしく。

211diamonds8888x:2018/11/12(月) 06:07:16 ID:dAo5344Q
>>207
 Kenさんに対しては、読めなどとは言ってはいませんよ。もしもミケさんが資料提供してくれたら(私とKenさんと双方の時間節約と理解促進の意味で)助かるかも知れない、と表明しただけです。
 既に述べたように、私は他の人の書き込みをweb上の他の場所の資料と同等に扱っています。それが今の議論に役立つと思えば引用してKenさんに示します。ですから私が引用しない資料に目を通す義務はKenさんにはありません。もっとも私なら喜んで参考にしますけどね。だから新たな資料を見たがらないということは理解に苦しみます。まあ読んでみて無駄な資料だったら多少は腹立たしくなるかも知れませんが。

 特に今回のミケさんの表現[>>176]については、「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」は、私自身では説明が難しそうに感じているのですよ。事例を挙げてどちらに入るかの判断は、たいがいミケさんと一致するだろうとは思いますが、その違いをKenさんに説明するのが困難だろうと思っているのです。

 なのでKenさんには私が説明するにしても、その際の参考資料としてミケさんからの説明は【私には】必要です。

 これがもしミケさんとの議論であったなら「なんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース、というはよくわからないので説明してもらえますか?」と返すところですけど。
 にもかかわらずKenさんは「違いがわかっているからこそ〜」と断言されたので、ちょっと驚きました。ゆえに、以下の問いを発しました。

 【再掲】ただ私なりに問えば、Kenさんは「何にも具体的な案がないけどなんとなく直接の現場を観測できるのを期待するケース」を具体的に考え付きますか? 何も思いつけなければ「違いが分かっている」とは言えませんよ?

 ありていに言えば、Kenさんは「わかっているからこそ」とはおっしゃいますが、実際に事例を挙げてどっちかに分類してみたら、Kenさんとミケさんの分類は食い違うと思っています。それじゃあ、わかっていることにはならないと私は思います。

212diamonds8888x:2018/11/12(月) 06:17:33 ID:dAo5344Q
>>209
 では「必要ない」の文脈説明をします。これはある理論A、例えば「世界5分前仮説」を組み立てる際の公理(この言葉で十分OKですよね)の中に「外の世界の有無(への言及)」が含まれていないという意味です。つまり理論Aには「外の世界の有無に関する公理」は必要ないという意味です。

 するとどうなるかと言えば、理論Aに次のどちらの公理でも付け加えて新しい公理系(理論)が作れます。

 1)外の世界がある ==> 理論A1
 2)外の世界はない ==> 理論A2

 Kenさんがおっしゃる、「外の世界は想定しない」という条件を設定した理論[>>209]というのは理論A2に該当します。そしてKenさん自身が展開してきた議論は理論A1を新しく設定したうえで、理論A1の反証可能性なり検証可能性なりを示そうとしたものです。

 しかし元の理論Aは理論A1でも理論A2でもありませんので、その反証可能性を論じるのに外の世界の有無という性質を使うことはできません。

 例えば理論A1のように外の世界を想定し、かつ外の世界と内の世界との関係を規定する公理を仮定したならば、反証可能性のある理論が作れるかもしれません。いや反証可能性のある設定は間違いなく作れることでしょう。それはつまり、反証不可能だった理論Aを練り直して反証可能で科学的な理論A1に修正したことに外なりません。

 それこそまさに、理論Aの段階で科学的だと思い込んでいる提唱者がなすべきことなのです。ちょうど、ID論における「デザイナーが干渉するメカニズム」をKenさんが具体的に提案したようなことです。


>世界は5分前に始まり住人はだれもそれを知らないという具体設定に落としたのは「反証できるものならやってみなさい」という訴えがあったはずです。

 反証不可能なことは自明と考えてたでしょうから、頑張って反証可能性を示す人が出てくるとは思ってもいなかったでしょうね。実際、Kenさんも反証するためには頑張って様々な条件を考え出す必要があったでしょう? でもそれは、元の理論に何かを付け加えて新しい理論にしてしまうことです。つまり元の理論が反証不可能なことは変わりません。


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